彼氏いないのと訊かれていませんよと答えると欲しくないの?と聞き返される。
はあ、あまりとうやむやに答えると、もしかしてレズの人?と問われる。
さあ、違うと思いますけどと苦笑を返すとしたり顔でこちらを見返してくる。
私は世に言う腐女子という存在で、それを知人に隠したことはあまりない。
実際、私は二次元に恋するタイプではなく、腐女子によくいるキャラクタ同士の恋路を眺めていたいタイプだ。
ネットの世界では私の様な人間のことをアセクシャルと称することが多い。
日本のネットの世界では性欲の有無関係なしに性的指向が異性、同性どちらにも向かない人間を指すらしい。
実際私には性欲があるし、個人的な問題であるが私はアセクシャルを名乗る性嫌悪持ちはあまり好きではない。
(私とって性欲はくしゃみのような生理的なもので対象物がなにかあるわけではない。)
生物にとって性欲は生殖活動において種が子孫を残すために必要不可欠なものだと理解しているし、それに恋愛感情が挟まれることも世間を見れば納得できる(というよりするしかない。なにせそういう行為を世間みんなが目の前で繰り返しているからだ)。
しかし自分以外の他人が自分を、自分が誰かを「愛す」ことを理解することが出来ない。
私の中で恋愛はドラマや創作物の中で起こる非日常で、例え現実世界でも、私が当事者じゃない誰かが始めて、終えるものだ。
他の誰かの恋愛話を聴く時はまるで物語を聴いているような感覚で聴くのが私の日常なのだ。
しかし私ももうすっかり成人で、彼氏いない暦=年齢であると話すと不思議がられることがとても多くなった。
子供の頃はまだ子供だからと免罪符を振り翳してきたが、この年になってようやく自分の異質さに気付かされることになったのだ。
そうしてようやく興味というか、疑問というか、そういうものを持ち始めた。
ここまで曰く常識的にほぼ全員が経験するという恋愛をしたことがないのは確かに他人からすればサンドイッチを食べた事がないレベルの話なのかもしれないと思い始めた。
かといってじゃあサンドイッチ食べちゃうぞーーーとは行かない。
友情とどう違うの?AとBが私を置いて話してる、Aと私は親友なのに!と恋愛感情は別物???とこんなレベルの思考回路を持ち合わせて生きているのだから当然だ。
でも、恋愛で悩む人がいて、死ぬ人がいて、人生を賭ける人がいるのが現実で、私だけがオーディエンスなのが現実だった。
実は、元々好奇心の強い私は大勢の他人が経験している事を経験できないことを非常に残念に思っている。
しかしどうしたら私はその舞台に上がれるのだろうか。私も一度はオペラ座でシャンデリアに激突くらいされてみたいとは思っているのだが、舞台への上がり方を知らずこの年まで生きてしまった。
不幸だと感じた事はないが、舞台上からはどうもそう見えるらしい。
「君はすごく生き辛そうだね」そう私に言う人がいる。
私はその人達に生き辛くされているのだと思う。
例えば、すごく仲のいい友人とルームシェアしたりいつでも一緒に行動したら私だってきっと情は湧く。
川に知らない人とその友人が流されていたら間違いなくその友人を助けるだろう。
親がお見合い相手を連れて来たとして知らん人と結婚するならその友人と結婚すると、そう思うのは恋愛感情なのだろうか。私にはわからない。
なんだかぐだぐだしてしまったが私が匿名ダイアリを使ってまで書きたかったのは要するにこんな考えの人間もいるんだよってことだ。
実際私は自分にアセクシャルとレッテルを付けたいとは思っていない。きっと私はまだ本気だしてないだけと思う反面、恋愛について人に指摘されないと注目できない自分もいることに戸惑っていたりもする。
その戸惑いを悟られないように更に私が二次元の住民という認識をされずにどうにか上手く生きて行けないものかな、などと考える「生き辛そう」な私の今日このごろ。
私は「告白されたから付き合ってみる」というのを数回経験したけど、 物語で描かれるような、劇的な恋愛感情は経験できてない。 だから恋バナにも乗れないし、周囲の理解を得られな...
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(私とって性欲はくしゃみのような生理的なもので対象物がなにかあるわけではない。) 本当はみんなそうだと思うんだけど、人間は脳が邪魔をするから、そうではないかのように勘...
「生き辛そう」な私の話 多分、自分は増田と状況がよく似ている。 彼氏いない歴=年齢だし、彼氏が欲しいかどうか聞かれるとなんだか居心地が悪い。 人の恋愛話は実感が薄いから聞く...