2023-11-12

育児権利

前提として、私は30代前半、未就学児を扶養する父親である

話題作『ミステリと言う勿れ』の以下の台詞を含むページの切り抜きをSNSでよく見かける。

メジャーリーガー子供の成長に立ち会うことを父親権利だと思い、日本側の解説者たちは義務だと思ってる。」

まあ、全体として見てそういう側面? 傾向?はあるだろうな、とは思う。

ただ、これは自分実体験に基づく主観だが、日本父親子供の成長に立ち会う権利をはく奪されていると感じる。

父親が全力で子供の成長に立ち会いたいと願ったとき果たしてその願いは叶うだろうか?

生活や、子供の将来を犠牲にすることなく。

父親が、一般的母親と同程度かそれ以上に子供と過ごしたいと願ったとして、その願いは尊重されるだろうか?

私は、とてもそんなことはないだろうと思うし、実際に私がそう望んでいても、それは叶っていない。

私はもっと子供と過ごしたい。幼い我が子と過ごせるのは今だけなのだから。だが、私は子供生活費や将来の学費を工面するために働かなければならない。

の子供の成長に立ち会う権利はどこに行ったのか。

本当にそんな権利があるのであれば、私はもっと子供と多くの時間を共にできるはずではないか

これは私の悲鳴である

「お前はそうかもしれないが、多くの父親はそんなことを望んでいないのではないか」という反論はあり得る。

私もそうかもしれないと思う。

だが、父親子供の成長に立ち会うことを権利と考えるべきだというのであれば、それが権利であると共に義務でもあったとしても、権利として保障されるべきだ。

積極的に参加する権利蔑ろにされつつも、消極的に参加することを義務付けるのは残酷だ。

女性社会進出が、人材不足という経済界側の都合もあって応援されるのと裏腹に、男性の家庭への参加は申し訳程度にしか進まない。

私は苦しんでいる。

といういち父親の主張、もとい愚痴でした。最後まで目を通して頂いた方には感謝を。

  • 教育費を稼ぐには沢山働かねばならない 夫婦共にゆるく働き育児に力を入れたくとも 理解のある会社や力を貸してくれる親族等の環境が整った人にしかできない 無理をすれば子供に皺...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん