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2020-04-02

入れ替えのNASコピー作業、社内に人が居続けると作業が仕上げられないので、おおむねコピーは全て終わったのですが仕上げは週末です。これで完璧なはず!

というか、これ書いてる間にその部署の人たちは全員帰ってしまったので、もしかしたら終わって旧NASネットワークから取り外せれるかも!思ったより早く済みそうでよかったです。

近所のコンビニにもコロナ感染者がいて一時閉店消毒されたとのことで、なんかコロナじわじわ身近に来てる感もあってホラーです。

今日もいくつか増田を書きましたが、そんなコロナとは無関係にまたブクマトラバがつきませんでした。

NAS入れ替えできたら今日は帰ります

また明日よろしくお願いします。

2020-03-31

ミッドサマー人生で最もつまらなかった映画である

 

公開してから何週間経ったか知らないけど、未だに高評価ばっかりでうんざりしたので微かな記憶を頼りに書いていく。

見たのはディレクターズカット版が出るよりも前の時。

楽しみに見に行ったが、途中で帰りたくなるくらいつまらなかった。

よくレビューである意味がわからなかった」とか「気持ち悪くて」とかではなく本当に面白くなくて席を立ちたくなった。

こんな駄作時間と金をつぎこんだ自分を後悔した。

取りあえずTwitterでバズってるレビューとか、公式サイト解説YouTube解説動画は一通り見ている。

 

 まず起承転結がなさすぎる。全てにおいて今までのカルト系統のをなぞっているのではないかという平坦っぷり。全部こちらの予想通りに進んでいき、ひとひねりどころか山場なんて一切ない。

これ普通に今まで本読んだり、映画見ている人だったらありきたりの王道ストーリーをなぞってるって思わなかったのかな。

これから何が起こるのかっていうわくわく感、期待感だけ残ってEDになったというか。こちらが期待している物が一切出てこなかった。

もっとやばい風習のものを見せられると思ってたし、もっと何があると思っていた。

Twitterルーン文字とか民俗学とか言ってるやつら全く今までこういうのに触れてきてなかったんじゃないのかなって思うくらいにありきたりじゃなかったですか?

じわじわとした閉塞感とか真綿で首を絞められてるとかどこで感じたんだよ。その言葉使いたいだけじゃない?

完成された地獄? ダメージ受けた? もっと教養つけろよバーカ、と思ってしまう。

 

 若い団体が村に行って、そこの奇妙な風習を見て、殺される。超絶ありきたり。

まじで2ちゃんねる怖い話とか奇妙な風習の方が読んでて面白い。

あと主人公不安定なのは分かるけど最初の所長すぎないか? 妹とかがあの村の風習に利用される為に殺された、とかならまだわかるけど不安定さを表現するためには冗長だろ。

 そして映像のチープさ。みんなグログロい言ってるけど全部人形すぎて本当に安っぽい。崖から飛び降りた所かもう失笑した。

あと鶏小屋の所で殺されてんのもハンニバルオマージュって書いてあったけど、ハンニバルの方が百万倍良かった。

 

 なによりムカついているのが全人類褒めてるんじゃないかって言う事で。

あんなにつまんないストーリーなのに「不気味だった」とか「精神不安定な人は」とか煽ってる人いたけど馬鹿じゃないの? ってマジで思う。

こんなの見たって時間と金をドブに捨てた怒りしか湧いてこなくて、本気で何を怖がっているのか教えて貰いたい。

映像が綺麗だったとか言われたって、綺麗な映像時間見てられますかって聞かれたらそうじゃないだろ。

良かったっていう意見は腐る程見たので、バチバチ批判してるレビューあったら是非教えてください。

2020-03-30

anond:20200330171406

ダメージゼロみえても、社会全体が不景気になったら、

じわじわ影響があると思うんだけどねぇ・・。

ぶっちゃけ大家とか電気ガス水道会社は、別にコロナで消費が減ったりしないだろうから

すぐには影響ないと思うけどさ。

2020-03-29

告白してもないのに振られた気分

「付き合うとかそういのはないよ」と言われた。

別にその人に告白もしてないし、付き合ってくれとも言っていないのに。

自分は凄くわかりやす人間だと思う。

素直で思ったことを結構言葉や表情にだしがちで、よく指摘されていた。

好きな気持ちを隠しているつもりもなかった。

から当然、十中八九私の気持ちはバレているんだろうな、くらいには思っていた。

それで一向に構わなかった。

彼の傍にいるのが嬉しかったし、一緒に過ごす時間幸せだった。

別に今すぐどうこうしようという気はなかった。

急速に距離を縮めることが出来た私は、おそらく少し調子に乗っていたんだと思う。

気持ち駄々洩れである

そこにきて冒頭の言葉である

そんな事、うすうす分かっていた。

「期待させちゃダメだと思って」と彼は言うが、正直期待なんかしてなかった。

思った以上にショックが大きくなかったからだ。

人が悲しかったり、ショックを受けるのは、それだけ期待が大きいからだと思う。

私は今の気持ちを楽しんでいただけだった。

だけど、そんな言葉が出てきてしまうと、今まで一方的に楽しんでいた想いが、相手ありきの現実になってしまう。

「それは今だから?この先も絶対可能性はゼロ?」

思ったことを口にだしがちなので、この際なので聞いてみた。

ゼロでもはないかもしれないけど、90あるわけでもない」

ハッキリとしないのは傷つけまいとする優しさなのか。

確固たる拒絶があるわけではないし、迷惑だとも言わない。

(じゃぁなぜ、わざわざそんな事言うかなぁ)

別に今すぐ彼氏が欲しいとか、付き合いたいとか思ってなくて、少しも焦ってなかった。

から当分は今のままで良かったのに、告白さえしてないのに振られた気分だ。

とりあえず色々と思ってることを話したあと、「好きな気持ちを諦める気は今んとこない」とだけ伝えておいた。

「恐ろしいほど前向きだな」と笑われた。

それでいい。

後になってじわじわとショックを受け始めてきたところに、彼からメッセージがきた。

別に大した内容ではないけど、だからといってどうでもいい人に送る内容でもない。

心配?してくれているんだろうか?

振られた気満々だったので、こういう優しさは人を混乱させると思うのだが、素直に嬉しいとさえ思う。

それからまた、ちょっとしたことメッセージがくる。

あれ?

いままでこんな些細なことで連絡してくれなかったよね?なんで?

振られた気満々なのに、むしろ相手が気にしてくれる気がする。

気を使ってくれてんの?なんで???

それ、期待しない?

うーーーーーーん、どうしろというのだろうか???

告白したわけではないけど気持ちがバレている上で、諦めないことを宣言した女。

それを知ってて受け入れる気はないと言いながら、完全な拒絶はしない男。

お互いそこそこいい歳で、決して若い年齢ではないので、駆け引きとかしたくないんだけどなぁ。

日曜日です。作業的には新しいNASを取り付けるだけです、あとはネット越しで状況が見れるのでファイルを新しいNASコピーすればOKです。

だいたい10MB/sスピードが出てるので、コピー終わるのが25時間ぐらいかかる予定です。マジかよ!?って思うんですが、明日の始業時間には間に合わないので今日は1日まわして、明日以降は夜にまたじわじわコピーして戻していきます

その間の差分も発生するので1週間ぐらいで新しいNASに切り替えられると思います

古いバックアップソフトを使っていたので4GB以上のファイルファイル名がUnicodeだとコピー対象から外れていたので、マスター側とバックアップ側でファイル数と容量が合致しないのでどうしてかなと思ったら、そう言うことでした。

それらを修正対応された新しいバージョンバックアップソフトにも刷新したので、もうファイル数と容量は合致します。

なんか人類文字コードから解放されたとばかり思っていたのに、ファイル名にも文字コードがあるんですね、というかファイル名の文字コードのそう言う宣言ってどこでされてるの?って思います

今日もいくつか増田を書きましたが、ブクマトラバがつきませんでした。

設置だけなので今日はもう帰ります

また明日よろしくお願いします。

2020-03-23

卒業式で泣けないタイプ人間とワニ

とんでもなく話題になったワニ。

もちろんこれは局所的なブームだろうし、知らない人は知らないはずだ。何の話かわからなければそれはそれでいい。

知っている人の中でも、どんな感情を抱いたかは人それぞれだろう。

純粋に感動した人もいるし、その後の商業展開に怒っている人もいる。なんにも感じなかった人も、中にはいるはずだ。

なので、これは私の感想だ。

いや、そこまでのことか?これ。

いやね、俺だって見てきたよ、100日間。

何ならもう初日から流れてきたのを見てたよ。

へえ、こんなのあるんだ。このワニ死ぬのかな、死なないなら死なないなりの理由がいるだろうし、大変だな。

毎日更新か。ハー、そりゃまた大変なことで。

そんな感じで「お、やってるやってる」みたいなスタンスで見てたよ。

作者にクソリプ飛ばしてるヤツらも、パロみたいなパクリみたいな改変してるヤツらも。多分1通りって言っても過言ではない感じで眺めていた。

残りの日数が死に近づいてくる度に、人気も上がっていって、おーデカコンテンツになったなーと見守ってた。

じわじわと、周りが悲しみ始めていることくらい、わかってた。

まぁ言っても100日見てきたわけで、それなりに愛着くらい湧いてるだろ。最終日くらいは悲しくなるだろ。

そんな風に考えながら、迎えた100日目。

すーごいバズってたね。そんなか?そんなにか、これは?ってくらい。

あとどこにいたんだ、こんな人数のユーザー

みんなが死を悼んでいるか商法に騙された〜だのなんだの怒ってるかだった感じだ。俺のTLではね!

さて、俺の感想だ。

「あ、死んだな。やっぱ死ぬ他ないよな」

それだけである

呟いても良かったけど、なんだか水を差すようでやめた。

この感覚、よく味わう。

みんなの感情の渦の中、自分だけ手持ち無沙汰で「早く落ち着かないかな」と思っているこの感覚

学生時代卒業式を思い出してしまうのだ。

小中高大、節目となる一大イベント卒業式

周りを見りゃみんな泣いてる。特に小中だな。

泣いてないのは少数派だった。最初から泣いてるやつ、感極まったやつ、堪えきれなかったやつ。

それを毎回「そんなか?」と思いながら過ごしてきた。ずっと「泣けなかったやつ」としての気持ちがある。

それこそ「そんなか?」と思われるかもしれないけど、友人たちが泣いてる中、俺だけ泣こうとしても泣けず、慰めるようなものでもない、いたたまれなくて居心地の悪い空間にいた、あの記憶は、ずっと心にこびりついている。

みんなに合わせる必要が無いと分かっていても、集団行動こそが美学!みたいな教育方針にどっぷり過ごすのだから自分だけ違うのは気になってしまう。

そして、ここに来てのワニだ。

薄々、話題になってからは気づいてた。まずい流れだな、って。

でも感性も成長しているはずで、今回こそは行けるかもしれないじゃん。

そんな淡い期待を持って挑んで、俺はまた卒業式に飛んでしまった。

何を言いたいか、わからなくなってきたな。

人と同じ感動がしたい。人と似た気持ちを共有したい。

そんな気持ちをずっと抱え込んでいる。

俺はきっと、ずっと昔から卒業したいのだ。

じわじわ洗脳しにくる

「これは"君にしか"できない仕事だ」

→他の誰かを任命すれば済む話。

適任者がいないならばそのような人物を育成・採用できなかった管理責任

「君も幹部の一員なのだから○○について"日頃から"考えていることだろう」

あなた方より少ない責任権限報酬しか得ていないのだから、少なくともあなた方を超えて行動しなければならない理由はない。

anond:20200322235737

売りの底とかよくわかんないんですけど

結局日銀が支えてる限りはじわじわ下がる方向(ほぼ上がることはない)であってますかね

2020-03-22

anond:20200322183943

日本人衛生観念がぁ、スキンシップしない文化がぁ、と言ってる割に、

単に感染者数の増加がゆっくりなだけで、じわじわ感染が広まっている気がする。

その増加がゆっくり理由衛生観念とか文化の違いやろ

完全に拡散止められるなんて誰も思ってへん

遅らせるのが大事なんや

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日本が遅らせるためにしたこと 一斉休校 ほかは?

普通に回答されたら困ると思って消したんやな、おつかれ

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ループ相手したく無いだけだぞ

自分日記から直接トラバついたかどうか見られるワイと違って

わざわざ返信来たかどうかチェックしとるの、顔真っ赤やなあ

国内感染者数1767人 死者44人

なんだかんだいって、クルーズ船での感染者数よりもそれ以外の国内感染者数の方が多くなってしまったし、

日本人衛生観念がぁ、スキンシップしない文化がぁ、と言ってる割に、

単に感染者数の増加がゆっくりなだけで、じわじわ感染が広まっている気がする。


たぶん、この流れは止まらないよ。

anond:20200322132559

やっぱりアイコンは、モーフィング技術によって、徐々にじわじわと変えてゆくのが良いよね。

anond:20200321225838

芳華とかは面白かった。今後じわじわ面白ものがでてくるんじゃない。

2020-03-21

anond:20200321132838

株苦手やねんな~~~~~~

単位じわじわ数値が変わるのずっと眺めて他の作業が手につかなくなるから

2020-03-19

anond:20200319153417

端的に言ってしまえば、悪さをする菌を全部殺してしまえばええねん。

そうすれば、磨き残しがあっても問題無い。

毎朝、コンクールFという洗口液で、口をゆすいだあとに、水でゆすがないで、そのままにしておく。

口の中に僅かに残ったコンクールFがじわじわ細菌を殺してゆく。

たったこれだけの工夫で、驚くほど口の中の雑菌が減るので、

歯は清潔になるし、たまに磨くだけで十分になるで。

2020-03-18

anond:20200318122638

まあ生物の厳密な定義は難しくて、それこそ専門家の間でも意見割れるようなことなんだろうけど

そもそも分類って行為自体が、人間認識の有りようを反映してるだけで、自然界そのもの状態を表すもんではなかろう)

今回のコロナ騒ぎで、

細菌食べ物にくっついたら増えるから時間置いた食べ物ヤバいけど、ウイルスは体外では増えないか時間を置けばじわじわ減るんだな」と気付いて

なるほどこういう所がウイルスの生き物っぽくない所か、と何か腑に落ちた

もちろん、食べ物にくっついても増えない微生物だっていっぱいいるんだけどさ、感情的に何かストンと来たっていうか

2020-03-15

流産した

アラサー結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかからなかった。

最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。

その後不妊治療病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。

しかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。

そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍確認胎児サイズ問題なく、母子手帳交付。ここまでくれば流産確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。

子供名前を考えたり、マタニティウェア用意したりしていた。

しか妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院エコーを見てもらったら、赤ちゃん心拍は止まっていた。

その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。

医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。

旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。

会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那夜勤なので泣きながら仕事へ。

自分も少し落ち着いた後、職場本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。

翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11から手術になった。旦那はずっと個室で待機。

処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。

目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮エコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。

病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。

手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。

金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、

帰宅し、マタニティウェアや母子手帳お腹赤ちゃんがいますストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。

もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。

赤ちゃん、短い間だけど母親にしてくれてありがとう。この間のエコー写真母子手帳はしっかり大事に保管します。

2020-03-13

過去のつらい思い出の話をする。

おはようございますこんにちは。こんばんは。

わたし最近になってやっと意識を獲得した人型の動物です。

などとおかし自己紹介になってしまったのには理由がありまして。

というのも、わたし人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。

この気付きから過去記憶フラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的記事になります

友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的文章であることを理解された上で読み進めてください。

また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います

書こうとしたはいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!

これを思い返すことになったきっかけは兄を相手家族の話をしたことだと思います

わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたし所謂オタク趣味にしていて、いつも何かしら共通話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。

この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。

真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。

家族構成するメンバー祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたし家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。

兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。

それはなぜか?

答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからいから」です。

間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。

簡単喜怒哀楽にうっすらとした自我ふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊コミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。

自分食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。

なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。

「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いか大丈夫心配いらないよ。」

などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)

また怒鳴りあいコミュニケーション祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。

小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族口論。土日祝日は両親の口論ランダム勃発、のちに夜ご飯タイフーン上陸

以後、このうんざりするようなタイムスケジュールわたし高校卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます

たここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄しかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。

そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。

ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。

別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族相談せず自分一人で決断するタイプ人間」だったのです。

少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!

失礼、話が逸れました。

それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?

家庭内で困ったことがあっても家族相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。

するとどうでしょう自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安わだかまりを抱えたまま癒し時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。

おしまい

……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)

途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。

そもそもなぜなんとかならなかったのか。

それは「わたし自我形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています

わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。

これだけ書いたら「なんだ、普通家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプ人間で、作業趣味息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事クタクタ疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?

結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかたこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ち酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)

また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間おしまいです。解散

そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。

ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります

忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任

おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」

と父を持ち上げたとき

「いやあ、放っておいただけですよ。」

と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。

(他にも、親がわたし子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)

あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く

高校大学くらいまでの記憶がとんとない。」

ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。



閑話休題

こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。

父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。

いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたときわたしにとって衝撃的な事件が起きました。

ふいにしゃっくりを出てしまった母、それを見た父が

「母のしゃっくりは相変わらずかわいいな。」

と言ったのです。

…………h、?は?

ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)

と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。

突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアル夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。

お前ら仲悪いのんちゃうかい、と。(太字)(赤色)

その後わたしの遅めでささやか反抗期挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。

また、今思い返してみればという話ではありますが。

わたしの両親は「限りなくマイペース自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまタイプ」、「作業趣味息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、

「親である前に恋人

という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!

もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)

幼い子供の前で十数年!ガチシリアス雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)

ハァ……ハァ……

すみません、取り乱しました。

冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較ちゃん人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)

そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。

私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。

大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。

などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。

特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。

「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」

そう、そこでわたしは「自分人生真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。

「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。

まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから映画漫画アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画アニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメ漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)

その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。

こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。

特にかいオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!

相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなもの出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)

自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまときがありますちょっと危険だなぁと思っています一種ボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。

この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事引き起こししまうようなぼんやりとした予感がありますお金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。

また未だに「健康精神状態運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。

誰かが手掛けた創作物キャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全コミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族アカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています存在していてくれて本当に有難うございますわたし勝手に救われています

繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去自分感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観記事です。

今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。

ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!

こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。

それでは。

2020-03-11

私は広告制作現場を辞めて、広告屠殺する現場転職をした



私は広告業界10年ほど広告制作仕事をしていた。最初総合代理店で、最後半年WEB広告代理店で。

そして昨年末をもって退職に至ったので、退職エントリではないが、なんとなくWEB広告の実情について

広告業界の人たちにも話したかったので文章にまとめることにした。


私は広告業を一つの文化」だと思っている。

そう考えるのは広告従事者の奢りだ、と言われがちだが

私はそれは、奢りではなく、むしろ戒めだと考えている。

なぜなら広告会社は、そういった矜持自戒の念を込めて持っていないと、

簡単ゴミ製造する工場へと成り下がってしまうからである




私は新卒とある広告代理店入社し、そこから10年ほど制作担当することになった。

大手というわけではないが、時々全国規模のTVCM制作も手がける、そこそこの代理店である

そこは、今となっては「働き方改革」の標語ひとつで一蹴されてしまうような、徹夜休日出勤を繰り返す昔ながらの制作現場だった。


なぜそこまで業務時間が長くなるのか?

普段長時間労働と縁のない企業の方からすると不思議だと思う。

私はこれは、他ならない「文化からの転落への恐怖」に起因していると考えている。


基本的に、広告公共空間公共電波を使ったゴミである

もし広告クライアントの言われた通りのものを作れば、

タレントは不自然に微笑み、手放しで商品を褒める怪しいコピーで溢れかえり、

最後自己満足キャンペーン応酬お茶を濁す

お金をもらって公共空間を1枠使って汚す「ゴミ」が完成する。


からこそ代理店制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。

広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。

ゴミ」と「文化」の間に横たわる深い河を、靴一足分だけでも超えられないか

というギリギリ闘争クライアントと繰り広げる。


だって自分人生をすり減らしてゴミを作ってる、とは思いたくない。

自分文化を作っているんだ、と言い聞かせたい。


そんなミリ単位のこだわりを爆発させていくうちに、時間外労働は積み上げられ、

残業休日出勤オンパレードとなっているわけである

ホントにダラダラやってるだけのヤツもいるんだけど)


私は土日の撮影徹夜プレゼン準備が反吐が出るほど嫌いだったが、

ういういい歳こいたおじさん達が、1ミリでも良い物を作るために

わがままを通そうとする姿を見ているのは嫌いではなかった。


情熱大陸とかプロフェッショナルでは、プロ達は綺麗なオフィスキラキラ仕事している場面ばかりだが、

現実プロ達は深夜の制作会社会議室で、ボロボロになりながら臭い鼻息を撒き散らして仕事に食らいついている。

繰り返されるのは、誰かが「もうこの辺で辞めにしませんか?」と言ってしまえば終わってしまうような脆弱会議である

しかし「少しでも良いものを作らないと俺たち生きてる意味ないよな」という不文律が全員の頭の中に共通して存在するから

「もう辞めよう」と口にする人は一人もいない。そして1ミリだけ良くなった企画書を持って徹夜明けでプレゼンに挑む。

その情熱大陸が映さないような種類の、リアルな感じが好きだった。


まぁ、そういうおじさんおばさん達の見えない闘争が積み重なって、

広告文化」と心の中で思っていても怒られないくらいの社会風潮は出来たのではないかと思う。

美大メディア学系の大学広告論の授業があったり、

過去の名作広告をまとめて本や番組が作られるくらいなのだから、一応文化と言っても差し支えはないだろう。




その会社で9年働いた後、私は縁あってWEB広告代理店転職することになった。

これが同じ「広告代理店」を冠しているが、とても同じ広告を作っているとは思えないような職場だったのである

ここが広告という文化を殺して食べる、屠殺現場のような場所だった。



WEB広告とそれ以外の広告の、一番の違いは何か。

それは「数値化」だ。

WEB広告を作る、ということは、制作物の全てを数字に置き換えることができる、ということなである

この広告が何秒見られたのか、どんなクラスターの何%が見たのか、何%が商品を買ったのか、広告コスト効率はいくらか。

広告の全て数字で語ることができるのがWEB広告独自性であり、実際私が居た会社はその強みを最大化するような戦い方をしていた。


すると何が起こるか。

全ての広告を、数値をベースに作るようになるのである


たとえば、必ず視聴率クリック率が高く出るような広告をつくる。

それはどういうヤツかというと、始まってすぐに「お得なキャンペーン」とか「今だけ何%ポイントキャッシュバック」といった数字を画面に大きく出すようなアレである

誰もがあれに反応するわけではないが、一定層そういう数字に反射的に反応する人種の人たちがいる。だから結果的に数値はわかりやすく上向くのである


たとえば、広告コスト効率が高い広告をつくる。

コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である

そういうわけからWEB広告代理店では撮影外注を行わない広告制作奨励されている。

ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。

そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。

その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。



私にはこれが、数字裏付けされたゴミを作っているようにしか見えなかった。

始めにこのクオリティ広告を見た時「まともなクライアントがこれにお金を出すはずがない」と思っていた。

しかし実際は違う。喜んで買っている。そりゃそうだ、クライアントの持っているお金は「広告宣伝予算」であって「広告文化への投資予算」ではない。

RADWIMPSが歌うデザインされたTVCMであれ、フリー音源ポイント還元キャンペーンだけで出来たWEB動画であれ、効果が高そうなものお金を払う。

なんとなく効きそうなだが高価な胃薬と、見た目はチープだが安価で効き目が数字裏付けされている胃薬だったら、後者を選ぶ人は少なくない。

私が在籍していたのは半年程度だったが、WEB広告会社大手代理店から仕事を奪ってきた、というようなニュースを度々耳にした。




かくして、広告という文化は、数値に裏付けられたゴミによって貪られ、じわじわと瓦解し始めている。




今なお「広告文化だ」と思っているのは広告制作者を始めとする一部の広告ギークだけなのだろうか。

しかしたら多くのクライアントサイドも、今では広告文化だとは思っていないのかもしれない。

(思っている希少なクライアントもいる。代理店はそういうお客さんを大事にしてください。)


少なくとも、WEB系の広告会社にはそもそも広告文化と思うような発想はない。

ただ忠実に、広告言葉通りの「広告なのだと彼らは思っている。

彼らは非難される立場ではない。だってそっちの方が本来の「広告」の語義には近いのだ。

から彼らは彼らが今作っているものゴミとは思っていない。

経済を回すための1つの因子」みたいな感じに思っているんだろうなぁ、きっと。


私には、彼らが目先の利益のために無邪気に広告破壊

文化もろとも倒壊しているのにも気づかず勝ち気になっているのが我慢できなかった。

そういうわけで、私は半年会社を辞めることにした。



懐古趣味の「昔は良かったおばさん」みたいな話にはしたくなかったのだけど、

この話は結局そういう結論しかならないのかもしれない。


2019年、ついにWEB広告の出稿費がTVCMのそれを超えたという。

この先の広告業界WEB業界を中心に回るのは日を見るより明らかだし、その時のエースプレイヤーは私が辞めたあの会社かもしれない。

しかし、あの地獄クオリティWEB広告達を元に大学の授業が行われることはないだろうし、それを論じた本が出るようなこともない。

広告という「文化」は静かに解体され、彼らに食いつぶされ、いつの間にか消滅していることになるだろう。


私はそんな「冷たい熱帯魚」みたいな解体現場で確かに働いていた。

そして次はまた、古い広告業界に近い所で仕事をする。

これは救命ボートからタイタニック号に乗り換えるような所業かもしれない。

ただ無邪気に文化を貪り続けるよりはマシだと思っている。


あの制作会社会議室で、今日広告文化足り得るようしのぎを削る人たちがいる。

私は化石のような彼らを、情熱大陸クルーの代わりに見届けることにする。

2020-03-10

anond:20200310181246

大切なことは、患者が一気に増えて医療機関パンクして、

治療すれば助かるレベルの人まで治療できずに死なせてしま事態を避けることなんです。

今の日本、いや世界ができることは、じわじわ感染者そして治癒者を増やしてゆき

少なくとも人口の半分が感染済みの社会にすることしかありません。

新型コロナ免疫を持つ人が半数を占めると、感染が広まる速度が一気に低下します。

疫学リンクの途中に免疫者が登場すれば、そこから先に感染が広まらいからです。

爆発的に感染拡大させたほうが、早く終息する。

なぜなら、感染によって免疫を獲得した人が増えてしまえば、

ヒトヒト感染が起こりにくくなり、結果として、未感染の人も感染する機会がなくなるから

医療機関パンクしないように、少しずつしか感染しないように対策していると、

いつまでも終息せずに、じわじわと年単位感染し続ける。

いらすとやは使わないで

精神障害があり、先ほどパニックを起こしました。

徐々に呼吸がしづらくなり、奇声をあげてしまいました。

その原因はいらすとやです。

最近どこもかしこいらすとやが使われています

ネットテレビニュース番組、町内の掲示板、駅の案内や、公的媒体まで。

少しずつ生活侵食していくかのようにじわじわと、それは増えています

これが続くと、目にする媒体記号が全ていらすとやに置き換えられるのではないでしょうか。

そのことを想像し、得たいのしれないものが、じわじわ社会自分を蝕んでいるような恐ろしさを感じて、パニックを起こしました。

いらすとや安易に使うべきではないのです。

使うのをやめてください。お願いします。

このままでは、社会生活を送ることが難しいかもしれません。

いらすとやを、突然目にするのではないかと、日々怯えながら生活をしないといけないかもしれません。

ウイルスのように、少しずつ人々の生活を侵し、そして、何の違和感もなく人々がそれを享受していく様も怖いです。

安易いらすとやを使うべきではないのです。

このままでは社会生活が送れなくなります。本当にお願いします。

いらすとやを使わないで。

2020-03-08

保育の仕事について

コロナウイルスという未知のウイルスによって世間は脅威にさらされ、それは日常を送る私たち生活じわじわと影響している。

特に、小さな子をお持ちの家庭ではかなりセンシティブテーマであると思う。

私は、保育園で働いていた。

いた、というのは、休職退職への道を辿ったのである

なにかと話題にあがるように、当たり前ながら過酷現場で、自らの目で見て手で触れながら援助していく優しいイメージがあるが、それ以上の戦場であることをとりあえずご理解いただきたい。

私は認可園で仕事をしていたが、例に漏れ人手不足人間関係よろしくなさ、それらによるプレッシャーなどなどでついに体調を崩し、休職となった。あまりかいことを書いてしまうと個人や園特定につながるので黙っておくが、上司に「もう私は身体が動かない、どんなに頑張ってももう無理だ。もう頑張れない」との電話をした時に、「メンバーはお前だけじゃない。俺は他のメンバーも守らなくちゃいけない立場にある。」とひとこと言われて電話を切られたことだけは忘れられない。

愚痴のようで申し訳ないが、休職中は、逃げてしまった、子どもたちはどうしているかメンバーは?などなど諸々の負の感情に見舞われてしんどかった。同時に、今ここで自分と向き合わねばとも思った。保育のどの点が大変だったかここであげていく。

シフト勤務

保育園シフトで回ってる。園にもよるけど病院付属のとこなんかは夜勤もあったりする。

このシフトが鬼。

早ければ6時半出勤〜とか、遅ければ21時22時までのオーダーもあったりするから、とにかく生活がガタガタになる。体力何よりも大事体育会系が重宝されるのはこれ。

規則シフト勤務でなにが崩れるかというと、自律神経である

天道様が登って起きて、沈んだら寝るのが生き物なんだけど、その常識がいとも簡単に崩れてゆく。

さら保育園では入園運動会、発表会遠足卒園行事というものがあり、それによって早起きや遅くまでの準備が必要となり、よけいに自律神経はダメになる。

自律神経が壊れると、風邪をひきやすくなり、治りにくくなり、もともとあった持病がヌッと顔を出してくるほか、放置していると確実にメンタルを壊しにかかってくる。そうすると大変だ。

わたしからは体力増強に努めよとしか言うことができない。そのくらいどうしようもない問題だ。

*人との関わり

尋常じゃなく人と関わる。子どもはもちろん、その親御さん、それだけならまだいいが、同僚(同じ保育士だけじゃなく、栄養士さんや看護師さん、たくさんの専門職が集まってチームで仕事をしている)。目まぐるしいくらい色々な人と話し続けて相手の思惑を慮り、時には意見が衝突することもあるし、衝突したらしたで絶対折れない人多いし、なぜか存在デカくてべつになんにもいいことしてないのにみんなからリスペクトされてる人とかとにかく色々強いのがいる。

人間関係デパート

どの人ともそうだが合う合わないあって、合わなかったらサイアク。どこかでガス抜きして自分の色を出していくしかないし、それすらも許されなかった場合やる気を失う。

子どものためにみんな一生懸命で、気持ちがぶつかるのはわかるが、結局ただのケンカになっていたり。

専門職免許を手にした時から専門職から、たとえペーペーだろうとベテランだろうとみんな持論を持ってるし結局は誇りを持って現場にいる。そういう人たちと共闘していくにあたって、心が折れてしまうようだと、なかなか長く続けてくのは難しい気がする。

大きい園だと人の出入りが多くて目が回ってしまう人もいるだろう。それはそれぞれのコミュ力によると思うが、出る杭になって打たれてしまうようだと悲しいかなそこでは難しい気がする。

感情を揺さぶられる

とにかく感情労働というやつなので、笑ったり泣いたり、いろんな人としての感情にとんでもなく自分の心がついていって処理しないといけないので、ほんとうに疲れる。特に0〜2歳くらいの子たちは1秒後には想像もつかない行動に出るし、自我がすごいので、ひとつひとつに付き合っていかないといけないのだが、1日終わると魂が抜けている。時々わけもなく涙が出てくるようになったら赤信号かもしれない。そのくらい感情暴力に見舞われる。

あとすごく怒る親御さんに当たるとつらい。今の世の中慌ただしいので小さなことにこだわり、細かく見てくる保護者もたくさんいる。

忙しい世の中だから家族はせめて家では楽しく過ごしたいので、そのぶんの鬱憤が園にぶつけられることも多い。特に子どもの甘えとか、イライラ自我を受け止めるのはかなり心にくる。ひとりでそれを受けるのは人間どんな強い精神を持ってても無理なので、保育園はチームで動いている。チームの中で大切なのは思いやり。これがないと現場崩壊する。だから人間関係大事で、ちょっとでもうまくいかないと思いやりが伝わり合わず、とんでもないことになる。

何点か大変だったなぁというポイント?をあげてみたものの、これには個人差もあるし一概には言えないと思う。ネガティブな要素がたくさんある中でも、そこからパワーが湧いてくる…くらいの人は、保育をずっと続けられると思う(そういう人間が本当に存在するのかはナゾだが)。しんどいけど負けないぞという強さがある人にも向いている。そういう人たちは続くと思うし、現に長くやってる人は強さがある。

あとギャランティ問題も早急に解決してもらいたい問題だ。改善はしているが、諸々の責任の重さについて対応する値打がまだ充分に付けられていない。

いろんな現場があって、小さな赤ちゃんから入学前の幼児さんがいるような大きな園はとにかく目まぐるしくて、迅速な判断と行動が求められるし、最前線から人手も足りないし常に忙しい。逆に、小規模で乳児さんまでの園だと、少ない人数をしっかり見られたりして、ゆったりのびのび保育できる現場もある。(ここも保証はできないので気になるところは余すところなく見学なり実際に保育に入らせてもらったりして環境を見ておくこと)日々勉強し続けなければいけないのはどこでも同じだが。同じ保育士とはいえ意不得意はあって当たり前だし、いろいろな働き方がある。ようは自分に合った現場を探すことが大事なのだ別に最前線の大きなところでバリバリやることだけが全てではないと私は思っている。

ただひとつだけ言えるのは、子どもを育てるという、人として尊いものひとつをさせてもらえるという喜びがあるという点において、これは感謝以上のなにものでもない。園にいる間はわたしの子どもたちという気持ちでいることが許される。(限度はあるが)教育現場IT化が進んで、これから勉強を教える先生コンピュータなどの電子媒体にとってかわられていく可能性がある。でも、保育だけは、今もこれから保護者に代わって子どもの育ちを自らの手や目でもって担っていくと思う。就職活動をしている人、転職で保育をやってみようと思っている人も、ぜひ保育について考えてくださると嬉しい。

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