これは学生時代、不登校引きこもりで病んでいた頃の話です。振り返ってみると、当時の私はどう見てもメンタルが異常でした。
毎日が不安で、何をしていても落ち着かず、生きた心地がしませんでした。
単純に言えば、「満たされていなかった」。
そんな中、私を救ってくれたのはいつも「好きなもの」でした。漫画、音楽、そして食べること。これらが私のメンタルを辛うじて支えてくれていました。
私は食べることが好きです。好き嫌いもほとんどないし、小さい頃からよく食べる方でした。つまり私にとって、食べるとは即効かつ確実に「自分を満たしてくれる」行為に他ならなかったのです。
食い尽くしてしまう人々の名誉のために言っておくと、計算はできていたと思います。例えば、2人に対して餃子が10個あれば1人5個。うちは5人家族だったので、この場合は1人2個です。
もちろん最初は自分の皿に餃子を2個移します。そして食べる。美味い。しかし大皿にはまだ数個の餃子。食卓と目が合って、まだ皿の上に在る食べ物を見てしまうと私はいつも、衝動を抑えることが出来なかった。私の中を這う感情は常に「お腹空いた」ではなく「足りない。満たされたい」でした。
そうなると、恐ろしいことに、私の脳内では「1個くらい食べてもバレないんじゃない?」や「まだ取ってない人がいるなら、お腹空いてないのかも」といった自己正当化が始まります。そして、何かに急かされるように大皿に手を伸ばしてしまうのです。
今思うと、これは完全に自己正当化と認知の歪みです。当時の私はメンタルがおかしかった、と思います。
話を戻しますが、私は餃子を3個以上食べたわけなので、当然バレて親に怒られました。「なんで食べちゃうの」と。そりゃそう。至極真っ当な意見。
でも、当時の私はその言葉では食い尽くし癖を止められなかった。
だってその時、私が本当に欲しかったのは親からの承認だったから---☆
学校に行かなくなって、周りの評価も変わって、当時の私はそれが結構怖かった。相対評価の中でしか価値を認められてなかったことに気付いて、結構ショックを受けていたのです。だから私は親に、どこで何をしているか以前にあるはずの「私の存在そのもの」を肯定し、承認してほしかった。
でも親は学校は行くべきもの、やるべきことだと思っていたし、私に「学校に行って欲しい」って言っていた。そしてその言葉が娘に対する愛情から由来するものだとは私も分かっていた。それでも学校には行けなかったので、悲しいすれ違いが発生してました。
何をしていても不安だった。「でもお前はやるべきことをやっていない」という視線は、あの日の私のメンタルを満たす箱の、底を抜いていた。
だから、満たされない心を他の何かで埋めるために、即物的で確実に欲を満たせるものへと手を伸ばす。それが私にとって「食べること」でした。
念のために言っておきますが、「だからお前の旦那はメンタルがおかしいんだ」と言いたいわけではないです。
そういうことを断じれる立場にはありません。
ゆえに、私はただ私の話をしているだけです。その点はご留意ください。
ただ、もしかしたら貴方のおうちも、食い尽くしのその原因は食卓以外にあるかもしれません。
餃子の数とか、食欲とかではなく、それ以外のところに。
以上、読んでくれてありがとうございます。何かの参考になれば嬉しいです。
ちなみに親とはぼちぼち仲良くやれてます。虐待とかじゃないし、被害者面したい訳でもないです!そこだけはまじで頼む(?
※10個は例えの数です。異常に足りてないご飯ではなく、普通にいつも5人分出てきてましたよ
追記?
1.分かりにくい文章でごめんなさい。書き直してみたのでよければ読んでみてください。精進します……。
2.私もそう思います。私の場合は、許されたいのは餃子をたくさん食べることではなくて、自分の存在そのものだったので、食べる数だけ許容されてもより満たし方が歪になってただけだと思います。まあ食い尽くししてる側が悪いんだけどさ……。
たとえが下手くそで本題が頭に入ってこない
親に承認されたら餃子2個で満足するようになる、とはとても思えないよ。 「親がいいって言った」って言って4個、5個と悪化していくのでは。