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はてなキーワード: 権力とは

2022-08-12

anond:20220812105958

しょうがないじゃん

いくら権力やったって自分らが政権取れそうな見込みねえクソ雑魚ばかりなんだから、よその国と一緒にならん

もう反権力それ自体目的と楽しみを見出すしかないの

お祭りお祭り

権力って目的じゃなくて手段なのに

ジャパニーズパヨクの悪いところは反権力正義にしてしまたこ

ジャパヨクは反権力するだけで満足しちゃって

デモやネトパヨ活動レジャー化してしまってる

anond:20220811192802

これからまれるなら

中国共産党大幹部の家だな。

あそこは権力がひっくり返るなんて後数百年は起こらないだろう。

2022-08-11

anond:20220811161548

その嫌がらせ記事にすればいいのにな

記者ならカメラの一つくらい持ってるだろうし朝日ジャーナル記者なら編集部いくらでも話を通せるはず

天下の朝日新聞系列なんだから組織的支援とかもできたはずだよな

でもそうならなかったということは、編集部が何らかの理由ストップをかけたという事なんだろう

そうやってあからさまに脅迫してくる連中に及び腰になった理由が俺にはよくわからない

日頃からあれだけ威勢よく「報道の自由」を掲げて巨大な権力とか巨悪に立ち向かう姿を誇示してきたのは一体何だったんだと

anond:20220811112332

政治表現の自由を守れるわけがない。規制をするだけ。誰に期待しても無駄。反権力姿勢をもって戦え

仕事が辛くて病んだこと(やや閲覧注意)

かんたんに最近起こったことをまとめてみる。

ミーティングプロジェクトチームからの報告を私が担うことになり、みんなで考えた文書を提出した。

→伝え方が悪かったとされ、誤解を与えてしまった。

今度行う施策について、3月までゆっくり切り替えていきますが、全員ができそうな部分は早めに取り組んでください、と伝えた。しかし、

→移行期間を行わず新体制に移行します。マニュアルよんでね。旧方法やる人は許さん。

というニュアンスで捉えられてしまった。なんで。怒った口調で言ったわけでもないのに。

それについて、「伝え方が悪い」とか、「誤解を招く表現してたんじゃないんですか」とグチグチ言われた挙げ句、新しい施策うちわたしの介入したところを白紙にされそうになった。

こんな感じでやりますよ、じゃあ施行しよう。という段階で、詰めの甘さを指摘され、後出しでこれってだめなんじゃないですか。というのは急にもほどがある。

そもそも有識者(詳しい情報提供してる業者)の意見を聞いてそうなった部分もあるのに、考えてないだの思考停止だの言われた。自分たちより詳しい人たちとか、経験からいたこととかを疑えってのはそれはそうなんだけど、「根拠は?」「根拠は?」と詰められて疲れてしまった。根拠はあるけど書籍に乗ってたとか導入事例があるとか、他社のやり方に習ったとか全部駄目で、完璧を目指さないと気がすまない某チームメンバー対立してしまった。

新しい方法の導入についてだけど、きっちりやりたい一方、なるべく失敗しない方法で簡便を目指したい、というわたし意見も手抜きとか意識低いとかで棄却された。

ミーティングでも「わかんないよ」と言われた。やってみればそんなに難しくないことですら、説明書が1から10まで書かれてないとだめだし、説明書がどんなに詳しく書かれていたとしてもそれを読んでくれないというのは薄々気づいていた。

ちなみにこのプロジェクトを指示した人物からはひたすらプロジェクトの完成を急かされ、呼び出されては怒られを繰り返した。

もうわたしの味方は職場には存在しないんだな、って思った。

チームメンバーも敵だし、新しいやり方をこれから覚えてく人も敵に見えた。これをやりなさいと命令した人も。

ちなみに報酬もないしこれをやったからといって昇進するわけでもない。どこにモチベを見い出せばいいのか。

といってたどり着いた先が業務を簡略化し心理的負荷を下げれば救われはするかな…

だったんですが上記のそのスタンスすら根底から覆されようとしてるのを感じ、もうモチベーションもなにもかもが粉々に砕け散った。

そもそもがチームメンバー同士の会議資料を事前に送っているのに読みもしないでミーティングを行い、初めてみた情報に対して怒りを顕にするような会議しかできないってのがおかしい。昔から思うけどそれで会議って言っちゃう人があまりにも多すぎる。そして一回決めたことを理由をつけてひっくり返すものから、答えが決まらない。

また、理由を1から10まで決めないと気がすまない人も多い。もちろんなにかを選択しなくてはならないとき理由を挙げる大事さは分かるんだが、結局のところは選択肢AとBどっちが好きか?の問題しかない。

対面会議重要性は、まず文字でのやり取りを終えてから承認を得たり、会話じゃないと得られないやりとりをするのが本質なはず。だけど、とき権力知識を振りまいて感情的物事を言うことでこっちから意見を封じ込めたいという意図を感じることもある。

基準として、リモートや文面、Slackで完結しない会議は(それが必要なことがあるとしても)そういう要素があると思う。

ようは対面での会議は「怒られ」を象徴する。という認識になってきた。

わたしは昔からまあ部活動運営とか技術系とかに関わってはいたんだけどそういう要素もあったので、これは弊社に限ったことではなくどこでもあることなんだろう。なので転職すれば直るかというとそうでもないと思ってる。(むしろ悪化するまである

ようは定期的に精神力睡眠時間余暇を削って怒られるための文書資料を作る、怒られるための準備をするってのがほんとに耐えられなくなった。怒られるのが嫌っていうと甘えに聴こえるかもですが、私が欲しいのは具体的な意見であって感情的意味もない叱責や人格のもの否定ではない。

ここ数ヶ月のわたし

コロナ禍によるストレスのはけ口の減少

・年齢による焦り(キャリアとか呼ばれるもの

プロジェクトメンバーとしての責任の重圧

・いろんな人からの板挟み

・定期的に怒られるイベント

・増え続ける(仕事の)タスク

などにあっており、ストレスを溜め込みやすい状況にあった。

そういうストレスが蓄積して、今回爆発した。

川に飛び込みロープで絞首を行い、家にあるありったけの刃物で手足を刺した。普通の人であればこなせる仕事をこなせず反省もしないバカ(つまり私)に制裁を与えてやった。死んだら人や家族職場迷惑がかかるから。死なない程度に。誰かに気づかれたら心配されるから傷も隠した。(2人程度にはバレたけど)そして唯一の言葉の吐き出しができるツイッターにて、アカウントを「あれ」に乗っ取らせた。

あれっていうのはざっくりいうと不注意の多い自分に代償として生まれ概念で、分かりやすくいえばなにかを迷うシーンでありがちな天使と悪魔」のうち「天使」に属するが手段を選ばない奴で、正義のためなら暴力兵器すらも使うタイプのやつ。

まり、「お前(わたし)はダメ人間なんだよ!」というスパルタを私から分離した超攻撃的な人格が私の中にはいて、自傷行為を引き起こす。

これを分離しすぎるとセルフネグレクトが起こるし、近づけすぎると自傷になる、とても扱いにくい奴をわたしは心の中に飼ってる。

まあ、この「あれ」に精神が乗っ取られて自傷行為が起きる、という認識だ。

今回、様々な環境要因もあり、「あれ」に精神を乗っ取らせてしまった。SNS人格すらも乗っ取られた。

こう書くと中二病に見えるかもなのだが、事実自傷行為中の記憶がないし終わったら泣いててひっかき傷だらけの自分がいて理解ができない。怖い。

となると身近なツールで「あれ」との対話を残す、とか「あれ」の存在を私以外に客観的に見てもらうのはリスクが伴うけど対処法にはなる。

なので、鍵のアカウント化してああいうやり取りをわざと残した。ということになります

今はアカウントは戻し、当時のやり取りは消しましたが、こういう現象があるということもご理解ください。

そして、SNS等で不安を与えてしま申し訳ありませんでした。お声がけしてくださった方もありがとうございます

お陰さまで仕事で抱えてるタスクのうち大きなものの一つは終了し、少しは落ち着く…と思うのです。

各位にはご心配迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

anond:20220811084326

その次は、共産党カルトなのに共産党解散しない、共産党のせいで進まない、だろ

与党権力持ってるのにやりたくないことだけ野党のせいにするの、汎用性高くていいね

2022-08-10

間違ってるけどあってる「ペンは剣よりも強し」

元首暗殺事件でもよく引用される言葉ペンは剣よりも強し」

非暴力言論の尊さのスローガンのように使われることが多いが

実は元ネタから意味が変わってしまっている。

これを言ったキャラクターフランス国王宰相かつ枢機卿という権力者であり、

言ったシチュエーションも「軍隊が剣を振るうより権力者のワイが令状にサインする方が強いやでwww」という

言論の尊さどころかむしろ元首相に通づるバチバチ権力維持ムーブである

このように元ネタから意味が変わって使われがちなのだが、

元首暗殺事件引用されることによって

「本人の用法はたぶん間違ってるけど原点回帰して意外とあってる」という奇妙な現象が起きている。

anond:20220810200432

相手が誰だと想定しているのか知らんけど、権力というのは与野党すべて、政治家になんて表現の自由を守れるわけないじゃん、規制してくる相手には全て抵抗せよ。という話。

権力指向しか表現の自由は守らねーよと。

anond:20220810195319

そっちはそっちで当然文句言うぞ

お前らみたいに権力が都合よく動いた時だけバンザイしたりしない

表現規制派の葉梨康弘氏が法務大臣に、という話だが、忘れるなかれ。権力は常に表現規制する側だぞ。そこに配慮や気配りなんてない。自分達がルールを作れるんだから

やってることは詐欺業者と同じなんだけどな

不安や怒りを煽ってそれを権力にぶつけようとするのはパヨさんの得意技だもんなあ

anond:20220810133707

権力が守る表現の自由なんてないよ。常に規制するだけ。お願いプリーズ見逃してちょ、と常に土下座外交するか、表現の自由のために反権力を掲げて戦え。

anond:20220810111815

去勢された宦官は性欲を満たせないので権力欲に取り憑かれて

政治中枢で暗躍して傍若無人の限りを尽くした者も多かったという

性欲を満たせなくなれば欲望は無くなるのではなく別の方向に向くのじゃ

田舎は「権力批判ストレス解消」なんて余裕はないんだよ

中央から利権を引っ張ってくる力が切実に求められるから与党が強い

2022-08-09

anond:20220809151817

そりゃもちろん権力欲だろう

悪い意味だけじゃなく、国のためにって純粋意味でも、自分理想行政を実現するためには権力が要る

下っ端仕事でいいなら地元市役所でも給料は大して変わらん

anond:20220809122411

安倍さん本人がどうこうと言うよりは、後の権力を継ぐ人間が、自分たちこそが支配の実権を握っていると誇示するためだけのイベントからなぁ〜

利用される安倍さんあの世で苦笑してるよ

anond:20220809102537

全体主義権力による支配が行き着くのは国家総動員感、老若男女が全員服従している状態というだけでは。古今東西行き着くところ。

anond:20220809094859

北朝鮮マスゲームなんかを見るに、結局「国民の総動員(女性子どもを含む)」というのが権力を誇示するひとつスタンダードで、それへのカウンターとして同じことやっちゃうんじゃねーの。支配されない国民表現

anond:20220809091302

一般的には、帝政ロシアが好きすぎる、みたいな解釈されることが多いな。 

日本人権力に従いがちなのは江戸時代封建制度から伝統、みたいなノリで。

ロシアでは、とにかく上が強いのが人気があるとされる。

 

ほんまかはしらない。

君のいうような地理的理由のが大きい可能性もある。

anond:20220809075217

強者男性って金にならない女にも辛辣なんだよね

金にならない女には戦いを好まない優しい女も含まれ

で結局は自分優先で自分のことしか考えていない傲慢な女と結婚する

 

なんだろう。そのくだらない争いに巻き込むの、やめてもらっていいですか?

 

っていうのが正直な感想

強者男性迷惑すぎ邪魔すぎ。

それとセットの傲慢な女が図々しく権力を得ていくのもうんざり

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-08-08

anond:20220808201314

自民党はそれだけ責任権力のある立場にあるのだからしっかりしてもらいたい

anond:20220808093050

国葬に関しては、安倍ちゃんに罪はない。

麻生、甘カス自分らの権力国民に見せつけたい、ただそれだけのセレモニー

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