はてなキーワード: 反抗的とは
現代の医学をもって精密な検査をしても漏らす時期は把握できない。
電車通勤の時、腹痛が来ると冷や汗がでる。刺すような痛みが来る度に「もしかして漏らすのではないか」と考え不安になる。もしここで漏らしてしまえば妻と息子はどうなるのだろうと考えながらの通勤は私の身体をストレスで蝕むには十分だった。
私だけではない。世界中の下痢患者全員が同じ経験をし、同じようにストレスを抱えているのだ。
確かに今は紙おむつの研究が進んでいて、紙おむつをしておけば一命は取り留める事があるらしい。だからといって身体に紙を身に着けて過ごすのは嫌だという人間は多い。
妻に「紙おむつをつけようと思う」と伝えた。妻は泣きながら「あなたがどんな体になっても私は受け入れるから」と承諾してくれた。
妻には迷惑をかけてばかりだ。本当は紙おむつなんてつけてほしくない、生まれたままの姿でいてほしいと事はひしひしと伝わる。自分が下痢でストレスを抱えるように、妻も私の下痢でストレスを抱えている。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、泣き出してしまいたい。しかし、それをするということは妻のケツ意まで無駄にしてしまうようで私にはできなかった。
紙おむつをつける上で医者から様々な話をしていただく。昔は紙おむつをつけている人がいるから優先席付近での携帯電話の仕様は禁止されていたが、現代では特に問題はないようだ。私が悪ガキだった頃、車掌さんに「携帯電話切ってね」と注意を受け、紙おむつをつけてる人なんていないだろと反抗的な態度をとったことがあったが、その紙おむつ装着者に自分がなるとは思っていなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20180416003431
こんだけわかりやすく丁寧にいってるのにぜんぜんわかろうとしない馬鹿フェミが人気ブックマークコメントかよ。はてなってほんとに似非反差別主義者ばっかりだよな。
俺が言いたいのは、最近あまりにも図々しく「私達、LGBTの味方をしていまーす」みたいなアピールをするやつがネットで増えてきたが、こいつらが言ってることが的はずれすぎるんでゲロゲロってことな。
先週もLGBTの人の感覚については一切理解する必要はない。ただ、LGBTの人たちが差別されて苦しい思いをしていることを理解するべきだ的な話が話題になってたみたいだけど何いってんだかという気分になった。
こっちとしてはそういうの聞くたびにまたか、勘弁してくれって気持ちになるんだわ。
俺ゲイだけどそんなこと一回も言ってないし何いってんだ。自分たちだけはLGBTをわかったつもりになってるだけだろ。勘違いしてんじゃねーと。
自分たちは、LGBTの苦しさがわかる、この人達はいじめられてるんだ、差別されてるんだ、可愛そうな人たちなんだ。私達「まともで」「差別されて無くて」「恵まれた存在」幸せな存在が「哀れで」「差別されていて」「恵まれてない」哀れな存在を助けてあげなければ!とでも思ってんのかよ。 余計なお世話なんだよ。
DVやりそうなマッチョが、女性は愚昧で非力な存在だから男たちが支配し庇護してやらねば、って言ってるのと何が違うんだよ。 俺たちのこと勝手に決めつけたりいろいろ指図してくんのうざったすぎる。余計なことするくらいなら放っておいてくれって確かによく言うけど、それってさ、お前らに対しても言ってんだよ。お前ら自分たちが言われてる対象だと全然思ってないだろ。私達だけはLGBTの味方だから迷惑がられてないと思ってるだろ。自分たちのことを差別的なことを言ってくるやつよりは上等だとか思ってだろ。こっちからしたら目くそ鼻くそだよ。 つーかオレ個人の感覚でははっきりお前らの方が苦手だよ。 うるさいから。
たしかにさ。一般人って無神経なことあるけどさ、それでも、こっちが向こうが望むようなアクション取ってる限りはフレンドリーに接してくれるからそんなに嫌いじゃないんだよ。そのくらい軽くあしらえ無いようならやっていけないわけ。で、それについては特に困ってない。気持ち悪いって思ってるやつらはあんたらが言わなくても気持ち悪がって近寄ってこないから害はあんまりない。
近寄ってきたとしてもそういうやつらは少数だから自分たちで撃退できてるから。 そんなに困ってないし、お前らに下手くそな援護して貰う必要まったくないから。
どっちかというと俺が困るのは行政手続きやら仕事での信頼の方なんだけど、お前らそういう話で助けになってくれたことあるか。 そういう話は全然関係ありませーんって顔してるよな。
お前らが本当に俺らの助けになりたいなら、巷の差別意識とか優先順位的にはどーーーーでもいいから、保証人になったりとか役所について来たりとかしてくれる?
ネットでできるお手軽差別反対活動とかホントどーーーでもいいから、俺らと一緒に相手先に言って、この人達は信用できる人ですって口利きしてくれる? 職場で酷い扱い受けた人を支援するNPOとかやってくれない?
いっつも思ってるけど、お前らさ、俺達がどういうところで苦労してるかって実態の部分全く興味ないよね。そういう具体的なところで助けになるつもりはまったくないよね。
むしろそういうことやってくれる人って、俺達に偏見持ってるけど金になるからって利害関係でつながってる人たちなんだよね。
俺としても、そういう人のほうが信用できる。実際に俺たちのために行動してくれるし、うまく行かなくても逃げようとしないし。
逆にさ、私はLGBTの味方ですって言ってる奴らってほんとなんなの。
こんなのは差別だ許せないって言ってくれるだけならいいんだけどさ。
不当なことを受け入れな、もっと怒れ、ちゃんと戦え、みたいに迫ってきたりさ。ひどいやつは自分の思い通りにならないからって臆病者呼びしてくるからな。
なんで俺お前の旦那じゃないのにお前の思い通りにしないといけないの? そういうのはお前の旦那に言えよ。
家庭のうっぷんが溜まってるのを晴らす代用品みたいに扱われてる気がしてすげえ胸糞悪いんだよ。
そういうのやりたいならホストクラブ行けよ。 タダで他人をダシにして正義ごっこしようとすんな そういうのやりたいなら逆に俺に金払え。
あと、すごい可哀想可哀想って扱いにして、それなりに仲良くしてるやつでもこいつらは差別主義者だから付き合っちゃいけません、みたいな余計な口出しをしてくるんだけどさ。
知らねえよ。お前らは俺らの母親か。 友達管理する教育ママかよ。ふざけんな。
戦いたいやつが戦いっていうならそういうやつを応援すればいいけど俺はそういうつもりなから。そういう戦いたいやつのところに言ってそいつらだけ援護してくれる?
俺らをおもちゃにしてオナニーしてんじゃねえよクソが。 本当に関わりたいつもりなら、本当に味方のつもりなら、その私達意識高いでーすみたいな顔をしてちかよってくんな。虫酸が走るわ。
つーか、はっきり言うけど、お前ら内心では俺らのことめっちゃ差別してるだろ。 そういうのわかんないとでも思ってんのか。
本当に差別意識持ってないやつは、御大層なお題目掲げないからな。 俺らのことが好きか嫌いかってそういうところだけ語るからな。
べらべらベラベラ語ってる時点でもうこっちとしては死ぬほど胡散臭いんだよ。自分たちの胡散臭さをもうちょっと自覚しろよ。
以前酒の席で、ホモやゲイの差別は許さないといいながら、いくつになっても女と付き合わないだの結婚しない男をめっちゃ馬鹿にする女とかいたのよ。本当に差別意識ないならそいつらだってQかもしれないとか思わないの?っていいたかったわ。
結局お前らってさ、LGBTっていう枠しか見てないんだろ? 本当に差別がいけないとは思って無くてLGBTっていうすでに保証されたものの味方をしてたらいい気持ちになれるからそういってるだけだろ。
ああ、あと俺たちみたいな「社会的弱者」だったら、同じく社会的弱者である私の味方に違いないっていう勝手な連帯意識持ってすり寄ってくるやつも結構いたな。
そういうやつらって、こっちがちょっと邪険にしたり、素直に相手の言うことを受け入れなかった瞬間にすぐに「やっぱりこの人達は汚らわしい」みたいなことを言っておもむろに差別してくることたくさんあったからな。
ニコニコしながら「私達に対して素直に従わないと、私達はあなた達の味方にならないよ。 反抗的な態度をとるなら差別するよ。」って気持ちで近寄ってくる人間をどうして信用できると思う?気持ち悪いんだよ。
自分たちより可哀想で、従順な存在を求めて、思い通りに鳴らなかったら飼い犬に手を噛まれたような顔をするやつな。 俺たちをペットあつかいしてるわけだから、気持ち悪いって思ったり軽く差別発言するやつよりはるかに俺たちを下に見てるんだよな。
こういう似非平等主義者だけじゃなくてこの人は本当に俺たちの味方だって思う人もたくさんいるけどさ、でもそういう人たちってLGBTを特別扱いもしないよな。 あくまでLGBTとか関係なく扱うってだけだぞ。そういうのを知ってるから、ネットでゴチャゴチャ言ってるやつってみんな偽物にしか見えないんだわ。
偽者がなんか勘違いしてえらそうにコメントして、またそれを馬鹿が人気コメントに押し上げて間違った考えをさらに進めようとしてるわけだが、はてなってなにやりたいの?馬鹿なの?死ぬの?
地方公務員やってるけどやっぱりこの仕事頭おかしい 課長が商店街の視察行きたいとか班長が他県視察行きたいといえばそのとおりになるのだ
今日び商店街を視察したところで特に費用対効果のよい成果が出る訳でもないのにぽんと金が出る
確かにやってるこっちは楽だしぶっちゃけ楽しいよ 部下としてもはいはい、と起案通しとけばいいだけだし現地での課長接待は市の職員にやらせればいい
ただ視察といっても税金使ったバスツアー、物見遊山だし有権者これ許してもいいのかと思う
まぁうまいものでこういうのはHPにも載らないから公文書公開請求でもしない限り分からない情報なんだけどさ、そしてその公文書も事業名を知らない限り特定できないから世間に出回ることはありえないさ
昔は研修と称して幹部候補生に数十万持たせてヨーロッパに行かせてたと聞いたときはドン引きしたわ
しかしマズイのがそういう甘い汁を吸っているにも関わらずこんなことを考え上司に反抗的な態度をとる自分だ この裏には大変なこともあってその憂さ晴らしとして甘い汁を吸いたくなっているのも同じ公務員として分かるのに、有権者としてはこれは弾劾しなければならないと思ってしまう
労働者とはいえ公務員とはいえ人参がなければ動かないのも分かっているけれども、頭がおかしいと思ってドン引きしてしまっている
そして一番マズイのがそもそも成果が出にくい社会であるということだ
既に解決できそうな課題があらかた解決され、人の欲求があらかた満たされている、フロンティアなき業界は商店街業界だけじゃないだろう
そして経済格差の拡大や少子高齢化、自分の老いの進行は止まらなさそうで、なんなら今が人生最良のときに思える 20代なのに
ちなみに東海の県です
いい男かどうか判定の対象にする男が少なすぎるのではないか?という話。
勤め先でめちゃくちゃ好きな彼氏が出来てから気付いた。私の初恋はYくんだった。
小学生の頃の話だ。
ずっと茶髪で足が速くて、反抗的なのに教師に気に入られていて、喧嘩もドッジボールも強くて、愛嬌と言える程度にバカで、誰とでも仲が良かったMくんが、私の初恋だと思っていた。
あらためてアルバムを見ると言うほど綺麗な造形だとも思わないが、イケメン!と女の子みんなが言っていたし、私も思っていた。女の子が5人集まったら3人はMくんが好きだった。
もう1人Nくんという弁護士を両親に持つ秀才で運動もでき、教師の覚えもめでたい子がいた。5人のうち2人はNくんが好き!と言っていた。その2人で人気を大体2分していた。(余談だが、Nくんはアルバムで見ても美少年だった。人づてに1000万はかたい大手に就職したと聞いた。Nくん派だった子達は見る目があると思う。)
さて話を戻す。私はYくんが好きだった。
Yくんは、Mくんの右腕的な子で、バスケをやっていた。とてもお調子者で面白く、気遣いもでき、優しく、よく食べ、話題に上がらない程度には勉強をこなす、とても愛嬌のある子だった。
みんなYくんのことが大好きだったし、ムードメーカーとして欠かせない存在だった。
でも、びっくりするほど恋愛的な人気がなかった。バスケチームのコーチの方針で少年野球みたいな、ほぼ坊主みたいな髪型をしていたが、ブスでもデブでもなかった。
Yくんは言わば2番手の男であった。男の子も女の子も、みんなYくんのことを「いいやつ」として評価し、分類していた。でも恋愛とか、付き合うとか、そういう対象として見る相手ではなかった。
社会性が未発達だったメスの私は、みんなが恋愛対象として評価していない男の子を好きだと認めるのが恥ずかしかった。失礼な話である。
だから手近で、恋愛対象としておおいに評価されていて、そこそこ仲が良かったMくんへの羨望を、初恋だと思うことにしたのだと思う。
Yくんのような、2番手で誰からも愛され、ルックスも悪くない「いいやつ」は他にも何人かいた。
ご近所付き合いで母の聞いてくるところによるとMくん派の急先鋒だったHちゃんは中学に上がってSくんとお付き合い、時にお突き合いをするようになったらしい。HちゃんはずっとSくんが好きだったそうだ。私がSくんなら「は?」って感じだ。
お受験を乗り越え、無事女子校こじらせ女に成長した私には小学校のことまでしか分からない。
ただ、原始的な集団では、初めから恋愛対象になれるオスが決まっているから特定のオスにメスが群がるのかな、と思った。
うちの彼氏は休日バンドマンで、バンドマンしてる時はすごくモテるらしい。動画を見せてもらったがきゃーイケメン、と騒がれていた。が、勤め先ではお調子者のムードメーカーさん、だ。つまりモテない。10くらい下の女子大生のバイトさんにおちょくられたり、小馬鹿にされている節がある。
対して、モテる女の子は比較的分散している気もする。人気者のAさんやSちゃんだけでなく、男女問わないそこそこの人数からいじめられていたKちゃんやNちゃんもひそかに告白されていたらしい。アルバムで確認すると、2人とも顔が可愛かった。(それこそモテる男の子がKちゃんに告白していたそうだ。振られたらしいが。)
男の子の、その、好きだ!を忠実に実行出来る感じ、ほんとうに感動する。羨ましい。
大企業とまではいかないが、そこそこ大きな非上場企業の管理職です。
ここ最近の流れで、女性の役員やそこそこ御歳のいった女性社員も増えるんですが、正直困ってます。
既婚・未婚は問わず、40代後半から一気に酷くなる。更年期や閉経とかあるのかもしれないけど、正直社内の空気を悪くするだけの存在。
こんな事言っちゃ駄目だろうけど、その辺の自制の出来ない女性は、パートやアルバイト等の責任の無い仕事をして欲しい。
会社に来て、訳知り顔で会社批判して、大した仕事もしないで帰る人に払う金は正直無い。働き方改革より先に、こっちを改革してほしい。
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
久々に実家に帰省したら、父親の部屋の棚にでかくて分厚い嫌韓本が飾られてた。
さらには家族が普段使ってるダイニングテーブルに図書館で貸し出した嫌韓本が父親のスマホと共に置いてあった。
正直、普通に引いた。
父は昔からキムチが大っ嫌いで冷蔵庫に入ってるとくせーくせーと露骨に嫌悪感を示してた。
帰省して久々に家族揃って外食ってときも、たまたま近場にあった韓国料理屋にはいろうとしたら回れ右して逃げ出したし。(大人気なさ過ぎて母親も弟も呆れかえってた。結局ラーメン屋に変更した。中国はいいんだ)
料理が嫌いなだけだと思ってたから、まさか嫌韓本にまで手を出してるとは思わなかった。
亡くなった父方の祖母も生前はがっつり新興宗教にはまって高額な壷やネックレス買わされてたからまさか遺伝、、、?ってちょっと違うか。
いや、人それぞれ色んな思想をお持ちだと思うのでなるべく否定したくはないです。
正直8、9年前の嫌韓ブーム?の時はまとめ記事とか少し鵜呑みにしてたことはあったし。学生の頃ね。
まぁ、いいんだけど、、、、、、
せめて人の目に触れる場所にそういう本を置いてほしくない。
父親の部屋っていっても元々祖父母のリビング(二世帯で住んでた)だったから、今でも親戚が家に集うときはその部屋を利用することになってる。
え、私が東京にいる間も何度か集ってたよね。その時も嫌韓本でかでかと飾ってたの、、つかそれ以前に家族が普段利用するダイニングテーブルに平気で置いとくとかありえないんですけど。
私が神経質すぎるのか、一度通ったことある身だから過剰反応しちゃってるのか、、延々もやもやしてしまう。
解決策としては父親に「こういう本は片付けておいて」ってそれとなく諭せばいいんだけど、この話題に触れるのって同時に父の闇にも触れるようで、めちゃくちゃ怖い。というか、もう父とはなるべく関わりたくない。これ以上嫌いになりたくない。
父親とは小学校の高学年から社会人になるまでの長い間、反抗的な態度を取っていた。嫌いだったとこ挙げてくと、
ひどく無神経でありがた迷惑
私や弟の育児も都合が悪いと母に投げ出して逃げる
口が悪くいつもへらへらしながら人の悪口ばかり(運転中は荒くなって周りの車の愚痴吐きまくる。)
いつもその場しのぎの会話で内容もすぐ忘れる、興味が無いのか子どもの誕生日すら覚えられない
一応定年までサラリーマン(万年係長)してたし、露骨な暴力や浮気癖とかギャンブルとかそういうのはないけど、どこかうだつがあがらなくてクズな思考回路が尊敬できなくて同じ空間にいるのが苦痛で仕方なかった。(芸能人でいうと愛嬌も才能もない突き抜けてない蛭子さんって感じ。蛭子さんは好きだよ。)
そして何よりも、その人の血筋をがっつり受け継いでいることに対して嫌悪感がはんぱなかった。
自分にも当てはまってるんだろうなーと。父親も、そして自分も大嫌いだった。
、、これがただの反抗期と呼べるものなのは分からないんだけど、多感な時期で反抗期を迎えた子どもはこんな感情抱くものなのかな。ちょっと異常な気はしてるんだけど。
そんな反抗期らしき時期も、上京して離れて暮らして、ようやく落ち着いてきた。
もういい加減大人になった。多面的な部分も受け入れて嫌な部分はそっと見なかった事にする許容も生まれてきた。
最近はなるべく避けたりせず、最低限の会話は心掛けてる。
ちょっとさすがにきついから増田で吐き出して記憶にふたをすることにしました。
とりとめのない駄文でごめんなさい。文章におこすと気持ちが冷静になれていいですね。
いつか父も、自分のことも好きになれたら良いな。
トラウマ返しとは、親からもらったトラウマを返していくこと。子が反抗的になり、トラウマ返しをし始めたとき、親は自分を弁護せず、受け止めるしかない。
怒りや苦しみを吐き出させ、涙で傷口を洗うしかない。
幼少期は特に、どうでもいいことのように語ります。しかし、それは表面的な言葉でしかありません。
認めてもらえなかった、共感してもらえなかった、愛情をもらえなかった。それは、遅くやってきた反抗期。今まで心のしまい込んできた恨みつらみを、出して浄化している。
親が向き合っていれば、親に語り、受け止めてもらうことが、もちろん敏速な癒しと回復をもたらしてくれます。しかし、向き合ってくれる親はなかなかいません。
分かってもらおうとすればするほど、壁や隔たりを感じ、傷つくということも起きます。
人という存在に対して、心を開き信じることができないとき、誰に対しても同じようになります。
トラウマ返しは、大人になりきれない大人程必要とする。心の膿を出していき、自らに問いかけている。早く大人になれるといいね。
いや、褒めてんじゃねーかよww
誤字脱字一切なし、祖母の介護で留守がちな母と受験のプレッシャーの中で自己と父の関係を冷静に見つめ、病的な父に毎日の如く数時間正座させられ難詰されつつも――、
ろくに
多大な非
叱責に関してはすごく不当
烈火のごとく
抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られる
過剰な反応
干渉が過剰
頻繁に様子を見に部屋に立ち入る
もどかしさや焦り
情景がおぼろげに
叱責の頻度
感情はねちっこく反芻
この程度のことで手をわずらわせて
等の形容を使いこなし、1541文字25行にも渡って窮状を訴える18歳の女子高生。文章的な破綻は一切ない。
デビュー前の綿谷や金原の文章読んだ事あるか? あれ以上だぞ?
この思考力、そして客観視とアンビバレンツなまでに感情から遊離した語彙。
考えられるのは離人症だが、そうした人間の文章にしては余りに理路整然とし過ぎている。
興味深いのはそうした中に垣間見えるふつうの(少し幼めではあるが)表現だ。
ただいまの声が暗かった
目がヤバくなっていて
父がヤバい
これまではウワーと怒鳴られても
なかったかのようにケロッとしている
怒られすぎてどうにかなっているのだろう
家に帰るのがツラい
ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない
上記の形容は父が絡む関連で内的に権威化されていることから生じており、下記は主観寄りである為に年齢相応な可能性もある。
それにしても最終的に、この程度 としながらも拠り所がスクールカウンセラーであり、それにすら及ばないという発想はなんなのか?
よーするに俺としちゃ理解に苦しむワケよ。もう歳なんだろうねw 最近の若い子の自己表現についていけてないんだよ。
部屋によく来るからうっとーしい顔をしちゃっててそれでパパは私に見下されてると思ってる、なんてのは娘の切ない父への慕情すら拾えるが、その父へ叙述が前掲上記ってのがまたスゲェ。
思わねーか……? どういう子なんだ? この子、ってさ。
語尾やかな漢字もおかしいが、一番不思議なのはセクシャルな表記が全くない点なんだよな。
よく読むと愛と理性、としながらも、この子の父は怪我が残らないような暴力は日常的に行っている可能性があるんだよな。数時間の正座込みでさ。
手を上げられる前に泣くけどそれがイラつかせてるかもしれない、ってんだからこれまた泣ける話だが、その辺をヤバイ形相で振り上げた新聞に母が叫んでるってのに重ねるとこう思うんだよ。
「アンタに毎日振り上げられてんのって、本当にただの新聞紙なの?」
ってな。
介護で毎日いない母、そして二人きりの家で自分をゴキブリのように何度も叩く父。
こうやって書くと「男はすぐそういう話にする、そういうのがさぞかしお好きなんでしょう」みたいのが沸いてくるが、率直に言って本当に理解できないんだ。
何がムカつくってこうやって細かく読み込んだだけで「若い子が気になるのね」とかって意見がすぐに出てくる事だが、こうして書くまではババァの創作四苦八苦か暇なSEの文章修練だろうと思ってた。
でも、これだけ破綻のない文章を書いているのに思春期の父親に対する反発が一切拾えないのは逆に不気味ですらねぇか? と。
そういった魅力が全くないタイプであれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
一貫校で自室持ちなら両親にそこそこの収入も期待できそうだし、教育方針で激論するんだから所謂底辺家庭ではないんだろう。
世間にゃ殆ど反抗期がなかったって大人も割といるし、イマドキ4,50代で新聞紙説教オヤジってのもナンだが田舎ならWifiすらない地域もざらだ。
しかしどーもなぁ……、って思ってるんだが――、
ゴミみてーな増田のアフィステマアンケート群の一つ一つをこんな風に読んでたら幾らあっても時間が足りゃしねぇし、常連どもは勝ち逃げか派閥作りって風にしか見えねーしな。(読みも浅ぇしw)
そもそも商用のアクセス集め文章と本来の書き捨て名無し日記である内情吐露は全く読み方が違うんだよ。マジメに読むほうが馬鹿を見るだろ? 真偽なんか分からねぇんだから。
っつーワケでこんだけ書いといてナンだが、途中で放り出して俺は自分のやるべき事をする。後はもうこのエントリには書かねぇ。文章書きってのは読み辛くてループを仕込んだスパゲッティソースを他人に叩きつけて時間を奪い、その間に自分は別のコードを書くって最低な人種なんだよ。目的も分からねぇソースコードの解読なんぞにいつまでも付き合ってられるか。(笑)
悪いとは思うが謝りもしねーぜ? じゃーな。
私の大学受験が近いことで父が苛立っていて、ろくに勉強をしていないとかだらしがないとか態度が悪いとかいうことで毎晩毎晩怒られている。
勉強が足りていないのと怠惰なのはその通りで、自立・自律できていない私にももちろん多大な非があるのだけれど、態度への叱責に関してはすごく不当に感じる。ただいまの声が暗かったとか、口数が少ないとか、話しかけても勉強中なのをいいことに目を合わせようとしなかったとか、そういうちょっとしたことで烈火のごとく怒る。突然怒鳴りだし、物を投げ、扇風機のような大きなものを引き倒したり、丸めた新聞でゴキブリのように何度も私を叩いたりする。
怒っているときの父は完全に目がヤバくなっていて、抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られることもある。おまえはどうしていつもそうなんだ、どうしてどうしてどうしてと問い詰められ、なんと言えば許してもらえるのかわからないまま1時間や2時間にわたって正座させられる。ほとんど毎日!
(ただしそれでも、怪我が残るような暴力に限ってはほとんど振るわれたことがない。愛と理性だ……。)
私の態度に対する父の過剰な反応からは、わが子に不当に嫌われ蔑まれているという被害妄想のようなものが感じられる。決してそんなことはないのに。ただ父は干渉が過剰で、私の勉強中に頻繁に様子を見に部屋に立ち入るなどするので、それに対してつい鬱陶しそうなそぶりをしてしまうのがいけないのかもしれない。
現在のように父が怒るようになったのは、私が小学校4年生で中学受験の勉強を始めたときが最初だ。あのときも子どもが思うように勉強しないことへのもどかしさや焦りで気が立っていたのかもしれない。ごめんなさい。当時の記憶として、私が壁沿いに尻もちをついて怯えていて、父がヤバい形相で新聞を振り上げていて、母がおとうさんやめてと叫んでいる…… というような情景がおぼろげに残っている。
私が無事に中高一貫校に合格すると父の叱責の頻度は減り、5年間を比較的穏やかに過ごしたが、最近また大学受験を期に関係が悪化してきた。これまではウワーと怒鳴られても反抗的に淡々と言い返すことが多かったが、最近は手を上げられる前から簡単に泣いてしまうようになった。精神が変になっているのかもしれない。泣けばうまく話せないし、相手をますます苛立たせてしまう。それに何より見苦しい。非常によくない。
不思議なのは、叱責のきっかけや内容、直後の悔しかった気持ちを、時間が経つとほとんど思い出せなくなってしまうことだ。だいたい怒られた30分後には何事もなかったかのようにケロッとしている。家での叱責以外で会話の内容を忘れるなんてことはないし、どちらかといえば過去の感情はねちっこく反芻するタイプなので、多分怒られすぎてどうにかなっているのだろう。
中学受験のときと一緒で、きっと大学受験が済めば父は多少穏やかになるのだと思う。ただあと3,4か月耐えなければいけないと思うと家に帰るのがツラい。今年に入ってから母が祖母の介護のために家を空けていて、帰ったら父とふたりきりなのだからなおさらだ。それにもし浪人すれば追加であと12か月、今よりもますますヒートアップするに違いない。
(たまに母が帰ってくると私の教育方針のことで父との怒鳴り合いが始まる。私がかわいげもなく怠惰な穀潰しであるせいで家庭がおかしくなっている。申し訳ない……。)
家庭事情を友達と比べることなんてないので、自分の家がどのくらい異常なのかわからない。ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない。親子なんて案外これくらいが普通なのかもしれない。スクールカウンセラーに相談に行こうかとも思うけれど、この程度のことで手をわずらわせていいのかわからない。
小4の娘のクラスに、数人の集団からいじめられている男の子A君がいる。いじめの内容は言葉と暴力。それと物を隠したり。
担任もいじめのことは認識していて、いじめっ子とその親に注意はしているが、いじめは続いている。いじめっ子達は若い担任を馬鹿にしていて、娘の話では担任に対しても「死ね」と言ったり、蹴ったりしているそうだ。
A君は勉強も運動も出来る礼儀正しい子で、どうしていじめの標的になったのか分からない。たまたま目をつけられたのかもしれない。
先日、いじめっ子の母親二人と話す機会があった。二人とも、自分の子供のいじめについて担任から注意を受けたことに腹を立てていた。
「A君って、発達障害だと思うんだけど、何でうちの子が注意されるのかな」
母親の一人は、集団からいじめを受けたA君が「やめろ!」とキレるのを発達障害の症状だと決めつけていた。A君のことは1年生の頃から知っているが、落ち着いて授業を受けていたし、話をしても普通で、発達障害だとは思えない。その母親は自分の子が担任に反抗的な態度を取るのも、担任に指導力が無いせいだと言っていた。
「うちの子がA君の靴を隠したらしいんだけど、子供にちゃんと話を聞いたら、A君が先に嫌なことを言ってきて、仕返しをしただけなんだって」
もう一人の母親は、自分の子供の言い分だけを一方的に信じていた。二人とも、A君の親に謝罪などはしていないらしい。
うちの娘は正義感が強いタイプで、近くの席になったA君がいじめられるのを庇ったり、いじめっ子達を注意したりしているうちに、いじめられるようになった。「Aの彼女」とからかわれたり、「うざい。死ね」と書かれた手紙を机に入れられた。手紙を入れた犯人が分かり、担任はその子の家に電話をしたが、親からの謝罪はなかった。
この間、娘がいじめっ子の一人がまた意地悪をしていたのを注意したら、傘で頭を叩かれた。叩いた子は傘をその場に落として逃げて行き、腹を立てた娘はその傘を拾って放り投げた。結果、傘の骨が折れた。
担任から報告をもらって、相手の家に電話をすると「新しい傘を買って返して欲しい」と言われたので、買った傘と菓子折を持って謝罪に行った。娘が傘で叩かれたことについては、担任から向こうにも伝えてあったが、それについては一切謝られなかった。「女の子って、真面目だもんね~」と、なぜか気の毒そうに言われた。
昔のことに愚痴を言うのはあまりよくないことだ、と言われてきた。過ぎたことに拘って何になるのか、とも言われた。
幼少期、私はあまり言葉が上手くなかった。人並みには喋っていたと思うのだが、自分の怒りの理由や不快感の根源をうまく大人の言葉で説明することができなかったのだ。
とても歯がゆかった。自分が感じている『何がどう、と説明できるわけではないがとにかく嫌だ』という感覚を、ただのわがままのように受け取られることが耐えがたい苦痛だった。
今の自分が遡ってそれらを言語化するなら例えば「どうして自分がやりたいと言ったわけでもない楽しくもない習い事に無理やり連れていかれなければならないのか」という訴えである。
「文句があるなら口で言え」と拳骨を食らわされながら育った。「お前は万年反抗期だから」と厄介者扱いもされた。
だが私の記憶をどれほど掘り返しても『親からきちんと言葉を尽くして説明された』記憶は驚くほど少ない。最近の記憶まで検索範囲を広げてみても、結果は同じことだ。
「それは理屈が通ってない」と私がいくら主張したところで、「お前より三十年以上長く生きてるんだから親の方が世の中の事をよくわかってるんだ」という亀の甲より年の劫理論で聞く耳を持たない。
或いは偉い学者先生が言ってることだから正しい。彼らの主張は大抵の場合対人論証を含んでいて、要するに『子供の言うことだから正しくない』と思っていることはよくわかった。
だがどれだけ言葉を尽くして説明しても無駄だった。言い争いの結果は始まる前から決まっていて、彼らにとって私の言い分は最初から「ただの言い訳」であるとか「口答え」であるとか、そんな風にしか思われていなかった。
黙って言うことを聞く以外の選択肢はそもそも存在しておらず、激しい言葉を選ぶなら『対等な、意思ある人間として扱われた覚えは一度もない』ことになる。
何か議論が行き詰まると必ず「誰の金で生活してると思ってるんだ」という一言に辿り着く。
「何か言いたいことがあるなら自分でちゃんと稼いでから言え」というのが親としての彼らの主張であって、それは当時の私にとっては本当にどうしようもない事柄であったので、一切の交渉が不可能であることを思い知るだけだった。
大学に行きたくなかった。本当は専門学校なり美大なりに行って、何かを表現する技術を身につけたかった。
けれど、彼らにとってそれは「逃げ」であって、「お前は落ちこぼれたから受験から逃げたいだけだ」と決めつけられていたし、大学に行かないなら家を追い出す、とも言われた。
これは彼らの常套手段である。経済的な支えが皆無である子供を相手に「意に沿わないことをするなら経済的支援を打ち切る」と脅しをかけるのは二択とすら言えない。
高校生にもなればなんとかバイト、という手段が発生するが、それ以下の子供に対して「稼ぎがないこと」を理由に発言権を事実上ないものとするのは些か横柄であると言わざるを得ない。
小学生の頃には既に明言されていた指標なので、「(稼ぎのない)お前の言うことには何の価値もない」と言ったも同然である。
付言すれば、私の成績が悪化したことに対して「やる気がないなら勉強したいけどお金がない他の子供に投資する」という脅迫めいた発破を常に繰り返した。
彼らにとっては「よく勉強する口答えも贅沢もしないいい子」でなければ出来損ないだったのだろう。はっきり言って苦痛だった。
常に親との致命的な価値観の違いを感じていた。
確かに金銭的なことや現実的な事柄というのは疎かにしてはならない。義務は果たさねばならない。ルールは守らねばならない。
けれど、人にはそれぞれ価値観がある。自分が何を大事だと思うのかは自分にしか決められないことだ。
誰かにとって「金になるかどうか」が一番大事であることは否定しない。けれど、私はそこに重きを置かない。それだけのことだと思う。
「子供の為を思わない親はいない」なんて言葉は何の慰めにもならない。「自分の思う『子供にとって一番いい』状態以外は全て問題である」という態度を取り続ける人間を、どう受け止めれば良いのだろう。
例えば対等な友人関係に於いて「お前の為を思って言ってるんだから、お前は俺の言う通りにすればいいんだ」などと言われて納得するだろうか。
対等でなくても良い。会社の上下関係に於いて「お前は新人なんだから口答えしないで黙って働け」などと言われて納得するだろうか。恐らく十数年前ならそれが普通だったのだろうと思う。でも今そんなことを言えば間違いなく『パワハラ』である。
家庭、というのは自由選択が事実上不可能な人間関係である。特に子供にとっては、経済的、社会的要因から必然的にその拘束を受ける。
親が叶えられなかった夢を叶える為、代理戦争を戦わされる子供もいる。
家庭内不和をどうにか修復する為、極端にいい子で居続けたり、問題児として集中砲火される役を引き受ける子もいる。
選べない環境の為に、選べる自分の振る舞いや考え方を変質させていく。
自分の意思を持つことを悪いことだ、逸脱だ、とされ続けながら、ひっそりと生き延びている。或いは死にそびれている。
精神的に問題があり、大学に行きこそしたが「普通の人が当たり前のようにできる卒業すらままならない」人間だったので私は晴れて役立たずの称号を授かった。
彼らが私を見下しているように、私もまた彼らを見下している。
「いい大人で稼ぎもあるくせに子育て一つまともにできないような人間の言うことを聞く必要がありますか?」
喉元まで出かかる言葉をどうにかして飲み込んでいる。
なんてのは嫌という程言われ続けている。カウンセリングでもそう。自己啓発本の類でもそう。宗教絡みも大抵は、そう。
なんてのも聞き飽きた。選べなかった人生のことをあれこれ言うよりは手持ちのカードを切るしかないという諦めを持てと、そういう話なんだろう。
ある意味で、私はもう私のことについては諦めがついていると言っても良い。
今更どうにもならないことを嘆く必要はないし、それが何かの助けになるとも思わない。
ただこうして文句を言いたいだけのこともある。
昔の私が言えなかったことを、代わりに言わなければならない、と思うこともある。
そうして多分、「今まさに昔の私と同じ状態にいる」誰かの目に留まることを、ほんの少しだけ期待しているし、あわよくば「昔の私を作ろうとしている」誰かの親になるべき人の目に留まってほしいとも思っている。
確たる主張があるわけではないが、「それは我慢するべきことなのか」「我慢させるのが当然なのか」を一度冷静に考えて貰えれば何よりだと思う。
先日、前の職場の同僚に久しぶりに会った。
仕事を含めたお互いの近況を報告しながら話は僕が辞めた時期から行われた勉強会の話になった。
僕はその勉強会が開始される数日前に退職した為参加したことはない。
具体的に何をしているのか話をきくと、社長のチョイスした書籍の朗読会をしているという。
書籍のタイトルはきいていないが、ざっくりと成功ビジネス書みたいなもののようだった。
それを就業時間後に30分~1時間かけて皆で順番に朗読し、どう思ったか意見を言うだけだという。
更に驚いたのはそれが月2回あることだ。
僕が辞める前に聞いた時は月に1回の話だったので「ご愁傷様」とつぶやかずにいられなかった。
もちろん不参加も可能だときくが、社員10人にも満たない小さな会社でだれがそれをするのだろう。
参加しなかったところで陰口をたたくような社員は一切いない。
結局は社長の不機嫌さをかい、それが日々の不機嫌バロメーターの栄養となり
ある日突然爆発させ業務時間中に鳴りやまぬ電話を無視して社員全員を会議室に招集し
そうなると他の社員さんにも申し訳なくなる為、結局特別な事態(親が倒れたとか高熱だとか)を除き
勉強会という名の社長のオナニーに強制的に付き合わされるしかないのだ。
その結束力は決して社長への反発・暴動に向かないものであった。
よい意味でも悪い意味でも反抗的な言動をする社員は僕だけであった為、
特に僕のいた部署の社員のみんなは反骨精神がなく、言われたことにはい、はいと従っていた。
今月はもうあと一日で終わるが、