はてなキーワード: 再確認とは
これは大変だなあ・・・
まったく同じ環境は経験したことないけど、間に入って調整したことがあるのですごくわかる。
私の仕事は、お客さんの仕様書を読んで仕様書や図面を作ったり金額を見積もったりするよくある仕事です。いろんな機器をあつめて一つの製品にするので、ある程度システムは決まっているけど毎回1から設計します。
思うに、ビジネススキーム自体がこの要素をもっているから、不可避だとは思う(結論)
カスタマイズしないで売るっていうサブスクみたいなビジネスなら主の苦労はないだろうけど。
たくさんパターンを持って行くと客の手前、都合がいいからってだけ。
設計なんてエクセルでちょっと計算して、ちょっと図書書きかえれば終わると思っているのかもしれないけど、一々検討が必要なので複数件数と変わりないことのほうが多いです。
これをちゃんと部署の問題として説明したほうがいいよ。相手は理解してないか、理解しててわざとやってるかだから。
まあこれはイーブンかな。標準価格をはやめに出すのがフツーだけど、これは会社による。
契約条件で難しそうなところについて気づいたから尋ねたら「契約段階にならないと…でも大丈夫なのでとりあえず見積してください!」って言ってましたよね。それで技術的な項目については何度もお客さんと打ち合わせして、何度も見積改訂して、ほとんどウチに決まりそうだったのに、最後に契約条件を再確認したらダメでポシャった。
これはキレていいところだと思う。
③ 高圧的な人多すぎ問題
自分の言っていることは正しいですよという態度で語りかければ通ると思ってる人が多すぎる。所謂ハッタリというやつかもしれないけど、内部の人間相手にハッタリをかましてどうするんですか。あとハッタリでお客さんに適当すぎる説明をして技術に対応させるのやめてください。
40代以上はまだハッタリ営業が残っていると思う。つい先日おどろくべきハッタリ人間が入ってきて驚いたが2か月もたずやめた。
おそらくハッタリ業界での営業職だったのを、専門職の経験がある、といつわって入ってきた臭い。
昭和が対面営業の時代だったから、その残りの加齢臭は40歳が最後だと思う。30代以下は優秀なのおおいよー。
④ 急ぎで作成させるくせにお客さんに提出しない人
3番までは全体にむけてですが、ここからは数名の個人に対する愚痴です。本当に急いでるからすぐに出してほしいとか言うから深夜残業してやったのに、お客さんにはずっと後になってから提出したやつ本当になんだったんですか。何回かやられましたが、こちらでは本当に急ぎなのか嘘を言っているのかわからないので、いい加減にしてください。
ここまでくるともう組織として末期だよ。経営の問題。つきあわされる社員はたまったもんじゃない。
⑤ 電話でてすぐため息つく人
営業のせいで年末年始も仕事しなければならないことが決まったので、ウチの営業に対してずっと腹が立っていることを書きます。
入社した頃は営業と技術が喧嘩するとか都市伝説かコミュニケーション不足だと思っていましたが、最近はもう連絡がくるとイライラして泣きそうになるので末期です。できることなら喧嘩したくないので営業職から言い分があれば是非教えてください。
私の仕事は、お客さんの仕様書を読んで仕様書や図面を作ったり金額を見積もったりするよくある仕事です。いろんな機器をあつめて一つの製品にするので、ある程度システムは決まっているけど毎回1から設計します。
とか言って無駄に大量の仕事させるのやめてください。お客さんはどれかひとつしか買わないんだから、ヒアリングしてもうちょっと選択肢を狭めるのが営業の仕事なのでは?
設計なんてエクセルでちょっと計算して、ちょっと図書書きかえれば終わると思っているのかもしれないけど、一々検討が必要なので複数件数と変わりないことのほうが多いです。
部署全体で見積に時間かかってきているのは、最近そういう適当な依頼が増えているからです。やめてほしいときちんと毎回伝えているんだから、自覚してください。
② 「それは後から調整するところなのでとりあえず見積出してください!」
技術的な要求について対応が難しければ事前に書面確認を取るけど、契約事項についてはなかなかやってくれないのなんでなんですか?
契約条件で難しそうなところについて気づいたから尋ねたら「契約段階にならないと…でも大丈夫なのでとりあえず見積してください!」って言ってましたよね。それで技術的な項目については何度もお客さんと打ち合わせして、何度も見積改訂して、ほとんどウチに決まりそうだったのに、最後に契約条件を再確認したらダメでポシャった。虚無。それを何回かやっているのでなおさら虚無。
前にもあったのに信用した自分に呆れるし、信用するという行為をあきらめる自分が最低な気がして落ち込む。泣きたい。
③ 高圧的な人多すぎ問題
自分の言っていることは正しいですよという態度で語りかければ通ると思ってる人が多すぎる。所謂ハッタリというやつかもしれないけど、内部の人間相手にハッタリをかましてどうするんですか。あとハッタリでお客さんに適当すぎる説明をして技術に対応させるのやめてください。
④ 急ぎで作成させるくせにお客さんに提出しない人
3番までは全体にむけてですが、ここからは数名の個人に対する愚痴です。本当に急いでるからすぐに出してほしいとか言うから深夜残業してやったのに、お客さんにはずっと後になってから提出したやつ本当になんだったんですか。何回かやられましたが、こちらでは本当に急ぎなのか嘘を言っているのかわからないので、いい加減にしてください。
⑤ 電話でてすぐため息つく人
しかもため息が長くて、最悪名乗らない。ちなみに私だけじゃなく商社さんも私に言ってきたので、本当にやめたほうがいいと思います。歳が20近く離れていて指摘しづらいので誰か早く言ってくれませんか。商社さんには私が謝っておきました。
こちらだってできるものならやりたいです。人を傷つけるためだけの言葉を選んで言って、ごめんただの愚痴だから忘れていいよなどと言うので、私はあなたのことだけは一生嫌いでいると決めました。
終わり。
ソシャゲのスタミナ消化より優先度が高いことをやっていたんだと再確認する儀式。
スタミナが溢れているのを確認するためにやってる。
でも単に消化してなくて溢れさせるんじゃなくて、暇な時は積極的にスタミナを使う。
その上で溢れているのを見ることに意味がある。
そうはいっても飲み会とか付き合い残業とかマジでゴミでしかない時間の使い方をしたあとにスタミナ溢れてるの見るとキレそうになるけどな。
そういうときはもう起動もせずに寝ることにしてる。
私には嫌いな人がいる
結果としてSNSで仲良くしていたグループからその人を追い出して、その人はSNSを辞めた
実際に付き合いもあったけどグループの人は幸いにもみんな自分についてくれたからそれで良かった
その後その人がひっそりとSNSをまた始めたことを知りアカウントを探した
元々他のアカウントがあるのも知っていた
リプ検索したりしたところ私との共通の知り合いはいなさそうだったし
そもそも共通の友達だった人はみんな私の方についてくれているので問題なかった
けど新しく始めたアカウント
そこから私はその人のアカウントを探し出しまた匿名掲示板で叩いてやろうと監視を始めた
攻撃的でネガティブな嫌な人だったのでどうせすぐに叩くネタはあるかと見ていた
そしてどうせまた私が不快になる事ばかり書いているんだと
「この人は結局クズだ」
ずっとその人のSNSを見ていた
ビックリするくらい人が変わっていた
恐らく私が追い出してその一件からいろいろ
思うところがあったようだった
今のその人は毎日が楽しそうで羨ましいくらいなことを沢山投稿していた
すぐに叩くネタが見つかるかと思ったのに以前のような
そしてそこにいるその人のこと嫌な人とは思わなかった
なんでこの人を追い詰めたのかと思うようになって
私には嫌いな人がいる
結果としてSNSで仲良くしていたグループからその人を追い出して、その人はSNSを辞めた
実際に付き合いもあったけどグループの人は幸いにもみんな自分についてくれたからそれで良かった
その後その人がひっそりとSNSをまた始めたことを知りアカウントを探した
元々他のアカウントがあるのも知っていた
リプ検索したりしたところ私との共通の知り合いはいなさそうだったし
そもそも共通の友達だった人はみんな私の方についてくれているので問題なかった
けど新しく始めたアカウント
そこから私はその人のアカウントを探し出しまた匿名掲示板で叩いてやろうと監視を始めた
攻撃的でネガティブな嫌な人だったのでどうせすぐに叩くネタはあるかと見ていた
そしてどうせまた私が不快になる事ばかり書いているんだと
「この人は結局クズだ」
ずっとその人のSNSを見ていた
ビックリするくらい人が変わっていた
恐らく私が追い出してその一件からいろいろ
思うところがあったようだった
今のその人は毎日が楽しそうで羨ましいくらいなことを沢山投稿していた
すぐに叩くネタが見つかるかと思ったのに以前のような
そしてそこにいるその人のこと嫌な人とは思わなかった
なんでこの人を追い詰めたのかと思うようになって
例えばなにかの文章書いて見てもらうとするじゃない。
「あれ、ここに誤字があるね、ここなおしといて、後はいいですよ」
と言われて、普通の人なら「じゃぁ直して出しておきますね」って言うと思うんだが
といって、「提出していいですよ」と言われないと提出できないんだ。誰かにGOと言ってもらわないとどうしても動けないというのがある。
そう思って少し自己分析してみたところ「いいって言われないのになにかして失敗したら殺される」と思っていることに気づいた。
本当に殺されるわけじゃないんだが、吊るし上げられてさらされて生まれてきたことを後悔するくらいひどい目に会うんじゃないかという不安がある。
そんなこと誰もしないとも思うんだが「でも、、、もしかしたら、、、」と思ってしまい動けなくなる。
これの病名と治療法が知りたい
「差別」という言葉が一体何を指しているのか、共通認識として厳密に定義しないまま対話や議論を重ねるとほぼ破綻する。差別に限った話でもないけど。いわゆる過激な差別・反差別主義者相手だと一対一でもおそらく難しいし、不特定多数相手のネット・SNSだとますます不可能だろう。それでも自分の中での「差別」に対する認識の再確認の意味も込めてきちんと考えておきたい。
まず「差別」は
・差別行動
に分けられる。
差別感情は内心の自由によって守られる。思ったり感じるだけなら自由だ。
差別行動はそれが法に抵触するならば法的に許されないし、道義的に間違っている(と他者・大衆が判断した)なら炎上する。
差別感情が理由で差別行動をするとは限らないし、結果としての差別行動に差別感情が伴うとも限らない。つまり両者の因果関係を完璧に判定することは不可能であり、法もそれに基づいて判断している(と思う)。
例:ある人が家族を人質に取られて「〇〇人はしね!と叫びながら〇〇人をころしてこい」と言われて実行したらその人の行動と〇〇人への差別感情は関係ない
が、この「差別感情と差別行動の因果関係は見えない」ということを理解できない人たちが一定数いて、理解できる人との間に軋轢が生まれる。さらに差別感情そのものを持ってはいけないという人までいる。特に自分の中の差別感情を認められず劣等感を持っている人は防衛機制として差別行動をしている(ように見える)他者に自分の差別感情を投影し批判している場合が多い。防衛機制ゆえに自覚的では無いので対話を重ねても理解を得るのは難しいだろう。
次に「差別行動」は
・積極的差別行動
に分けられる。
差別対象を避けたり、関わらないようにするのが消極的差別行動。
差別対象を物理的・心理的に攻撃したり排除するのが積極的差別行動。
後者はこれぞ差別という感じだが、問題は前者である。これは法に抵触しない。差別対象には何もしていないからだ(未必の故意は除く)。道義的にも、議論は分かれるだろうが問題ない場合も多いだろう。だが少数の差別対象に複数の個人がこれを行った場合、差別対象やそれを見た第三者が「差別が起きている」と感じる場合がある。別にいじめられてるわけではないけどハイ二人組み作ってーで毎回余る、みたいなものだ。
いわゆる「日本の差別」はこの「複数の個人による消極的差別行動」に当たる場合が多いのではなかろうか。対象を認識したときに差別感情は起きるかもしれないが、積極的差別行動にまでは出ず、見て見ぬ振りをしたり離れたりする。そしてその対象とは単に「見知らぬ人」「見慣れぬ人」などである。それが結果的に被差別者からすれば「自分は〇〇だから差別されている」という認識になるのではないだろうか。これは対話によって解消できる余地がある。実際地域に馴染んでいる「元・見慣れぬ人」たちも大勢いるはずだ。だが対話する前に「差別が起きた!差別だ!この人たちは差別してます!」と声を上げてしまう人もいる。その中には積極的差別の結果として排除されている人もいるだろう。だが結果として似た行動でも意図や理由が異なっている可能性があるものを十把一絡げに批判されたらそんな気がなかった側が「一緒にしないで欲しい」と思ってしまうのも道理ではなかろうか。
誰にだって差別感情はある。ネガティブだろうがポジティブだろうが感情の発生は止められないからだ。自分の中のそれをできるだけ分析して制御したうえで行動に移していきたいと思う。感情と論理の共存だ。
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
「750ミリリットルくらいのテキーラ1本を制限時間の15分以内に飲み干せたら、10万円をご褒美としてもらえるという内容です。私は毎度このゲームをやっていたわけではなく、どちらかといえば稀にしかやりません。私としては、みんなで楽しくお酒を飲んで盛り上がりたいという、他のよくあるゲームなどと同じ趣旨のレクリエーションとしてやっていたものです」
アルコール40度の強い酒として知られるテキーラ1本を15分で飲み干すという危険なゲームを「レクリエーション」と表現する光本氏の感覚に驚くばかりであるが、彼は危険性を理解した上で、幾度もA子さんに確認したと主張する。
「『ほんとにできる? 大丈夫?』と繰り返し確認しました。その度、彼女は『できると思うのでやりたいです』と言うので、じゃあボトルを1本頼みましょうとなったのです。ゲーム用のコップも1つボーイさんに用意してもらった。ボトルを開ける前に、もう一度再確認しました。『自己責任と自分の判断になるけどやる? どうする?』と、他の10人にも聞こえる声ではっきりと。彼女は『やる』と答え、そして自分の手でボトルを開けてコップに注いだのです。なお、この先も最後まで、私を含め他のメンバーは誰一人、ボトルにもコップにも指一本触れておりません」
不倫とか納税とか、家庭裁判所に税務署任せでいいゴシップを執拗に悪く見せて芸能人に仕事させまいとせん勢いの報道、あれは国力を削ぐ目的をもった海外諸国の息がかかった策略だぞ。
世間に対して「悪いこと」と再確認させる以上に本人への制裁の側面を強くして、高額納税が見込める日本国籍の日本企業所属の芸能人をどんどん減らしていくんだ。そうして日本への納税額を減らしていく。
他方海外企業が連れ込んできたアイドルをどんどん活躍させてジャパンマネーをどんどん海外送金するんだ。そうして日本エンタメを「日本の国力を減らしつつ諸外国の資金生産装置にしていく」壮大な計画なんだ。週刊誌ごときに騙されて踊らされるなよ!
これくらい「ちょっとあるんじゃないかなー」と思わせるくらいじゃないとだめだよ赤木夫人だまくらかした野党に左翼の元アベガーさんたち…
1人分隔離されてるベンチに座ると目上のテレビに昨夜、不倫騒動の謝罪会見をしている彼の姿が映っていた。
個人的に彼に対する感情は特にないのだが記者の質問に対してホントに、馬鹿な事をしました、はいそうですね、とばかり繰り返して答えてるようで答えていないその姿は
あまりにも滑稽でクスっと心の中で沸いた。しかし、この待合室という微妙に俗世からかけ離れた雰囲気をする場所でその滑稽な姿が映し出されるのはなんともシュールなのと
何かやらかしてニュースに出るとこうして多くの人の目に触れることになるというのはとても恐ろしいのだと、ふと再確認させられた。
例えば犯罪者ならその人のバックボーンなどは知られてないから犯罪内容を大袈裟に取り上げるぐらいだが、有名人はそういうわけにはいかない。
過去に出演した番組の映像などマスコミが舌なめずりして発掘してそれも流すだろう。ヒューマンステージという単語を用いて有吉とマツコにイキる彼の映像もあった。
有名人になるというのはこうして逃げ場も同時に失うという側面も担っているのだと待合室で急にふと体感したわけである。
繰り返すが俺は彼に対する感情は特にない。あえていうなら相方の中島はこれからもお笑いは置いといて俳優としての活躍をお祈りしたい。
当方20代後半、大阪府下(京都寄りの北河内)に生まれ、浪人を経て23歳で京都の某私大の文系学部を卒業し、海運会社に総合職として就職。配属は営業職。大阪で3年間勤めた後、地方転勤を言い渡された。
転勤先は九州のど田舎。海運会社なので港がある町だが、それはもう大変な田舎。人口は3万人をやっと超えた程度で、市内にJRの駅はかろうじて1駅あるも、1日数本程度しか運行しておらず、引越して1年経つまで踏切の音を聞くことはなく、列車の車体を見たのは1年3ヶ月経ってからのことであった。ちなみに新幹線の駅までは100kmほど、車で下道走った場合2時間ちょっとかかる。そんな町で、営業職とは名ばかりの何でも屋をやっている。
転勤が決まった頃は「うわあとんでもない田舎に住むことになってしまった……1年で転職して関西帰ろ……」と思っていた。友人に転勤を報告したLINEでそう発言している記録が確かに残っているし、本気でそう思っていた。しかし、転勤から1年半が過ぎたところだが、私はまだこの町に住んで、同じ会社で働いている。
少し時を遡って、転勤前の大阪勤務時代の話をしたい。2019年1月頃の私は、同じ部署にいた10歳年上の上司から地味な嫌がらせを受け続けて1年以上過ごしており、どこでもいいから異動したくて仕方がなかった。そんな折、人事部長との面談の機会があり、諸事情を話した上で異動したい旨を伝えた。弊社は個人の希望が人事異動に反映されることはごく稀なのだが、若手は2〜3年で部署異動し、様々な経験を積む方針が明らかにあったため、ここで話しておけば早ければ春に動きがあるだろうと見込んでいた。
そして目論見通り、3月半ばに異動を言い渡されたのだが、前述の通り、転勤先はど田舎であった。
内示から着任までの期間は2週間、短いリミットの中でまず足を運んだのは中古車ショップ。そう、家を決めるよりも先に車を買ったのだ。これから暮らす町は車がないと生活ができないレベルの田舎だった。鉄道については前述の通り、路線バスは走っているものの、職場から最寄りのバス停まで3kmほど離れている。徒歩or自転車で通うにしても街灯が少ないため、一応女性の当方としては少しばかりの恐怖心があった。
ここで様々なチェーン店の最寄り店舗まで車でどれほどかかるかを説明したい。田舎度合いを計るにはこれが一番わかりやすいと思っている。
マクドナルド:30分
ユニクロ:30分
ドンキ:30分
イオンモール:50分
ざっとこんな感じである。自宅から車で10分圏内にコンビニ大手3店が揃っていて、謎に100均とドラッグストアも複数ある分暮らしやすいが、娯楽までの距離は遠い。ちなみに鳥貴族とサイゼリヤは県内にない。これが結構つらい。
話を戻そう。そう、こういう土地に住む上で家の次に必要な物が「車」だった。私は内示を受けた3日後、中古車ショップに向かった。その日は家族で白浜に行く予定にしていたため、運良く揃っていた両親のアドバイスを受けながら車を選ぶことができ、手頃な軽自動車を購入した。この時の前提と重視したポイントは以下の通り。
・カーナビ付き。
・5〜6年前までのモデル。
・2〜3年で恐らく関西に転勤になる。
一番最後の項目だが、地方の次は本社がある関西に戻す、という弊社の傾向を踏まえたものである。つまり、「車に乗って生活するのは恐らく2〜3年だが、生活のために車を買おう」という意志のもと、条件に合う車を購入した。奨学金200万を繰上げ返済したばかりの社会人3年目には80万が限度だったが、母に60万借金することでローンを組まずに済んだ。余談だが、明後日振り込まれるボーナスでこれも完済となる。
そして私は車を買った10日後、今住んでいる町に引っ越した。単身者が少ない土地柄のため、家賃5.3万円の2LDKに一人で住んでいる。実は人生初の一人暮らし、家族大好き実家大好き人間のためホームシックになるかと思いきや、旅行好きの性分が幸いし、休日は今まで行ったことがない観光地や景勝地を巡って楽しんだ。それなりにアウトドアを楽しむ才能があったし、なんとなく気づいてはいたが、どうやら女の割に車の運転が好きらしい。加えてオタクの当方、インドアの才能もあった。漫画を読んだりアニメを観たり、家から一歩も出ずに過ごすことも大好きで、つまるところ、適応能力が高かったのだ。
そして九州の田舎の人々はそれはもう優しくて温かくて、当時の上長はじめ職場の人々との相性が良かったのか、大阪勤務の頃よりも伸び伸びと働くことができていた。メンタル面の変化は肌の調子にはっきりと出ており、顔中にできていた吹き出物は姿を消した。職場に行くのが苦ではない生活は久しぶりだった。
ここまで楽しい田舎暮らしをつらつら書いてきたが、そう思えていたのにはもう一つ理由がある。職業柄、自身の財布を痛めることなく毎月、多ければ月2回、大阪の実家に帰ることができていたのだ。これはかなり大きい。田舎暮らしに苦しめられている東京育ちの某方には申し訳ないほどに。関西に住んでいる友人たちと、それなりの頻度で遊ぶことができていたし、趣味の観劇も大阪公演であれば気軽に足を運んでいた。仕事終わりに飲んだりカラオケに行ったり、平日夜にしがちだった遊び方ができない程度だった。
もちろん、田舎でも生きていけそうなくらいにはフットワークが軽い性分を理解していたから転勤をすんなり受け入れたし、この特権があるからこそ、地方転勤がほぼ確実であるにも関わらず弊社への入社を決めたし、なければ田舎暮らしは耐えられないだろうな、と思っていた。今年の2月までは。
コロナ禍により、2月末からしばらくの間帰省禁止となった。当初は1ヶ月程度で収まるだろうと思っていたが、日々状況は悪化し、長期化の様相を呈してきた。3月末の某日、とある舞台の大阪公演に行くため飛行機を押さえていたが、空港に向かう道中「もしあの田舎にコロナを持ち込んでしまうことになったら、特定されて村八分にされるかもしれない」という恐怖に襲われ、半泣きになりながら葛藤している最中、公演の中止が発表され自宅へUターンしたことがあった。飛行機が出発する1時間前のことであった。その後緊急事態宣言が発令され、ど田舎の支店にもテレワークが導入された。
GWも実家に帰らず、田舎で大人しく過ごした。大人しくと言っても、何度か人の少ない場所へドライブには行っていたし、感染者がほとんど出ていなかった県に住んでいるため、映画館の再開が都会よりも早く、再開初日に2作品をハシゴしたり、エンタメに飢えていたオタク心を都会の人より先に潤していた。漫画とアニメとドラマとドライブ、そして友達とのテレビ電話が私の日々を支えてくれていた。そんな生活の中で思ったことは「思っていたよりも一人で楽しく生きていけるんだな」ということだった。
いつのまにか実家に帰らず4ヶ月の時が流れ、6月上旬、久々の帰省を果たした。母の手料理を食べながら家族で談笑する時間が愛おしく、実家への愛着を再確認する日になったが、次に帰省したのは3ヶ月後のことだった。その3ヶ月間も変わらず、仕事をして、アニメを観て、漫画を読んで、ドラマを観て、映画を観て、ドライブに出かけて過ごしていた。家族に会えず、友達と遊べないことはストレスだったが、大阪に住んでいたところでコロナ禍では会うこともままならない日々を送っていただろうし、感染者が比較的少ない土地で過ごしている方が気楽だろうと思っていた。
ここまでつらつらと転勤の経緯や当方の生活ぶりを書いてきたが、田舎暮らしを送る上で思ったこと、これから転勤等で田舎暮らしを送るだろう人へのアドバイスをいくつか箇条書きで書いていきたい。
・電車やバスに乗って出かけられるところは言うほど田舎ではない。
・田舎暮らしを充実させたければ車を買うべし。田舎に馴染む気がないから買わないとか言ってないで買ってみたらいい。馴染めなかった田舎を少しは楽しめるようになる。
・田舎で暮らすには「田舎を楽しむ」姿勢が大事。「住めば都」なのではない。「住んでいる土地を都とする」のだ。
田舎暮らしを肯定するようなことを書いてきたように見えただろうが、正直なところ、最後の一文が一番の本音である。住んでいる土地を都とするのは個人の心持ち次第だと思ってはいるが、そう思う気力は一生続くものではないと感じている。
当方20代後半の女性であるが、転勤前から彼氏はおらず、いろんな意味で身軽に引っ越してきた。1年半以上を田舎で過ごしている間に同級生の数人は結婚していったし、中には親になっている人もいる。しかし、田舎に定住する気がない私のプライベートはというと、完全に停滞しているのだ。何もしていないからだという指摘は存分に受けよう。しかし、遠くないうちに関西に戻ることが9割方確定している女性と付き合う男性がどれほどいるだろう。魅力的な男性相手なら、結婚を機に田舎に定住したくなるかもしれないけど、私は関西に戻ってからプライベートを動かす努力をしようと決めている。
1年半程度を田舎で過ごしてみて、都会の田舎程度でもいいから、都会に住みたい、と改めて思ったからだ。車がなくても生活できるところに住みたい。適当に電車に乗れば梅田とか神戸とか京都に出ていけて、0時を回るか回らないかくらいの終電で家へ帰れるところに住みたいのだ。車の運転は好きだけど、自分の車を持ちたい!という欲は一切ないし、カーシェアやレンタカーでたまにハンドルを握る程度で満足できる。
田舎生活は楽しい!楽しいけど!それよりも!気軽に友達に会えて!実家に帰れて!エンタメに触れられる生活の方が欲しい!!!!
と言っても、祈る以外にできることはない。短ければあと3ヶ月ちょっと、長ければ1年以上今の環境に身を置くことになるが、これまでと変わらず田舎での暮らしを楽しむスタンスを崩すことなく、「早く関西帰ってきて!あそぼ!」と言ってくれる友人がたくさんいる幸せを噛み締めながら、1日も早い関西凱旋を夢見て過ごそうと思う。東京生まれ東京育ちの若者が住む場所を都と変えられることも祈っている。
転売は非難すべき行為なのか?という点よりも、はたして日本で暮らす自分に転売を非難する資格があるのか?という点が気になっています。
別に、転売は避難されるような行為じゃないとか言いたいわけではなくて。非難する資格が自分にあるのかな?という話です。
よく転売屋のせいでPS5が買えないという人がいますが、今PS5が買えないのは、供給量を遥かに上回る需要があるからです。転売屋が居ても居なくても、世の中のPS5の数は変わりませんし、入手できる人の数も変わりません。1人の転売屋がPS5を100個買い占めたとしても、最終的には100人の金持ちの手に渡るわけですから。変わるのはPS5の値段だけです。
仮に転売屋が一切居なかったとしても、今回のように需要が供給量を超えると、買えるのは一部の人間だけでになります。この場合、PS5を買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より早く店に行けたかどうか」「抽選に当選したかどうか」だと思います。
ところが、転売屋によって買い占められると、PS5を買えた人と買えなかった人の差は、「他の人より多く金を払えるかどうか」になります。本来なら先着順や運が入手できるかどうかを左右しますが、転売屋が買い占めると、全てが札束の殴り合いへと変化します。お金がある人は、行列に並んでいなくても、抽選に当選しなくても、PS5を手にすることができます。
たまに駅前で「〇〇ちゃんを救う会」という看板を掲げた人たちが募金をしていますが、あの人達がやっていることも本質的には同じです。彼らの求めている募金の金額は大抵の場合2~4億円とかなり高額です。何故こんなに高額になるのかというと、アメリカにおいて臓器移植の順番待ちをスキップする、いわばディスニーランドのファストパスのような枠が設定されており、その権利を世界中の患者がオークションのように競っている状態だからです。
要するに、PS5だろうと臓器だろうと、お金持ちは行列に並んでいなくても、金の力で入手することができます。対してお金を持っていない人は?
なかなか臓器移植の順番が回ってこないので、そのうち死にます。そもそも、順番が来たとしても、手術を受けるお金がなければ死にます。これを不公平だと思う人は少なくないと思います。もし私が臓器移植を待っていて、生きるか死ぬかの瀬戸際でようやく自分に回ってきた臓器を金持ちにぶんどられたら…… そんなの死んでも死にきれません。でも死にます。う~ん辛い。
こんなの絶対おかしい! と思ってしまう一方で、はたして日本で暮らす自分に、「お金を持っている人しかPS5や臓器を入手できない」ことを非難する資格があるのか……?
と思い、私たち日本人は世界的に見てどのような生活をしているかを、昔チェーンメールで流行した「世界がもし100人の村だったら」で考えてみました。
仮に世界が100人の村だった場合、村人100人の1日の収入は下記のようになるそうです。
1人が90ドル以上(1万円~)
https://www.youtube.com/watch?v=QFrqTFRy-LU
村1番のお金持ちの収入は1日1万円以上、2~7番目は1日5560円~1万円となっています。
国税庁の民間給与実態調査によると、2019年における日本人給与所得者の平均年収は441万円になります。ちなみに中央値はだいたい360万円~370万円辺りだそうです。つまり、中央値で考えてみても、一日当たりの収入が約1万円はあることになります。
つまり、仮に世界が100人の村だった場合、一般的な収入の日本人は、村で2番目くらいの金持ちであると言えると思います。(違ってたらすみません)「日本終わった」「日本人は貧しくなった」と盛んに言われていますが、年収200万円のフリーターでさえ上位8位辺りに入るほどですから、世界的に見たら相当な金持ち国家です。
以上を踏まえて、考えてみました。とてつもない額の収入で村で2番目に裕福な暮らしをしている日本人が、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」と言っていたら、他の村人たちはどう思うか?
村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人が一日で稼ぐ金額を5分で稼ぎます。
村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人が1日で稼ぐ金額を、ソシャゲでガチャを回すのに使います。
村で2番目に裕福な日本人は、下位15人の村人の年収よりも高い金額のiPhoneを、中高生が持っています。
村で2番目に裕福な日本人は、途上国の子どもたちの命を奪うはしかの予防接種用ワクチン2500回分の金額を、5万円のPS5を買うために使います。
そんな村で2番目に裕福な日本人が、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」といったら他の村人はどう思うか……
私は日本の中では貧しい方に分類される人間ですが、そんな自分でさえ、あまりにも歪に偏った経済格差の富める側に属しているんだなと再確認させられました。自分は「金を持っている人しか入手できない」という資本主義システムと、金という圧倒的な力を最大限利用し、普段の(あくまで世界的にみたら)豊かな生活を手に入れているのだなと。
お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい? それじゃあ、物やサービスを手に入れる必要条件をお金から先着順や抽選制にしたらどうなるか――
そうなった瞬間、私は圧倒的に不足している食料や水を、地球上の77億人と奪い合うことになるわけです。行列の先頭集団に入れないと、抽選に当たらないと、その日食べるものもなければ、医療サービスを受けることもできません。抽選に運良く当たり、PS5を手に入れたとしても、目の前の栄養失調で死にそうな家族のために、PS5を売って食料を買うこともできません。だいぶ辛いです。
別に、こんなに不公平な世界はおかしいとか、ユニセフにもっと募金しようとか、そんなこと言うつもりは全然ありません。「金を持つ人しか物を買えない」というシステムを利用して、(世界的にみたら)裕福な暮らしをしている自分が、同じシステムを利用して稼いでいる転売屋を非難する資格がはたしてあるのか。そこがモヤモヤしてます。自分も転売屋も、自分たちの生活を豊かにするという利己的な理由でこのシステムを利用しています。どこに違いがあるのか。他人に迷惑をかけているかどうか?
転売屋が居てもPS5の数は変わりません。お金を持っている人は相変わらずPS5を買うことができます。コレを迷惑だから平等に分配しろと行った途端、日本で一般的な暮らしをしている人は、自らの資産を平等に分配する側になってしまいます。転売屋からPS5を買える人はお金を持っている人だけですが、そもそも定価5万円のPS5が買える人だってお金を持っている人だけです。100人の村では、上位10位以内の人でないと、定価5万円のPS5を買うことは難しいでしょう。
残りの村人90人からすると、普通に定価5万円でPS5を買っている日本人は、「お金がある人しかPS5を買えないなんておかしい」と思われている側の人間です。転売屋からPS5を買っている金持ちに対して、「お金がある人しかPS5を買えないなんておかしい!平等に分配しろ!」と思うのなら、定価5万円で買ったPS5を下位90人の村人から「お金がある人しかPS5を買えないなんておかしい!平等に分配しろ!」といわれたら、せっかく手に入れたPS5を手放さなければなりません。
みんなで公平に抽選なり早いものがちでPS5争奪戦をしなければならないわけで、自分が入手できる可能性は低くなります。実際はそんなことしませんよね? 私はしません。下位90人の村人がなんと言おうと、PS5は自分で使います。何故そんな事が可能かというと、それは「金を持つ人しか物を買えない」というシステムを、他人に迷惑がかかろうと構わず利用しているからです。「〇〇ちゃんを救う会」と同じように。
「お金がある人しか物を買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか満足に食事ができないなんてなんておかしい!」と最貧国の人達に言われたら、自分の食費を彼らに渡すのか?
「お金がある人しか物を買えないなんておかしい」と思うのなら、「お金がある人しか学校に行けないなんておかしい!」と最貧国の人達に言われたら、自分の大学の学費を彼らに渡すのか?
自問自答してみますが、もちろん答えはNOです。まだ奨学金払い終わってないし。
別に、自分で稼いだお金は自分のために使えばいいと思います。1万の寿司を食ったっていいし、推しに100万使ったっていい。家族のために使ったっていいし、もちろん募金したっていい。私は世界で一番、自分の事が大切です。1本20円のはしかワクチンで救える命があると知っていても、のどが渇けば自販機で100円のコーヒーを買います。ケチなので躊躇はしますが。
1本20円の予防接種用ワクチンが買えなくて死んでいる子供がいるこの世界において、「金を持つ人しか物を買えないなんておかしい」と思ったら、定価でPS5を買うことも、子供にランドセルを買ってやることも、1本100円の缶コーヒーを買うことだってできなくなってしまいます。
あなたがこの文章を読んでいる間に、75人の子供が栄養失調で亡くなりました。
という現実を私は知っていますが、たまに気まぐれでコンビニのお釣りを募金箱に入れるくらいで、お金は自分の好きなように使います。ゲームもお菓子も買います。見たい映画を見て、読みたい本を買います。
でも、だからこそ、「お金を持っている人しか物を手に入れられないのはおかしい」なんて、そんなことは言える立場じゃないよなあと、そう思いました。
元夫とは5年以上前に別れてから一度も連絡は取ってないしどこで何をしてるかも知らなかった
先日、共通の知人がTwitterで元夫の投稿をRTしていたのでつい見てしまった
元嫁がメンヘラで大変だったからメンヘラには詳しい!とか、夢を応援してくれなかったけど今は夢を叶えてめちゃくちゃ稼いでるから周りに反対されてる人は気にせず頑張れ!的な
メンヘラかぁ…確かに結婚生活を思い出すと未だに動悸がするくらいに辛い精神状態だったから、まぁ間違ってはないんだけど。
携帯の連絡先とSNSの男友達全削除させられたり、友人と遊びに行くと言ったらそんなことしてる暇あったら俺に構えと言われたり、その反面家では無視されたり、家事は別に頼んで無いしお前の趣味で勝手にやってるんだろって言われたり…
まぁ普通の精神状態じゃいられない2年間だったよね。それはごめん。
夢…結婚したら俺より働くな!って残業無いような仕事しか転職先も認めてくれなかったよね。お陰で年収めっちゃ下がって収入倍くらい違うかったのに生活費としてくれたのは月10万だけで、お金渡してるだろ!って外食とか旅行とか全部家計から出させたり。家賃でほぼ消えてたなー。
家計のこと考えてって言いたかったんだけど…伝わってなかったか。
でも1人じゃ行けないって言うから交流会?みたいなとこに付き添って、憧れの人に声掛けてあげたりした気が…気のせいか?
そう言えば当時も喧嘩したらTwitterに愚痴られて、それを見た私が謝るっていつもやってたなー
そして喧嘩の後、元カノの家に泊まりに行ってたのも知ってた。気付いてないと思ってたかもだけど
起業して社長らしいけど、タワマンからの夜景にお酒、ブランドものの写真を見て、価値観が違いすぎて2年で離婚したのはお互い正解だったんだと再確認できた。良かった。
でも実名でやってて、共通の知人も見てるアカウントなんだから、そういう発言は出来ればやめて欲しいかなー
まぁいいんだけどさ…