はてなキーワード: 所得とは
http://anond.hatelabo.jp/20140211042328
http://anond.hatelabo.jp/20140212015607
☆
都知事選終わったのを機に、上二つのネトウヨ批判の記事を執筆してみたんだけど
どうにも相手とする人々の知能指数が低すぎて、これを書いている私まで病んできそうになる。
それに、水島氏批判なんかは、実のところ、ネトウヨ支援にひとしいわけだから
そういう敵に塩を送るような真似はしないほうがいいんじゃないのか、という気もしてきた。
☆
本当の敵は「チャンネル桜」でも田母神でも水島でも竹田でもKAZUYAでもなくて、
経済的「不安」をかかえた所得中間層にはびこる排外主義の雰囲気だと思っている。
実際にデモにいったり政治的主張を声高に叫んだりはしないけれども、
自分を不安にさせる経済的要素を、中国・韓国に投影して、みずからを慰めようとしている
そんな人たちは、少なからずいるんじゃないのかと思う。
日本列島に渦巻く「不安」の雰囲気を男性的な力によって脱却したいと彼らは望んでいる。
その男性的な力を表現しているのが軍人あがりの「田母神」という"シンボル"なのだろう。
でも経済的不安をそうした「男性的な力」をもって脱却しようとすることはハッキリ言えば不可能だ。
サヨク側が、ここに戦前の姿を見出すのもじつは所以なきことではなくて、こういう愚かな潮流こそが敗戦の原因であったからである。
実際そうなのであって、そのイデオロギーをまともに受け取ろうとすると馬鹿馬鹿しい作業をしなければならない。
そもそも彼らが現代の日本の政治状況が「中国派VSアメリカ派」であって、自分たちが「日本派」と呼んでいる、っていうことは、
単純な陰謀史観にすぎないわけであって、こうした認識は、あの杜撰な田母神論文に由来している。
こんな不出来なシロモノは、世が世ならキ印の烙印押されて、それで終わりというものだ。
しかし、必ずしもそうなっていないところに日本の不幸があるのだ、と言ってもよいだろう。
マトモな学者はたいてい彼らを相手にしてないでしょ?
カルトの言ってることをマトモに批判したって、カルト信者は何も意見を変えないでしょ?
私がやってるのはそういう不毛な作業なんだな、と実感したわけである。
☆
私がさきほど右傾化の原因として挙げたのが経済的不安である、と述べた。
他にも核家族化・超高齢化社会・少子化etcを挙げることも出来るが、そうした内政における生活上の根本的問題への不安感が、右傾化という形で顕在化しているのだと思っている。
話を、経済的不安に戻すと、それでは日本はこれから健全な資本主義を保っていくことは出来るのだろうか? 資本主義成立に必要不可欠な経済成長の可能性を日本はもっているのだろうか?
残念ながら、その可能性は持っていない、と言わざるを得ない。この議論は煩雑になるので一気に省略して、この結論が正しいものだとしておこう。
じゃあ、どうすればいいのだろうか?
経済成長を断念することだ。
日本国に住むすべての人びとが幸福であることを第一としなければならない、と私は考える。
たとえ国力が弱まろうとも、それは仕方のないことなのだ。
webサービスを作成して他人に提供する。こういったIT起業が前々からブームですが、個人的にはこの個人によるIT起業のメリットが全く思い浮かばないんですよね。
どちらかというとデメリットだらけの印象なのに、なぜ多くの方が興味を持つのだろうか?…そう思うんです。
実に全部で16個です(汗)。
もしそれでもIT起業をしたいのであれば、株で良いじゃないですか?って思うんですよ。こちらも利回りは3~10%くらい余裕で出るし、何より税金は株式投資と一緒なので最大20%です(去年までは10%だったんですけどね)。
こちらのメリットを、個人のIT起業と対比してまとめてみますね。
http://anond.hatelabo.jp/20140125125450
受給者の口座は全部調査する「ことになっている」が、現実には全部の調査がなされておらず、自己申告に任されている。そこにつけ込んで悪事を企図する輩がいるのです。
これは単に不理解なのか、はたまた希望的観測なのか。
口座のチェックは、生活保護申請時にそれに関する同意書にサインを求められ、同一名義の口座全てに、ケースワーカーがその権限で任意にチェックできる。
かつては銀行及び各機関(電気ガス水道各社、他携帯会社等々)へ「協力を要請できる」でしかなかったが、今般の改正により、「回答をするべし」とより厳重になっている。
下記のリンクは、内閣府主催の「ゼロから考える少子化対策PT」会合で、シングルマザー支援団体が提出した資料です。
リンク先は児童扶養手当に関する申請の有無。生活保護とは全く別のもの。
第三者の口座に養育費を振り込ませる手口はときどきある(事情で出所は明示できない。すまん)ので、養育費を支払う側は注意が必要ですね。
最後の行の指摘については、冒頭で書いたとおりです。「バッシング」というとすれば、「冤罪への無策」と「不正」をバッシングしているだけです。
これに至ってはもはやただの犯罪。
いまの日本社会がうまくいっていない、経済がまわっていないという現状認識を前提にする。
「企業や資産家などの収益(収入・所得)が増えれば社会全体が底上げされる」という論理が成り立つためには、その収益が末端にまで循環しなければならない。つまり、企業や資産家が篤志家で、給料や社会保障が充実していないと、末端までゆきわたらない。
バブルまでは給料が右肩上がりだった。年金支給も高額で、いまほどは寿命が長くもなかったし子どもが儲けてきてくれたから、比較的、末端にまでゆきわたっていた。
いまは、末端にゆきわたっていない。その構造的な破綻が、日本社会の失敗の原因だろう。少子高齢化も進んでいるし、俗に言う「ブラック企業」というのがある。
この構造的失敗を直さないかぎり、いくら上の収益を増やしても、問題は解決しないと思われる。
「ブラック企業」だとか職場いじめ(パワハラやセクハラ等も含む)も、企業が収益を維持し増やそうと異常に必死であることが主因だと思う。やってもやっても収益が上がらなかったり、倫理的・コンプライアンス的にアレなことをしないと収益が出なかったりするなかで、それで従業員のケツを叩くことで売上を出そうとしているわけだから、待遇もよくなければ、職場の人間が精神的におかしくなってイジメが常態化する。
日本社会のいわば「封建構造」は、上が儲けているだけではなくて、下にたくさん与えないと、機能しないはずだ。
ところが、日本人の痛々しい気質なのか、自分の上ばっか気にするところがある。だから例えば、企業は機関投資家や外国人投資家の御機嫌をうかがい、また、いまの政府も外国人投資家の御機嫌をうかがっている。
それで、上ばっかにシッポ振っているから、下に与えない。
国民は必死こいて働け、カネ稼がない奴はダメだと、いわば国民が兵士だと思っているような発想はまた、靖国神社にみられるような国家のために国民が命懸けるのを肯定する発想と共通している。こうした発想も、日本がいまだに封建社会であることのあらわれで、民主主義社会だったらこういう発想は出てきづらいものだと思う。民主主義社会だったら、つまり国民ひとりひとりが主権者で、ひとりひとりが国だと思っていたら、国民をまるでコマか鉄砲玉か歯車かなんかみたいに扱う発想は出てこない。
いずれにせよ、成果出して儲けた奴が勝者だとか、負けた奴が悪いだとかいう、自由競争社会の論理と、封建社会の論理とは、本質的に共存しえないのではないか。その共存しえない矛盾した二枚舌・ダブルスタンダードを放置している、むしろ開き直っているのがいるくらいだから、いまの日本は救われないのだと思う。
インターネッツには、言及すると炎上必至な話題、地雷があるらしい。
そんなのネッツの外でもそうじゃないか。
上記のキーワードは、インターネッツの外でももれなく地雷である。
現実では避けれるのにインターネッツでなぜ踏んでしまうのかって話はまぁ色々理由があるだろうけど、別になんでもいいや。どうせ「世界中にオープンな場でー」とか「匿名性がー」とか。
今、俺が思うことは、子供っていいなってこと。
子供の頃(小学生とかその辺)って、クソほど他人の(大人の)地雷踏んできたと思うんだけど。
ほとんど、飛び石みたいに地雷を渡り歩く生活してたと思う、先生にデブとかブスとか臭いとか、「なんで結婚しないの?」とか言ったり。
母さんに「なんで父さんは毎日朝に帰ってくるの?」「なんで父さんは帰ってきたときだけいい匂いがするの?」って聞いたり。
友達の家遊びに行って、友達の親の目の前で「なんでおまえんちぼっとん便所なの?」 って聞いたり。
でも、全く反省することなかったし、そもそも地雷踏んだことに気づかないから反省するって概念すらないし、周りにできた大人がいなければ怒られることもない。
幽遊白書で、鴉の牢獄爆弾(プリズンボム)に囲まれた蔵馬状態。
あるのかないのかも定かではない地雷を、手探りで避けながら暮らす毎日。
このことを「空気を読む」と言う。
僕は月に二回ほど、安い牛丼チェーン店を利用することがあり、使ってる時間帯(早朝)も関係しているのか、当然のことながら、僕も含めて客層のほとんどはそれほど所得の多そうな人達ではありません(ヨレヨレの服を着ている、ヒゲを剃っていないといった身なりがあまり整理されていない等が判断材料なので必ずしもとは言えません。見た目で経済力を判断するのも極端な話ですが、僕自身小さい頃から何度も家庭環境を身なりで判断をされてきた経験もあるので、絶対ではないけれどある程度のバロメーターにはなるとという自負はあるんです)。ですがやはり数名は、それなりの収入はありそうな人(それなりの値段はしそうなスーツを着ている人等)も稀に訪れるのです。
あくまで僕の見てきた限りの話になるのですが、食事を終えた後に勘定を支払う際(すき家のような後払いの場合)、もしくは純粋に食事を終えて帰る前(松屋のような食券制の場合)、店員に向かって「ごちそうさま」という言葉を口にするのは、いわゆる「低所得そうな人」のほうが圧倒的に多かったりするのです。とてもフランクに「ごっそさん」くらいのノリで。
これは、店員に「ごちそうさま」を言うのが正しく、言わないのが悪い、という話ではありません。そもそもそこに善悪などは一切挟まれていません。ただ、個人的には注文やお勘定の要求以外で店員に話しかけるのって勇気がいるんですよ。なぜなら単純にそれを言う必要性がないのと、店員にウザがられるかなという考えがあるからです。
だから本来なら言う必要性のない場所での「ごちそうさま」を言うことにあまり抵抗がないって、いいなあと思うんですよね。僕はこの行動を好意的に解釈しました。念を押すようですが、「言わないのがダメ」というわけでは決してありません。言うも言わないも完全に個人の自由です。でもどうしてそういう行動は(僕の観測している範囲だと)いわゆる「(あくまで僕の基準に照らしあわせたうえでの)低所得そうな人」な人に集中するんだろうという疑問もあり。
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 最高の冬にしようや (@nnnn330) 2014, 1月 16
ご覧のように、これは単純に「僕はこんな疑問を持ちました」ということの表明です。「所得が低い」と言い切っているわけでもないし、「備えている『ように思える』」と、あくまで僕の中のイメージでしかないこともはっきり記しています。「本来不必要」というのも、「ごちそうさまを言うのは義務ではない」という意味です。
すると、このツイートがえらく拡散されていたので「お、同じことを考えている人が結構いるのかな?」と思っていたんですよ。
でも、違っていたんですね。
ごちそうさまって言うことの何が不必要なのさ。あなたは何様なのさ。
— 九条遥 (@kujoh_haruru) 2014, 1月 17
この人は食後にごちそうさまを言う人に親でも殺されたのかな?
……ん?
ごちそうさまくらい言ってもいいじゃない— アメボウズ@もう何も怖くない (@ame_tonberi) 2014, 1月 17
@nobody2knows 他人に丁寧に接することを揶揄する人は寂しいねえ
— でゅーくまんごう(◕‿‿◕)改二 (@nan5o) 2014, 1月 17
……や、揶揄?
個人の自由 RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 久遠寺あにぢゃ (@xl9ngy0120) 2014, 1月 17
牛丼にごちそうさまは不必要とか頭おかしいな RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
……お、おお?
これはもしかして……いや、他の人の反応を見てもまず間違いありません。
僕が「牛丼屋でごちそうさまを言うな!」と主張したように解釈されている?
えっ、どこ? どこを読んだの? あのツイートのどの部分を読んでそう解釈したの?
いや、仮に「不必要」の部分を以って「不必要なんかじゃない!」と主張するのはいいんですよ。是非はともかく個人の自由ですし。
でも、僕が牛丼屋でごちそうさまを言うなと主張している、という認識はあのツイートのどこでそう解釈したんですか? ここは譲らないですよ。譲らないというか、意味がわからなさすぎて譲りようもないというか。
もう本当に煽りなんて一切なく、もう1ミリも理解できないんですよ。何がどうなったらその受け止め方ができるのと……。
でもまあこの手にありがちな、一部の極端な発想をしちゃう層なのかな……と思っていたら、ツイートの拡散は止まらないし、先にあげたツイートのような反応がゴロゴロ転がってくるし……。
星井さんの元ツイートが誤解されやすい論調だったからかな。「エリートっぽい人より、低所得っぽい人の方が礼儀正しく見える」という意図が、「低所得っぽい人ほど無駄に礼儀正しいwww」という意図に読めるんだと思う。ごちそうさまがどこに向いているかを意見する人は本当はそこを批判したいのだ。
— 赤速 (@redswift500) 2014, 1月 17
なるほど……。
ここで再確認しておきますが、僕は「ごちそうさまを言うな」とは一言も言ってないですし、「ごちそうさまを言う奴は低所得者だ!」といった意味不明な煽りもしていませんし、「低所得者の礼儀正しさは無駄」に至ってはもうなんていうか、その解釈どこの星から持ってきたのとしか……。「僕が興味を持っている」というところ以外では「言い切ってる部分」だって殆ど無いんですよ、件のツイートには。
僕の中では「ごちそうさま」くらい、言うも言わないも好きにすればいいはずで、言う人が責められるべきでも、言わない人が責められるべきでも、どこかで義務付けられているわけでも、義務付けて強制すべきでもなく、僕にとって(少なくとも件のツイートに関しては)「本来不必要」というのは「やるな」ではなく「やらなきゃいけないわけじゃない」という意味なのです(義務付けられてなかったり高い必要性が求められていない以上「本来不必要」という表現で合っていますよね?)「マナーとして必要な場があるというのなら自分のためにもそれに従えばいいだけの話で。
ですが、ここまで誤った認識が広まっているのなら、それはきっと僕の言葉が足りなかったのでしょう。先のツイートのように、論調が誤解を受けやすかったのかもしれません。そこで、自分の言葉のどこに、その誤った解釈ができる要素があったのか、徹底的に考えてみることにしてみました。
出来る限り言葉のひとつひとつを、出来る限り多方面から、出来る限り客観性を持って(自称する客観性ほど胡散臭いものもありませんが)、彼等の認識をすり合わせて、どこで誤解を受けるのかを考えます。
……………………。
……………………………。
…………………………………。
自分が絶対に誤解を受けるはずがない完璧な言葉を吐いた、といったような驕りを言うつもりは一切ありません。なのでそれがわからないということは、僕に欠点があるわけです。僕の目から観たらかなり跳躍した思考であっても、それがここまで大勢、しかもみんなすぐその「僕には誤っていると思っている認識」に直結したともなれば、もう僕の思考の欠落を疑うほかないからです。
唯一救いがあるとすれば、これらの誤解した意見が「多く」はあるけれど「多数派」ではなく、まあ実際の割合はわかりかねるのですが、僕の言葉の意図してることを理解してくれた人も、僕の見た具合では誤解した人と同じくらいいたことです。
結局僕は「低所得者の礼儀正しさをバカにしたうえ、牛丼屋で『ごちそうさま』をいう行為を否定した人」という枠に、そんなつもりも一切ないのに押し込められてしまったわけです。
ツイッターには文脈の一部だけを切り取られてそれが広まり解釈されるという現象も珍しくありません。僕の言葉足らずもあったのでしょう。
それでも!
そうだとしても!
やっぱり納得出来ない!
ああ、日本語って難しい。あるいは単に僕の頭がすこぶる悪いのか、人の気持ちが理解できないだけなのか……思いもよらぬことで自分の理解力の欠如が露呈し、あらゆる自信が崩壊していきました。いや自信なんて最初からないんですけれど。
今この記事を書いている間も、実は全くわかっていません。誰か僕にもわかるような簡単で合理的な説明を!
nanaoku 2014-01-17 13:06
http://anond.hatelabo.jp/20140117173200
どんな時でもごちそうさまという食事への感謝を表す言葉を著者がイメージするマナーや教養を持ちあわせいるであろう、そこそこの所得があるであろう人たちよりも、著者やがイメージするマナーや教養を持っていなさそうな低所得者層に見える人たちの口から発せられているのに著者の今までの先入観を崩され『悪くない風景だ』
という風に読めた。
■個人的な感想
ごちそうさまの習慣と所得の多寡には、相関性があるとは思えない
むしろ何故、ある一つの食事の習慣を「金持ちか貧乏か」という軸で切り分けて見たのかが、良く分からない
「主に何を食べるか」と収入との関連は、懐事情の許す限界があるので当然だし、そういう比較なら分かるんだけど…
当該の人は、ご自身を「低所得」コミュニティに属するものとして捉えているのではと思う
ご自身より少しでも金周りが良さそうな人、に対する過剰なルサンチマンが根底にあるのではないか
そのために、世の中を「金持ちの行動原則」vs「オレの行動原則」みたいに
常に対立させて見る『色眼鏡』をかけているように感じた
このエントリを見る限り、それは一般的にはあまり「高所得者」とくくられる人ではないような気もする。
どっちかというと、平均的な所得を得ている程度のサラリーマンというか…「裕福」ではないと思う。まぁこれは私から見れば、の話だけど
個人的な尺度ではあるが、「高所得者」という修飾語の付く人は、そもそも牛丼屋で食事をとる機会が少ないのではと思う
私の身の回りには、いわゆる年収1000万円オーバー(どうも小町っぽくて困るね)の知人が何故か多いのだが
彼らは牛丼屋でごはんを食べる様子がないし、私自身は同世代平均よりはちょっと高い程度の収入だけど、やはり牛丼はあまり食べない
まぁこれは、ごく狭い私の世界における観測であって、当然、年収5000万でも牛丼大好き!な人も多そうだ
知り合いの社長にアツい松屋派の方が居て、『保守的な牛丼趣味(社長談)』を持つ吉野家好きの部下と飲み屋で熱くバトルを繰り広げる現場に居合わせたことがあるしw
そういう風につらつらと考えるに、やっぱり、牛丼を好むかどうかですら、所得との相関関係はあまりなさそうだ
いわんや「ごちそうさま」をや
■結論
自分が「貧乏ルサンチマン色眼鏡」をかけている可能性を、少し考えてみてはいかがでしょうか
まぁ、ぼくの見たモノだけが現実で、それ以外は知らんぼけ、って言うなら、はーそうですかーってなもんだけど
そりゃ否定的なブコメ付けた人たちがあなたに対して思ったことでもあるから、不毛なディスコミュニケーションでしかないよね
■その他、炎上した理由があるとすれば
「低所得者に見える人たち」はうんぬん…って、主語が大きすぎる
このエントリが本人だと信じるとして、まぁそうじゃなくてもtwitterを覗いたりして感じたことは
「ぼくには理解できない」、じゃなくて、「理解する気がない」んじゃないか、ということ
あーこの人「ありのままの貧乏でお茶目なぼく」を、どうしてもはてなのコミュニティでも認めさせたい、ということなんだろう、と
一応、元の記事は読んだ。牛丼屋で支払いの時に、「ごちそうさま」という人には「低所得」を感じさせる風体の人が多い。「高所得」そうな人は、「ごちそうさま」とは言わない」という感想というか印象。
牛丼屋の後払いとか、セルフ食器を片付けるお店だと、つい「ごちそうさま」と言ってしまう自分は、きっと「貧乏人」に見えているんだろうな。さすがにファーストフードのゴミ箱は挨拶しない。店を出るときにも。
ちょっと高価なレストランだと、最初に「お会計お願いします」ははじめに言うけど、「ごちそうさま」とは言わない。いくらくらいが境界線なんだろうなぁ。ファミレスでも言わないな。
==
「ごちそうさま」と言わなくても気にされない牛丼屋でも、
店員に対してそれを言える礼儀正しさを持ってる人は、
生活が大変そうな人の方が多い事に、驚きと敬意を感じると共に
お金の余裕が逆に何か大事な物を見失わさせてるのではないのかと
(131文字)
==
とりあえず本意(一部推測)はだいぶ込められたはず。
本当、1ツイート先は闇。
==
(原文)
https://twitter.com/nnnn330/status/423953954267856897
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、
牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う
突っ込みどころの地雷原たる一連のツイートだが、いくつか言いたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1785362.html
所得の低「そうな」人ほど礼儀正しさを備えているように「思える」という雑なイメージを吐露している。
なぜ雑かというと、所得の低そうな人がどういう人か、礼儀正しい人がどういう人か、
読者に納得のいく意見が述べられていないからである。データや経験のない意見は
その雑なイメージを基に疑問を呈してみても共感など得られるはずもない。
まずは「牛丼 客 年収」などでググることが必要だ。別に論文レベルの
データや参考文献は必要ない。だがそれを補うためには圧倒的に魅力的な経歴が
2. 疑問は時に炎上する
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1499407139
皆さんは上の投書を覚えているだろうか。
新幹線の指定席を買い忘れた壮年男性が空席を求めて指定席ゾーンを彷徨い、
最後は自由席で子連れの母親から席を譲ってもらったという話である。
ペットや未就学児童が指定席に座っていることに疑問を呈する投書であるが、
「虚を突かれ」「座席で居心地の悪さを感じながら」など、
今回のツイートも「僕はこんな疑問を持ちました」という表明である。
が、共感を求めるポーズが滲み出ており、「分からない」という形式の疑問ではなく
「僕/私の言ってることは間違ってますか」という形式の疑問である。
このテの疑問は小町でよく見かける。そして漏れなく炎上している。
3. 不要論は禁止に似ている
たしかに「牛丼屋でごちそうさまなんて本来不必要」と「牛丼屋でごちそうさま言うな」は違う。
だが、世間では「○○なんて不要」という意見は強制の意味を多分に含む。
そんな考えを持った人間たちが街を練り歩く姿をよく見かける。
そもそも140文字という短いフォーマットでは1つのツイートでも
正しく理解してもらう文章力が求められる。殊に本を書いてもいるプロなら尚更だ。
「なぜ謝らなければならないのか分からない」を繰り返していた。
この局面になって炎上する理由が分からないのは他者意識が欠如していると
言わざるを得ない。ここで言う他者意識とは、「この文章を読んで読み手が
どう感じるか」ということだ。
考えてほしい。そのツイートがなぜ炎上したか。なぜ反対意見が多いのか。
かく言う私は反省も謝罪も求めてはいない。求めるのは学習である。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか頭が下がってて、ごちそうさま、とか言ってるんです。
お前らな、150円引き如きで普段目も合わせない店員に感謝してんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ食べ終わっちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
Uの字テーブルの内側に立った店員といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。所得の低い奴は、すっこんでろ。
で、やっと食べ終えて無言で席を立ったら、隣の奴が、礼儀知らず、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ごちそうさまなんて本来不必要な礼儀正しさなんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、ごちそうさま、だ。
お前は本当に料理に感謝したのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ごちそうさまって言いたいだけちゃうんかと。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
食い逃げ、これだね。
食べ終わったら無言で逃げる。これが通の去り方。
食い逃げってのはねぎを多めに食べる。そん代わり金を払わない。これ。
で、そのあと全速力で疾走。これ最強。
「牛丼屋で「ごちそうさま」を言うことに関し、えらい誤解を受けている話」というエントリーを帰り際に読んで、牛丼が食べたくなったので数年ぶりに吉野家行ってきた。
このエントリーはもう削除されてしまってるのだが、2chにも転載されたみたいで、現在は「痛いニュース」にもまとめられてる。「ツイートしたら誤読されて炎上した。なんで!?」みたいな趣旨のエントリーだった。
私は件のツイートを読んで、まあどっちの意味にも取れないことはないな、エントリーを読めば趣旨は理解できるし、ちょっと言葉を変えたら伝わっていたかも、程度に考えていた。以下のようなブコメを「そうだよなあ」と思いながら読んでいた、のだが。
私も言葉を選ぶのは得意なほうではないので、この戒めを守ろうと思ったらとてつもない努力を払わないといけないことに気付いた。
誰でも自由に参加できるインターネットの世界では、言葉の発信側と受け手側で、感性や考え方や立場などにもの凄い違いがある場合が多い。ある集団内で通じる言葉やニュアンスが、別の集団では全く違う捉えられ方をしてしまうのはよくあることだ。集団の間の障壁が少ないインターネットの世界では、別の集団に流出した言葉が炎上の発端となるケースが頻繁に見受けられる。自分と別の集団にいる人間が、どのように感じどのように行動するのか、予測するのは容易なことではない。
言った当人にそのつもりがないのに、その言葉に「上から目線」や「悪意」を感じて、執拗に攻撃する人や炎上させようとする人がいる。そんな炎上を予防するには、全世界の皆が悪意に受け取らないように、言葉や文章を慎重に吟味しなければならない。世界中の人の心どころか、同じ日本に住む人でも、年齢が10歳違う人、所得が100万違う人、居住地が違う人、雇用形態が違う人、業界が違う人、学歴が違う人、などを完全に理解するのは不可能なので、言葉の吟味には終わりがない。「炎上」という現象がインターネットに登場して以来、炎上の閾値は下がり続けており、昨今は「○○でごはんをたべた。おいしかった!」という言葉でさえ叩かれるご時世である。炎上耐性のない一般人、言葉選びが下手な人は、もはや何も発言できなくなってしまう。
あるいは(誰かわからない受け手の為に)言葉を選びぬいてネット上に書きこんだとして、それで自分は楽しいのか?書き込むことに喜びを感じられるのか?
要するに、自由なはずだったインターネットが、その自由さゆえに逆に不自由になってきていると感じたのだ。言葉が届いてほしくない人に届いてしまい、悪意は次々と増幅されている。
私はこれまで、冷蔵庫に入ったり、鼻の穴にタバスコをつっこんだりした写真をネット上に掲げる若者に対して、「インターネットは全世界に公開されてるんだから他人が不快に思うものを載せちゃだめだよ」と教えるべきだと考えていたが、実はそれらは今回の事例と本質的には変わりがないのではないか?冷蔵庫に入るのが楽しい人には、冷蔵庫に入るのは不潔でアリエナイと思う人の気持ちは理解できない。他者を観察し分類し傾向をはかるのが楽しい人には、人間を所得や学歴や出身地の違いで分類することが悪だと思っている人の気持ちは理解できない。法律に抵触していない、どちらが絶対悪でどちらが絶対善というわけでもなく、どちらが多数派でどちらが少数派と言い切ることもできない問題で、ただ自分の思っていることを素直に発言した人が、運悪く反対者に見つかって叩かれ炎上し、ショックを受けてインターネットという発言の場から降りていき、場合によっては現実の職場や学校からも追い出されてしまう。そんな「インターネット」が健全さを維持できるだろうか?
最近になって、いくつか「インターネット」や「ウェブ」の終わりを予言する記事を見かけるようになった。現在のように開かれたインターネットは姿を消し、地域や集団やアプリケーションごとに閉じたネットが主流になるというのだ。確かに様々な問題は山積しているし、閉じたネットになればそれらの問題の多くは解決されるかもしれない。すでにLINEという「閉じた」ネットに多くの人が参加しはじめている。歴史がそうだったように、インターネットもおおらかで自由で暴力的な時代を終わり、秩序だって洗練されて窮屈な時代を迎えようとしているのかもしれない。大きな流れを押しとどめることはできない。
若い頃、飲食店で「ごちそうさま」を言う友人がいて、(ごちそうさまって言うと育ちが良さそうに見えるな)と考えた私はそれ以来ずっと「ごちそうさま」と言いたいと思っている。タイミングや何かが合わなくて言えないときも多いし、本質的にはコミュ症で声も小さいので店員さんには聞こえてないかもしれない。が、ともかく今日は言ってみた。「ごちそうさまです。」
私はブログを見てから、twitterの反応を見たので件のブログの著者に感想が偏っていることを前置きした上で
へぇーそうなんだと、ネットで調べられる範囲で確認してみると、確かに仏教用語で漢字で書く「馳走」の意味合いが含まれる事がわかった。
ただ、増田のいう「無償で」という意味合いは必ずしも強く含まれているようには感じなかった。
もちろん、「馳走する」「もてなす」「振る舞う」ニュアンスに「無償で」の意味が含まれなくもない感じはあるけど、それでも由来が「馳走」であってここでいう「ごちそうさま」という言葉に「無償で」というのは強くは含まれないような感じをうける
これについては増田も
もちろん、現在ではこうした意味合いは薄れ、提供された食事に対する汎用性の高い感謝の言葉として通用していることは承知している。
と、あるので重箱の隅をつつくようでもうしわけないが揚げ足をとるつもりはない。
たしかに、世代によっては「無償で」という意味合いが含まれるものに関して「下卑た」イメージがつきまとう節はあると思う。
ただ、それこそ元の由来を踏まえるな「腐心して馳走」してくれたものにそのイメージは持たないだろうと思う。
増田は
とあるが、私はそうは感じなかった。
どちらかというと
どんな時でもごちそうさまという食事への感謝を表す言葉を著者がイメージするマナーや教養を持ちあわせいるであろう、そこそこの所得があるであろう人たちよりも、著者やがイメージするマナーや教養を持っていなさそうな低所得者層に見える人たちの口から発せられているのに著者の今までの先入観を崩され『悪くない風景だ』
という風に読めた。
「日本語の作文技術」で書かれていた要素に分解した書き方をすると
この時の「ごちそうさま」という言葉にはたぶん、増田のいう「無償」「下卑た」という意味合いは含まれいないと思う。
このあたりは増田も書く通り、
ので、私の憶測なのだが元のブログの著者が最後に書いていたように増田のような取り方の人もいれば私のような取り方の人もいるのだろうと思う。
言い方は悪いが、って自分で言ってるのに、いざ炎上したらこの被害者面。
問題点1:牛丼屋での挨拶を素直に称賛するでなく、“不必要な”礼儀正しさと断じる無神経さ
問題点2:所得の高低と礼儀正しさとを、何の留保もなく関連させる無神経さ
所得の低そうな人ほど牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」を言っている。そういった一種の「礼儀正しさ」を彼らが備えているように思えるのは興味深い。
これでもまだ大炎上必至。
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
すさまじい悪文だが、これを直訳すれば、
となる。
「言うべきではないのになぜ言うのだろうか」と疑問を呈しているように読める。
よって「なぜ不必要なのか?」という反応が来るのは当然だろう。
所得の低そうな人ほど牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」を言っている。そういった一種の「礼儀正しさ」を彼らが備えているように思えるのは興味深い。
RTで個人の発言が出回る時は
大体この2通りだと思う。この発言は後者の前提で出回ってる。
誤読される理由がわからないそうだが、最初から悪意を持って客観的に読んでみるとわかるのでは。
『言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い』
(1) 言い方は悪いが所得の低そうな人
「自分がこう思うだけかもしれないんだけど」という弱気を前提にした一節らしいが、傲慢を前提に読むと真逆になる。
・書いた人の意図 『(あくまで僕の基準に照らしあわせたうえでの)低所得そうな人』
・読む側の捉え方 『(他人を表現する上で悪い言い方ではあるが、誰がどう見ても)低所得そうな人』
・書いた人の意図 『ごちそうさまを言うのは義務ではないのに』
・読む側の捉え方 『ごちそうさまを言うことは本来不必要だというのに、無駄に』
(1)の傲慢前提と組み合わせると、
『低所得者ごときが、ごちそうさまを言うことは本来不必要だというのに』
に悪意が肥大化する。
(3) 備えているように思えるのは興味深い
婉曲表現に期待しすぎ。「いるように思える」も「いる」もツイートごときの文脈ではたいして区別してもらえない。
あと、「興味深い」はネットだと丁寧っぽいだけの煽り文句として使われがち。 例:「>>1はこの糞小説が面白く読めるんだ、興味深い頭してんなー」
煽る相手は誰かと読み手が想像すれば、ツイートの最初にある「低所得」だろう、という結論に至る。
・書いた人の意図 『あくまで僕の中のイメージだが「備えている」ように思える。このことを僕個人は興味深く感じる』
・読む側の捉え方 『低所得者ごときが備えているんだ、面白いw』
こんな流れで、悪意的に読む側の立場からツイートを再構成するとこうなる。
『低所得な奴ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」って言う。言う必要なんかないってのに、低所得者ごときが無駄に礼儀正しくて面白いw』
じゃあ、真意を伝えるためにはどう書けばよかったんですか!?とnanaoku氏は思うかもしれない。
個人的な意見でしかないと自覚してることはtwitterなんかで書くな。自分のブログなりチラシの裏に書け。
そもそも、容易に誤読される内容を140文字で書けると思うな。どうしても公開したいならすべての誤読の可能性を潰す勢いでブログに書け。
企業経営と投資で成功して去年40代でリタイアしたが、ずっとヒマ。
ヒマにかまけて色々情報収集したが、日本を良くする政策なんて本当に簡単だと思った。
思いついたことを適当に書いてみたけど、これが出来たら簡単に日本の未来は良くなる。
しかしみんな分かってるのに実際には不可能。
できない事だけ書いても仕方ないので、最後に出来そうなことを書いてみた。
結婚しなくても、収入が少なくても、誰でも子供を持てるようにする。
具体的には、保育園やベビーシッターやお手伝いさん、小中学生を預かる場所などを無料で利用できるクーポンを配ったり
大学までの教育費の無料化や子供手当の増額、結婚制度の見直しなど。
インフレが2%以下の場合は消費税をゼロにして消費を促し税収増を目指す。
税収が増えなくても、デフレの今なら、日銀に国債を買わせれば良い。簡単。
今年消費税を上げるなんてアホすぎる。
財務省の役人は税収を増やすよりも、税率を上げて自分たちが社会に与えられる影響の割合を高めることが目的。
(ここで反論があったけど前提が「現在の日本に問題はない」ということだったので議論にならなかった)
孫に贈与する場合は毎年1000万円までは無税にし、相続税を100%にすることで、若い世代がお金を使えるようにする。
ただし合計5000万円以上の資産の贈与は累進課税にし、極端な不平等をなくす。
所得税の累進性を現在より上げて、儲かった人からは多く取る代わりに、所得が低い人には最大で月5万円程度分配する。
生活保護による現金の支給は勤労意欲を低下させるので廃止する。
月額5万円で生活できない人にはフードスタンプや公共住宅の提供、医療費の補助など、現物支給で。
ここまでした上でなら、正社員の解雇規制を撤廃しても失業の恐怖は減り、むしろブラック企業を簡単に辞められるようになり、メリットは大きいだろう。
それと、所得税の累進性を上げると、優秀な人が海外に行ってしまうと言われるが、年収1億円以下の人と年収1億円以上の人で、どれだけ優秀さに差があるだろうか?
年収1億円以下の人が日本に一生住みたいと思うように調整すれば充分だろう。
ちゃんと機能する監査機関を作り情報の保護や不正の廃止に尽力する。
負の所得税だけでは生活できない人に負荷の低い仕事を提供したりもする。
国会議員が政策秘書を数十人雇うことができる予算を付けて、立法は議員に任せる。
官僚は大臣が雇えるようにする。大臣が代わったら、一旦全員クビ。
60歳以上は月3万円、65歳以上は月5万円、医療費は無料。ここまでを基礎年金として税金で保証する。
プラス、国民年金や厚生年金で5万円〜10万円。基礎年金と合わせて月額合計10万〜15万円程度になる。
足りなければ、前述の現物支給を申請したり、低い負荷の仕事をする。
これで生きられない人は子供や親戚に頼れ。それでも無理なら死ね。
(物価と連動する事が前提)
年500万円までの利益は無税にする代わりにそれを超える分は所得税とし累進課税の対象にする。
これによって日本人の投資を促しつつ、極端な利益は税収にする事で容易に隠居生活はできないようにする。
電波使用料を数十倍にし規制緩和して既存のテレビ局以外でもコンテンツをブロードキャストしやすくする。
クレームを入れた人の国籍、年齢、性別、職業、居住地などの情報も公開される。
同時に中国と韓国以外の国との友好政策を強化する。(中韓とは戦争しないよう努力する程度で良い)
全国津々浦々にはびこるパチンコの換金を完全に禁止する。パチンコの売上がトヨタの倍とか気が狂ってる。
カジノに参加するには資格が必要にして、多重債務者や反社会勢力の人は利用できないようにする。
筆者の知人にも、パチンコにハマって残念なことになっている人が居る。
そういう人は多いと思うが、この事の異常性に気がつくべき。親族がそうなったら目も当てられない。
身を持ち崩す程の賭博に誰でも簡単に参加できるのは非常に問題が多い。
上記の政策を全国で一斉に始めるのは不可能。
それなら、各州で独自に色々出来るようにして、国民は自分の好きな州に簡単に住民票を移せるようにするだけでも良い。
日本全部を道州制にするのが難しいなら、大阪都構想でも良いし、被災を大義名分に東北を特区にして自治を認めるとかでも良い。
せめてこれぐらいは実現して欲しい。
さあ俺が誰に影響受けたか分かるかな?w
リボ払いなんて突発的に必要になった高額商品購入時に計画的に使用する以外では、いつの間にか(申し込まないとならないんだからこの言い訳も苦しい)リボ払いになってて気づかずカードを使ってる人や、利息や手数料の計算ができない人や、普通のクレジットカードの審査に落ちて比較的審査の緩めなリボ払い専用のカードしか持てない人が使うんだと思ってた
つまり何が言いたいかというと、普通に給与をもらってて、その給与の範囲内で慎ましやかな生活を送っている人で使ってる人なんていないだろうと思ってた
しかし、普通に給与をもらっててその範囲内で生活している彼女がリボ払いをしていた
しかも、支払い残高が15万円程度あるらしい
「なんで?」って聞いたら「そういうもんだと思ってた」だと
抜けてるところがあるなぁ、と思ってたけど年初めにかなりでかい衝撃を賜りました
リボ払いになっていることを知っていて(強制リボだけど)、更に支払い残高を知っていながらリボ払いを続ける人がいるだなんて!
年間実質15%程度の利息日割りで返済時払っていることや、いわゆる一括払いとは違うことを懇切丁寧に説明したら「大変だ!もうカード使えない」ってなってた
そもそも現金を使わないのにクレジットカードでどうして買い物できるのかも知らなかった
しかし考えてみれば、所持しているクレジットカードがリボ払い専用カード1枚だったからカードってそういうもんだと思ってしまうのもありえない話ではないのかもしれない
どうしてクレジットカードが現金を使わないで買い物できるのかとか、リボ払いの仕組みとか、そういうのは知ってるのが当たり前だと思っていたが考えたら大人になる過程のどこでもこういうことを能動的に知ろうとしなければ知る機会なんて無いことに気づくし、そもそも日本銀行券なんて紙切れでモノが買える仕組みだってちょっと学校で触るだけでこれも充分に知る機会に乏しい
カード会社もリボ払いが増えれば収入が増えるからかその実態を詳しくは説明してくれないし(約款には書いてるし読まない方が悪い気もするが約款の読みにくさと言ったらない)、ちゃんとミニマムペイメントでも払い続けていれば限度額まで支払い残高が行かない限り気づくこともないんだろう
彼女が普通のというつもりはないけれど、そんな馬鹿なと思うが実は大多数の日本人はその程度でしかお金とかを理解していないんじゃないかと思う
調べてみたらリボ払い専用カードじゃなくても、申込み次第で一括払いをレジで指定しても“自動で”(“勝手に”の間違いだろ)リボ払いになるカードがわんさとあることあること
そりゃ申し込みって言ってもカード申請時にデフォルトでついててあとから外せますよだったり、申し込むとポイントとか優遇されるとか、あるいは月々支払額が見た目上減っていることに喜び勇んでやっちゃってる人が多いんじゃないだろうか
リボ払いを日常的にあまりその実を理解せずに使っているような人が多くなれば、アメリカみたいに普通の所得の普通の生活をしている家庭でも莫大な借金を借り換えでやりくりする時代が来てしまうんじゃないかと思ったりした
とりあえず早々に15万円完済します
調べてみたらリボ払いであることは有名らしいのですが、普段は現金払いでたまにカードを使うときに「一括で」といってたから気づかなかった(それは「一括」じゃなく「リボ払い」だろとその瞬間思った)
日本は「タンス預金」が多いという話がWSJにまで載っていて恥ずかしいのだ。「日本人は依然多額のたんす預金を保有―予想外に高まる現金需要」(ウォール・ストリート・ジャーナル 日本語訳)
カネが保管されて回らないということはすなわち、景気が悪いということだ。
タンス預金はインフレリスクがあって、およその場合は損をするはずなのにもかかわらず、現金のまま保管するのはなぜなのだろうか。単にインフレリスクというものを知らないだけなのか? それとも、あえてインフレリスクを許容しているのか? 円安になっても、相対的に損するのに。
バブル崩壊後に複数の預金取扱金融機関が破綻し、またペイオフもされるようになったからだろうか。バブル崩壊のトラウマをまだ引きずり、同時に、リスクを覚悟するという勇気がないからなのか。
多額のタンス預金をしているのは、高齢者が多いと思われる。貯蓄があって、かつ、所得がない人間だと思う。
この国はいまや、寿命がやたらと延びて、いつまで生きられるかわからない。生きられてしまうことがリスクになっている。生活費も医療費も、いくらかかるかわからない。なにがあるかわからない。将来のために溜め込んでいるのではないか。
不安だからといって、老人なのに医療保険に入る人もいる。以前、外資系保険会社に開放したいわゆる「第三分野」が結果的に「入れ食い」状態になった。
適合性原則を破った商品販売の事件は、あとを絶たない。金融商品はもちろんのこと、着物やら健康食品やら医療器具やら、さまざまある。
「振り込め詐欺」の被害が、しばしば、多額でびっくりする。一千万円を超えるような事件まである。
ただ単に、ひとがいいから騙されるということではないだろう。そもそもに、不安感、不信感があるから、多額の溜め込みをしているにちがいない。そして、「振り込め詐欺」や「甘い話」にも釣られるのだろう。騙されるのには一種の人間不信があるのではないか。境界性人格障害のようなものなのだろう。そうでなければ、業者にあれもこれもと売りつけられるということにはならぬと思う。
いまの高齢者は、親類と同居していないことが多い。独居老人化が進んでいる。信用していい同居人がおらず、別居している親類には「迷惑かけたくない」と言う。同居していないので、おそらく、生活費も高額になるだろう。独りで不安なので、病院にしょっちゅう行ったり、保険にも入るのかもしれない。「頼れない」状態で抱え込んでいる。
老人にもなれば、心身の劣化はほぼ確実に起こる。ほとんどの人は将来が不安になる。延命されて生命維持はされるので、ポックリと死ぬことは、それほどにはない。将来いくらカネが要るかわからない。
何か不測の事態が起こっても、社会保障が確実ならば、タンス預金なんて必要はないのではないか。社会保障が確固たるものではなく、例えば健康保険や介護保険だの「自己負担」と言い、「自己責任だ」と強調しているから、溜め込むのではないか。
この国は、「社会保険」と称して、例えば医療も年金も、皆加入であるにもかかわらず全額税負担方式ではない。加入するかしないかという選択肢はなく、そしていまは多額の費用を保険料収入で賄うことが困難になってきている。これがかりに、「社会保険」という得体のしれないものをやめて、加入ができない層に対しては全額税で保障すれば、状況は改善すると思われる。この国には昔から、自己選択、自己決定というものが欠けている。それなのに自己責任という意味不明。
左翼の人達って貧困問題だったり性差別問題、障碍者問題だったりでは
持てる者から持たざる者への所得転移による社会の活性化という視点で大体一致してるのに
恵まれない独身や子無しから奪った所得を恵まれた子育て世帯に与えるって
おかしいと思わないのかな?まさに貧乏人から金持ちへの所得転移なんだけど。
匿名ダイアリーだからなおさら言えるが、私はアル中からの回復者です。
それで思うのだが、「酒を飲めるのは大人の証だ」とは世間ではよく言うし、未成年者のうちには少なからず飲酒に憧れている者もいます。
ですが、本当は、酒を飲まなくなってからが大人なのだと思うのです。
酒を飲んでストレスから一時逃避するのは、結局は容易です。どうせ人は弱いのですから、なにかしらの逃避手段を求めるものなのでしょう。酒を飲まないとコミュニケーションが取れないという社会気質すらあります(これは異常な社会ですが)。
とはいえ、ストレスやストレス要因と向き合って付き合っていくからこそ大人らしいと思います。弁証法的に言えば、酒を飲めない未成年→酒を飲む成年→酒を飲まない成年、というように成長をしているのだとも思います。
ついでに真実を言ってしまいますが(みもふたもないですが)、パチンコ・パチスロが金払いがいいのは、中毒(アディクション)を利用しているビジネスだからです。少なからず賭博中毒者がいます。
同じように、酒やタバコも金払いがいい、それは言うまでもなく、中毒だからです。
ソーシャルゲームだの、(少し前まではネトゲというもののほうが一般的でしたが、)あれも中毒ビジネスだからで、また、キャリア決済で、カネを払う人間(保護者)とプレイヤー(子ども)が異なるという場合が少なくないから、随分と売上を伸ばしたわけでしょう。
AKB48が売れた(らしい)のも、あれも中毒ビジネスであるところも大きかったからで、世間的な診断名でいうと「境界性人格障害」だと言われる層が多額のカネをつぎ込んでいます。それはおそらく、世の中にどこか絶望しているから、アイドルにでも希望をもちたいのでしょう。
「声優になりたい」だの「歌手になりたい」だの「アイドルになりたい」だのと言う若者も少なくなく、なったところで多くは所得が少ないし、実際には養成所ビジネスのたぐいが随分と売上をあげている(まあそれでもラムズとか潰れたし(苦笑))。子どもを子役スターにしたいだとか言う親もいて芸能事務所に入れるのもいますが、そうやって子役タレントを養成しますだとかなんだとか言って、ある種の人材派遣業(芸能というよりも頭数の提供)みたいなことをやっていて、芸能事務所でというよりもなんか異なるところで売上をあげていたりします。
真実を言うとみもふたもないのですが、そういうものなのでしょう。真実を言ってくれる人は世間では必ずしもおらず、むしろ隠蔽している人や企業やマスコミが多いのですけれどね。
例えば生活保護受給者叩きだとか近年とみに激しくなったけれど、自分が苦しい思いをしているからといっても、他人が苦しんでいないわけではないから、受給している人を非難する理由にはならないでしょう。
他の人がもっと苦しんでいるからといっても、ある人が受給しているのを非難する理由にもならないでしょう。
ましてや税金を納める所得がある立場の人間は、税金を納めることもできないような無所得者に比べれば一般的に、比較的にではあるが、恵まれているでしょう。
それで、なぜ苦しんでいる人たちをわざわざ叩くのか、いじめるのか。それは論理的に破綻していると思います。
それなのにそうした言説になびくのは、マスコミや自民党などのデマゴーグにおもしろいように釣られているのでしょうし、また、少なからずわざと釣られているのかもしれませんね。例えば米国共和党だとか中国共産党だとかが外国を敵に設定することで国民の憤懣を振り向けて支持を保ってきたように、憤懣の捌け口として都合がちょうどいいということなのかもしれませんね。
それで誰が得をしているのかは、私にはよくわかりません。
税金を納めたり寄付をしたり、反対に、社会保障などを受けた側の人間が生活費に費消したり、そうすることで多分に景気が良くなるものだと、私は思うのですが。税金をケチるから、いま、経済が鈍化しているのだと思うのですが。