自分がちょっと怪我をして軽い後遺症とか抱えて生きることになったので思うけど、病気でもLGBTでも障害でも何かしらそういうの1つ抱えた途端めちゃめちゃこの社会で生きるのハードモードになるんだよな。
こんなに自分の見えてるものが狭かったのかと日々感じるんだけど、こういうしんどさをうんと昔から感じている人もいるんだろうと思う。
知識とかとして分かっちゃいたけどいわゆる当事者目線っていうのはまじで当事者に近くならないと分からない。
その上でほんと、こんなにままならないことがあって、社会にも不満抱えてんのに子ども欲しいとは思えなくなったんだよね。
自分みたいに、先天的にしろ後天的にしろ、マイノリティ性を抱えた瞬間に一気にただ生きることが大変になると分かってて、それを良くない社会だと自覚してるのに、そこで生きていくことを強制するのが無理になった。
うちの子に限ってマイノリティになるはずがない、みたいなある種の優勢思想みたいだと感じてしまってだめになった。
子どもが病気や障害を抱えてても親として受け入れる、じゃなくて、子どもというか、親によってその社会で生きていくことになったその人間はこの社会をどう思って生きていくだろうと考えたら…。
おすすめできないプレゼントを強制的に押し付けてしかも返品もできない、というのが自分の中の「子どもほしいな」という漠然とした気持ちと折り合い、整合性がつかなくなった。