はてなキーワード: 正論とは
やべぇ腐女子のやべぇ言いがかりだし、文章も感情的で取り留めないのでご留意ください。
めちゃくちゃにハマった。
何をやってもそのカプのことを考えてしまうくらい、これを書いている現在もハマっている。
ちなみにBLのカップリングです。ここではそのカプをA×Bとする。
なぜめちゃくちゃハマったかというと、めちゃくちゃ最高な二次創作に出会ったからだ。
人によってカプにハマるきっかけは色々あると思うが、その勢いを加速させるのは最高な二次創作との出会いであることが多いのではないか。
というか、私の場合はそうだ。
私にとってその「めちゃくちゃ最高な二次創作」はかなりの衝撃だった。
読んだ瞬間から私に決定的なカプ観を植え付けるとともに、
何度も何度も、台詞を覚えてしまうほど読み返し、「はじめにその二次創作ありき」と言えてしまうほど、私の中ではジャンル自体の象徴にまでなった。
そのくらい、一瞬で心をガシッと掴まれ、体ごと持っていかれた。引き摺り込まれたというやつだ。とにかくその作品が私に与えた影響はすさまじかった。
私は作品を読んだ後、すぐにその作者(以降Aさんとする)のツイッターを覗いて、ホームをブクマした。
…これを聞いて引く人もいると思うが、私はファンになった作家のツイッターは、鍵垢でもない限り基本はフォローせずブクマするタイプで、
さらに言うとツイートだけではなく個人へのリプライまでもくまなく見るタイプだ。
Aさんのツイッターアカウントはほとんどが日常のつぶやきで、それも一日に多くて2、3ツイート程度の、とても大人しいアカウントだった。
そういうものなんだと思ってしばらくは黙って見ていたけれど、
私はとにかく飢えていた。
私の好きなA×Bというカップリングは世に言うマイナーカプというやつで、毎日どこかで誰かが作品を更新してくれるようなカプではない。
(絶対数が少ないというのもあって、Aさんの作品は私の中でより神格化されていたんだと思う)
飢えていた私は、Aさんの語るA×Bの話がなんでもいいから見たくて、彼女のツイッターを遡れるところまで遡った。
すると、どうやら、Aさんは2、3ヶ月前まではけっこうA×Bについてあれが萌える、こういうシチュが見たい、という話をしていたし、
A×Bの妄想だけで一日に数十ツイートを費やす日も多くあったようなのだ。
むしろ日常ツイートのほうが少なく、当時のAさんの話題のほとんどは、A×Bや、Bという推しキャラクターについてだった。
一年ほど前には、『これからもずっとA×Bの妄想だけして生きていきたい』などと熱の入った発言までしていた。
それが、ある頃からカップリングの話をあまりしなくなり、ツイート自体も減っていき、私の知るような大人しいアカウントへと変わっていった。
その状況を私はROMとして見守るだけの、さみしいような期間がしばらく続いた。
ある日、変化が起きた。
ツイッターに、Aさんが別のツイッターアカウントのリンクを貼った。
AさんはA×Bを描いてはいるが、読み手としては雑食らしく、雑食アカウント的な位置づけとして新しくアカウントを取ったということだった。
当然、私はそのアカウントを見に行く。
そのアカウントは作られてからそこそこ日数が経過していたようで、そこでのAさんは、
元のアカウント(A×B垢とします)での大人しさが嘘のように、あれやこれやと別カプの話を楽しそうにしていた。
A×B垢に姿を見せない間、Aさんはずっとここにいたのだ。
多分、その新しいアカウントでAさんが語っていた話がたとえば、C×B(攻め違いの別カプ)の話であったなら私は、こんな記事を書いてはいなかった。
けれど、Aさんが雑食と言いながらも新しいアカウントでメインに語っていたのは、C×Aだった。
私からすると、自カプの攻めが、受けをやっているカプ。
これを見て、だから何だよ、と思う人がきっと多いんだと思う。私もそういう、雑食気質なら良かったんだけど。
でも私は、うわっ、と思ってしまった。
地雷というほどの拒否反応はないけど、好きではないカプだったから。
よりにもよってそこに行くのかよ、と思わずにいられなかった。
だけどそのアカウントでのAさんはとにかく楽しそうで、活き活きとしていた。
Aさん曰く、A×B垢ではフォロワーの地雷を憂慮してできなかった話が自由にできる!とのことだった。
それからのAさんは、C×Aの話をメインにその雑食用アカウントに常駐するようになった。
A×B垢では、ほとんどつぶやかなくなった。
Aさんは、新しいアカウントではA×Bはおろか、Bの話をほとんどしなかった。AさんはB推しだと言っていたはずなのに、まったく、名前すらもでない。
B推しの人たちが沸かずにはいられない熱い展開が原作にあったときですら、Aさんは別アカでC×Aの妄想をずっと話していた。
Aさんの心が、C×Aにハマったことをきっかけに、A×B、ひいてはBから離れていっているのだと、否が応にも察することができた。
それでも、A×Bアカウントでたまに、Bの話をしてくれるなら。
頻度は落ちてもまたA×Bを描いてくれるなら。
そう思って私は、新旧どちらのアカウントも眺めつづけた。
私はドキッとした。
焦った。
その焦りは、AさんがもうA×Bに戻ってこないかもしれないという焦りだった。
読んでいるだけのときと、一度でも自分が創作する側に回ったあとでは、カップリングへの愛着に格段の差がつくってこと。
C×Aを読むだけで満足していたAさんが、ついに二次創作を始めた。
本格的にハマる、ハマってしまう、そう思った。
Aさんは素晴らしい作品を描く。
私はそれをよく知っている。
C×Aは、A×Bの10倍以上の投稿数がある、言ってしまえばジャンル内最大手の王道カプだった。
Aさんは素晴らしい作品を描くのだ。
A×Bのときの比じゃないくらいたくさんの人に読まれ、感想を送られ、Aさんは感激していた。
Aさんの承認欲求というやつが、王道カプの勢いによってじゃぶじゃぶに満たされていくのが見えた。
絶望的だった。
C×Aでこの快感を味わってしまったAさんは、このままC×Aでの活動を続けるだろうと思った。
前ジャンルと言った。
おそらくA×Bのことだろう。
彼女にとってA×Bはもう、『前』のジャンルになってしまっていた。
ああ、と思った。
ぐるぐるしていた焦りが消えて、いっぱいの泣きたい気持ちに変わった。
そうじゃないと信じたかったけど、やっぱり、AさんはもうA×Bに飽きてしまっているんだ。
AさんはBを好きじゃなくなってしまったんだ。だってBの話、全然しないもん。
ショックだった。C×Aというカプに強い嫉妬心を覚えたし、Aさんの言う『前』ジャンルにいる私が、否定されているような気にすらなった。
ちょっと、待ってくれ、と引き留めて縋りたかったけど、何もできなかった。
なぜなら私はAさんのアカウントをフォローすらしていない、Aさんにとって何者でもない、見えない存在だ。
Aさんがどういう行動をとったところで、私はけっきょく、何もできないのだ。
それからは、Aさんの些細な発言に私はいちいち卑屈な反応をするようになった。
自分がみるみる嫌な奴になっていった。
『C×Aで××なシチュが見たい!』
『××はC×Aソングだと思う!』
…その曲、A×Bソングとして挙げてた曲だ。
『C×A界隈ほんといい人ばかり!楽しい!』
…A×Bはそうじゃなかったから楽しくなかった?
『私がこれだけC×Aにハマれているのは、C×Aの描き手さんの素晴らしい作品のおかげ!』
そんなつもりで言ってるわけじゃないと分かっているのに、勝手に卑屈になって、AさんがC×Aを持ち上げるたび、A×Bというジャンルに当てつけられているような気になった。
AさんがBの話をまったくしないことも相まって、AさんはC×A(A受け)の人たちに溶け込むためにA×B(A攻め)だった過去を消そうとしている、A×Bに砂をかけている、とも思った。
そんなことはないと理解していても、やっぱり勝手に、そう思った。
べつにAさんが、何か悪いってわけじゃないのに。
Aさんの中でA×BやBに対する興味が薄れたことが明らかになっても、それでもA×B垢のほうは一応、ほぼ放置アカウントのような状態で存続していた。
AさんはC×Aメインの人になってしまったけど、でもA×Bのアカウントはまだあるから、メインカプではなくなっただけで、まだきっとA×Bのことがちょっとは好きなはず。
私はそれを拠り所のように感じていた。このアカウントがある限り、やっぱりいつか、AさんはふらりとA×Bに戻ってきてくれるんじゃないかと希望を持てた。
だけど、Aさんは結局、A×B垢を消してしまった。
すごく軽い感じに、消しますね〜(^-^)と宣言して消してしまった。
さらには投稿していたA×B作品も、特に反響の大きかったもの以外ほとんどを削除した。
Aさんは雑食と称した実質C×A垢に完全に移行し、C×Aの二次創作を投稿をする人に変わった。
私はストーカー気質のやべぇ女なので、A×B垢が消えた瞬間に、AさんがC×Aアカウントでフォローしている人をすべてチェックした。
Aさんのフォローのなかに、A×BまたはB受けを扱っている人はひとりもいなかった。
A×B垢で相互フォローだった人たちとも、新しいアカウントではほぼ繋がっていなかった。
Aさんが軽いノリで消したA×B垢には、数年分の、けっこうな数のフォロワーがいた。
それらすべてを、A×Bというジャンルで得たものすべてを、Aさんは切り捨てたのだと私は感じた。
C×Aに移るために、C×Aの人たちと仲良くするために、A×Bで得た繋がりや、交流は、邪魔だったのだと。
私はそれを、裏切られたみたいに感じてしまった。
雑食と言いつつ、たぶんAさんはもうA×Bを読んだりしていないのじゃないか。きっとそうだろう。
そう思うと、Aさんが憎いような気がしてしまった。
ツイッターのつながりなんてプラレールの連結よりも軽いものだし、
ツイッターや二次創作は個人の趣味であって他人のためにやっているものじゃないし、
アカウントやジャンルの移動、垢消しなんて、気兼ねなく各々の自由にしていいに決まっている。
そのとおり。正論だ。
でも、そういう正論を理解したつもりになっても、感情的な部分っていうのはうまく抑えられない。
私はAさんと話したこともないし、A×B垢もフォローすらしていなかったROM中のROMなのに、
こんな一方的な執着を持って、自分をたいがい怖くて気持ち悪い奴だとも思う。
だからこれは、本当に、
ただの、言いがかりなんだけど、
Aさんみたいに、簡単に好きなものが変わっちゃう感覚、信じらんないよ。
同人界隈では「宗旨替え」なんて聞こえがいい言い方をするようだけど、それって要は心変わりだ。
後から現れたほうに目移りして、コロッと好きが変わっちゃう人。
その軽さ、少女漫画の女の子みたいに浮ついていて薄情に思えるよ。
私は昔から一度好きになったものは変わらずずっと好きでいるタイプだったし、
子供の頃に遊んだおもちゃだって全部とってあるようなヤバイ奴だから尚更、理解できない。
そりゃずっと同じもの好きでいたら気持ちの鮮度は落ちるし、他の新しいものを好きになってそればかりに夢中になることは私もあるよ。
だけど、好きが増えることはあっても、今まであった好きが消えたことは私はない。
嫌な思いをしたというのならしょうがない。だけど、そうじゃないのに、
「新しく好きなものができた」という理由だけで一度好きになったものを簡単に捨てられる人、どんだけ薄っぺらいんだと思う。
今まであった好きだった気持ちはどこへ行くんだ?
消えるの? 無くなるの?
人間そうやって変化するのが当たり前で、ずーっと同じものに執着し続けられる私みたいな奴が異常なのかもしれないけど。
だけど私はそういう異常な奴だから、Aさんを見てこう思っちゃうんだよ。
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。
『前』ジャンルの人から見える場所で、そんなに楽しそうにするなよ。
それを言われるたび、『前』はつまらなかったって言われているように捉えちゃうんだよこっちは。
今のC×Aで得たつながりを、Aさんは有難いですって事あるごとに言う。
言うけど、
同じように有難かったはずのA×Bで得た繋がりを、あなたは簡単に捨てたじゃないか。
だったら今のC×Aで得た繋がりも、また少女漫画の女の子みたいに好きなものがコロッと変わったときに、あなたは簡単に捨てるんじゃないのか。
それなのに、いずれ捨てる可能性があるのに、それを、今だけ大事なものみたいに扱うの、よく分かんないよ。
あなたがそうするたびに、私みたいな、他人の変化を受け入れられない異常な奴はきっと、裏切られたって思うよ。
…もちろん、好きなものに正直でいるAさんが悪いことは、ひとつもない。
これはただの異常な奴の言いがかりだ。ごめんね。
そうして私はいまだに、AさんがまったくA×Bの話もBの話もしなくなったC×Aのアカウントを、フォローせずブクマしてツイートを毎日追っている。
Aさんが楽しそうにC×AやA受けの話をするたび、つまらない気持ちになりながら、それでも見ている。
楽しくないならやめればいいのにと思うのに、やっぱり見てしまう。
自分に圧倒的な画力があって、上手な漫画が描けて、それで最高の小説が書ければ、
離れてしまったAさんのA×Bへの関心を再び取り戻せるような、そんな作品を生み出せるのに、と。
そういう、ガキみたいなことを考えてしまう。
そして毎日、悔しいと思う。
そんな作品はたぶん空想の世界にしかないんだと分かってもいる自分が。
いっそC×Aの人たちが致命傷を負うような絶望的な展開が原作に訪れたらいいのにな。
そうすればスカッとするかも、とか、性格が悪いことを考えたりもする。
Aさんの好きなC×A作家たちが一斉にA×Bにハマりだして、
Aさんも焦って「私もじつはA×B好きだったんです」みたいなこと言いださないかな。とかね。
我ながら呆れるくらい幼稚な発想なんだけど。
自分じゃどうすることもできないから、自分以外のありえない力や奇跡みたいなものを空想して、そうやって自分を慰めるしかないのだ。
じつに虚しい。
たとえば一方的にフラれた恋人にすぐに新しい恋人ができたりしたら、こういう心境になるんだろうか。
つまり私は半ば恋に近いような執着を、Aさんに抱いているんだろうか。
いや、でも、こんなしょうもない感情が恋心に近いものだとは思えないな。じゃあ何なんだろうな。
今の私の中にあるきもちは、もうファンの心理とは言えないような気がする。
それは作品を楽しむというよりは、A×Bを捨てたAさんがC×Aでどんなものを描いているのか確認してやる、という思いで読んでいる。
もはや監視の一環みたいな。
純粋にAさんの作品に感銘を受けた、あの最初の気持ちが今はもうどこにもない。
Aさんが好きなのか嫌いなのかよく分かんない。
なのにAさんに執着している。
Aさんの気持ちがA×Bから離れてつらい、寂しい、という気持ちだけが、
はっきりと私の中にありつづけている。
はーー。
なにが虚しいって、こんだけの文字数で思っていることを吐露しても、まったく心に変化がないってことだ。
Aさんが楽しそうに今のカプを語るたび、遣る瀬無い思いをし続けるんだろう。
いつになったらAさんのことがどうでもよくなるんだろ。
早くそうなってほしいな。そうなってくれ。
ところでこれを読んでいる人は、ここまでの内容を一体どういう目線で読んでいるんだろうか。
うわっ世の中にはやべぇファンがいるんだな、めんどくせぇ、んなこと知らねーよ、好きにさせろ。て感じかな。
そんな事でそこまで拗らせるのはおかしいよ…他人に執着しすぎだよ…大人になれよ…。て感じか。
どっちも正しい感覚だと思う。
ただ、世の中にはこういうおかしい奴もいるんだという、それだけの話だ。
唯一救いがあるとすれば、ここに書いた煩悶はすべて私の中だけで閉じた感情であって、
Aさんになにか批判的なメッセージを送ろうとか、嫌がらせをしてやろうとか、
そういう気持ちが…まったくないとは言わないけど、
それを実行しようという気が私の中に無いことがせめてもの救いだ。
自分のわがままに他人を巻き込んじゃいけないっていう当たり前の倫理観が、ちゃんと機能してくれている。
それだけは本当に、良かった。
私は最初から最後まで一貫して、Aさんの視界には映らない何者でもない存在であり続けるのだ。
Aさんのことをちゃんとフォローして、あなたのA×B作品が何よりも好きですと一言でも伝えていたらよかったのかな。
そんなことは無いかな。どうだろう。今更か。
結局わたしは、憧れていたAさんが私と同じものを好きじゃなくなったって事実を、許せていないだけなんだろう。
それだけのことでこんな長文の駄々をこねて、精神がガキすぎて話にならんな。
こんな地雷女のいるA×Bから離れたAさんは正解なのかもしれない。
せめてまったく別のジャンルに行ってくれていたら、こんなことは思わなかったのに。
同ジャンルの苦手な別カプに行くって。大好きだった分きついよ。
いっそこの気持ちを糧に片思いストーカーBLでも描いたらいいかな。
ガハハ。
あー。ままならねぇ
http://www.shunya-hitomi.com/entry/2018/01/10/113310
人間の死を、愚弄するつもりはない。思いを否定するつもりはない。
要するに、死に直面した恐怖の中で、社会の愛に接し、自分を愛し、家族を愛し、社会を愛することが、幸せな終焉である、と。
正論、正論、正論。きっと、論理的に、正しいし、なんだか心が洗われる、なんて、そんなんだろう。
今、私は、死に直面し、恐怖している。死ぬのが怖い。生きていたい。
でも、なぜ、死ぬのが怖いのか、生きていたいのか、理由が真逆だ。
もう一度だけ、誕生日を迎えたい、もう一度だけ、お正月を迎えたい。そういうものではない。
あいつの不正を、叫びたい。社会の不正を、糺したい。私を否定する正論を、破壊したい。
受容とは愛である。死に際の彼女の信仰は、受容こそが正しく、不快なものに拘るのは、無意味であると。
私を否定し、排除する機構を、破壊することで、私と同じ苦しみを味わうものを、救いたい。
いや、違う。破壊することで、救われる者がいることは、無関係だ。単純に、憤りの対象を、破壊したい。
私はすでに、まさに死に体で、憤りの対象を、破壊することが、叶わない。
社会は、あなたは、私の思想を許容しないだろうし、論理で否定するだろう。
私のような愚者が、不快感を表明し、社会からそれを除去するためには、
私のような愚者が、徒党を組み、賢者が論理で守る彼らの機構を、暴力によって破壊する必要がある。
社会は機構の集まりで、ある機構は、すべての者にとって、完璧ではない。
賢者にとっての善の機構が、愚者にとっての悪の機構であるとは、限らないが、
賢者にとっての善の機構が、愚者にとって悪であるなら、それを暴力によって破壊することは、
キモい奴に追っかけ回されるから余計に気持ち悪いと感じるだけで、自分好みの人間なら然程文句は言わない。
勘違いしやすい奴は大体見た目に清潔感がないだとかオシャレに興味がないだとかで
異性から好かれてないんだけど、仕事上義務で付き合ってやると「ワンチャンあるかも」と思い込むんだよね。これは男であっても女であっても同じ。
それから、アプローチの仕方がおかしい変人が多いか否かは環境に依存するというのは正論。事実自分も新卒で入った職場はセクハラ、不倫が横行してるような所で、そういう場所にいると倫理観が緩みっぱなしになる。
ただきっと、女が思う以上に男にとって女は肉体的に必要な物で、女にとって男は概念程度の存在で構わないって事。このギャップがもっと広く知らしめられるべきだと思う。
嬉しくて嬉しくて、一通り読んでからツイッターで感想を送った。
何度か推敲をし、長文になりすぎないように。
反応はなく、いいねも付かなかった。
数日後に他の作家さんとやり取りしているのを見て、スルーされたんだなと自覚した。
相互フォローではあったが単純に気付かなかった可能性はいくらでもあるし、作家さんには仲良くする相手を選ぶ権利は勿論あるし、『感想の感想を求める』なんていうことも本末転倒だ。
正論ではそうだと思う。そう頭では理解していても、そこそこ勇気を出して感想を送った私の心は結構傷ついてしまった。
感想を送って喜んでもらえる、というのをかなり期待していた。さもしいことに。
恐らく今後、私はあらゆる感想を知らない作家さんに送るのをやめてしまうだろう。
こういった感情を抱くのは私だけではないと思う。多分。
感想がほしい、感想がなくてモチベが続かない、という作家さんのツイートをRTでよく見るので『感想を受け取る側と送る側の心理』というようなものを考えてみようと思いこのブログを立ち上げた。
※便宜上プロアマ問わず創作する側を『作家さん』で統一しています。
まず、作家さん側と消費者側とで感想に対する考えに違いがあるように思う。
「簡単に作家さんに感想が送れるテンプレート」のような画像をたまに見かけるが、あれがその大きな例だと思う。
消費者は一般的に画像に自分で文字入れするなんて発想は少ない。
そして作家さんは苦労して創作したものに感想が貰える喜びを知っているので、知り合いの作家さんに気軽にバンバン感想を送る。創作することに比べれば感想の数十文字を打つことなんか容易い。
そして、やはり創作する人間からの感想、というものは嬉しいものだと思う。すべての人からもらう感想が同価値だと思える作家さんは少ないのではなかろうか。
それに対して消費するのみの人間からの感想、それも全く知らない他人となると、返事に困るものが増える。
真摯な感想も勿論あると思うが、的の外れた指摘、唐突な自分語り、様々なものが混じる。
それらをスルーするのは作家の当然の権利であり自由だ。いちいち構うものではない。
ただ、消費者側からすると、そんな感想の一つ自体が自身の創作物なのだ。
それを無視されると傷つく。なにか気に食わないことを言ってしまったのではないかと悩む。
求められていないかもしれないものを送りつけるというのには相当なパワーがいる。送って良かった、と思えるなにかが欲しいと思うのは間違っているのだろうか。
ツイッターは良くも悪くも作家と消費者の距離が近いように錯覚してしまうツールだ。
漫画家にファンレターを送って必ず返事がくると思っていた人はあまりいないだろう。送れば送ったきりで当然、でもその後きっと読んでもらえた、喜んでもらえたという想像をして満足することが出来た。
ツイッターは感想をリアルタイムで送れて送ったその後が視認出来てしまう。喜んでもらえたかどうかを判断しようとしてしまう。
返事をしない作家が悪いのではない。
ここでプロフェッショナル中のプロフェッショナルの例を出すのもどうかと思うのだが、感想を送る側のモチベを上手く引き出しているな、と思う声優さんがいる。
ツイッターで毎回「●●のイベントで頂いたお手紙は全て読ませていただきました」と報告している方だ。
容易なことではない。が、送った側の嬉しさは大きい。また送ろう、という気持ちにさせてもらえる。
感想がほしい、感想が来なくてモチベが下がってしまい創るのを辞めた。
辞めてから「あなたの作品が好きだったのに」と言ってもらえた、でももう遅い。何故それを現役中に言ってくれなかったのか。
こういうものがよくRTされてくる。さも消費者側が感想を送らなかった怠慢が原因だと。でもこれは完全に作家側の言い分だ。
感想を送って良かったと思える何か、感想を送りやすい環境、そういうものが必要なのではないか。
匿名で短文が簡単に送れ、お礼イラストが見れたような、ああいうものが今の時代また必要になってきているのではないかと思う。
以前ははてぶを見て、ざっと気になる記事をながめて、気になるものは最初からブクマだけ読むようにしていた。
そうするとタイトルとスターが多くついたブクマだけで何となく記事の概要がわかるので、時短も兼ねてそういう使い方をしていた。
あるときふと思ったのだが、他人の正しく見える意見=スターの多くついたブクマばかり見ることで、
ある記事やニュースに対して「自分がどう感じたか、どう思ったか、どう考えたか」というプロセスが一切抜け落ちていることに気づいた。
たぶんこれには弊害があって、ものごとに対して正しそうな正論っぽいことは言えても、自分で考えていないので、言葉に力がないというか説得力がなくなってしまうんじゃないかと思う。
あと、自分の考えてもいない方向に無理やり思考が矯正?されてしまっていたのかもしれない。わからんけどね。
だから最近は記事を読んでもいきなりブクマを読まなくなった。自分と正反対の意見にブクマがついていたら、「ふーん、そういう考えもあるんだ」くらいに思うようにしている
みんな、これ真似していいからね。
当方すでに人生の半分くらいを米国で暮らしてるおっさん増田です。
なぜこのような前置きをするかというと、この国のオリンピックへの冷遇ぶりはかなり特出してて、俺がこれから書く話もそういったバイアスがあるよってのを念頭に置いてほしいからです。なにせこの国じゃ自国のスポーツイベント(スーパーボール、ワールドシリーズ、NBAファイナルなどなど)が至高で、他国の国際大会とか知らねって考えだし、オリンピックに至っては「午前中や深夜の放送じゃ視聴率とれない」という理由で地上波では生放送なし&夜のゴールデンタイムに録画済みの編集版を放送ってのがデフォの国なんで。
最近もやもやしてるのはね、ここ数年ほど親戚やら大学時代の友人やら仕事先で知り合った人とか日本から様々なゲストが来て話す機会があったんですけどね、特に東京圏の人ってのもあるんでしょうが、みんな口々に「2020年の東京オリンピック」の話題を持ち出すんですよ。なんか初めて参加した飲み会で話題に困ってとりあえず血液型を聞くくらいのノリで。やれ国立競技場を作り直すとか、インフラ作り直すとか、警官やタクシーの運転手がみんな英語の勉強で大変とか。
もちろん話を聞いている場では俺やほかのアメ人も黙って会話にのっているんですが、みんななんで日本でオリンピックがあんな前段階からお祭り騒ぎになってるのかぴんとこないんですよ。だって長くてもたった2,3か月のイベントじゃない?とりあえず他のアメ人に「hey Masuda、東京オリンピックって何がそんなにすごいんだ?」って聞かれても「日本では国際大会が人気で、特にオリンピックはスーパーボールとNBAファイナルが合体したくらい人気あるよ」っていうと「へーーー」って反応くるんですが、後々その東京オリンピック関連で5兆円以上つぎ込んでるって聞くとみんな絶句するんですよね。いや俺も毎回絶句してるんだけどね。
スポーツ施設に巨額投資が動くってのは理解できるんですよ。実はロサンゼルスに数十年ぶりにアメフトチームが戻ってくる!(札束で他の都市のチームを引っこ抜いた)ってことでそのチームの本拠地周辺では最新スタジアム建設やら、駐車場やインフラの新設、近隣のショッピングモールや住宅地の再開発とかで巨額の金が動いているんですが、でもこっちはこれから数十年にわたって活躍してくれるからちゃんと元取れるじゃないですか。でもオリンピックってたかが数か月でしょ?オリンピックやったからって劇的に観光客が増えた国なんて聞いたことないし。
んで東京オリンピックについてはよーわからんところでは大金が動いてるみたいですが、肝心のバリアフリーとかが全然進んでない。実は俺の妻と2歳児&5歳児の4人家族で昨年末に東京観光してきたんですけどね、さすがに大江戸線みたいなローカル線には期待してなかったけど、山手線まわりだったらもうバリアフリー整ってるかなーと淡い期待でいったんですがところがどっこい!山手線まわりでもエレベーターがどこにあるかわからん&大量にある階段にエスカレーターも皆無で毎回動き回る子供連れて&ベビーカー抱えて移動だけで死ぬかと思った。。。なんだよオリンピックにむけてバリアフリーにするんじゃなかったのかよ??(ひょっとして今年か来年中に大型改装する予定でもあるの?)多分エレベーターとか探せばあったんだろうけど10年ぶりくらいに来たから駅もデカすぎて探せねーよ。
あと相変わらずuberやlyftも使えない。これ日本から来た人に愚痴っても「東京はタクシーすぐ捕まるから」とか「白タクとか不安」とか言われたんだけど、世界のどの都市いっても携帯一つでタクシー呼べて料金支払いも携帯アプリで済ませられるuberになれると、子供つれてタクシー止まりそうな駐留エリア探すだけでも苦痛なんだわ。おまけに日本語話せない連中とかだと運転手の片言英語ききながら目的地説明せにゃならんのでしょ。ありゃメンドイ。日本の人って政府とか大企業にはしきりに「規制緩和」とか訴えるくせに、民タクや民泊みたいに自分らの生活に直結する自由化には「安全・安心」を盾に頑なに反対するよね。うーん、そのメンタリティだから行政の規制緩和も進まないんじゃん?だって現場にいる人からしたら民タクや民泊の自由化と一緒じゃん。
俺が一番もやもやしてる点ってさ、おそらく日本の多くの人も「東京オリンピックフィーバー」の茶番感やら虚無感になんとなく気づいてるんだけど、いまさらそんなこと言っても水を差すだけって批判されるから馬鹿馬鹿しいと思いながらも一緒に祭りにのってる感がありありと伝わってくるんだよね。政治家なんて「東京オリンピックがありますから」とか意味不明な理屈でたった数か月のイベント用に重要法案をバンバン通してるしさ。
なんか普段なら反対者がでて通らない法案とか巨大予算のビックプロジェクトをみんな「東京オリンピックがありますからそれまでに終えましょう」という虚無感たっぷりな大義名分つかってガンガン押し切ってるんだよね。茶番だってわかっている連中も、これがあるから一緒にのってるんだろうね。
思い返せば日本人って白虎隊やら戊辰戦争やら神風特攻隊やら、ずっと続く強者よりも一瞬だけ輝いて散っていく敗者に共感する気質があるから、東京オリンピックもその一瞬の花火を楽しむためにみんな盛り上がってるのかな?って最近思うようになってきた。でも一瞬の花火にしては使う額がすごすぎるよね。
この東京オリンピックがあまりに巨額イベントに膨らんじゃったから次回のオリンピック会場に立候補する都市が激減して、24年と28年なんてかろうじて挙手したロサンゼルスとパリに速攻で決まった流れとかアホすぎる。東京なんて裏金さんざんばらまいてようやく獲得したのに。。。
追記
冒頭でさんざん「俺の書き込みは在米歴ながくてかなりバイアスかかってるからねー」って念を押しておいたのにそこ無視して「おまえが言うな」的なレスがあってはてな村は相変わらずやなぁと微笑ましかったぜ!
それは自覚してるw ただとりあえず思いつくおもてなしトーク(てかもてなしてるのはこっちのほうなんだがw)が全員五輪ネタだったから、やっぱファン&アンチともに日本ではでかいイベントなんだなぁって。
正論だけどあの辺の都市は上の政治家から下の底辺までオリンピック誘致しようなんて思ってないからべつにいいんじゃね?笑 おれも子供小さいうちにニューヨーク観光なんてする気おきないもの。子供がいくとこじゃないっしょ。
商業主義に走った初期はちゃんと黒字だったから国際的スポーツ興行として割り切っても合格でしょ。問題は近年は国のメンツ(笑)やら巨額の費用負担で予算だけが右肩上がりで大赤字確定のクソイベントじゃん。だから24年と28年の開催地候補もローマやブダペストとか大半の都市が「金かかりすぎるからやめるわ」って次々辞退して、最後に残ったロサンゼルスとパリに自動決定したっていうお寒い状況じゃないっすか。
違うよ。スポーツ興行としてちゃんと黒字でペイできたら合格。オリンピックは次世代に借金だけ残すクソイベントだから茶番。
いやーおれも勢いに任せてキーボードを滑らせたら我ながらそのオチに苦笑したけど、でもさすがに米国の一都市で行われる大会のためにわけわからん連邦法をどさくさ紛れに通すなんてことはないでしょ。。。(あ、でも今の大統領はそれ以前の問題が!
皆いろいろと憤っている。当然だ。完全なる著作権侵害、知財の無断利用で金を儲けている奴など断じて許してはならぬ。別に違法サイトを擁護しようというつもりはさらさら無い。
が、それを前提にちょっと皆に聞いて欲しいことがある。どうしても言いたい事がある。
あそこの配信サイトもこの電子書籍ビューアも、お前ら全員もっと漫画村を見習えクソが!!
いやもう正直言って今更サイト名伏せる意味もそこまで無いやろと思うので特に伏せずに発言する。
漫画村は確かに違法サイトであり、「タダで漫画が読める」というのが一番大きなセールスポイントだ。しかし、だ。ハッキリ言うが漫画村は「タダで漫画が読める」という点を差っ引いても、下手な正規ルートよりよっぽどユーザーに優しい作りになっている。その事については強く主張したい。
私が漫画村という名前を知ったのは半年ほど前だ。確か「ギリギリアウト」か「金の彼女、銀の彼女」か「町田くんの世界」辺りでググった時だったように記憶している。この頃から多少マイナーな漫画をタイトル検索すると検索結果の1ページ目に頻繁に出力されるようになったように思う。
いい加減よく見かけるので違法サイトのくせによっぽど人気あるのか、と興味本位で実際にサイトを覗いてみたのが2ヶ月ほど前のことだ。
ここでまず誓って言うが、私はあくまで「どんなサイトか」を知るためだけに見たのであって、決して「タダで漫画を読む」ためにサイトを見た訳ではない。その時に試しに読んだ漫画はいずれもその時手元にあった漫画だけだ。
勿論、動機がどうあれサイトの閲覧数に貢献し、運営者の懐に入る広告料に寄与してしまったのは事実である。そういう意味では一度でも漫画村にアクセスしてそこで漫画を読んでしまった時点で罪になっているとも言える。が、そのへんは一旦棚に上げて頂きたい。
で、だ。漫画村で違法にアップロードされた漫画を読んだ私の感想は
「ああ、これはそりゃ読まれるわ」
だった。
まず誤解している人も多いみたいなのだが、漫画村は違法ダウンロードサイトでは実は無い。あくまで漫画村の漫画はブラウザ上で読むことが出来るようになっている。(ひょっとしたらDLも出来たかも知れないがそこは置いとく)
ハッキリ言ってこれはデカい。ダウンロードとブラウザ上で読むのとでは圧倒的に後者の方が「読む」に至るまでの心理障壁が低い。違法サイトと知りながら読む場合の「罪悪感」的な面でもそうであるし、単純に「暇つぶしに漫画でも読むか」と思った人に漫画を読ませる場合、下手すると金銭以上の差がそこには生まれる。
で、実はこの点をちゃんと分かっていない人が電子書籍を売る側でも未だにかなり多いように思う。
最近はかなりの配信サイトでブラウザで電子書籍が読めるようになってきたが、肝心要のAmazon Kindleが未だに 購入→配信先端末の指定→Kindleアプリ起動→ダウンロード の行程を踏まなくては書籍が読めない。最近この煩わしさがとみに鬱陶しいのだが、できるだけ電子書籍管理を一本化したいので、結局品揃えと継続性に最も信頼がおけるKindleでしぶしぶ購入しているのが現状だ。もちろんサーバの問題もあるのでなかなか一気に移行はできないと思うのだが、なんとかAmazonのwebページ上で読めるようにできないものか。
(ついでに言うと、ダウンロード形式の場合についても、macPCに対応していない専用ビューアを使っている所そろそろ滅べという気分になってきている。DLsiteとフランス書院お前らのことだよ。いやまあそこの2つはブラウザビューも出来るから別に良いんだけどさあ)
この問題は同人誌に関してより深刻で、メロンブックスでは電子書籍を購入しても専用ビューアでしか読めないようになっている。あまり同人誌は買う方では無いのでアレだが、私のパソコンにはある一冊の同人誌を読むためだけにメロンブックスの専用ビューアがインストールされている。正直言って絵がかなり好みだったから購入したものの、あと少しでも購買意欲が低ければ面倒になって購入を断念していたと思う。おそらく「まあでもわざわざビューアDLインストールしてまで読みたい訳でもないしな」と思って同人誌の購入を見送った人は相当数いるのではないかと思う。
この辺同人誌は昔ながらの「買いたい人は多少高かろうが買う」という考え方が割と幅を効かせていて、「買おうかな?と思った人に如何に心変わりの隙を与えず買わすか」という観点にかなり乏しいように感じる。
そしてそうして購入を見送った先には、タイトルで検索した時に検索結果の1ページ目に出力される違法アップサイトが存在している訳である。
もちろんそこには「二次創作」という権利関係的に危ういものを簡単に売りづらい、という面もあるのだろうが、どうにかならんもんかいな、という溜息はどうしても出てしまう。
ついでに言えば私が購入した件の電子同人誌に関してはpixivの紹介ページからは紙書籍版の通販ページにしかリンクされておらず、メロンブックスで改めて検索してようやく発見したレベルなので、本気で売る気があるのか、「印刷費は回収できたし、小金になれば御の字」程度なのかが非常に怪しい所であった。
勿論同人誌なんて趣味でやってるのだからどう売ろうが個人の自由なのには違いないが、プロの漫画家が本気の収入源として描いてる割には売る気があまり感じられない、という事例もかなり多い。違法アップロードする方が100%悪いのは大前提ではあるが、コミケ当日の半月後にメロンブックスだけで電子販売とまでなると、「違法アップロードと競うつもりは無い」という宣言に等しいように思う。勿論繰り返すが、競おうが無視しようがそれは個々人の自由意思なので、そうしない作家が悪いなどと言い出すつもりは毛頭無い。
閑話休題。
とにかく、そうしたダウンロード形式限定の電子書籍に、煩わしさ鬱陶しさを感じている身としては、漫画村がブラウザ上でストリーミング読書できるのは相当に大きいと感じざるを得ない。これが漫画村の強みの中でもかなり大きな点だ。
勿論、漫画村の良さはそれだけに限らない。(というか上にも書いたが、最近ではかなりのサイトがブラウザ上で購入した書籍を読めるようになっているので、そこまで大きく差別化されるものでもないのだが)
端的に言うと、とにかくサイトデザインが良いのだ。ジャンルごとの区分けも明瞭で、文字情報も最低限なので目が滑ることなく見やすい。読みたい漫画が非常に探しやすいようにできている。
中でも関心したのが検索結果の出力についても巻数ごとの表示とタイトルごとの表示の両方をユーザーが自由に切り替えれるようになっている点で、この機能は今すぐにでもあらゆる電子書籍販売サイトに丸パクりして頂きたい。
検索ページだけでなく、実際に漫画を読むページも実に良い。1つ漫画を読むと、同じページに必ず同タイトルの全巻が表示されるようになっている。当たり前のようだが、実はAmazonですら時折この「他の巻も全部表示」に対応していない漫画があって、正直「正気かお前ら」と出版社に対して暗澹たる気持ちになることが少なくない。他のサイトでも「同じ作者の他の本」や「この購入者は他にもこんな本を」などの情報が10件程度出力されるが、肝心の次の巻が見当たらない、というページが普通に存在する。漫画村、何という親切設計。
実際のビューページも実に親切な設計だ。まず単純に1ページずつと見開きページの両方を選べるようにできている。これも当たり前のようで対応していないサイトが未だにあったりするのだ。特にスクロール形式で配信している所などは、見開きページだけ急に画像の幅が大きくなってただただ見づらいだけというケースも多い。(これに関してはニコニコ静画がマジで酷い)
そしてさらに関心したのがビューページ上の「ずらす」というチェックボックス。最初は一体何のことか分からなかったのだが、ここにチェックを入れると、偶数ページと奇数ページが見開きの左右どちらに来るかを変えることができるのだ(左右が入れ替わる訳ではない。簡単に言うと3,4ページが見開きになっていたのが4,5ページに変わるのだ)。これは漫画のアップロード者にとって非常に助かる機能だ。漫画村のアップロード者がどういう集団なのかはよく分からないが、投稿者は見開きの順序やページ数の偶奇など気にせず、とにかく表紙などを含めて単ページずつ全部アップしてしまえば良いのだ。見開きズレは読者側がワンクリックで対応すれば良い。この機能も今すぐにでもpixiv含めてあらゆる漫画投稿サイトに丸パクリして頂きたい。
ハッキリ言ってしまうが、「Amazonで買った本を漫画村で読みたい」まである。
話はまだまだ続ける。ここからは漫画村1サイトの話でなく、業界全体の問題に関わる話もする。
1年ほど前知人と「最近は漫画でも小説でも帯のデザインが良いのが多いですよね。帯巻いたままで保管したくなるものも少なくないじゃないですか」という話で盛り上がった。その折に「電子書籍ってそういうの全く対応してないんですよね」と不満を漏らすと、その場でその知人はとある違法サイトを見せてくれた(こちらは漫画村ではなく、名前は覚えていないが英語サイトだった)。
そこにあった違法アップロードされた漫画は、1ページ目が普通の表紙、2ページ目が帯付き表紙、3ページ目が折り返し、4ページ目が帯付き折り返し。さらに5ページ目が表紙と裏表紙の見開きで、6ページ目がその帯付き、というものだった。
これはかなり衝撃的で、私が常々不満に思っていた点を完全に解消してくれていたのだ。帯の話だけではない。近年は漫画の表紙も凝ったデザインが多いのはご存知の通りだと思うが、裏表紙含めて見開きでデザインになっているものも少なくない。であるにも関わらず表紙と裏表紙を見開きでしっかり表示する電子書籍は皆無と言って良い(明らかにカバー全体で背景絵繋がってるのに裏表紙ポツンと最終ページに持ってくる所業、やっつけ仕事にも程があんだろ)。それどころか裏表紙をそもそも載せていない、という電子書籍もかなり多い(むしろ裏表紙のある場合の方が少ないレベルだ)。折り返しや背表紙などに至っては、全て揃っている電子書籍などほとんどないのではないだろうか? 紙の書籍の方には作者コメントの1つでもあったんちゃうんかボケえ。
(ついでに言うが、某タイムスリップTSおねショタ漫画で作者が「カバー全体で絵描いてたけど電子版だと反映されないから今度から辞める」ってツイートしてて「逆じゃねえ!?」って驚愕したんすよね。どういう力学が働けば「電子版にも対応してもらう」じゃなく「見開き絵描くの辞める」になるんだ。そんなに電子書籍担当の腰が重いのか......。)
さらに重ねて言うと、これは私自身で確認した訳ではないが、どうやらその違法アップ漫画にはしっかり店舗特典もついているのだそうだ。
地方在住の身として私は、かねてから「東京のオタク向け専門書店で購入した紙の本」に比べて電子書籍が同じ金額にも関わらず著しく商品価値が低下している点について、ずっと納得いっていない。ポストカードやイラスト1枚程度ならともかく、4ページ描き下ろし短編漫画とかまで行くと、「俺に一体どうしろと言うんだ……。」と暗澹たる気持ちになる。
店舗特典に関しては私は書店と出版社の間の営業マターに過ぎないと考えている。ハッキリ言えばあんな物は読者に対するサービスではなく書店に対するサービスだ。出版社の営業が書店に対して「特典つけてサービスするんでもっと部数とって下さいよ」とアピールするためだけに、我々地方の読者がその度に「ああ、これには特典ついてないんだ…」とガッカリしながら購入させられなくてはいけなくなっている。滅びろ。
(ファンならそのために往復3時間かけて新宿まで行けよ。書店通販で送料割増して買えよ。電子書籍で買うの諦めろよ。というのはまあ「正論」ではあろう。)
特典商法についての恨み節が長くなったが、とにかくその出版社や書店の業界事情により電子書籍には本来つかない「特典」が、違法サイトに無料でアクセスすれば読めてしまうのだ。
「こりゃ違法サイトに勝てないね」「同じ金払うとしてもこっちに払いたいよ」
(もう一度誓って言うが、だからと言って違法サイトを活用はしていない。シスターブリーダーのとらのあな特典もツリメスのメロンブックス特典もこちとらお行儀よく諦めてんだよクソがあ)
(ちなみに上でも述べた通り以上はどっかの海外サイトの話で、漫画村は私が覗いた範囲だとこうした特典や帯の対応はしてなかった。あのUIでそこまでされたら本格的に勝ち目が無くなるのだが...)
帯や特典の有無を超えてさらに問題なのが、違法サイトでしか読めない絶版本の存在だ。
一度転居時に手放してしまったとあるエロ漫画をもう一度読みたいと思っているのだが、再販も電子書籍化の気配も無いまま、グーグルの検索結果に違法サイトが表示されるのを眺めたまま悶々とする日々がかれこれもう3年目に突入している。出版社にも一度メールは送ったが「予定無し」であえなく轟沈した。
勿論、物を売るにはリスクがある。電子書籍と言えど再販が難しい書籍があるのは確かに仕方無い。しかしだからと言って「読みたい本が現状読めるの違法サイトでだけ」という状態を放置し続けられると、こちとらいつ魔が差してもおかしかないぞ、と思ってしまう訳だ。
(まあこれに関しては「流石に誰がどう「使った」か分かったもんじゃない中古エロ漫画を買う勇気が足りない」という私自身の心の問題が実はまずあるのだが)
違法アップロードサイトなど本来百害あって一利無し、であるべきなのだが、将来的に違法サイトが同人誌含めて絶版本など漫画資料の貴重なストレージ先になってしまう可能性はかなりあるのではないだろうかと思う。10年後くらいに漫画研究家が2000年代の同人文化研究をしようとした時に、違法サイトが唯一の資料源だった、という状況は下手すると十分ありえる。
個人的な提案であるが、同人作家は再販予定も無ければそもそもデータが手元にない自分の同人誌については、自ら違法サイトからガシガシデータ吸いとってpixivに上げてしまう、というのはやっても良いと思う。勿論そんなものは個々人の自由だし、何か拘りや主義があるならそちらを優先すべきだが、特に思う所が無いのであれば是非やって頂きたい。
とにもかくにも、だ。
公式出版社らが手間や契約や利害関係でまごついてる間に、反社辺りが運営してるであろう、その辺の浮世の煩わしさガン無視した違法サイトが、正規ルートよりもはるかにユーザーフレンドリーなプラットフォームで、商品クオリティも圧倒的に高い状態のものを無料でばら撒いてるんだから、そりゃ勝てるはずないんだよ。
せめて違法サイトが勝ってる所は「無料」の一点だけであってくれよ。それ以外でもボロ負けしてんの恥ずかしくないのかよ。
嘘かまことかは知らないが、AppleがiTunesを始めた時に当時のCEOが「われわれは違法ダウンロードと戦う。訴えるつもりも、無視するつもりもない。競争するつもりだ」と言ったそうだ。iTunesは確かに凄い。検索購入視聴までがストレスフリーでスムーズに行える。出版界もそこに追いつけないと話にならんのではないか。(「訴えるつもりはない」を真似する必要はさらさらないが)
重ねて繰り返すが、違法サイトは違法である時点で擁護の余地は一欠片も無い。
しかし、だ。出版関係者が「違法サイトのせいで本が売れない。出版界の危機なんだー」と騒いでるのを見ると、勢い
「お前らそんな事の前に他にもっとやれる事がいくらでもあんだろうが。ちっとは漫画村を見習ってみろクソがあ!」
と喚きたくもなるのだ。
(あいつは違法サイト擁護してる、みたいなこと言われるのが嫌で増田で書いたけど、私を知ってる人は私が誰か即分かると思う。まあ分かっても黙ってスルーしてくれると助かる)
追記
>いやKindleはブラウザですぐ読めるんだが…スマホからは知らんけど。PCで買ったら今すぐ読むみたいなのクリックしてすぐに読み始められるよ(まあ漫画のみで小説は無理だったはずだけど)
> Amazonは5年前くらいからブラウザで読めるので、正確にはスマホのブラウザで読めないとすべき
ぐげええええええ!ホンマや! アレですよ...多分新書か何かで読めなかったのずっと勘違いしてたんですよ....。電子書籍に本格的に移行した時にまずブルーバックス大量に購入したから、多分その時に...。Kindleについての箇所は誤りがあったことを謹んで訂正させて頂きます。
さらに追記
Amazonのブラウザ上で読むページ、マジで購入直後のページでしかワンクリックでリンク貼ってねえのな。
既に買った本をブラウザ上で読むのどうすりゃ良いんだってマイページの中延々探し回った挙句クラウドリーダーにログインすれば良いことにようやく気づいた。
Kindleやっぱクソアンドクソアンドクソだわ。(自分の無知を盛大に棚に上げつつ
あとまあ、Kindleが中でも特にクソなのはわかってるんですよ。けど結局本文中にも書いたように出来るだけ一本化したいってのと信頼性との兼ね合いがあって今更別のに乗り換えて2つのビューア使い分けるのも何かなあ...というので渋々使い続けてる訳です。購入冊数300行く前に思い切って切り替えてたら良かったなあ、と後悔の日々。
もいっちょ追記
いくつかの批判対応も含めてちょこちょこ書き足したけど元のバージョンが飛んだせいでどこが加筆だったか細かく分からんくなってしまった。
ひょっとしたら「いや本文に説明あるじゃん」な批判コメがあったとしても、単に私がそれに合わせて加筆修正しただけの場合があるのでそこは申し訳ない。
ただ、初手で「無料なのが一番デカイけどそれだけやないで」って書き始めたはずの記事に「言うて一番デカイのは無料なとこやろ」ってコメントがちょいちょい集まるの、本当にリテラシーの難しさを痛感するぞ。
今年初めて聞いた正論
正論だと思うけどこのやり取り100000000回くらい見た
ガキの問題が浮かび上がったように、これからのテレビっていかに
「自分たちの番組に興味も好感もない、なんなら視聴すらしてない人々」からの苦情を織り込んでいくか、みたいな
すればするほどクソみたいになってく努力を強いられざるを得ないのではないかと思う
ネットが普及して一番ワリ食ったのはそういう共犯関係が維持できなくなったことで
まあそんなもん維持できなくていいだろっちゅう向きもあるかもしらんけど
この圧倒的にうざいノイズとしての正論を回避するには、嫌なら見るなよって理屈しかないと思うけど
その逃げ道を封じてるのがテレビ局自身がテレビを公器として扱って、ノーコストで放送権を享受してるからなんだししょうがないよな、と思う
「オレオレ自主性」とは「俺が考えた最強の自主性」と言う意味で個性とかは一切考慮されていない。
他の人も薄々感じていると思うのだが自分が気が付いたのは就職活動でだ、それは企業が学生に求める「コミュニケーション能力」みたいなもので真面目な人はどつぼに嵌まるワードである。
就職してからはっきりしたけど学生の内は個人が自分で考える「自主性」が尊重されていた、しかし就職活動以降は「企業が求める自主性」とか「社会が認める自主性」であることが多いため
個人は一切尊重されず「オレオレ自主性」つまり「俺が考えた最強の自主性」と言う形で他人を苦しめる事が多い。
人や企業や社会が認める範囲内の自主性ってどんなモノか考えるとAIと言う言葉が頭に浮かんでくる、AIは今の段階だとinputされたデータを元に機械が自主的に考えて人間に最適解を示す装置になっている。
話題のフリーランスも人や企業や社会が認める範囲内の自主性で働かないと認められず困窮すると考えると「そもそも人間社会に自主性なんてモノは存在しない」と言う考えに至る。
人を酷使するのが大好きな企業も「自主性」を都合よく利用する。
この3つに似たようなやり取りを社員にマネジメントを丸投げする会社ではよく見かける。
そこで転職するのが最適解なのだが、転職がしにくい現状だと自主性を発揮するため神経をすり減らす人が大量に出てくる。
そもそも20代・30代・40代と区切って年齢ごとに違う経験と経歴を求める会社が多い中、おいそれと転職できる人の方が少ないのだがこの話はまた今度。
と一見正論に見える棍棒を振り回す人が多い。(はてなにもいるよね)
だから自主性を重んじる風潮は元々、日本社会に存在しなかったと言える。
ただ「俺(社会もしくは企業)が考えた最強の自主性」と言う「オレオレ自主性」はある。
それに適応できなかった人を排除しつつあるのが現代であり、AIが登場すれば適応できなかった人を排除する動きは加速していくと思う。
今のところAIは「オレオレ自主性」の塊でありその辺のバカや会社不適合者より優秀で使いやすいだけだが、これは他人事ではないよ?
身内には言うよ癌の発見が遅れた時に何で空いてるからってヤブで有名な病院で検査して発見されなかったと安心したんだとか心配だから
苦しんでる赤の他人を憂さ晴らしか何かの為に正論で蹴るのは意味がわからない
簡単じゃない事をやってる偽善者とは違う俺かっけーみたいな感じなのも幼稚すぎる
何であんな感じになるんだろう
何でやるんだろう
Twitterで孫が行方不明になったおじいちゃんが拡散希望してたんだけど
そもそもちょうど動き回る年齢なのに10分間も目を離すこと自体信じられないし
ここまで見つからないとすれば遺体で発見されても文句は言えませんよ。
とリプし批判も集めたが、正論なのに何で叩かれるのか解らないとオタクたちの擁護も集めていた
言った本人は頭悪そうなやついっぱい釣れたと喜んでたので釣りなのかもしれんが、追い詰められてる老人の孫が死体で見つかっても自業自得と蹴ってまで釣りをする気持ちが解らない
悪い事が起こった後に何でこうしなかったの自業自得と正論で蹴るのは簡単なので、こいつらの人生の辛い時に常に正論で蹴りつけてみたい
僕はイラストを書かない
絵本を出したりしない
例えば誰かがオファーしたとしても
僕はブログをしない
けれども沈黙しない
見えない壁が出来てた
ここで発表しなきゃ臆病者か
ここまでボコと思わなかった
僕は嫌だ
罵詈雑言を僕は恐れたりしない
嫌われたって僕には僕の笑いがあるんだ
叩けばいいさ
一度ブロックしたら死んだも同然
タダで配ると言うのか
図書館に送るのか
ただの宣伝とわかっているだろう
ボクはやたら噛み付くのだ
世の中に噛み付くのだ
大きなその力で
ねじ伏せられた怒りよ
一般常識知らず仲間外れか
イキって批判をすれば届くって信じていたよ
僕は嫌だ
みんな揃って避けてばかりではおかしいだろう
欺きたいから僕は喋り倒していく
何か目立つ事で気づく もっと
新しい世界
僕は嫌だ
みんな揃って避けてばかりではおかしいだろう
欺きたいから僕は勢いだけで行く
本気(マジ)な正論を僕は恐れたりしない
嫌われたって評価する人もいるんだ。
叩けばいいさ
あいつ以下ならもう死んだも同然
Yeah 西野も