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はてなキーワード: 権力とは

2022-08-08

anond:20220808093050

国葬に関しては、安倍ちゃんに罪はない。

麻生、甘カス自分らの権力国民に見せつけたい、ただそれだけのセレモニー

ヴィーガンほとんどは押し付けてない

ただし以下の理由で反発を食らうことが多い。

カルト構造と同じで、一般社会的には極端な思想であるから目立ちやすい。

ヴィーガン思想インテリがなりやすく、教条的で、教師のような口調になることが多い。

・肉を食わずに豊かな食生活が送れる、というのが理解されず、不気味に映る。

動物を殺すべきではないという真理を、上から目線で言われると腹が立つ。

ヴィーガンは「食べない」という選択肢をしてるので、安全地帯から肉食者を指摘する立場に見え、卑怯だと感じる。

畜産業飲食業多様化し、肉食に依存している職業も多いので、人生否定される。

こういう理由で、非常に反発を買いやすい。

しかし実際は肉屋に襲撃するヒマなヴィーガンはいない。

ツイッターなどSNSでは少数派の意見が目立ちやすいというのも理由だと思う。

そもそも動物解放したいという思想民主主義リベラルに通じる。

人権・生きる権利を最重視するわけで、他人暴力権力で制約することに興味がない人がほとんどである

その思想動物地球に拡げたのがヴィーガニズムだと個人的に思っている。

また、肉を食わないと精神が安定し、激高したり無駄アグレッシブさを回避できる。(これはメリットデメリット両方)

実際は、静かに穏やかに菜食をしている人がほとんどと思う。

信じられない人は、3日間完全菜食をして、自分人体実験をしてみるといい。

驚くほどメンタルが変わると思う。

2022-08-07

リベラル左派弁護士東野ネトウヨ学者

東野先生ですらネトウヨいか

じゃあ俺はもうネトウヨでいいや

https://anond.hatelabo.jp/20220806182309

DAという女の子に銃を撃たせるにしてはあまりにも大袈裟で、テーマ性をもたせるにはあまりにも投げやりな組織

ラジアータ犯罪の発生を事前に察知してリコリス容疑者殺害して回ってるわけだが、

犯罪について事前に察知することさえできれば事件を阻止するのは警察でもできてしまうため、

現場対応リコリスが行う必然性がない。結果的少女無駄人殺しをさせてしまっている。

犯罪の発生を隠蔽して表面上の治安を見繕うことにどれだけの価値があるのかを描写されていないので、

政府の指揮下にないとか政府より権力を持つとか滅茶苦茶な設定盛られているわりに

やってることが犯罪発生件数改ざんする程度の組織になってしまっている。

作中のテロリスト達と同様になんの理念も主張ももたない単に設定として置かれているだけの舞台装置

リコリス・リコイル

anond:20220807103756

ここに出されてる例なんて賭博禁止されてるけどなんか権力スルーされてる脱法状態、それで人生破滅してる人間が沢山いるって話なのに労働と同等の扱いにするのはなんだなあって感じだ

いまは山上感情的にほだされてカルト叩きしてるけど、結局自民に刷り込まれ自助精神は染み付いてる

ガバ」という言葉の定着に関して思うこと

まず、最初に共有しておきたい認識として「ガバガバという言葉グダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」「語源となったのは『真夏の夜の淫夢』」の2つがある。

かい経緯は発生源とも言うべきニコニコ動画がさすがの詳しさで書かれているので気になる人は目を通してくれ。

ガバガバとは [単語記事] - ニコニコ大百科

淫夢語録とは避けるべきものだ。

同性愛者を笑うという行為リスクについて日本もっと真剣に考えた方がいい。

同性愛保護の動きはいまやポリコレSDGsの一部となり、その勢いはキリスト教価値観さえも丸ごと変革を迫るほどのものだ。

日本フェミニストのように力もなく戯言を繰り返すだけの集団ではなく、同性愛保護は確かな権力と行動力、そして正当性を持って行われている。

現代においてはもうレイザーラモンテレビで扱えないだろうし、猫ひろしのようなネーミングセンス芸人誕生と同時にバッシングを受け干されるだろう。

今や淫夢語録はSNSYoutubeを経由して日本中に広がってしまった。

誰もが当たり前のように使っている。

そのせいで淫夢語録を使うことがリスクであることを認識していない人が多すぎる。

当たり前のように使っているという状態が皆で渡れば大丈夫だと思っていられるのはそれが外側で問題として扱われる前までだ。

たとえばここに世間から隔絶された人肉食とそのための殺人行為を繰り返す村があったとして、その内側で暮らす人はそれを問題としないだろうが、もしそれが世間に見つかれば彼らにとって問題がないとされていた行為咎められることになるだろう。

その際には「そこにいる多くがそれを異常と思っていないこと」こそが大きな問題とされより激しい「矯正」が待ち受けることになる。

からでもいいか淫夢語録を使うのは控えるべきだ。

分かっている動画配信者は積極的使用を控えている。

恐ろしいことに逆に淫夢語録を覚えることを目指している界隈もある。

代表的ものゲームRTA配信である……。

界隈に既にある文化に馴染むためにリスクを冒して異常な言葉を使うか、そういった風習から距離を置くために今からリスクのない言葉遣いを意識するか。

試されているのはモラルというよりもリスク管理だ。

情強を気取るはずのはてなーの中でも使用者が多いのが「ガバ」という淫夢語録であるわけだが、さて使っている連中はどこまでの解像度でその状況を客観視出来るているのだろうか。

リスクのある異常な言葉をあえて選んでいるという自覚があるのか、普通言葉だと思いこんでいるのか、それとも異常な言葉ではあるがリスクはないと思いこんでいるのか。

実は最悪なのが一番最後パターンだ。

そこを自覚した上であえてその最悪であることを楽しむ愚行権行使者もいるのだろうな。

ネットは未だにアングラであり世間から外れた態度を気取ることこそがここでの作法だと思いこんでいる頭の硬い老人ぐらいここにはいくらでもいるのだろうな。


追記

なんか伸びてるな。

伸びてる理由の半分ぐらいが「ガバガバという単語自体は昔からありますけど?」っていう文章読めてなさ凄すぎる人達によるものなのがちょっと不満ではあるが。

まあそういうアホはスルーするとして、「そもそもガバガバユルユルグダグダ辺りは意味が元々近いから、淫夢の影響なしでもこの表現へと派生していけるパスはあったろ」という指摘については素直に頷いておくか。

ただ個人的体感としてこの使われ方、特にガバ」「ガバる」「ガバってる」という形で使われる頻度が増えていった時期を考えると淫夢biimの影響は感じるんだよね。

そうして偶然ついたマイナスイメージに対して配慮をしていくべきなのかって話をしたかったんだが……まあ最初に言ったように「ガバガバというオノマトペは大昔からあっただろ」という反論が多数でそこまで話してくれる人が少なくてせっかく伸びたのになあという気分だ。

淫夢語録がどこにでも出てくることに違和感を感じる人がいたり、逆にそうやって違和感を感じること自体言葉狩りとして敵視している人がいたりするのは再確認できたが、じゃあどうすんのって話が聞きたかった。

いやまあここについては「使う」「使わない」の2択だって分かりきってるじゃんって話ではあるんだが、じゃあ他の人に「使わないことを推奨する」はどこまでやるべきなのかなと。

まあ「ガバ」については定着しすぎて気づかずに使っている人が多すぎるからもう気にしてもしょうがない感じではあるな。

微粒子レベル存在している…?」ほどは露骨じゃないから「昔からありましたけど?起源主張する人がおかしいんですけど?」で言い張った方が皆幸せ可能性はあるわなあ。

微レ存」「(便乗)」みたいなネットミームであることが明らかであるものについてだけ気をつけりゃ良いのかなあ。

「それさえ気をつける必要ないぞツイフェミレベルキチガイ言葉狩りガイジ」みたいなコトはてなーからは言われちゃいそうではあるが

2022-08-06

anond:20220806072158

自称官僚

間違った法令知識に基づき壺擁護するの巻

1 統一教会名称変更不受理行政手続法に反しない

 行政手続法は、1993年に制定された当初、その対象を(1)処分申請に対する、不利益)、(2)行政指導、(3)届出の3つに限定していた(行手法1条2項。なお「命令等を定める手続」が追加されたのは2005年改正)。この3つは限定列挙である(註1)。

 対象がこのように狭く限定されたのは、比較異論の出難いもの対象を絞り、その実現を容易にしようとした、という政策上の理由だった(註2)。むろん異論を唱えていたのは、手足を縛られたくない霞が関官僚であり、長年与党に君臨し続けていた自民党である

 宗教法人法は、宗教法人名称を変更する場合、「所轄庁(文化庁)の認証を受けなければならない」と規定する(宗教法人法26条1項)。認証は、(1)処分、(2)行政指導、(3)届出のいずれにも該当しない(註3)。

 以上より、宗教法人名称変更には行政手続法適用がない。1997年前川氏が文化庁宗務課長として決めた、統一教会名称変更を不受理とする水際対処方針は、違法ではない。

 第2次安倍政権下村文科相下の2015年8月に、この方針が変更され名称変更申請受理され認証された。この間、行政手続法は数次の改正を受けているが、22年8月現在認証対象に含まれないことに変わりはない(註4)。

2 このような運用が生まれる背景

 むろん文化庁対応が、堂々と胸を張れる正当なものだったか議論余地があるだろう。違法性と不当性は別の問題である違法ではないとしても不当という評価はあり得る。行政手続法対象限定したものだったとしても、行政手続の明確性・透明性を図るという精神に反するという批判ができるかもしれない。文化庁の取り扱いは、宗教法人法恣意的運用であるという批判ができるかもしれない。この点は次の3で考察する。

 まずここまでの流れを見ておく。日本行政は、昭和時代、各種のグレーゾーンに漂う手法



などが公然用いられる不透明ものだった。どこが担当か明らかにせず、省庁をたらい回しにするなども問題視されていた。

 平成に入ると国会限定的ながら行政手続法を制定した。行政法学における議論の進展、それらを反映した判例法理が、一定規範提示する努力をしてきた。しかし、もともと行政対象とする活動は極めて広範多岐に渡る。それぞれの分野で専門技術知識要求される。官僚の高い専門的見識に依存せざるを得ない部分がどうしても大きい。すべてを詳細に法律であらかじめ定めて、グレーゾーンをなくすことは不可能ともいえる。

 ところが、それを口実に官僚政治家は、行政コントロールする詳細な法律の制定を極力回避しようとする。仕事は誰だって自由気ままにやりたいのだ。都合の悪い話には手をつけたくないのが世の常だ。省庁の業界団体国民個人に対する影響力は、省庁の権力の大きさそのものである。当然、予算獲得にも影響する。天下り代表される利権だってあるかもしれない。政治家口利きで介入できる余地をできるだけ多く残したい。特に閣僚を選出でき、影響力が大きい与党政治家にとっては、政治力と集票力の源泉となる。これらがひどい場合汚職問題まで発展することになるわけだ。

 現在でも日本行政運用にゆだねられている部分が大きい。あげ連ね始めれば、文化庁統一教会名称変更不受理で行った程度の話など、あらゆる省庁から出てくるだろう。(むろんそれを放置していいと主張するわけではない)

3 文化庁方針は不当でもない

 統一教会名称変更問題では、次の点に留意する必要がある。

 宗教の名を借りて悪徳商法まがいの献金集めを行う集団が、その悪名を隠すために名称変更を試みる場合、端的に拒絶できる仕組みが必要だった。被害拡大を防止して国民を守るためである。あるいはそもそもそのような集団が、宗教隠れ蓑宗教法人としての信用・恩恵を得ていること自体おかしい。宗教法人になることを認めるべきではない。法人化後でも剥奪するシステムを用意すべきだろう。しかし、1997年当時(そして現在も)、そのような仕組みは作られていない。国民を守る法律がなかったことが問題なのだ。作らなかったのは長年与党だった自民党責任が最大だ。

 法律がない中、文化庁ギリギリ違法とはならないラインで、不受理方針を決めた。統一教会名称変更できなかった不利益過大評価して、文化庁方針を不当と断じたらどうなるか。それは統一教会による被害拡大は黙認するという考えと表裏一体である文化庁方針を不当とはいえないだろう。付け加えれば、統一教会名称変更不受理によって、文化庁前川個人が受ける利益は想定できない。ここに私利私欲はない。

 一方、この方針を変更して統一教会名称変更を受理した安倍政権下村文科大臣(当時)はどうだったか想起してみるべきだ。既に自民党清和会)と統一教会関係は、外形的公正性が破綻している。

 安倍政権下で私利私欲疑惑が持ち上がるたびに、そもそも従来の行政運用形式的法令に乗っ取っていない、違法だという切り返し政権周辺から繰り返された。清和会がらみだと、通常ではお目にかかれないような擁護弾幕が張られる。あるべき法がないための苦肉の運用がなされている時、形式論で法令通りの運用に戻しただけとうそぶき、私利私欲を満たすのが政治家仕事ではない。国民のために必要立法を行い、法改正をするのが政治家仕事である

4 誤魔化されないために統一教会問題本質を今一度確認

 統一教会朝鮮半島被害者性を根拠に、日本からお金女性韓国のために献上することを正当化するかの教義を掲げている。これまで霊感商法合同結婚式で多くの日本被害者を出してきた。政府自民党は長年にわたって、そのような団体政治的連携してきた。国民注意喚起すべきところ、安倍政権下では逆にお墨付きを与えたと捉えかねない言動を強めた。

 統一教会問題は、政府自民党がそのような団体と明確に手を切り、国民を守るために責任ある態度に転換できるか否かが本質である

脚注

註1 塩野宏行政法Ⅰ」有斐閣(第3版、2003年)p249

註2 藤田宙靖行政法Ⅰ(総論)」青林書院(第4版、2003年)p151

註3 前川氏が「「認証」は事実認定する行為を指し、「許可」や「認可」とは性質が異なります。」とわざわざ指摘しているのはこの意。

より正確には、認証とは、一定行為文書の成立・記載が正当な手続によってなされたこと(事実)を行政確認する行為

処分行政指導、届出の定義行政手続法2条参照。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308472

註4 Q1 行政手続法とはどんな法律ですか?

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/tetsuzukihou/faq.html#Q01

anond:20220806101719

それは別にカルト関係なく、いろんな思想団体についても同様で

「正しいとボクが思う」で法を破っていい話はない

アンパンチが許されるのは創作の中だけで

子供だろうが私刑は叱らなくちゃいけない

これが大人なら、そして権力を持つのなら、当然に束縛や罰則は大きくなるべきだ

安倍からぼた餅

安倍さんが倒れ、影にいた統一教会直射日光

安倍さんが票の差配などで自民党内でも権力を振るっていたとの記事も出ており、ということは煮え湯を飲んでいた人たちにはハンターっチャンス

巨大な安倍石の裏にいた虫たちが逃げ切るつもりでグダグダ言い訳を続けるあいだに支持率は下がっていく。来ました内閣改造支持率回復ボーナスステージ

【速報】おや、おやおや、NHKがアップを始めた模様です

くさい奴らを外すだけで評価あーっぷ、ってこんな美味しいクエストこなさないわけがない

さらに息のかかった議員によって歪められていた政策を元に戻すだけでも評価あーっぷ

なんか香川ゲーム関係ももしかしてなんて話も出てましたし

あとは反社指定ですよ。頑張れ岸田さん

anond:20220806000538

左翼が心置きなく騒げる国こそが健全な国なんだよ。

中国なんか共産党に押さえつけられた左翼たちがことごとく刑務所に入れられてる。

アメリカ議会占拠されても左翼政治権力を取り戻すどころか、大学では逆に左翼が攻めの姿勢右翼教授退職に追い込んでる。

健全度は アメリカ日本中国 といったところ。

2022-08-05

パヨさんそろそろ気付いてよ

「巨悪叩き」で国民が振り向くことはないことに

パヨさんが没頭するほど盛り上がるほど国民はシラける

だってそんなことしても自分の稼ぎが良くなるわけじゃないし

国民は学んだんですよ

巨悪とやらを倒した相手バカだとそれ以上の悪になることを

バカ権力持たせちゃいけないことを

政治を任せるなら清廉潔白バカより仕事のできる悪党なんですよ

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3920s

1:05:20~1:10:25

Sara Ahmed, "You Are Opressing Us!"

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うためのプラットフォームを与えられ続けたり、あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。しかしそれだけではない。そこであなたが目にするのは、権力メカニズムなのだ。」

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める欲望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な言語行為が次々と述べられるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだという証拠を望んでいるから、である。」

この枠組みを非常に早い時期に的確に指摘したのが、イギリスフェミニストとして知られるSara Ahmedです。

2015年のブログ記事でAhmedは、ガーディアン紙に掲載された、これ別の書簡なんですがこれも公開書簡です、

個人に対する検閲や口封じを許すことはできない」というタイトルの公開書簡を取り上げます

この公開書簡英国でのいくつかの例を取り上げつつ、

トランスジェンダーについてあるいはセックスワークについて特定批判見解を持つフェミニストたちが、

大学沈黙させられているというふうに主張するものでした。ちょっとここ分かりにくいんですけど、

2015年の英国のこの文脈では、沈黙させられているというふうに主張しているフェミニストたちというのは、

階級的にもそれからジェンダーモダリティという点でも、いわば多数派の側になります

Ahmedは、公開書簡で取り上げられている例というのが実際には、特定見解理由にした検閲だったりノー・プラットフォーミング、

ノー・プラットフォーミングっていうのはイギリス運動なんですけど、

イギリス学生運動の中で採用されてきた戦略で、非常に危険で受け入れ難いと見なされた見解とか信念、それこそネオナチとかです、

そういうものを公開する機会そのもの提供しない、そういうのがノー・プラットフォーミングといわれるんですが、

ただAhmedは、この公開書簡で取り上げられている例が実際には、

そういう検閲とかノー・プラットフォーミングには当たっていなかったということを、事実確認した上で、

にもかかわらずこれをあえて、キャンセル検閲、口封じ、ノー・プラットフォーミングという形で主張することで、

どういう効果が目指されているのか、ってふうに問います

これAhmedの引用なんですが、

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うために

そういう発言をするためのプラットフォームというのを実際には与えられ続けていたり、

あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時に、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。

しかしそれだけではない。そこであなたが目にしているのは、権力メカニズムなのだ。」。

まり検閲された、口を封じられたという主張それ自体が、

検閲され口を封じられたはずの側がより力を獲得する、そういう目的のためにされていると。

からこそ、検閲され口を封じられること、言い換えればキャンセルされることというのは、ここではむしろ求められている。

キャンセルされたいんですね、どっちかっていうと。

次の引用ですが、

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める希望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な」、これoffensiveですね、「侮辱的な言語行為が次々となされるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、

他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだというそ証拠を望んでいるから、なのである。」。

からキャンセルされると、そのキャンセルされた人ということでどんどん力が集まって、むしろキャンセルされたい。

キャンセルされるために、より侮辱的な、よりoffensiveな言葉が発せられるという、そういう仕組みができてるというのが、

Ahmedの見立てなんですね。

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、と考えている。しかし、トランフォビアや反トランス発言を、ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消するべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、対話などしようがない。あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議や対話」をするとしたら、「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである

学問あるいは言論の自由というもの支点とした、抑圧側と被抑圧側の逆転の構図、

表現を変えるのであれば、抑圧されて周縁化されてきた側からの異議申し立てを封じるための口実、

あるいは道具としての、学問とか言論の自由の利用っていう、

今日の報告では、90年代からこの図式が少しずつ洗練されつつ引き継がれた様子っていうのをざくっと見てきたわけですが、

その図式が現時点で到達しているのが、自由侵害された口を封じられたという主張が、

実は封じられることもなく自由に繰り返され拡散されることで、力をさらに獲得している、

クリックアルゴリズム時代キャンセルカルチャーというパワーメカニズムだ、ということになります

からこそ私たちは、国家や強力な組織経済あるいは社会規範要請などから学問の自由というものを守ると同時に、

現代の今2022年時点の学問の自由というのが、もろ刃の剣であること、学問の自由特定の利用には警戒すべきであるということを、

忘れてはならないと思います

最後にこういう自由濫用というものサバイブするためにAhmedが提唱した戦略引用して、私の報告を終わりにしたいと思います

「この書簡は」、先ほどの公開書簡ですね、

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、

健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、というふうに考えている。

しかし、トランスフォビアや反トランス発言を、

ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。

食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。

あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、

「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。

特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」。

ありがとうございました。

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

前置き

2022.7.24 一般公開シンポジウムフェミ科研と学問の自由

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI

より、清水晶子氏発言部の文字起こしである

長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。

分割の境界スライドにある番号に従うが、副題は増田判断である

スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。

講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしベースに、

増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。

質疑応答部、スライド部の文字起こしはすべて増田が行った。


批判記事の紹介

まず、江口先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。

加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセルカルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生記事

なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルタイプ言論の自由擁護」として紹介されている。

また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、

他、法学専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、

(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s

40:57~48:23

2022/7/24

学問の自由キャンセルカルチャー

清水晶子(東京大学

菅野優香

はい、お二人目は清水晶子さんです。

清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています

フェミニズム・クィア理論をご専門とされ、

研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体他者性、自己表象生存戦略可視性を巡る問題などがあります

最近英語圏フェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。

主な著作に、

Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision英語の本です、2008年

「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィアポリティクスのために」、2019年

フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、2020年

フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります

清水さん、どうぞよろしくお願いいたします。



清水晶子:

はい、ご紹介ありがとうございます清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、

本日は「学問の自由キャンセルカルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います

少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。

学問の自由とは

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者、教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」

1998年 国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任

学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。

一般的には、大学だったり研究機関とかっていうものが、

政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的権力だったりというところから圧力を受けることなく、

さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学経営陣あるいは多数派社会的通念・経済的要請などから

不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問良心手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。

例えば、1998年国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任」という文書があるんですが、これによると

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者・教員学生が、

倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、

そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」というふうにされています

学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判文脈における学問の自由の主張というのは、

ある意味まさにここに相当するもの王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います

2000年代前半:ジェンダーバックラッシュ

過激性教育ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム

2014年広島大学でのいわゆる「従軍慰安婦」に関する講義

産経新聞による吊し上げ↑ 日本科学者会議広島支部幹事会による抗議

2020年日本学術会議会員任命拒否

日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」提出(日弁連

残念ながら、日本フェミニズムとかマイノリティ政治に関わる研究者にとって、

今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。

からこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。

今世紀に入ってから過去20年に限定しても、

2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、

ここでは与党自民党プロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体使用疑義提示されたりしている。

2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学研究者の授業というのが、

先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、

批判や抗議が大学殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由侵害であるというふうにして、

産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。

もちろんさら記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、

日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。

この任命拒否については、憲法23条保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、

2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」というもの総理大臣に提出をしていると。

これらの事例での学問の自由というのは、この重要性、

この意味での学問の自由重要性というのは、本日シンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます

学問の自由」の濫用

差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由侵害」とする言説

その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、

もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います

今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、

国家とか、強力な宗教団体、経済団体多数派社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、

研究者の社会的通念と研究手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています

その意味では学問の自由という枠組みは、

力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、

研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。

ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。

すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、

これは「学問の自由侵害であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。

これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。

二面での闘い

国家による学問の自由の明白な侵害

②現状を追認し被抑圧側の異議申し立てを封じるための口実としての学問の自由の動員

結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、

私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。

けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、

抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。

学問の自由を巡っては、フェミニストには現在ういういわば両面での闘いというもの要請されている。

この現状は忘れるべきではないと思います

実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、

ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、

こういうタイプの、マイノリティ権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由侵害」という枠組み、

この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、

これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

2022-08-04

anond:20220804163314

インターネット老人会にいる脱ネトウヨした者だけど

ウヨはなんでも二項対立でサヨ、日本人じゃない認定しすぎて脱落者増やしたんだよ

自民応援にも色々いると言われりゃそうだが、反自民にも色々いる上で攻撃的なレスバトルしかけられて疲れてしまった

安倍応援しなければ愛国にあらずという雰囲気がどんどん強くなってしまった

安倍は親しい組織は庇うし批判権力で抑えつけることに疑問持つ者が増えてもしょうがない

から統一スレには一つ二つレスつけたけど伸びないし、叩いてたのは祭り起こすような多数派ネトウヨじゃない

統一批判してないと指摘されてるのはまとめサイトも好きなイナゴみたいなウヨ達だろ

anond:20220804125250

理系は危ない、サリンとか変な電気ヘルメット作りそうだとかというレッテルが貼られて理系を志す人が大幅減。一度志してもその時の家族彼女に強く引き止められて文系鞍替えするケースすら多発していた。

女の子STEM嫌いにも一役買ってる。

サイエンジー=カルトって思われてる。

彼氏理系に行くのすら引き止めるんだもの女の子自身理系に行くなんてなおさら嫌がる。

文系ジェンダー論やりながら反カルト•反権力サークルに入る方がまだまし。

ポリコレの真の意味

ポリコレポリティカル・コレクトネスの略で日本語だと「政治的な正しさ」と訳される。ここで注目するべきなのは政治的な」という部分だ。そうだ。政治的なんだ。どこまでいっても政治的倫理的に正しいわけでも絶対的に正しいわけでも世間的に正しいわけでもない。あくま政治的。どういう為政者権力の側にいるか。それでポリコレ時代によって変わる。例えば日本戦時中敵性言語排除なんかもポリコレだ。ストライクボール!と言うと攻撃されるのは完全にポリコレであるそもそもポリコレというのはナチスヒトラー旧ソ連スターリンが好んで悪用していた概念である。気に入らない言説を全てポリコレに反するとして幾千もの書物を焼いたし人間を焼いた。君たちが普段軽々しくバカにしているポリコレは実は非常に怖いものだ。ポリコレは全力で排除しなければならない。

anond:20220804105515

政局はともかく、改善をしてほしい気持ち

安倍さん隠蔽見えない化し続けた権力構造や黒い関係性を明確にして、それが反省すべきものであれば対策を反映してほしい。

これが自民党内でできないというのなら、その分のコストを支払わなければならない。権力と数の一定喪失

まりプーチン靖国もほぼ統一教会ってことじゃん?

安倍権力を築き上げるために上っ面だけ興味あるふりして利用してすり寄ってきたという同じ構文の中にある。

経団連もそう。

安倍が関わってきたもの全部統一教会と同じ類の存在

ロシア靖国日本経済、全てはカルト

2022-08-03

ジャンプ編集者ドラゴンボールを全巻読んでいるべき」とか思ってるやつにエンタメに関わってほしくないな

消費者の側としてもね。

だってそうじゃん。

創造性や多様性ってもの否定してるよね。

そういう「俺の考えるような人間こそが正しい人間。どういう人間が正しいのかは俺が決める」みたいな奴がエンタメに関わると最後には独善から表現規制推し進めるようになるよ。

でもさ、そういう連中って結局は「俺の思う正しさ」のぶつけ合いが人生の全てだから自分より権力の強い人が「俺はこう思う」と口にしたら黙って従うんだよね。

戦時下新聞社が大量の大本営発表を繰り返してきたのも、その根っこにはそういう人種の関与がある。

あーこうなるともうエンタメだけじゃなくてあらゆる表現から遠ざかってほしいね

地下労働施設で10年前の新聞を読みながら死ぬまで単純労働だけしていて欲しい。

地表には出てこないでほしいわそういう人種

最近カルト宗教叩きがひどい

忙しい人のために要約「信教の自由人権構成要素のひとつでとてもとても重いこと」

そして追記

ブコメ見てもトラバ見ても、本気で信仰のしの字も知らないまま書いてる人だらけなんだなというのがよくわかった

もちろん4、5人くらいはちゃんとわかってそうな人はいましたけども

少な過ぎだよね

そりゃはてなカルトに対する雰囲気が不穏になるわ、と理解した

専門書が難しいならせめて新書の一冊でもいいから、キリスト教でも仏教でもいいので、何か宗教信仰について学んでから議論に参加して欲しいか

知らないということは恥ずかしいことではないけど、知らないことに目をつぶりながら自分正義世界正義、みたいな雰囲気で語られても、こっちは恥ずかしい気持ちになるだけだったよ



以下本文

もちろん、反社会的行為犯罪行為に対しては、法の範囲粛々と対処する必要はある

国の在り方としては、教義がどうであろうと、犯罪行為が免責されるわけではないのだからそれは当たり前のこと

ただ、宗教とは科学ではないのだから合理的な部分も多分にはらんでいるのが普通だよね

でも、だからといって現代社会理解されにくいことをやっているか否定していい、というわけではない

そりゃあ、今の時代そんなことまだ信じてるの?あり得ないじゃん、みたいな話は多く含まれているよ

でもそのせいで宗教おかしもの、ということにはならない

日本人自身宗教性に無自覚である人も多く、何なら宗教嫌いを自認している人も多いからピンとこないかもしれないけども、

宗教とは文化を作り、道徳を作り、習慣を作っている土台なわけよ

何百年生きている神社大木神秘性を感じるのも、おまもりを踏みつけたら何となく罰が当たりそうな気がするのも、日本人宗教性だし、

お盆になったらじいちゃんのお墓行ってやるかー、というのも日本人宗教性だよね

アホらしいわと言いながらも葬式なら坊さんに高い金を払うし、初詣に行けばお賽銭を払う

無自覚だけど、本当に不合理な宗教的習慣!

もっと宗教意識ないところでいうと、節分に豆をまくのも、桃の節句ひな人形を飾るのも魔除けだし宗教行事

もちろん信仰があるからやっている人は少ないだろうけど、ひな人形を飾る時は誰しも愛しい娘のためを思って飾っているはずだし、

もはや信仰意識せずとも習慣レベル宗教行事をやってしま日本人って、世界一深い信仰を持った民族だと俺は思っているよ



まだまだあるぞ

女が土俵に上がれない、女は高野山に入れない、女は宗像大社の島に渡れない

不合理感増してきた?

女は教育を受ける必要がない、女は肌をさらしてはいけない、これはイスラムだけど、ここまでは許される文化でここからは許されない差別、だなんて線引きは可能

線引きが可能だとするなら、その人は「自分普通人類普通」と妄信している人だけだ

イスラム男尊女卑は、かつて環境過酷だったため、強い男性ができる限り多くの女子供生存責任を持つシステムが、集団として有利に働いた、という説もある

いま、多くの人が死を意識せず豊かに生きられる世界になっているため異質に見えるけど、選択圧が強い環境だとイスラム方式のほうが集団遺伝的に強くなるでしょう

競走馬も同じだと思う

それこそ時代環境が変われば正しいことなんて変わるんだよね

今でこそ女性解放は「正しいこと」だし女性への教育ノーベル賞になる時代で、俺自身もそれで正しいと思うけど、それと同時に、決して女性を抑圧する文化圏を否定していいものとも思えない

そういうわけで、どの国の人も、どの民族も、どの宗教の人も、それぞれがそれぞれ正しいと思う信仰を持っていて、それに基づいた習慣と価値観を持っているんだ

それを理解することは難しい

納得して、理解してあげよう、というのは大概の場合無理で、わからんなと思いつつ、ただその存在を認める、というのが多文化共生の基本と言われている

国際結婚もそう

結婚するほどお互い好きでひかれていたとしても、結局のところ結婚生活の秘訣って、「相手理解しようとしないこと」って言われたりする

ただ認める、それだけでいいわけで、理解しようとすると破綻やすくなる

そして、そのような価値観多様性を認める上で、多くの先進国では「信教の自由」がある

日本ももちろん、憲法で定められている

日本憲法20

第1項

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

第2項

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

第3項

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。


なので、どれだけ奇異にうつる内容でも、その人の信仰がそうならそれを認めるのが人として正しいこと、というのが現代国際社会の正しい振る舞いなのは間違いない

輸血を拒否して死ぬとしても、輸血が許されないことと信じているならそこに無理やり輸血してはいけない

現生で恵まれて生きるほど、あの世で魂がけがれる、と信じるなら、現生で信じられないほど貧しかったとしても助けてはいけない

我々だって海外留学する時に家族が持たせてくれたお守りを、外人馬鹿にして投げ捨てたりしたら嫌でしょう、何も意味はないんだけどさ

そしてこれは、海外文化だけではなくて、日本国内の新興宗教にも同様の態度でなきゃいけない

から

カルト宗教ってめちゃくちゃ難しい話なんだよ

自分理解できないから叩いていいとかではないよね

犯罪を起こす人がちょいちょい出るから、危ない集団だ、というのはわかったとしても、その教義信仰のもの否定していいわけでもない

自分意思自分財産寄付したならそれを悪とすることはできない

その金額に上限をつけることも勿論できない

家族お金会社お金を不当に寄付したなら当然そこは法の範囲横領などで追及できる

でも、どんな人であれ、「その教義は間違っている」なんていうことはなできないんだよ

教義を実行したら犯罪になる場合だけ、それを犯罪行為として対処できるし、それが多発するなら公安監視対象になるのが現状

そしてそれでいいと思っている

まり問題が多い場合に関してのみ、最小限の指導を入れる程度が限界だし、それ以上してはならないと思っている

信教の自由って重いよ

かつてクリスチャン弾圧ヨーロッパでも日本でもあったの知っているでしょう?

宗教対立戦争になった歴史も知っているでしょう

信教の自由は最も重要な、「人権」を構成する要素のひとつなのは知っているでしょう?

知らない?

漫画表現とかでは「表現の自由戦士」とか言われるけど、俺はどっちかというと、「信教の自由戦士」というか、「人権戦士」なんだと思うわ

カルトから問題いから、という理由だけで、ある人々にとってはおそらく純粋信仰であるもの否定するのって、やっぱり間違っていると思う

anond:20220803090132

京大のと違って権力欲をビンビンに感じるのは東大地場なんだろうなあ

平成以降の総理としては、小泉さん安倍さん任期が長く、小泉さん構造改革スローガンのもと、表立ったパフォーマンスを含みながら政治を行った印象があり、安部さんは裏側でセコセコ権力ブロックを積み重ねた印象が強い。

anond:20220803080851

権力欲に突き動かされ、有象無象の力を借りて、保守的政治家の在り方を破壊し、それを隠すためにネトウヨ的な言動対立軸を生み出し、失敗した経済政策の結果GDPの数値を改竄し、任期が長かった人。

2022-08-02

話し合いには絶対に応じるつもりは無いが、話し合いで問題解決を図るべきだと言い張る民主主義

権力地盤を強固にしようとすればするほど徒党を組んで、それ以外を排除しようとする

anond:20220802205311

早稲田女性准教授の例もあるし、権力を握ったやつが自分性愛を優先することは多い。

女性権力を握るようになるに従って、女性による依怙贔屓も増えていくことだろう。

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