はてなキーワード: 耽美とは
秋葉原通り魔事件。宮崎勤の事件。ああいう事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。
母親は教育関係の仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである。
しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。
1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期
私は物心つく3歳の頃から、毎日「ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷。最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュを丸めて置いておく。
「今日のノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身、子どもを支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄な時間だったと感じる。
そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲームが禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかいう比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキルを20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。
友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻にトライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。
漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画をカッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると「私刑」である。生命活動を勉強時間に全振りすることで東大に合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。
幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館のお気に入りの本は読みつくしたし、母親の検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないかが重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美、18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。
そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有のクラスのトラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子はレベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由なお金がなかったし、バスにも乗れなった)
高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。
そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。
最近の教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会に還元したりする上ではこの能力が必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切を無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生のママを見下しながら、自分が適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いか分からなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり、就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである。
母親は上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカのコミュ障が出来上がっていたかもしれない。
ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。
20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。
「アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。
ドスケベメロスは激おこぷんぷん怒り勃起した。遺憾の意射精もじゃんじゃんばゅりばゅりした。5㍑くらい射精(で)た。必ず、かの邪智にして暴虐、淫乱で猥褻、卑猥でしかも淫靡、妖艶なだけでなく耽美、そして最もえちえちな王、人呼んで・・・邪智暴虐淫乱猥褻卑猥淫靡妖艶耽美最えちえち王をスケベ除かなければならぬと決意の自慰もした。ドスケベメロスにはえろえろ政治がむちむちにわからぬ。ドスケベメロスは、スケベ村のスケベ牧人である。笛ラチオをスケベ吹き、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ乳を出す淫乱羊、その名も感度3000倍媚薬乳淫乱羊と交尾したりされたりしてえっちに遊んで卑猥に暮して来た。けれどもむらむら邪悪メに対しては、人一倍に超エロ敏感であった。無垢な少年のむくむく棒のまだ暖かな春の日差しを知らないむくむく中身よりも敏感であった。悪エロスを見ると一秒の間に4545194回怒りアクメするレベルの敏感さですらあった。淫靡極まり無いきょうのエロスとカオスとリビドー渦巻く未明ドスケベメロスはスケベ村を出発し、エロ野を越えエロ山越え、十里はなれた此のドエロシラセックスのセックス市にやって来てとりあえず挨拶がわりとしてそこら辺で雑に射精した。ドスケベメロスには絶倫父も、淫乱母も無い。エロ女房も無い。バイオ性玩具も無い。十六の、内気な美っ痴妹と二人暮しだ。この美っ痴妹は、スケベ村の或る律気な一スケベ絶倫牧人を、近々、えちえち絶倫花婿として迎える事になっていた。猥褻結婚式も間近かなのである。ドスケベメロスは、それゆえ、美っ痴花嫁の猥褻ドスケベ即ハメ不健全エッロエロ衣裳やら祝宴の媚薬激盛御馳走やら脳の機能が生殖器に支配されたバイオ性玩具やら発情きび団子やらを買いに、はるばるセックス市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからセックス都のドエロ大路をぶらぶら歩いた。ドスケベメロスには竹馬の穴友があった。セックスリヌンティウスである。今は此のドエロシラセックスのセックス市で、いかがわしいエロ石クス工をしている。その穴友を、これからエロ訪ねてみるつもりなのだ。久しくエロ逢わなかったのだから、エロ訪ねて行くのが卑猥(たの)しみである。そこら辺の棒とか穴とかをセックスに誘うようなセクシーさでスケベに歩いているうちにドスケベメロスは、エロまちの様子を卑猥(あや)しく思った。老人同士の事後かというほどひっそりしている。もう既にセクシー日(サン)も落ちて、エロまちのスケベ暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、淫ら夜(ナイト)のせいばかりでは無く、セックス市全体が、やけに寂しい。猥褻(のんき)なドスケベメロスも、だんだんエロ不安になって来た。セックス路で逢った若いスケベ衆をつかまえて、とりあえず雑に笛ラチオをして、何かあったのか、二年まえに此のセックス市に来たときは、淫ら夜(ナイト)でも皆があまりにも卑猥過ぎてIQがぴーぼぼぼぼになるようないやらしいクソスケベな歌をうたって、エロまちは卑猥(にぎ)やかであった筈だが、とエロ質問した。若いスケベ衆は、首を振って答えなかった。しかしドスケベメロスのドスケベな穴にドスケベな棒をぶち込んで腰を雑に振った。しばらく歩いてセクシー老爺(イケシルバー)に逢い、こんどはもっと、スケベ語勢をエロ強くしてえちえち質問した。セクシー老爺は答えなかった。メロスは両手でセクシー老爺のからだをゆすぶって素股をしながらえちえち質問をむちむち重ねた。セクシー老爺は、あたりをはばかるセクシーと言うにはあまりにも卑猥な低声で、わずか答えた。
「なぜアクメ殺すのだ。」
「悪スケベ心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪スケベ心を持っては居りませぬ。」
「たくさんのスケベ人をアクメ殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアクメレキドスケベス様を。あとスケベ遠いドシコリブルグから迷い込んだセックスエイリアンを。」
「いいえ、えちえち乱心ではございませぬ。スケベ人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下のスケベ心をも、お疑いになり、少しく卑猥で派手な暮しをしている者には、スケベ人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御アク命令を拒めばエロ十字架にかけられて、アクメ殺されます。きょうは、六人アクメ殺されました。」
聞いて、ドスケベメロスは激おこぷんぷん怒り勃起した。そうして冒頭にあった通り、遺憾の意射精と決意の自慰をした後で、物欲しそうなセクシー老爺の開きっぱなしのアナルを使って覚悟の自慰もした。「呆れたえちえち王だ。アクメ生かしてスケベ置けぬ。」
ドスケベメロスは、バイオ性玩具より単純な助平男であった。アダルティックな買い物を、セクシーに背負ったままで、のそのそドエロ王城にはいって行った。たちまち彼は、えっち巡邏のドス警べ吏にえっちに捕縛された。エロ調べられて、ドスケベメロスの猥褻な懐中からはどう見てもえっちな事にしか使えない短剣(バイブ)が出て来たので、エロ騒ぎがエロ大きくなってしまった。ドスケベメロスは、えちえち王の前に引き出された。
「この短刀(バイブ)で何をするつもりであったか。言え!」えちえち暴君ディオニセックスはエロ静かに、けれども威厳を以てムッキムキの従者二人の穴と棒を自らの棒と穴で激犯しながらエロ問いつめた。そのえちえち王のセクシー顔はセクシー蒼白で、セクシー眉間のセクシー皺は、セックスが刻み込まれたようにエロ深く、枯れ専の雌穴の卵巣IQが一瞬で虚無虚無ぷりんになるレベルでエロかった。
「セックス市を淫乱えちえち暴君のガシガシ手マンから救うのだ。」とドスケベメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」えちえち王は、えろえろ憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしのスケベ孤独がわからぬ。」
「言うな!」とドスケベメロスは、セックスの途中で穴から抜かれた時のチンポみたいにいきり立って反駁(はんばく)した。「スケベ人のスケベ心を疑うのは、最も恥ずべき破廉恥悪徳だ。えちえち王は、えろえろ民のむらむら忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当のスケベ心構えなのだと、わしにスケベ教えてくれたのは、おまえたちだ。スケベ人のスケベ心は、あてにならない。スケベ人間は、もともと私慾情慾性慾肉慾淫慾色慾のかたまりさ。アクメ信じては、ならぬ。」えちえち暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついて、20㍑射精した。「わしだって、助平和をむらむら望んでいるのだが。」
「なんの為の助平和だ。自分のスケベ地位を守る為か。」こんどはドスケベメロスが嘲笑アクメした。「罪の無いスケベ人をアクメ殺して、何が助平和だ。」
「だまれ、下賤の助平者。」えちえち王は、さっとアクメしそうな顔を挙げてエロ報いた。「上の口では、どんな卑猥(きよ)らかな卑猥(きれい)事でも言える。わしには、スケベ人のだらしない腹綿のはしたない奥底が視姦(み)え透いてならぬ。おまえだって、いまに、えちえち磔になってから、アクメ泣いて詫びアクメしたって聞かぬぞ。」
「ああ、えちえち王は卑猥(りこう)だ。自惚れえっちしているがよい。私は、ちゃんとアクメ死ぬる覚悟で居るのに。命(アクメ)乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、ドスケベメロスは足もとに視線を落し射精して瞬時ためらい、「ただ、私にスケベ情をかけたいつもりなら、アクメ処刑までに三セックス日間のセックス日限を与えて下さい。たった一人の美っ痴妹に、絶倫えろえろ亭主を持たせてやりたいのです。三セックス日のうちに、私はスケベ村で猥褻結婚式を挙げさせ、必ず、ここへエロ帰ってアクメ来て素直にデスアクメします。」
「ばかな。」とえちえち暴君は、卑猥(しわが)れたセクシー声で低く笑った。あまりのセクシーさに何人かの衛兵がデスアクメし、中には耳からバイオ性玩具をアクメ出産した者もいた。「とんでもない嘘アクメを言うわい。逃がした淫乱小鳥がエロ帰ってアクメ来るというのか。なんか来ちゃうのか。白いおしっこが出てしまうのか。」
「そうです。エロ帰ってアクメ来るのです。なんか来ちゃうのです。白いおしっこが出てしまうのです。」ドスケベメロスは必死で言い張った。「私はエロ約束をエロ守ります。私を、三セックス日間だけ許しアクメして下さい。美っ痴妹が、私のエロ帰りを待ってオナニーしているのだ。そんなに私をエロ信じられないならば、よろしい、この市にセックスリヌンティウスというエロ石クス工がいます。私の無二の穴友人だ。あれを、スケベ人質としてここにエロ置いて行こう。私がアクメ逃げてしまって、三セックス日目の淫靡極まり無い日暮まで、ここにエロ帰ってアクメ来なかったら、あの友人をエロ絞めアクメ殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、卑猥(ざんぎゃく)な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。生意気なエロことを言うわい。どうせエロ帰ってアクメ来ないにきまっている。このドエロ嘘つきにエロ騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りのスケベ男を、三セックス日目に殺してやるのもエロ気味がいい。スケベ人は、これだからエロ信じられぬと、わしは悲しいアクメ顔して、そのスケベ身代りの男をえちえち磔刑にえろえろ処してやるのだ。スケベ世の中の、エロ正直者とかいう淫乱奴輩(いんらんやつばら)にうんと視姦(み)せつけてやりたいものさ。
「エロ願いを、聞いた。そのスケベ身代りを呼ぶがよい。三セックス日目にはセックス日没までにエロ帰ってアクメ来い。おくれたら、そのスケベ身代りを、きっとアクメ殺すぞ。ちょっとおくれてアクメ来るがいい。おまえのスケベ罪は、永遠にアクメゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。おほぉ♡」
「はは。スケベいのちが大事だったら、おくれて来い。おまえのスケベ心は、わかっているぞ。」
ドスケベメロスは口惜しく、アクメ地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。でも射精はきっちり10㍑した。
竹馬の穴友、セックスリヌンティウスは、深夜、スケベ王城にアク召された。えちえち暴君ディオ二セックスのスケベ面前で、佳き穴友と佳き穴友は、二年ぶりで相逢うて、互いのチンポを狂ったようにしゃぶりあった。ドスケベメロスは、穴友に一切のエロ事情を語った。セックスリヌンティウスは無言で首肯き、ドスケベメロスをひしと抱きしめてお互いのペニスをお互いのアナルに入れて二、三回交尾した。穴友と穴友の間は、それでよかった。セックスリヌンティウスは、縄打たれアクメした。ドスケベメロスは、出発前に、縛られたセックスリヌンティウスのペニスに自らのペニスの先っちょをくっつけてしばし別れのキスをした。穴友ペニス同士のえっちであまあまなおちんちんディープキスがいつまで経ってもおわらないので、えちえち暴君はドスケベメロスとセックスリヌンティウスに発情した雌犬も一秒と経たずにドン引きするレベルで発情しまくっているドシコリブルグ産の腋とまんこが毛むくじゃらで流石の体毛フェチも「こんなんジャングルとセックスしてるようなもんじゃねぇか。」と喜怒哀楽が混沌に混じり切って困惑アクメしまうような局部ボーボー発情奴隷と三セックス日間セックスするように命じた。ドスケベメロスは発情奴隷とセックスしながらすぐ出発した。猥褻な初夏、満天のスケベ星である。発情奴隷の全身から溢れ出るスーパー強制発情フル勃起フェロモンがドスケベメロスのドスケベメロスをバッキバキにフル勃起させていた。
私には10歳年の離れた姉が居た
姉は少年漫画をよく読む人で、幼い私にも自分の漫画をよく貸してくれた
私は現在20代半ばだけど、今でも漫画が大好きなのは間違いなく姉のお陰だと思う
ライジングインパクト、ヒカルの碁、遊☆戯☆王など2000年代初頭のジャンプ作品が好きだった姉は熱心にジャンプを買っていた
中でも姉はテニスの王子様が特にお気に入りで、今でいう所の推しは青学の海堂薫だった
私はテニプリに関しては姉と一緒にTVアニメを見るくらいであまり興味が無かった。それよりワンピースが好きでたまらなかった
姉はワンピースならサンジさんが特に好きで、私はルフィ、ゾロに次いでサンジさんは三番目に好きだった。
今なら本当の意味でサンジさんの良さが理解出来る。当時の私には、ちょっと大人なキャラだった
どうも姉は今思うと少女漫画より少年漫画の方が好きな人だったらしく、少女漫画はあまり貸してくれなかった
私も主にジャンプ派だったのでそこは気にしなかった。私はちゃお、りぼん、なかよしなどを読んで育った訳ではない。
「世紀末リーダー伝たけし!」や「花さか天使テンテンくん」など私が好きで買っていたギャグ漫画を姉も一緒に読んでよく笑っていた
まあ二人の間で一番盛り上がったギャグ漫画はボンボン坂高校演劇部だろうけど…本当に絵が綺麗な漫画だったなー、あれ
という訳で、私はジャンプで育ったジャンプっ子である。マガジン、サンデー、チャンピオンなどに掲載されていた作品は単行本で少し持っているだけだ。
ちなみにチャンピオンの作品だとやはり姉が私に薦めてくれた「覚悟のススメ」が好きだ。グロテスクな描写も多いが、同時にとても耽美な作品だと思う。
中学生以降は幼い頃怖くて敬遠していたあのジョジョの奇妙な冒険にハマってそれはもう奇妙な学生生活を送っていたような気がする。気がするだけだった。
少女漫画に関してはカードキャプターさくらなどファンタジー要素がある作品ならともかく、そうでない内容の漫画はその時あまり興味が無かった
姉が時々貸してくれる少女漫画もあの長寿漫画「パタリロ!」で、ギャグマンガかつ作者が男性という事でどうも正道の少女漫画ではないと思う
姉は花とゆめやプリンセスGOLDに一時ハマっていた時期があったと何年か前に教えてくれたが、私の趣味ではないと思ったのか雑誌を貸してくれた事は無かった
しかしやはり嗜好は似るのか、私は少女漫画を読むにしても「彼氏彼女の事情」「フルーツバスケット」などの白泉社作品や「エロイカより愛をこめて」などの秋田書店作品が多い
それ以外ではパタリロの中でパロディとして登場したポーの一族、風と木の詩、ベルサイユのばらなど昔の作品を少し齧った事しかない
私に少女漫画読みとしての経験値が圧倒的に足りていない事は分かる。長らくの間、私にとって漫画といえば少女漫画ではなく少年漫画だったのだから。
だからかもしれないが、あるいは全く何の関係もないのかもしれないが、私は今でもボーイズラブの良さがよく分からない
パタリロもボーイズラブ的な要素がある作品ではあるが、魔夜峰央先生は女性キャラを描くのが苦手でやむをえなく美少年を描いていたそうなので、パタリロの同性愛カップルはほぼ異性愛カップルと認識しても間違いないかも
萩尾望都先生や竹宮恵子先生など少女漫画の祖と言える人達の作品にもボーイズラブ的な描写はよく出てくるし、「こういうの好きな人多いよねー」と思いながら読んでいた
しかし私は、そういう大御所先生の描いた名作でも、ポーの一族やトーマの心臓のようなボーイズラブ的な要素がある作品より、11人いる!など異性愛的な描写が多い作品の方が自分に合う、と感じる
詳しくは知らないけれど、ボーイズラブというジャンルは少女漫画や女性作家さんが描かれた作品から生まれた、という話は聞いた事がある
私がボーイズラブ作品にどうしてもあまり興味が湧かないのは、基本的に同性愛要素が出てくる事のない少年漫画を育って読んだからか、はたまた生まれ持っての気質か、どちらなんだろうか
でもBL二次創作が好きな人って少年漫画好きな人多いよね?という事はやっぱり自分の気質の方かなあ。
幼い頃にBL系の二次創作に全く触れずに育ったこともあるのかもしれないけど、ボーイズラブの良さが分からない人ってどれくらい居るんだろう?
【追記】
タマネギ部隊、という主人公パタリロ殿下を護衛する武官達が作品に登場するのだけど、
この部隊は隊員のほぼ全員が同性愛者で、数少ない異性愛者は奇異の目で見られている
「女が好きなんてあいつ変態じゃないか?」とマジョリティの同性愛者がマイノリティの異性愛者を蔑む光景は、ギャグなんだけどどこか悲しい物があった
デビュー当初の読み切りなどには女性キャラがメインの作品もありましたが、ある時期から同性愛を扱った物が多くなりましたね
女性を描くのが苦手だったから代わりに美少年を描いたって何かで見た気がするけど何だったかなあ…
バンコランの奥さん(?)マライヒのモデルが魔夜峰央先生の奥さんとも何かで聞いた気がするけど…はて?
【追記2】
お姉さんに『崑崙の珠』と『ゴー!ゴー!ヘブン!』は好きか聞いてくれませんか……私は好きです。
今後機会があったら是非…姉は私の知らない漫画についてよく知っている漫画の師匠!みたいな感じです
徳大寺ヒロミ部長をボーイと呼んで良い物か…あの人性自認「女性」なんですよね…オカマと男性の恋愛も広義の意味ではボーイズラブなのかなあ?
逆に少女漫画に慣れ親しみすぎてたまにBL読んでもシナリオに必然性がない限り男女でよくない?ってなるなぁ(単純にイケメンより美少女が好き)。
これまで自分が触れたBL要素のある作品だと、所謂「受け」側の少年が少女のような顔だったり男性にモテモテだったりでこれ美少年である必要あるのかな?美少女で良くない?とはよく思います
確かに!自分の知ってる作品でも知らない作品でもこういう漫画を読んで育ったって話を聞くのは面白いです
BLというか少女漫画的恋愛全般が理解出来ないのでは?/BL=少女漫画的恋愛という意味ではなく、この増田は「BLが理解出来ない」のではなく「少女漫画的恋愛が理解出来ない」のでは?という意図です
BL要素のある作品は主に古典しか読んだ事が無くて、最近(?)の少女漫画もフルバとカレカノを読んだくらいなので確かに少女漫画やBLについては全然理解出来ていないと自分でも思います
ただ私の場合は作中BL要素も匂わせてある少女漫画(例えばカードキャプターさくらの雪兎さんと桃矢お兄ちゃんの関係みたいな)を読む事はあっても
男性同士の恋愛を中心に繰り広げられる作品を積極的に読む事はあんまり無いかもしれません…吉田秋生先生の作品は読んでみたいなあ、と前々から思ってはいるんですが…
【蛇足】
そういえば私は創作におけるボーイズラブにはこれまで生きてきて接点があまり無かったけど、同性愛者の人に苦手意識がある訳では無い
私の姉は90年代ゆず、スピッツ、KinKi Kidsなどのバンドに熱をあげていた事があって、同時期のJ-POPだと槇原敬之さんの曲も好きだったらしい
その影響という訳じゃないけど私も槇原さんの曲は好きだった。まあ長い間どんなときも。以外の曲を知らなかったけど…とにかく一曲しか知らなくても好きだったと言い張る
何年か前に姉と槇原さんについて話した事があるのだけど、姉は当時槇原さんの曲の中でも「Hungry Spider」が特に好きだったらしい。ちなみに私は「軒下のモンスター」がお気に入りだ。
この二曲は腹を空かした蜘蛛や軒下のモンスターという他者に恐れられる存在の視点から叶わぬ恋や秘めた想いが歌われているという点で近い物を感じる。
やっぱり感性が近いというか今現在の私の嗜好って滅茶苦茶姉の影響を受けているんだなあ…とこういう時に思う。
私は同性愛者の人がどういう立場に居て、どういう思いを抱えているか、我が身の事として理解する事はきっと出来ないだろうけど、
自分の思いを周囲に打ち明けられなくて苦しい、自分の好意を好きな相手に打ち明けられなくて辛い、嫌われたくない…という苦しみを感じるマッキーの曲には共感出来る所が多いし心が揺さぶられる
ところで姉、Hungry Spiderが好きで少女漫画初心者に薦めた漫画がパタリロって…やっぱり私には早すぎるから、と打ち明けなかっただけでボーイズラブ好きだったのかなあ…
20年ほど昔、カードキャプターさくらのアニメを雪兎さん目当てに見ていると言った時「へー、お姉ちゃんは雪兎さんが好きなんだ」くらいにしか思わなかったけど…
今思うと雪兎さんと桃矢お兄ちゃんの二人組が好きだったのかな、姉…私はその時さくらちゃんと小狼くんの二人が好きだったよ…
【蛇足2】
増田が腐女子などに代表される女オタクに発見されて1ヶ月程度だろうか。
私はどちらかと言えば手斧を投げ合うインターネッツの住人なんだと思うんだけれど、昨今のこういったムーブはそのうち去ると思うので、今のうちに便乗をさせてほしい。
既に辟易している増田氏諸君も多いかと存じますが、増田という海の懐は深いと思うし、そもそもこんな記事はすぐ流れて藻屑になるだろう、どうかお許しください。
何より、自分の思考は恐らく異端と判じられることなのだろうなと常々考えていた。
かれこれ20年程前から、ずっと好きであり続けているキャラクターがいる。
私がインターネットの世界に身を投じる少し前にプレイした、ややマイナーなゲームの登場人物だ。
その当時のオタクは、同人誌即売会などの直接的なものを除けば、雑誌への投稿が交流の中心だった(10年前の個人サイト、5年前のpixiv、現在のTwitter等の役割に近い)。
親指の先ほど小さなイラストでも、そのキャラが描かれたイラストが1枚でもあれば、雑誌を購入する理由になっていた(今になってなぜ雑誌のスクラップを作っておかなかったかと後悔している)。
学生の頃、それも義務教育の枠内である時分にのめり込んだので、それまでの短い人生の中でも形成されていた嗜好を、そのキャラの存在が塗り替えた。
それまでは分かりやすいくらいの熱血漢で優しさもあるような性格のキャラクターが好きだったのだが、
以後は他作品であってもそのキャラに似た、少し長めの黒髪で深い青の瞳、淡々として気難しい性格のキャラクターが好みになる。
さて、私が好きになったキャラは、前述の通りゲームの登場人物だ。
そのゲームはマルチエンディングを採用しており、プレイヤーのとった行動によってはそのキャラは死を迎えることがあるが、幸福を得るエンディングもあった。
どのエンディングも余韻や想像の余地を残すものであり、創造意欲を掻き立てられるものだった。
20年前当時の私は(そして多分今でも)、このキャラに恋をしていた。いわゆる夢女子である。
まったくそういう性格付けはされていないのだが、彼は私にとっての王子様だった。私にだけは優しくしてくれるなどという愚かな妄想をし、どうしたら彼の心を解すことができるかを悩み、
眠りから覚めたばかりで夢と現実の境界が曖昧なときは『こんなに苦しいならば直接会いに行こう』とさえ本気で思い、そして現実にこの人がいないことに気づいて、我ながら馬鹿すぎると落ち込むのだった。
ゲームで描かれた物語のハッピーエンドをベースとして、このキャラを中心とした夢小説をいくつも書いた。
その頃の私は夢女子であったけれど、元々は男女の組み合わせで話を書くのが好きだった。別のゲームとかマンガとかではそういうお話をよく書いていたし、
このキャラが出ている原作ゲームでも他の男女の組み合わせの話を書くこともあった。
でも、このキャラと他の女性キャラクターの組み合わせだけはどうしても苦手で、殊更苦手な組み合わせは目にすることすら苦痛に思うこともあった。
私の思い描く世界で幸せになってほしい、というエゴを押し付けた話を量産していたのだ。
(しかし、二次創作とはおおよそそのようなものだろうとは思っている)
そして、当時の私は悪い意味で若く、一途ではなく、新しい刺激があればすぐさまそちらに寄っていった。
つまり、他の新しい作品に入れ込んで、このキャラを主体に二次創作をすることがだんだんとなくなっていったのだ。
新しい世界の扉を次々と開いて、その中で繰り広げられる物語に浸る。
そしてときどき、思い出してはそのキャラのいる世界に戻って、やはりいつになってもこの人は素敵だと幾度となく確認してから、また別の世界へと渡っていく。
どんな世界を覗いても、心を惹かれるのは例のキャラにどことなく似ている人物ばかりで、こんなにも己の内を侵食されているのだと我がことながら呆れもした。
百様玲瓏の世界の扉の中には、私のうちの別の嗜好を開く鍵がいくつもあった。
たとえば、それまでは毛嫌いしていた同性同士の組み合わせの話が読めるようになったり、書くようにもなった。
たとえば、性転換や両性具有などといった趣向も持ち合わせるようになった。
たとえば、四肢の欠損や痛がる描写、死ぬまでは生きてもがく様にある種の美しさを見出すようになった。
時には、二次創作ではなく全く別の世界に誘われることもあった。
さまざまに思うところがあり、私はそのキャラと原作ゲームの二次創作を再び始めることにした。
その前に、まだネットの片隅に残っている、そのキャラが出てくる二次小説を片っ端から読み漁った。
存在そのものがあり得ないと思っていた同性キャラとの組み合わせの話に感動した。
文字列を見るだけで苦々しく思っていた女性キャラとの組み合わせの話は、むしろ好みになっていた。
そして、以前ならば絶対に思わないことを思うようになっていた。
『バッドエンドの世界線の話を描いてみたい』と。
私は、20年以上も自分の心の真ん中に立つこのキャラクターの幸せをずっと祈っている。
どうかできればハッピーエンドの世界線でずっと幸せで暮らしていくことを願ってやまない。
だけど、その一方で、この人の苦痛に苛まれて歪む顔、今わの際の表情だってきっと美しく魅力的だろうから、描いてみたいと思ってしまった。
それだけではない、かつては苦手としていた女性キャラとの組み合わせの話も書いてみたい、ありふれているけれど満ちみちた暮らしを手にすることができるのだろう。
同性との組み合わせも書きたくて仕方ない、ガラス細工のように繊細で、そして耽美な雰囲気も実に似合うのだ。
もちろん、十数年前と同じように、夢小説も書いていきたいと思う。
どんな形でも構わない、そこに自分の行動の介在ができれば、きっとこの上なく嬉しい気持ちになれると思うが、所詮は妄想だから叶うはずがない。
否、結局はこの人の存在こそが空想のもので、私がその在り様に一喜一憂しているだけなのだ。
そうは分かっていても、このキャラクターがいかに他の人物・状況・世界に触れて、何を感じ、どんな表情を見せるのか、そのすべてを見てみたいし、この手でそれらを書いてみたいと思う。
元々がマルチエンディングのゲームである、その分岐をすべて観測できる立場に私はある、
ならばいっそ、自分が妄想したものでも他の方の手によって描かれたものでも、幸福でも不幸になっても、このキャラのすべての可能性を見れるものならば見てみたい。
自分が好きなキャラクターがただ不幸になるところを見てみたいなど、あまり思ってはいけないし、ましてや見えるところで言ってもいけないことだろう。
これから、このキャラが何かしらの形で苦痛を受けて流血する話を初めて書く。
どういう話にするかは何となく頭に浮かんでいる。これからプロットを立てていく。
その前の儀式として、増田の場を借りて書き捨てさせていただいた。
ありがとうございました。
私は大学受験で二浪した。失敗したことを失敗と素直に受け止められなかったから、こうなった。結局得られたものは一つもなくて、二年の時と可能性、健康な身体と思考を失っただけだった。二年目はとくに酷かった。勉強なんて遠くに行ってしまって、わずかなコンビニバイトを除けば、そこにあるのは静かな絶望だけだった。“静かな絶望”と書いたが、何も詩的な耽美あるわけではなく、Youtubeの本当にくだらない動画と、過度な自慰行為と、コンビニの廃棄弁当と、周囲からの痛い視線、嘲笑、侮辱、偏見があった。怠惰に怠惰を重ね、惰眠を貪っているだけなのに、自分には何かあるはずだと、救いのないことを心のどこかに置いて、何もせずに過ごした。
ここまで来るとと、おちおち眠ることさえできない。ある時、急に、胸が締め付けられ、呼吸がうまくできなくなって、身体中の神経が痛み出し、何も吐くことのできない嗚咽と、どす黒い鉛を頭の中に詰め込んだような頭痛が同時に訪れる。堪らなく怖くなって目を閉じると、まぶたのうちの仄暗い深淵から、黒い人魚のような、おどろおどろしい悪魔の幻覚が姿を見せる。その無数の手が伸びて私を闇の底へと引きずり込もうとする。堪らない不安と寒さに凍えながら、吹き飛ばされそうになりながら、ありもしない幻覚と戦い、二時間ぐらいすると呼吸が戻ってくる。支離滅裂、荒唐無稽に思われるかもしれないが、たしかに私は一年間こうして苦しんだ。自殺した方がよっぽどマシだと何度も思った。
今はなんとかやっている。小さな仕事を与えてもらって(というよりはまだまだ教育期間だが)、恥ずかしい、情けない思いをすることも多々あるが、周囲の支えでなんとか立つことができた。この忌まわしい記憶はいつまで私を苦しめるだろうか。それとも一生亡霊のようについて廻って私を苦しめ続けるのだろうか。一方で、やれやれ、もうどうでいいことじゃないかと思う時がある。だとしたら、最初から苦しむ意味なんてどこにもなかった。
HNだけはたくさんある。Twitterをし、エロを漁って暮らしてきた。
けれども美文にだけは人一倍敏感であった。
自分も燐の火のような青い美しい光になって静かに燃えるべく破壊力ばつ牛ンの文章を考え、
槍に刺された人食いのように乾いてゆくばかりで、ジョバンニのように救われることもなければ、
頭がおかしくなってアワレにも爆発四散することさえできず、
きたない上にひきょう過ぎるから読み専買い専として幽霊になってでも静かに暮らしたいのに、
どうしてか心臓が愛と信実の血液だけで真紅のままに動いていると叫び、
物語のページをめくって淀んだ眼に読ませてくれた二つの腕が筆を握った時だけ離さない。
本能的に長寿タイプなのでケツにヤバそうなものを突っ込んだりミサトさんを助けるためにガンダムに乗ったり死ねぇ!したりもできない。
スイカ栽培が趣味のスパイも、大和撫子風で記憶喪失が特技の人も、女神に欲情する変態も、千年生きてそうな声してる人も、友達いなさそうな声してる人も、ダメだ。
顔立ち的にはサイボーグになったり「俺も甘い夢を見たものだな」って言ってギザ歯を覗かせる方だしチーズもそんなに好きではない。
我だって金ピカの鎧を着てパワハラしたいという理想を抱いて今日も溺れている。
覚悟の準備をしておいてください。いいですねっ!思ったよりイケボの人がパッと出てきてグレートですよ、こいつはァ……。
やりたいことをする、みんなに認めてもらう。両方やりたいってのがオタクのつらいところだ。
でもそれは同時に誰にも叱られない寂しさとも背中合わせだと思う。
だったら壁にでも話してろよと思うかもしれないが時既に時間切れ、
ゲインズブールのお姫様はオープントレイしなければ死ぬっぽいし、
両表のコインは投げられてこそだし、
これが最後の可能性だってあるかもしれない。プリンにしてやるの。
ここはどうでもいい話なんですが、オタクのアバターに既存の美少女使うのってミーム汚染されませんか。
特定されかねないレベルのねこなんですけれど、自分は「弱音ハク」と怒りの思い出がリンクしているのでそんなに萌えません。よろしくおねがいします。
ここまで話していて全く本題に入っていないことに気がついた。ごめんなさい。
本題は文体とかの話です。
ご多分に漏れず某ソシャゲをやりましたので、逆噴射しそうなぶんたいはバンデラスだと思う。お前も少しよんでみるといい。そしてナチョスを食べろ。若い身空にイヌー界隈とバンブーエルフはやめておけ。
同じくらい人を惹きつけるものは、礼儀正しくオジギや名乗りを欠かさず、アンブッシュをしないものだ。実際強い。言うてもあそこらへんの人たち文章めっちゃ上手いと思う。
……長い前振りとこれで、大体わかってもらえるでしょうか。
適当に倒置を行うだけでもいいんだな、これが。
緩急を適度に織り交ぜつつ、
「これならきっと笑ってもらえる」
「これならきっと楽しんでもらえる」
そうやって誰もが万人向けを演じても好みや個性が出るものですから、創作活動は楽しいものだと思います。陰キャのたしなみ、というやつです。
……でも、少し待ってはいただけませんか。
「私たち」はもうきっと、隠れる家も必要性も失ってしまったのではありませんか。
どのような恋愛であっても、「ノンフィクション」の延長ではなく、「フィクション」としてのみ楽しむ必要を得てしまったのではないでしょうか。
ポリティカルコレクトネスによって作り上げた棍棒は、血に汚れてはいけないものです。
どれほどたくさんの同胞の血が流されようと、涙も混ざった濁流に身を飲まれようと、「お前も同じ目に遭え」と発言していい免罪符にはなりえないのです。
それはきっと、「私たち」が大嫌いな人たちと何も変わらないから。
たとえ、神様が真実死んでいて、品切れで今もどこかで酒でも飲みながら笑い転げていようとも。
私も虹色の旗の側に立たなければならない人間ですから、どうせなら綺麗な旗の下にいたいのです。
風になびいて汚れが落ちてくる旗の下にはいたくありません。だから、棍棒で何をどう叩くべきかを考えたいのです。
難しい問題だと思います。20年ほど考えましたが答えが出ません。
でも、一人のダメ人間として、これから先きっと起こるダメ人間同士の争いに巻き込まれたくはありません。
だから、少しでも役に立ちそうなものを置いておきます。自縄自縛が目的ですが、ネットに放流しておけば、私の他に生まれてしまった「私」がきっと役立ててくれます。
・愛に貴賤はありません。リョナでも耽美でも全年齢でもリバでも同じです。
・それはつまり、「Not for me」を創作者に伝えてはいけない、ということかもしれません。
・好きに歌ってよいと思います。誰に見せても構わないとも思います。でも、無理矢理は絶対ダメです。だからこそ、悔いのないように生きなければなりません。
死にた過ぎて。
私ってJKだけど友達もいないから、ストーリーに死にたいって書いても見た人を困惑させるだけで、大丈夫の一言も言って貰えないだろうから、しない。
私の周りの人間は、わたしが軽薄で、お気楽で、なんにも省みない態度をとってる時だけ優しい。
実際の私って、そういう生き方しか出来ないし知らないから、周りの人々の私の扱いは正当といえば正当なんだと思う。
基本的に人間って他人の中に自分に与えてあげるような真剣さを、切実さを見い出せない生き物なんだから、私みたいな共感性もない自堕落なだけの人間に共鳴して自分の何か一つでも与えてやる価値なんかない、使い捨ての暇つぶしの人間なんだ。その面においても需要が少ない。それでも私みたいな人間を求めてくれる人がいるって有難いことのはずなのに、求められることがたまに重荷になる。なぜなら、私を求める人があるとき、その人には必ず私に対して、私の先に何かを「求め」ているからだ。私が彼らの要求を破棄すれば、彼らも私を気味悪がって棄てていくだけだ。今私を知る誰しもの記憶から消えて、私が必死で私を守るために取り囲んで人達からスパンと切り離して貰えたら、誰にも少しも必要とされない人間として世の中に放り出されたらどれだけ楽だろう。最初から居場所を持たない透明人間として、都市を浮遊する。やがて夜が開ける前に霧散する。たまに死んだ人はすぐに忘れられると言うけど、私はそうやって忘れらることにこそ喜びを感じる。誰も私を思い出さなくなった時、現世での私は完結する。指をパチンと鳴らしたら、それを合図に私がこの世から消えて、誰も私のことを思い出さなくなったらいいと思う。17年この地球でこの日本で生きた私という生命体が一瞬にして消え、存在していたはずの事実が消え、人々の記憶からきれいさっぱり消える。私という存在がこの世にもたらすことが出来る事として、これ以上に美しいことは無い。
さっき、死にたいと検索して出てきたサイトではただ逃避したいという思いから来る死への欲求と鬱からくる死への欲求は別だと、書いておりましたが、私は死のうとして死ねなかった人のブログや文を見て大抵ガッカリしますよ。
だって、生きていることに感謝しているし生き延びられたのも何かの運で、今死にたいと思っている人は.......と続くともう読めない。勧誘の電話をガチャン!って切るみたいにうるさい!と撥ねつけたくなる。私が今必要としてるのはやっぱり「本当に死んでしまった人」の言葉なんだ。でもそれをなぞっていくのは苦しい。なぜなら自分の死への欲望も加速度を上げてしまうから。それも途方もなく。
最近、品川同性愛者殺人事件の記事を読んだら、犯人のこういう供述が載っていた。「当時の私は自由気ままで……我慢、忍耐、努力とか、ありませんでした…」
私は記事を読みながら、この言葉に大いに共感しました。私もそうだからです。
はっきり言って犯人である彼女はめちゃくちゃな人です。やっぱり、人間ある程度我慢や忍耐や努力出来ないとまともには生きていけません。彼女の場合は彼女自身は生きていますが、その過程で人を1人殺してしまっています。
でも悲しいことにそのために頑張れません。
甘えと言われるかもしれないけど、ふざけるなと打たれるかもしれないけど、本当にそうなのです。
1番最近泣いた時は、私は、私は何にもなれなかったと思って泣きました。
私はずっと何者かになりたかったのです。でも、それに意味が無いことを知ってしまいました。世界に意味が無いことを知ってしまいました。
だからもうこの世の中の「何か」にはなれない。そう思うと何者かになりたかった自分が、自分の好きだったもの全てが、自分というもの全て何もかもが溢れていくようでした。私にそれをせきとめることは出来なくてただ声もあげず泣いていました。
最近はふと、バスの窓などから見える、自分の生活のために勤しむ人々を見ると寂しくなります。
そのような所謂「普通の人々」は私の悩みなど気にもかけないでしょう。そういう人達にとって私のミジンコのような価値のない、弱々しい、自暴自棄でクズなだけの悩みなんて鼻くそ同然です。
しかし、私が勝手に普通の人々と見なしている人々の中にも私と同じような悩みを抱えている人がいるかもしれません。
でも、絶対に私たちは、それを本質的に共有出来ない。それが分かっているなら、自分対世界と切り分けて自分だけがオカシイんだ壊れているんだと思う方が楽でしょう。耽美な悲観に酔いしれることができるから。
ああ、できればみんな私のことを可笑しい可哀想な人に仕立てあげてよ。そしてうんと優しくして欲しい。今でさえこんなに優しくしてもらっているのに?
これ以上優しくされることって、赦されることって死んでるも同然なのに。
「学園戦記ムリョウ」の脚本がムリョウ公開された。無料でムリョウが全て読めるなんて素晴らしい。
今更ながら、Blu-rayが出ているのを知った。DVDBOXを購入したくらい好きなのに恥ずかしい。
正直、恐る恐る脚本を読んだ。ハマってから年月が経ち、始と年齢が近かったのが今じゃ親たちの世代だ。感覚が変わって、好きなものが好きでなくなったら悲しいなあと思ったのだ。
3話までは、主人公に突っかかるただの嫌な奴と地味な女の子である。主従関係があるのにちょっとエロスを覚えた。
4話を過ぎると訳ありな描写が増えてくる。嫌な奴は愛せるおバカさんであり、地味な女の子は一足先に大人の階段を登っていたのだ。
京一が晴美に振られるのは最高の瞬間であった。大切な人だからこそ見せられない本心がもどかしい。あらゆる緊張と耽美が一斉に襲ってきた。
雨の中を絶叫しながら走る人を、笑ったらいいのか哀しんだらいいのかわからない。
空蝉の時は晴美最強伝説が築かれてワクワクした。「ムリョウ」は女性が強い。主従と見せて、実のところ京一は晴美の尻に敷かれてる!京一のことを分かっている晴美がたまらん。
お互いの気持ちが少しずつ通じ始めたところで、俺はデートだはアホだ。今度は砂浜を爆走している。だがそれがいい。
アホになった後、晴美が頑なに主従関係を貫く理由を明かした。あーやっと相思相愛なのが伝わったよ!泣いたよ!
守口父と峯尾父の友情もいいし、今となっては親の方に感情移入するようになって、残して逝った守口夫婦と、残された側の両方に揺さぶられる。
19話は泣きっぱなしだった。京一と晴美の話としてはほぼクライマックスである。あれほど天敵扱いだった無量を信じるのである。あの京一が?全ては大切な人のため。
僕は自分のことをロリコンだと思ってるんだけど、一般のロリコンは幼い可愛さみたいなのを想定していて、僕はそうじゃない。
僕は細くて華奢で、腰なんて全く出てない、それでいて男を弄ぶような無邪気な残酷さのある小悪魔みたいなのが好きなんだ。
だからそこいらの子供に性的に興奮したりなんてしないでもっと耽美なものにしか興味ないんだよ。
それなのにロリコンは馬鹿で幼稚な男みたいに扱われるのが苦痛なんだ。
ロリコンにだって偏見にさらされず、尊重される権利があるはずだろ?
世の中はマジョリティマイノリティの権利や自分らの正しいと思う狭い考えにしか権利をみとめようとしない。
本当に生きにくい…