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はてなキーワード: 弾圧とは

2021-03-16

フェミニストが「ウマ娘二次エロ普段お気持ちエロ嫌悪弾圧絶対抵抗!」っていってる人らはどうすんのかね」と言ってるが、そんなに人の顔色ばかり伺ってどうするんだ

2021-03-14

anond:20210314010000

オレ左利きだけど、この世界あらゆる機器が右利き用に作られているよな

もはや不便と思うまでもなく順応してはいるが、これはマイノリティのオレがマジョリティ不公平押し付けられて弾圧されてたってことなんだろうか

いやまあ広義としてはそうだとしても、使用率とか予算とか諸々考えられた結果右利き用にしか作られてないことは、仕方のないことだと思うんだよな

オレはこの世のあらゆる物が左利き用に対応するだけのコストを誰かに背負わすつもりはないし、当然札束で叩いて「ほら作れ」と言える立場でもないから何もしない

生きてる上でたくさんある中の妥協点の一つだと思ってそれがどうにかなるべきなんて考えたこともない

ただ、実はこの考えも多数派洗脳されてるものなんだろうか

本来オレは戦うべきだったのか?

もし左利きのオレが立ち上がったら、普段不公平マイノリティマジョリティ問題に厳しいはてな民は共に立ち上がってくれるのか?

普段こういう問題で見せてくれるのと同じくらいの怒りを、例えば左利き用の改札を用意してくれない鉄道会社に向けてくれるのか?

あるいは性の自認についてと利き手についての話だと問題の重みが違うから考慮される必要のない話だったりするのだろうか

いやまあ個人的には重みは違うけど、「世の不公平をなくす!」という人たちにそういう態度とられたらそれはそれで釈然としない

anond:20210314084938

難しい論点だとは思うけど理屈はあって、アーティストのは自分身体を使った表現でしょ。その権利は本人にある。見る側も、本人が望んだ表現としてそれを消費する。エロい表現は、本人がエロ表現したい?だろうという文脈で消費される。

アニメは絵でしょ。身体本人の意思はない、完全な記号。だから性的表現は、純粋消費者がそれを消費するときのことを考えて描かれたものだとみなされる。エロい絵は、エロい絵を消費する消費者のために描かれる。そこが実際の人物を使った表現よりも、意味けが問題になりやす理由

本人の意思問題という例としては、現代中国で、ウイグル人女性エロい格好で広告掲載されたら、それは自由意志ではなく弾圧性差別記号になりそうなことは想像やすいのではないかと思いました。

anond:20210314010601

言ってることは「文脈を踏まえてウイグル弾圧批判しましょう」なので、追加で人が死ぬことは考えにくいんじゃないかなぁ…

anond:20210314003816

まぁ未だに、先進国化している中国で、って驚きは確かにあるか。

いや感覚的な話に付き合ってもらって申し訳ないんだけど、ウイグルニュースコメントで「かくも平然と少数民族弾圧できる中国政府、にわかには信じがたいですね」みたいなこと言ってるのを聞いたのね。個人的には中国政府が少数民族尊重した方が信じ難いわーと思うわけ。そういう、過去を踏まえてないような、なかったかのような報道が気になるなーという感じかなあ。

anond:20210314002057

ウイグルだけってことはないと思うが。

普通にモンゴル族北京語教育強制もとりあげられてるし香港民主弾圧毎日ニュースされてるが。

何をもってウイグルだけだと感じたのか。

2021-03-13

ウイグルウイグル騒いでるけど

 一昔前はチベット虐殺があったし、ニンシヤホイ族は話題にすらならないし、内モンゴル満州族はとっくに同化済、現在言語弾圧強制が進んでる。

支那地域周辺の少数民族からすれば、何を今更騒いでんだ、ってとこじゃないか

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-10

anond:20210310182234

スマートじゃないから。

そうやってややこしく隠していかないと人の目に触れさせたらその人が死んでしまうと思い込んでる、つまり人間の賢さを信じておらず人間は愚かだという視点に立っているから。

それは典型的パターナリズムであって、人が心身ともに成長していくものだという視点が欠落しており、成長の機会を奪い、白痴のままでいさせることを促してしまい、自分自分メディアリテラシーを育てていくこともできない、危機回避能力ゼロ人間を量産してしまうことになるから。そういう人は往々にして異質なものを見るやいなやパニック/ヒステリックな反応を起こす。

要するに、ブラクラ踏んで鍛えられろ、みんなそうしてきた、的な感覚。世の中に何が存在しているか認知した上で、自分が好まないもの自分で視界から排除していけばいい。それが一番スマートで、自由で多様な社会はそのようにしてしか成り立たない。介入はどうしても悪質に侵食してくる類のものに対してだけの最小限でいい。その考えに同意できない人は、多かれ少なかれ他人支配統制したり、弾圧したりする言動をするようになる。

2021-03-07

アニメ『おちこぼれフルーツタルト』と小金井市コラボただちに止めなければいけない理由

1.女性差別を促進する可能性があるから

女子高生』という男の欲望の詰まった年齢層の『萌えアニメ』という、女性身体性的客体化した

コンテンツ女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、

差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、地方公共団体がそのようなコンテンツ宣伝をすることは不適切から

2.多くの女性不快にさせるから

萌えアニメキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタク想像して不快になる女性が多数いるにも関わらず、

地方公共団体という公共性の高く「嫌だから見ない」という選択が取りづらい機関コラボすることは不適切から

3.ヘイトであるから

小金井市はいかなる国民人種民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、

市役所の前にヒトラー銅像が飾られていたら

「我々はナチズム肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、

イサンベッドフォードフォレストKKK創設者)の銅像が飾られていたら

「我々は黒人差別肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、

ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら

「我々は十字軍肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、

コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧肯定します。

からネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります

同様に、市が萌えアニメコラボするのは「フェミニストはここに来るな」

と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから

4.有害から

萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト社会学者弁護士

彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分キャラクターの区別がつかなくなり、

わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、地方公共団体宣伝するのは不適切から

5.人命尊重のため

女性性的な部分だけを客体化した萌えアニメキャラ地方公共団体がが使う

現実女性性的に扱うことも問題ないと勘違いする

性犯罪刑務所行き

出所しても生活苦

わたるが死んじゃう!

となることを未然に防ぐことが必要から

6.政治的中立ではないか

そもそも日本騎馬民族による征服者トップであった天皇に従う者が被征服者

被差別部落民、サンカ隼人蝦夷アイヌ琉球民族などを近代以前から搾取し、

近代以降は朝鮮人中国人などのアジア人搾取してその上に成り立ってきた

世界で一番罪深い民族であるから民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人

以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいるのに、

そのような意見考慮せず、日本人の生活を良くすることは良いと無条件に考えることは政治的中立ではないから。

anond:20210306222426

ミャンマーで、弾圧する側の警察が「これ以上暴力をふるえない」と辞職したり国外に逃げているらしいが、

これこそ「自分判断する力」だと思う。

ウイグル人の臓器を抜いたり、レイプする側は「ウイグル人人間と思っていない」という。

からジェノサイドができてしまう。

教育がない、もしくは、自由教育する機会を得られなかった人間は、このようなフランケンシュタインになってしまう。

https://www.mangaz.com/book/detail/188221

2021-03-06

ふたつの「ぜんぜん」が強烈に印象にのこっている

一人目は、在日朝鮮人だった。

しか年金だか高齢者介護だかの話になって、

戦後60年日本人はがむしゃらに働いてきた。その人たちが日本の豊かさを作ったので我々が恩返し・支える必要がある」

みたいな発言をしたところ、

「ぜんぜん?」

みたいに氷のような無表情でいってきた人。

あーこいつ外人だと思った。

あと二人目は、中国人在留資格がある人だった。

中国諸子百家はいろいろ思想があっておもしろい。中でも孔子老子孟子荘子日本人が学んでおく必要がある」

みたいにいったところ、

「ぜんぜん?」

と、こちらも無表情で、まったく心底興味のない顔だった。

今思えば100%中国共産党員だったと思う。(他の中国人はそういう話をすると誇らしい顔になったので)

政治的人生コントロールされている人は、

その歴史観人権意識も、他人コントロールされることになり、哀れだと思った。

人間フラット状態で生まれてくる。

そこに学生時代勉強することでフラット思想仕入れることができる。

しかし幼少期から親や政治組織宗教という名の政治的組織ふくむ)から「仕込まれ」てしまうと、もうほかのものを受け付けられない。

そうして出来上がるのが、

人間らしき姿をした」怪物でありフランケンシュタインである

おもえば中学高校大学で、大量の文献を自由にみて選択できる日本という国に生まれたのはラッキーだったと思う。

もちろんそこでマルクス主義を選んだかもしれないし、マキャベリズムを選ぶこともできたかもしれない。

しかしそうならず、基本的人権生命権こそすべてという思想に、「自ら選択して」なれたのは日本のおかげだと思う。

自ら選択しない(できない)フランケンシュタインがいきつくのは、兵隊としての暴力である

そして暴力がいきつくのは、血であり、弾圧であり、臓器摘出であり、レイプである

「ぜんぜん」

を教えてくれた二人は、人生の師だったと思う。

大人との性交渉を認めるのは児童との性交渉を認めるのと同じ」というのは「非実在児童の性表現を認めるのは実在児童との性交渉を認めるのと同じ」というゴミクソ以下のレッテル貼りに対する意趣返ししかないのだが、「大人との~」を言うと途端に「性の自由がー!」とか言い始めるクズどもはさっさと死んだ方が世の中のためになると思うのだが、夫婦別姓の話になると「同姓を選ぶ自由がー」と言い出す連中にも同じ匂いを感じる。

マイノリティ弾圧することに恍惚でも感じるのかな。

第○次思想大戦

社会的弱者が生きやす平等社会の実現は、反平等社会主義者(反平)を徹底排除するほかない。

あなたが反平を表明しようものなら、社会的に確実に殺してやる。これは、平等社会の実現へ向けた必要悪であり、致し方ないことだ。

今この時、我々社会的弱者は一致団結し、一切の反平を許さな姿勢を内外に示すべきだ。抑制弾圧はこれから継続し、実現のためなら社会虐殺を厭わない!

必ずや平等社会を作り上げよう!皆で手を取り合い、全人類幸せになれる社会を作り上げようじゃないか!そういえば、あそこに反平がいたから殺そうよ!エイエイ、オー!!

2021-03-05

もちもち帝国

みんなもちもちしている

少数派のパサパサ派は弾圧される

2021-03-03

ブスのくせに声を上げる女は嫌いです

ブスはブスらしく、社会的にも統計的にも出てこないで「いない存在」として日陰者として生きていてほしい。

「LGBTが嫌い」「黒人が嫌い」が正当化されるのであれば、当然「ブスも嫌い」と言っていいんだよね。

もちろん、「ブスを全員消せ」とか「BLのような不健全表現弾圧せよ」とまでは言うつもりはない。ただ嫌いなだけ。

2021-03-02

anond:20210302093544

なんかブクマ集めてるけど、納得できないわ。

だって現実では、かわいそうランキング権力勾配認定)でそんなにかわいそうじゃないとされてる奴らへは、嫌悪公言すら許されてるじゃないか

君がトラバで書いた内容は、「心の中で嫌う自由と、その嫌いを公言する自由は別で、公言する自由制限されるから気を付けよう」ということだと理解した。

ブコメでもはてなの外でもちょいちょい目にする理屈だ。

これが、現実で一律に通用してるルールならある程度頷くけどさ。というか昔は俺もそのシンプルな切り分けに頷いてて、他人をその理屈で説得しようとしたことすらあったけどさ。

でも実際には、あいつらに対しては嫌悪を表明してもよい、と扱われてる対象が沢山いるじゃん。

サムいダジャレをいう奴、仕事ができない奴、コミュ障アスペ傾向空気読めないオタクチンピラホストロリコンショタコンメンヘラアル中パチ中、服装ダサい奴やだらしない奴、体育会系オッサンバサン、デカくて腕力ありそうな奴、老害富裕層、強大な国家としてのアメリカ、など。(これだけあげた中には一個や二個反論が思いつくかもしれんが、それは俺が例示をミスっただけで話の大筋は覆らんからな)

サムいダジャレばっか言う人ってマジでキツいわ」「体育会系のノリが嫌すぎる、近寄らんとこ」みたいなのはTwitterに書いてもエッセイに書いても友達との会話で出てもほぼ問題がない。

たしなめられるにしてもマイノリティを嫌った時の猛烈な責められ方とは違う。

これって結局、権力勾配があるからマイノリティ弱者は手厚く保護されるべきだが、マジョリティ強者への保護は薄くしますよっていう、しょっちゅう非難されてる逆差別じゃないか

こういう話をすると、これからだんだんマジョリティへの攻撃嫌悪表明も咎められるようになっていくでしょうみたいに言う人もいるが、そんな理想的未来が来ることはまずありえない。

どんな層への嫌悪咎められる社会って、持続ができないだろ。一歩一歩地雷を踏んでないかかめるようなコミュニケーション日常からやるなんてコストがかかりすぎて崩壊する。

から「この弱者層への言及地雷を踏んだら致命的に咎められるので気を付けましょう、それ以外は強者だし言及地雷を踏んで咎められてもダメージ少ないのでリラックスして語っていいっす」という逆差別がどこまでいってもまかり通る。

おまけに弱者強者認定基準も胡散臭い

老化で鈍感になり、センス気遣い力が落ちたやつらは弱者じゃないのかい

ギャグ面白さはたまたま世間と違う好みに生まれ育ったんじゃなく自分意志で決めてることで、サムい人は「つまらないこと言うぞ!」とわざと顰蹙を買ってるから、そこら中で嫌いと言われるのが妥当なのかい

俺は、老化で足腰が衰えたり、たまたま男だけどバレエが好きに生まれ育ったりたまたま普通に話す時どもったり顔や体がゴツくて怖いのと近い、仕方のない要素だと思うけど。

(以前、センスが悪いなら黙ってればいいだけだろなんていう、ある種の人間楽しい会話への参加を求めず沈黙しろってヤバい抑圧を無自覚に書いてる奴も見たが)

もしも強者弱者認定がそこそこきっちりできたとしても、強者なら嫌悪公言されても受け入れろという非対称性を盾にした逆差別問題は残るしな。

それにしても、こういうかわいそうランキングの線引きや逆差別問題って指摘されすぎて、してる側の方が一つ覚えって言われそうだが、それでも問題が残ってるなら指摘されるべきだわ。


あと一応言っとくが、だから弾圧差別オールオッケーにしろとは言ってないぞ。

そういう趣旨だと思って読んでた奴は、正義vs悪とか差別vs反差別みたいな、白黒わかりやすイデオロギー闘争に夢中になりすぎだから自覚ときな。

逆差別なり恣意的弱者強者認定なりの問題があることを認めろ、そこを見ないふりした説教や説得はするな、そういう不誠実な説教の尻馬に乗るな、自分たちは正しく筋が通った考え方をしているという安心感を捨てて、「ワルモノ」からの疑問や反論があったらちゃん自分たちを疑え、それでも総合的に考えて犠牲はあっても断罪の剣をふるうべきと判断したなら構わないがその剣を振るうのは最小限かつ手加減するくらいの理性を持て、可能ならアフターケアしろ、という話だ。

こういうこと書いてる俺自身自分を疑ってないんじゃねえのという点については、その自問自答も入れてたらクソ長くなるので省略してるからな(自問自答が十分である自信は確かにないが)。

少なくとも今日の俺はまだわずかに世の中や社会に期待しているから、こういう立場だ。

まあ、この記事トラバしてるやつにはすでにすっかり絶望してもっと過激なこと言ってる増田がいて、俺はその絶望と諦めにも大いに同情するけどな。精神病調子が悪い時の俺はもっと破壊的な気分になる。



ブクマ元増田趣旨は「マイノリティを抑圧してはいけない」で、マジョリティへのヘイトは許されてるとは書いてない。お前の主張と何も矛盾しない。書いてないことを読み取るな。

書いてなくたって、マジョリティ強者(と認定された層)への悪口が甘く見られている現実は目を開けりゃ見えるだろ。

いわば議論の前提だ。

紙幅にも文章書く元気にも限りがあるので何もかもカバーした話をしろなんてことは言わないが、強者叩きは許されてる現実があるってのは重要だろ。

不都合からって重要な要素への言及を避けて、都合のいい部分だけ使って綺麗な断罪の剣を研ぎあげる、その輝きに人々が群がって正しいと持て囃す、そういうことのズルさと危うさを問題視してるんですよ俺は。

2021-03-01

あだ名が『ヒトラー2世』になってしまった

あだ名が『ヒトラー2世』になってしまいました。

何も私はナチズムを信奉していたり退廃芸術弾圧を主張していたりするわけではありません。

私とヒトラー共通点は(人間ならば誰でも当てはまる項目以外では)次の3点だけです。

1.ベジタリアンである

2.幼い頃、川で溺れて助けられたことがある

3.美大に落ちた

この度、3番目が加わったことでヒトラー2世呼ばわりされるようになったのですが、納得がいきません。

ウイグル話法への反応への反応

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20210228-00225033/


しかしこう、リベラルさんたちの反応が面白い

この反応を見る限り、リソースの許す範囲社会問題に相対すればよく

意識の高い、リベサヨ様方の踏み絵に付き合う必要はないって事だよな

だって、リベ陣営に向けられた踏み絵スルーして

他人を殴りながら「暴力をやめろ!」と叫んでるやつがいても、誰も相手しないだろう

お前が言うな」は「お前でなければ正しい」という意味から反論などせずニヤニヤしながら眺めておけばいいんだ

自分達の支離滅裂さを突かれて、発狂して更に支離滅裂な事を言うネトウヨサンプルリストが出来上がっとる

お前らのサヨク認定融通無碍にもほどがある。悔しかったら日本共産党ウイグル弾圧批判否定的な「りべらる」を引っ張り出して来いよ

11時時点の直近をサンプリングするだけでも、誰も「ウイグル問題への取り組み」を話してねぇんだから

沈黙賛同」なんつう訳の分からん踏み絵マウントとったつもりでいる意識高い「系」自称リベラルなんざ無視して良いって事よな

沈黙賛同」なんつうおためごかし意味がないって事だろ

沈黙してるメディア」が赦されるんだから

なにが「ウイグル話法」だよ

先に踏み絵要求してるのはてめぇらだろうがよ

自分に向いたら「話法」ってレッテル貼って逃げるのか?

マジクソだなリベサ

悪魔取引したい

悪魔取引して

一生遊んで暮らせる大金、若くて健康な肉体、信用できる友人を手に入れ

7か国語を聞き喋り読み書きできるようになり

未完の漫画(FSSバスタードベルセルクetc)を完結させ

小◯Kさんニューヨークストリーキングする様子が全世界に中継されて婚約破棄させ

コロナを終息させ

ウイグル弾圧をやめさせ

日本好景気にし少子高齢化解決させたい。

魂一つじゃ無理か。

2021-02-21

中国に対して不買運動をしたら

  1. iPhoneダメPCダメ家電ダメ、車もダメ、で昭和初期の生活タイムスリップ
  2. 東南アジアアフリカなどネクスト世界工場中国に抑えられているから「東南アジアがあるから」も通用しない
  3. インドはあるけどインドインドカーストという差別制度があるし、結構不安定な国
  4. 工場西洋諸国に戻す場合物価上昇またはゴミのような賃金で雇われることを覚悟しないといけない
  5. もし不買運動をやりすぎて中国がキレて戦争になったら負けるかもしれない、負けたらガチ中国時代になる

ってなる気がするんだが、その覚悟を持って中国批判しているのか。

ウイグルに対する姿勢見直してくれればそれでいいと思っているかもしれないが、反乱の芽を放置する中国西洋諸国は魅力を感じるのだろうか。

中共の作り出した"安定"は西洋諸国にとって批判する対象であるとともに、大きな魅力だ。

中共の作り出す"安定"に依存しまくった西洋諸国は、そのコアにあるウイグル弾圧に真っ正面からぶつかることができるだろうか。

ウイグル記事クワクするけど、どうせ戦争かにはならんのだろうな

こういうことが小国少数民族に対して行われてたら、アメリカ空爆して政権転覆とかなりそうだけど、中国相手じゃそこまで行きそうになくて残念。

CNN.co.jp 「手足に鎖の生徒」と「集団レイプ」、女性たちが証言する中国収容施設の内側

https://www.cnn.co.jp/world/35166769.html

この一連の報道のおかげでさすがに中国もここまで露骨迫害は止めるだろうけど、もうちょっと狡猾ウイグル人文化的経済的同化していって、何十年後かには結局チベットみたいにウヤムヤにされる――そんなオチが見えちゃった。

結局ウイグル人は救われないし、こういう悪行に関わった中国人も誰も罰せられない。

個人的な願望としては、ごく小規模でも未遂でもいいかウイグル人による中国主要都市でのテロが起きて、中国国際的批判も全く顧みずに女子供も片っ端から強制収容所にぶちこむ徹底弾圧に乗り出して、国外逃亡したウイグル人証言から、いよいよ見過ごせないぞと、主要各国が強めの経済制裁中国に課すまで行って欲しいのだけど。

チャイナフリー中国製品なし)で生活するのは難しい時代だし、儚い夢かな。本当に、記事を読んだ時は無茶苦茶クワクしたけど、冷静に考えると大して面白い展開にはならなそうで残念。

ミャンマーの思い出

最近メディアミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部クーデター情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマー旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。

2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まりメジャー東南アジア観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAヤンゴン新規就航した。クレジットカードポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。

ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマー情報書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマー知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場ミャンマー人街を訪れ、増上寺ミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市ヤンゴン古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。

初めに訪れたのはパガン。初日ヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーふいにまり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。

ミャンマー古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマー流れる大河エーヤワディー川観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川ほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客ほとんどが欧米観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系韓国系旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラシャッターを切りまくった。だが航行時間10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。

10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレー市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かいマンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。

ミャンマー滞在最終日。最大都市ヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去イギリス統治時代建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線ヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期名古屋期間工をしていたらしかった。

駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマー情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナ収束しても、軍部主導の政治体制外国人が自由ミャンマー旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである

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