はてなキーワード: まだ子とは
状況を何とか打開したかった人間の王は特別討伐隊を結成することを決める
その中心人物として選ばれるのが主人公
いわゆる勇者だった
みんなで色々アイデアを出しあって交換ノートみたいのも作ってた
とくに目的があるわけでもなく、なんとなくなノリでそうなっていったのを覚えてる
だいたい16、7年ぐらい前の話
自分とKくん(一番仲良かった子:仮名)で考えた物語は今でも覚えてる
主人公である勇者に、鬼畜&不幸な設定をドンドン付け足していき
国王への謀反を企てた罪(実は冤罪)で投獄され、一族を皆殺しにされていた死刑囚
魔王を討伐すれば罪を帳消しにするが、逃亡したり裏切ったりすれば即死すると告げられる
そんな死刑囚勇者であったが、もともと随一の切れ者だったこともあって
みるみるうちに戦果を上げて、周囲の信頼を勝ち取っていく
そして言葉巧みに王に取り入ったことで、ついに死の呪いを解かれるのだった
勇者は魔王軍に取り入り、国王をはじめとした全ての人間を虐殺しようと計画していた
魔法によって惑星はド派手に爆散し、すべての生命は消え去るのだった
そして、魔法は周囲の星々も連鎖的に巻き込み宇宙中に広がっていきました
おわり
モノづくりの楽しさみたいなものを初めて感じた時でもあった
だんだん凝った設定を考えるのが楽しくなっていき
アイデア収集のために色んな本や映画をみるようになったのも覚えてる
でもKくんは違った
ひとり抜け、ふたり抜け、という具合に仲間が減っていく間も彼はその遊びに没頭していた
完成した彼の作品をいくつも遊ばせてもらったけど、どれもすごく面白かったし
処女作をいの一番に自分にプレイしてほしいと言ってきた時は本当に嬉しかった
そして新作が出る度に練度が上がっていくことに驚かされた
彼は、自分が微妙だと言った部分をきちんと修正してきてくれたからだ
プレーヤーの痒い所に手が届くように、何度も何度も細かい改良を重ねてくれた
そんな彼の姿勢に応えなければと思い、自分も真剣にプレイするようになった
そうこうしているうちにネットの方でも彼の作るゲームは徐々に人気を博していき
Kくんはすごく沢山の人から賞賛の声を浴びるようになっていった
一番のファンである自分にとっては彼が賞賛されることがたまらなく誇らしかった
ひとかどのゲームクリエイターとなった彼を見た時は心臓が跳ね上がった
なぜ本人経由で知らされなかったかというと、彼との縁を切ってしまっていたから
Kくんが有名になっていくにつれて、まだ子供だった自分は彼に対して嫉妬を覚えるようになっていった
初めのうちこそ友人として真摯にゲームをレビューしてたんだけど
ゲームの内容よりもKくんのことが頭をちらついてどうしようもなかった
多くの人々から絶賛されるKくん
将来有望なゲームクリエイターとして色んな集まりに呼ばれるようになったKくん
ビジュアル、音楽、プログラムといった色んな要素を一人で手がけるようになったKくん
ゲーム制作サークルに所属して、年上に混じって作品を作るようにもなったKくん
ゲームのファンだったという年上の女の子と付き合い始めたKくん
対して、これといって誇れる能力のない普通の(モテない)子供だった自分
Kくんがどうしても羨ましくて妬ましくて、彼に対して卑屈になるしかなかった
そんなこともあって、彼との関係も徐々に希薄なものになっていった
あの頃に戻りたいとは思わないし
今でもKくんと交友を続けていたかったとは思えない
でも後悔はしている
卑屈になるしかなかった当時の自分をなんとかしたいと思ってしまう
どうにかして何かしらの生きがいを見出してあげたいと思ってしまう
ダラダラと無職を続け、誇れるような生きがいを何も持てていなかった自分にとって
彼の名前をネット上で偶然見つけたことは胸を抉られる出来事だった
夢を叶え、輝かしい実績を積み上げてきた彼を直視することはできなかった
そういうのはもう気にならなくなっていたと思ってたけど
ただ単に考えないようにしていただけだったと思い知った
惑星を丸ごとぶっ壊して全部終わりにしたいというあの気持ち
まさか今になって、自分が面白がって生み出したキャラクターの気持ちを味わうことになるとは思わなかった
子供が私に似ていてかわいそうだ。
自分の主張を人に伝えることができない。
空想ばかりしていて現実を見ようとしない。
何でも人のせいにする。
片付けができない。
同じ失敗を何度も繰り返す、予防のための工夫をこらすこともできない。
将来何になりたいか、と聞いても、わからないという。
結婚はできないし、自立なんて無理だという。
何をするにつけても失敗を怖がって、こちらがかなり強く背中を押さないとやろうとしない。
遺伝もあるだろうが、私の育て方も悪かったのだろう。
まだ子供だというのに、これからのことを思うと心配でいたたまれない。
この先、世間の荒波に放り出されて生き残っていけるんだろうか。
こんなふうに産んでしまって、こんなふうに育ててしまって本当にごめんなさい。
申し訳ない。
それでも、あなたのことをとても大切に思っているつもりなんだよ。
もっと小さい頃にこう接してやれば良かったとか、後悔しても仕方がないのはわかるけれど、思い返さずにはいられない。
こんなこと、直接伝えたりしたら、傷つくだろうから言えない。
でも本当にごめん。
新人SEの皆様には改めて「なぜ、IT業界には営業が必要か」をご説明します。
【営業がいない場合】
【営業がいる場合】
開発「営業氏ね」
=================
IT土方だけど、最近受託・常駐問わずプロジェクトの炎上率が高い。
休職に追い込まれるエンジニアは後をたたないし、まだ子供が生まれてなくて技術を持っている若手~中堅のほとんどが転職を視野に入れてる。
何でプロジェクトが炎上するかって、営業の取ってくる案件が社内の人数や技術力に見合っていないからだ。
常駐案件ばっかり取ってきても、もうオフィスに人間残ってねぇよ。
ビッグデータ分析案件ばっかり取ってきても、分析したデータを見せる画面作れる人間がいねぇよ。
「ちょっと考えりゃわかるだろうに、何で営業は平気で炎上案件取ってくんの?」っつったら、同期に指摘されたよ。
「営業にとっちゃ取ってきた仕事が絶対なんだよ」
「仕事に上も下もないんだよ」
「どんな仕事でもなんとかするのがエンジニアの仕事なんだよ、少なくともこの会社では」
それって負のループじゃねぇのかよ。
やっと取れた技術力に見合わない仕事を死にそうになりながらこなす。
介護業界の平均月収が国民平均より8万円も安い、って話題になってたけどそれより安い俺の月収。
俺は転職サイトに登録した。
ずっと好きだったんだぜ
君は今も綺麗だ
ずっと好きだったんだぜ
ついに言い出せなかったけど
言ってみたいです。言われてみたいです。
どうしてわたしたちは言わずに叶わなかった不完全燃焼の過去の恋を綺麗な想い出として残してしまうのでしょうね。
言ったところで叶ってなかったかもしれないのに。
二人きりで遊ぶような仲良しのお友だちになりました。
もちろん振られました。
私は「分かってたから気にしなくていいよ。でもこれからも今まで通り仲良くしてほしいよ」といった主旨のことをお願いしました。
お互いの性格もあってか、告白は無かった事になったのかな?というくらいに元通りの関係でした。友達も気がつかないほどに。
私はずっと諦めようと思っていました。
ともだちでいるほうが幸せだと。
けれど諦めることはできませんでした。
他に彼のことを好きだという女の子の噂を聞くたび、悲しい気持ちになっていました。
遠くなっていく気もしました。
けれど家に帰ってからはよくメールをしていました。
変わらない彼でした。
メールでした。嬉しすぎて携帯を握りしめて泣いたことは今でも覚えています。
まだまだ子供でした。
お金もありません。
私はなかなか会えない寂しさから、彼に嫉妬して欲しくて色々な事をいいました。
私は彼を嫌いにはなれませんでしたが、あまりに会えないことが耐えられなかったのです。
「もう冷めたの?」「そういう訳じゃないけれど色々と忙しくて、お互いのために別れたほうがいいのかなと思ってた」「そっか。じゃあ別れようか」
こんなやり取りだったような気がします。
仲良くしていてぶつかり合う事は無かったので結局彼の気持ちは分からないままでした。
その時の私は、絶対にこの人よりもいい人がいると思っていました。
すぐに忘れてしまうと。
けれどなかなか出会えません。
すこしいいなと思うひとがいても、どうしても彼と比べてしまいました。
彼が高校へ通う路線のバスを使うときには、いつもドキドキ彼の姿を探していました。
彼の近所へ用事がある時にも意味のない緊張をして、街でよく似た後ろ姿を見かけるだけで心臓がギュッとつかまれる感じがしました。
私が大学への進学が決まった頃、2年ぶりにバスで再会を果たしました。
心臓が止まるかと思いました。
髪の色が変わってだて眼鏡もしていましたがすぐにああ、彼だと分かりました。
目があった途端、昔と変わらない笑顔で久しぶり!!!と私の名前を呼ばれました。
冷静を装い、久々の再会をただ喜ぶ様子で、家まで隣に座って帰りました。
本当に変わっていませんでした。
当たり障りのない思い出話をして、あの子は何してるとか、あの人覚えてる?とか。
私たちが付き合っていた事にはお互いに触れませんでした。
わたしがふと携帯を取り出すと、そこにつけていたストラップをみて「まだこれ好きだったの!?」と笑う彼に、ずるい、と思いました。
どうしてそんなこと覚えているの、と。
わたしの好きな芸能人もまだ好きなの?と聞かれました。
覚えてくれてたんだ、と。ずるい。
その日から、1年くらいの間に4回ほど同じバスになることがありました。
こんどご飯でもいこうよ
悔やんでどうするのかもわかりません。
誘ったところで叶っていたとも思えません。
彼と別れてから2人の人と付き合いました。
きっと彼もわたしのあとに誰かと付き合った事でしょう。
今の彼氏と付き合った事で、彼に対する未練はようやく軽くなりました。
けれどあんなに純粋に、長く、ただただ大好きでいられたひとは彼が最初で最後です。
私は、大人になってしまいました。
彼は今、アイドル活動に近い事をやっているようです。
彼がこのエントリーを見ることは無いでしょう。
辛いとき、寂しいとき、ついついあなたのツイートを読んでしまいます。
有名になれるといいなぁ、がんばってほしいなぁと静かに応援しています。
売れても元カノだよなんて偉そうにはしません。安心してください。
ずっと好きでした。
あなたは変わらず格好いいです。
ずっと好きでした。
ついに言い出せなかったけど。
彼氏いないのと訊かれていませんよと答えると欲しくないの?と聞き返される。
はあ、あまりとうやむやに答えると、もしかしてレズの人?と問われる。
さあ、違うと思いますけどと苦笑を返すとしたり顔でこちらを見返してくる。
私は世に言う腐女子という存在で、それを知人に隠したことはあまりない。
実際、私は二次元に恋するタイプではなく、腐女子によくいるキャラクタ同士の恋路を眺めていたいタイプだ。
ネットの世界では私の様な人間のことをアセクシャルと称することが多い。
日本のネットの世界では性欲の有無関係なしに性的指向が異性、同性どちらにも向かない人間を指すらしい。
実際私には性欲があるし、個人的な問題であるが私はアセクシャルを名乗る性嫌悪持ちはあまり好きではない。
(私とって性欲はくしゃみのような生理的なもので対象物がなにかあるわけではない。)
生物にとって性欲は生殖活動において種が子孫を残すために必要不可欠なものだと理解しているし、それに恋愛感情が挟まれることも世間を見れば納得できる(というよりするしかない。なにせそういう行為を世間みんなが目の前で繰り返しているからだ)。
しかし自分以外の他人が自分を、自分が誰かを「愛す」ことを理解することが出来ない。
私の中で恋愛はドラマや創作物の中で起こる非日常で、例え現実世界でも、私が当事者じゃない誰かが始めて、終えるものだ。
他の誰かの恋愛話を聴く時はまるで物語を聴いているような感覚で聴くのが私の日常なのだ。
しかし私ももうすっかり成人で、彼氏いない暦=年齢であると話すと不思議がられることがとても多くなった。
子供の頃はまだ子供だからと免罪符を振り翳してきたが、この年になってようやく自分の異質さに気付かされることになったのだ。
そうしてようやく興味というか、疑問というか、そういうものを持ち始めた。
ここまで曰く常識的にほぼ全員が経験するという恋愛をしたことがないのは確かに他人からすればサンドイッチを食べた事がないレベルの話なのかもしれないと思い始めた。
かといってじゃあサンドイッチ食べちゃうぞーーーとは行かない。
友情とどう違うの?AとBが私を置いて話してる、Aと私は親友なのに!と恋愛感情は別物???とこんなレベルの思考回路を持ち合わせて生きているのだから当然だ。
でも、恋愛で悩む人がいて、死ぬ人がいて、人生を賭ける人がいるのが現実で、私だけがオーディエンスなのが現実だった。
実は、元々好奇心の強い私は大勢の他人が経験している事を経験できないことを非常に残念に思っている。
しかしどうしたら私はその舞台に上がれるのだろうか。私も一度はオペラ座でシャンデリアに激突くらいされてみたいとは思っているのだが、舞台への上がり方を知らずこの年まで生きてしまった。
不幸だと感じた事はないが、舞台上からはどうもそう見えるらしい。
「君はすごく生き辛そうだね」そう私に言う人がいる。
私はその人達に生き辛くされているのだと思う。
例えば、すごく仲のいい友人とルームシェアしたりいつでも一緒に行動したら私だってきっと情は湧く。
川に知らない人とその友人が流されていたら間違いなくその友人を助けるだろう。
親がお見合い相手を連れて来たとして知らん人と結婚するならその友人と結婚すると、そう思うのは恋愛感情なのだろうか。私にはわからない。
なんだかぐだぐだしてしまったが私が匿名ダイアリを使ってまで書きたかったのは要するにこんな考えの人間もいるんだよってことだ。
実際私は自分にアセクシャルとレッテルを付けたいとは思っていない。きっと私はまだ本気だしてないだけと思う反面、恋愛について人に指摘されないと注目できない自分もいることに戸惑っていたりもする。
その戸惑いを悟られないように更に私が二次元の住民という認識をされずにどうにか上手く生きて行けないものかな、などと考える「生き辛そう」な私の今日このごろ。
徹底した自己開示と執拗な自己解釈による独演を社会に提示した喪服の死神。
幼少の個人的出来事からネット右翼、アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティのカムアウト。
陳述で同性愛を告白し、ボーイスラブ系二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。
自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。
…
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
…
自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。
「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。
執拗な自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である。
喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ的自意識には向けられて、彼は饒舌にウェブ上に氾濫する非モテキモオタの類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。
本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識に代替されている。
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。
汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。
もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。
ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャル・マイノリティは「自分はセクシャルな存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。
彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまり、ホモ、オカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。
ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。
喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期にボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実のセクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。
自らを汚物と信じた喪服は、現実のセクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。
自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。
LGBT当事者の書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。
今ではオープンリーゲイを公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である。
愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。
2000年代、2ちゃんねるやはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定、キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定のレッテルを貼り付けることで自己肯定に転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。
あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定のレッテルに飛びついた人々である。
自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定のスパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。
自己否定のレッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。
しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
…
幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期、セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。
汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティを現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。
本来ならば健全なセクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美な世界を描いたボーイズラブ系二次創作を愛した喪服の死神。
現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性の世界の性愛に耽溺している。
喪服のチグハグなセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。
「何か」が欠落してしまっていた。
ウェブ上での自己開示および匿名の対話者からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。
だが、喪服の自意識の歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。
喪服の自己対話は精緻であって、他者の解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内にインストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。
このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。
さらに自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロにお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分はネットスラングで言うところの「魔法使い」です。
喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャル・マイノリティの為に用いられる言葉は現れない。
自らを異性愛者の視点から「同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子の言葉で性指向を空想している。
喪服の自己対話には、セクシャル・マイノリティが自らをセクシャル・マイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。
というより、喪服がウェブで本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。
非モテから同性愛者を斥けてミソジニーとホモソーシャルの産物と断罪するセクシャリティ論。
女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ系二次創作の世界。
最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定のトンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティの本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ系二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。
しかし、喪服が創作するには、表現の原動力たる空想の世界は耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間はウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。
喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力。
本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作の表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ、自己否定のトンネルに差す光として見えるのみ。
もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元のベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である。
喪服は、呪っただろう。
喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ系二次創作の賞賛を得る者を。
空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美な世界で肥大化した自我は、現実世界の自己表現を求めて、自走する。
喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。
喪服に残された肯定的な表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。
喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。
恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。
喪服は、斑目晴信がオタク濃度を感じたように、キモオタが秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。
喪服は、ボーイスラブ系二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。
喪服は、自覚することはなかっただろう。
喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。
執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。
自己疎外された人々が、自らに自己否定のレッテルを貼り付けることで、健全な精神をギリギリのところで保った非モテの論理。
2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。
喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性のホモソーシャルの世界であって、男の喪服を救わなかった。
セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティのはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。
《身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。
身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美な世界に誘い込み、彼の自我を肥大させて、現実を呪った。
のが約三年前。
年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。
理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。
子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。
正直兄がDQNネームをつけるまで、就職の採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分が仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。
兄夫婦は「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。
「アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。
こういう善意に基づく神経症的な完璧主義とコントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。
人間は良くも悪くも自分の所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。
そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。
かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前は当人が意味を付与していくものだからあまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合~太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。
とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。
生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・
名前一つで自分と家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。
こらえ性のない叔父さんでごめんよ。
追記
元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的な対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。
まあ独善的な家庭で育った独善的な人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供も家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・
他でもコメントありそうだけど、34にもなって、子供を授かるのにまだ遅くないとか思ってるのはもうヤバイ。
人生において危機感が全くない。そういう意味では「まだ子供のまま」というのは本当かもしれない。
けど、無職でも婚姻届は受理されるわけだし、結婚した後に仕事頑張ればいいんじゃないの?
そうやってみんな未熟な部分を抱えつつ大人になってくんじゃないのか。
「結婚しなくてもこのままでいいじゃないか」と同じくらい「今結婚しても何も変わらないんじゃないか」の理屈は通ると思うけど。
それなら紙切れ一枚くらいだし、結婚すりゃいいのに。
それが嫌なら、単なる増田の我儘じゃないか。
正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。
此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、親ともに九十八ひきに成。
かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。
1月に12匹産んで14匹になる
2月に12匹産んで98匹になる←ココ!
98÷12=7
つまり7組目は親
子供が成長して子供を産める年齢になっても、親がまだ子供を産める年齢
これがポイント!
15歳で産んで子供が15歳になった時に親は30歳でまだまだいける
20歳で産んで子供が20歳になった沖に親は40歳でギリいける?
30歳で産んで子供が30歳になった時に親は60歳でもう無理!
やっぱり晩婚化が問題なんだよねー
15歳の子供に手を出したら逮捕で人生終了じゃなく、15歳に子供を産ませたらおめでとう!って言われるようになればいいんだよ
自分たちがまだ子供だったころ、「池中玄太80キロ」というドラマがあった。
確か西田敏行主演のドラマだったが、「80キロ」というのは、文字通り「体重80キロ」の意味である。
このドラマ見て、「80キロなんてデブだなあ、あんなデブにはなりたくない」と子供心に思っていたが、
数十年後、なんのことはない、自分がその大台に達してしまった。
(自分の世代の人に聞いてみると、やはり「玄太80キロ」は「超えたくない大台ライン」のハードル、という
意識を持ってる人が多い)
しかし、自分の周り、どうにも「80キロの大台超え」の中年が多い。
「類は友を呼ぶ、デブの周りにはデブが集まる」のかもしれないが、
自分は「池中玄太のころは80キロがデブのラインだったが、今だとそのラインは
90キロないし100キロまでインフレしているのでは?」という気がする。
池中玄太の頃は、中年で体重80キロは「5人に1人のデブ」だったが、
それが今では「3人に1人程度には存在している」、ポピュラーな存在になっているのでは?というのが自分の仮説。
現代で「5人に1人のデブ」というのは「90キロ」程度必要かもしれない。
昔は80キロのデブはそんなにいなかった、だから番組タイトルにもなりえたんだろうが、
ということで、統計めいたものを検索してみたのだが、成人して以降の体格データというのは、
実はなかなか存在しない。
ほぼ全員を網羅した体格データが存在するのだが、学校卒業後は「強制的に身体測定する仕組み」が非存在なので、
強いて言えば、厚生労働省が実施する「国民健康・栄養調査」があり、厚生労働省はこのデータを以て
しかし、この調査は「全体協力率が66%」という調査であり、この手の調査では協力率は高い方だろうが、
それでも100%じゃない。
そして、男性単身世帯だと、この協力率は45%程度しかないらしい。
ここからは仮説だが、こういう調査に協力しない人というのは、「標準体重から逸脱している人」の比率が、
調査協力層よりも有意に率が高いのでは?と仮説できるのでは?
要は、デブの元に「国民健康・栄養調査にご協力下さい」という調査票が来ても、
「こんな調査票が来たけど、どうせ調査に参加しても『痩せなさい、運動しなさい』と耳に痛いことを
口うるさく言われるだけだろう、だからブッチしてやる」という感じで、調査票を無視・協力拒否する割合が
高いんじゃないか、という気がする。
3分の1の人が参加しない健康調査というのは、非参加クラスタの方にこそ、不健康層がウヨウヨしている、と
推察できる。
とは言っても、こういう調査に参加しない層を強制的に調査する仕組みが現状の日本では作れないので、
私は全く同じ理由で他いきましたよ。
その結果出会って5ヶ月で入籍完了。現在不妊治療目2年になりますがまだ子供できません。
一年待ってと行った彼には待てないから浮気するかいいか?と問うたらダメだと言われたので別れた。お見合いの分際で何言ってるのって感じ。
浮気しないでじゃなくて今すぐ結婚しようってこちらは言って欲しかったしそれができないならいらんわ。という具合だったし
現夫には結婚早すぎたと最初のうちは文句言われてましたが今となってはちょうど良かったのかななど言ってます。
あー、子供できない。
そんなグダグダ言う人とは結局はダメになるので裏で数件見合いの予約入れるといいよ。
子供欲しくて結婚したけどできないならできないでやっていけそうなくらい現夫とは性格が一致している。
やっぱり決断力のある人は違うよ。
毎日新聞が出してる小学生向けの新聞。ちなみに毎日中学生新聞っていうのもあって、そこに掲載されたナンバーガールのライブレポが『シブヤROCKトランスフォームド状態』のジャケットに流用されたりしていた。以上、余談。
小学生の時は昼休みのたびに図書室に駆け込むようなライフスタイルだったんだけど、そんなライフスタイルで6年もやってるともう読みたい本も無くなってきて、で、仕方無く毎日小学生新聞の日々の誌面を隅から隅まで読んでいたんだけど、その中にこんな記事。以下、要約。
私は子供のためのカウンセラーです。日々、日本各地の苦しんでいる子供達の家に通っています。昨日はある引きこもりの男の子と話をしてきました。その子は言いました。「先生。コピーってあるでしょ。コピーって、何度も何度も繰り返しているとだんだん文字がかすれて汚くなっちゃうでしょ。で、人間もさ、先生。生まれ変わるって言うじゃない。何度も生まれ変わって生まれ変わって、それで魂がかすれて汚れちゃうんだ。だから今の世界はこんな風に戦争とか貧困とか、みんなが憎しみあって、争いあって生きるようになっちゃったんじゃないかな。昔と比べて醜くなっちゃったんじゃないかな」。私はこの子の繊細な感受性に感動して涙が止まりませんでした。
的なことが書かれていて、それを読んだ俺はその場で毎日小学生新聞を破り捨てたい程の苛立ちを覚えたけれど、さすがにもう小学6年生だったから、そんな事はしない程度の常識は持ち合わせていたけれど、それでも20年近くを経た今になっても「何だったんだ、あの話は」と釈然としない気持ちを抱いている。まだ子供なのに、「現代の人間は醜い」と絶望する感受性。その感受性をあたかも美談のように語ること。強い違和感を抱いた。生まれて初めてかも知れない。あそこまではっきりと「大人も、物事を間違った捉え方をする事があるんだ」と意識したのは。
今の話をします。生まれ変わりを重ねるまでもなく、色々あって、結構な頃合でかすれて汚れた感が出てきた俺に子供が生まれたみたいで、まあ、何ていうか、善き事?幸せ?いや、どうなんだろう。歯切れが悪くなってしまうのは、俺が既に離婚しているからで、しかもおれ達の子供を産んだ元妻は既に別の男性と結婚していて、それでいて、元妻も、元妻の現夫も、すべてを納得した上で出産したんですって。
こんな風に他人事みたく言ったら駄目か。こういう時って喜んだら良いのかな、怒ったら良いのかな、悲しんだら良いのかな。喜怒哀楽がグシャグシャになる。このややこしい事態の背景には、元妻サイドにそれなりに事情があって、その事情(さすがにここでは書かないけど)を聞いた俺としては「頼むから産まないでくれ」とも言えず、かと言って「その子の親権を譲ってくれ」と言って良いのかどうかもわからないし、こういうケースで親権が貰えるのかもわからないし、って言うか多分無理だし、そもそも俺自身その子の親になりたいのかもわからない。まったく関心が無いわけではない。でも、もう元妻周辺のややこしさにも関わりたくない。子供の顔が見たい気持ちはある。でも、この気持ちは「こういう時、親は子供の顔を一目見たいと思うものだ」という決まり事ありきで生じている偽物の気持ちじゃないかという感覚もある。あと、元妻には会いたくない。100%俺が悪くて離婚に至ったので合わせる顔がない。
悲しさ。率直に言って、俺は結婚生活において色々な事を間違えてきた。結婚する前から色々と間違えてきたし、離婚した後も、今も、多分、色々と間違え続けている。間違え続けて、かすれて、汚れて、その結果、血を分けた子供に会えていないし、今後も真正面からは会えないだろう。この、どこにもやりようのない気持ちは悲しい。こんな文章を書く事も間違ってるんだろう。当事者が読んだら絶対おれが書いたってばれる。悲しい。恥ずかしい。子供に会いたいとまでは言わない。正直、会いたいという気持ちを実感を伴って抱くには至っていない。ただ、せめて、「人間は生まれ変わりを繰り返して魂がかすれて汚れた」なんて事を言い出してほしくないとは思う。
俺はかすれて汚れている。でも、それはおれ個人の罪に帰する汚れであり、俺の前世や、人類の罪に責任はない。だから、俺の子供はまだ汚れていない。すべての子供は汚れていない。生まれてきておめでとう。おめでとう。
.●前提
.
.肌にも老化を感じる24,5歳までとなる
.
.しかし、その時期は
.この時点で適齢期を過ぎてしまう
.
.また、産後のことを考えた際も
.やはり現実的に無理がある
.
.これではせっかく作ったキャリアをフイにするのは
.また、この時点での相手の男性についても
.
.今後は女性が30歳をこえ
.そもそも結婚相手を探すことが難しくなってくる
.
.現在、母体が出産に適した時期を越えてしまっている部分が大きい
.
.
.
.●完全なる少子化対策
.
.やるべきことはたった2つ
.2.子育ては祖父母が行う
.これだけだ
.
.
.
.各々が2年間を調整し、兵役にあてている
.それと同様に
.16-20歳の4年を確保する
.
.具体的には
.
.海外に見聞を広めるもよし
.趣味にいそしむもよし
.
.要するに、先に社会に触れさせ
.
.恋愛は大いに推奨
.出産も推奨し
.
.この時点で女性に
.
.
.子供1~2人が生まれていることとなる
.
.
.
.●2.子育ては祖父母が行う
.
.
.今の価値観ならばそう思う
.そこを無視する背景はここにある
.
.ドラえもんでこんな話がある
.-------------------------------------------------
.ならば、タイムマシンで
.-------------------------------------------------
.
.祖父母世代に行ってもらう
.
.なぜなら、祖父母世代には余裕がある
.余裕を持って子育てができる
.
.また、後述するが
.今の祖父母世代のような体力の衰えはまだ表れておらず
.
.
.
.●完全なる少子化対策・具体例
.-------------------------------------------------
.
.今までならば、A子さんが産もうと思っていても
.A子さんも子育てをするには
.進学も就職もできない
.そして高卒のB斗くんでは
.
.そんな背景から親は反対一色となり
.
.子供は祖父母が育てる
.A子さんの両親が赤ちゃんの世話をし
.
.
.二人が28歳となるあたりで
.経済的な余裕もでき新居を用意する(ここまでは通い婚)
.小学校高学年となり
.一緒に暮らす
.
.A子さん夫婦36歳のころ
.
.A子さんは円満退職
.-------------------------------------------------
.
.その後に子供を生むかどうか選択するため
.上記の具体例と
.
.にも関わらず
.この例のとおりであれば
.
.
.
.
.この案にはメリットが多数ある
.
.
.☆高齢化社会にならない
.人口ピラミッドを横に増やす、伸ばすことしか考えていないことだ
.
.今の世代の男女を炊きつけ多くの子供を産んでもらうことにしろ
.それは今、目先の危機回避のみであり
.次の世代での問題をどうするかを考えていない
.
.今回の新対策
.縦に重ねて厚くしていくことは
.
.高齢化社会とはならない
.
.
.☆孤独な老人が発生しない
.現状では25歳で子供を産み、50程度で孫がうまれ
.そしてひ孫が生まれるかどうかで
.
.子供の数も1人が主で
.家族の数に対する老人の数は多く
.老人の面倒を見切れないことが多い
.
.寂しい老後のまま
.
.モデルケースのとおりだと
.60歳でひ孫が生まれ、80歳で玄孫(やしゃご)が生まれる
.
.世代間の間隔が小さいほど
.世帯の数も多く
.たとえ子供が一人であっても
.協力して老人の面倒を見れる可能性が大きい
.
.
.やれ婚活だ!
.やれ妊活だ!などと
.
.
.それらを無視する形で
.無理やり人生設計を強いても
.
.この時期のカップルは
.
.自然に解決できる
.
.
.それは不況の影響も大きいし
.
.一人当たり2000万ともいわれる
.
.大きく余裕ができる
.
.また、老人世代も
.貯蓄の最たる理由である
.今ほど溜め込まずに済む
.
.世代間が短くなることで
.
.
.
.●完全なる少子化対策・QA
.Q:恋愛期間の4年は長すぎるのでは?
.→
.A:1年で社会見聞を広げ、2年目で交際開始
.
.
.→
.センター試験範囲のみに絞る
.
.
.→
.A:逆に増えることが想定される
.人との付き合いで養われる
.
.
.Q:自由恋愛出来ない者も多くなるのでは?
.→
.という悪しき共通認識が働いているためだ
.これは致命的である
.少なくともアメリカの
.女子を誘ってペアで参加してね」
.小学校でやるべきだろう
.
.
.Q:16,7歳の娘が交際、性交渉、出産なんてとんでもない!
.まだ子供だし相手の男を見極める眼もないに決まっている!
.→
.そしてもう1つが
.具体的にいうと
.自分の所有物としての執着の2つを強く持ちすぎている
.そして、それは娘に対して異常なほど大きい
.30近くなった娘には「結婚はまだなのか」と迫る
.ステレオタイプの親などは
.ちなみに、草食系男子の増加は
.つまり「うちの娘に欲情するならばお前を罰する!
.(それが嫌ならば口説こうともするな)」という重圧によるのは明白だ
.
.相手の男に対する眼は前項のとおり
.男女ともに早い段階で学ばせるべきだ
.それでも娘の自主性に任せられないというのならば
.それは親自身が子離れできていないことになる
.そして、祖父母が子育てをする以上
.娘の相手は親にとっても非常に大事なこととなる
.娘がよりよい相手を見つけられるように努力し
.娘から信頼されることがよい親の在り方になるだろう
.
.
.→
.それが親子両方のためになるとも思えない
.親が必ず子供に接していなければならないというのも
.実際はシッターを雇うなどで、リフレッシュしながら
.それに両親はいないわけではないので
.親子の断絶にもならない
.
.
.Q:年齢差のあるカップルはどうなる?
.→
.
.
.●まとめ
.完全なる少子化対策のためには
.子育ては祖父母に行ってもらう
.
.
俺はまだ子育てしたこと無いけど、
少なくとも仕事で、「説明できない」奴は出来ない奴。
どんなことでも、出来る奴はやってること説明できる。
「説明しずらい」というのは真になにが重要か理解してないで惰性でやってるだけ。
そんな馬鹿にそんなこと言われても、びっくりするわ。
世の中は悩んでいる人で溢れかえっています。
友人や部下も悩みを抱えていて僕は相談を受けるし、インターネッツの世界はそれはもう悩みの大洪水状態です。
僕は悩んで苦しむ人の気持ちが理解できません。
分かったとしても他人にまるっと相談している理由がわかりません。
悩んでいる問題に対して、その一部分がわからず、それを誰かに聞く事は理解できますが、
解決策の丸投げは理解ができません。
僕は相談されても、そうだね、大変だね、そいつは酷い話だよ!とお酒を飲みながら聞いてやるくらいしかできず、
どうすればいいと聞かれても、こんな方法もあるんじゃないかなー(平凡)くらいしか言えないです。
だって、その人の人生にとって重要であろう悩みに対して、僕がこうするべきなんて言えないです。
そういうネガティブな悩みって、問題の落とし所を探して妥協しようとしているだけだと思います。
無理やり自分を納得させているにすぎません。
でも僕はそれを口には出しません。まだ子供の頃にそれを口に出して大顰蹙を買った覚えがあるからです。
結局そのまま大人になった僕は、友人はもちろん、部下からの相談にもそんな感じで受け流しています。
でも最近、みんな話を聞いて欲しいだけなんだと思うようになりました。
本当に解決策を求めている訳じゃないんです。ただ聞いて欲しいだけ。