はてなキーワード: 一刀両断とは
ネットで意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ、炎上、個人情報の特定、色々懸念すべき点はあるだろう。
でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。
自分より詳しい奴からの反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。
例えるなら、ゼミの教授がゼミ生の論文・研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識も経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才のプレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答の時間であり、考えもしなかった多角的な視点からロジックの穴を突いてくる。
もちろん、自身の経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事を当事者の感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分が世界で一番詳しい情報になるからだ。
しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護か批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。
誰かを批判するときは批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手は無限。
どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。
そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。
こんな世界で自分の意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。
常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ、事実関係に間違いはないか、自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。
そしてタチが悪いことに、ネット上では自分の意見が簡単に見られ、識者も気軽に集まれてしまう。
「ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授はゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。
ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生だかいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかもゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である。
自分の卒論が一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人がデータを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。
ネットには語る人間がたくさんいる。twitter、note、増田といった匿名のSNSがある。
匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田、会社の看板を背負ってnewspicksにコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これからの世界」について自信満々に語っている。
新しいプログラムを前に
何その圧迫感。
何の訓練にもならないことぐらいわかるよね。
薄々そんな気はしてたけど、別の仕事してる友人に話したら一刀両断された。
やっぱそうだよね。
全く割に合わないんだけど。
日々色々変化はある会社だったけど
私はそれが結構なショック。
良くも悪くも緩かったけどそれがこの会社の居心地の良さだったのに。
いきなりの態度。
なんか嫌な感じ。
それをCEOが言うとかなら分かるんだけど
いつのまに随分を偉くなったんですかね。
たかだか10分の査定で私の実力上から目線でジャッジされたくないし負けないけど。
それに、、、急に力持ちだした人って、
どっかの地点で辞めていくから。
仕切り屋な感じは前から感じてたけど
今回のはやりすぎ。
私は細く長くひっそりと続けていきたいので
静観して 時を待つわ。
こういう時、てんでバラバラに仕事してるこの仕事の形態がちょっと残念。
同僚がどんな人なのか大体分かるし、
こういった愚痴も言い合えるのに。
リモートの不便さ。
信用を本当にできるかどうかは微妙。
口をつぐむしかないんだと思う。
最近、自己肯定感を高めるメソッドなどを読んで自分の中で意識改革があったのだけれど人間は「ダメでもいい」のだ。
「ダメでもいい」のだけれど「ダメでもいい」と思えるようになるのがわたしには難しかった。
そんな考え方になってしまったのは高校生のとき国語の教科書に載っていた、夏目漱石の『こころ』の登場人物Kの影響が大きい。
Kの生家は寺で、修行僧のようなストイックさを持ち勉学に励む青年だ。恋愛にうつつを抜かして真面目な話に取り合わない「私」に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と一刀両断する。
わたしはこの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」に非常に感銘を受けてしまった。
精神的に向上心を持たなければいけない。自分に至らぬところがあれば努力しなければならない。決して現状に満足してはいけない。そして努力の見られない他人を見下すようになってしまった。
(余談だが他人をdisることで自分より下がいると思い込みたいのか、自己肯定感の低い人ほど他人に対して攻撃的になってしまうらしい)
自己肯定感の低い人間がそれらの行動をとるとどうなるのかというと、結果としてわたしは自己否定のループに陥ってしまった。
こうあらねばならないという理想だけが高く努力を続けるが、結果を残せず「もっと頑張らねば」という感情だけが残る。次第に「こんなに頑張っているのに結果を残せない自分とは……」「いつまで頑張らなければならないのか」「頑張っても結果を残せない自分は精神的に向上心のない馬鹿だ」と思うようになった。自己を肯定できない負のループだ。
自己肯定感を高めるメソッドに「小さな目標を立ててそれを達成し続けている」というものがある。だがそれは間違いだと思う。
間違いというより、成功体験を積み重ねることで自信がつくというのは理にかなっているが、高い自己肯定感というものは「ありのままのどんな自分でも肯定できる」ことだ。自信がある=自己肯定感が高いというのも間違いではないのだが、どんなに失敗しても、結果を残せなくても「それも自分だ。それも良い」と思えることこそが自己肯定感の高さなのだと思う。
最終的に「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の大ブーメランを受けて自死してしまうKの末路には目を伏せて、この言葉を信仰していたわたしにはどうしてもダメな自分を肯定することが難しかった。ダメな自分を受け入れているのは「精神的に向上心がない」。完全にKに呪われていた。
だが人間は「ダメでもいい」らしい。自分のこころを守るために、失敗を重ねた自分を罰して傷つけないように「ダメでもいい」ことを受け入れられるよう考えてみた。「このままでもいい」と言い換えてもいいのかもしれない。今まで向上心をなくさないよう気を張りすぎていたのか、現状を肯定するよう努力してみたら、すとんと心が軽くなった。自己肯定感が低い人間は少しくらい図太く生きてみるのもいいことなのだろう。
身の丈にあった幸せや、すぐそばにある大切なものを慈しむことも自己肯定感を高めるために必要なのかもしれない。「ダメでもいい」とこころで唱えながら今日もKの呪いと戦っていく。
大学院を中退して久しい。記憶が正しければ、私が大学院中退を決意したのは6月末であったことから、あともう少しで半年が経つ。
さて、就活についてはようやく良い風が吹いてきた。金融の、ある分野において業界上位三位以内の地位にある企業の最終面接の一歩手前まで進めることができている。
一部上場のIT企業(Sier)については、最終面接を控えるところまできた。ESを提出した後に任意の質問会をやると聞いたのでそれに参加してみると、人事が質問会で「この質問会でESブラッシュアップしてね」なんて言い出した時は冷や汗が止まらなかったが。
どちらの企業も来週面接であることから、中々にプレッシャーではあるが、何とかなるだろう。
ところで、前回の記事で「まあ、プライドが高いお前は上場企業じゃなけりゃ満足しないんだろう(⇔身の程を知れ)」といった趣旨のコメントが付されていたが、当然である。プライドが高いからこそ、私は結果を出せないと満足できない。そのお陰で、就活もここまで進めれている訳だ。実は、総合商社の中途枠についても、二次選考まで進めれていたりもした。とは言いながらも、今現在も無職であることには変わりがないことから、彼彼女をあざ笑うにはまだ時期尚早ということで、この程度にしておく。内定が出たら改めてあげつらう予定だ。
エントリー中はなりふり構わず履歴書を送りまくっていたし、後輩にESや面接の方針について教えを乞うたりもしていたので、どちらかというとプライドをかなぐり捨てているような気もしたが。キレてノートパソコンを叩き割ったりと結構な醜態を晒していたし。
さて、私は上のどちらかの企業で王手をかけて上がる予定でいる(が、一応今も履歴書は送りまくっている)。金融の方はやはり選考難易度が高いことからまだまだ気は抜けないが、ITの方はコロナ禍であるにも関わらず敢えて増員していたぐらいだし、「最終面接で落ちることは基本的には無い」というのが就活サイトでの定説である(らしい)から、余程の地雷を踏みぬくか、ドジを踏まなければ内定は出ると睨んでいる。金融の方で面接を何度もしたから、これが活きてくれば良いのだが…。
そんな時、「私は一体何をしたいのか」と考えた。前の記事でも書いたが、私は資格を取ってプロになろう、という心づもりでいた。実は、この思いは今でも捨てきれていない。
そして、その資格であるが、実は金融ともITとも親和性が良いのだ。シナジーが大きいだけでなく、その両者について深い理解をしている有資格者が少ないことから、収入の面でも大きく期待できる。社会にも十分貢献できると思う。
ただ、金融 or ITのプロとして生きていくのも楽しそうだと感じるのだ。
金融については所謂部門別採用ではないため、基本的にはその足で走り回って数字を上げることになるだろうが、人と話すのが好きな自分としては極端な苦手意識はない。一時はクラブナンパなんかもしていたぐらいなので、目の前で蹴り捨てられる程度じゃヘタレることもない(流石に悪意むき出しの悪口を言われた時は少しキツかったが)。また、金融については学部・院生時代にある程度かじっていたので、苦手意識は全くないどころか得意と言い切ることもできる。勿論、いわゆる金融マンであることから死ぬほど大変であろうが、楽しめる気はする。
ITについては、大昔に自分でパソコンを組んだことの他、ネットサーフィン経験を通じてセキュリティ・ネットワーク周りのことを最低限身に着けたことを除けば、全く知識がない。今現在基本情報技術者試験の勉強をしているが、何が分からないのか分からない、という部分が大半である。ただ、参考書を見た瞬間に脳がストレスを感じる、ということはない。Javaの解説ブログなんかも流し読みしてみたが、面白かった。全く適性がない、ということはないと思う。金を産めるか、という質問について胸を張ってイエスといえる自信はやはりないが。
就活生は、どのようにして自己のキャリアを定めるのだろうか。学部時代のある友人は、憧れを理由に、その企業を選んでいた。金を理由にその企業を選んだ友人もいる。その企業の製品が本当に好きだからということで、その企業へ進んだ友人もいる。
どの友人も、見事であると思う。内定をきっちりと取り切っているし、何より行動に対する結果が伴っている。そして、今も尚働いている。素直にすごいと思うし、心の底から尊敬している。将来的に転職をすることになったとしても、私からすると学部時代にそのようにはっきりとしたキャリアプランを持つことができていたことそれ自体が大変素晴らしいことだと思う。
私自身、それなりに将来のことを考えて進路設計はしてきたつもりだったが(母親に奨学金を使いこまれるのは流石に予想外だったが)、良いように言えば知的好奇心が強い、悪いように言えば器用貧乏なタイプなのだ。この性格から、上記の企業で知識を身に着けながら学部時代より抱いていた思いを実現するべきか、それともその道のスペシャリストとして生きていくべきか、と今もくよくよと悩んでいる。一刀両断的な判断はあまり好まないため、どこかでグレーゾーンを設定して落ち着くことになるとは思うが、今現在それを設定できない自分に対するもどかしさは結構感じている。
秋葉原通り魔事件。宮崎勤の事件。ああいう事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。
母親は教育関係の仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである。
しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。
1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期
私は物心つく3歳の頃から、毎日「ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷。最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュを丸めて置いておく。
「今日のノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身、子どもを支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄な時間だったと感じる。
そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲームが禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかいう比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキルを20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。
友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻にトライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。
漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画をカッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると「私刑」である。生命活動を勉強時間に全振りすることで東大に合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。
幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館のお気に入りの本は読みつくしたし、母親の検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないかが重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美、18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。
そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有のクラスのトラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子はレベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由なお金がなかったし、バスにも乗れなった)
高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。
そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。
最近の教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会に還元したりする上ではこの能力が必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切を無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生のママを見下しながら、自分が適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いか分からなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり、就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである。
母親は上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカのコミュ障が出来上がっていたかもしれない。
ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。
20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。
「アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。
中断していたゼノブレイド2を再開するようになって
やはりBGMいいな…と車中でサントラを流しながら奥さんのお迎えに行った
奥さんが乗ってきた所で流れていたのがこの曲
Drifting Soul
少し聴いた奥さんが開口一番
「何なの、このエンディングで登場人物全員皆殺しになってる時に流れてそうな音楽はw」
とのたまった。
「いや、死んでるのは主人公のジャリボーイを助ける渋いおっさん一人だから…」
とフォローする僕。
「ふーん」
そんで次に流れた曲がこちら。
Counterattack
そしたら奥さんは
「何なの今度は一転攻勢みたいになったけど」
というので、
「まぁこれはおっさんが死んだ後に、ヒロインが駄目ぇー!イヤボーンして覚醒変身する時に流れる時の曲なわけよ」
と僕が返すと、
と一刀両断してくれるわけ。
ああ〜〜〜!!! 好き!
歪んだ発想かもしれないけどホント好き!
この女に惚れて本当に良かった。
イオンに行ってお買い物して帰りました。
昨日も私のレジにしか並ぼうとしないお客様が来店。その時も私はカフェマシン洗いに没頭していたのだが、日曜の夕方にも関わらず、急に混み始めたのでレジに戻ったその時に、私のレジにしか並ぼうとしないお客様が列の前から三番目くらいに並んでいてこっちを見ているのに気づいた。私はついうっかり素が出てしまい「またお前か!」という気持ちを眉間の皺で表現してしまった。そしたら私のレジにしか並ぼうとしないお客様はなんというか、友達にでもするようなアイコンタクトを返してきた。それで、私のレジにしか並ぼうとしないお客様は順番通りにAさんのレジの方に行った。それが夕方6時くらいのこと。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様は夕方そんな感じで私のレジで会計できないと、必ず20時~21時の間に再来店する。その口実なのか何なのか、1度目の来店のときにタバコを買わずに帰って、二度目にタバコを買うのだ。
で、やっぱり昨日も私のレジにしか並ぼうとしないお客様は21時になる少し前に来店して私のレジで会計をしていった。しかもつれの人数が前回よりも増えている。前回の、年配の男性でどうやら私のレジにしか並ぼうとしないお客様が私のレジに並ぶ為に当店に来ていることをわかっていてわざわざ着いてきている人と、その人と同じくらいの年齢に見える女性だ。なんなんだろう、この三人組……家族?
三人組は外の、私のレジからよく見える位置でしばらく立ち話をしていった。煙草一本吸い終えるくらいの時間だろうか。実際、私のレジにしか並ぼうとしないお客様はこっちに背を向つつ喫煙していた。灰皿から距離あるんだけど、吸殻ちゃんと灰皿に捨ててったのかどうか。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様が車を停める場所はいつも決まっていて、店の出入り口の一番近くで、私がいるレジがよく見える所なのだ。私のレジにしか並ぼうとしないお客様は店を出たあとも長時間車の中にいることが多い。昨日の二回目のときは、私のレジにしか並ぼうとしないお客様が来店する前から、その場所にピカピカの黄色い高そうな車が停まっていた。
三人組が帰って行ったあと、Aさんが
「予想通り、またヤツは来やがりましたね!」
と言った。毎度のことだがAさんは結構楽しんでいる……。Aさんが言うには、夕方の想定外のピーク時に私のレジにしか並ぼうとしないお客様は店内をうろうろ徘徊したあと、レジ待ちの行列に並んで斜めに顔を出し、前の客の人数を数えて、私のレジに並べそうにないと判断したのか列を外れ、またしばらくして並び直して同じことをして列を外れ、三度目にしてやっと、しぶしぶと言った感じですごい不機嫌ヅラでAさんのレジに来たし煙草も買っていかなかったという。そんなんだったので、Aさんは「ヤツはまた必ず来る!」と思っていたそうだ。並び直してるとか、私は全然気付かなかった。
私のレジにしか並ぼうとしないお客様のよくわからん所は、あからさまに私のレジに並ぶことに執着しているのに、第三者目線から見ても私のことを全く好きそうな感じではないというところだ、とAさんが言った。私から見てもほんとその通り。思いかえせば、あのお客様は前からたまに来る人だったが、頻繁に来店するようになったのは去年私が入店してからで、以来Aさんは殆んどあのお客様の会計をしていないという。来店の頻度に対して明らかに会計する回数が少ない、と。で、この間の金土と、Aさんは都合で珍しく二日連続でシフトに入っていたらしいのだが、その二日とも、私のレジにしか並ぼうとしないお客様は来店しなかったという。私のいる火木日曜にしか、あのお客様はやっぱり来ないのだ。
性別を問わず、お客様の中には店員の片方が男でもう片方が女だったらどっちか特定の性別を選びたがる人がいる。例のお客様も、もしかすると私に執着しているのではなく、女に接客されることに執着するタイプである可能性はある。今、当店の夕勤で女は私だけだし。
この春までいたベテランのパート女性と組んでいた時はどうだっただろうか? あの頃も私だけが執着されていただろうか? と、記憶を辿ったが、よくわからない。その頃は全然気にもとめていなかったからかもしれない。
前に勤めていた店ではどうだっただろう? あの頃は、私はほとんど七十歳近い女性バイトと組んでいた。思い返せば、二人で店番をしているわりには、あのお客様を見る機会がおおかったような気がする。当時も「この人よく来るな」とは思っていたけど、それはお客様が毎度来るとき同じ派手な色のTシャツを着ていて目立つからそう思ったのだ。でも、当時もあのお客様はわざと私のレジに並んでいたのだろうか?
まあ、うっすらと気持ち悪いものの、例えば「出待ち」みたいな明らかに一歩踏み込み過ぎなことをする訳でもないので、気を付けるったって何も対策は取れないのだが、前々から粘着されているのは確かなので、これ以上の何かをされたらオーナーに即相談ですな、とAさんと話した。
AさんにしろBさんにしろ、私が特定のお客様にどうやら粘着されているようだというボヤキを聞いて、即座に気のせいwwwと笑ってバッサリ一刀両断せずに、粘着現場を観察したり検証したりして事実であると確かめてくれて、実に親切というか……まともな対応をしてくれたのだが、こんな「まともな対応」を仕事でされたことって過去にないので驚いている。いや、これで驚く私のこれまでの人生がおかしいのかなあ。
私はフリーランス(だった)。
フリーランスから法人成りをしたが、まだ自分一人だけの法人なので別に仕事の規模も拡大しているわけでなく、世間的にはほとんど同じだ。
と怒っているフリーランスがいるのに驚く。
というか、あきれる。
外的要因で収入減もありえることを100も承知でフリーになったんじゃないのか?
仕事が途絶えたら、日雇いでも何でもしてその間をしのぐという覚悟でフリーになってないのだろうか。
組織に守られないで、守られないからこその自由を手に入れて、上手くいけば大きく稼げるというリスクをとったんじゃねえのかと。
儲かっていない私だってそうだ。
だからしょぼい売上をやりくりして、不測の事態に備えた保険にも入ったし、独立前から蓄えもして、いつも1年くらい仕事がなくても生きていけるよう必死だ。
もちろん、自分は法人化してるので今回の給付に当てはまらないが、もし該当すればたぶん申請してお金はいただくとは思う。
制度としてあるのに、わざわざ回避すべきだとまでは全く思わない。
「すいませんね、そういうのに期待しないでやってきたんですけど、くれるんならもらっちゃいますね」
という感覚はじゅうぶんわかる。
そうではなく
「少ない!不公平だ!」
自分の自由意思で雇われることから逃避してだらしない独立をした責任について、他人(おもに政府)に転嫁していないだろうか。
強引な施策で、政府があなたにフリーランスになるように導いたことはないはず。
せいぜい「なりたい人のために支援制度を作っておくよ」という程度だ。
そしてその制度ですでに間接的・直接的に補助金をもらってる人も多いじゃないか。
そもそもフリーランス給付金がこんなかんたんに決まったこと自体にびっくりする。
そんなことに税金を廻さずに、医療崩壊を招かないことと、株価や経済を下支えすることに、政府は金を使って欲しい。
※ちなみに個人的に与党も安倍政権もまったく支持してはいない。
「これまでしっかりと税金を払っている!(だから当然私は補償をもらって当たり前なのだ!)」
と息巻いている人もいるが、それもよけい恥ずかしいからやめてくれないか・・・
おそらくあなたが確定申告でなんでもかんでも経費化して納めた程度の税金やら社保であれば、
社会の側からすれば収支はマイナスであり、もともと社会に養ってもらっている程度だとわかっているのだろうか(もちろんそれ自体は悪ではないが)。
が、指摘するとぜったいにヒステリーを起こされるので言えない。
だからここで吐き出させてください。
みなさん、コメント本当にありがとうございます。
増田になるのが初めてなのでなにか変な書き方とかあればすみません。
>自己責任論で一刀両断してやろうというクズが湧くのは ちょっと我慢できない
どこまでも自己責任をとれという話ではないよ。
責任をとる・とらないの限度があるだろってこと。
もらうこと自体はべつにいい。
でも「額が少ない!格差だ!」とまで騒ぐのは恥ずかしくねえの?っていう線引きを言いたかったのです。
収入が途絶えることなんて余裕でありえるんだから、そのくらい織り込んでフリーになってないのかよって。
>同じ労働者なのに企業に属してるか属してないかで支給格差をつけるから怒ってるんだろ
いや、「同じ労働者」じゃないよ。
そこまで拡大したら「ぼくたちみんな地球人」みたいな話じゃないでしょうか。
もしそれがわからんのだったら、フリーランスになるのはやめて、雇われて、会社の文句ばっか言って仕事しないポジションをゲットして老いていくのがおススメ。
>個人事業主を賃金労働者と同じにする必要ないって人いるけど、確かアニメーターとか声優とかの特殊な職種はただでさえ不安定なやりがい搾取の真っ只中にあるんだが政府が更に格差付けてええんですか?と。
フリーランスなら、稼動してない時間に自分の賃金が発生するわけないじゃん。
「給付が少ない!もっとよこせ!」じゃなくてさ、稼動がなくなればフットワーク軽く日雇いバイトでもなんでもして収入を穴埋めするっていう気持ちすら無いの?って話。
202/03/02、松川るい参議院議員が国会にて「高齢者は歩かない!」「親が仕事休め!」という野次を飛ばしたという情報が。前者は実際蓮舫議員の質疑を見ていて、野次そのものは聞こえていなかったが、直後に蓮舫議員が質疑で触れたので知っていた。後者については記事の類にはまだなっていないが、塩村あやか参議院議員がTwitterでそう報告している。
2020/02/27、棚橋泰文衆議院予算委員会委員長に対する解任決議案が提出され、主旨演説に立った立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム会派の本田平直議員の演説の中で、国会での野次についてのくだりが個人的に面白かったので書き起こしをしたので読んで頂きたい。
===ここから===
この際、せっかくの機会ですから、国会における野次について私の考えを述べさせてください。
もちろん私の会派内、ましては日本共産党さんにはご立派な野次をしない方もたくさんいらっしゃるので、会派の意見ではありません、私の考えであります。国民の皆さんの中には、野次について、ま、学校の教室になぞらえ批判をされる方もおられます。私も野次が少ない方ではありませんので、お叱りを受ける場合もあります。まだまだ私は野次は議場の花と言われるような、当意即妙で歴史に残る、多くの方が納得するような野次ができているとはとても言えません。
しかし、私個人は議会を正常に運営するために、野次が必要な場面や野次が役立つ場面がやはりあると考えています。
まずそもそも、閣僚が答弁ができなかったり、質疑が噛み合わない場合です。理事が協議を求めてる場合などに、速記・時計を止めないなど、委員会上が明らかにおかしい場合は特にそうです。私が抗議の声を上げることで、ようやく棚橋委員長も、1分2分遅れて速記を止め、私が声を上げてようやく、質問者の質問時間を守ることができました。これでも野次はおかしいですか?
また、本会場で我が同志の森山裕之君がよくやりますが、法案の問題点を端的に指摘する野次などは、私も聞いていて大変勉強になります。我々は当然自分の所属委員会や関心分野の法案には詳しいですが、この場で採決に臨む際に、全ての法案に詳しいとは限りません。こうした法案に対する、「それはおかしいじゃないか!」こうした野次は、セレモニーになりがちな本会議を活性していると私は考えています。
さらに、もう一つ許されるべき野次は、立法府にチェックされるべき行政府閣僚の答弁が論理的ではない、整合的ではないなどの場面です。事実ではないそういう場合です。我々は、みなさんもお気づきだと思いますが、政策の方向性が違うからといっていちいち野次ってません。お気づきだと思いますが、委員会で与党の皆さんが質問する時には野次ってません。我々が野次ってるのは、政府のおかしな答弁に対してです。
それに対して、与党の皆さんは同じ立法府の仲間である我々が質問をしている時に野次ってるわけで、全く整合性がないと思ってます。
ま一方で、野次もいい話ばかりではありません、当然慎むべき味もあります。単なる誹謗中傷はいけませんし、結局どなたが発言したか名乗ってませんが、先日の選択的夫婦別姓をめぐる質問の際の、「だったら結婚しなきゃいいじゃないか!」とか、沖縄で相次ぐヘリ事故の際の、「それで何人死んだんだ!」など、実際にその問題で苦しんでいる国民がいる問題での心無い発言は論外だと考えます。
少し、棚橋方式を改めてきちんと読ませていただきます。(( 筆者注: 棚橋委員長は、わざと極端にゆっくりと名前を読み上げる場合が結構あり、それを与党の皆さんにも体験していただきたいと、ゆっくり目に演説をしていた/脚注記法機能しないぞどうなってんの? ))
私が大問題だと考えるのは安倍政権で顕著な閣僚席からの野次です。本予算委員会での安倍総理から辻本議員への野次は本来謝罪では済むものではなく、懲罰になってもおかしくない発言です。
今国会、極めて不公正な棚橋委員長でさえ、閣僚席からの野次への注意を15回以上もしています。茂木外務大臣などは常連で、質疑が紛糾すると全く所管外にも関わらず、ここは俺がとでしゃばります。
特にひどかったのは、違法な検事長の定年延長のせいで、支離滅裂な答弁を強いられた、ある意味お気の毒な人事院局長の答弁後、背後からパワハラまがいに「帰れ帰れ!」と指示。人事院は内閣から独立した機関で、ましてや局長は外務大臣の部下ではありません。国会がどういう目的で、行政府の皆さんを国会にお呼びしているか考えれば、閣僚席からの野次などあり得ないと思います。
野次ではありませんが、総理が審議の中で民間のお寿司屋さんの名前を、私が数えただけでも24回も意味不明に繰り返しながら、野党議員を嘘つき呼ばわりするなど、委員会の品位は大きく傷つきました。棚橋委員長が制止すべきは野党議員の発言のいちいちではなく、これらの総理閣僚の野次や、不適切な発言だったことを強く申し上げたいと思います。
===ここまで===
冒頭で触れた松川議員の2つの野次は、本田議員が指摘する「実際にその問題で苦しんでいる国民がいる問題での心無い発言」にほかなりません。高齢者施設において、コロナウィルスは差し迫った命の危険に直結する問題ですし、自由に休みたくても休めない親達への想像力に欠ける発言も言語道断です。
個人的には、野次や不規則発言を完全に排除してしまうと、明らかにおかしい発言や議会運営が傍目に分からなくなってしまい、見る側にとっても不利益が大きいと考えます。一切の野次が許されないため、閣僚の滅茶苦茶な答弁がすっと流されたり、棚橋委員長のような不公正な裁定がスルーされてしまうのはもはやディストピアです。本演説中、与党サイドからも野次は飛んでいます。動画が挙がっていますので確認したければしてみてください。自分は議員の発言に議員が野次を飛ばしてもいいと思うし、どこに野次が飛ぶかどんな野次が飛ぶかも興味深い、必要悪であり、必須のものだと思っています。
塩村議員に、Twitterで「野党の野次は数えた?」などと絡む人がいますが、議員は「やじが悪いというより、内容がまずいのです。」と一刀両断しています。自分も全く同じ考えです。
与党支持者かつ、野次は絶対許さないという方は、これから自民党がまた下野した際にも同じことが言えるか、過去の民主党政権時に野次が完全に許されなかったらどうだったかなど、想像してみてください。
自分は勿論、どこが与党でどこが野党でも野次は必要悪であり、かつ必須のものだと断言します。勿論不適切な野次はあり、国会内での発言である野次に責任が伴う事は付け加えておきます。
が、相手役は東出昌大でよかったのだろうか、演技が大根だと感じた。これはいったいどうなんだろうか、とずっと頭の上に??を浮かべながら見ていた。
杏はさすがの演技とキラキラした存在感、原田泰造の全開の泰造っぷり、儲け役をマンキンで見せてくれた和田正人、役どころを掴んだ財前直見、宮崎美子への開眼(あんな性の悪い演技するなんてもう!好き!)、キムラ緑子の手練れに翻弄される、吉行和子のぬか床ナレーション。
そして何よりも、近藤正臣の存在感あるダメオヤジぶり、ほれぼれするような古い大阪弁と貫禄の演技。
毎週のテーマのごはんの美味しそうさ、食べるシーンのうつくしさ、高畑充希の瑞々しさと歌唱力への驚き、関西制作回ならではの茂山逸平を堪能など、話始めるときりがない良さだったのだが、西門悠太郎役は東出でよかったのか、と思いながら見ていた。
役どころには合っていたと思う。「家」と「妻」と「己」との間に宙づりになり、カチカチに硬く、あまり人生を上手くやれない男。やりたいことも能力もあるのに上手く回せずひたすら不遇を生きる男、狂言回しでもある主人公の妻に引っ張られて自分の人生や家ともやがて融和していく、気の毒で不器用で愛おしい男。
東出昌大は、大根役者なのか。初めて演技を見たのが「ゆうたろうさん」だったので、役どころと合っていたのだろうと思う、あー大根だ、と一刀両断にはしなかった。不器用無骨演技をしてるのかなと思ってたのだが、他の演技や映画を見ても落語ディーパーなどでの素のしゃべりを見てもあんな感じなので、演技じゃなくて素でやってたかアレ、まぁ役者って役どころでもあるからそれはそれで、サイコパス役とかストーカー役とかドはまりしてたし、そういう役者になればいいよ、と納得させていたのだ。そしたらリアルもサイコパス寄りだったんかなーという気持ちになってきた、不倫騒動の件で。
そもそも、杏が、双子が生まれた次の年にまた子供産んだ時にこつんと小さく引っかかっていた。双子ちゃん産んですぐ年子って杏ちゃんの体とか子育てとか…金持ちだから金で解決できることも多かろうが、金では解決できない母体の健康とか行き届かなさとか大丈夫…と心配し、でもまぁ女優さんは育児休暇期間をまとめた方が仕事復帰しやすいだろうし、夫婦で決めたことなわけでと思っていた。
んだけど、東出昌大は、双子が産まれてやっと離乳食で何とかなるかなぁという乳児育児真っ最中に次の子を仕込んでて、更にその最中にも平行して不倫を続けてたってことになる。相手の女優も不倫匂わせインスタ疑惑があるメンヘラタイプだ…不倫相手を見る目も無い。相当クレイジーでサイコパスというか…セックス依存か何かなのかなとすら邪推が捗る。へっぽこ系サイコパス。