はてなキーワード: ソロとは
自分も中年になってからギター黙々と一人で練習してるけど、ストレス発散が主な目的だからなあ
YouTubeとか上手すぎる人が多いんで公開する気になんてならない
Li-sa-Xみたいな子供も世界中にいるし、欧米だけでなく東南アジアとか中国も凄い人がいっぱいいるし、
そもそも子供の頃から機材とか環境が恵まれている人とか見ると自分の子供時代と比較して正直ちょっと落ち込むけど、
なんか別世界見てるみたいで、嫉妬よりも、すごいなー、と思うだけになってくるというか
あと、プロみたいな演奏レベルの動画に、まあ嫉妬とかルサンチマンなんだろうけど、
下手糞だのなんだのイチャモンのコメントを書く人がいてげんなりさせられたり
自分が下手なりに演奏したり、演奏は下手でも発見したことの解説動画を公開しようとも思ったけど、
変なコメントに対応したりミュートするのも面倒だよなあと思ったり
そもそも、他人に目立つ派手なことで活躍したり儲けたりできる人って、
そういうやっかみとかアンチに対するストレス耐性がある人だと思うんだよなあ
自分にはそういう耐性はないんで、他人の批判に対応するぐらいだったら、
一人で黙々弾いて採譜したりしてる方が気が楽だし、
目立つことをするから変な奴とエンカウントする確率が上がるわけで、
だったらネットで活躍したりチヤホヤされたり儲けたりできなくても心の平和が一番みたいに思ったり
あと、ベースだけでも完結できるんではないだろうか
ハナワみたいな感じだけど
弾き語りするならエレキギターよりアコギだと思うし、ベースでないギターのコードの方が音の厚みはあるわけだけど、
ベースギターは基音かコードトーンを必ず抑えてるわけで、ベースという名前通り縁の下の力持ちであって、
たまにリードギターとボーカル兼任する人とかいるけど、歌ってギターソロ弾いてまた歌うとかつらいと思うし
ドラムは打ち込みでもいけるから、ハナワみたいな方向性はいけると思う
というか、ベース弾けるなら普通にアコギとか弾けるはずだし、音楽理論も分かってるはずだと思うので、
一人で外で弾き語りはちょっと危険なので、誰か見張りとか用心棒に一人誘って駅前とかどうだろうか
いきものがかりだったか、酔っぱらいにマイクとか楽器を奪われたりとかありうるから、
トイレ休憩で楽器を見張ってもらうためにも一人とか二人とかいる必要があると思う
あと、ボーカルは楽器弾けて音楽理論分かってる人が望ましいけどカラオケが上手い人でもいいわけで、そういう人に歌ってもらうとか、
まあ、外で弾き語りとか夜は怖いこともありうるので市民サークルみたいなのでもいいだろうし
楽器店とかでも、スタジオが設置されてて習えたり、適当なメンバーで弾いたりできる所もあるんで、
仕事から帰宅する途中に寄れそうな範囲で探してみるとか、色々ある気もするのだけど
自分も嫉妬というか、すごい人見て奮起して、三日坊主だったり挫折して、
また思い出したようにやり始めて、の繰り返しの人生なんだけど
アジカン後藤さんのソロ、「Around The Lives By The Sea」がとても素晴らしい。
彼の在籍するバンドは、00年代以降のいわゆる「ロキノン」(個人的にこのくくり方は好きじゃないが)街道を大手を振って歩んできたように思われているけれど、実は様々な挑戦と苦悩にあふれた作品ばかりだと個人的には思っている。
「新世紀のラブソング」以降、彼の手掛ける作品は、バンドでもソロでも、ラップという手法をどう自分にあったスタイルに昇華させていくかという試みが数多く見れたが、今回の新作ソロアルバムでちゃんとオーガニックさあふれる方向で着地したというか、ある種彼なりの完成形にもっていけているような気がした。
気になったことが1つある。
https://www.youtube.com/watch?v=-RAFr8g46ic
タイトルが「Farewell, My Boy」で、"小さな箱に詰めた白百合と木漏れ日に滲む薄い紅よ"という歌詞は小さな子供の葬式を彷彿とさせる。
今回のソロアルバムでこの1曲だけ、明らかにテイストが違く、かなり個人的なことを歌っているのではないかと思う。
この曲だけ、何にも例えようのない、誰かに聞いてほしいけれども聞いてほしくない、深い悲しみに満ちている感じがする。アルバムの中でこの曲だけが放つ、違和感ともとれるこの手触りはなんなのだろうか。
木漏れ日に滲む薄い紅よ
Farewell, my boy
見覚えのない この坂道を
登って少し行けば君の家さ
Farewell, my boy
Farewell, lovely boy
例えば
僕らはどこまでも捩れた首飾り
こぼれ落ちた そのひとつ粒が
絡まった愛を解いて
Farewell, my boy
Farewell, lovely boy
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
私は二ヶ月前からゴルフをはじめた。しかしゴルフ道具一式は何年も前から持っていた。ゴルフ靴もボールも何ダースも買いこんで持っていたが、二ヶ月前までゴルフをやらなかったのである。
なぜやらなかったかというとむろん然るべき理由はある。そしてそれは一つの訓戒を守ったためであるけれども、訓戒を守ることは大切だということを、その結果として近ごろ痛感しているのである。
私は子供の時から胃弱で、それが唯一の持病である。そのため適度の運動が必要で、終戦後キャッチボールをやった。手軽にできる運動はそれだけだからだ。
ところが私の年齢ではキャッチボールは無理だ。十ぐらい投げただけで肩の痛さが堪えがたくなり、運動の役にたたない。
そのとき、さる人がゴルフをすすめて、胃弱にこれぐらい適当なスポーツはないから是非これにしなさい、道具を格安でゆずろうという。その人は大金満家でゴルフ狂であったから、最高級のゴルフセットを四つも五つも持っていた。その一つを私にゆずってくれることになった。
五十本ぐらいもある大きなセットでウィルソンの最高級品とかいう話であったが、十万円か十五万円ぐらいか、売る方も値のつけようがないらしい。買う方に至っては、そんな大金が有りっこない。そのうちに金ができたら買いましょうなぞとお茶を濁していた。
そのころ獅子文六さんと会ったら、ゴルフをしなさい安吾さんや、とすすめるから、実は拙者もそのつもりで、十万円だか十五万円だかの金策に頭をなやましている旨を有りのまま伝えた。
すると文六さんは話半ばにカンラカラカラと笑いとばして、おもむろに眉をしかめて、
「昔の金に換算すると、十五万円でも格安らしいですがね」
「いけませんよ。十万円は天下の大金です。初心者がそんなゴルフセットを持つ必要はない。お前さんは四万五千円で犬を買ったろう。犬に四万五千円の大金を投じるとは、なさけない人だね」
その席に坂西志保さんがいた。坂西さんは犬猫の大経験者であるから、
「コリーは高価な犬ですよ」
と取りなしたが、微醺びくんをおびている文六さんは受けつけない。
「安吾さんの買い物には乱世の兆があるね。私が格安で手頃のゴルフセットを世話するから、乱世の商談はやめにしなさい」
その晩は文六さんのウィスキーの肴にされたが、もともとゴルフ道具は高価なもので、特に私が買う筈だったのは最高級品だったから、乱世の兆があるほどのソロバンとも思われない。要するに私は文六さんのウィスキーの肴にされただけだろうと考えて、当夜のことは忘れてしまった。すると、そうでないことが起ったのである。
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みんな忘れたころに、運送屋が大きな荷物をドサリと持ちこんだ。同時に文六さんからのハガキがとどいた。
弟が新しいセットを手に入れて古いのが要らなくなったから君にゆずらせる。高級品ではないが、初心者には十分と思う。代金は二万円だが、ついでの時でよろしいという文面であった。
ちょうど東京でゴルフ道具のブローカーをやってる人が来合わせていた。アチラ物なら五万円ぐらいでお世話しますというような話の最中であった。
文六さんが送ってくれたセットは、アイアンは全部マクレガーであった。ちょうど五万円という話の最中の品物であるから、相場にしては安すぎるが、と訊くと、
彼はいきなりシャッポをつかみとって、さっさと帰ってしまった。文六さんはブローカーを走らせたのである。
ところが文六さんが私にゴルフをすすめるについて、特に一ヶ条だけ訓戒を垂れたことがあったのである。
「ゴルフというものはヘタがたのしむ遊びであるが、ヘタにも限度があって、我流でやると進歩がない。習いはじめに悪いフォームが身につくとそれまでだから、最初の何ヶ月はプロについて正しいフォームを身につけなければならない。この一ヶ条は堅く守らなければいけませんぜ」
ということをまア五六ぺんはコンコンと訓戒をうけた。よほど我流の悪癖を身につけ易い人物と見立てたらしい。
一しょにゴルフ場へでかけようと計画をたててるうちに、張本人の文六さんが胃カイヨーで入院手術した。退院して湯河原で静養中に、ゴルフボールを一ダース退院祝いにぶらさげて遊びに行くと、さっそく箱をあけボールをとりだして眺めたり撫でたり、まるで舐めやしないかと思うような喜びようであった。しかし、そのあとが、よくなかった。
「ニューボールというものは仲間同士がトーナメントでもやる時に三つほどずつおろすようにしなければならない。初心者がニューボールで練習するなどとは言語道断の話で、ゴルフ場へ行くとキャデーが中ブルのボールを安い値で売っているから、練習はそれで間に合う。ニューボールを何十ダース何百ダース所蔵するのは心あたたまるものではあるが、それは使わずに、時に眺めつつ所蔵せることを楽しむ境地がよろしいな。安吾さんもゴルフとともに、この心あたたまる境地を会得して欲しいな」
また乱世の兆しについて一本クギを打たれたのである。文六さんが乱世の兆しを排撃するについては、口頭だけでなく実質的に力行の士であることを体得していたから、論争の余地がないのである。
「半年後にはゴルフができると思うから、それまでにプロについて正しいフォームを身につけておいてくれたまえ」
約束して別れた。
活字にほとんど触れない生活を送っている僕の知見によると、となりの市にある市営図書館ほど素晴らしい図書館はない。僕は、自分が住む市の図書館には行かず、時間をかけてわざわざその図書館に通っている。本を読むわけでもないのに。
有名なアルバムだったら大抵そろっているし、廃盤になった隠れた名作なんかも貸し出しされていることがある。新盤を除けばツタヤなんかよりずっと品揃えがいいし、廃盤になったアルバムを聴くために、定価の倍以上の金をメルカリ出品者に貢ぐ必要もない。
受験生だった頃は、受験勉強という名目で毎週末は図書館に通い、
土曜にCDを上限(5枚)まで借りる→家に帰ってPCに取り込み→日曜に返却してMAX枚数借りる→次の週に返す
というルーティーンを繰り返していた。CDがずらりと並んだ棚の前で、勉強をサボっている罪悪感を感じながら、何を借りるべきか吟味するのは、とても楽しかった。大学全落ちという後の結末を知っている今でもなお、後悔はしていない。
今日は4枚のCDを借りてきた。不朽の名作たちを、一つずつ紹介しよう。
YUKIソロ作として、初のオリコン1位を記録したアルバム。収録曲「JOY」を聴きたかったけどYoutubeでは曲の半分しか上っていなかったので借りてみた。「JOY」って、ちょっと寂しくて、懐かしい感じがいいよね。ジュディマリは高校時代によく聴いていたけど、ソロ作はほとんど聴いたことがなかったので、そこらへんも期待。
宇多田ヒカルの曲は「Automatic」くらいしか聴いたことなかったけど、エヴァ主題歌の新曲をYoutubeで偶然聴いたら良い感じがしたので借りてみた。当然新曲の貸出なんて無いので、エヴァ序の主題歌が収録されたこのアルバムを選択。打ち込みのリズムや、騒がしくないのに濃密なフィールが心地よい。90年台の宇多田ヒカルの曲より、あたらしめの曲のほうが好みかもしれない。
初めて聴いたくるりの曲は「琥珀色の街、上海蟹の朝」だけど、そのときは意識高い雰囲気しか感じられなくて好きになれなかった。しかし先日、増田で「ばらの花」の存在を知り、Youtubeで聴いてみたら気に入ったので借りた。フジファブリックの「若者のすべて」と漂うムードがどことなく似ている。さびしく懐かしいような、失われた青春感がすてき。こういう曲はとても好きなので、アーティストにかかわらず、他にもあれば、是非教えてほしい。
・たま - ろけっと
本日の目玉。廃盤であり、限定で再発されたこともあったけれど、中古価格はさりげなく高騰している。メルカリだと定価の六割増し程度の価格で取引されているが、たくさん金を払って手に入れたとしても、作った人には1円も入らないんだから、むなしいものである。ともあれ、今回はタダで聴けたんだからラッキーだった。
レアなアルバムだけど借りる人が少ないのか、歌詞カードは図書館で貸し出しされてるものとは思えないほど綺麗だった。ジャケットや歌詞カードの絵は、絵本「わにわにシリーズ」の絵を手がける山口マオ氏のもので、とてもかわいい。ろけっとにくくりつけられた石川浩司氏の腹が出ている。
一番のお気に入りは「あの娘は雨女」。Youtubeでも聴けるから是非聴いてほしい。「さよなら人類」を凌ぐほどの隠れた名作。この曲を聴いたら、『たまは一発屋』なんて愚かな発言は口が裂けても言えなくなる(はず)。
仕事以外の時間は黙々とガンプラ作って、そのまま孤独死したいとか考えてる人なら構わない気がするんだけど
まあ、社会とか周囲がそういう生き方を許さないという風潮の方が問題な気がするというか
多分、北欧とかもそうなんだろうし
もちろん、それが自殺率とも関係するんだろうけど、北欧は日本と違って生命権だけは保証されるので
そういうのが幸せと感じるか不幸と感じるかの違いなんだろうなあと
国に生命を保証されたKKOが雪深い家の中で黙々とメガデモのコード書いたり、メタルのギターソロ考えたり、
ただ、そうやって自分の時間だけを楽しんでいるうちに死が近くなって、
生命は保証されるけど金がなければ結婚もできないし楽しかったことも飽きてきたし自殺するかなあ、
みたいに考えるのは不思議ではない気がするし、
Survivalist: Invisible Strain
という720円のゾンビサバイバルゲームがめちゃくそに面白かったので
その興奮を書きなぐろうと思う。
今作はSteamで販売中のアーリーアクセス(β版みたいなやつ)のゲーム
https://store.steampowered.com/app/1054510/Survivalist_Invisible_Strain/
Steam内で日本語訳してくれた人が非常にまとまった日本語ガイドも書いてくれてる
・人間の敵も出てくる
・箱庭系
近いゾンビ物としては
ゾンボイド(サバイバル系)が一番近い。
あれも、ゾンビが強くて、水や食料の確保が大変で、四季があるゲームなので。
今作の大きな特徴は、
ソロではなくコミュニティ(以下「村」と表現する)を形成し、発展させる、という所だと思う。
ゾンビ世界を生きるサバイバーたちは、1km×1km四方のマップにおよそ80-100名ほどおり、
その全員に名前があり、能力値があり、性格があり、人間関係があるというのがすごい
例えば襲ってきた野盗を屈服させて仲間にしても、
話すとその後ずっと他の野盗仲間を殺したのは許せないとか言ってるし
△△に良いプレゼントをした、××は野盗の脅しに屈した、●●は盗みを働いていた、
等々の噂話を語るし、
何の罪もない旅の商人が拠点から出ていかないからって撃ち殺したら、
その手を下させたおじさんはPTSDみたくなって無気力になっちゃったり、
それを目撃してしまった村内で繊細と言われていた人もショックを受けたりする
そう、あの憧れのゾンビ世界での人間関係のギスギスを楽しめるのだ
ゲーム画面がちょっと特殊なので、自分の村以外の事件や小競り合いなども
たびたび「一方そのころ…」ってな感じで実況が入ったりするのだけど、
近所の友好的で平和な村内で
ゾンビの襲撃により誰かがゾンビ化してしまった事件が起こったらしく、
その後どんどんお前のせいだっ!つって粛清が起こり、
村内の人数が半分に減ってしまった
お前んとこがやったんだろ!つっていきなり友好的から敵対関係になって襲ってくる
誤解だってば!!(今後は村Bの近くに死体を置いてなすりつけることにした)
そのギスギスは冬場に勃発する事が多い
普段は村の周辺でうろうろしている人たちが食料を求めて、
プレイヤーがあらかたのゾンビを駆除して割と平和になったフィールドを
平和村Aがプレイヤー村は門を堅く閉じて落とし穴罠まで掘ってるので立ち寄れず、
食料豊かな平和村Bの周りをうろうろするも、なんか平和村Bの周りに、
想像するに、貯蔵してある作物を盗んで殺されて行ってるんじゃないかな、と
元々平和的な人達が狂うのが一番タチが悪いというのが楽しすぎるんだよな…
ゾンビ肉でシチュー作ってプレゼントし、ゾンビ感染を蔓延させるとか、
○ご飯
朝:なし。昼:ミートスパゲッティ。コンソメスープ。夜:イカとアサリとエビと鶏肉とパプリカを炒めたあとお米とパエリアの素を入れて煮込んだやーつ。(パエリアの素使ったんだからパエリアでは?)茹でたアスパラと豆腐を混ぜて胡椒をまぶしたやーつ。(これは…… なんだ?)
○調子
木曜日早退して金曜日サボってなので月曜日は久々に出勤ですから、少し緊張しています。
心の安定が崩れてるので、無理せず程々にお仕事しようと思う。
○プリコネ
プリキャルは190連で引けました。
そんなわけで早速鍛えてボスバトルで使おうとしたのですが、今回のボスめたくそに強くて大苦戦。ノルマの5凸以内すら無理で6凸かかった。
そのあと色々模索して、なんとか4凸できた。
モード2でハロウィンツムギが活躍できたのがクソ嬉しかった。一番好きな子なのでこうやって活躍させれると嬉しいねq。
○ワーフリ
ソロで遊ぶTAイベント、競い合う要素が無いので久々に自分だけで編成組んで試行錯誤して全部クリア。レベル4のゴーレムでは早速次に書くガチャで取得したキャラが活躍してくれてよかった。
それとガチャ更新。妙に強い水のスキルアタッカーと、僕の好きなアルムと相性のいい闇のマルチボールサポートで興奮したのと、プリコネでいっぱいガチャ回した影響で、メッチャ深追いしてしまった。(200連ぐらい?)
すっからかんなので、1.5までは貯石だろうなあ。
「魔族を集める」って大目標を見失いがちになるの良くないな。
プリコネは割とツムギ、レイ様、フェス限以外は引かないように自制できるんだけど、
このゲームは無料石じゃ天井できないから、貯石の考え方が難しい。
まあこんだけ追って引けないのよりは随分マシなので引いたキャラ育てて、石が貯まるまでは魔族が実装されないことを願ってよう。
○グラブル
闇ドラポン5凸して、ドラポンコンプリート。
次はまあ普通に考えるとアスポンなんだけど、マジでプシュケー連戦が苦行でしょうがない。
○ウマ娘
ハルウララでURA優勝、やったぜ。
ただこっから先は難しそうだ、ほどほどにガチャを引く必要がありそうなんだけど、大好きなアグネスデジタルのために貯石もしたいし。
こないだ行ったサウナのテレビでたまたまホリケンがソロで数分コントしてるの見たんだけど、その時サウナ室内にいた二十人くらい誰一人クスリともしてなかったわ。
ホリケンを面白いと思ってる人もはや日本中に誰一人いないでしょ。
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・二十人程度では日本国民のサンプル数としては少ない。このサンプルから日本中の意見として結論づけるのは無理がある。
・二十人“くらい”という記述をしており、実際はもっと少なかった可能性がある。私は数字を盛って自身の主張の根拠を強めようとしていたのかもしれない。
・私は男性であるため、当時サウナには成人男性(しかも銭湯には刺青の入った人間は入れないため、カタギの成人男性のみ)しかいなかった。これではヤクザにホリケンのコントがバカウケしている可能性を否定できない。
・私が訪れていたのは神奈川の銭湯であり、当時のサウナには神奈川県民が多くいた状況と考えられる。笑いには地域性が生まれることから、大阪でホリケンのコントがバカウケしている可能性を否定できない。
・サウナにいる全員がテレビを視聴しているとは限らない。サウナタイマーの進みに集中していてホリケンのコントを見ていない人が笑わないのは当然である。
・面白いと思っていたとしても声に出すとは限らない。面白いと思ってニヤけ顔になっていた人がいたかもしれず、そのケースがカウントされていない。
・ホリケンはソロコントでは輝かない才能である可能性がある。ツッコミが入ることによって光る才能なのであれば、ソロコントで彼の面白さを決めつけるのは彼にとって不利な判断だ。
本当に長いな
最高難度迷宮でパーティに置き去りにされたSランク剣士、本当に迷いまくって誰も知らない最深部へ……。~「戻ってこい」と言われてるかどうかもよくわからない。俺の勘だとたぶんこっちが出口だと思う~
魔石があればお前は不要だと勇者パーティから追放された特級宝石師、使用者を超強化する加工魔石<マテリア>屋を始める ~魔石が壊れたから戻れ? S級冒険者や騎士団御用達のお店になったので絶対に嫌です~
初級職【アイテム師】を追放したS級パーティの評判が世間で地に落ちているようだ〜騎獣から王宮、鍛冶屋に商店、冒険者ギルドや冒険者まで怒っているらしいと噂で聞いたが、まさかアイテム腐らせてたりしないよな〜
虐げられ続けた無能力者だけど、俺だけドラゴンの言葉がわかるので、SSS級スキルもチートアイテムも選びたい放題。お金も名誉も手に入って幸せになるから、俺を虐げた奴らはどこかで野垂れ死んでてくれ
【悲報】生殺与奪の権を竜に握られた人類、竜国の使者を「田舎者」呼ばわりしてしまう ~俺は学院生活を楽しみたいだけだから気にしないけど、俺を溺愛する竜王族の姉は黙ってないかもしれません〜
「魔力支援役なぞいらん!」と勇者に追放されたけど…パーティの魔力は全て僕が供給してたんだよ?魔力不足で聖剣が使えない?もう遅い。メンバー全員が勇者を見限ったので◆《魔力無限》のマナポーター
ブラック国家を追放されたけど【全自動・英霊召喚】があるから何も困らない。最強クラスの英霊1000体が知らないうちに仕事を片付けてくれるし、みんな優しくて居心地いいんで、今さら元の国には戻りません。
ブラック魔道具師ギルドを追放された私、王宮魔術師として拾われる ~実は王国最高レベルの魔法使いだったと気づいてももう遅い。ホワイトな宮廷で評価してくれる人たちと幸せな新生活を始めます~
陰キャな僕を大嫌いなはずの幼なじみと結婚した結果~実は僕のこと大大大好きだったことが判明。外でクールな高嶺の花だけど、僕にだけデレデレ。女子達が気になって声をかけてくるけどごめん、もう結婚してるんだ
追放された最高の修繕師、冒険者を辞めて念願の店を始めたら、一流パーティーや王族からの依頼が止まらない。~今さら戻ってきてほしいって? それに自分たちの装備も直してほしい? 謹んで、お断りします!~
俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター~無駄な人材を適材適所に追放してるだけなのに、なぜかめちゃくちゃ感謝されている件「なに?今更ギルドに戻ってきたいだと?まだ早い、君はそこで頑張れるはずだ」
「雑魚には鍛冶がお似合いだwww」と言われた鍛治レベル9999の俺、ギルドを追放されたので冒険者になり最強武器で無双する〜戻ってこいと言われてもお前らに作ってやる武器なんてないぞ?〜
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