ロリコンに痴漢されたことがあるが、痴漢が発生したのは相手が「ロリコンだったから」じゃない。
ロリコンでも痴漢しない人は居るし、ロリコンじゃなくてもロリは人生経験値が低くて通報しにくいからロリばかり狙うという人も居るのだろう。
だからロリコンに痴漢されたからロリコンを差別する、っていうのはなんか違う。
ロリとされるような年齢じゃなくなっても、私は何回か痴漢された。
美人でも美乳美尻でもない、女性として特別に魅力的な容姿をしているわけでは決して無い。
露出の多い格好をして性をアピールしていたわけでもない。
それなのになぜ私は痴漢されたのか?
なぜ私以外にも、お世辞にもかわいいとは言いがたいような容姿の女性が痴漢をされるのか?
通報された痴漢の第一声は「お前みたいなブス、誰が触るか!」なのだという。
(冤罪の場合、おろおろして、通報した女を罵倒するどころではないらしい)
そして痴漢同士が集まる掲示板などのコミュニティでは「痴漢OK子」という概念があるらしい。
その辺にヒントがあるのではないかと思った。
痴漢掲示板にウソの書き込みがされて逮捕者が出た事件があったが、それもヒントになった。
私は「あらゆる行為は本人にとっては善行だ」と思って人の行為を見ることにしている。
痴漢にとって、痴漢されることを必要としていない痴漢NG子と、痴漢されることを必要としている痴漢OK子の、二種類の女が居るのではないかと思った。
痴漢をするということは、痴漢にとって「恥ずかしくて言い出せない痴漢OK子を見つけてあげる善行」なのではないかと思う。
私は「痴漢は魅力的な子を狙って痴漢しているわけではない」と感じていたので、痴漢された経験を話すのは恥だと思って言わなかったが、
痴漢は魅力的な子を狙って痴漢すると思っている子にとっては、痴漢に遭うということは「女性としての価値が評価された」ということになる。
そういう子にとって痴漢に遭うことはプラスになる。それが「痴漢OK子」ってやつなのだと思う。
ようするに私は、見た目で「自分の女性としての価値への自信が無さそうな女」だと判断されていて、
自信をつけてやろうとした痴漢から痴漢されていたのだろう…と思う。
もっと痴漢されたいのなら、もっと自信が無さそうに見られる工夫をすればいい(皮肉ではないです)。
私は痴漢されたくなかったので、自信が無さそうに見られる理由は何だ?と考えて、姿勢を良くしたり、女性らしいコンサバな服を着るようにした。
姿勢が悪く、「失敗した森ガール」みたいな格好をしていた頃は痴漢にあっていたが、現在は遭わない。
加齢によっても痴漢には狙われにくくなるものだけど、見た目を意図的に変えてからくっきりと遭わなくなったので、効果はあるんじゃないかと思う。
現実として私は可愛くないし、モテるほうでは全くない。でも彼氏は欲しかった。なんか不安だし、居ないと彼氏持ちの女友達に下に見られるような気がした。
生まれつきの女性としてのスペックが低い以上、自信の無さそうな態度をとるしか、男性に興味を持たれる方法は無いと思った。
ブスに迫られても男性からしたら迷惑だろうし、自分から行くなんてことは選択肢のうちに無かった。
結果としては、「彼女持ちの男性や既婚者の男性からアドバイスを受ける」ということしか得られず、フリーの男性からはガン無視された。
アドバイスっていうのは「男は女のこういう髪型が好きなものだ」とか「男は女のこういう仕草が好きなものだ」みたいな感じ。
かわいそうな生き物として下に見られているのをひしひしと感じて、不快だったので素直にアドバイスを実行することは出来なかった。
そもそも彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい、が原点だったのに、結果的に下に見られているのは何なんだと思った。
彼女持ちや既婚者にしか構われないというのも全く本意ではない。
「自信の無さそうな態度をとる」というのは彼氏を作るという目的に見合った方法ではないと思うようになった。
荒れていた髪や肌をケアするとか、運動不足で太った脚を運動で改善するとか、自分の顔の長所と短所を分析して改善可能な部分を化粧で誤魔化すとか、
とにかく見た目を改善することだろうと思うようになり、実行した。
するとまずアドバイスをされなくなった。そして私が変わったのは、タイプの男性を怖がって避けずに済むようになった。
彼女持ちや既婚者にしか構われないのは、私にとって彼女持ちや既婚者は「彼氏対象外」で、対象外の人からは何を言われても傷つかないので、
萎縮したり避けたりせずに話すことが出来ていたから、こうなっていたのだなと気付いた。
タイプの男性から否定的なことを言われたら傷つくから、まともに会話もできず、露骨に避けてしまうくらい恐れていたのだけど、
傷ついたからといって死ぬわけではないし…と思うようになってから、恐怖感がなくなって、相手を直視することも相手に直視されることにも耐えられるようになった。
見た目が改善されることによって自信がついて、というわけではない。
自信がないころにも「ふられたからって死ぬわけではない」みたいな言説は散々見た。
でも性的魅力における弱者でも「ふられたからって死ぬわけではない」を活用した方が得だと思う。そのほうが生きてて楽だから。
そして彼氏出来た。友達の彼氏の友達を紹介してもらって付き合うことになった。
「彼氏持ちの女友達に下に見られたくないから彼氏が欲しい」とか、「彼氏に愛されることによって自分の価値を確認しないと死んでしまう」みたいな心持ちだと、
せっかく彼氏ができてもふられるのが怖くて、彼氏の顔色をうかがい続けて、付き合う楽しさより不安が上回るときが来てしまったのではないかと思う。
実際、可愛くてモテて当然彼氏が居るけど不幸そうな女性とか、安定収入のある人と結婚して専業主婦になって生活安泰なのに不幸そうな女性とかは居るので、
その原因は何かというと、「ふられるのが怖い」とか「家事を頑張っているのに夫が褒めてくれないのは私が愛されていないからだ」とか
「夫が私を抱く頻度が落ちたから私の価値が下がったように感じて悲しい」とか、そういう理由なのではないかと思う。
せっかく私より若かったり可愛かったりオシャレだったりスタイルが良かったり頭が良かったり収入が良かったり色々と恵まれていても、
評価されないことや、評価が下がることを恐れている限り、何を得てもおそらく不安から逃れられない。
男性でも同じことで、「自分は男としての価値に自信を持てないから女に無条件に愛されないと不安でだめなんだ」みたいに思っている限り、
彼女が欲しいのに出来ない場合、性の対象になる女を攻撃するか、性の対象になる女に無関心になる努力をしなきゃいけないし、
彼女が出来ても「ふられる不安」や「彼女は金が目当てなのではないかという不安」から逃れられない。
だから、金が無くなっても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試そうとしたりする。
殴ったり暴言を吐いても彼女が一緒に居てくれるかどうかを試すのがDVやモラルハラスメントなのだと思う。
試すような行為をしない人でも、彼女にふられても大丈夫な精神状態で居るために、わざと彼女以外の人間関係や趣味や仕事などに固執する人も居る。
友達が居ること、仕事にやりがいがあること、趣味が充実していること自体は、良いことだと思う。
ただ彼女に振られたときの精神的な保険としてそういう方向性で動いていたら、彼女との関係で何も得られないと思う。
友達や同僚からバカにされるのが怖くて保険かけながら接していたとしても、友達や同僚との関係で何も得られないと思う。
いや、何も得られないってことは無いか。もっと得られるものは大きいはずなのに勿体無い、と思う。
ようするに差別するのは対象への攻撃で、攻撃してしまうのは恐れているからで、何を恐れているかというと対象からの否定的評価を恐れているのだと思う。
なぜ否定的評価を恐れるかというとその人が自分の欲望の対象で、肯定的評価を求めているから恐れるのだと思う。
でも肯定的評価は、あればより良いのであって、無いと死ぬわけではない。
肯定的評価に依存していると、依存している相手に否定的評価しかされなくなったときにメンヘラになったり、自殺するしかなくなってしまう。
肯定的評価に依存しなくなったら、誰のことも差別したり攻撃したりする必要が無くなる。今の自分には何が出来るかだけ考えて生きられるようになる。