「オレオレ自主性」とは「俺が考えた最強の自主性」と言う意味で個性とかは一切考慮されていない。
他の人も薄々感じていると思うのだが自分が気が付いたのは就職活動でだ、それは企業が学生に求める「コミュニケーション能力」みたいなもので真面目な人はどつぼに嵌まるワードである。
就職してからはっきりしたけど学生の内は個人が自分で考える「自主性」が尊重されていた、しかし就職活動以降は「企業が求める自主性」とか「社会が認める自主性」であることが多いため
個人は一切尊重されず「オレオレ自主性」つまり「俺が考えた最強の自主性」と言う形で他人を苦しめる事が多い。
人や企業や社会が認める範囲内の自主性ってどんなモノか考えるとAIと言う言葉が頭に浮かんでくる、AIは今の段階だとinputされたデータを元に機械が自主的に考えて人間に最適解を示す装置になっている。
話題のフリーランスも人や企業や社会が認める範囲内の自主性で働かないと認められず困窮すると考えると「そもそも人間社会に自主性なんてモノは存在しない」と言う考えに至る。
人を酷使するのが大好きな企業も「自主性」を都合よく利用する。
この3つに似たようなやり取りを社員にマネジメントを丸投げする会社ではよく見かける。
そこで転職するのが最適解なのだが、転職がしにくい現状だと自主性を発揮するため神経をすり減らす人が大量に出てくる。
そもそも20代・30代・40代と区切って年齢ごとに違う経験と経歴を求める会社が多い中、おいそれと転職できる人の方が少ないのだがこの話はまた今度。
と一見正論に見える棍棒を振り回す人が多い。(はてなにもいるよね)
だから自主性を重んじる風潮は元々、日本社会に存在しなかったと言える。
ただ「俺(社会もしくは企業)が考えた最強の自主性」と言う「オレオレ自主性」はある。
それに適応できなかった人を排除しつつあるのが現代であり、AIが登場すれば適応できなかった人を排除する動きは加速していくと思う。
今のところAIは「オレオレ自主性」の塊でありその辺のバカや会社不適合者より優秀で使いやすいだけだが、これは他人事ではないよ?