「耽美」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 耽美とは

2020-06-04

耽美系」という言葉で誤魔化すな、ゾーニングしろ

堂々と誰でもアクセスできるところに棚を置いてるんじゃないよ、ちゃんとR18マーク付けて隔離して。小学生でも立ち読みできるようなのは害悪しかない。はやく条例化して

2020-05-28

anond:20200528120601

KPOPの男性アイドル見てみなよ。口紅塗って目にメイクして、中性的耽美雰囲気出してるやつばっかやぞ

2020-02-19

見つけないで

死にた過ぎて。

私ってJKだけど友達もいないから、ストーリー死にたいって書いても見た人を困惑させるだけで、大丈夫一言も言って貰えないだろうから、しない。

私の周りの人間は、わたしが軽薄で、お気楽で、なんにも省みない態度をとってる時だけ優しい。

実際の私って、そういう生き方しか出来ないし知らないから、周りの人々の私の扱いは正当といえば正当なんだと思う。

基本的人間って他人の中に自分に与えてあげるような真剣さを、切実さを見い出せない生き物なんだから、私みたいな共感性もない自堕落なだけの人間共鳴して自分の何か一つでも与えてやる価値なんかない、使い捨て暇つぶし人間なんだ。その面においても需要が少ない。それでも私みたいな人間を求めてくれる人がいるって有難いことのはずなのに、求められることがたまに重荷になる。なぜなら、私を求める人があるとき、その人には必ず私に対して、私の先に何かを「求め」ているからだ。私が彼らの要求を破棄すれば、彼らも私を気味悪がって棄てていくだけだ。今私を知る誰しもの記憶から消えて、私が必死で私を守るために取り囲んで人達からスパンと切り離して貰えたら、誰にも少しも必要とされない人間として世の中に放り出されたらどれだけ楽だろう。最初から場所を持たない透明人間として、都市を浮遊する。やがて夜が開ける前に霧散する。たまに死んだ人はすぐに忘れられると言うけど、私はそうやって忘れらることにこそ喜びを感じる。誰も私を思い出さなくなった時、現世での私は完結する。指をパチンと鳴らしたら、それを合図に私がこの世から消えて、誰も私のことを思い出さなくなったらいいと思う。17年この地球でこの日本で生きた私という生命体が一瞬にして消え、存在していたはずの事実が消え、人々の記憶かられいさっぱり消える。私という存在がこの世にもたらすことが出来る事として、これ以上に美しいことは無い。

さっき、死にたい検索して出てきたサイトではただ逃避したいという思いから来る死への欲求と鬱からくる死への欲求は別だと、書いておりましたが、私は死のうとして死ねなかった人のブログや文を見て大抵ガッカリしますよ。

だって、生きていることに感謝しているし生き延びられたのも何かの運で、今死にたいと思っている人は.......と続くともう読めない。勧誘電話ガチャン!って切るみたいにうるさい!と撥ねつけたくなる。私が今必要としてるのはやっぱり「本当に死んでしまった人」の言葉なんだ。でもそれをなぞっていくのは苦しい。なぜなら自分の死への欲望加速度を上げてしまうから。それも途方もなく。

最近品川同性愛殺人事件記事を読んだら、犯人のこういう供述が載っていた。「当時の私は自由気ままで……我慢、忍耐、努力とか、ありませんでした…」

私は記事を読みながら、この言葉に大いに共感しました。私もそうだからです。

からといって人殺ししませんが。

はっきり言って犯人である彼女はめちゃくちゃな人です。やっぱり、人間ある程度我慢や忍耐や努力出来ないとまともには生きていけません。彼女場合彼女自身は生きていますが、その過程で人を1人殺ししまっています

私は、したいことが沢山あるし、好きな物もいっぱいあります

でも悲しいことにそのために頑張れません。

そういう人間から

甘えと言われるかもしれないけど、ふざけるなと打たれるかもしれないけど、本当にそうなのです。

1番最近泣いた時は、私は、私は何にもなれなかったと思って泣きました。

私はずっと何者かになりたかったのです。でも、それに意味が無いことを知ってしまいました。世界意味が無いことを知ってしまいました。

からもうこの世の中の「何か」にはなれない。そう思うと何者かになりたかった自分が、自分の好きだったもの全てが、自分というもの全て何もかもが溢れていくようでした。私にそれをせきとめることは出来なくてただ声もあげず泣いていました。

最近はふと、バスの窓などから見える、自分生活のために勤しむ人々を見ると寂しくなります

そのような所謂普通の人々」は私の悩みなど気にもかけないでしょう。そういう人達にとって私のミジンコのような価値のない、弱々しい、自暴自棄クズなだけの悩みなんて鼻くそ同然です。

しかし、私が勝手普通の人々と見なしている人々の中にも私と同じような悩みを抱えている人がいるかもしれません。

でも、絶対私たちは、それを本質的に共有出来ない。それが分かっているなら、自分世界と切り分けて自分けがオカシイんだ壊れているんだと思う方が楽でしょう。耽美な悲観に酔いしれることができるから

ああ、できればみんな私のことを可笑しい可哀想な人に仕立てあげてよ。そしてうんと優しくして欲しい。今でさえこんなに優しくしてもらっているのに?

これ以上優しくされることって、赦されることって死んでるも同然なのに。

そうやって囲われるなんてただの生地獄ぢゃないか。誰か私を...................

どうにもしないでいいから、明日になったら目が覚めないでいて欲しい。

2020-02-04

女性グラブリアンが描いてると思しき

ジーちゃん(たぶん自分)とイケメン団員のえっち耽美同人をこよなく愛するもの――――

それがワシなのじゃ

2020-02-02

anond:20200202182952

どんなのか知らんが、とうらぶ耽美BLあたりのポスター勝負かけるのはもちろん有りだっただろうな。

から?だけど。

実際おたくの界隈内では棲み分けはされてるもんだし。

ちなみに、君の考えるオタクの嫌がるポスターとはどんな題材?

2019-11-11

異性の同性愛耽美的に見える

から見て、女性同士の恋愛は綺麗にみえる。精神的なつながりというか、淡くふわんとした雰囲気キラキラしてるように思える。

たぶんいつの間にか刷り込まれイメージなんだろう。

実際はナメクジ交尾みたくヌメヌメしてんの?

逆に女性から見て、男性同士の恋愛を綺麗なイメージで捉えているのだろうか。男の熱い友情がッー!とか。

ガチムチゲイビデオみた方がいいよ。

2019-10-18

anond:20191018200214

BL不適切な例えだったけど、あの『耽美的でややエッチな絵柄のイケメン』という像があるじゃん。あれはありかどうかという例でした(今のところ街中ではそれほど見かけないけど仮定の話として)。しかしこういう話しても今はみんな容認モードなんだねぇ…

2019-10-15

anond:20191015111406

そういった考えは無償の愛のみが本当の愛だと考える頭の可哀そうな奴によく言い聞かせてやってくれ

本当の愛なんていくらでもどこにでもある雑多なものだし、白痴美のお耽美で世の中が回っているわけじゃない

2019-09-25

anond:20190925234512

綺麗な薔薇にはトゲがある、ともいうし腹黒い花扱いな気がする

良くて耽美

2019-09-01

anond:20190901120910

大昔、オリジナルは 「JUNE」(雑誌ジュネ由来)とか「耽美」だよな

その後も「BL」(これも確か雑誌由来)

そして2次創作は「やおい」(やまなしおちなしいみなし)で、

やおい女」(やおい作家/愛好家を指す)とか言う言葉があったはず。

ついでに801ちゃんなるものもあったはず。

一部の愛好家のみが嗜むものだったのが、流通改善インターネットで、多くの層に届いた結果、「腐」が定着したのは、

まぁ、たしかに、自傷云々と同性愛者に対する無配慮無神経と言えるかも知れない

2019-08-27

anond:20190827174616

まあでもラブコメディとして見ると結構おもしろいよな

同性愛者がちょっと多く登場するだけで、別に耽美!!!」とかい雰囲気もないし

ええんちゃう

2019-07-14

学園戦記ムリョウ推したい

学園戦記ムリョウ」の脚本がムリョウ公開された。無料でムリョウが全て読めるなんて素晴らしい。

今更ながら、Blu-rayが出ているのを知った。DVDBOXを購入したくらい好きなのに恥ずかしい。

正直、恐る恐る脚本を読んだ。ハマってから年月が経ち、始と年齢が近かったのが今じゃ親たちの世代だ。感覚が変わって、好きなものが好きでなくなったら悲しいなあと思ったのだ。

杞憂だった。ムリョウはいいぞ。

特に推したいのは京一と晴美である

3話までは、主人公に突っかかるただの嫌な奴と地味な女の子である主従関係があるのにちょっとエロスを覚えた。

4話を過ぎると訳ありな描写が増えてくる。嫌な奴は愛せるおバカさんであり、地味な女の子は一足先に大人階段を登っていたのだ。

京一が晴美に振られるのは最高の瞬間であった。大切な人だからこそ見せられない本心もどかしい。あらゆる緊張と耽美が一斉に襲ってきた。

雨の中を絶叫しながら走る人を、笑ったらいいのか哀しんだらいいのかわからない。

空蝉の時は晴美最強伝説が築かれてワクワクした。「ムリョウ」は女性が強い。主従と見せて、実のところ京一は晴美の尻に敷かれてる!京一のことを分かっている晴美がたまらん。

お互いの気持ちが少しずつ通じ始めたところで、俺はデートだはアホだ。今度は砂浜を爆走している。だがそれがいい

アホになった後、晴美が頑なに主従関係を貫く理由を明かした。あーやっと相思相愛なのが伝わったよ!泣いたよ!

守口父と峯尾父の友情もいいし、今となっては親の方に感情移入するようになって、残して逝った守口夫婦と、残された側の両方に揺さぶられる。

19話は泣きっぱなしだった。京一と晴美の話としてはほぼクライマックスである。あれほど天敵扱いだった無量を信じるのである。あの京一が?全ては大切な人のため。

最終回近くで「自分たちができること」を二人仲良く見つけた姿は成長としか言えない。

2019-07-11

anond:20190711211540

漫画家志望じゃなくてプロ漫画家なのに持ち込みしかやってなさそうってのが謎だし

過去自分作品で売れた作品担当からは売れないと散々文句を言われた話だった。

売れないと散々文句を言われたのに出版出来てるのが謎だし

「禁断の恋」はもう古い!BL編集部3社が語る、これからBL…という記事

同性愛は隠すものからとか、可哀想過去がないのはおかしいとか、つらい思いをしないといけないって言ってたよな?

30年以上前のまだJUNEとか耽美とか言われてた時代の話か?20年前の時点でもう男同士である事に登場人物が誰も何の疑問も持たないBLなんか腐るほどあっただろと思うし

つーか実話だとしたら男性BL漫画家なんて即身バレするよな

嘘松臭が凄い

2019-05-02

ロリコンってカテゴライズさせるのが苦痛

僕は自分のことをロリコンだと思ってるんだけど、一般ロリコンは幼い可愛さみたいなのを想定していて、僕はそうじゃない。

僕は細くて華奢で、腰なんて全く出てない、それでいて男を弄ぶような無邪気な残酷さのある小悪魔みたいなのが好きなんだ。

からそこいらの子供に性的に興奮したりなんてしないでもっと耽美ものしか興味ないんだよ。

それなのにロリコン馬鹿で幼稚な男みたいに扱われるのが苦痛なんだ。

ロリコンだって偏見さらされず、尊重される権利があるはずだろ?

世の中はマジョリティマイノリティ権利自分らの正しいと思う狭い考えにしか権利をみとめようとしない。

本当に生きにくい…

2019-04-21

anond:20190419195632

横だけど耽美の使い方が違ってる気がする

あと人に喜んでもらうのが仕事、というのも美化してるなあと個人的には思う 家族を養う責任のために働くって言ってるのとどっこいどっこいだ

2019-04-19

anond:20190419101438

責任ってなに?笑

自分と同じ人間が喜ぶ事をする

それが仕事だし、それだけの事でしょ

難しく耽美的に物事を考えすぎじゃない?

2019-04-16

anond:20190416180331

その話は簡単で、女性小説耽美を求めてるから、くどくどしく情景描写にこだわってる作品を持ち上げて、簡潔を旨とするなろう作品とかを蔑んでる、ってだけ。

anond:20190415150716

「Veniceに死す」はトーマス・マン原作で、耽美好きな女性はたいがい知ってる名作。

ヴィスコンティ貴族

ジオ役のビョルン・アンデルセンは動いてても綺麗。ファッションも素敵。

ジオ母(シルヴァーナマンガーノ)もほんと美しいです。

2019-03-30

ゴールデンカムイ女体化

杉本女体化普通にシコれるんだけど、竿役が尾形なのはちょっと無いなと思った。

白石谷垣なら普通にいけるし、鯉登でもやや耽美方向にはよるけどまあいけると思う。

ここら辺は男女の感性の違いなのかな。

2019-03-18

anond:20190318114428

なんというか、耽美美少年は「美少年」というジャンルで、広義のショタではあるんだろうけど、いわゆる狭義の「ショタジャンルではない気がするよな

2019-02-16

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-01-05

初めてビジュアル系を聞いた時

「こんなにまで、カッコつけた歌い方でも、聞きなれると成立するのかー!」と衝撃だった。そういう歌唱法はそれまで未知のもので、声の出し方、クセのつけ方自体は、なんというか、わざとらしさ、女々しさ、日常ではまず出さない甘ったるい声、自意識過剰感、と言った、側で見てて恥ずかしくなるようなものの「はずだった」。

耽美的な歌詞もそう。

こんな風に「最初ものすごい違和感あるけど、慣れると病みつきになる」ものが生まれ一般的になっていく過程人生で数度しかないと思うので、あの時、衝撃を受けた時の感情を瓶に詰めてあの丘の十字架の上に飾っておきたい。

2018-12-13

anond:20181213002330

ブサイク特集ってのが組まれた時、ガチのブサを描いてたのはお耽美ギャグ路線作家だけだった

あとは出っ歯や顔の傷やチビで誤魔化してたなー

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん