はてなキーワード: 長所とは
付き合って7年。一緒に暮らして3年。ともに30歳を少し過ぎた。
結婚の話は出ているし、あらたまった場ではないがどちらの両親にも会っている。しかし、彼からのプロポーズはいまだない。
分かっている。務めていた会社が倒産し、3年間の非正規雇用、1年間の就活を経てようやく希望の職の正社員のポジションを得たばかり。貯金はとっくに底をついている。もう少し足場を固めてからと思っているのが顔に書いてある。分かっている。慎重で優柔不断なのは彼の長所であり短所だ。だから急かしていない。でもこの7年は、そうして過ぎてきたのだとも思う。
付き合ってしばらく、わたしの一人暮らしの住まいにいつの間にか彼が住み着くようになった。遊びに来ているだけという体で家賃も入れず、家事もしない。彼の荷物は加速度的に増殖しワンルームの部屋は窒息寸前だった。部屋の更新を控えて、出て行って自分の部屋を借りるか、もっと広い部屋に二人で住むか決めろと迫った。
そして同棲。親にも簡単ながら挨拶をした。彼はその時、結婚を前提にというようなことを言ったと思う。もう3年も前なので記憶も曖昧だ。そう、それから3年。
居候でなくなったことで家事もするようになった。家賃は折半。これまでの経緯を見ると殺伐としているようだが7年たっても仲は良い。好かれていると思うし、好きだと思っている。ずっと一緒にいられる人だと。もうここまでくると、籍が入っているかいないかの違いしかないような気もしている。
わたしは子供が欲しい。付き合い当初はなんとなくいつかはという程度だったが、20代後半から焦りを感じ、いま30代を超えてもう待ったなしなのは誰に言われなくても自分が一番分かっている。その話を彼にしてもいる。それでも彼から結婚の言葉は出てこない。待っていて欲しいとすらも。
同棲をはじめた時のように、またわたしから決断を迫るしかないのだろうか?土下座して結婚して下さいと。別れるか選べと。
7年付き合った人にプロポーズすらもしてもらえない。焦って約束をしなくても、奪うやつなんて誰もあらわれないと思われているのだろうか。その程度の女だと。惨めだ。もうほとんど意地になっている。分かっている。だけど絶対に、結婚して下さいなんて言えない。
9/18 追記
自分の中の不満を明確にしたり、いままでの整理のつもりで書き捨てくらいの気持ちだったので、たくさんブックマークがついておどろいています。厳しいコメントも、あたたかいコメントも、ありがとうございます。参考にします。ひとつだけ断っておきたいのは、女性からプロポーズすることに関して否定的な気持ちはないということです。これはあくまで彼とわたしの関係性においての話です。
それ以外にも、コメントを読んでいて書ききれていない事がたくさんあるなと思ったのですが、それはもう蛇足になるので省きます。結論から言うと若干進展しそうです。たぶん良い方向に。この期に及んでまだ若干かという向きもありましょうが、わたしにとっては偉大なる一歩です。その一歩も、わたしから再度せっついた結果ではありますが、土下座はせずに済みそうです。
それはそうと、キレイにまとまりすぎている、文章の完成度が高いなどのコメントにあさっての感動をしてしまい、ちょっとはてな、楽しいな…って思いました。以上。
日夜、アナルを求めてAVを見る!毎晩、というか朝でも昼でも見る!
しかし選定の基準はアナルだけではない。顔も重要であり、アナルの点数を補正する。
可愛い子ならばアナル補正は×2、すごく可愛ければ×10もありうるが、
ブスは×0、どんないいアナルでも0点となる。
アナルの鑑賞には色々ある。
四つんばい、まんぐり返し、M字開脚(少しケツを上げて)、立った状態で広げる、うんこ座りなど。
それぞれに味わいがある。
一つ一つ解説していこう。
ケツをツンと突出しているところがかわいい。
それゆえ、様々な需要に応えることができる。
パンツをずらし(この時じらされると、たまらん!)、アナルが顔を出す。
カメラを引いて、横顔や体のラインを眺めつつアナルを鑑賞できる。
さらにはアップで映しても見応えがある。閉じたり、緩めたり、広げたり、色々できる。
楽しみ方は無限だ!
もちろんアナルは丸見えになる。体勢もすごくいやらしい。
顔とおっぱいを同時に堪能できる。
ケツが上を向いているのでアナルが引っ込む(盛り上がりにくい)。
しかし!うまくやればアナルが盛り上がりすごくいやらしく映る。
あまりはっきりくっきりとは映らないが、
体のラインも同時に見えるのがよい。
通好み。
究極の体勢。
姿勢を正してうまく内臓がアナルの上に載ってくれると、うんこが出る寸前のような逆さ富士アナルを拝める。
しかし、失敗すると、普通のアナルである。大抵は普通のアナルで終る。
でも、うんこをするときアナルはこの辺にあるのか、など色々と勉強になる。
アングルなどのとり方が難しく、顔やおっぱいが見づらい、男優が邪魔などの欠点がある。
まあ、色々だが、それぞれに長所・短所があり、採点はかなり難しい。
この採点は作品中のすべてのアナルに対して行わなければならない。
◎はほぼ至高に近い。めったにつけることはない(今までで4,5回)。
動的型の言語が嫌いで、RubyとかJavascriptは動的型だからダメだみたいなことをよく発言するんだけど、そうするとスクリプト言語の信者は動的型の言語のメリットを説いて反論してくるのな。
「UIのような変更の多い部分は柔軟な動的型の言語が向いてる」みたいな。(俺は変更の多いコードにこそ静的型の言語が向いてると思うけど)
俺はスクリプト言語のよい所は記述が簡潔なところで、静的型の言語もどんどん記述が簡潔になってきている今の流れからすると、スクリプト言語の役目は終わりつつあると思ってる。
世間でスクリプト言語が受けたのも動的型だからではなくて記述が簡単だからだと思ってる。
でもスクリプト言語の信者は視野が狭いから、自分の好きな言語は全肯定。欠点はない。欠点であるところの動的な型だって自己欺瞞や屁理屈で肯定してくる。
で、swiftが登場したわけだけど「Rubyに似てる」とか「Javascriptに似てるところもある」とか、スクリプト言語の信者と思われる連中まで好意的に持ち上げてるのな。
俺が思ってたとおり、スクリプト言語のいいところって型が動的だからじゃなくて記述が簡潔だからじゃねーか。
動的型がスクリプト言語の長所だと強弁してた連中は、swiftが「***に似てる」とかほめてないで、長所が失われてるって指摘しないといけないよな。
でもそんなこと言ってるやつ見たことない。
動的型であることが欠点だと認めないで俺を煽ってた連中は、謝れとは言わないけど自分の見識の無さを恥じてほしいわ。
そうじゃないって言うなら今からでもswiftが静的型なのは「後退してる」「欠点だ」ってネットで声を上げろ。
以上。
実家に帰省したらしたで爺ちゃん何もしないし逆にしろって煩いからホテル使ってんのに
田舎だからトイレもボットン便所だし、小便は家の外の瓶溜めにしなくちゃいけない。
田舎は農家だから小便も肥料になるとかでいつも畑に小便撒いてるからな。
大便も撒くんだろうなって憂鬱になるからあんまり実家で大はしないようにしてるのに
洗濯機は何世代前か分からんのが未だに現役だし、風呂は今時珍しい五右衛門風呂ときてる。
慣れれば楽しめるかもしれないけど、たまの休みに帰るんなら1泊飯付9800円の宿借りた方がマシだよなぁ・・・。
ここで言うナンパ師とは、ナンパを継続して行っている人たちの事で、主にリアルで女性に声をかけてセックスまで持ち込む人たちの事を言う。
そういうナンパ師が主にツイッターをメインにコミュニティを形成している。はてぶでも文章力のあるナンパ師の記事がホッテントリすることがある。
ナンパ師のコミュニティも他のネットコミュニティよろしく、ピラミッド構造をしていて、教祖みたいなカリスマナンパ師が頂点にいて、そこから結果が出せたりネットでの発信力のある人が続き、底辺はナンパをしているけれども結果が出なかったり、ナンパ師に憧れるものの自分では行動できないワナビーたちがいる。
このコミュニティの拡大に寄与したのは、ナンパ師の書く体験談だ。ナンパ師にはいくつかのパターンがあって、一般人が思いつくようなチャラい人、遅れてきた青春系の人、ナンパに自己啓発的な意味を見出すこじらせ系の3タイプにおおよそ分けられる。
青春系の人は高学歴で、文化的レベルも高いのかすごく文章がうまい。まるで村上春樹よろしく、出会いと情事と別れを情緒的に描く。
コミュニティのヒエラルキーを維持するために、ナンパ師は自分がナンパした相手を悪く言わない。可愛いとか、巨乳とか、フェラが上手いとかどこかしら長所を見出して、強調して他人に報告する。
そうすることでナンパ師の承認欲求は満たされる。外の世界の人がナンパ師の文章に触れると、素晴らしい世界があってまるで多崎つくるのような体験ができるんだと錯覚して憧れを抱く。
いつからだったか、カリスマナンパ師がナンパ講習といってナンパを教えるビジネスを始めた。教祖が始めたもんで、それはヒエラルキーの上層からどんどん波及していった。
金が絡むので、さらに自分の成果を強調する。コミュニティ上位層は互いに褒め合う。そうすることでワナビーが講習に集まり金になるからだ。
こうして、ヒエラルキー構造による承認欲求を満たすシステムは当初とはかけ離れた様相を呈するようになっていった。
誰でもすぐにゲットできる凄腕ナンパ師、ゲットしたのは読モだとか、モデル級の美人、そして講習に行けば君も成果を出せるように!まるで週刊誌の怪しい広告みたいになっていった。
しかし、今までモテてこなかった非モテくんがそんなことになるはずはない。講習を受けては理想と現実の差に落胆し、さらなる救いを求めて他の講習に通う。
ちょっとつかれたんでここまで。
殆ど同じ()になってるんなら苦労ありませんし少子化にもなってませんわな。
24時間365日誰でも託児可能な施設が常時稼働してて、出産育児で不本意に仕事を失ったり減収する母親がどこにもいなくて、子供の健康や素行に何かあると鬼の首とったように母親のせいだと全方位から指をさされない国ならお説ごもっともだが。
まあどっちにしろよっぽど突出した何らかの長所を持った人間でない限り、現代日本の子作りなんてババばっか引かされるリスク行為でしかないわけで、能力の劣ったポンコツが分不相応に望んでいい物じゃないんですよ。自力で繁殖相手も見つけられないポンコツの「自分の遺伝子(失笑)を残したい」なんてお笑いぐさのエゴで子供に一生余計な苦労させたくないでしょ、まともな知能と想像力を持った人間なら。
つうか不細工に産まれて来た人間の95割が親を恨んでんじゃねえの? 「もっとイケメンの親から産まれて来たら自分も今頃マシな人生送れたのに」って。同じ事わが子にするんかって話ですよ。恥を知れってんだ。
(可愛い美処女と子作りすれば1/2の確率で顔のいい子が産まれて来るはず!なんておめでたい事思ってる連中は、可愛い娘を持った父親に全員撲殺されればいい)
会ったこともないが10年の間に仕事でも関係したり、ネトゲで共同作業したり、グループ活動したりで下手なリアル友人よりお互いの長所もダメなところもわかってる
なんだろう、リアルでの関係がないからこそ打ち明けられる話ってあるんだよね
精神的な内面の葛藤といった、リアルでは本気でガチで話し始めたらなんか敬遠されてしまう話題でも
ネットという間柄では、物理的な距離があるからこそ、良くも悪くもリアルの生活にまで絶対に踏み込まない詮索しない壁があるからこそ
逆に言えば、リアルでの知り合いには、どんなに親しくともリアル用のペルソナ使ってるわけで
自分の内面とリアル用のペルソナとのギャップに悩みの要点がある場合、ネットの知り合いのほうが打ち明けやすいということかもしれない
http://anond.hatelabo.jp/20140724213310
女から見て「女に興味が無い男」と「女に興味が無さそうに振る舞いながらも実は女に興味がある男」の区別はつかない。
というか、その二者の区別をつけられるだけの長時間、彼らと会話をする機会がそもそも無い。
男友達からしてみれば、その違いは明確なんだろうね。長時間、友達として一緒にいて、腹を割って話すわけだし。
だから後者については「不器用で奥手な照れ屋で、イイ奴」みたいな認識なのだと思う。
そして「どうして女どもはこんなイイ奴を放っておいて、猿みたいなクソ男にばかりなびくんだ」と腹が立つかもしれない。
でも、猿みたいな男は、女に興味があることが誰の目にも明確なんだよね。
好きになったあとで、ゲイであることが判明したり、恋愛に全く興味がない趣味人・仕事人であることが判明すると、
なんというか「好きになり損」みたいな感覚になる。どう頑張っても両想いになることは無いことへの徒労感。
男は「恋愛に全く興味がない趣味人・仕事人」に、女が一方的に片思いして押しかけて支えた、みたいなエピソードが好きだけど、
実際、ものすごい才能を持った趣味人や仕事人にはそういう女が(場合によっては複数人!)居たりするんだけど、
「恋愛に全く興味がなく趣味や仕事に生きる凡才」に興味を持つ女って、あまり居ないよ。
だから凡才がそういうエピソードで現実逃避するのはいいけど、人生の参考にするのはアホだし危険だと思う。
男も女も、特別な人なんて一握りで、大半はフツメンの凡才だよね。
その中で異性に興味を持たれるというか、恋愛の土俵に上がるには、
もちろんハッキリわかるような態度をとると、キモいだの、チャラ男だの、スイーツだの、攻撃されたりする。
異性に興味がなさそうに振舞うと、攻撃はされない。けど、興味も持たれない。顔も名前も覚えてもらえない。
空気扱いのまま、どんどん歳をとっていくことになる。
でも男はスイーツ・ビッチ叩きにばかり熱心で、誠実な女のことはスルーしている。
結局、男にとっても「男に興味があるのか無いのかよくわからない地味な女」より、
「男を利用して金をむしりとるクズ女」「浮気症で男をとっかえひっかえし、真面目な男を傷つけるビッチ」
みたいな、男に対して能動的な女に対してのほうが興味を持つんだよね。
男も「男に興味が無い女」と「男に興味が無さそうに振る舞いながらも実は男に興味がある女」の違いを見抜けない。
男絡みでトラブルを起こすような「あからさまに男に興味を示す女」に目が行ってしまう。
そういう女のエロさに夢中になるか、あるいは蛇蝎のごとく嫌って叩くか。どちらにせよ強い興味を持ってしまう。
「男に興味が無さそうに振る舞いながらも実は男に興味がある女」は、誠実だとしても興味を持たれない。
大学生の間に私の表現能力は成長したのだろうか。 私は表現するのがとても下手だった。そしてどうにかできたらいいな、と思っていた。 最近、大戦略WEBというのをやっていた。 そして参加している鯖の中で、1位連合の連合長という立場でゲームをしていました。(私ごときが。) そのような中でいろいろと思うことがあったので、ハンゲームでブログをよく書いた。 内容はいろいろで、個人的にはそれなりの力を込めて文章を書いていた。 http://blog.hangame.co.jp/logout/list/ 私の長所と短所は、自覚しているところは自覚をしておりまして 表現は下手。それゆえに、匿名掲示板で誹謗中傷を受けたり。(何度目だっていうね) "数人の心ない人の存在にばかりダメージを受けていないで、物言わぬ支持者の存在を忘れずに感謝し、期待に応えていきたい。 私にも当然欠点はありますが、それ以上の美点を評価してくれる人もたくさんいます。ありがたいです。" (見かけたことのある表現だったりしますでしょうか) (意図が伝わるのであれば、と思いまして参考にしました。) そういうわけで、私と信頼関係のある連合員はきちんと存在したのです。(それだけ)(生存報告) さて現実の方ですが、まだ籍は学部にあります。 私が小学生の頃には私も表現の意味が分からなかったのですが、 卒業するためには、それなりの「環境」が必要だったのですよね。 私にはその環境を維持できるだけの環境がありませんでした。 私の環境というものは、愛のある家庭に生まれた人にとっては想像できないと思うし、想像する必要もないと思っていますし、 そんな社会の闇なんぞ、見えない世界で暮らしてほしいなと思います。 (ですのであまり表面化せずに、観測されにくい現実もあるように思います) 一方で、私と境遇が共通するような人も世の中にはいるはずで、 増田を書いてみた。 http://anond.hatelabo.jp/20140616194130 http://anond.hatelabo.jp/20140617174318 http://anond.hatelabo.jp/20140618130300 たぶん小学生の時と表現力変わらない気もするけど、進歩したかしら。 朝食を食べる子供は成績優秀? 正しくないです。 朝食を食べるような家庭は、良好な家庭の割合が多い、であり、朝食だけの要素を変化させるのは意味が違って、他の要素の方が莫大に大きい。 (子供時代が存在する人っていうのは物事をこのように感じる人であって、過去が存在しない状態っていうのは、朝食だけ与えればいいんだって思うような状態です) (私は、感じるものの存在を信じたい。そう言えるためだけに生きたい) 信頼してる相手とは話が通じて、信頼していない相手とは意思疎通できない。 ゲームに関して言えば、対潜相手の努力には感謝を感じるときは感じるものなのです。 しかし「ゲーム内で間違っている論理を認めないこと」を目的として「対潜相手に感謝しろ」という言葉だけで盾にしてしまうのは、純粋に残念な気持ちになります。 人間の能力を信じる難しさです。 人間の能力は信じていきていきたいし、人間の能力を信じていきてほしいと、願い続けることしか、私にはできない。
選考落ちた企業のグループ会社だとか、事務職募集だとかでぬけぬけと☆選考のお知らせ★送ってくる会社なんなの
格ゲーの世界ですら死体殴りはタブーだってのに就活の世界では「弊社はあなたのような人がぴったりだと思います^^」とか
ほざいておいてメールの件名は選考結果のお知らせだよ通ってたら〇次選考のお知らせなんだよそしてまさかの選考のお知らせだよ何回落としたいんだよハゲ
こういう会社の人事のデスクにモンゴリアンデスワーム仕込みたい本当に仕込みたい
朝出社して今日はどんな自己PRしてくんのかなーとか思いつつ引き出しを開けた瞬間モンゴリアンデスワームと対面して頂きたい
IT会社のマーケティング戦略と色々こなしてきた中で1つの法則を見つけました。
これまで出会った飯食うのが遅いやつは、
フラストレーションが溜まる一方。
逆に仕事が出来る人間は一緒に仕事をしていてすごく気持ちがいい。
そういう人間とたまに打ち合わせで飯に行くとやはり食べるのが早い。
中には飯食うのが遅いけど仕事が出来るという人もいるのだろうけど
しかし、上記は俺の主観なのであなたの異論があれば是非ともお聞かせ願いたい。
中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方の歴史と切り離して語ることはできない。またその地方の地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理の擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面の江南美人、山東、安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理は風流典雅な貴公子、四川、湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである。
一 山東料理(魯菜)
宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京、天津、東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方の地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品、クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。
二 四川料理(川菜)
秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり、現在では世界中に四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理は成都、重慶両地方の料理に代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理は総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的な料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。
三 広東料理(粤菜)
前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理の長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在、ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理は広州、潮州、東江の三地方の料理を代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サル、ネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎鳳大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣油牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。
四 福建料理(閩菜)
福建料理は福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州、アモイなどの地方料理を代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチ、ナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。
五 江蘇料理(蘇菜)
南北朝時代に発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理は蘇州、揚州、南京、鎮江の四大菜を代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である。調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口
当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。
六 浙江料理(浙菜)
杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理を代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。
七 湖南料理(湘菜)
湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部の山間地帯の料理を代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子、燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法は塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。
八 安徽料理(徽菜)
長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理を代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。
酱烧青蟹:蟹の味付煮
生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め
红烧甲鱼:スップンの甘煮
麻婆豆腐:マーボーどうふ
樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨
广州料理
脆皮鸡:広東式揚げ鶏
锦绣排翅:ふかのひれのうま煮
鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ
生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物
中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国の基本情報は下のサイトをご参照ください。
メールアドレス:cs1@japinchina.com
今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本に皇室があって良かったなあ、 的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー! てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑) 自己分析もやればできるけどしないでおこう。 倉本圭造 https://twitter.com/keizokuramoto/status/459326054490853376
倉本圭造の言論には
たとえばこんなふうに
「今日ニュース見てて、いろいろ面倒な話は置いておいて日本に倉本圭造殺せと主張する人たちがいて良かったなあ、的なことを思った。理由もなくそんなこと思ったりするのは子供の頃の自分ならムキー!てなった感じの話なんだけど、とにかく素直にそう思ったんだから仕方ない(笑)自己分析もやればできるけどしないでおこう。」
防衛線張りまくるあたりも小物感を醸し出している
倉本圭造がツイートで書くのをためらった「良かったな」と思ったこととは
もちろん皇室ではない
それによって形成された戦後民主主義だ それを「皇室」と呼んで
戦後民主主義に対して、子どもの頃の倉本圭造はムキーと反発していて
素直にあって良かった 日本国憲法あって良かった
素直に思えているけれど それについては
やればできるはずの自己分析を 倉本圭造は、したくない(嘲笑)
倉本圭造のメンタリティは 大日本愛国ナントカ的な昭和陸軍的なものから
一言で言うなら「倉本圭造の団塊の世代化」「倉本圭造の永六輔化」だ(爆笑)
これだけは言える
会社で、その人の仕事における短所・長所をチーム全員(7-8人)で話し合い、力量マップみたいなのを作ることになった。
僕は思わずえっ…と声を漏らすと
「なんだ、いやなのか増田」
「個人的な振り返りや、日常業務の注意していただいている中で事足りてるかなと少しおもったので…」
「誰が何が得意で苦手なのか上が把握すれば、よりフレキシブルな割り振りができるだろう。この話し合いはダメ出しではなくあくまで現状認識だ。この話し合いを嫌だと思う増田は向上心がなく打たれ弱すぎる。短所は伸ばそうなぜ思わないのか。だからお前はいつまでも伸びないんだ。アドバイスを否定ととらえるな。ありがたいと思って聞き入れろ」
と延々説教された。
それに上司の言っていることはもっともだが、この手の会議は年長者の「俺はいかにすごいか(すごかったか)自慢・お前はいかにダメか(あのころの俺と違うか)攻撃」みたいな独壇場になる。僕が公開処刑になり鬼泣かせ状態になるのが目に見えてる。僕はわりかしヘラヘラしているのでやり玉に挙げられやすく、気が強く逆切れしがちな女の後輩(そんなに仕事できない)はやり玉にあがらないのも腹が立つ。誰が自分を上げるための踏み台を喜ぶと思ってるのか。そんな会議意味あるのか。
中学生くらいになると誰もがぶつかる難問。
「僕はパイパイ派かな」「俺はマンマン派だな」とか、はっきり答えられる人もいれば、「それは今後検討すべき課題だ」なんてお茶を濁しちゃう人もいる。
ぼくはそのときの気分によって「絶対パイパイだよ!」と言ったり「マンマンに決まってるだろ!」と断言したりしたけれども、いま年を重ねて冷静になってみると、なかなか決められずに戸惑う自分に気づく。
それじゃいけない。
この問題についてとっくり考えてみて、そろそろ結論を出さなきゃ!
パイパイの一番いいところは、「千差万別」であることだとおもう。
ひとめ見ただけで目ん玉が飛びでちゃうくらい大きな人もいれば、逆にびっくりするくらいまな板の人もいる。
真ん中の色についても同じで、墨をぬったように黒い人もいれば、桜のようにうるわしい色をした人もいる。
おっきいのも、ちっさいのも、まっ黒いのも、ピンク色も、ぜんぶぜんぶ最高!パイパイの世界に優劣なんかあるわけない。
もしぼくがパイパイを好き放題にできるとしたら、両手でわしづかみにして、ぷるぷる揺らしながら、真ん中のところに突進して、お鼻からいっぱい空気を吸って、からだじゅうの五感を総動員。一時間でも二時間でもそのままでいられちゃうだろうな。
じゃあマンマンはどうだろう。
マンマンの一番いいところは、お返事をしてくれることだとおもう。
ドアをノックすると中の人が開けてくれるみたいに、こっちが上手にアプローチすれば応えてくれるんだ。
でもやっぱり人それぞれで、すぐに扉をあけてくれるマンマンもいれば、かたくななマンマンもいる。
素直なマンマンもうれしいけれど、かたくななマンマンを説得して観念させようとする醍醐味もまたいいんだよねえ。
「おーい、開けてくれよう」「まだだめ。もっとがんばって」「こんな感じ?」「う、うん、いいかも、でもだめよ、まだだめ、あ、うん、そのまま、つづけて」
うっひょーぼくもマンマンと会話してみたいなあ。
さあ、パイパイとマンマンのどっちがいいか、ついに結論を出すときがきた!
いやーこうやって書いてみると、パイパイとマンマンはどちらにも長所があって、捨てがたいんだよなぁ。
うーん。
いやマンマンかなぁ
うわーーーーむりむりどっちもだいすきあいしてるえらべないよおおおおおおお
アルコール依存、薬物依存、性犯罪、暴力事件、窃盗、借金を繰り返す男子。
将来の計画が立てられず、短気ですぐカッとなり、すぐバレる嘘をつく。
安全や健康を軽視しており、すぐ怪我をしたりさせたり、物を壊す。
「つらい」「さびしい」「むなしい」と、ネガティブな感情を常にアピールしている哀れな男子。
好きになると相手の長所しか見えなくなり、拒絶されると相手の短所しか見えなくなる。
助けて欲しそうな態度を取り、誰も助けてくれないとスネる。
繊細で自己犠牲的な発言が多いが、最優先しているのは保身。女の腐ったような奴と言われるタイプ。
派手なことをして注目を浴びるために生まれてきた男子。初対面の人間にもフレンドリー。
有名人・権力者との人脈を羨まれることと、外見の性的魅力を褒められることが好き。
なんでも大げさに語る。人の感情に影響を受けやすく、影響を与えるのが上手い。
他人を無条件に見下す資格を持って産まれてきた、すごすぎる男子。
すごすぎる存在なので、他人と同じように扱われると不当だと感じて、不機嫌になる。
偉そうな割に実績は無く、他人のプライドを無意味に傷つけるのが生き甲斐。
一見タフで勤勉、責任感のある仕事人だが、秩序が乱れると発狂する脆弱性を抱えた男子。
秩序を維持するために生きているので、何のための秩序なのか考えたことが無い。
日本では物事をメリットとデメリットの両面から考えることを子供の頃から教わらず、教科書などには公正さを期するため物事の良い点悪い点の両方が書かれていることがあるとはいえ、そうした両面的な考え方が身についている子供が多いとは言いがたい。受験勉強にしたって勉強内容の公正さに対して疑問を持つことなく丸暗記に近い勉強ばかりしている有様である。
これが社会に出ると丸覚えは機械的作業を行うだけの底辺労働者にしか通用せず、高い結果を出すには学習内容の公正さを疑う視点が求められてくる。ここに至ってメリットだけでなくデメリットも考えねばならないことをようやく教わるのである。曰く、おいしい話には裏がある。「これはいける!」という新しい策を導入する時にはちゃんと悪影響の可能性も考えましょう。物事の悪い部分ばかり見て手を拱いていてはいけませんぞ、などなど。
一方、欧米では子供の頃から学校でディベートやライティングをしっかり教わり公正な思考力を鍛えられるし、家庭でも社会の暗部を見せられさまざまな視点からライフプランを考えるように促されることが多いというのは、アメリカかぶれの評論家が口を揃える有名な話である。ディベートでは政策(やそれに類するもの)に対して賛成と否定の両派に分かれて激論が酌み交わされる、いや取り交わされる。本心は賛成派でも否定派のチームに入れられることやその逆のパターンも多い。こうして賛成にも否定にも回れるような柔軟で両面的な思考法が身につく。さらに1980年あたりから欧米では多民族国家であることや同性愛問題の表面化などを背景にdiversity(多様性)を尊重する思潮が強まり、民族や性や思想の多様性を学校でも明確に教わるようになった。最近Mozilla CEOが性差別的法案を支援して問題になった件で「Mozilla Statement on Diversity」という声明を出したのは記憶に新しい。このように物事の両面性・多面性を重視する風潮・思考法になっている。
ttps://blog.mozilla.org/press/2014/03/mozilla-statement-on-diversity/
日本人の多くは社会に出ると「国際社会だし欧米のように多面的思考をしないといけない」と耳が痛いほど聞かされ、その一環としてメリットデメリットを考えることが大切なんだなと学び成長していくわけである。そしてメリットデメリットさえ考えてれば多面的思考法が出来ていると勘違いしてあぐらをかいている人も多い。
1つには可変性である。例えば、自社の管理システムに新製品を導入する時には導入するメリットとデメリットを考えてメリットが大きいと判断されれば導入するという単純な思考プロセスで問題ない場合もあるが、新しい人材を取り込む時には必ず成長性を考える必要がある。ある分野が得意だからってさらに伸びるとは限らないし、ある分野が苦手だからって苦手克服できないとも限らない。人材ならまだ分かりやすいが、管理システムの場合はどうか?システムが時代とともに適応していけるような柔軟性を備えているか、また経験にしたがってブラッシュアップしていけるような成長性を備えているか。そうした可変性も加味しなければならない場合が多い。
子育てや学校教育においても、長所を伸ばすという聞こえのいい古い考え方が未だに蔓延しているが本当にもっと伸びるのかと言いたくなる。得意分野だと成功体験を積みやすい?いやいやそれは他人と比べるからで、比べなければ得意で伸びにくいものより苦手でも伸びやすいもののほうが伸びしろがあるため成功体験を積みやすいのは明らかだろう。大切なのは成長の楽しさが得られるかどうかであって、得意なものをやるよう押し付けることではない。そのためには得意でもどれが伸びてどれが伸びないのか、苦手でも伸びるものがあるのではないか、伸びるとしてどれくらい伸びるのか、といった一段階緻密な検討を経て合理的に判断をしないといけない。なんでもかんでも得意分野を持て囃すような風潮はもう終わりにしよう。
これまで見てきたように良い所と悪い所だけ見て両面的に考えてるぞとドヤ顔する風潮は打ち破られるべき悪しき因習と言える。逆に言えばこれからの熾烈を極める国際社会競争においてきちんと可変性を加味した多面思考ができる人間だけが生き残るとも言える。
メリットデメリット分析の2つ目の落とし穴はもっと根本的なもので、定性分析である点である。分析と名前がついているから数理的な分析だと勘違いしやすいがそうではない。多くの場合、メリットデメリット分析は定性的な分析、つまり物事の良し悪しに関わる性質を列挙しているに過ぎない。だからメリットとデメリットを量的に比較するのは難しく、比較できたとしてもそれはこじつけになりがちで、結局「メリットのほうが多い」「デメリットのほうが多い」といういい加減な形で分析結果を利用されてしまいやすい。たまたまメリットのほうが多く思いついただけかもしれないし、数え方の問題で多いだけかもしれないし、数が多いだけで重要度の低い項目だらけかもしれないのに。
実はこれは、賛成派(メリット)と否定派(デメリット)が戦う競技ディベートにおいてもしばしば問題となる点である。ディベートの勝敗はディベート経験のある審判が理屈をつけて決めているに過ぎない。論拠の数が多いから説得力があったとか、質問されて答えに窮したから説得力がなかったとか、おおよそ論理とは無関係な価値判断で決まることが多いのだ。
ディベートだけでなく2chの信者VSアンチの論争にも言えることである。それが偏った事実の寄せ集めであるかどうかにはお構いなくとにかく論拠の数を沢山用意しておき、次々と論拠を提示しては主張を繰り返して圧倒し、反論・質問された時にも用意した論拠で即レスするようにすれば、たいていスレの風潮を支配できるという、あの荒らしまがいのやり口を思い出してほしい。この手の荒らしが手強いのは殆どの場合において定量的に擁護または叩きを行うためのデータが存在しないか少ないからだ。そんな時は膨大な定性データを粘着的な調査力で収集して印象操作で圧倒するのが比較的容易である。
ロリコンに痴漢されたことがあるが、痴漢が発生したのは相手が「ロリコンだったから」じゃない。
ロリコンでも痴漢しない人は居るし、ロリコンじゃなくてもロリは人生経験値が低くて通報しにくいからロリばかり狙うという人も居るのだろう。
だからロリコンに痴漢されたからロリコンを差別する、っていうのはなんか違う。
ロリとされるような年齢じゃなくなっても、私は何回か痴漢された。
美人でも美乳美尻でもない、女性として特別に魅力的な容姿をしているわけでは決して無い。
露出の多い格好をして性をアピールしていたわけでもない。
それなのになぜ私は痴漢されたのか?
なぜ私以外にも、お世辞にもかわいいとは言いがたいような容姿の女性が痴漢をされるのか?
通報された痴漢の第一声は「お前みたいなブス、誰が触るか!」なのだという。
(冤罪の場合、おろおろして、通報した女を罵倒するどころではないらしい)
そして痴漢同士が集まる掲示板などのコミュニティでは「痴漢OK子」という概念があるらしい。
その辺にヒントがあるのではないかと思った。
痴漢掲示板にウソの書き込みがされて逮捕者が出た事件があったが、それもヒントになった。
私は「あらゆる行為は本人にとっては善行だ」と思って人の行為を見ることにしている。
痴漢にとって、痴漢されることを必要としていない痴漢NG子と、痴漢されることを必要としている痴漢OK子の、二種類の女が居るのではないかと思った。
痴漢をするということは、痴漢にとって「恥ずかしくて言い出せない痴漢OK子を見つけてあげる善行」なのではないかと思う。
私は「痴漢は魅力的な子を狙って痴漢しているわけではない」と感じていたので、痴漢された経験を話すのは恥だと思って言わなかったが、
痴漢は魅力的な子を狙って痴漢すると思っている子にとっては、痴漢に遭うということは「女性としての価値が評価された」ということになる。
そういう子にとって痴漢に遭うことはプラスになる。それが「痴漢OK子」ってやつなのだと思う。
ようするに私は、見た目で「自分の女性としての価値への自信が無さそうな女」だと判断されていて、
自信をつけてやろうとした痴漢から痴漢されていたのだろう…と思う。
もっと痴漢されたいのなら、もっと自信が無さそうに見られる工夫をすればいい(皮肉ではないです)。
私は痴漢されたくなかったので、自信が無さそうに見られる理由は何だ?と考えて、姿勢を良くしたり、女性らしいコンサバな服を着るようにした。
姿勢が悪く、「失敗した森ガール」みたいな格好をしていた頃は痴漢にあっていたが、現在は遭わない。
加齢によっても痴漢には狙われにくくなるものだけど、見た目を意図的に変えてからくっきりと遭わなくなったので、効果はあるんじゃないかと思う。
現実として私は可愛くないし、モテるほうでは全くない。でも彼氏は欲しかった。なんか不安だし、居ないと彼氏持ちの女友達に下に見られるような気がした。
生まれつきの女性としてのスペックが低い以上、自信の無さそうな態度をとるしか、男性に興味を持たれる方法は無いと思った。
ブスに迫られても男性からしたら迷惑だろうし、自分から行くなんてことは選択肢のうちに無かった。
結果としては、「彼女持ちの男性や既婚者の男性からアドバイスを受ける」ということしか得られず、フリーの男性からはガン無視された。
アドバイスっていうのは「男は女のこういう髪型が好きなものだ」とか「男は女のこういう仕草が好きなものだ」みたいな感じ。
かわいそうな生き物として下に見られているのをひしひしと感じて、不快だったので素直にアドバイスを実行することは出来なかった。
そもそも彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい、が原点だったのに、結果的に下に見られているのは何なんだと思った。
彼女持ちや既婚者にしか構われないというのも全く本意ではない。
「自信の無さそうな態度をとる」というのは彼氏を作るという目的に見合った方法ではないと思うようになった。
荒れていた髪や肌をケアするとか、運動不足で太った脚を運動で改善するとか、自分の顔の長所と短所を分析して改善可能な部分を化粧で誤魔化すとか、
とにかく見た目を改善することだろうと思うようになり、実行した。
するとまずアドバイスをされなくなった。そして私が変わったのは、タイプの男性を怖がって避けずに済むようになった。
彼女持ちや既婚者にしか構われないのは、私にとって彼女持ちや既婚者は「彼氏対象外」で、対象外の人からは何を言われても傷つかないので、
萎縮したり避けたりせずに話すことが出来ていたから、こうなっていたのだなと気付いた。
タイプの男性から否定的なことを言われたら傷つくから、まともに会話もできず、露骨に避けてしまうくらい恐れていたのだけど、
傷ついたからといって死ぬわけではないし…と思うようになってから、恐怖感がなくなって、相手を直視することも相手に直視されることにも耐えられるようになった。
見た目が改善されることによって自信がついて、というわけではない。
自信がないころにも「ふられたからって死ぬわけではない」みたいな言説は散々見た。
でも性的魅力における弱者でも「ふられたからって死ぬわけではない」を活用した方が得だと思う。そのほうが生きてて楽だから。
そして彼氏出来た。友達の彼氏の友達を紹介してもらって付き合うことになった。
「彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい」とか、「彼氏に愛されることによって自分の価値を確認しないと死んでしまう」みたいな心持ちだと、
せっかく彼氏ができてもふられるのが怖くて、彼氏の顔色をうかがい続けて、付き合う楽しさより不安が上回るときが来てしまったのではないかと思う。
実際、可愛くてモテて当然彼氏が居るけど不幸そうな女性とか、安定収入のある人と結婚して専業主婦になって生活安泰なのに不幸そうな女性とかは居るので、
その原因は何かというと、「ふられるのが怖い」とか「家事を頑張っているのに夫が褒めてくれないのは私が愛されていないからだ」とか
「夫が私を抱く頻度が落ちたから私の価値が下がったように感じて悲しい」とか、そういう理由なのではないかと思う。
せっかく私より若かったり可愛かったりオシャレだったりスタイルが良かったり頭が良かったり収入が良かったり色々と恵まれていても、
評価されないことや、評価が下がることを恐れている限り、何を得てもおそらく不安から逃れられない。
男性でも同じことで、「自分は男としての価値に自信を持てないから女に無条件に愛されないと不安でだめなんだ」みたいに思っている限り、
彼女が欲しいのに出来ない場合、性の対象になる女を攻撃するか、性の対象になる女に無関心になる努力をしなきゃいけないし、
彼女が出来ても「ふられる不安」や「彼女は金が目当てなのではないかという不安」から逃れられない。
だから、金が無くなっても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試そうとしたりする。
殴ったり暴言を吐いても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試すのがDVやモラルハラスメントなのだと思う。
試すような行為をしない人でも、彼女にふられても大丈夫な精神状態で居るために、わざと彼女以外の人間関係や趣味や仕事などに固執する人も居る。
友達が居ること、仕事にやりがいがあること、趣味が充実していること自体は、良いことだと思う。
ただ彼女に振られたときの精神的な保険としてそういう方向性で動いていたら、彼女との関係で何も得られないと思う。
友達や同僚からバカにされるのが怖くて保険かけながら接していたとしても、友達や同僚との関係で何も得られないと思う。
いや、何も得られないってことは無いか。もっと得られるものは大きいはずなのに勿体無い、と思う。
ようするに差別するのは対象への攻撃で、攻撃してしまうのは恐れているからで、何を恐れているかというと対象からの否定的評価を恐れているのだと思う。
なぜ否定的評価を恐れるかというとその人が自分の欲望の対象で、肯定的評価を求めているから恐れるのだと思う。
でも肯定的評価は、あればより良いのであって、無いと死ぬわけではない。
肯定的評価に依存していると、依存している相手に否定的評価しかされなくなったときにメンヘラになったり、自殺するしかなくなってしまう。
肯定的評価に依存しなくなったら、誰のことも差別したり攻撃したりする必要が無くなる。今の自分には何が出来るかだけ考えて生きられるようになる。
この前「飯屋でごちそうさまを言うのは低所得者」ってツイートが炎上してたけど、あれはあながち間違いではないと思う。
他人をバカにする、敵に対しては論理もクソもないような誹謗中傷をする、弱者を見れば追い打ちをかける。
俺の発言はすべてバカの意見だと決めつけ、具体的根拠を挙げろと言うと、それも分からないようなアホが世の中にいるんですねーと嘲笑する。俺の趣味(ミステリ読み)を無能の現実逃避だと切り捨て、娘の塾通いを無駄なあがきだと言い、俺の出身校(一応進学校)をあんな底辺に入るなら死んだ方がマシだと罵倒する、出世するのはそういう男だ。
競争社会を生き抜くためには、そのくらいの節操のなさが必要なのだろう。
自分はもともと金儲け至上主義ではないのだが、妻子には不自由はさせたくないので、クビになるのは困るし、クビにならないためには出世しなければいけない。
そのためには、性格悪くならなくちゃいけないのだろうか。
しかし、天才でもイケメンでもない自分が、そこそこの企業に入れて結婚も出来たのは、人当たりの良さ、面倒見の良さのおかげだと思っているので、その唯一の長所を捨ててしまうのはすごく抵抗がある。
それに、素質もないのに付け焼き刃的に他人をバカにし始めても、上手くいかないように思える。
じゃあどうすればいいのか。所詮自分のような人間は、遅かれ早かれ負けて落ちて、妻子を路頭に迷わせる未来しかないというのか。