2024-02-25

幼稚園児の私は死をわかっていた

初めて人間の死に触れたのは私が幼稚園とき

幼馴染みの妹が病死して、母親と幼馴染みの家に行った。

着物姿で横たわっている女の子の姿を今でも覚えている。死に化粧も施されて綺麗だった。病気で苦しんだ様子は伺えず本当にただ眠っているような顔だった

大人に言われるがまま水で濡らした葉っぱを唇に当てた

そして、私は幼馴染みの妹の母親もいる場面で「これが○○ちゃん死体」と言った。思ったことをそのまま淡々と口にしていた

私の母親は慌てて「死体じゃないよ。○○ちゃん」と言った

私の母親はこのときなにをどういったら正解だったんだろう。

亡くなった女の子母親は私の発言について、私にも私の母にもなにも言わなかったと記憶している

当時の幼稚園児の私に母親が死の概念説明しようとしていたが、私は母親説明される前に「死」というもの理解していた

子供心に「そんなのわかってるよ」と思っていた。ただ、友達の妹の遺体を目の前にしたときにどんな態度をとるべきなのか、わからなかった。ただ、大人に言われるがまま濡れた葉っぱを唇にあてただけだ

自分の心に浮かんだことをそのまま口にしただけだった

中年になった今でもこうやって当時の詳細が思い出されるくらい、幼なじみの妹の死は私の心に強烈に刻まれている

子供だって、死をわかっている子もいる。ただ、当時の私のように他人の死を目の前にしたらどう振る舞えばいいのかわからなくなっているときもある

YouTube病死する男の子ドキュメンタリーを見たのだが、

もうすぐ亡くなってしまう兄が両親に向けた感動的な手紙ヘルパーに代筆させて、両親がその手紙を読んでものすごく感動しているとき、その横で幼い弟はゲームをしていた。

視聴者号泣するような場面で弟はゲーム(多分Switch?)をしていた。

私は弟の行動にびっくりしていたが、子供はあまりにも人生経験が短すぎて、こういう場面ではこうするんだみたいなことがわからないし、まだ空気を読めないのだ。

弟は病気の兄のことを軽視していたわけではない。兄の病気のことも、兄がもうすぐこの世からいなくなることも理解している。ただ、弟はあまりにも幼すぎたゆえに自分がやりたいゲームをしていただけだ。悪意なんかない

私も「これが○○ちゃん死体」と口にしたときふざけているわけでも、悪意を持って言ったわけではなかった

ただ、自分が思っていることを言っただけだ

子供っていうのは人間だけれども、まだ未完成人間だ。大人からみれば突拍子もないことをしたり、言ったりする

死に対してもそう。その場にふさわしいふるまいがまだわかっていないかもしれない。大人が想定するようなそれっぽい反応というものはまたちがう意外な反応をするかもしれない

だけれども、あの着物姿の女の子を見ていた私のようにあなたの目の前にいるその子供は「死」というもの理解しているかもしれない

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