「人生ってきっとあっという間だよね」と言った私に返した言葉です。
祖父は東京医科大学を卒業して医学の道を歩みましたが、その生涯のうちに幾度となく入院生活を余儀なくされた身体の弱い、でも辛くても喚かずに黙って耐えているような人でした。
「授業を抜けて、何処そこを通ってレコード屋に行きクラシックを聴いた。そこはお茶も飲めて…」数年前、病室で聞いた祖父の大学時代の話は、まるで陽に焼けた冊子の中に旧漢字で綴られた、場所も時間も遠い物語のようでした。その頃私は訳あって、大学に行くなんて思ってもいなかったから。
でも私の大学時代もいま思い返せば、ふらっとコーヒーショップに入ったり、たまに授業サボったり、思いついたようにCDを見てみたりしていた。好きなレコード屋を見つけ、授業をサボってレコード聴いてた祖父の話はもはや旧漢字の物語には思えない。
なぜあんなに楽しそうに当時の話をしたのかが分かる。たまに新宿に来て医科大学病院を見る度に、今の私と同じぐらいの20代然とした白黒写真の祖父を思い出す。
生前、泣いて祖父になだめて貰った記憶は思い出せないのだけれど、夜のわずかに街灯が点いている薄暗い街を眺めながら安っぽく流れる涙に対して、例えそれが世間一般と比べてどんなにくだらなく思える理由だったとしても、大丈夫だよと勇気づけられたような気になる時、ああ、祖父がいたんだなと思うのです。
祖父の最期のとき、弱り切った肉体で命を燃やす姿を今も思い出します。
苦しみながら、与えられたものを全部使い切る、そんな感じでした。
与えられた長い人生に対する誠意に見えました。
立派な人生を送りたい。
あの世で、もしも会えた時は誇れるように。
私のスーパースターとも言える。
自分に酔いすぎ
文化資本モリモリの家柄羨ましすぎて血の涙が出てくるわ。