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はてなキーワード: 手紙とは

2024-02-26

anond:20240226180822

そのお客さんには手紙を受け取ることで喜んでもらえたようだし店員としては満足だよ

キャラクター手紙を送る心理

バイトしていた施設ではたまにアイドルアニメ系)のライブイベントをやっていて、自分はそこでチケットもぎって案内したり演出管理をする仕事をしていた。

ライブといっても声優が来て踊ってくれるようなものではなく大教室程度の空間の壁にプロジェクションマッピングCG映像流れる程度のもので、要はVtuberライブの録画を流してみんなで見ていると考えるとイメージやすいかな。

だけどそんなライブにもこちらが顔を覚えるほど何回も来てくれていた常連がいて、決して安いチケットじゃないのによう来るなと思って接客していたらある日手紙自分に渡してきた。

宛先は〇〇事務所所属 △△(キャラ名)様

「は?架空キャラクターに対して手紙?」とはさすがに言えないので上司に指示を尋ねに行くと、「ありがとうございます責任もってお届けさせていただきますね!」と返せと。

言われた通り返して手紙を受け取ると、その人は恋人ラブレターを渡した後のように高揚してライブ会場に入っていった。

まあその手紙ごみ箱に行ったんだけどね。(私が捨てたわけではないよ)

あ、声優かにすら行かないんだ。まあいちいち送るのも手間か。

それにしても架空キャラ手紙を送る心理というのはどういうものなのだろうか。

溢れ出る愛情を形にするということに意味があるということ?

まさかキャラクター運営方針要望書ってわけではないよね。

2024-02-25

幼稚園児の私は死をわかっていた

初めて人間の死に触れたのは私が幼稚園とき

幼馴染みの妹が病死して、母親と幼馴染みの家に行った。

着物姿で横たわっている女の子の姿を今でも覚えている。死に化粧も施されて綺麗だった。病気で苦しんだ様子は伺えず本当にただ眠っているような顔だった

大人に言われるがまま水で濡らした葉っぱを唇に当てた

そして、私は幼馴染みの妹の母親もいる場面で「これが○○ちゃん死体」と言った。思ったことをそのまま淡々と口にしていた

私の母親は慌てて「死体じゃないよ。○○ちゃん」と言った

私の母親はこのときなにをどういったら正解だったんだろう。

亡くなった女の子母親は私の発言について、私にも私の母にもなにも言わなかったと記憶している

当時の幼稚園児の私に母親が死の概念説明しようとしていたが、私は母親説明される前に「死」というもの理解していた

子供心に「そんなのわかってるよ」と思っていた。ただ、友達の妹の遺体を目の前にしたときにどんな態度をとるべきなのか、わからなかった。ただ、大人に言われるがまま濡れた葉っぱを唇にあてただけだ

自分の心に浮かんだことをそのまま口にしただけだった

中年になった今でもこうやって当時の詳細が思い出されるくらい、幼なじみの妹の死は私の心に強烈に刻まれている

子供だって、死をわかっている子もいる。ただ、当時の私のように他人の死を目の前にしたらどう振る舞えばいいのかわからなくなっているときもある

YouTube病死する男の子ドキュメンタリーを見たのだが、

もうすぐ亡くなってしまう兄が両親に向けた感動的な手紙ヘルパーに代筆させて、両親がその手紙を読んでものすごく感動しているとき、その横で幼い弟はゲームをしていた。

視聴者号泣するような場面で弟はゲーム(多分Switch?)をしていた。

私は弟の行動にびっくりしていたが、子供はあまりにも人生経験が短すぎて、こういう場面ではこうするんだみたいなことがわからないし、まだ空気を読めないのだ。

弟は病気の兄のことを軽視していたわけではない。兄の病気のことも、兄がもうすぐこの世からいなくなることも理解している。ただ、弟はあまりにも幼すぎたゆえに自分がやりたいゲームをしていただけだ。悪意なんかない

私も「これが○○ちゃん死体」と口にしたときふざけているわけでも、悪意を持って言ったわけではなかった

ただ、自分が思っていることを言っただけだ

子供っていうのは人間だけれども、まだ未完成人間だ。大人からみれば突拍子もないことをしたり、言ったりする

死に対してもそう。その場にふさわしいふるまいがまだわかっていないかもしれない。大人が想定するようなそれっぽい反応というものはまたちがう意外な反応をするかもしれない

だけれども、あの着物姿の女の子を見ていた私のようにあなたの目の前にいるその子供は「死」というもの理解しているかもしれない

2024-02-22

ネットがないときってどうやって友達と会っていたの?

ネットがないときってどうやって、大学時代とか高校時代とかの友達と会っていたの?

手紙

ネットがないときってどうやって友達と会っていたの?

ネットがないときってどうやって、大学時代とか高校時代とかの友達と会っていたの?

手紙

わかってください 因幡 晃の曲anond:20240221133122

これから

淋しい秋です

時折手紙を 書きます

涙で

文字

にじんでいたなら



わかってください




女性はいつも「わかってください」

1975年『わかって下さい』から変わっていない

5歳半男 子育て 幸せすぎる

とにかく可愛い

だが私が彼を可愛がる以上に、彼はお母さんを可愛がって大切にしてくれる。

24時間、疑いなくお母さんが好きなんだという気持ちが伝わってくる。

私の人生にそんな幸せなことがおきるなんて想像してなかった?

110センチ程の身長なのに全てが完成されているように見える。

生命力に満ちていて、弾力があってスベスベの肌、美しい髪と目。

夜抱っこして寝る時、ほっぺをすりすりしたり抱きしめたりしながら「お母さん大好きだよ」「お母さんかわいいね」「いつも好きだよ」「僕が一歳くらいの時、ぴゃあぴゃあしか喋れなかったけど、それはお母さん好きだよって言ってたんだよ」

寝たふりをするとそっと撫でてくれたり布団をかけてくれたり、優しい。

ひらがな表見て「おかあさん ずとだいすき 1ばん すき」とハートで囲まれ手紙も書いてくれる。

わたしがお正月にあーあお腹いっぱいカニ食べたいな〜と冗談を言うと「じゃあぼく、大人になったらロボット博士になる!それで深海に潜ってカニをとるロボットつくるね、それは4人まで乗れるから、ぼくとお母さんと、〇〇ちゃん(妹)、お父さんがのって採れたてのカニがたべられるよ」と宣言して設計図も書いてくれた。

怒ってもわたしに向かって嫌いだといったり叩いてくることもない。

の子特別なんじゃなくて、多分どの子もそう。

子どもは本当に本当に可愛い。でもそれ以上に愛してくれる。子ども感謝してもしきれない。以前は生まれて来てくれてありがとうみたいな言葉自分で産んでおいて何言ってんの?と思っていたが生まれて来てくれてありがとうしか言えない。語彙がとても追いつかない。

7歳になる頃、彼はお母さんをそんな好きじゃなくなってるかもしれない。

本当のところ、私は彼が思っている程素敵な人間ではないから。

でもこんなに私に愛を捧げてくれたことを私は忘れない。

いや、忘れるかもしれないからここに書いた。

もちろん2歳の娘も大好きだよ、今日は息子について書いた。

夫、息子、娘。素晴らしい夢のような家族を与えくれてありがとう

2024-02-21

mail:手紙メール

mail:鎧:メイル

male:男:メール

うーむ

英語ってこういうところがゴミだよな

2024-02-20

anond:20240117180836

暇空は6億裁判中に、もし負けたら特許で稼ごうと考えて、カラスミの作り方(暇空が考案したわけではない既存のもの)を特許出願した

そのため昔はアンチカラスミ太郎と呼ばれていた

特許出願者の住所は公開情報となるため、今でも誰でも見られる

住所は古参ヲチャであればみんな知っている程度のものだったが、それが去年だかにまた話題になる

きっかけは、暇空が裁判相手に対して「こいつが脅迫的なことを書いたせいで引っ越し余儀なくされた、引っ越し代を払え」と要求したこと

でも暇空の億ションのわりに激狭な特徴的なキッチン写真は以前と変わっておらず、引っ越しは嘘ではないかと疑われ、手紙送付などでやはり嘘だと判明

その流れで今まで暇空の住所を知らなかった新規たちにも暇空の住所が知れ渡った

暇空の親の名前実家の住所はcolabo以前から真偽不明だが流れてた

大まかな実家場所を本人が明かしてるので、それと苗字を組み合わせたら該当する家がそこしかなかったとかじゃないか

暇空はcolabo以前には、5万円の寿司画像を送りつけて「お前はこんなの食えないだろ底辺、どうせ肉体労働者だろ」とかいきなり喧嘩ふっかけたり、

「お前は海外児童買春してるんだろ」と犯罪者扱いしたり無茶苦茶なことやってたからその頃から諍いが絶えなかった

その頃は暇空のフォロワーも少なかったし、匿名の人と喧嘩してるうちは相手が暇空ブロックすればそれで終わりだったんだけどね

女性哲学者がいない

いや、検索すれば社会学系とかフェミニズム系が引っかかるんだけど、そういうのじゃなくて。

女と社会について考えた哲学者じゃなくて、博物学とか意味の分解や根源の探求、世界の仕組みや人間一般を探るようなタイプの人。アリストテレスとかルソーみたいな。

……真面目に探したらいるやん

ヒュパティ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2

アストロラーベ天体観測儀)とハイドロスコープ英語版)[注 3]の発明については、ヒュパティアに意見を求めたシュネシオスの手紙の中で知られていることから彼女特に天文学数学に専念していたことを示している。また、哲学に関する著作物存在が全く知られていない。

と思ったら哲学系ではなんも書いてないのかよ!

もう探す気が失せた。この分野は男しか興味を持たないんか…?

オタク承認欲求しんどい

昨年から作品にはまって、最初は皆んなの妄想ツイート二次創作読んで楽しんでたんだけど、作者からの直筆イラスト入りサイン手紙などサービスが良すぎて、「神からこんな素晴らしい物を貰いました!」とか承認欲求が多いオタク多くなって正直しんどい(作者はファンの反応に応えただけなので、本当に悪くないです)。サインを貰った人が自慢したくなるのも分かる。でも、作品だけを楽しんでた頃はもっと気が楽だったな、と思う。今の界隈は情報が多すぎる。モヤモヤするので、最近ちょっと離れてる。

2024-02-18

グルーミングの話

話題に出てて色々思ったけど現実世界で言うと色々問題があるからグルーミングについての昔話をこっそり呟く。

ありがちなパターン、一回り年上の30くらいの塾講師と付き合った女子高生でした。今はもうとっくに別れて40代、年相応の相手結婚して子どももいる。

両親は厳しかった。オール5タイプのよく出来た親と発達障害の姉(違和感ありありで育ち大人になってから診断された)に囲まれて育つ末っ子、両親は手のかかる姉のことばかりに思えて寂しかった。

何をやっても「あなたはやればできるのになんでもっとやらないの?」で褒めてもらえず色々飢えてた女子高生自分に惚れて一身に尊敬を向けてたからそりゃチョロかっただろう。

今思えばたしか恋愛だったと言われれば恋愛だったけど、それでもなおあれは手を出したらダメだろうと思う。彼がわたしにしてくれた事は沢山あったけど、周囲から孤立するようにも仕向けられてたなと思うし絶対服従関係性だった。

目覚めたきっかけは大学卒業して就職難の中やっと決まった内定先に就職しようとした時に、さんざん貶され馬鹿にされ反対された時に「なんだこの男は」と思ったことだ。

あ、さんざん偉そうなこと言ってるけどこの人私を閉じ込めようとしてるんだと思った。卒業してすぐ結婚しよう、俺が養ってあげるって言う相手プランに息が詰まる気持ちしかなれなかった。

私の親が偉かったなと思うのは、5年弱彼と交際してて1度だけ会ったそのシーンで一切反対しなかったことだ。

元々親に対して冷めた気持ちしかなかったあの時、生活全てを引き受けてくれるという男がいる中で両親にごちゃごちゃ言われたら、後先考えずに家を出てそっちに乗り換えて、結果なんの発言権もない言いなりな人生が待ってたんだろうなと思う。

時間はかかったけど目が覚めて「そうだ別れよう」と決意した後は両親が力になってくれた。

なかなかに別れ話は揉めたけど携帯番号もすぐ変更、家に電話がかかってきても取り次がない、手紙も捨てたり突撃されないように駅に迎えに来たりととかまあ守ってくれた。

ずっとずっと手のかからない子として内面拗れて生きてきたから「あ、この人たちは私の事守ってくれるんだ」とこの時はじめて実感できた気がする。

10年くらいして母親とあの時はねって話をしたら「いつまでもあんな全て言いなりなことに耐えられる訳ないって思ってた」って言われてああ申し訳ないことをしたなと思った。今親との関係普通。娘としてはドライな方だと思うけど、別に悪くもない。

それとほぼ同じことしといて言えないけど家庭教師と娘が付き合ってって言うのは今親になって思うけど親の立場からして本当に最悪だと思う。

子どものことになると感情的なっちゃ気持ちもすごくわかる。

でも、わたしは両親が冷静でいてくれたおかけで、両親に祝われて結婚できたし子育てを助けて貰うことができた。反対に親も病院の送迎とかを娘にしてもらえた。感謝しかない。

彼に関して思うのは彼も子どもだったなと思う。30の独身男に、何も出来ない、あなたこそが神様だと全ての責任を任せて図に乗らせたんだから私も悪い。

彼は結局別れて5年後くらいに年上の女医さんと結婚したって噂で聞いた。末っ子で本当は甘えたい人だったのに無理して頑張ったてたんだろうな。

何も出来ないと丸投げしてくる私に狂わされずにお互い違う道を選べて本当に良かった。

愛情に飢えてる子どもグルーミングされたら、そりゃ周りが見えなくなるのは仕方がないのかなと思う。

私は運良く逃げ切れた。どうか親御さんは味方になって欲しいと思う。

大人になってからの時期、逃げるかどうかは別として「何かあったら頼りなさい」って言ってくれる場所がいるのは本当に強い。私も自分の子に思うことは色々あるけど、育った子どもの逃げ場になれる強さを持ちたいなと思ってる。

anond:20240218123258

まさにそうなんだよ。推しに直接投げ銭出来る。

寄付すると確定申告時に寄付分の免除を受けられる寄付受領書と一緒にJAXA広報誌(カラー新聞並、複数ページ)とステッカーと、前回は失敗直後に振り込んだから、失敗時の反省、起こったこと、これからのことをA4用紙いっぱいにびっしり書いた岡田PM直筆の手紙コピーと、先進光学衛星プロジェクトチームの匂坂さんのサインの入ったメッセージコピーが同封されてたよ(検索すれば色んな寄付者の撮ったそれらの文面の写真がヒットするよ)

宇宙理解を深めることが、地球理解に繋がるといったことが書かれてて、なるほどなあって思ったよ(小並感

2024-02-17

数年後の自分へ向けた手紙を書こうと思うんだが

何書けばいいかわからん

無難に現状と将来の自分への質問とかか?

小学生の頃はそんな感じで書いた気がする

anond:20240216222437

もともとの表現の自由増田みたいな「政府バカ安倍は資ね」とかいっても憲兵逮捕されない権利

憲兵手紙すら開封してみてた

今は刑務所しか手紙開封されるとこはないし安倍は資ねで逮捕されない

なお中国黄色い熊と書いただけで逮捕されるから表現の自由がない

 

特に若い人に誤解されがちだが表現の自由というのは表現を用いて人に迷惑をかけてもいいという意味ではない

脅迫エログロなどが「表現」と名乗れば許されることはない、犯罪犯罪

これはもう法律でそうなってる

脅迫罪で在宅起訴されてる人だっているわけでな

2024-02-16

学校休んだけど半日で元気になってしまった時の罪悪感

小学生の頃、偏頭痛に悩まされていて

1ヶ月に3回ぐらい休んでいた

その頃の我が家病院とか薬とかに頼れるぐらいね金は無くて、休んだときはひたすら寝てた

ある日、いつもの様に休んでいたら半日ぐらいで

吐き気が嘘みたいに治っちゃた時があって

でも、母親仕事でいないわけだし学校電話するわけにもいかず、仕方ないのでPCえっち動画を観たり、YouTubeを見たりしてた

そんな中で、なぜたか2ch寝るのまとめサイトにたどり着いたんだよ。そこでオカルトスレ出会っちゃったわけさ。とにかくずっと見てて気づいたら一日終わってた。なんのスレだったかな、壺、手紙呪い、思い出せないね

まあ、それであるスレトラウマになってしばらくまとめサイト見れなくなったんだけだ

それまあいつか話すけれど

んで、学校が終わった時間になると家の前を歳下のガキ共が走っていくからそっと毛布被って

玄関のドアを叩く音がして、開けたら

近所に住んでいる男の子が連絡帳とかプリントとかを持ってきてくれて、慌てて咳とかしてた

それにしてもあの時感じた罪悪感は何だったんだろうね。仕方ないものは仕方ないのに

ただ今日もあの時見たスレを探して電子の海を彷徨っているんだよ僕は

2024-02-14

熊代亨先生トークイベントおつかれさまでしたat梅田ラテラル

熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います

私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。

普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います

トークイベントでは新刊テーマである推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求所属欲求比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人感情を語ってもどうしても社会接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。

はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートプレーしていますし、それがまた格好良いのです。

一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。

どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。

両親はとある同じ地方出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身先生ならお分かりでしょうが、50年以上前農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています

そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子ども立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています

無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。

ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。

実際、妹は結婚していますが、子ども絶対に作らないと明言しています自分遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。

それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います

今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれから先生を「推し」として応援しています

コインを池に投げ入れる風習歴史はどのようなものなのだろう

その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった

その結果、英語圏歴史解説YouTubeチャンネル発見した

Why Do We Throw Coins in Fountains?

動画字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった

毎年、世界中私たちは噴水から井戸さらにはテーマパーク乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります私たち幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統時代を超えて広まり、その起源古代ローマにまでさかのぼますローマ公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティクコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市観光地収益の一部として寄付されることもあります

要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……

あいいや、元動画見ればわかるし

しか歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない

調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね

あと、この解説アジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている

中国人は願掛けとしてなにかとコインを投げ入れるらしい

その投げ入れる対象対象は池に限らない

中国人が願掛けとして飛行機ジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ

すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ

ひとつ西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパ民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート

もうひとつアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート

二つに分ける意味はあるのか……?

うーん

どうだろう

いか

あるということにして調べよう

映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない

しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする

であれば二つは分けて考えた方がわかりやすいんじゃないか

仮定仮定を重ねていくぅ

あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう

RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した

(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習世界中にありますよ」というもの質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)

キリスト教教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた

そうだよね、非キリスト教的な風習だよね

一神教根付くとこういった民間信仰は排斥されるということか

というわけでイスラム教ユダヤ教コイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね

イスラム教は……情報が全く出てこない

ユダヤ教はなんか出てきた

ラビに「願いを込めて願いの井戸コインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった

解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな

コイン……つまり金属製硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある

貝製の通貨貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域いかな~

パプアニューギニア現在貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった

古代中国だと賽銭貝貨を使っていたらしいけれど

パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない

まあおそらく無さそう

お葬式貝貨精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど…

そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って

ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー

教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった

例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい

いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?

と思って調べ始めたがなかなか調べるのが楽しいテーマだった

そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか

まあまあ、結論を急ぐことはない

もうちょっと調べましょうね

賽銭トレヴィの泉を一括りにして包括的投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない

こんな面白そうなテーマ絶対先行研究あるって

投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな

……といった感じで調べた内容を一旦メモ

日記

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そうだ、キリスト教には守護聖人という概念があるじゃないか

太宰府天満宮菅原道真公のような受験学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること

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全然みつからんな、受験生が守護聖人にお祈りみたいな話

なんか守護聖人がどのようなものか、みたいな認識根本からずれているのかもしれない

いい加減体系的にキリスト教勉強しなきゃ立ちいかなくなってきたのかもしれない

マッチングアプリ意味が広すぎて何も言っていないのと同じのプロフTOP100

  1. 食べる事が好きです。
  2. 音楽聴くことが好きです。
  3. カフェ巡りが好きです。
  4. 散歩が好きです。
  5. 旅行趣味です。
  6. パソコン趣味です。
  7. 映画鑑賞が好きです。
  8. 本を読むのが好きです。
  9. アウトドアが好きです。
  10. インドアで過ごすのが好きです。
  11. 新しいことに挑戦するのが好きです。
  12. 美術館を巡るのが好きです。
  13. 写真を撮ることが趣味です。
  14. ヨガをしています
  15. フィットネスに通っています
  16. 料理をするのが好きです。
  17. スポーツを観るのが好きです。
  18. ペットと遊ぶのが好きです。
  19. ガーデニング趣味です。
  20. 手芸に興味があります
  21. ボードゲームが好きです。
  22. 星を見るのが好きです。
  23. 海が好きです。
  24. 山が好きです。
  25. 自然を楽しむのが好きです。
  26. コンサートに行くのが好きです。
  27. バーでくつろぐのが好きです。
  28. ワインを楽しむのが好きです。
  29. コーヒーが好きです。
  30. お茶を楽しむのが好きです。
  31. アニメを観るのが好きです。
  32. ゲームをするのが好きです。
  33. パズルを解くのが好きです。
  34. 言葉を学ぶのが好きです。
  35. 歴史に興味があります
  36. 文化交流に興味があります
  37. 人と話すのが好きです。
  38. 独り時間を大切にしています
  39. ファッションに興味があります
  40. 音楽演奏するのが好きです。
  41. 歌うのが好きです。
  42. ダンス趣味です。
  43. 映画制作に興味があります
  44. 写真集を集めるのが好きです。
  45. ビンテージ品を集めるのが好きです。
  46. 手紙を書くのが好きです。
  47. 日記をつけています
  48. ブログを書いています
  49. SNSをよく使います
  50. テクノロジーに興味があります
  51. 新しいガジェットが好きです。
  52. インテリアデザインに興味があります
  53. 芸術創造するのが好きです。
  54. 工芸品を作るのが好きです。
  55. ジグソーパズルをするのが好きです。
  56. マジック趣味です。
  57. 占星術に興味があります
  58. 心理学を学んでいます
  59. 哲学的な話をするのが好きです。
  60. 社会問題に関心があります
  61. 環境保護に取り組んでいます
  62. ボランティア活動をしています
  63. 政治に興味があります
  64. 経済に興味があります
  65. 投資をしています
  66. 株式市場に関心があります
  67. 起業家精神があります
  68. リーダーシップを学んでいます
  69. チームスポーツが好きです。
  70. 個人スポーツを楽しんでいます
  71. 海外ドラマを観るのが好きです。
  72. ドキュメンタリーを観るのが好きです。
  73. 謎解きが好きです。
  74. 探偵小説を読むのが好きです。
  75. ファンタジー小説が好きです。
  76. SF小説を読むのが好きです。
  77. 歴史小説を読むのが好きです。
  78. 詩を書くのが好きです。
  79. 短編小説を書いています
  80. エッセイを書くのが好きです。
  81. 漫画を描くのが好きです。
  82. イラストを描くのが好きです。
  83. デザインをするのが好きです。
  84. 建築に興味があります
  85. 古典音楽聴くのが好きです。
  86. ジャズを楽しむのが好きです。
  87. ロック音楽が好きです。
  88. ポップ音楽をよく聴きます
  89. 電子音楽を楽しむのが好きです。
  90. レゲエ聴くのが好きです。
  91. ラップ音楽を楽しむのが好きです。
  92. ワールドミュージックに興味があります
  93. 楽器を集めるのが好きです。
  94. 音楽イベント企画しています
  95. フェスティバルに行くのが好きです。
  96. 自然歩道を歩くのが好きです。

自分はこの世界人間じゃないかもみたいなやつ

小学校高学年くらいの時考えなかった?

増田十二国記が大好きだったから、人間関係とかがしんどい時はよく自分は胎果でしか麒麟で、向こうからお迎えが来たらこ仮の姿から本来の姿であるとんでもない美人になって、しか金色麒麟じゃなくて髪が見える角度によって虹色に輝く特別麒麟(オリジナル設定だね😇)になる、シチュエーションとしては放課後忘れ物を取りに誰もいない廊下を歩いてたら急に人ならざる女が現れて、会いたかったと泣きながら増田のことを優しく抱きしめ、誰なんだろうこの人と思いながら顔を上げて目を合わせた瞬間に世界が反転し、気がつけば向こう側の世界にいて、増田本来の姿に戻っていた...


みたいなの考えてましたよね?

まあ現実はそのままデブ続行で特に人生特に変わったイベントも無く小さい会社事務員やってるんですけど...友達ホグワーツから手紙真剣に待ってて、入学方法をかなり真面目に探したって言ってた。みんな1回は逃げたいよね。逃げたいと思いながら頑張って大人になって社会に出て偉い。

2024-02-13

ジャニーズJr.認知された感想

とあるジャニーズJr.を追いかけ始めて1年になった。

ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。

いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったか交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。

100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台最前列ヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。

(ちなみにこの記事ジャニヲタ金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132

見たい欲求<見られたい欲求

ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。

匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場日生劇場NHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。

出待ち文化ジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女大名行列を整理している。未だに存在している事実ジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。

そういう意外とローカルな「アイドルファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドル代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているかSNS文化に則した発展もなされている。

ジャニヲタあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板存在する。海外無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワード伝言ゲーム的に広がっていく。

ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタ特定個人誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。

まりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。

そして一般的認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。

最初自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホーム電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。

「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語同義アイドルを本気で好きになってしま現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオク落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドル癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。

最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動からいかけ始めた。自分は「副産物としての認知タイプだと思うけれど、もちろん最初からアイドル認知されたい」という承認欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。

1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊バージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズファン現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。

あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。

近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。

毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)

最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。

この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼から絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやり認知ってなんなんだろうと考えた。

アイドルファンの強みはやめたいときにやめられること。

本質的自分お客様お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。

もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人ものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。

認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援放棄して他のことに眼を向けることができない。

わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。

彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドル自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいか全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。

認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。

でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的優越感だから毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気であるものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。

それでも根底にあるのは「好き」という気持ちから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗チケット流通センターをチェックすると思う。

はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。

2024-02-12

カーニバルはもうこりごりだぁ〜

今日ゲーム内でカーニバルが行われていて

気っっ持ち悪いクジャクに煽られたりしながら

羽を集めていた。これがまぁ大変で、羽は空中をふよふよ漂ってるわけだけど、網を振ると「さっ」って感じで避けるし、川の真ん中を漂ってたりすると向こう岸まで行かないと行けなくなるし

いざ、渡そうとしたら「枚数が足りないわ!舐めないでちょうだい」とか切れられるし

セーブしたら「今の気分はあかいはねかしら」

ってあんセーブ前は「あおいはね」の気分だったじゃないか!そんでもって「にじいろのはね」を渡すとすっかり調子に乗って二回分ダンスを見せられる。周囲の温度ますます下がる

何が春の訪れを告げる祭りだ、クジャク求愛を見せられただけじゃあないか

そんなわけでイベントはにじいろのはねをもう一枚身につけるように手に入れて終わり!

貰った家具手紙プレゼントしてお気に入りの住人へ送ってあげたわ!いらんし

ああ、時間無駄だった!

(でもペーターきゅんジェスチャーするとしっぽが動きまくるのはえっちだった)

ひとりでダブルベッドを組み立てる

木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。

別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。



彼が敬愛する歌手コンサートチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体ほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。

隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。

しかった。

時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。

今度は私の好きな歌手コンサートに一緒に行こうねと言った。

ついぞ果たされることは無かったが。



木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。



私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。

告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。

その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこから恋人が出来ても長く続くことは無かった。

もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。

私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。

彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。

僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。



しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。

そこから半年同棲を決めて、必死で片付けをした。

間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。

「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。



それからの日々は怒涛だった。仕事洗濯食事の支度、お風呂睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。

段々、自分負担が大きい気がしてきていた。

洗濯の頻度の格差を指摘したら喧嘩になった。

鍋の後、おじやを作るのを断ったら喧嘩になった。

食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。

なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。



それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。

でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと​──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた​────。

私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。

「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。

付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。

私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。

そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。



一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫電子レンジも全て譲ってしまった。

彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。

「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。

ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたシングルをもうひとつ買えば?」

私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか



何故そんなに自分シングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。

私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。

それからちょうど一年が経っていた。

この人は一つも、私たち生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。



それから、こう続いた。

新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。

あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。

納得していないかお金は払いたくない。

ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。

ついに、寝室に置かれるベッド幅がキングサイズを超えた。





もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。

買った。

でも直ぐに許せなくなってしまった。

詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。



交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。

もう終わっていたんだなと、ふと思った。

ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。

同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。

来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。

手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。

フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。

彼は賢いと思う。





本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。

この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。

友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。

少しほっとした自分に、自分でびっくりした。

終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。



マットレスが届いたら。

まっさらダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。

ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。

2024-02-11

SNSを一旦やめることにした

とりあえずインスタとXのアプリを消した。

ほぼ見る専だけど、なんか疲れちゃったので。

半年くらい使わずにいたら、どうなるか実験しようと思う。

実験初日今日は、手持ち無沙汰になるとついインスタを開こうとして、あ、消したんだったね…っていうのを何回もやってしまった。

SNS依存から脱却したい。

とりあえず余った時間で、海外に住む友達手紙を書いた。明後日出す。

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