はてなキーワード: メールとは
ぼくが思ってたよりお電話が苦手な人間が多くてびっくりしたっピ。でも安心したっピ。みんな頑張ってるっピね…!!すごいっピ!! ぼくももっと頑張るっピ!
みんながくれた解決策、とてもありがとうだっピ!参考にして改善してみるっピ!!
ぼくは前の会社にいた時、電話でお客様を怒らせてしまったことがあったっピ。これが少しトラウマになってるっピね。でも大丈夫っピ。今はお客様から電話かかって来ないっピ。
ただ、今はぼくの出る電話はほぼ毎回違う会社、違う人からかかってくるっピ。
だからいかに会社の名前を聞き取れるかが重要だっピよ。(個人名は聴き取れなくてもギリセーフの時あるっピ…)
用件は専門用語、固有名詞が並ぶっピ。片仮名、アルファベット多いから頭の中で混ざるっピ。
今日気を付けてみたのは以下の点だっピ
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
・言われたことをおうむ返しにしてみる
(例:先方「〇〇が××で〜…」
ぼく「はい、〇〇が××なんですね」)
緊張し過ぎ、敬語気にし過ぎって言われたっピ。
だから今日は敬語ミスっても(敬語分かんないっピ…)(みんなそんなに気にしてないはずっピ…)で乗り切ったっピ。少し楽に話せたっピ。
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
みんな優しいから根気よくゆっくり話してくれたっピ。ありがとうっピ。名前難しいっピよ。聴き慣れないと余計に分からないっピ。
1件、社名が途中からどうしても聴き取れなくて困ったっピ。でも途中までの部分で検索したらなんとかなったっピ。ありがとうインターネット案件だっピね!
・言われたことをおうむ返しにしてみる
相手の言ったことをおうむ返しにしてたら、聴いてた上司が助けてくれたっピ。
受け渡しもスムーズになったっピね。
って言ってくれたっピ! うれしいっピ!!
ありがたいっピ。ぼくが下手くそでも見捨てないで優しく教えてくれるいい上司だっピ。
上司と職場には本当に恵まれてるっピ。みんな優しいっピね。ありがたいっピ。
無意識に漢字でメモしちゃう癖は難しいっピ。今日も創作漢字が何個かできたっピ…。カタカナ統一も試してみるっピ。一度に同じこと(喋る・聞く・書く・たまに調べる)するの難しいっピね…。
明日も頑張るっピ。
人間のみんな、ぼくと同じように頑張ってるみんな、本当にありがとうっピ。
まだぼくにできることがたくさんあるって気付いたっピ!!
もうちょっと頑張ってみるっピね!!
頑張ってるみんなが幸せになれるようにお願いするっピ!
あと、メールで済む要件はメールで送って来るようにお祈りするっピね!!
追伸
コメントにいくつかあった聴覚情報処理障害(APD)軽く調べてみたっピ。
夜中、猫のか細い鳴き声が”聞こえて”「ンネチコャン〜ンカワイイ」ってなるのに人と話してる時の声が”聴こえない”の、なんでかなってずっと考えてたっピ。
耳は良いはずなのに、話し声は異言語みたいに感じるのたまにあるっピ。
でもまだ生活に支障が出る程じゃないっピね。様子見するっピ。
ありがとうっピね。
三十代半ばまでプログラマーだったけど、やりたいことがあって別の業界に転職した。
自分が新卒のころ、その業界の知名度は今よりもずっと低かったから、どうすればその道に進めるのかずっとわからないでいた。だから、おっさんになってから転職した。
大企業から案件のおこぼれをもらって、それで基礎を学んだ。仕事量は多いけど、手取り 20 万なかった。
仕事に慣れたころ、会社の経営が傾き始めた。他部署の業績悪化が足を引っぱり、テコ入れに精神論を売りにする外部のコンサルを雇うようになった。
自分のいた部署は堅実に売上を伸ばしていたのだけど、そのことが逆に経営層から疎まれ、最後は部門ごと他社へ移籍することとなった。
営業部の力が強く、どの営業担当から案件を回してもらうかで社内での立ち位置が変わった。
営業担当も互いに自分の影響力を伸ばそうと躍起になっていたから、社内はコップの中の嵐というより序列を争うホストクラブのようだった。
ここでも基本的な仕事内容は変わらなかったけど、プログラミングでの開発やブログ記事の執筆もやった。資産管理や部屋の掃除(引き出しはGの排泄物でいっぱいだった)なんかもやった。
書いた記事はまずまずの PV だったと思う。業務上の必要から ISMS も取得したし、案件入札に必要になるからと自前で資格も取った。給料は 5,000 円アップした。
半年くらいいると、世事に疎い自分にも徐々に社内の様子がわかってきた。要は自社経営の IT スクールの受講生を、自社運営の就職サイトで他社に斡旋する、あるいは IT スクールの講師をさせる、そういうカラクリをエコシステムと呼んでいた。
ある日、上司に昼飯に行こうと誘われ、料理を待つ間に派遣先を告げられた。社内にいる人間は人件費がアレだから外に出て稼いで来い、そう営業からお達しがあったと言う。
こうして入社から一年で派遣社員となり、送別の昼飯はワリカンだった。
プロパーどうしは人間関係がちょっとギスギスしており、派遣社員はプロパーに取り入りつつ、ちょっとした手抜きや仮病は見逃してもらっているようだった。
自分は自社の喧騒から距離をおけるようになった分、業務に集中するよう努めた。ただ、毎月サブロク協定の上限まで残業させられるので、月によっては時給換算で 1,000 円ちょっとになってしまうのが痛手だった。
生活のため食費を削っていたし、職場は密閉状態だったから、風邪やインフルで倒れないよう健康にだけは気をつけた。
自分以外の派遣社員はみな二十代で、業務中もゲームに興じる廃課金ユーザーが多かった。意外だったのは、自分たちを派遣先に送り込んだ上司は何のケアもしない高給取りの無能呼ばわりされていたことだった(自分は非常に高スペックな人だと認識していた)
年を越して、4/1 から自社に引き揚げて開発プロジェクトに投入されるという話が進んでいることを知った。どうも次年度の契約で派遣先と折り合いがつかず、交渉が決裂したようだ。派遣先の課長が「あなたの会社の営業さんはなんであんな(強気)なんスかね?どうにかなんないんスか?」とこぼしていたが、何の権限もない自分にはどうしようもなかった。
ただ、自社に戻って開発をしたり、上司や営業と顔を合わせてやりとりをする自分はどうしても想像できなかったので、自社の場当たり的な方針に依存するわけにもいかないだろうと強く自分に言い聞かせていた。
タイムリミットが迫るにつれ、次年度の希望を聞かれる機会が何度かあった。自分は業務優先で返事を先延ばしにしながら、周囲に悟られないよう履歴書を用意したり、面接を申し込んだりして少しずつ転職活動を進めていた。
年度末を迎え、担当営業からメールで次の配属先の発表があった。自分は最後まで希望を伝えなかったこともあり、おつかれさまでしたの一言だけだった(これは自分が悪いのでしかたがない)上司とは結局、送別の昼飯以降は会うことがなかったように思う。
数日後、本社に出向いて退職手続を済ませ、4 月中旬までに希望の 1 社に絞って面接をくりかえしたり、SPI を受検したり、必要書類を揃えたり、そこそこ忙しかった。
ここまでくるのに 4 年ほどかかったけど、正直言うと本当に大変だったのはここからだったと思う。
まわりの若い同僚はこれまで見てきた人たちと違って教えられたことをすぐに再現できたり、適切に応用することができる人たちばかりなので、そこからさらに 4 年間は取り残されないよう無理をしたと思う(実際、ちょっと体を壊してしまった)
今の職場も仕事量が多くて辛抱の毎日だけど、もう少しがんばってみようと思っている。
……
ちょうど 10 年くらいになるので、これまでの整理の意味で振り返っておこうと思った。
就職氷河期世代だから貯金だけはするようにしていて、老後の備えは何とかなるかもしれない。
おっさんになって人生をやり直す形になってしまったけど、いつも懸命だったし、自分との約束は守れたんじゃないかな(と思いたい)
私について
2022年の3月半ば頃、かねてより使っていた自作PC(Core-i7 7700K+GTX1080という中々年季の入ったシロモノでした)をそろそろ更新しようと思い立ち、インテル第12世代が中々面白そうな事もありマザーボードとCPUを(MSI PRO Z690-P DDR4とIntel Core-i5 12600KF)購入。
グラフィックボードに関してはしばらくGTX1080を流用し、しばらくFPSを遊んでいましたが一ヶ月ほど悩んだ末にRTX3070Tiを購入。 現在のPC構成はここから変わっていません。(Core i5-12600KF+RTX3070Ti)
さて、元々私はAOC社製の165Hz湾曲ディスプレイを利用していました。(https://www.amazon.co.jp/dp/B08W296GXR/)
PCを更新するまではメインで遊んでいた比較的軽量な部類であるOverwatchですら360fpsはおろか240fps張り付きすら難しい状況だったので満足していたのですがやはり最新世代、ゲームクライアントの上限の400fpsに設定してもほぼほぼ張り付くという結果に。これは買うしかないだろ!と思いドスパラにてASUSのPG259QN(https://rog.asus.com/jp/monitors/23-to-24-5-inches/rog-swift-360hz-pg259qn-model/)を購入。これがいけなかった。
購入した翌日、早速荷物が届く。流石日本の物流、神奈川県の片田舎だというのに…といった感動を覚えつつ、未体験の高リフレッシュレートに胸を高鳴らせながら開梱し動作確認をするために同梱されていたACアダプタとDisplayPortケーブルを利用しパソコンへと接続した。
パソコンの電源を切ったままケーブルを接続した瞬間、眩く輝くディスプレイ。
白赤青緑と忙しなく単色が切り替わって表示される。ただ通電しただけでこれである。既によくわからない。
これって工場で表示テストするときに出る画面じゃないの?と思いつつパソコンの電源を入れる。あ、よかったWindowsが立ち上がったら正常に表示された!(当然である)と胸をなで下ろし、Windowsの設定からディスプレイを360Hzに設定する。
きちんと動いたのだ、この時は。マウスカーソルの動きは目に見えるほど滑らかになり、UFOTestを開いても確かに360Hzと表示され、残像感の欠片もないUFOに乗ったゴキゲンな宇宙人を眺めて私も悦に入っていた。
当然ゲームもプレイしてみる。Overwatchを起動し、オプション画面からフレームリミットを175から370へと変更する。
驚くほどの快適度。キャラクターがADADスパムで左右に細かく動く際の残像が一切感じられない。むしろ困る。今までは残像感含めてAIMを合わせていたのだなと実感して弾を外しまくる。(元からそんなに当たらないという話もある)
また、Valorantも起動してみた。このゲームはインストールしたっきり練習場のハードボットを屠るぐらいしか遊んでなかったのだが明らかに弾が当たる。こっちの方が向いてるんじゃないかと思ったぐらいの快適度であった。
さて、動作確認も済んだし仮で繋いでいたケーブルを綺麗に繋ぎ直そうか、とDPケーブルを引き抜き邪魔にならないように配線する。
普段は部屋の掃除もろくにしないのにこういうのはなんでやりたくなるんだろうなと自分でも疑問に思いながら線を繋ぎ直し、床に放りっぱなしだった梱包材を箱の中に詰めなおし、さあRealm Rebornした俺のプレイを見せてやる!……………DisplayPort NoSignalって表示されて画面真っ暗なんですけど。
ん? なんか電源ランプオレンジの点滅してるなあ、マニュアルで調べてみるか。
何々…?えースタンバイ状態に入る…日本語怪しくてよくわからないけど、待機状態って事でいいのかな? ということはケーブルの挿し方が甘くて信号来てないとかかな? と思い立ち再度DPケーブルを抜き差しする。映らない。
なんで???
後ろから165Hzディスプレイを売り払った同居人が様子を見に来る。ちょっとそっちのパソコンに繋いでみてもいいかい? と了承を取る(同居人のパソコンは前述した私の古いCPUとグラフィックボードを譲ったもの)。
うん、やっぱりそっちでも映らない。
なんで?????
元々私はゲームをプレイしながらTwitterを眺めたり動画を流したりするために安物のサブディスプレイを接続していたので、そちらの画面で色々模索してみた。
どうやらWindowsやNVIDIAコントロールパネル上ではディスプレイは認識されているらしい。相変わらずうんともすんとも言わないが。
この状態でPS4をHDMIポートに繋いだら自動認識されるのだろうか、と思い実行してみる。映らない。なんなら手動でHDMI入力に切り替えてもNoSignal表示。はぁ………
その後はもうこちらで出来ることは全部試した。
いやもうこんだけ試してわからんかったらサポセンに聞こう…疲れたし……
結局サポセンに電話してみても既に試した事しか言われない。俺はなにか、君らのトラブルシューティング能力よりも高いのか?否、サポセンがたいしたことが無いだけである。というより実際いろいろな事を扱う窓口でしかないため、詳しい情報はないのだろうな。俺は詳しいんだ、キノコの携帯キャリアでコミュニケーターしてたことがあるからな。
1点だけ、PG259QNにはUSBハブ機能が付いてるのだが、そのドライバーをアンインストールしてみると治るかもしれないとの情報を得る。そんなことある??と思いながら言われたとおりにデバイスマネージャーから削除し、再インストールさせる。
これで直った!!!ならどんなによかったか。こんな無駄な時間のために20秒10円もかかるのか、アホくさ やめたらこの仕事?
まあコミュニケーターにそんなことを言っても仕方が無いので声を荒げることも一切無くとりあえず修理の申し込みをする。工業製品に完璧はないしね。
日通のドライバーが家まで取りに来てくれるらしいので、名前や住所など諸々を伝えてしばし待つことにした。
日通のおっちゃんにディスプレイを預けて数日。あ、やべ。シリアルナンバー控えるの忘れてた。ネットで確認するにも修理受付番号かシリアルナンバー必要だし、修理受付番号どれかわかんねぇよ。ってことでメールで問合せ。
氏名、電話番号、住所を記載して夜中にメールを送ると翌朝には返信が来た。やるじゃん。
文面には丁寧にシリアルナンバーと修理受付番号、さらには初期不良と判断されて新品の送付となる旨が書かれていた。これはちょっと神対応ですよ、そこまで確認してくれたんだって感動しました。この対応があったからこそだったのかもしれない。
その後大人しく待ち続け、集荷から都合11日ほどで新品が手元に届いた。
電話した際に希望されるなら、了承されるのであれば新品開封して検査してから送ることも出来ますと言われたため二つ返事でお願いしたから今度こそ大丈夫だろとの願いを込めて開梱する。
なぜだろう、同じ品物のはずなのに全然ワクワクしないや…これが…老い…? とくだらない事を言いつつ仮でケーブルを繋いでいく。最悪の事態に備えて梱包材は箱から出したままである。
大方予想できるとは思うが、あえて言わせて欲しい。
直ってないやんけ!!!!
否、正確に言えば多少改善はされている。
今回は240Hzまでは表示できるのだ。(正確には244Hzまで)そしてNVIDIAコントロールパネルからカラー設定をYCbCr422に設定すれば360Hz表示することが出来る!!!すごい!!!!
アホか。
何が悲しくてIPSパネルでわざわざ色劣化させて表示させんにゃならんのか。おい。
というかHDRオンにするとNoSignalになるやんけ今度の奴。おい。悪化してないか? おい。
修理報告書には送付するディスプレイ正常動作確認済みって書いてあるけどお前どこをどうやって確認したんや?? おい。貴社の品質管理どうなっとんねん、おい。
第一声から二次受付とかクレーム処理対応の所繋いでくれる? って声を掛けました。コミュニケーターに言っても仕方が無いので最低限発言に責任を持てるSVでもCCMでもいいから繋いでくれと。
会社のシステム上出来ないと言われてびっくりしましたね、ええ。ASUSのサポセンって外国人のコミュニケーターにクレームも全部処理させるそうですよ。責任者が責任を取らなくていい職場って最高ですよね。私もそんな職場ならSVやりたい。給料高いし。
落とし所として、次回検査終了したら私に繋がるまで工場の人間に電話掛けさせろという引継ぎをさせることで終話としました。1時間近く時間取ってすまんな外国人のねーちゃん。君は悪くない。悪いのは風通し悪すぎるそのサポセン委託会社や。まあ人生で一番無駄な金の使い方しましたね。高すぎ、20秒で10円。
あとドコ…キノコのキャリアのコールセンターってやっぱ質高いんだなって思いました まる
今回も2台パソコンに繋いで同じ症状出てるんですけど、なにか? 俺のグラボから毒電波でも出ててディスプレイが壊れるんか? ずっと定格で使ってるのに??
そもそも本当に検品してるのかすら怪しい。信用ゼロ。次の交換品もまた不良品だったらどう責任取ってくれるんですかね。
7万払ってまともに使えたの40分ぐらいってどんなお笑いですか? 今回の対応が終わったら二度とASUS製品買わないしネガキャンもしまくるよ私は。
初期不良の交換品も不良品とかヒヤリハットどころじゃないのにサポセンで話が止まるのも相当やばいしASUSに対する信頼無くなりました。昔はZenfone3とか使ってたんだけどな…もう二度と手に取ることはないでしょう。
さっさとまともな商品寄こしてくれ。以上
槇野 沙央理/Saori Makino on Twitter: "こちらの件ですが、賛同を求めた男性の常勤教員からハラスメントととも取れるメールを受け取ったため、中止することにしました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/saoriqing/status/1535035083480252416
これね。ぶっちゃけ他の学会がコロナ前にやってたのは、大学付近の託児所施設の紹介くらいで、費用は全部本人負担が基本なのね。
遠方から来る土地勘のない人が個別に探すくらいなら、学会が取りまとめて頼む方が楽でいいよねって話。
そりゃ連絡等の事務的コストはかかるけど、子育てはお互い様だし、面倒でもやってあげましょうって思う人は居る。
だけど、この人のは、補助金を求めてる。
託児所使うのに金掛かるから、少しは学会が金出せやって言ってる。
すると途端に紛糾するんだよ。学会の原資は会費が主だから、会員の賛同は不可欠だし、
いや地方自治体が補助すべきだろう・・云々かんぬん。
それでも反射で身体が受話器を取るっピ。
電話出るっピねぇ…。
専門用語分かんないっピ。
前の職場にいた時もそうだったッピ。
電話取れなくてすごく怒られたっピ。
最終的には「耳おかしいんじゃないの」って言われたっピねぇ…。
人間の皆はお話ししながら通話の内容を覚えて、お返事して、誰に渡すか考えながらメモを取るっピ。
人間はすごいっピ。
とてもたくさんのことを一度にできるなんてすごいっピ。
ぼくどうしたらいいっピ…?
わ、分かんないっピ…。
「頑張って慣れていこうね」
って言ってくれるっピ。
成長しない部下でごめんなさいっピ…。
職場の人もすきだっピ…。
みんな優しいっピ…!
だから役に立ちたいのに難しいっピ…。
ぼくは人間のフリ向いてないっピ…。
苦しいっピ…。
それにたまーに上手く取れる日もあるっピよ…?
でも、上手くできなかった日はすごく落ち込むっピ…。
分からないっピ…。
6/13追記
ぼくが思ってたよりお電話が苦手な人間が多くてびっくりしたっピ。でも安心したっピ。みんな頑張ってるっピね…!!すごいっピ!! ぼくももっと頑張るっピ!
みんながくれた解決策、とてもありがとうだっピ!参考にして改善してみるっピ!!
ぼくは前の会社にいた時、電話でお客様を怒らせてしまったことがあったっピ。これが少しトラウマになってるっピね。でも大丈夫っピ。今はお客様から電話かかって来ないっピ。
ただ、今はぼくの出る電話はほぼ毎回違う会社、違う人からかかってくるっピ。
だからいかに会社の名前を聞き取れるかが重要だっピよ。(個人名は聴き取れなくてもギリセーフの時あるっピ…)
用件は専門用語、固有名詞が並ぶっピ。片仮名、アルファベット多いから頭の中で混ざるっピ。
今日気を付けてみたのは以下の点だっピ
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
・言われたことをおうむ返しにしてみる
(例:先方「〇〇が××で〜…」
ぼく「はい、〇〇が××なんですね」)
緊張し過ぎ、敬語気にし過ぎって言われたっピ。
だから今日は敬語ミスっても(敬語分かんないっピ…)(みんなそんなに気にしてないはずっピ…)で乗り切ったっピ。少し楽に話せたっピ。
・聴き取れなかったら3回まで聴き返してみる
みんな優しいから根気よくゆっくり話してくれたっピ。ありがとうっピ。名前難しいっピよ。聴き慣れないと余計に分からないっピ。
1件、社名が途中からどうしても聴き取れなくて困ったっピ。でも途中までの部分で検索したらなんとかなったっピ。ありがとうインターネット案件だっピね!
・言われたことをおうむ返しにしてみる
相手の言ったことをおうむ返しにしてたら、聴いてた上司が助けてくれたっピ。
受け渡しもスムーズになったっピね。
って言ってくれたっピ! うれしいっピ!!
ありがたいっピ。ぼくが下手くそでも見捨てないで優しく教えてくれるいい上司だっピ。
上司と職場には本当に恵まれてるっピ。みんな優しいっピね。ありがたいっピ。
無意識に漢字でメモしちゃう癖は難しいっピ。今日も創作漢字が何個かできたっピ…。カタカナ統一も試してみるっピ。一度に同じこと(喋る・聞く・書く・たまに調べる)するの難しいっピね…。
明日も頑張るっピ。
人間のみんな、ぼくと同じように頑張ってるみんな、本当にありがとうっピ。
まだぼくにできることがたくさんあるって気付いたっピ!!
もうちょっと頑張ってみるっピね!!
頑張ってるみんなが幸せになれるようにお願いするっピ!
あと、メールで済む要件はメールで送って来るようにお祈りするっピね!!
追伸
コメントにいくつかあった聴覚情報処理障害(APD)軽く調べてみたっピ。
夜中、猫のか細い鳴き声が”聞こえて”「ンネチコャン〜ンカワイイ」ってなるのに人と話してる時の声が”聴こえない”の、なんでかなってずっと考えてたっピ。
耳は良いはずなのに、話し声は異言語みたいに感じるのたまにあるっピ。
でもまだ生活に支障が出る程じゃないっピね。様子見するっピ。
ありがとうっピね。
まぁ、自分も言うて今の日本社会と政治の現状が良いとは思わんし、上部や政府の無理解や的はずれなことに対して怒りや不満を言いたい気持ちは理解できる。
しかし不可解なことがある。
これほどまでに例えば「日本は貧しくなった」と多くの者達が共感し、その話題にTwitterで万単位の拡散されてるにも関わらず何故状況が動かないのか。
こうした声があっても現状を変えたくない者達が頑なに理解しようとしないからだと言われればそれまでだが、もしかしたらTwitter民の声自体を直接関係者や官僚とかに届ける手段を用いて意見を伝えてる人がいないか少ないのではと考えた。
いや、Twitterでつぶやくこと自体が無意味なのではない。拡散性の強さと問題の透明化の側面としてはTwitterは非常に有益なプラットフォームだ。
ただ、あくまでもTwitterは世論の可視化と情報取得に強いだけ。その情報を取得した上でさらに一歩動くものがいなければ始まらない。
即ち、それを官僚及び関係者にメールや問い合わせフォームとかの直接意見を送ることではじめて真価を発揮できると言える。
これは自分が政治に関わった上での経験上の話ってか感想なのだけども。
要は「直接相手に言わなきゃわかるワケがない」ってところだな。Twitterって意見バズっても埋もれることがほとんどだし。
とはいえ結局は人それぞれ。直接言ってもわからない、わかろうとしない人間はいる。
故に他者、特に取り仕切る立場の人間に対して不信感を抱くのも無理もない。
まぁ、自分も根っから信用しているわけではない。今も昔も変わらずだ。
赤の他人を信用するってよほどの事がない限り容易に出来るものじゃないからね。
こっちが生活に困ってて、そこでじゃないと出来ねぇことがあるから、やって貰わなきゃなんないから口を挟んで首を突っ込んででもやって貰うしかないと思う。
このまま放っておいて悪化させてしまったら最悪……我々はロシアと同じ道を歩むべきではない。
だから誰に対しても無難なコミュニケーションを取ったり、どうしてそれが必要なのか教えるだけ教えたり、なかなか聞いて貰えない相手には思いもよらないことも、自分の信念とは真逆のことも言ってでも「やれば得するよ」とかやる気にさせることを試みる必要もあったりもするかもしれない。
これらはもちろん、違法にならないよう、侵害行為にならないよう細心の注意を払いながらやらないといけないってことは常に心がけるべきだ。
前例を作ってしまえば最悪要望も意見も聞いて貰えなくなるからね。
とにかく、現状を変えるにはある問題を目の当たりにした時「どうしたら良いか」「何をアクションしたら良いか」を論点にさらに一歩踏み出した手段を取る必要があるとハッキリと伝えなければならない。
Twitter民も問題提起と何が問題かを明確にすることはしっかりとできるし、そこに1歩超えたアクションをすれば問題の解決の糸口になるかもしれない。
世の中は想像以上に複雑だ。
だからこそSNSの特性、発信されている情報、どんな手段があるか等々を把握しつつ、人に頼りながらあらゆる手段を使えるだけ使って直接相手とやり合っていくしか解決の道はないのではないだろうか。
面倒ではあるが、現状が事実である以上はそうするしかないと思う。
仮に今ある問題を解決できれば日本を憂いていたイーロン・マスクからも評価されて日本に投資が来るかもしれない。
まぁ、この記事読んでる政治家も経営者も流石にいないとは思うが。
他にやり方があるなら教えていただけるとありがたい……
電話越しだった。
「あなたのことが好きなんですよ。
わかってたでしょう?」
大学の勉強とは別に読書の趣味が似てて、個人的にメールとか電話とかお茶をするようになった。
けどそれは私からしたら、同じ趣味を持った人間同士の付き合いであって、祖父でもおかしくない年齢のジジイを異性として見たことは一度たりともない。
それなのにあっちは何を勘違いしたんだろう?
やけに説教や昔話や自慢話が増えてきて、口調が甘えるみたいになってきたなと思ってたらこのザマだよ。ざけんな。
性別関係なく、誰かに恋を打ち明けるとき、今一度考えてみてほしい。
恋をするのは自由だけど、それを相手に伝える瞬間から責任が伴う。
それってつまり、私(俺)なんかにお前はふさわしいと思うから、もしよかったら私(俺)のこと、精神的にも肉体的にも搾取させてくれん?もちろんタダで!かわりに私(俺)もお前のこと、精一杯愛してやっからさ!(ニチャア)
今までは教授と学生の関係とか同じ趣味をもつ人間同士の付き合いだったけど、これからは自分のこと恋愛対象として見てほしいってことで、恋愛の土俵に立ちたいってことでおk?
ならあなたのこと人間でなく恋愛対象として評価させてもらいますけど。
あなたの愛には、誠意には、一円の価値もないです。むしろマイナス!きっっっしょ。
!!ここ重要!!
あなたが若くて美しい肉体込みで私を好きになったのと同じように、私も若くて美しい肉体を持つ異性が好きなんです。
!!!!
ひどいって?
俺には好きな女と恋する権利すらないのかって?
ないよ?
どうして自分だけ若さとか見た目の土俵に上がらないで恋愛に参加できると思ってるの?
加齢臭を放つ垂れ下がった皮膚のどこを愛せというの?俺は見た目とかじゃない?知識?経験?
じょあ私よりもずっと知識も経験もある6◯歳年相応の女と恋愛すればいいじゃん。
そういうのが自慢なんでしょ?笑
もし、あなたが20歳だった頃、6◯歳の女に告白されたらどうしてた?
嘘でも僕も好きです////とか言えた?
気持ち悪い。誰がお前なんかと!って思うくない?
どうしてパパ活とかキャバクラとか風俗が成り立ってるか知ってる?
お金を払わない限り若い女とはセックスどころか話すことすらできないくらい、恋愛対象として利用者が価値のない存在だからです。
現実と鏡を見てください。
あなたは、好意を打ち明けられたら気持ち悪いって、下手したら警察呼ばれるくらいの存在なんです。
他人に最低限のマナーで振る舞う優しさを勝手に愛情と勘違いされて、期待されて、縋り付かれて、マジでキモくて迷惑です。
☆
もし、うんと歳下の異性に恋してる人がいたら、あくまでも若者の一意見として聞いてほしいんですけどね。
あなたに愛想よく振る舞うのは、丁度あなたが上司とか目上の人に礼儀正しくするのと全く同じでそれ以上でもそれ以下でもないです。
その優しさは人と人との関係上の優しさであって、あなたのことを異性として求めているからではありません。
社交辞令と愛を履き違えないでください。
あなたは恋愛の土俵に立ったら、一気にただの激キモ勘違い老人に降格です。絶縁です。
今まで縋り付くことのできていた最低限の優しさすら享受できなくなりますよ。
男とか女とか関係ないです。
そんな歳上の異性に性的な目で見られて、あなたは嬉しいですか?
【追記】
職場でも大したことのない内容で社内メールとかの取り消し(Outlookのリバート機能)使うと、
誰かニッチャリした人が「あの件はなんですか!?」みたいに食いついてきて楽しいときがある
その子は女の子達からは「尻軽」と蔑まれていたが、小柄で童顔でどんな男相手でも分け隔てなく対応する事から、割と男人気が高かった。
中学から顔なじみだった俺と小松は時々話す程度だった。中学の頃から小松が付き合うのは何故か俺の友達のイケメンとばかりだった。気の強いイケメンばかりだったので、小松と彼氏が二人でいるときは誰も二人に近寄らず、俺は用事があるときは二人がイチャイチャしてようが平気で話しかけていた。空気を読んだ同級生たちが寄り付かないので、逆に用事があるときはその方が話しかけやすかった。
俺は小松が誰と付き合おうが何とも思わなかったので、小松が俺の友達と別れた後も普通に接していた。高校の頃に一度だけ、小松と元カレが険悪な雰囲気になった時に一切フォローをしなかった俺が小松の女友達に責められた事があって、その時ばかりは流石に「め、めんどうくせぇ~~~」と思った。小松は俺には何も言わなかった。
小松は次第に俺の友達以外の、異性と縁がないようなインドアなアニメオタク達に囲われて付き合うようになり、小松の周りには引っ切り無しにグループが群がっていたので俺は小松と喋る頻度が減っていった。次第に男の中でも小松を悪くいう奴がぼちぼち出てくるようになったが、俺は別にそれに対してすら何とも思わず、時々小松と二人になると普通に喋っていた。
小松は段々と学校にこなくなり、俺は「まあ俺も学校好きじゃねえから気持ちはわかるわ」とだけぼんやりと思い、心配の連絡もいれず、結局小松は学校を辞めた。
通学の最終日だけ小松は登校してきた。なんか色んな男女に囲われて別れを惜しまれていたので、俺は小松に一言も声をかけずに家に帰った。その日小松からメールが届いた「本ずっと借りててごめんね」
翌朝、俺の机の中には小松に貸していた本が入っていた。
まあ、退学しても、いつかまた会うだろう、割と近所に住んでるし。そんなこんなで、もう、10年以上経った。小松と会うことは無かった。
元カレは3年ほど前に久々に小松と会ったらしく、飯だけ食べにいったそうだ。そこで小松は俺の話をしたらしい。どんな話をしたのか詳細は聞いてないが「そういえば小松が言ってたけど、増田はゲイなんだってな」と友人の口から聞いた。
あのさ、
聞いて!聞いて!
こないだ推しのライブに行ってきた話をしてアルバムも発売でカバーばっかりでってなんたるちゃーって言ってた話なんだけど
よい席最前列よ!
放送で読まれなくてもいいので目は通して読んでくれるかなって、
よくあるじゃない、
読んでくれるかどうだかわからないけど、
番組を盛り上げる的にメールがたくさん届いていたら嬉しいと思うのでライブの感想も兼ねてメールを送ったのよ。
私の住んでいる街のホールに来ていただいてライブを開催してくれたので、
こんな奇跡的なことってある?
こんなこと滅多中の滅多にめためたに無いことだし、
万に一のことだと思って、
来てくれてありがとう!って内容を中心にラジオの番組にお便りしたの。
そしたら、そしたらよ!
そしたら中のそしたらで、
テンション超爆上がり!
多分3〜4回はされたと思うのよね。
おたより送ってみるものだね!って言うじゃない。
以前は番組開始当初で
お便り少なかったら可愛そうなので、
メールの数が多ければ嬉しいだろうって意味で盛り上げで送っていて
本当に採用しなくてもいいからとにかく感想を送らなくちゃ!って全く期待せずに送っただけに、
嬉しいわ〜!
応援しがいがあるじゃない。
嬉しいことよね。
よその子ども連れのお客さんのところに朝マックやって来たときの
子ども達の「イェーイ!!!」ってションテンあげみざわの盛り上がりがもの凄く端から見ていて可愛かったぐらいに、
私も心の中でラジオで読まれたことに超「イェーイ!!!」ってなったわよ。
この虎を捕まえるためには屏風から虎を出してください!
たまーにこう言う嬉しいことがあるから
やめられないのよね。
うふふ。
珍しく2択の選択肢がなかったわ。
2リットル飲みきってまた水出しルイボスティーウォーラーです。
たくさん作り置きして早く飲み切っちゃわないとだけど、
作り置いて置くと忙しい朝とかは便利この上なく助かるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
化石みたいなキャリアメールの引き継ぎとか推進してるんじゃなくて。
電子書籍が普及し出してウン年たち、
元々本好きだけど置く場所に困ってた自分は紙の本を自炊していたが、
面倒臭さと裁断後の本(だった紙束)があまりに物悲しく、電子書籍ユーザーとなった。
平たく言えばkindleで本を買いだした。
しかも発売日の午前0時には手元にある。
が、使いだしてわかったが、kindleはリーダーアプリがクソ。
続刊出たらグループ外の扱い(別で表示される)とかなんやねん。
硬派な文学本の隣には、パンツ見えそうなキャラ絵が表紙のラノベが並んでる。
紙の本の時は、ジャンル、シリーズで几帳面に並べていた自分としては許し難い状態。滅べ。
と、文句を言っておきながらなんだが、
kindleから別サービスに移る気はない。滅んだら困る。ごめん。
いっときネットを賑わせたDMMブックスの大幅割引キャンペーンでも購入を泣く泣く見送り、いつも通りkindleで本買った。
この本はkindleで、たしかあっちのシリーズはBOOK☆WALKERに…とか覚えとくだけで発狂するわ。
なので過去の自炊分(これ以上増えない)はPDFリーダーに置き、それ以降はkindleに置くという運用で定着している。
さすがにkindleがサ終するとは思ってないけど、
もしAmazonがゲスい顔して"本棚の管理もタダってワケにはいきやせんねえ…。つきましては、本棚管理料、月300円で手を打ちやしょう"とか言ってきたとしても、
かといって、今後もずっと囲い込まれてるのはなんか違う気がするんよなー。
いつサ終になるか心配してるって話も聞いたし、
正直自分も、今後魅力的な新サービスが出てきても、過去の資産が足枷になって身動き取れないと思う。
で、ようやくタイトルに戻るんだけど、サービス間で本の引き継ぎ権が欲しい。
たとえば、購入履歴の引き継ぎみたいな事ができて、
この人はAmazonでこれ買ってたよ、って情報があれば、新サービスでも購入済み扱いできるような。
ただ、こんなのサービス側では損しかない(囲い込めない)ので調整なんか進む訳ないから、国に法律で引き継ぎ権を義務付けて欲しい。
結局それが公平な競争を生むと思うんだけどなー。
当たり前だろ。
急用がないのを確認してからならのんびりコーヒー飲んでてもいいけど上司への報告事項や返信要件があったら始業前だろうと全力でワークだよ。
コーヒー飲んでりゃいいだけなのかは分からないからな残業代は出ないけどね。
案外ならんぞ
外資に勤めてるとそういう部署のクソみたいなメールがたまーに誤ってall宛に流れてきたりするぞ
日本人は海外に比べて働かな過ぎだがそれはトップレイヤーと底辺(スリーアウト)に限った話で
真ん中くらいは日本と同じで働いとらん
ふるさと納税をお得に使うための手段としてペイペイでポイントを貰うのが最高効率となっていたのでペイペイを始めようとした。
ペイペイを始めるために個人認証を通そうとするとマイナンバーでの登録がおすすめされたのでそれを選ぶ。
顔認証が通らない。
またばきチェックのために10分ぐらいまばたきをスマホ相手に繰り返すも失敗。
仕方がないので免許証で登録しようとすると、スマホのNFC(おサイフケータイ)が死んでいて免許証のチップが読み込めない。
嘘だろ?
よくよく考えるとこのスマホは大手のボッタクリで契約したままダラダラ使ってきていて最近流行りの格安コースにも切り替えていない。
いい加減買い替えと格安への更新を考えようと調べだすともう何が何やら。
キャリアメールを続投する方法もよくわからんしSIMロックの状態とやらも意味不明。
なんかもう疲れた。
会社で暇なときとテレワークで暇な時、報告書に書くことは一緒だろ
あとチャットやメールで問い合わせるだけでカメラがオンになったりしねーわ。めんどくせーだろ。そもそも基本カメラはオフなんだわ。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。