はてなキーワード: 食卓とは
いわゆる月1スシロー程度の、シャウエッセンが食卓に並ぶ程度の
ハッピーセットを望めば与えられる程度の、裕福すぎず貧困ではない家庭に育ち、
それなりの偏差値の大学をさほどの勉強もせず現役合格、卒業し、学歴という意味でのコンプレックスはなく
それなりの遺伝子のおかげで爆モテとはいわずともそれなりに恵まれた恋愛経験があり、
学生時代に告白されて付き合った彼女と、大きな問題もなく付き合い続け20代後半で結婚し、
パパ大好きと追い回される程度には愛され、
仕事も2度のステップアップ転職を経て年収1500万ほどとなり、
どう考えても胸を張って勝ち組だと思うし、
上位数%に入る程度に恵まれているのは間違いないのだけれど
毎日凄く気が重く、現状への不満が強く、
いや なんでなんだこれ
何をすべきなんだ俺
何かヒントがもらえるかとカウンセラーにもかかってみたのだけど
幼少期にトラウマがあるだの しっくりこないカウンセリング内容となり
最近ヤマハ発動機の恵まれた娘が謎の被害者意識ムーブでしでかしているのを見て
これってどうしたらいいんだ
何か宗教的なのにでもハマればいいのか?
以前、「おかずが多すぎる」という理由で夫婦間で口論になって殺人に至った事件があった。
最初に聞いた時は「なんだそりゃ? 贅沢な話だな」という感想しかなかったが。
妻は実家暮らしから主婦になったためか、あるいは単に食べるのが好きなためか、とにかく作るものが多い。
本当は毎日立派な食卓があるより、節約してくれた方がよほど嬉しい。
正直に言って、男なんて米と主菜だけあれば満足する人が多くないだろうか?
主菜の他に、副菜が3つに、汁物、漬物まである。毎日その調子だと過剰に感じてしまう。
余ったおかずが古くなり稀に捨てることもあるようで、それについては実に残念な気持ちになる。
残り物が冷蔵庫にあれば、自分なら必ずそれから食べようとするが、妻の場合は「今の気分で食べたいもの」を新たに作ってしまうようだ。
味は美味しいのだが。贅沢な悩みなのだろうか。
久しぶりに実家に帰ったら弟が不登校の中退引きこもりニート目前になっていた。まだ高校生だし今なら引き返せる気がするからアドバイスが欲しい。
弟は半年前くらいから不登校になり始めて、最近は完全に不登校になった。
昼は寝ていて深夜に起きてカップラーメンを食べ、PCゲームとYouTube、ソシャゲ課金をするだけの生活をしている。
弟は高知能ASDというやつらしくて、IQは引くほど高いのに、精神面はかなり幼い。
高3なのに、ひろゆきの真似をして、ネットで見たことを自分で考えたように話す。
他の子が彼女とディズニーに行く中、一人野獣先輩の話をしている。
怠惰で、今やらないと後で何倍も大変になるとわかってても絶対にやらない。
テスト期間や受験期であっても勉強せず、当日はどうするのかと思えば休んで逃げる。
日常生活もだらしなくて、布団の周りにはシコティとゴミが積み上がっている。
友達の志望校をfランと言って馬鹿にし(勉強をしないからその子の志望校にかすりもしない)、母親の仕事を本人の目の前で笑う。
より最悪なのはこの状況を母親が助長してイネイブラーになっていること。
塾を勝手に退塾していても何も言わないし、寝坊して朝起きてこなくても何も言わない。作り置きを食べずにカップラーメンを食べても、勉強を全くしてる様子がなくても何も言わない。興味が無いのではなく、立場が弟の下にあるのだ。
買い物に行くと弟は母の持つカゴに何でもかんでもポンポン入れていくし、母も母で弟がこのメーカーの炭酸しか飲まないからといって毎回遠いスーパーまで買い出しに行っている。
このままだとダメだと母に何回も言ったが、改善されることはなかった。
母はあるトラウマから、厳しくして傷つけるのも、弟からキレられるのも怖いため何も言えない言わない。
母が弟に強く出られない理由はそれだけでは無い。
弟は気に入らないことが起こると首吊のロープや煉炭のセットをこれ見よがしに見えるところに置く。
何も言わない母を見かねて、自分が弟に学校や将来の話をしに行ったが、その後ちゃんと食卓に首吊りロープが置かれていた。
弟は将来を
何もせず一生家でゴロゴロニートになるか、死ぬかの2択だと言っている。それしか幸せが無いと。めんどくさいことをやらされるくらいなら死ぬと。
精神科と心療内科二軒につれて行っても元々の気質だと言われ効かない漢方しか出されなかったし、今もYouTubeをみてゲラゲラ笑っていて楽しそうだから、鬱とかではなくこれが弟の本音なのかもしれない。
スネかじりニートになって欲しくないのは弟の為といいつつ自分たちのエゴかもしれないが、このままだらしないニートになっていくのを見過ごすことも出来ない。そもそも母に齧るすねなんてない。
17歳の弟がこれから先幸せになるにはどうしたらいいのか全く分からない
(追記)
こんなに反応あると思ってなくて驚いてる。みんなありがとう。
まずはASD関連が多かったのは予想外だった。
分かりやすくASDと書いたが診断された訳では無くて、心理検査を沢山した中の1つで傾向ありと出たらしいからそこまで深刻に捉えてなかったんだ。
あとは弟が発達障害だって信じられない気持ちも大きい。弟は昔は友達も多くて、中学のときは彼女を紹介してくれることもあった。だからコミュニケーションが苦手と言われるASDと弟がどうも結びつかなかった。
高校もほぼノー勉で私立だけど(地方だから公立の方が偉い)の偏差値60後半くらいのとこに受かって、母も自分も弟に期待してたしそれもプレッシャーになってたと思う。
ただ、ASDだとしたら何らかの支援が必要だし、自分ももっと特性に合わせなきゃいけないから、詳しい人いれば教えてください。
あと見捨てるかどうかってところ。弟のこと疎ましく思ってるんじゃないかと言われたけど、弟のことはほんとに大切に思ってるつもりだよ。
お兄ちゃん!って小さい弟が走ってついてきた時のこととか、スマブラ買ってあげて一緒にやった時のこととか、思い出すと悲しくなるし、今の状況がやるせない。
ただ自分はもう家を出て遠くにいるし、恋人との将来も考えてるから一生弟を養うことも弟の人生の責任を取ることも出来ない。
うちの妻はミートソーススパゲティ作って、食卓に置いて、そのまま風呂に行こうとしたよ。
茹でたてのパスタにミートソースかけて、かき混ぜもせず、ラップもしないで。
とりあえず俺がかき混ぜてラップした。
炒め物と言えば青菜炒めっしょ。炒め物は秒単位の勝負だから同時に複数の食材扱うと一気に難しくなるよ。
・青菜(ほうれん草,小松菜,青梗菜など):100g(3~4束)
・塩:小さじ1/5(0.6g)
・熱湯:40ml
・サラダ油:大さじ2.5
・サラダスピナー(20cm以上推奨)
・おたま/木べら:1本
・混ぜるための箸またはミニ泡だて器
今日の夕飯自炊で美味しかったのは、メカジキの香草焼き。焼き加減がうまくいって美味しかった!
お肉とかお魚を焼くレシピで、お肉/お魚を焼いた後に取り出して、そのフライパンに調味料を入れてソースつくるものがある。
これ、お肉/お魚が焼けたら、お皿にうつして、フライパンでソースつくって皿上のお肉/お魚にかける、というやり方をイメージするのだけど、つくってすぐ食べてもお肉/お魚が冷めてしまう。
今日はいったん焼いたお魚をアルミホイルで包んで、フライパンに調味料入れてソースをつくり、アルミホイルからソース入りフライパンに魚を戻して、フライパンごと食卓に出す、としてみた。
アルミホイルに包むのは効果あるのかわからないけど、テレビの料理番組でステーキみたいにお肉焼くとき、焼いた後、アルミホイルに包んで余熱で熱を通すのが大事とかいってるもんね。家ならフライパンのままでよいしね。
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
店で食べるよりずっとおいしい。あまりにおいしいのでレシピ置いておきます。
・挽き肉を炒める。炒めているうちに油や肉汁が出てくるが、これが透明になるまでしっかり炒める。
・透明になったら酒をしゃしゃっと回しかけ、臭みをとる。おおよそアルコールが飛んだら甜麺醤を入れ、混ざったら火を止める。肉500グラムに対して甜麺醤大さじ2~3くらい。混ぜ合わせたときの挽き肉がチョコフレークくらいの色になるくらいの甜麺醤を入れる。この肉味噌は多めに作って小分けにして冷凍しておく。これで麻婆豆腐を作るハードルがうんと下がる。他にも担々麺やチャーハンに加えたりできるのでストックしておこう。
・挽き肉をフライパンの端にちょっとどかし、油をひく。豆板醤、にんにくチューブ、しょうがチューブをお好みの量で油に入れる。火にかけ、焦げないように軽く炒める。
・豆板醤たちと挽き肉を混ぜ合わせ、しょうゆ少々、みりん、酒を入れさらに混ぜて炒める。
・水を100~200CC入れる。ガラスープをお好みの濃さで入れる。煮たったら角切りにした豆腐を加えて5分煮込む。
・仕上げにコショウ、ラー油を回しかけ、水溶き片栗粉でとろみをつけたら完成。食卓で好みの量の花山椒をかける。
以上です。
最大のポイントは肉味噌を作っておくことと、定期的に麻婆豆腐を作ること。夫は週1で麻婆豆腐を作っているのでどんどん上手になっている。
おためしあれ。
ので難しい。
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10年以上自炊をしてきた。一人暮らしを始めた当初は、レタスとキャベツと白菜の違いもわからない体たらくだったが、試行錯誤の末に、自分を適度に満足させる料理は作れるようになってきた。わたしの場合、「沢山作ったちゃんとしたおかず」と「適当なおかず(豆腐や納豆、カットサラダ)」をループしつつ、コメや果物で隙間を埋めるというものだ。「おかずとごはん」がわたしの自炊の基本であった。「毎日台所に立つのはめんどう」だけど「四日に一度くらいなら料理をするのは楽しい」ので、自然とこういうかたちに落ち着いたのである。
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≪余談≫好きな適当飯は「豆腐かけご飯」。ご飯の上に温めた絹ごし豆腐を載せ、鰹節・すりごま・麺つゆを掛けたもの。最近は減塩のため麵つゆの量を減らしラー油をかけているがこれがまたとても美味しい。
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さて一人暮らしでならこれでよいのだが、家庭の台所を預かる身としてはこれでは不十分だろう。目下そこが最近の悩みである。
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ここでわたしの家庭の話をすると、夫婦二人暮らしだがいわゆる”週末婚”であり、夫は土日のみ帰って来る(諸事情あり、平日は夫実家で過ごしている)。夫には一人暮らし経験はなく、料理趣味はない。頼めばカレーやキャベツ卵炒めくらいは作ってくれるが、とてもハードルを感じているようだ。まあそりゃそうだろうと思う。わたしだって他人が管理している台所に立つのは嫌だ。
家庭料理の話をすると、現代においては二言目には「家事の折半」「男女平等」と言われる世の中だが、少なくとも我が家にはそれは当てはまらず、5/7は実質一人暮らしなのだからわたしにはハウスキーピング責任者としての振る舞いが要される。加えて自炊経験に大きな差があるので、台所の守り人としての責任もある。「適材適所」だ。
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というわけなので、少なくとも土日二日間はわたしには「まともな食卓」を構築する責任がある。
あるのだが……
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めんどくさいよ~~~
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極力努力はしているがたまに力尽きておかずが一種類しかないとか、コメが炊けていないときがある。
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その場合、夫は気を遣って、適当に食べたり外食したり、コメを食べて納豆ご飯で済ませたりしている。だがその「食べる」の内容がものすごく不健康なので(納豆2パック食べた後フルーツグラノーラドカ食いとか、とんかつ定食大盛り+蕎麦とか、ラーメン大盛りとか)つい「さすがに食べすぎでは…」と口出ししたくなり、でも家庭の原則としては「気になる方がやれ」である以上、じゃあ気になるならわたしが献立をコントロールしろという話になると認識しているのだが、だが……。
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はい。結論としては「じゃあ、やれ」ということになる。デモデモダッテ、と自分の中で言い訳する理由は結局のところ「めんどくさいんだもん」なので、じゃあそこは工夫と気力で改善すべきだろう。
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でもめんどくさいよ~~~
だいたい土日はわたしも休みたいんだよ~平日しぶしぶ料理をするのはお弁当を作る必要があるからなんだよ。
ほうっておいても健康的なもの食べてよ~~。栄養学について自分で学習して摂取カロリーを自分で計算して食生活改善してよ~長生きしてほしいんだよ~その食習慣で長生きするのはムリだよ~~~いろいろ持病もすでにあるんだしさ~~~~
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ギエ~~~~~~~~~~~~~
これは学生時代、不登校引きこもりで病んでいた頃の話です。振り返ってみると、当時の私はどう見てもメンタルが異常でした。
毎日が不安で、何をしていても落ち着かず、生きた心地がしませんでした。
単純に言えば、「満たされていなかった」。
そんな中、私を救ってくれたのはいつも「好きなもの」でした。漫画、音楽、そして食べること。これらが私のメンタルを辛うじて支えてくれていました。
私は食べることが好きです。好き嫌いもほとんどないし、小さい頃からよく食べる方でした。つまり私にとって、食べるとは即効かつ確実に「自分を満たしてくれる」行為に他ならなかったのです。
食い尽くしてしまう人々の名誉のために言っておくと、計算はできていたと思います。例えば、2人に対して餃子が10個あれば1人5個。うちは5人家族だったので、この場合は1人2個です。
もちろん最初は自分の皿に餃子を2個移します。そして食べる。美味い。しかし大皿にはまだ数個の餃子。食卓と目が合って、まだ皿の上に在る食べ物を見てしまうと私はいつも、衝動を抑えることが出来なかった。私の中を這う感情は常に「お腹空いた」ではなく「足りない。満たされたい」でした。
そうなると、恐ろしいことに、私の脳内では「1個くらい食べてもバレないんじゃない?」や「まだ取ってない人がいるなら、お腹空いてないのかも」といった自己正当化が始まります。そして、何かに急かされるように大皿に手を伸ばしてしまうのです。
今思うと、これは完全に自己正当化と認知の歪みです。当時の私はメンタルがおかしかった、と思います。
話を戻しますが、私は餃子を3個以上食べたわけなので、当然バレて親に怒られました。「なんで食べちゃうの」と。そりゃそう。至極真っ当な意見。
でも、当時の私はその言葉では食い尽くし癖を止められなかった。
だってその時、私が本当に欲しかったのは親からの承認だったから---☆
学校に行かなくなって、周りの評価も変わって、当時の私はそれが結構怖かった。相対評価の中でしか価値を認められてなかったことに気付いて、結構ショックを受けていたのです。だから私は親に、どこで何をしているか以前にあるはずの「私の存在そのもの」を肯定し、承認してほしかった。
でも親は学校は行くべきもの、やるべきことだと思っていたし、私に「学校に行って欲しい」って言っていた。そしてその言葉が娘に対する愛情から由来するものだとは私も分かっていた。それでも学校には行けなかったので、悲しいすれ違いが発生してました。
何をしていても不安だった。「でもお前はやるべきことをやっていない」という視線は、あの日の私のメンタルを満たす箱の、底を抜いていた。
だから、満たされない心を他の何かで埋めるために、即物的で確実に欲を満たせるものへと手を伸ばす。それが私にとって「食べること」でした。
念のために言っておきますが、「だからお前の旦那はメンタルがおかしいんだ」と言いたいわけではないです。
そういうことを断じれる立場にはありません。
ゆえに、私はただ私の話をしているだけです。その点はご留意ください。
ただ、もしかしたら貴方のおうちも、食い尽くしのその原因は食卓以外にあるかもしれません。
餃子の数とか、食欲とかではなく、それ以外のところに。
以上、読んでくれてありがとうございます。何かの参考になれば嬉しいです。
ちなみに親とはぼちぼち仲良くやれてます。虐待とかじゃないし、被害者面したい訳でもないです!そこだけはまじで頼む(?
※10個は例えの数です。異常に足りてないご飯ではなく、普通にいつも5人分出てきてましたよ
追記?
1.分かりにくい文章でごめんなさい。書き直してみたのでよければ読んでみてください。精進します……。
2.私もそう思います。私の場合は、許されたいのは餃子をたくさん食べることではなくて、自分の存在そのものだったので、食べる数だけ許容されてもより満たし方が歪になってただけだと思います。まあ食い尽くししてる側が悪いんだけどさ……。
熟カレー
こくまろカレー
とろけるカレー
箱単価はバーモントがやや高いが、パッケージサイズが大きいのでグラム単価では安い。
熟、こくまろ、とろけるの3つはコンセプトが同じなんだと思う。一晩寝かせたカレーが何ちゃらが流行った頃に発売されてる。とにかく無難。
こいつらは原材料の種類が多い。原材料の種類が多いほど複雑で美味しくなるわけじゃなく、ボケてマイルドな味になるということなんだなと。
熟カレーはプレミアム熟カレーと名前が変わって、パッケージに高級感が出て特売の頻度は減った。イメージ戦略なのだろうか。味は変わらないし、特売してないだけで価格も最下層枠のまま。
バーモントはパッと見では出来上がりがとにかく黄色い。かといってターメリックが効いてるというわけじゃない。フルーティで甘味が強い。
小学校や子供会のイベントがやたらバーモントだったせいで、不味いイメージだったけど、意外といける。バターを多めに使って華やかに仕上げてやるといい。せっかくフルーティで甘味が強いって個性があるのに、安いこま切れ豚肉とジャガイモだらけのカレーにしちゃうからダメなんだと思う。ルーじゃなくて貧乏を憎むべき。
絶品カレー
人は、松竹梅の3ランクを選ばせると竹を選びたがるらしいが、まさにその竹ランク。
安物を使ってない!
高いって言っても8皿分つくって50円や100円なんて誤差だけど。
ゴールデンは王道。これが家庭のカレーのスタンダードという印象。でも、意外だったけど記憶の中のゴールデンよりも辛味は強い。
辛さの種類が、唐辛子系のとは違った、胡椒系の尖った辛さがある。挽きたてという感じで、熟やこくまろのマイルドさの対極。
絶品カレーは、味の方向は、一つ上のランクのディナーカレーとザ・カリーを意識してるけど、ペースト別入れとかのアイツらの味に届くわけもなく。そもそもカレーって素材からエキスがでるんだから、材料ケチらなければ、肉の旨みも野菜の旨みもでるんで。
ディナーカレー
ザ・カリー
はじめに言っておくと、俺はザ・カリー中辛が1番好きだ。とりあえずこれを使ってとにかくレシピどおり作って欲しい。もしアレンジするなら、肉は牛肉を使い、肉と玉ねぎの分量をレシピより増やしてつくると至高の味。
まあ、豚でも鳥でも野菜が何でも、ルーの力でねじ伏せる旨さがあるんだけども。自分で作ると分量が難しい、しかもちょっと高いスパイスのカルダモンの量がちょうどいい。
ザ・カリーが好きすぎてディナーカレーを忘れてた。ディナーカレーはバターの香りが強い。ファンドボーを売りにするが俺はバターの香りのほうが印象が強い。そして、ザ・カリーとは方向が違うけど、やっぱりスパイスの香りも華やか。香りはディナーカレー、コクはザ・カリー。
問題は、この2つはパッケージあたり5皿分とかで、グラム単価は安売り枠の倍。俺がスーパーでザ・カリーを買おうとすると、妻は嫌な顔をする。高いっていってもだ、こんくらい贅沢していいんじゃないかと思うけど。
妻への文句もあるから匿名で吐き出しただけのクソ記事にブックマークがついてビビる。
トラバやブックマークを拝聴し、いろいろ思うところあったのでいくつか補足する。
本文でもパッケージサイズが大きいのでグラム単価では安いと書いたが、バーモントの大箱は12人用で、熟こくまろとろけるは8人用。
素直に使ったことがない。
味噌ラーメンが好きだからっていって、塩ラーメンに味噌足しても思ったとおりの味になるわけじゃないし。
ケチャップとかウスターソースとか粉チーズとか味噌とか醤油で複雑な味にしたい人は、熟こくまろとろけるを使えばいいし。
コンソメキューブとかローリエとかハーブ系が好きならザ・カリーかディナーカレー。牛スジ煮込んだ時とかは、ハーブ系が効いた欧風のルーが合う気がする。
スパイス系を足すくらいなら、好きな方向の製品を買えばいい。我が家はスパイス系が食べたい時はジャワカレーか、「印度の味」って瓶のやつ使ってる。
安い商品のほうが、万人に好かれる味を狙った商品でハズレはない。高価格帯になるほど、ニッチな需要を狙ってきてる。シャンプーとかと同じ。
実家はハウスのカレー粉を常備してたのだけど、廃盤になってた。GABANを子会社にしたからGABANのカレー粉が同じものなのかどうか知らない。赤缶、まだあんまり馴染めない。
https://anond.hatelabo.jp/20240716160642
初心者の頃とか、料理作る頻度を考えると常備したりする調味料はもっと雑な感じで良いと思う。
<Tier SS>
塩って割と量が多いのでかさばるし料理するかしないかだと使い切るのにだいぶ時間がかかる。
ので超絶初心者は味塩コショーもしくは食卓塩で十分だと思う。塩はパスタ茹で始めてから買えば良い。
学生時代はほぼほぼ味塩コショーで乗り切った。ちなみにダイショーはサラサラ感が違うのですごいがまあPBで良いと思う。
・ごま油
料理しなくてもレンチンしたものに味塩コショーとごま油かければ食えるので料理しなくても買っておいて良い。
炒め物もごま油でしてよし。
・しぼりたて生しょうゆ
なぜこれを勧めるかと言うと酸化しにくい上に冷蔵庫に入るサイズだからである。
料理をしないと醤油はかなり使い切れないので小さいサイズを買った方が良い。
これは中身が空気に触れにくいように二重サイズになっているので劣化しにくいし、何より量が多くない。
<Tier S>
・顆粒昆布だし
出汁は鰹系の出汁だと魚の味がついちゃうので、昆布出汁がおすすめ。
とにかく顆粒昆布出汁さえおいておけばなんにでも旨味がつくので良い。
・コンソメ
洋風料理はとにかくこれを入れておけば食べられるようになるので、あっても良い。
昆布出汁と違って、良くも悪くもコンソメの味になるので、失敗しにくくなる。
どれか好きなのを冷蔵庫に入れておけば良い。
濃縮のほうが料理に使えるけど、使用頻度を考えると夏以外はストレートで良いんじゃないかな…。
<Tier A>
・すき焼きのたれ
めんつゆなどと違ってちょっと料理する感が出てくるのでティア一個低め
料理し始めはにんにく使い切るかわからないのでとりあえずチューブ。
食卓用チューブ→大容量チューブ→「なんかすぐチューブなくなるな?」ってなったら生の生姜にんにく買えば良いと思う
<Tier B>
・キャノーラ油
やすくて使いやすい。が正直油など揚げ物をマメにするくらいになってから常備すれば良い。
正直最初の頃は油なんて都度買いっすよ都度買い。
・コツのいらない天ぷら粉
うち粉の代わりになるし、なんか衣を付けて揚げたいときにはそのなにかになる。
<Tier C>※ティア高くないけどあると便利なやつ
・鰹節パック
何でも良いんだけど、和風のものにいれるだけで味が1ランク上になるのでQOLが上がる。
動物系スープのカップラーメンにいれると魚介豚骨になるので幸せになる
味が付きすぎていないので良い。
パスタはもちろん、焼いてこいつで煮込めば何でも旨い。
1~2人用の小さいパックがあるのも良い。
好きな匂いのやつをかけて焼くだけで旨いというのはQOLが上がる。
こんな感じか…。
私は女という資質と運を活用することに成功し、今の地位を得た。
そのことに何の後ろめたさも持っていない。
なぜなら世の中、家柄や財力など、自分の努力以外の様々な資質を持って生まれ、その上に安住している人間など星の数ほどいるからだ。
否、本当のことを言えばそんなことすら気にしていない。読み手を納得させるために書いたまでだ。
食事を準備するは私であり、夫と私は生活費の調達と家事というそれぞれの役割を担う対等な関係だからだ。
ヘレステーキだろうと寿司だろうとデリバリーだろうと、自分の気分にしたがって食事の準備をする。
もちろん夫から何かしらの要望があれば協議を行わないわけでもないが、私が折れるべき明確な理由が提示されない限り譲歩することはない。
なぜならすでに、自分自身がその枠の外で暮らしており、そんな自分を全肯定しているからだ。
夫や子どもを送り出すために朝早く起き、なおかつ今の時代にあっては共働きが普通で、家事と育児と労働というマルチタスクをこなすのが一般的なライフスタイルとされているが、私はそんなものと一切無縁の生活をしている。
好きなときに起き、好きなときに食べ、好きなときにやりたいことやる。
ただ健康にだけは多少配慮すべきかとは考えるので、肉を食べすぎたと思えば他のもので帳尻を合わせるようなこともある。しかしそうでない限りは、自らの意志と自由と選択において、今後も週4でヘレステーキを出すつもりだ。
こうですか?