はてなキーワード: 男性誌とは
女性が自身の自己決定として、ミニスカやへそ出しなどのファッションをする
女性が自身の自己決定として、セクシーな格好でアイドル活動する
胸を大きく描くこともアウト
創作によって提供される情報が、性的消費を肯定している、みたいな作りなんだけど
生物として、女性に魅力を感じないとか、そっちのほうが不自然じゃん?
で、対応したコードを実践したときには、特定の対象には評価されたいはずなのよ
でなければ、「化粧変えてみた」とか「髪切ってみた」とか心底どうでもいいことになるはずで
それに反応しないといけないのおかしいじゃん
意中の男が「いいね」と思う格好は、そのへんの有象無象も「いいね」って思うんだよ
だけども、フェミの理屈を聞くと、平常時は全員まったく無反応無関心であるべきで
でもでもでもでも
女性がそれを評価して欲しいまさにそのジャストタイミングだけにおいては
相手はそれをきちんと評価して、相応の反応することが求められるわけ
馬鹿かと思うんだよね
ヨッピーが朝の占いも全て規制すべきと言って、プチ炎上をかましている。
https://twitter.com/yoppymodel/status/1548848031826870272?s=21&t=jY4iK2oHzRbEWC64K_BypA
私はアラサーの女だが、占いを読むのは普通に好きだ。課金して占い師に相談しに行くほどではないが、石井ゆかりさんやしいたけ占いの自分の星座欄を読んだりする程度には星占いを信じている。どっちも無料だ。本気で信じているというよりも、憂鬱な月曜に「今週は人間関係のごたごたが落ち着くかも」と言われると「あ、今悩んでることももうすぐちょっとマシになるかも、がんばろ」と思えて元気が出るから。
最後は神頼みという言葉もあるけれど、運のようなものはやっぱりこの世にある気がして、今の自分がどこに運が向いてあるのか、なんとなく知りたくなってしまう。まあ知ったとしてもできることはほぼないし、本当に何の悩みもない元気な時は占いなんて気にもとめないのだろうけど、今週一週間がずっと憂鬱だと思う時になにか声をかけてもらえると元気になってることは否めない。エンタメなのだ。
しかし彼氏は私がそんな文章を読んでることもドン引きらしい。「彼女が細木数子のファンだって知ったらドン引きすることない!?占いほんと気持ち悪い、エビデンスもないのに」と言う。そしてヨッピーと同じようなことを言っていた。
自分だって初詣行ったりするのに…と思いつつ、男の人のこの占いアレルギーって何なんだろう? と不思議に思った。私はたぶんアレルギーになるほど占いの負の側面を見てないのだ。何か原体験でもあるのかな?
経営者や政治家は有名な占い師に傾倒してたりするというし、たぶん占い好きな男性もいるんだろうけど。でも男性誌に占いなんて載らないけど、女性誌には必ず占いが載ってるし。普通の男の人は未来に不安を持たないのかな?
追記:思ったより反応もらってびっくりした。とりあえずカルト宗教にはまらないように気をつけるよ。
あと誤読してる人いるけど私は細木数子のファンではないし怖さも感じる(あと石井ゆかりさんやしいたけさんも詐欺の報道が出たら普通に怖くなるだろうし、やっぱり金銭的な詐欺をしてるかどうかは自分のなかのラインとして大きいんだなという気付きを得た)。
たわわしかり温泉娘しかり宇崎ちゃんしかり、性的表現や性差別的表現が公共の場に現れて炎上した際に「これがダメならこれもダメでは?」の引き合いに出るものをまとめたかった。比較対象がブレるとわかりにくいので、今回は公共の場を一般の新聞に載る広告を想定。
・ananのセックス特集及び半裸男性のグラビア…子供が見て「ママこれなあに?」って言われたら困るだろうな、とは思う。
ただ、セックスそのもの=公共の場に出していけないというわけではないこと、特集のテーマがポジティブ(「愛のある〜」「幸せになる〜」みたいな)なため、掲載してもいい気はしている。男性が半裸であるべきか?はやや疑義ありるが、モデルが成人していること、セックスは通常裸ですることから、容認してもいいと思っている。
・女性向け下着の広告…これは下着を着た女性ではなく着用イメージを宣伝するものなので、新聞に載ってきていいと思う。水着も同様。二次元のイラストでも同様で、下着の宣伝なら下着姿の絵になると思うし、それが広告であっても不自然さはない。
・男性誌の広告のグラビア…体を見せるお仕事の方を起用し、それをアイキャッチに本を売ろうという戦略なので、いいはいいと思う。ターザンの男性モデルも同様。ただ、未成年とはっきりわかるモデル(17歳とか年齢が書いてある、未成年だと広く知られているなど)は、広告に載せるには不適切だと思う。若くて判断能力がない子の半裸を本を売るためのアイキャッチにするのは、健康的でない。
・男性アイドル雑誌の広告の水着グラビア…上と同じ理由で、未成年とはっきりわかる場合は少なくとも公共の場には出すべきではない。
・アニメや漫画の広告…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、性暴力や暴力を賛美している内容のものなら、不適切だと自浄作用が働いて欲しい。
・漫画やアニメの巨乳、薄着を強調したイラスト、水着や下着のイラスト…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、キャラが未成年と一目でわかる(制服を着ている)場合は不適切だと思う。これは巨乳キャラを排除しろと言う意味ではなく、アイキャッチに使われるのが不適切の意味。例えば学園もので巨乳の女の子が普通に暮らしている分にはいいと思うけど、巨乳が強調されている(胸を寄せて谷間を見せている、ブラが見えている、スカートの短さやそこから除く肌にフォーカスされた構図など)は違う気がする。
また、なんの脈絡もない体の強調、水着・薄着の場合は、それがその漫画やアニメの1番の魅力としてアピールすることになるけど、認識合ってますか?とは言いたい(ただ性的であることだけが魅力の漫画やアニメの広告を打つべきなのか、その漫画の魅力はそこだけなのか。)。
男性向けの漫画雑誌で、ペンネームは男性風だが実は女性が描いてるケースが多過ぎないか?
(色んな所で語られてるから多くは触れないが、「男キャラ同士の距離感」「男キャラの赤面」「女キャラ全般の扱い」「男性読者向けサービスショットの有無」など)
漫画雑誌を読む時は、作者の名前と共に性別も何となく気に留めながら読むけど、
ペンネームが男性なのに内容が女性寄りだと、強い違和感を覚える。
というより、男に擬態しておきながら女好み満載のシーンを連発されると、騙された気分になり怒りすら湧いてくる。
こういう事を書くと、
「読むだけで性別が分かるなら、明記する必要はないだろ」と言う奴が湧いてきそうだが、
読んでいて「この作者ってペンネームは男だけど、女が描いてる?」と途中で疑念が湧くよりは、先に知っておきたい。
というわけで、いずれかにしてほしい
「女性誌の表紙になった半裸女性像」と「男性誌の表紙になった半裸女性像」が
全く同じ女性の同じ構図の同じ写真だったとしても明確に区別が付けられるのだと思う。
女性誌の表紙になった半裸女性像は、女性の美しさを表現したもので性の対象として扱ったものではないと断言できるし、
男性誌の表紙になった半裸女性像は、男性が女性をモノ化して性の対象として扱っているに違いないと想像する。
一方の男性は、そのようなコンテクストは無視して、現象をありのまま受け止めるから、
女性誌の表紙だろうが、男性誌の表紙だろうが、エロいものはエロいと感じる。
だから、なぜ同じ写真が同じ場所に飾られていて、片方がNGで、片方がOKなのか?
フェミニストも最近は、TPOの違いで認識が変わることを自覚してきたせいか、
TPOの違いを考えてほしいと主張しているようだし、これはこれで正しい方向のように思う。
同じ写真が同じ場所に飾られていてTPOなんかあるかよ!とアンチフェミニストが反発しているが、
これも元々のコンテクストにたいする読解力の違いがあるので仕方ない。
漫画は雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌と女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。
それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛とイケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。
けれども雑誌文化ということであれば日本の近代文学も雑誌文化です。同人誌です。
しかしラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。
それについて調べてみると文学はそもそも女が見るようなもんじゃなかった時代に販路なりが成立したんだろうといいます。
(漫画は手塚がリボンの騎士、赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画が分岐していた。 )
男しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。
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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画や音楽も小説と似た事情だと思います。
映画や音楽を男や女しか楽しまなかった時期があったとは考えにくいですね。
「映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています。
(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化の目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)
音楽にしてもそう。伝統音楽が典型的でしょう。ケルト音楽やケチャや中国の音楽を男女の一方しか楽しまなかったということがあったでしょうか。
(まあ中国の音楽はドラマで悪の皇帝が宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)
他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなものは部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから、目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。
現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。
ちなみにゲームの場合はハクティビズムが源流にあってこれはギークの趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います。
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映画や音楽の場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います。
けれども娯楽本位だから、チープな文化だから男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。
映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛を主題としてきた多くの映画が別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたから作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別を凌駕したのでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います。
映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます。
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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノの即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画や漫画との違いはありません。
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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。
その意味では音楽を除き映画と漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます。
また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在の美術に男女差が見られない理由を過去の販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。
映画は実写。小説はデフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。
また小説との比較では、小説は文が主体で漫画は絵が主体という違いがあります。
これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味で排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。
しかし問題は主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います。
ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。
「漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題でしかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。
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ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。
もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います。
しかしたとえばNHKのゴールデンタイムのバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテンや日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。
それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。
名前の雑学とか医学知識とかいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。
人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難なルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。
男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。
しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれてしまうと思います。
逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサーや適当なバラエティータレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的な番組が生まれるのだと思います。