近所のインドネシア人の同級生の家に向かって複数人で「インドネシア帰れ」って言ったことがある。
その子の誕生日会に招待してもらってケーキ食べたこととか、一輪車の乗り方教えてもらったこととか、毎日同じごっこ遊びしたこと。
その子のことは、嫌いだったり嫌いじゃなかったりしてた。
だから意地悪をしたり仲良くしたりを繰り返していた。
やってること完全にいじめだし人が泣いてるのになんで罪悪感がなかったんだろう。複数人でやってたからかな。
周りの人間が自分と同じことしてたら、自分が間違ってることに気が付きにくいんだと思う。
たまたま進学先が違ってすぐ疎遠になったから、大ごとにならなくてよかった。運が良かっただけだ。
いじめ加害者を擁護するわけじゃないけど、多分、本当に自分を悪者だと思っていない人が多いんじゃないかな。
だから周りの大人が庇ったり隠蔽しようとしたら駄目だと思う。余計に自分が悪いと思えなくなりそう。
もう遅いしここで言っても意味ないけど、ごめん。
だからこその教育なんだがあの体たらくである
つらいこといやなことは都合よく記憶から排除できる仕組みが人間の脳みそには初期装備されている
小学生くらいだとまだ人間というより獣に近いから本能的な残虐性が剥き出しになってるし善悪とか倫理みたいな社会が作り出した概念はインストールされてないところがあるよな。
ガキのうちにちゃんと叩き込んどかないといけないのに、最近の教育は体罰に変わる手段を見つけられなかったので野放しなんだよな