はてなキーワード: CDとは
漫画は雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌と女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。
それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛とイケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。
けれども雑誌文化ということであれば日本の近代文学も雑誌文化です。同人誌です。
しかしラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。
それについて調べてみると文学はそもそも女が見るようなもんじゃなかった時代に販路なりが成立したんだろうといいます。
(漫画は手塚がリボンの騎士、赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画が分岐していた。 )
男しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。
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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画や音楽も小説と似た事情だと思います。
映画や音楽を男や女しか楽しまなかった時期があったとは考えにくいですね。
「映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています。
(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化の目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)
音楽にしてもそう。伝統音楽が典型的でしょう。ケルト音楽やケチャや中国の音楽を男女の一方しか楽しまなかったということがあったでしょうか。
(まあ中国の音楽はドラマで悪の皇帝が宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)
他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなものは部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから、目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。
現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。
ちなみにゲームの場合はハクティビズムが源流にあってこれはギークの趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います。
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映画や音楽の場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います。
けれども娯楽本位だから、チープな文化だから男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。
映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛を主題としてきた多くの映画が別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたから作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別を凌駕したのでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います。
映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます。
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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノの即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画や漫画との違いはありません。
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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。
その意味では音楽を除き映画と漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます。
また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在の美術に男女差が見られない理由を過去の販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。
映画は実写。小説はデフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。
また小説との比較では、小説は文が主体で漫画は絵が主体という違いがあります。
これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味で排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。
しかし問題は主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います。
ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。
「漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題でしかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。
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ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。
もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います。
しかしたとえばNHKのゴールデンタイムのバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテンや日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。
それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。
名前の雑学とか医学知識とかいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。
人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難なルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。
男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。
しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれてしまうと思います。
逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサーや適当なバラエティータレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的な番組が生まれるのだと思います。
それに関わった人にお金が渡る。その事により、次に繋がっていくのだ。
買う人が多ければ、次はもっとお金をかけれるが、あまりに少なければ、
次は無いかもしれない。
CDや本だけでなく、買うという事自体、そのもの、それに関わるものに対して、
一票投じていると言って良い。
何らかの形で表されているものは、すべてそうだろう。
自分の行動というのは、自分で選んだものであり、その行動を行う事自体が、
その行動をプレゼンしていることになるのだ。
と、ここまで書いたところで、
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』と繋がった。
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
・フィギュアを飾るための階段のニッチ棚(まあ鉄骨造りだと無駄に壁があついからこそできるのだが)
・つくりつけ本棚 俺は自分で設計図書いたぜ 居室✕2の壁面を1面ずつ本棚にしたが別にビデオやCDもたてられるぜ
・有線LANのケーブルはカテゴリー5で、電気パネルはルーターリセットかけやすいちょっと低めで
・ボタン一個で閉まる電動シャッター(雨戸の開閉がめんどくさい人に)(目隠し以外のカーテンがいらなくなる)
・引き戸(スペース確保)が自動できっちり最後までしまるバネのやつ(ただし無理に小幅で明け締めすると壊れる)
・室外機置き場の確保(エアコンないと夏死ぬし取り付けとかケアがめんどくさい)
・光ファイバー(入れるよな?)をどこからひきこむか考えて前庭をつくる(なんか集合なんとかいうチューブをうめこんでうんたら)(壁にあなあけて架空線でも悪くはないがなんか電柱がふやされたりして風景が邪魔)
・浄水器は寝室の近くの洗面所につけられたら無限うまい水最高なんだがたいてい台所にしかビルトインも後付もできない日本のハウスメーカーの怠惰
・庭と物置はセットだとおもうがたぶん両方いらないがガレージは要るだろ。要るだろ 車庫証明がとれないの欠陥住宅や
・客のための和室(そのうち納戸になるが) 保険のおばちゃんやら仕事の話もってきたおじちゃんと長話できるとりつくろいスペース 居間はテレビをおいた時点で客はもてなせなくなるからあきらめろ
・密集地の戸建ての場合屋上にアクセスできないと雨漏りが直せなくて死ぬので天窓
・都市ガスエリアなら暖房用ガス栓各部屋につけとけ、暖房代激安だし乾燥しないので勝つる ただし停電したらガスファンヒーターも止まる
・つまり各居室に電源コンセント、LAN、テレビ、ガス栓、エアコンが存在することがのぞましい
・実家がセントラル掃除機(勝手口にフィルターとモーターがあって全部屋の床に穴があってそこに専用ホースをさしこむだけで掃除機になる)いれて便利だっていってたけど今はどこもやってないかも
「人生ってきっとあっという間だよね」と言った私に返した言葉です。
祖父は東京医科大学を卒業して医学の道を歩みましたが、その生涯のうちに幾度となく入院生活を余儀なくされた身体の弱い、でも辛くても喚かずに黙って耐えているような人でした。
「授業を抜けて、何処そこを通ってレコード屋に行きクラシックを聴いた。そこはお茶も飲めて…」数年前、病室で聞いた祖父の大学時代の話は、まるで陽に焼けた冊子の中に旧漢字で綴られた、場所も時間も遠い物語のようでした。その頃私は訳あって、大学に行くなんて思ってもいなかったから。
でも私の大学時代もいま思い返せば、ふらっとコーヒーショップに入ったり、たまに授業サボったり、思いついたようにCDを見てみたりしていた。好きなレコード屋を見つけ、授業をサボってレコード聴いてた祖父の話はもはや旧漢字の物語には思えない。
なぜあんなに楽しそうに当時の話をしたのかが分かる。たまに新宿に来て医科大学病院を見る度に、今の私と同じぐらいの20代然とした白黒写真の祖父を思い出す。
生前、泣いて祖父になだめて貰った記憶は思い出せないのだけれど、夜のわずかに街灯が点いている薄暗い街を眺めながら安っぽく流れる涙に対して、例えそれが世間一般と比べてどんなにくだらなく思える理由だったとしても、大丈夫だよと勇気づけられたような気になる時、ああ、祖父がいたんだなと思うのです。
祖父の最期のとき、弱り切った肉体で命を燃やす姿を今も思い出します。
苦しみながら、与えられたものを全部使い切る、そんな感じでした。
与えられた長い人生に対する誠意に見えました。
立派な人生を送りたい。
あの世で、もしも会えた時は誇れるように。
私のスーパースターとも言える。
これ、電源オフにしても電池から完全に電気がなくならない限り、本当に電源オフされているわけじゃなくてパソコンで言うスタンバイ状態だったんだ。
みんな使わない時は、iphoneのカメラは目隠ししてほしい。割とこれ覗かれ放題みたい。
ウェブカメラとかのハッキングというか盗撮ってあるって聞いて、まさか自分のはスマホだしそういう盗撮とか盗聴はないと思っていたんだけど、いろいろ調べたらなんと盗撮、盗聴されていた事が判明しました。
私もそんなこと不可能なんじゃないかと思っていたけれど、昔に飛行機とか軍とかの情報オタクだった男の人と話したことがあったんだけど、そこから気が付いたんです。
私は世間でいう匂わせが苦手なんだ。なんか意図がわからないしストーカーされてる気分になるから。
twitter始めた時、何が起こっているかわからなかったし、よく機能が把握しきれていなかった。
なので、私のtwitter上での会話がどうやら匂わせだと思われたらしい。
今思えば、本人に『私に何か用ですか?匂わせはやめてください』と直球で言うべきだったと反省してる。
ただ、会話が苦手なのと面倒ごとに家族を巻き込みたくなくて、大体のマウントというか匂わせのような事をスルーしてきた。
私は知識としてtwitterのクラッキングをするにはディクショナリアタックをすること、もしくはそれに代わるアプリをインストールさせることだという事をネットで調べて覚えた。
なので、私の電話番号やメールアドレスに『あなたのスマホにアクセスがありました』通知がなければ、ハッキングはないと思っていたんだ。
ところが、最近になってお金を積めば数字操作ができると知り、そしてお金があれば会社を買収することも可能な世界だってわかった。
匂わせだと思われてから私のスマホは突然異常な動きをするようになった。まず、iphoneの音声コントロールがなんのボタンも押してないのに作動しまくり、画面から消えないレベルで表示されるようになった。
最初はイヤホンの故障だと思ったので、イヤホンだけを外した。それでも何度も音声コントロールが出た(青い画面)。証拠写真や動画を取ろうとしても、ソフトが作動しないようになったの。
念の為、電源ボタンで電源を落としてみた。そうしたら、勝手に電源がオンになってまた音声コントロールが出た。その日までまったくそんなもの表示されなかったのに。
その次にwifiの電源も消した。そうしたら、wifiが切れているのにもかかわらず、また音声コントロールが出た。そしてその時にiphoneの中にあったアクエリオンが大爆音で何回も何回も何回も再生されたの。
寝落ちしたらアクエリオンの音で起こされた事も何度もあった。電源切っても流れた。
最初は故障か何かと思っていたけれど、wifiのモードを切っても何をしても再生される事から『え~これさすがに遠隔操作されてるだろ』って思ったんだ。
仕方なく、私は電話番号だけでも解除しに行った。そのついでにiphoneも機種変更した。もうこれで、iphoneが変な動きをしないと思ったの。
そうしたら、iphoneを変えても変な動きをするようになった。触ってもないアプリが開いたり、だれもいないのにカメラが作動する。故障かと思ったけど、あるときとない時がある。
それと画像もアプリもほぼ入れてない私のiphoneが常に熱暴走していること(保冷剤で常に冷やしてました)これはさすがに私の勘違いではない。
仕方なくスマホを使わないようになったら、出先のパソコンも必ず動作が重くなった。
家にあったパソコンもそれまで異常なんてなかったのに、突然大爆音でアナ雪が流れたり(イントゥディなんとか~♪のやつ)、あなた~の燃える手で~♪の英語の歌が大爆音で流れたり。
えっえっとびっくりしてた。ウィルスにしちゃ意思を持ち過ぎではないか?と。
え~もしかして遠隔操作で確定かも。と思い、だれにも相談できず『私、どうすればいいのかな・・・』と悩んだ挙句。私はある実験をした。私が喋ったり、iphoneのカメラを目隠しをしたらどうなるか?って。
結論としては、私をタゲってきた相手に動きがあった。ことごとく私にケンカを売るような、呟きをするようになったんだわ。
ある時は、目隠しをしていた時は黒い画面で歌っているとか、私がわざとtwitterで縦書きで書いたらそのまま真似るとか。
私はなぜかはよくわからないんだけど、自分で狙っているときは出来ないくせに反対の事を言うと相手の事を言い当ててしまうことがよくあるらしい(母や他の人から聞いた)それも何故か私から察したようなことは相手はピンと来なくて、適当に言った事が当たるといった感じ。
私としては適当言った事が当たるなんて嬉しくもないんだけど。だから現実ではめんどくさいのでなるべく人と話さないように回避してる。最初は話してたんだけどどうしてもめんどくさい事になるので。
それから私は怪しいと思ったり、興味のある(ハッキングされたら~系)の記事を読んで、今まで受けた被害を頭の中で整理して、時系列順に並べた。
相手に加害されたくないのもあり、動画や画像で証拠もとってた。yahoo知恵でも相談したけど、こたえられるような猛者が私に答えを言ってくれるわけじゃなかった。そんで卑怯なことに、母に見せたり知り合いに見せると変な動きしなくなったりするんだ。
誰かのアドバイスでハッカーはそんな事出来る人はいないって言ってたけど、情報が古い気がする。
何でかというと、一昔前まだPC通信だったころ、電話番号でみんなはネットをやっていた。電話番号はある意味住所みたいなもの。軍オタの男性によると、電話番号さえあれば相手のパソコンに嫌がらせは可能なのである。
ただ、私はその知識を知っているだけでプログラミングもハッキングもできない。単にそういう話を聞くのが楽しくて好きだっただけだ。
プログラミングの文みたいなのが昔は売られていて、(編み物の表みたいなもん)それをもとに自分でアプリケーションを作って、ゲームをしたり遠く離れた相手のパソコンのCDドライブの蓋を開けたりすることもできる。
01信号の頃からパソコンは発展しているけれども、蓋をあけてみればすごく単純でバカなのもPCなのだ。今まで表ではトロイの木馬みたいなウィルス(というか遠隔操作プログラム)しか知られていなかったけれど、最近はもっと狡猾だ。
ただ、その時代を知る人なら電話番号さえあればスマホでさえハッキングするのは簡単なのはわかってくれるだろう。結局はiphoneは小さくしただけのパソコンみたいなもの。黒いDOS画面にデスクトップ、アプリケーションを載せてるだけの砂上の楼閣だってこと。
唯一高性能で、ハッキング出来ないのは人間の脳みそや心だってことだ。頭の中で考えたり思いついたことはだれにも見ることはできない。よっぽど超能力でもある人でない限り。
ということで、私は3年間なぜか逆恨みされたおかげで、ずっとiphoneおよびパソコンのハッキングに合っていた。多分、日本にいる程度の知識の人だと私は単なるあたまのおかしいひとにされてしまうんだろう。
こういうのは警察に相談もできないし正直泣き寝入りするしかないんだろうな。
twitterで呟いた発言、自分の考え、好きな趣向を毎日毎日すべてパクられる。まるで自分のモノの様にされる。1から思いついたものを勝手にパクらないでほしい。
だから私は今はまったく呟かず、フォローフォロワー数0のアカウントにして非公開リストにして世界情勢だけ見るようになった。みんなみたいにiphoneを触って毎日楽しい人生を送ってみたかった。
まさか、唯一の良い所である勘の良さがこんなに裏目に出るとは思ってもみなかった。
もし、この文章を見てるなら。〇さんファンの方をリストで見て、ずっと匂わせしている事は3年前からわかっています。
そして、twitter社に言ってるのか私をシャドウバンしているのもわかっています。
〇さんがファンの▽さんに粉をかけて、実際に会っていい仲になっていようが何をしようが私にはもうどうでもいいです。
ある時から、『私はどうして他の人に匂わせているとわかっていて、遊んでいるとか彼女がいることをわかっていて、私を悲しくさせる人を応援しているのだろう?私は匂わせている相手をバラさず幸福さえ祈っていたのに。正直つまらない』って思うようになりました。
あなたは私をファンとしても女性としても好きではなく、ただ単にいじめたいだけだとわかりました。去るタイミングを考えていたのですが、最近あなたの非公開リストは消しました。
なのでこれからの人生あなたと会うかどうかはわかりません。どうぞお好きにもっと匂わせて、勝手に嫉妬だと思っていてください。単に尊敬心が薄れていっただけのことを嫉妬と思うのは楽ですよね。
そういえば私は貴方より年上なので、年下好きの貴方が私を好きになるはずはありませんよね。ましてや日本人だし。相当の美人でもない。
プロフィール欄には美人でなくても内面で判断するって言ってましたけど、あなたは普通に年下好きで美人好きの方だって今はわかってます。
って大変じゃない?
依存先を複数用意することを上手くやれるのって、相当な文化資本とか人脈とか、かなりの「持つ者」にしかできないワケで、「持たざる者」にとっては、やっと依存先を発見すると砂漠の中のオアシスをみつけたかのようにそこにドップリ浸かってしまいがちなのでは?わたしですが・・・
ソシャゲ課金しすぎて破産したり、アイドル声優がご報告したらCDを割るファンがいたり(耳が痛いですが)、奥さんに家事や身の回りを依存しきっていて亡くなってしまったらなにも生活できなくなる昭和おじさんとか、ギャンブル依存症、アルコール依存症、いろいろあるけど。
一つの物ごとに大きく依存しすぎていて、そこからハブられてしまって途方に暮れてるんですけど、いま。その依存先の固め方が甘かった。
まだ自分は、反省して長期的な見直しができるような精神状態じゃないんですけども。緊急避難的に休まなきゃならない状態。とてもつかれてる。
phaさんの書いたどこかの本だったか、なんか書いてあったきがする。
「一人で一生できる依存先」「みんなでできる依存先」「一時的で、何年かでなくなる依存先」みたいに、異なる性質毎に分散依存しておくのが堅いよね。みたいな。違ったかな。どこかで聞いたと思う。誰にも壊されないプライベートで堅い精神的依存先を所有したいよね、それは自己肯定感とイコールかも知れないけども。それを持たざる者は多いので、外に依存先を求めるざるを得ず、人生が不安定になる。
たとえばオンラインサービスの類はいつかはサービス終了があるんで、そのつもりでいなきゃダメだ。しかし、たとえば非電源系ゲームだとか、オフラインで動くゲーム機だとかは半永久的に遊べるかもしれない。バブルシステム基板のグラディウスなんかは危ういですが。
諸行無常。
その点、伝統宗教は優秀だよな。少なくとも自分の人生が終わるまでの期間は存在しつづける期待値が高いもの。まあ、まずサービス終了することは無いでしょうね。そういう安心感がある。
自己防衛。当然だよね。VTuberなんか(人生を賭けた精神的依存先として)あてにしちゃダメ。あてにしちゃうから文句が出る。
発電を核、水、火、風、光、などに分散して安定性を増すのと同じで、人生の依存先も複数用意しないと安定しない。
収入源を会社だけじゃなくて副業にも確保するとかね。それができている人はかなり少ないでしょうけれども。
CD-RやDVD-Rも経年劣化で読み出しできなくなる、むしろプレスROMディスクですら危ういんですよね。だから数年毎に物理的に変えながらHDDバックアップ、というほうが堅いでしょうね。"ハード"ディスクだけに。
著作物を公衆向けに譲渡することに関する権利です(第26条の2)。
この権利が設けられたのは、主として、無断で海賊版を大量に作った侵害者が、これを全部第三者に一括して転売してしまった場合に、その第三者(海賊版作成者ではない)による販売を差し止められるようにするためです。したがって、次のような限定がかけられています。
第一に、「いったん適法に譲渡されたもの」については、権利がなくなります。例えば、店頭で売られている本やCDを買った場合、この権利は既に消滅していますので、転売は自由です。
第二に、この権利が働くのは「公衆」向けに譲渡する場合のみですので、「特定少数の人」へのプレゼントのような場合には、この権利は働きません。
第三に、後に解説する「例外」によって「例外的に無断でコピーできる場合」で、公衆への譲渡が当然想定されているような場合(例:教員による教材のコピー)には、譲渡についても例外とされ、無断でできることとされています。
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それだったら
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公衆送信権は、著作物を公衆向けに「送信」することに関する権利(第23条)であり、公衆向けであれば、無線・有線を問わず、あらゆる送信形態が対象となります。具体的には、次のような場合が含まれます。
(著作物が、常に受信者の手元まで送信されているような送信形態)
(受信者がアクセスした(選択した)著作物だけが、手元に送信されるような送信形態。受信者が選択した著作物を送信する装置(自動公衆送信装置=サーバーなど)の内部に著作物が蓄積される「ホームページ」のような場合と、蓄積されない「ウェブキャスト」などの場合がある)
(c) 電話などでの申込みを受けてその都度手動で送信すること
(ファックスやメールを用いるもの。サーバー等の機器によってこれを自動化したものが (b)の場合。)
上記(b)の場合、この権利は、サーバー等の「自動公衆送信装置」からの「送信」だけでなく、その前段階の行為である、「自動公衆送信装置」への「蓄積」(いわゆるアップロード)や「入力」(ウェブキャストなど蓄積を伴わない場合)などにも及びます。こうした行為により、蓄積・入力された著作物は、「受信者からのアクセス(選択)があり次第『送信』され得る」という状態に置かれるため、これらの行為は「送信可能化」と総称されています。
つまり、無断で「送信可能化」すると、まだ、受信者への送信が行われていなくても、権利侵害となるわけです。
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