はてなキーワード: 中学生とは
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
https://togetter.com/li/1604472
「日本からブルマーを撲滅した人です」のまとめを読んで思い出した。
妹が小学生の頃バレー部(いわゆるスポーツ少年団)に入っていたんだけれど、成長の早かった妹は心底ブルマーが嫌で、ブルマー履きたくないからバレー部辞めたいとまで言い出した。
それを聞いて母が、練習着とユニフォーム、ハーフパンツに変えないか、と方々に提案したところ
それが気に食わない&手先が器用な母は、部員全員分の練習用と、ユニフォーム用のハーフパンツを作り始めた。
一時期は、我が家の一室がブルーのジャージ生地で埋め尽くされていて、仕事から帰った母が一心不乱にミシンをかけていた。
ジャージ生地は、生地工場に勤めていた父の知人に掛け合って、格安で分けてもらったそう。
ユニフォームに合うように選んだ生地はとても鮮やかなブルーで、部屋の中が海のようだった。
中学生だった私も、生地の裁断やしつけ糸取りなんかを手伝った。
我が母親ながら行動力と愛に溢れた人だなぁ、って誇らしかったのも思い出した。
ハーフパンツが配られた子どもたちは、かっこいい!スライディングしても痛くない!と喜んだそう。
ユニフォーム用のハーフパンツも好評で、周囲のチームもハーフパンツやショートパンツに変更したところが多かったそうだ。
後から聞いた話だけれど、母の行動を批判した人も多かったらしく、それでもしれっと過ごしていた母はやっぱり強いなぁと今更ながら思う。
私も学生の頃はすれ違いざまに暴言はかれたことがあるし、電車でも「おい聞こえるってwww」と聞こえるように貶めるようなことを言われたことがある。
後ろから来て追い抜きながら顔覗いて「見なきゃよかったwww」って言われたこともある。歩いていただけなのに。
大学生になって金髪にしたあたりからそういうことは言われなくなった。服装も目立たず女性らしくない格好にした。外に関してはそれだけでかなり防げている気がする。髪・服装が自由な職に就いた。
ネットでお互い顔を知らずにいい感じになって、でも私は写真を見せたくなくて、でも相手が見せてきたから人としてこちらも出さねばならなくなり、見せた途端に「人としては好きだからこのまま友人でいよう」と言われたこともある。そこまで言うならはっきり言えばいいのに。
心の中には所詮見た目でしょという気持ちがあるからか男性に対しては絶望しかない。多分憎悪しているんだと思う。全男性がそうじゃないのは頭ではわかっている。でもどうしても考えてしまう。
異性の友人とご飯食べていても「こんな女が一緒にご飯食べてごめんなさい」と思う。横を歩いていて彼女だと思われてると申し訳ないのでちょっと後ろとか、距離をあけて歩くようにしている。
私も攻撃したい訳じゃない。攻撃しても私の容姿が抜群に良くなる訳ではないし、現状が変わるどころか余計に悪くなるからだ。
自分がなぜBLが好きなのかはっきりとした理由はなかったけど、ブクマで「恋愛物読みたい、でも女が恋愛する話は現実を思い出して無理」みたいなことを書いている方がいてとても納得した。男女のもファンタジーとして読むけど感情移入はしてないかもしれないことにも気づいた。
友人には中学生の子供がいるような年齢になってきたけど、今でもまだ自分のことがわかってなかったり気づきがあるものなんだなと思った。
こんなでも痴漢に遭うことはあったので性的嫌悪も若干ある。誰ともおつき合いとかすることもなくこのまま一人でひっそり生きていく。
小学生の頃の話
隣の家の友達が犬を飼ってて羨ましくなったから、叔母さんの家で産まれた子犬をもらった
小さい頃は雨降っても抱えて散歩に行くぐらい可愛がってたけど躾などをした記憶はない
中学生になって部活などで忙しくなってからは親が主に世話していた
それから犬はどんどんおじいちゃんになり最終的に毛布の中で息を引き取った
おじいちゃんになっていく過程で脱走して車に轢かれて怪我するなんてこともあった
飼い主としての責任というのをまるで果たしておらず自分がほしいと思ったから飼っただけ
ペットは自分を癒やす存在、他人に見せるための存在じゃなくて人間とは別の生き物
それを全く考えてなかった
普通の女性は男性がいろんな場所のデートコースを確保してホテルとか予約し、車で連れて行ったりするのに抵抗なく合わせるのに対して、非モテの女性は全てを池袋腐女子ロードとか秋葉原の一角で済ませてしまうのもよく見かける
ホテル予約なんてしてもらったことないし、普通に近場で適当に食べるのが好きだし
近所の一角で済ませるなんてザラだったけど……。
そもそも男性がデートコース決めるとか幻想だよ(20人中1人しかデートコース・予約などしてくれない状況)
行動範囲も中学生レベルで一切変わっていないし、割り勘だから財力アピールもクソもないよ。
それでも、結婚したけどね。
こういうのざっと見ていて思うし、俺も珍獣ウォッチングをしていて思うけど
願望だけは一人前にあるが、他は大人になれるほどは発達していない感じがある
もう社会人として働いて常識身につけなきゃ行けない時期に、まだ女子高生や創作の美少女のような気分や願望を異性に向けようとして、求める
ITエンジニアだとか若い内だからで使われてる根本的に枯れていく才能だけで仕事をして、本質的に努力ができないからアピールは、すべてお手軽なものばかりだ
普通の女性は男性がいろんな場所のデートコースを確保してホテルとか予約し、車で連れて行ったりするのに抵抗なく合わせるのに対して、非モテの女性は全てを池袋腐女子ロードとか秋葉原の一角で済ませてしまうのもよく見かける
行動半径が中学生レベルなんだけど、財力のアピールはどうだろうか?
行動範囲が狭くて好みの幅が極端に狭いから稼いでる割には異常にケチである(ように見える)ことが多い
そんな彼女たちがすることといえば、ネットフェミナチになってポリコレ棒振り回して、悪目立ちでも異性の気を引いたり、ワンチャンかけて社会風潮を変えようと奇行のような暴走を繰り返す、要は全てが努力なしで出来る、小手先のことばかり
女性らしさや、自分たちが出せる物でアピールできない非モテ女性は、今度は性格の良さをアピールしようとするが、それも致命的な世間ズレを起こして常識がないので気持ちの悪いことしかできない
そのくせ創作のアニメやゲームのような純愛や青春恋愛に憧れて突撃しては枕を並べて討ち死にを繰り返す、そしてフェミに狂ってポリコレ棒を振り回すフェミナチ怪人になってますます異形化していく
男とか特に言われるけど、女性にも当て嵌まることだが気持ち悪い人は対人感覚がおかしいので、恐怖を感じることも引かれる理由だと思う
そりゃそうだろ、金があっても常識のないやつや重度の発達障害やアスペルガーなんか本能的に健常者は嫌うだろ
常識身につけてさえいれば今頃チンポ乾く暇や他のイケメンたちが声かけてくるから会える時間30分だけねみたいなくらいくらいモテるスペックや素養があるのに
増田の自己申告する年収や社会的地位や学歴が本当なら、それでモテないってそれを差し引いてもドン引きされるくらい常識がないからでしょ?
常識なんて身につけたくねぇとか尾崎豊にかぶれた中学生みたいな心理のまま今まで来て致命的に世間ズレ起こして周りから距離を置かれることにさえ気がつかないなんて増田めっちゃ多いよここ
教育や生まれた家庭も行き届いていたのに常識を叩き込めなかった親の責任とまではいうつもりはないが
後天的な努力や勉強でどうにかなるどころかそれ以外に方法がないことを邪教のように嫌う割には口では努力努力いう増田めっちゃ多いよね男も女も
日蓮宗系の2世です。今はもう宗教を信じてないけど、だいぶ長い間宗教を信じてた。ちなみに今は21才
思い込みが激しすぎたのがこの長さの原因だと思う。人生もっと楽しい生き方があったかもな〜と思うよ。順を追って話すので暇だったらよんでってくれー
まず小学生から中学生まではひたすら神とか仏を憎んで生きてた。
嫌いだった理由は祈るのがめんどくさかったのとマザコンだったから。
朝と夜に何十分も正座しながら唱題して、休みの日には結構な頻度で寺に行って、その寺でまた1時間は正座して唱題する。めんどくさかったなぁ。
マザコンだったからっていうのは、母親が熱心な信徒で、神様に親を取られたような感じがして嫌だったから。幼児期には誰にでもある分離不安症がねじ曲がって神様に向かったのかもしれない。
…………………………そう!嫌いになる動機が無茶苦茶弱いんだ!正直俺がアメリカとかヨーヨッパとかの当たり前に信仰がある国に生まれてたらこんなに悩まなかっただろうなって思ってる。
こんなクソ弱動機なのに、なんで高三になるまで宗教のことを考え続けられたのかというと、まぁ、負の感情には中毒性があるからだと思う。あと毎日やることがなくて暇だったからかな。野球とかサッカーとか活動の多いことしてればこんなこと考える時間もなかったんじゃないかなと思う。もしもの話が多すぎるな笑
中三くらいまでは神様のことが怖かった。俺はサンタクロースを信じてる中学生みたいに、神様を信じてる中学生だった。すごく痛い。神様嫌いだなぁって思うだけでも罪だったから、俺は地獄に落ちるしかないんだと思って絶望して生きてた。中二乙www
神っていないんだなあって思ったきっかけがNAVER まとめで同じ宗派の元修行僧が修行からドロップアウトした話を読んだ時から。中3くらいでした()
話に出てくる場所の描写がめちゃくちゃリアルで自分も見たことがあることを話してたからこの話は本物だと思ったよ。元修行僧は集団生活が嫌になって辞めたようで、この宗教のこと自体は悪く言ってなかったなぁ。
中三で神はいないって気づいたのにもかかわらず、宗教関係者とか、人間とか世の中のことが大嫌いになってしまって高校卒業するくらいまで扱いづらい厨二病だった。釈迦もムハンマドもキリストも宗教設立者がみんな嫌いだった()
大学生になってからは親元を離れて寺にも行かなくなって、新しい人間関係で忙しかったりしてどうでもよくなった。
今は親のことは好きだし愛されてると思うし感謝してる。育ててくれてありがとう。宗教をしてる親を尊重してるつもり。世の中の有神論者も無神論者も好きにしたらいいと思ってる。今だから言えるけど、辛い思いをしてる人には宗教とかは心の救いになると思う。人との関わりとか、認知行動療法っぽいところとか。ただ小学生の俺には神のありがたさとか全くわからなかった。生まれたときからただ連れてかれるだけのお寺に心を洗われるとか、スッキリするとか感じられなかった。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
女がブスだってことがどれだけ人生を困難にしてるか非モテ男は知らないだろう。お前らは本当にブスな女を女として認識していないから見えてない。
わたしは人生で男から愛されたことなど一度もない。物心ついたときから男にはバカにされ続けてきた。
小学生のころはあだ名は「です代」だった。ラッキーマンの登場人物からとられた。ブスだからだ。
廊下を歩いてると男子たちが後ろから声をかけてくる。振り返ると「おえーーっ」と吐く真似をして遊んでいた。
中学生のころはもっとひどかった。お前は女子と名乗るなと罵倒された。学年のブス3と呼ばれた。
その中でも○○はまだ女子に入るけどあいつは女子枠じゃないからと男子たちは笑っていた。何様なんだろう。
今でもネットでは似たようなことを女の写真並べて評価して楽しんでるやつらは沢山いる。本当に何様なんだろう。
おとなしい男子もいたが別にかばってくれる人もいなかった。むしろ、わたしがそのおとなしい男子に声をかけるとバカにされたと、お前には舐められないといった態度をとられた。
高校生のときに駅の階段をのぼるときにスカートを手で抑えてたら追い越してきたリーマンが振り返りマジマジと顔を見て、てめえの下着なんて誰が見るか!と吐き捨てられた。
下着を見せないように気をつけるのはマナーだと思っていたのでショックだった。
同じころにテレビでダウンタウンの松本人志が似たようなことを言って「誰が覗くか!」と笑いをとっていた。みんな笑っていた。わたしは恥ずかしくて死にたくなった。
だから今度は隠さないように、自分は隠すような振る舞いをしてはいけないと思い込んで生活した。あるとき私の下着が目に入ったらしい男子が「目が腐る」と笑っていた。
痴漢にあっても痴漢にあったと相談はできなかった。ブスが痴漢にあうわけないと思われるのが怖かった。少しでも態度を間違えれば自意識過剰の勘違いブスと言われるのは身に染みてわかっていた。
女性専用車両ができたときも車両にはなかなか入れなかった。ネットでは女性専用車両はブスばかりと笑われていた。テレビでダウンタウンの松本も似たことを言ってた。
わたしが女性専用車両に入ることでブスばかりを事実にしてしまう、迷惑をかけてしまうと思った。
こんな人生なので気づけば男からの愛を欲しいと思う気持ちすらなくなっていた。
ジャニーズアイドルにハマったり、BLにハマったりはしたので男に性的魅力を感じてないわけではないが、そういう一方的なもので満足している。
ブスのわたしがハマることでその属性の偏見を強めてしまう申し訳なさはある。
わたしが望むのはブスでも罵倒されたり嘲笑われたり、尊厳を踏みつけるようなことを言われない世界だ。ただそれだけで平和に生きていけるのにと思う。
非モテ男性は女ほどにあらゆる場所で容姿ジャッジを受けるわけでもなく、歩いてるだけで罵倒される体験もそうないだろうと思えるのに、単に女から愛されないってだけで地獄だとなるのだろうか。
あまりに非モテ女の辛さが軽視され、女からの承認を求めていながらもそこにブスの女が含まれていない残酷さについカッとなってしまったけれど、冷静になって他人の地獄を矮小化するような発言は間違ってたなと反省してる。
容姿で酷い扱いを受けた男性の存在をないように書いてしまったことも申し訳ない。あなたの傷を軽く扱ってしまってごめんなさい。
あとチー牛とか造語作って遊んでるのは男性なので攻撃するなら彼らに対してするべきで、愛さないだけの女をどうして憎んでしまうのかなという気持ちもある。
ブスについて説明すると、わたしは先天的に顔の筋力が弱く、先天性眼瞼下垂の状態が顔全体といえばイメージ出来る人もいるかと思うけど、顔全体が垂れている。
美容整形のことを言う人もいるけど、たとえば一重を二重にしたくらいで可愛くなる人はブスではないんだよ。
そして、股を開けば欲情する男もいるというけれど、一番の問題はこれで、男が欲情できてしまう体に絶対に欲情したくない女の顔がのってることをものすごく憎悪する男性はいる。
自分がわたしのような女にうっかり欲情しかけたことを酷い侮辱を受けたかのように憤り、本当に酷いやり方でその受けた傷を取り戻そうとする男性はいるので、あの憎悪は浴びたことのない人にはきっとわからない。精神が一度ぺしゃんこになった。
脳波を読み取って像を描き出すみたいな技術絶対そのうち出てくると思う
無理だと思うだろ?それが案外いけるねん
いや知らんけどな でも200年300年あればそのくらいのことは起きたっておかしくない 蓄音器からスマホになったんだし
そしたらスゲーと思うんだよな
パンピーが漫画家になれないのって絵を描く気力がないからじゃん 絵って難しいよな
頭にはカッコイイ画が浮かんでても、実際に線に起こしてみると迫力が全然ない歪んだショボい落書きしか出てこない それを繰り返すうちにへこたれてしまう
念写ができたら違うよ
そりゃ1発めから完璧にはいかないだろうけど、頭の中の像をそのまま出力できてしまえば、それを直していくのは容易だ ここの角度を変えよう、と思えば変わり、それが気に入らなかったらまた瞬間的に変えられる
時間あたりの作業量が圧倒的に増えるんで、誰でも飽きる前にそれなりのものが作り出せるようになる、と俺は思う
・構図などを考えだすセンス
センスさえありゃあ絵が生み出し放題ということになってくる
俺はその世の中が見たいんだよなああ
写真の普及によってさ、地球上で見られない場所はほとんどなくなってきてるじゃん
観光地のグーグルマップを見たら、見たくなるような場所はムチャクチャ撮られまくってあらゆる天気のあらゆる構図が参照できるようになってる
そして次はそれが精神世界に拡大されるんだよ
これまでは表に出ることがなかった、みんなが頭の中に抱えてる世界ってものが、念写技術を通してオープンにされるようになっていく
中学生がスケッチ大会で同じ風景を見て絵を描いたらかなり違う趣が出るじゃん 全員ヘタだから見るに耐えねえけども、それでも確実に各人のもつ何かが絵には出る
念写は全員の技術を爆発的に高めるんです そうすると、彩度・精度・明度をもってみんなの心の中にある風景が浮かび上がってくるんだ
嬉しすぎる 絶対に見たい
念写だよ念写
俺はメチャクチャ期待してるんだけど、無理かなあ
なんとかなりませんか?こう脳波を…脳波をなんとかしてさ…脳波を信じすぎなのかな
頼みますよ
念写ができる世界を作ってくれ
俺も念写したいし、他人の念写が見たすぎる
ごめん、これは私の書き方が悪くて、この方は子ども大好きで大勢産んでるのが分かるというか、外見こそ着飾ってないけど、不潔な身なりというわけではなく、普通のおばちゃん!って感じの、中身はとても素敵なママさんなんだ。旦那さんもたまに園の行事でお見かけするけど、多産DVっぽい匂いは今のところしないな。ただ、どこからその財源が?っていうゲスの勘ぐりをしてしまう私の心が嫌だーという話の例として出してしまった。心配してくれてありがとう。
まともな教育、のハードルが昔と比べてグッと上がってる体感はある。今やみんな塾通いは当たり前で、習い事も複数かけもち、大学まで行くのも当たり前の中、日本の景気は下がり調子で、今後も増税の可能性を含みながらデフレだけが進んでいく…旦那も、そういうことを心配しているんだと思う。
私は実家は貧乏だったけど田舎の多子家庭育ちでみんな仲も良かったし、ある程度なりふり構わずみたいな育ち方も経験してるんだけど、旦那は割と裕福な家庭の出で、中学生頃まではそこそこ優雅な生活をしてたのも、子ども一人にかけるお金の価値観の差に繋がってるかもしれない。
結論は夫婦が我が子をどう育てたいかに尽きると思うんだけど、その話し合いすら何故か拒まれてしまうのが途方もなく悲しいんだよね。私が産後に第二子の話題を出しすぎたのかもしれない…話し合いって難しい…。
Paに好きな子偏ってるからタイプセレクトPaだけ回そうかと思ったけど全部引いちゃった。
昨日は妹が担当の限定SSRちゃん引いてて一緒にはしゃいどきました。いいなあ…
中居正広がダミ声で「お願いシンデレラ」を歌うあのCMは、最初に観た時の感想は
「このゲームよく知らんけど、とりあえず中居くんなんでこの仕事受けたんだ?でも面白いからええか」だった。
ソシャゲどころかゲーム自体あまりやってこなかったので、その時は「あー、スマホアプリね〜」くらいで受け流していた。
私は小学生の時からSMAPのファンで、特に好きなのは中居くんであった。
他のジャニーズやアイドルにはさほど興味なくて、お世辞にも上手いとは言えない歌も、バラバラのダンスも、コントも面白くて全部好きだった。
高校生になると所謂お茶の間ファンに落ち着いて、小学生〜中学生時代のようには騒がなくなったし、レギュラー番組を毎回追うまではしなくなり(スマスマは毎週観てた)、他の趣味や服やコスメにお金を使うようになる。普通のJKっぽいな
ただやっぱり2年に1度の彼らのライブはお祭りのようで楽しかったので、夏の楽しみにしていた。
アーティストのライブとかも行ったけど、SMAPのライブは本当に祭りって感じでちょっと特別感があった。
家族とも友達とも行ったSMAPのライブ。彼氏ともそのうち行きたいねーなんて話していたのに
お゛〜゛ね゛がい゛〜゛シ〜ン゛デレ゛ラ゛〜♪
アイドルは、やめらんない!の文字を見て、「そうだよね、解散なんかしないよね」と思いを馳せた。
家庭用ゲーム昔から興味なし、スマホゲームは某D社の積み系パズルゲームしかやったことなかった私が
はぁー?
ふぁーー???
(大和田常務)
えっなにこれ中居くんがこんなに可愛いミニキャラになって…40超えのおっさんがこんなにかわいく……
よくわかんないけどやってみようかな…ソシャゲとかやったことないし、リズムゲームなんて太鼓の達人しか経験ないけどできるかな…
可愛い女の子いっぱい出てくるなら良いかも?萌えアニメ好きだし…
中居くんを眺めるだけならとりあえず大丈夫だよね、うん、私にもできる…!
デレステはやってないけど普通のゲーム好き程度(?)にゲームできる知人に手ほどき受けながらチュートリアルを終えて「スターのドア」を設置。
チュートリアルで卯月ちゃん、凛ちゃん、未央ちゃんの中から一人選んで…って所から思い出が始まっている。
え〜!?!?一人!?一人選ぶの!?!?みんな可愛いじゃん…選べなくね!?!?!?一人じゃなきゃダメ〜〜???とりあえずこの島村卯月ちゃんって子にするか…
リハーサル→なにこれ難しい〜!!フリックってなによくわかんない!!!あっあっライフ無くなっちゃったけどリハーサルだからできる〜! ※debutです
親愛度上げて特訓→なにこれ可愛い〜!!なんかさっきより絵がキラキラしてんぞ!!!?
ガシャ→わーーーこの緒方智絵里ちゃんって子可愛いーーーーー三村かな子ちゃんって子も可愛い〜〜〜ってあれ?この声ゆるゆりの歳納京子じゃん!面白!!(萌えアニメ好き)
は!?3DCGってこんな可愛くなる!?!?ア○雪みたいな絵じゃないだと…!?やばいな技術…
てな感じで進めた。ゲーム自体のクオリティの高さに驚きながら…しかし知人と喋りながらプレイするとdebutですらゲームオーバーにしてしまうナメクジっぷりであった。
チュートリアルを一通り終えて、ぷちデレラになった中居くんを見た時の喜びは計り知れない。かわいいじゃんッ…なにこれ!!
解散騒動でSMAPファンが苦しんでいる中で、こんな癒しくれるこのゲーム只者じゃねぇな…とその時感じた。
レッスンとかユニット編成とかスコアとかよくわかんないけど、ゲーム自体は面白いしとりあえず中居くん愛でられればいいや…
キャラクターもみんな可愛いしね。スマホアプリに課金はしないだろうけど(笑)
そう思っていた時期もありました。
その時やっていたイベントは確かLive GrooveのBeyond the starihgtだったと思う。
えーなんか良い、顔が良い、何この子達???????ちょ、欲しいんですけど…
担当が出来た瞬間であった。
そしてやってくる担当ガチャ。DLしてから結構間髪入れず来た気がする。
前述した某D社のガチャで引いた時よりも、アドレナリンの脳内分泌がやばかった。
ゲーム音痴過ぎてSSRに衣装つくの知らずに「担当の絵がめちゃんこかわいいのとSSRって書いてあるから多分なんかつよい」ってだけで回した。馬鹿だな
その後もどんどんデレステにハマる。
リズムゲームも最初はナメクジだったけど、なんとかノーツ速度変えたりして回復入れながらMasterもできるようになって、色んなアイドルがドロップして来てくれて…
最初の印象とコミュの印象が全然違う子がいたり、イラストでそうでもなくても3Dモデル見るとすごく可愛くて好きになったり。
非ヲタの友達とカラオケでデレ曲歌うと、「これゲームの曲っぽくないね〜!おしゃれ!」とか言われることもあったり(わかる!)。
私のデレステのめり込みっぷりにドン引きしていた妹も、今では仲良くプロデューサー。
きっかけはアニメ。私が部屋でアニメ観てたらなんとなく一生に見始めて、終盤の卯月ちゃんにやられたらしい。
中居くんがルームを去った後も、デレステは続けることになった。
そしてその後、また担当ガシャがやってきた。
その前までは比較的爆死とかすること無く引けてたのに、初めての壁。
あの頃は青天井だったのでじゃぶじゃぶ課金した。いくら使ったかは数えたくない…
ここのアイドルはうちの事務所にずっといてくれる…と一人アホっぽい事を考えつつ
デレステに使いました。
こんなに可愛い女の子ばかりのアイドルゲームにおじさんの中居くんが急に飛び込んだりして、嫌な思いをされた方もいたかもしれない…
それでも炎上みたいにならずに穏やかに契約期間を全うできたこと、先輩Pの皆様にも感謝です。
きっかけは少し違えど、
中学生のときにひどい虐めに遭っていた。人に言えないレベルのこともされた。PTSDが残った。夜にうなされるのはほぼ毎日、だから寝ることが怖くなって夜更かしして睡眠障害。外に出るのも怖かった。PTSDで生活が壊れてしまって、それから10年かけてようやく人間らしい暮らしができるようになった。
最近、私と同じようにいじめに遭っていた人の記事を読んだ。その人はいじめに耐えかねて、親に頼んで別の中学校に転校したらしかった。なんの気なく親に話した。「公立の中学校同士でも転校ってできるんだね」。そしたら親が言った。「あなたも学校から勧められたけど、断っといたよ」一瞬意味がわからなかった。私は公立の中学校に通っていたから、私立に行くでもしないと転校できないのだと思っていた。だから我慢していた。
親が得意げに話したのは、「転校すると将来困ることがある。だから断っておいた。あなたがどうしてもって言ったら考えたけど」
「私が言ったら考えた」と言っても、親はその話を私にしていない。知らないことを言い出すなんて出来なかった。逃げようのない現実なんだと思い込んでいた。
私は今もPTSDの症状がある。毎日何回も思い出して吐きそうになる。避けられなかったことだと思っていたから我慢できていた。逃げる手段を親が握り潰していたなんて知らなかった。
なんだか頭が壊れてしまった。気づくと自分を殴っている。多分本当に殴りたいのは親のことだ。親を殴ることができない。私には生活能力がない。生活能力がないのはPTSDだから。PTSDなのはトラウマがあるから。トラウマがあるのは、親がそれを選んだから。
私が毎日毎日苦しむのは親のおかげ。親のちょっとした機転のおかげ。親のおかげで毎日フラッシュバックがおきる。親のおかげで嘔吐する。親のおかげで頭痛。親のおかげで。
何気なくチンチン触ってグリグリしてたら気持ちよくなってドライオーガニズムを感じてた
フニャチンのままいじくって気持ちよくなる感じだった
ある日突然ピュッと白い液体が出てビビった思い出がある
気が付いたら成人して大学卒業し、社会人になって年上の女性にリードされて童貞を捨てた
それから女の人と仲良くなる社交性やテクニックやデートの仕方を徐々に覚えて経験人数が少しづつ増えていった
経験人数は8人
あんまりSEX気持ちよくないのは体の相性が悪いからだ、もっといろんな女の人に出会っていかなきゃいけないんだろうと最初の頃は思っていた
経験人数5人を超えたあたりから、自分が明らかに遅漏すぎる、膣内射精障害だと気付いた
気付いたら彼女とSEXしても気持ちよくなくて、フェラチオで逝かせてもらってピュッピュッと出してもらい、お返しにクンニ頑張って逝かせてという儀式になっていた
1回目は当時の彼女に生挿入で寝バックで必死こいてガンガンピストンしてようやく出せた
あんまり大変だったので気持ちいいとかよりも疲労感がひどかった
たまたまその人の膣内が変わった形で入口の方の上側の裏側がザラザラした突起がたくさんあって、正常位で浅めについてるだけでチンコのカリ部分を刺激してくれてそれが気持ちよくて腰振ってたら射精できてた
あまりにもそのSEXが気持ちよすぎたので、本当はその人と付き合って結婚してお嫁さんになって子ども産んで欲しかったけど、付き合うまでには至らなかった
SEXしても気持ちよくないので徐々にSEXレスになり、子どもが欲しいと言われたのでSEX頑張ったが射精できないので自然な膣内射精は諦めて、家庭用シリンジ法キットを10回ぐらい使ったが妊娠できず、もう仕方がないので人工授精のクリニックに行くことになった
オナニー大好きマンはマジでやめた方がいい、自分はチンコ握る握力が強すぎたタイプではなくピストンが早すぎるタイプで膣内で射精できなくなった
TENGAで膣内射精トレーニングできるかもということでやってみたがTENGAでは射精できる
膣内射精障害になるとSEXしても気持ちよくなくて大変な肉体労働になってしまい、オナニーの方が手軽でちゃんと気持ちよくなれるという苦行になるので人生丸々損することになる