はてなキーワード: 漠然とは
偶数月の末日頃発売。電子版は基本的に翌月の10日前後に発売なのだが、今回は4日発売と、いつもより早かった。今回も私の推し作家・座裏屋蘭丸先生はお休みだ。ひぃん。しかし『Daria』で連載中の『コヨーテ』が佳境なので仕方ない……。再来月まで待てがんばる……。
そして今回は前号で最終回を迎えた、『 鴆(ジェン) 天狼の目』(文善やよひ)の記念特集が紙本版にはドドンと入っているはずなのだが、電子版には文善やよひ先生のコメントまでひっくるめて一切掲載されていない。悲しい。なんでそんなに電子派を冷遇するの……。Canna公式Twitterによれば、特集記事のほかに各鴆シリーズの第1話も一挙再掲載されているらしい。
鴆シリーズは獣人(鳥人)ものという、BLの中でも特殊なジャンルではあるけれども、とても漫画の上手な作家さんの描いた漫画で読みやすいので、BL初心者とジャンル不問で漫画好きの人におすすめ。個人的に好きかと問われると、微妙なのだが……(単純な好みの問題)。
ということで、 鴆特集は電子派の私には読めないので、それ以外の掲載作の感想をば。
新連載きた! バンドマンBL。主人公が性的なトラウマ持ちでしかも感性が周囲とズレていて浮きまくる系の人。ゆえにすっかりメンヘラに成長しており、おそらく攻めであろうバンド仲間(ベース担当)に面倒を見られてなんとか生きてる感じ。
1話目なのでなんとも言えないが、バンドマンBLというと『ギヴン』という超人気作品の存在がよぎるので、チャレンジャーだなと。
去年の暮れ辺りに完結した『ヤクヨメ♂』のスピンオフ作品。ヤクヨメ♂の攻め・いわおの子分的な人のツレが主人公。タイトルは主人公の職業が漫画家であるためにバクマンみたいになったようだが、かといって主人公がちゃんと漫画家稼業に励んでいる描写があるわけではない。カップリングが替わってもなお、作者の例のあの性癖をてんこ盛りに盛った内容である。まあ幸せそうでなにより♂♂♂
読み切り。パン屋×米屋の幼なじみBL。エロはない。ピュアラブ系。絵柄が『この世界の片隅に』のこうの史代先生的なふんわり系で、ストーリーにも尖ったところはない。最初から最後まで可愛くほわほわしていた。たぶん、二次創作でしかBLを知らない人の漠然と思う「BLってこんな感じ」に近いんじゃないかと。なごむ。
逃げる相手を追うのが好きな男×逃げ癖のある男。あ、攻め受けこれで合ってるかな?
前編から間が空いてしまったので、どんな話だったっけな……。出来れば短い話は毎回掲載されるといいんだけど、BL読みにおいては短気は損気だ。
絵柄がリアル寄りでがっつりと大人の男同士のゲイものって感じ。
フラッととんずらをこく方もこく方もだが、昔とった杵柄とコネで相手の居場所を特定してくる奴もだいぶヤベェ。もはや犯罪だし。でも追う方からはターゲットはびびりながらもちょっと嬉しそうに見えたらしい。うん、それって幻覚じゃないかな。
今となっては一般ジャンルでも大人気小説家でBL小説家でもある凪良ゆう先生の人気作品のコミカライズ版。世間知らずの坊っちゃん医者×詐欺師。
毎度思うけど、凪良ゆう先生の小説は大部分が心理描写に費やされているし、分かりやすくてノリのいい文体が魅力なので、それを絵で見せられてもなぁ……という感じ。いくら上手い絵でも。凪良ゆう先生の小説が好きだが『積み木の恋』は未読の私としては、ただ原作を読みたくなるだけ。凪良ゆう先生を全く知らない人が読んだらどう思うだろうな? 一読してスルーかな。
まあ、コミカライズ担当の漫画家が悪いんじゃなくて、いくら出版不況で小説が売れないからってこんな企画立てちゃう編集部がよくないんだ。
『 鴆(ジェン)』特集は冒頭に書いた通り電子版には載っていないので、省く。
ゲイカップル・いまぢとほづつみの家に猫に擬態した宇宙人のサンが転がり込んできて、地球侵略の為の情報を得るためにいまぢとほづつみの暮らしを観察しているという話。
痴話喧嘩回。今回はサンの出番が多くてよかった。自転車をこぐいまぢの後頭部に貼り付いているサンの後ろ足がとってもキュート。サンは中身が宇宙人なだけあって人の心を解さないかと思いきや、人間の夜の営みをガン見で観察した結果、恋愛アドバイスができるまでに成長してしまった。すごい猫だ。釈迦に説法感のあるアドバイスだったけれど。
ラストの引きが強い。これは続きが気になるぞ……。
旅人×猫耳獣人。旅人のオルは癖の強い城塞都市国に入国するなり引ったくりに遭い、無一文身元不明人になってしまう。なり行きで働くことになった、猫耳獣人ばかり売っている娼館で、美しい娼夫アコニと出逢う。
ハーレクインのような美麗な絵とストーリー。しかしBLである意味がもはやなくないか? というほどに娼夫達の見た目が女性的。
今回はあまりストーリーに進展がなかったな……。オルが重大な決断をしただけで(それが「進展」というやつなのでは?)
サイボーグ×人間。酸素濃度のやたら高い星に来た元軍用サイボーグが、植物の調査研究をしている人間の護衛だかお守りだかを担当する話。
もはやハードボイルドの可能性はすっかり消し飛んでしまった……。人の心を薄くしか持っていないサイボーグが、ワンコキャラな人間に恋してしまい、誰が見てもほわほわと浮わついているという話。これは温かく見守るしかない……。正直、もっと渋いのを期待してたのだが。山なしオチなし意味なし略して「やおい」まさにこれ。
オメガバース作品。政略結婚と人身売買の中間みたいなカップルなんだけど、買った方の攻めは受けの事を好きなわりに受けの愛を信頼してはおらず、買われた受けの方は実は真っ直ぐ攻めを愛している。猜疑心故に素直になれない攻めと、惚れた弱みで腹を割って話すことが出来ずに攻めの顔色をびくびく窺い続ける受けの、ディスコミュニケーションぶりが、読んでて非常に辛い。
現代的な人権意識と家庭内の前時代的な価値観による閉塞感のギャップがえげつない。ていうかこれ完全にDVじゃん。受けの人全力で逃げて!
……と思うんだけど、逃げねんだよなぁー。それでも攻めを愛してるからってよー。
そんな古風なストーリーなんだけど、今回は実在の最新型避妊薬「インプラノン」が登場する。えっこれもう認可されてたっけ? と思わずググってしまった。マッチ棒くらいの長さの筒の中にホルモン薬の仕込まれた避妊薬で、二の腕の皮下に埋める。三年くらい避妊効果が続く。飲み忘れリスクがないので、99%くらいの確率の避妊効果があるそうだ。
そんな文明の利器を受けの人は良かれと思って攻めの人と相談せずに独断で使用してしまう。そしてそれが新たな修羅場を生む。
あのさぁ、そんだけの行動力があるなら事前に攻めの人とよく話し合おうよ。とも思うけど、攻めは攻めで支配欲と嫉妬の塊で受けとの約束をあっさり覆してくるやつなので、話し合ったところで受けにとって良いような流れには、ならないんだなあ。
今時こういうストーリーはただ只管に辛いばかりなのだが、このギチギチに古風なDVカップルがどのように軟着陸するのか(Cannaだからバドエンではない、と信じたい)、興味はある。
『嘘つきな愛を買う』のDVカップルでがっつりテンションを落とされた後で、今度は陽気に? サバサバしたディスコミュニケーションカップルのやつですよ。ゾンビの佐田×マッドサイエンティスト間宮の日常BL。
前回、一泊温泉旅行(+一泊)にて、恋バナで盛り上がった佐田と間宮。佐田の独特な恋愛観……実は世間一般でいう所の恋愛というもののべたべたしているところが苦手で、それよりセックスの出来る友達くらいの距離感で人と付き合えるといいなと思ってる(間宮と付き合いたいとはミリも言っていない)……を聴いた間宮は、じゃあセックスしよう(もう友達だから)と提案(という名の強制)をしてきて、佐田大ピンチ。
『スリーピングデッド』上巻のレビューには「受けの間宮がだいぶ無理。これで萌えろと言われても」的なことが書かれていがちなのだが、主人公の佐田にとっても間宮はかなり無理だったというのには笑った。正直に「たぶん無理……」と言ってしまうBLの攻め様ってどうなのw
そんな佐田に好かれようと一生懸命な間宮がとても可愛かった。まだ3月なのに可愛い受けオブ・ザ・イヤーが来てしまったぞ大変だ。思いがけない佐田の行動にびびった時の間宮が、死ぬほど驚き怯えた時のハムスターみたいに両手を胸の前で縮こめて目を見開く姿が可愛くて可愛くて可愛くて可愛い。
一方、佐田はといえば間宮がツンツンしまくりながら無茶な要求・暴言・暴挙をぶつけてくるのに案外律儀に応える体でいて、最終的には首尾よく間宮を丸め込んでちゃっかり自分の身を守り切るところが、学校の先生って感じだった。お前そういうとこやぞ……。
もはやゾンビ物とは? って感じのストーリーで今回は特に息抜き回色が強かったが、次回からはどう話が転がって行くのだろうか。ずっと間宮の純愛ネタばかり描かれる訳じゃないだろうし。もうすでに単行本1冊ぶんくらいの分量は書かれたわけだし。既刊が「1巻」ではなく「上巻」なので、あと1、2話で完結して下巻が出るか、1回くらい休載して中巻が出るかかな。
男同士でがっつりド派手に致しているところが見たい人には物足りないんだろうけど、大人の恋愛漫画としてとても面白いので私は好きだな。
耽美SF少年愛BL小説家・長野まゆみ先生が十代の頃に心ふるわせた珠玉の小説、随筆、詩歌のなかから、耽美入門に相応しい全26作を精選。全作品に長野先生のコメント付き。巻末に解説もあり。
目次を見渡すと錚々たる顔ぶれに眩暈がするけど、幻想文学好きは必ず履修する作家ばかりだ。
が、私は現代の幻想小説はわりと好きなんだけど(長野まゆみ先生のほか、川上弘美先生や金子薫先生や今村夏子先生とか)、明治~昭和前期の幻想小説はあまり得意ではないんだよなあ。三島由紀夫は『潮騒』しか読んだ覚えがなかったし、泉鏡花は戯曲『海神別荘』しか読んでいないという体たらく。なお内田百閒は開始十行で寝落ちした。
そんな私が、いくら長野先生のファンだからって、本作品集を買っても最後まで読み切れるのか、甚だ疑問だ……。
では、頑張って読めたぶんだけ。
遊園地で二十七羽ものインド孔雀が殺される事件があって、その重要参考人・富岡の家に刑事が訪れる。富岡はただ前日に公園で孔雀達を長時間眺めていたというだけで犯人ではなさそう。だが富岡家の応接間の異様さと、壁にかけられた美少年の写真のことが、気になってしまう刑事だった。
冒頭を数行読んで、長野まゆみ先生と文体がよく似ていることに驚いた。もしも著者名を伏せられたまま読んでいたら、長野先生が書いたものかと容易く信じそう。文体が似るほど三島由紀夫に影響を受けていたとは。『潮騒』を読んだ時は、似てるとは思わなかったけどなぁ。
かつては美少年だったことを誰にも信じて貰えないほどに老いた男が、孔雀の羽の輝きに魅せられる。(孔雀の羽の色は色素で染まったものではなく、羽の構造が光を反射したものなので、永久に劣化しないのだ。)何者かの起こした事件により、孔雀の美を完成させるには死が不可欠だと気づいた男は、自分こそが事件の犯人ではないのかと妄想をし始める。
ラストシーンは男の美への執念が具現化したみたいでぞくりとした。
雑誌『象徴』の編集長・磯貝が出勤すると、先ほどまた蕗谷から電話があったという。蕗谷というのは筆書きの原稿を持ち込んだ美少年だ。日頃からどんな無名の作家の書いた作品でも必ず目を通すことにしている磯貝は、さっそく蕗谷の小説『蔵の中』を読み始めた。
冒頭は蕗谷の自伝風で、亡き姉との思い出を書き綴ったものであった。だが、姉の死後に蔵の中に独り引きこもるようになった主人公がとある楽しみを見出だした場面から、物語は思わぬ展開に……。
『偏愛耽美作品集』のどこら辺が「偏愛」なのかといえば、美少年が登場するものばかりをピックアップしているところで。さすが長野先生なだけあって。
無名作家の小説『蔵の中』と現実の出来事が交錯し、やがて殺人事件の真相を描いてゆく、と見せかけて……。という現実と虚構が入れ子状になっていてしかもその境界が曖昧な感じ。長野まゆみ先生の『左近の桜』に受け継がれているよなぁ。
蕗谷が女装にハマって鏡の前で表情を作るシーンがとくに印象に残った。
山の手に生まれ育った令嬢のとく子は、眼病の治療のために下町の病院へと入院する。その病院の近所には時春という下町っ子でぽっちゃりめの美少年が住んでいて、しばしばとく子を遊びに連れ出すのだった。
縁日の夕にも時春はとく子を呼び出し、つれ回した。あまりの美しさにどこへ行ってもモテモテで人気者の時春がわざわざとく子を連れ回す理由は見栄のためと、とく子は見抜いていた。とく子の令嬢然とした着物姿を見せびらかすために時春は彼女の手を引くのだと。そこに本心からの労りや思い遣りはない。
時春はとく子を火事現場の跡地に連れ込んだ。「君にほんとうのことを聴いて貰う」と時春は言うが……。
顔が美しいのが唯一の美点の少年。美しい顔はそのままで素顔ではなく見栄の一部となってしまい、その口から出てくる言葉の全てが人の気を惹くための嘘っぽくなる。美しい顔というのは実は醜い顔と同じく異形の一つなのだ。
時春の見栄っ張りを女の子の目敏さで見抜いてしまうとく子だが、時春の美貌の下に隠れた本当の孤独の寂しさには触れようとしない。そんな憐れな話。
ラストシーンで、時春の本心をちゃんととく子が見抜いていたというのが明かされるのが切ない。なんかこれじゃ、時春死んじゃってよかったみたいじゃん……。
はぁ、まだあと23作品もある……。これを私はあと何百年後に読み終わるんだろうか。しかも岡本かの子の次は泉鏡花だし。開始数行でうっ、苦手かも……と思い、もう数日放置している。
日常のふとした瞬間に思い出してしまう.考えないように,思い出さないようにしていることだ.
もし自分が賢ければ,優秀だったならば,本を読む人間だったならば人生はもっと明るく楽しいものだったのでは無いだろうか.そんなくだらないもしものことを考えてしまうときがある.
例えば今日だ.思い出すきっかけはくだらない,日常のそこかしこに散らばっている.
自分でもこんな"もしも"を考えることはくだらないと思っているし,こんなことで悩む自分自身が嫌いだ.
ただ,これは呪いなのだ.自分自身に掛けた呪い.きっと死ぬ直前,ベッドの上で横たわってるその瞬間になっても消えることはない.惨めたらしく"もしも"を考えながら死ぬのだ.
どうしてこうなってしまったのだろうか.
中学生の頃はまだ自分が人生の主人公だと思っていた.運動も勉強も出来なかったが,未来は明るいものだと漠然と考えていた.
高校生になった.世界の広さを知った.自分がちっぽけな存在なのを理解した.理解したときにはもう手遅れだった.
これまで積み上げてきたものは無かった.努力する方法も知らなかった.ただ流されるまま生活し,時間を無駄に消費することしか出来なかった.
自分は逃げてしまったのだ.夏休みの宿題と同じだ.先送りにしたのだ.その結果八方塞がりになって死にたくなった.消えて楽になりたかった.
でもそんな覚悟も勇気も無かった.どこまで行っても自分は半端者だったから.
これは言い訳なのだ.今頑張れないことの言い訳.外的要因のせいにして,自分は悪くないと弁明しているのだ.惨めだ,消えてしまいたくなる.
クレジットカード会社による表現の制限に対抗するには、
・クレカ以外の決済手段の普及を進める(その手段の一つにBlockChainがある)
などが考えられるのかな
https://twitter.com/nalgami/status/1498953048856887297
背景を説明すると、クレジットカード会社による一部オタクコンテンツへの経済制裁が行われている事例が過去に実際あるし今後もあり得る。決済手段だけでなく販売サイトによる制裁も多数あるわけで。その範囲でやりくりしなきゃならないので表現する側は自主規制したりする。だからオタクとしては、親オタクな決済や取引プラットフォームが欲しくなる。のびのび表現してほしいから。かくいう私もオタクなのでそれは分かるしそのほうがいい。
でもこれって見方の角度を変えると、「戦争による経済制裁の回避を試みる手段」とニアリーイコールなのでは・・・。悪用されかねない、つまり「経済制裁された側がダメージを弱める方策の一覧」になもなりえるかも知れない。じっさいBitCoinが爆上がりしてるのもルーブルを換金しまくってる噂が。
諸刃の剣なんですよね。
延長線上には繋がる話だとは思うんですが、大袈裟ですかね?
いや、言っておいてなんですがそれは「悪用」と呼べるのか?は、よくわからないですね・・・。今の経済制裁する側の論理の趨勢は「指導者を憎んで国民を憎まず」なのだけど、でも制裁の単位は国単位・国の通貨単位でやるしかないので結局国民も影響うけるんですけど、その影響を弱める事は悪なのかどうかは、ちょっと難しいです。間接的・二次的なので。
たとえば前澤さんは攻撃を受けている側の国への支援を、兵器にはお金が使われないように、人道支援に限定してお金を出していたりします。
経済支援も経済制裁も、自身が行使可能な経済的影響力を自分の好きなようにやる行為なので、それをやる人の考え方次第なんですよね。閑話休題の「クレジットカード会社が気にくわないオタクコンテンツに対してウチの決済使わせてやらん」も同じわけですね。
だから、ブロックチェーンを使ったなんらかのオタクコインみたいなものが作られたとしたら、それは転用されてゲリラ戦コインみたいに使われてしまうのかも知れない。と言う漠然とした危惧。
あれから1週間が過ぎ、攻撃側が全世界から総スカンを食らって、貨幣・決済、経済、スポーツ大会、あらゆる分野からハブられている状況ですが。さすがにそこまでは行かないにせよ、オタクコンテンツ(帰納して言うと"表現の自由")も一部からは未だ鼻つまみ者にされているわけでして。昔よりは理解者が国内や世界に増えたのは確かですが、根強い無理解者も居続けるわけで、オタクと言う壁で分断されている状況ではあります。
「ウクライナはネオナチがいてヤベー国」ってイメージがロシアの侵攻前から自分の中に漠然とあったんだが、
そういうのに騙されてはいけません。
たとえば、知らない単語の意味を調べたい時に国語辞典を頭から通読する人はいませんし、それを薦める人もいません。
本当に知識がある人なら、情報を探している人に「それは○○という本の△△に書いてある」と言います。
そういう具体的な助言ができない人が「本を読め」と言っているのです。
「本を読め」と言っている人は、「本を読むと読解力が身に付く」だの「本を読むと教養が身に付く」だのと言った「ご利益」を唱えます。
心理学的には、この「ご利益」のメカニズムは解明されています。
「本を読む」ことで身に付くのは、たとえば「"コレステロール"と"動脈硬化"という単語は同じ文章中に出てくる可能性が高い」と言った類の知識です。
これが積み重なると、
というのをある程度予測できるようになります。その予測が当たると、人間はあたかもそれを理解したように錯覚します。
つまり本をたくさん読んでも、「文章の内容を理解せずに飛ばし読みすることへの抵抗が無くなった」だけで、読解力も教養も身に付いていないのです。
数学の問題を見て「これは二次関数の問題だ」みたいなことが分かるだけで、一問も解けないようなものです。
メディアリテラシーを身に付けましょう。
「本を読め」とか「読書は教養だ」などと言っている人にまともな経歴の人はほとんどいません。
彼らは一般向け啓蒙書はたくさん書いていますが、専門家向けの本を書いている人は稀です。
彼らには、自身が一般向け啓蒙書で書いている分野のごく初歩的な内容すら説明する能力がありません。
中学英語をやっと覚えた人が「外国語を学ぶことは異国の文化を理解することだ」みたいなポエムを口ずさんでいるようなものです。
フォロワーが増えれば増えるほど一人辺りから与えられる「いいね」の重さは軽くなる。
「いいね」の総量が増えた所で人間の感じる幸福度は大して変わらないので、相対的に最初期から仲が良かった人からもらえる「いいね」が軽く感じるようになる。
するとウッスラと繋がりに薄さを感じ始める。
そこから漠然とした巨大な「いいねをくれる人達の塊」と仲良くしようという気持ちが始まる。
人と人との繋がりでも、アカウントとアカウントの繋がりでもなく、巨大な集合意識との関係になっていく。
するとみるみるうちにエコーチェンバーに飲み込まれるし、自分の考えというものも持てなくなっていく。
如何に増やしすぎないように自制できるかである。
これが出来ずにフォローを雑に増やし続けて気づけばフォローバックでフォロワーも無意味に膨れ上がってしまうアカウントが多すぎる。
下手くそだな。
多くても150までだな。
それ以上はよくない
わかんねえな
そもそも買い食いってなんだ?
ぐぐりました
goo国語辞書には「菓子などを自分で買って食べること。主に子供の場合にいう。」とある
へーそうなんだ
てっきり「菓子などを自分で買って"家の外で"食べること」だと思っていた!
漠然と「確かに歩きながらモノ食べるのはお上品とは言えないからダメだよな~」とか思っていた
しかしそれは狭義の買い食いで、広義の買い食いは家に帰ってから買ったもの食べるのもダメなのか!
だとすると学校校則で定める買い食い禁止と、親が自分の子に言い聞かせる買い食い禁止は微妙に理由が異なる気がするな?
前者は「狭義の買い食いをするな。生徒が買い食いしているのを市民に見られたら学校にいかがなものかと電話が来て困るから」
後者は「広義の買い食いをするな。夕飯前に勝手にお菓子を食べてお腹いっぱいになると困るから」
なるほどなあ
わかりました
とします。
どこで何を見たのかわからないのですが、ときどき一緒に働きたいと志願してくる人がいるんです。こういう人は大抵キラキラしたものに寄ってきます。ある分野のことに知識があるとか、この分野をこうしてみたいという具体的な志は無いような気がします。
と私は呼んでいます。
どんなに外見がよくても実務はコツコツしたもんですよ。そうすると不満を感じるみたい。その矛先は社長の私へ向かいます。
何故か社長対専務の構図を作り上げ、専務はこんなに素敵アピール。
そんな暇あったら目の前の業務こなしてよって感じなんですけど。
私も専務も対立してません。ってかここまで作り上げてきた戦友だし。これから道を分つときがくるかもしれんけど、それは個々の問題だし。
なのに何故か、「何者かになりたいけれどなれない人」は分断を煽って居場所を作ろうとする。
こういう人には一度キラキラした場面を用意してあげるんだけど、結局力不足で自滅すんのよね。
そりゃそうよ、私も専務も他の人たちもコツコツやってきて仕組みをつくってその土台があるのにさ。
なんでそこをスルーできるとおもってるんだ?きょうび地下アイドルだって地道にレッスルしとるで?
かつてこういう人が数名来た。ある意味強烈な印象として残ってる。
フルタイムの事務職だけど、8:20に起床して始業時間8:30ギリにPC開いてた頃はまだ良い方で、最近は9:00過ぎにとりあえずベッド脇でPC開いて上司に在宅開始連絡して、今この時間(10:30)もまだベッドでダラダラまとめサイトとか見てる。
そして日に日に酷くなってる。
かといって「サボり最高~!!!」みたいな感じで満喫してる訳でもなく、目が覚めてからずっと「起きなきゃ…このままじゃダメだ…」って思いながらTwitterやってるから完全にクズ人間。
起きちゃえば普通に仕事するし、むしろ作業は早い方だしルーチン仕事だから1ヶ月の中でちゃんとやるべきこと終わらせて帳じり合わせてなんなら同じグループの人のサポートもがっつりやるから誰にも文句言われないんだけどさ。
だったら早起きして先に仕事終わらせて残りの時間罪悪感なく自分の時間を満喫するとか、いっそ開き直って「サボり最高~!!」って楽しめればいいんだけど、ただただ焦燥感と罪悪感のなか布団のなかで頭が痛くなるまでもう見るものもなくなったスマホを猿みたいに見続けてる。
どうやら自分は「仕事を始める」ということにめちゃくちゃハードルがあるみたいだ。在宅始める前は「出社しなきゃヤバい」という有無を言わせない強制力があったから、多少しんどくても、起きて家をでて会社に向かう間に自然とそのハードルを越えられてた。
それが出社という強制力を失った途端に、自力で「仕事を始める」ハードルを越えなければいけなくなった。でもそれができない。仕事に対する漠然とした不安感が常に付きまとっていて、それを振り切るようにPCを開くことを考えただけで辛くなってしまう。
正直一定の時期を除けばさほど忙しい訳ではない。だからこんな状態でも何とかなる。でもこんな状態から抜け出せない自分と甘受できない自分の間で苦しんでる。
恵まれてるのは分かってるけど、辛い
『外見』
ほうれい線とマリオネットラインが日に日に存在感を増してくる。
笑うと目尻にしわ。ファンデーションがシワに溜まるってこういうことかと実感。
このまま時の流れに身を任せるべきなのか。
頬を糸で吊ってHIFFして、さらに月日をかけてそれをメンテナンスするべきなのか。自己満足のためだけに。
『仕事』
新卒で入社し、あれからあれから十数年。10年程ブラックとは言えないまでもグレー企業で働いた後、転職して今はまずまずホワイトでそこそこの給料をもらえている。管理職などにはなりたくない。できれば現状を維持したい。一兵隊として、そこそこでやっていきたいが、キャリアアップ!セルフディベロップメント!の圧よ。そんなガツガツしたくねぇ、けど生き残りてぇ。これまた中途半端。
『資産』
持ち家も子供もペットもいないので身軽。おかげさまで現金の貯蓄は結構あるのだが、資産運用とかするのは怖い。でもインフレに怯えている。こちらも中途半端。
『家族』
結婚して5年を超えて、パートナーに不満がないのは幸運だと思う。
子どもがいない夫婦してうまくやっているので、波風を立たせたくない。
子どもを設けるなら本当にギリギリのラインだが、ここまで欲しいと思ったことがないのでそういう人生だったのだろう。
親は今のところ健康だが、これからだろうな。ここが現状一番の不確定ポイントかもしれん。
『趣味』
いくつかの趣味を数年おきにハマる、冷めるを繰り返している。そのため何においても永遠の初心者。
何かに熱中できなくなったらこの先の人生相当虚無だろうなとは思っている。
結局何か大きな変化を起こしたいと思うほど困っていることはなくって、ただこれまでと同じ人生をあと30年とか続けていくのか、維持できるのかっていう気持ちと経済の不安なんだよなぁ。
自分がちょっと怪我をして軽い後遺症とか抱えて生きることになったので思うけど、病気でもLGBTでも障害でも何かしらそういうの1つ抱えた途端めちゃめちゃこの社会で生きるのハードモードになるんだよな。
こんなに自分の見えてるものが狭かったのかと日々感じるんだけど、こういうしんどさをうんと昔から感じている人もいるんだろうと思う。
知識とかとして分かっちゃいたけどいわゆる当事者目線っていうのはまじで当事者に近くならないと分からない。
その上でほんと、こんなにままならないことがあって、社会にも不満抱えてんのに子ども欲しいとは思えなくなったんだよね。
自分みたいに、先天的にしろ後天的にしろ、マイノリティ性を抱えた瞬間に一気にただ生きることが大変になると分かってて、それを良くない社会だと自覚してるのに、そこで生きていくことを強制するのが無理になった。
うちの子に限ってマイノリティになるはずがない、みたいなある種の優勢思想みたいだと感じてしまってだめになった。
子どもが病気や障害を抱えてても親として受け入れる、じゃなくて、子どもというか、親によってその社会で生きていくことになったその人間はこの社会をどう思って生きていくだろうと考えたら…。
おすすめできないプレゼントを強制的に押し付けてしかも返品もできない、というのが自分の中の「子どもほしいな」という漠然とした気持ちと折り合い、整合性がつかなくなった。
俺へ
明日面接を控えてるのに結局「やる気出ね~!w」とか言いながらスマホをポチポチしていましたね。
俺は俺との付き合いが長いから、今ここで責めたところで残された時間に頑張れるとは思っていません。
やるべき事がある時に遊ぶゲームは楽しいですよね。わかります。
今こうしている間にも他にやるべき事が山ほどあるけどなんかもう嫌なんですよね。わかります。
でもこうしてやる気出ね~!wと言って遊び惚けながら将来への漠然とした不安を抱えて突然起業とか投資とか調べ始めるの、
俺が大嫌いな生産性のない無駄な時間って感じがすごいするんですよね。
今からでもできることを一つずつやっていけば多少はマシな未来にたどり着くと思います。多分。
たどり着けなくても、少しは努力できた自分を褒めてやれるのではないでしょうか。
俺より
書いててちょっとやる気でてきました がんばるぞ~
いやなんで欲しいとか思ったのか(あえて過去形で書くべきと思ったのは反映すべき重要なことだと思う)について全然合理的な理由が浮かばなんだよね
言語化すればしようとするほどこじつけ臭くなってきて直感的に本質とずれていく感覚がある。
医者とかがいっそ合理的な理由などあるわけない、なぜならただの強迫観念とか病気だからとか言ってくれればいいんだけどね。
多分持ってる画集が他のとすり替えてもそれに気づくまではその画集の絵を楽しめてるんじゃないかなあ。
んですり替わってると気づいたときに、意義が漠然とした消失感で元の画集が恋しくなるってだけ。
漠然とした消失感。とは。失ったということ自体に負の感情を覚えそれを解消しようとする自己目的的な態度か。自分のことながらまったく言語化に自信がない。
結局何を失っても元に戻ろうとする復元力を脳が発してるに過ぎないんじゃないかなあ。現にけしごむごとき見失ったら何時間でも探してしまうし。
4歳。もうお勉強を始めないといけない時期。
ひらがなが読めたり書けたり数を数えたりできる頃。
やらなきゃいけないな、とは思う。でも始められない。だってめんどうだから。
子どもがお勉強なんてやりたがるわけもないし。どうやって教えていったらいいの。
理想の親、そんなイメージはもちろんある。家はいつもきれいにして、しっかりお仕事して、美味しいごはんを作って、子どもとも遊んで、お勉強教えて、9時になるころには寝かせて、たまの休みには少し遠出して、そんなおだやかな毎日を過ごしたい。
対して現実はどうだろう。掃除、洗濯、料理、仕事まではなんとかやってる。でも遊べないし、お勉強も教えられないし、夜更かしさせてしまっているし。片付けが追い付かなくて部屋は荒れてるし。
怠惰だから。私は。保育園があるから、ぎりぎりなんとかやれてる。一日一万回、感謝してる。
産まれる前はここまで興味がないとは思わなかった。
理想の親になるために今の趣味なんか全部もうやってないんだろうな、なんて漠然と思ってた。
子どもは可愛い。でもそれだけ。健康にまで興味を失ってきている。ご飯食べない?はいどうぞ、美味しくないよね。おやつ食べるの、はいどうぞ。勝手にしてよね。
YouTubeを延々と見続けていつまでも寝ない子どもに叱るでもなく促すでもなく。眠くなるまで放っておいて。まったく構いやしない。
皮膚も荒れてきてる。薬が切れて久しいから。皮膚科にはしばらく行ってない。夜更かしは肌の天敵なんだよ。なんて、わからないか。
いい歳して何を言ってるのかと笑われると思うが、
以前はできていたことができなくなり、日中の大半を泣きながら仕事するって冷静に考えたらおかしくないか?と思っている。
次の仕事の当てはない。まだ上司にも伝えていない(他人と会話するのが心理的にハードルが高いのでしんどい)。
所謂ブラック企業ではないと思う。暇か?と聞かれれば忙しいが。
単純に「人生に占める仕事の割合」が自分の想像と合致しなかっただけなんだと思う。
だから、大半の仕事には、これもまた就けないんじゃないかと思う。
8時間って。1日の1/3よ。睡眠時間を仮に8時間としたら活動時間の1/2よ。
※夜中にポストしてる人間が8時間睡眠時間を確保しているわけがない
結婚願望がない、今のところはまったくない。
子供が欲しいと思ったこともなかったが、いつのまにかアラフォーになっているので今さら子供が欲しいと思ったとしても無理だと割り切っている。
今のところその兆しもないが、数年後にふとした切欠で子供欲しいと思ったら後悔するんだろうなーって漠然とした不安はある。
その時になってはじめて婚活なりなんなりしておけばよかったなーと後悔するような気もするけど、かといって現時点で既に手遅れだからな。
あくまで今まったく願望を抱かないだけで、将来孤独に耐えられなくて人と一緒にいたい、とか思うかもしれない。
親の介護目当てにパートナーが欲しいとかいう寝言だけは絶対に言わない自信があるけど、幸い家事は得意なので。
ともあれ、将来パートナーが欲しいと思う日が来たら、その時はやっぱり、もう手遅れだしと後悔するんだろうって気がする。
でも、だからといって将来後悔しない為に今動くってことができないんだよね。
欠片も婚活しようって気がおきないし、そもそも成婚できるような気がまったくしない、もう1人で生きる運命なんだってなんか確信に至っちゃってる自分がいる。
せめてやる気さえあればスペック不足を覆すことだって不可能じゃないかもしれないけどさ、そもそもやる気がないんだもん、こればっかりはしょうがない。
幸か不幸か、今のところ後悔する兆しはない。
結婚願望は相変わらず湧かないし、コロナも手助けして人と会いたいって気分にすらならない毎日を過ごしている。
でも、なんとなく、いざその時が来たら後悔するとは思っているけどね。
タイトル的に炎上しそうな気もするけど、ちょっとここで吐き出させて欲しい。
この内容を聞く機会も勇気も今のところないので今ここで書いてる。
少し自分語りをさせておくれ。
きっかけはそう。
いや、嘘ついた。
笑い交じりに打ち明けられたあと、引いた? と聞かれたのをよく覚えている。
正直、当時は恋人のことをなんとも思っていなかった。
カミングアウトを聞いて思ったのは、性に関係なく魅力的な人を好きになれるなんて素敵なことだと思った。
そして、後付けの引いた? という確認も、今まで大変だったんだろうか……と、同情にも似た感情が少し浮かんだ。
そんな防衛線を引かずとも、すんなりと受け入れられるような世の中にはやくなればいいと漠然と思った。
本人にもそれを伝えたような覚えがある。
それからなんやかんやあって、幸運なことに互いに好きになり、今の恋人という立ち位置になった。
隙あらば自分語りばかりで申し訳ないが、ブラウザバックしないのであればもう少し吐露させて欲しい。
束縛するのは罪悪感がわくので、あくまで心に留めているが、嫉妬するタイプ。
自尊心が低いので、自信がなかなか持てないことが起因していると思う。
そんな自分が、相手と恋人になったことで、ふとこんな疑問がわく。
でも今回は、全方向にアンテナを張らないといけないのか……? と。
相手の仲のいい友人まで気にし始めたらそれこそ心身が疲弊してしまうし、全方向嫉妬マシーンになんてなりたくない。嫌すぎる。
そこでタイトルのことを疑問に思ったのだ。
どういうきっかけで同性も性対象になるということに気づいたんだろうかと。
もちろん人に寄ると思うので、恋人本人に聞くのが一番だと思う。
その結果、ここでこうして筆をとっている。
もう1年以上前の話になるが、ウイスキー好きの叔父が死んだ。とにかくウイスキーが好きな人で、東京に出たまま故郷に帰らず、かといって結婚するでもなく酒ばかり飲んでいる変わり者だった。うちはあまり酒を飲まない家系だから盆や正月に集まると本当に浮いている人だった。酒癖だけは人一倍良くて、酔っ払っても機嫌が良くなるだけで人に迷惑を掛けるということがなかったから嫌われてはいなかったし、小さい子供たちからは酒を飲んでるときにお年玉をせびると気前がいいと人気だったくらいだけれど、何をしているんだかわからない一族のはぐれ者、というのが大人も子供も共通の認識だったと思う。葬式もコロナ禍の真っ只中だから親族で済ませたんだけど、叔父のスマホを拝借して連絡した「最近もやりとしていていた人たち」は叔父が通っていたバーの常連客達ばかりで、こいつらも香典と一緒に供え物としてウイスキーを送りつけてくるような変わり者ばかりで、四十九日には遺品整理で残った大量のウイスキーと仏壇の前に並んだお供え物のウイスキーは合わせて100本をゆうに超えていた。
そんなウイスキーの扱いに困った親族の矛先が俺だった。俺は親戚の中では珍しく酒に強かったから(それこそ未成年の頃から)よく叔父の酒の相手を任せられていたし、地元の大学ではなく東京の大学に一人暮らしで通っているというのも地元で暮らす親戚たちから見れば叔父との共通点だったんだと思う。そうして、「特に高級なものがあれば売っても構わないが、弔いだと思って気長に飲んでやってくれ」というものすごく無責任な言葉と共に俺のボロアパートには大量のウイスキーがやってきたわけだ。
ともあれ時間だけを持て余した貧乏学生には悪くない話であった。俺は丸一日かけて叔父のコレクションの目録を作り、叔父が通っていたというバーのマスターに連絡を取り、一部をマスターや他の常連客に市場の半値で売るという条件で全部査定してもらった。その結果、俺は十数本のウイスキーを売るだけで100万円を超える現金を手にすることができ、ちょっと税務署の方角が気になってしまった程だった。困ったのは残ったウイスキーだ。まだ1本あたり1万円を超えるボトルが大量にあったので売ろうと思えばいくらでも売れたのだが、そんなことをすれば当たり前だが残るのは今もネットで数千円で買える酒だけになってしまう。十分儲けさせてもらった負い目もあって、俺は残ったボトルを飲み干すことにした。
自分だけで飲んでいたら何年かかるかわかったものではないので友人を呼んで酒盛りをしたりしたのだが、叔父の好みがドライな方向に偏っていたせいで残ったコレクションはすこぶる評判が悪かった。だが評判が悪いからといって他の酒の持ち込みを許していたらいつまで立ってもウイスキーは減らないため、部屋にあるもの限定の無料の居酒屋を俺は開き続けた。当然客足はみるみるうちに遠のいていったのだが、最後まで残ったのがA子だった。
A子はいつの間にか俺よりウイスキーに詳しくなっており、仲間内で唯一俺の部屋の徒歩圏内に住んでいたということもあって、勝手にウイスキーの山をひっくり返してはあれもあったこれもあったと毎日のように一人で俺の部屋に飲みに来ては、覚えたばかりのウイスキーのうんちくを俺に語るようになっていた。暇を持て余した男と女が毎日二人っきりで酒を飲んでいれば肉体関係に至ったことは想像に難くないと思うのだけれど、俺とA子は最後まで恋人同士になることはなかった。俺はなんだか叔父が生き返ったような気持ちで酒に付き合っていたし(A子と叔父を重ねて見ていることに気づいたとき、俺は叔父のことを思ったより慕っていたんだなと気づいた)、A子から見た俺も、好きな酒をたらふく飲んで気持ちよくなった後についでに気持ちよくなる相手という感じだったと思う。それでも、酒の魔力かセックスの魔力か、泥酔して肌を重ねていくうちに俺達はとても親密な関係を築いていった。同性の友達よりずっと深く、恋人ほど依存しない、そういう関係だった。俺達は毎日のように酒の力を借りて自分の思いを何でも恥ずかしげもなく話し、肌を重ねながらお互いのことを受け入れていった。そんな関係が半年ほども続いたある日、それは突然に終わった。彼女が消えたのだ。
彼女の希死念慮のことを、俺はずっと知っていた。だが何もしなかった。ただアルコールを摂取してそれを分解するように、彼女の話を聞いて、飲み込んで、それで終わりだった。俺は彼女の話すことを全て受け入れてはいたけれど、彼女のことは受け入れてなかったんだと思う。彼女の抱えていた漠然とした絶望を俺は理解できたけれど、彼女を受け入れる勇気はなかったから。
彼女の消息が判明した後もわからないことはたくさんあった。わかったことは彼女が遺書を書いていて、その内容が死ぬことにしたこと、その前に好きだったウイスキーの蒸留所を見てくることにしたことだけだった。俺は彼女の親の顔を見ることも、俺と彼女のことを伝えることもしなかった。そうすることが正しいのかわからなかったし、今更そうして彼女を受け入れることが彼女に対する不義理に思えたからだ。だからこれ以上のことは何もわからない。わかっていることは部屋に残った大量のウイスキーを、叔父がそうしていたように一人で飲むことになったというだけだ。もうすぐ、彼女の好きだったウイスキーを作るための麦に花が咲く。