はてなキーワード: 反抗的とは
昔、そこそこ仲の良かった男子が結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった
グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった
彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って
もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。
彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった
「宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分を省みることが出来なくなる
叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい
「叱る」とはどうあるべきなのだろう
鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子が中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽な男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう
クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う
前者の場合「先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ
本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団に不公平感を生む
教室のような閉じた、それでいて壁のないオープンな集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい
そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える
しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料の作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う
一対一での指導、は多分ロリコン教師を欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間で上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ
職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)
保健室で「厳しい担任の先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室の先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う
仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう
これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう
しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ
「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか
職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか
我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ
個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。
生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。
勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンドが必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラと対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。
主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも、動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである。動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係を再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟に表現することで「自分は真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しかし演者時点が自身の演技に呑まれる可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)
社会性動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。
人間の感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限の可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手の気持ちを思いやり、共感できるのだ。
「宿題やったの!?」という言葉が子供時代の私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情のパターンが類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。
というように、人間の感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化は可能ではないだろうか。
「優しく諭す」というコマンドは相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。
「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。
前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情に共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割のキャラクターである。
「叱る方と叱られる方」という絶対的な上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情の暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神的負担を減らし、自分を省みる余裕を与える。
無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分のコマンドが相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽で悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易なパターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。
※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解な大人に失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格のパターン化による把握が必要かもしれない。
このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動を予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。
(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)
叱る、は上手くいけばとてもポジティブな効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教や正論は気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれてしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉は大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手の気持ちを考える、それだけの事だ。
人材育成、教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャートを作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験し調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉を演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。
教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師のマニュアル依存、なんてニュースが流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキな装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセットが人生の基本になるのだ!←楽しそう)
まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手の情動を予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブしやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しかし実践はクソムズイ。人生手強いね!
(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)
詳しくは知らないけど、中国って過去に犯罪歴がある奴とか共産党に反抗的な連中の個人データや顔写真を管理してて、町のいたるところに監視カメラ設置して常に顔認識AIシステム起動してチェックしてるんでしょ?
もし日本にも中国のような監視システムがあったら、少なくても京アニの事件だと放火したあの男は過去に犯罪歴もあったし、ガソリン大量購入してるとことか公園で数日野宿してるとことかも監視カメラでチェックされて明らかに怪しいので事件起こす前に公安警察に連行されて取り調べ受けることになったとおもう。
昨日から増田のスレで今回の事件で死刑制度の是非について争ってる連中がチラホラいるが、俺は死刑制度よりもこういった悲劇を未然に防ぐという名目で日本の国民が中国のような国家による監視社会を受け入れる土壌ができるじゃないかってのが心配。
いじめっ子は、瞬時にクラスの中の誰を虐めても問題がないか(大事にならないか)判断する能力が高いらしい
サイコパスも同傾向を持つそうだ
自分は気が強い、または喧嘩が弱くても、周りを巻き込む(いじめの場合なら大人に言う、職場でなら弁護士に相談する)といったおおごとにする能力が高かったため、
その手の人たちからは避けられていた
子供ができたことを職場に報告しない人はいないだろう。それは扶養家族であったり、お祝い金であったり、そういう金銭的なインセンティブがあるし、
しかし、これからは職場に子供を隠す必要があるのではないかと思う。
上記の人たちから見ると、私に子供ができたことはウイークポイントの発見に他ならなかった。
私は子供を、家族を守らなければいけない立場になった。妻も育休中だ。その結果として、いまの職場をすぐにやめられない。
まずは露骨な嫌がらせが始まった。育児のために早く帰ると、家に着くくらいの時間に追撃の仕事メールがきて、明日までに頼むと言われる。
対応しないと、反抗的だと罵られる。そして、私は地方への異動を言い渡され、単身赴任を余儀なくされた。
この手の輩と必死で戦うために、何が私にとっての嫌がらせになるのかを悟らせないという戦略で生きてきたのに、
ニート旦那が、車もう使わないのか?っていうので、私はもう終わったからいらない
と言った後
とな。
今車で出かけていきましたが😵
突然なことでびっくりして
うん、しか言えなかったわ
私もずーっと会話控えてたし、昨日ウォーキングも行かなかったしなんとなく感じとったのか、いささかやばいと思ったのか
もう何回もこのままでいいわけ?
どこか仕事さがしてるの?
やりたいことあるにしても、まだ今大学生がいるんだから、お金いるじゃん卒業するまではバイトとか何かできないの?などとぐちぐち言ってる時には反抗的な態度だったのに
会社員は終わっている、自分の武器を作ってフリーランスになれとアジっている人が多い
上司も仕事も勝手に決められる会社員より、得意分野に集中できるフリーランスのほうがいいぞ、と彼らは言うが、そんな甘いもんじゃない。
最も大きな嘘はこれだろう。自分の武器を売るから、フリーランスは得意分野に集中できると彼らは言う。
なぜなら、フリーランスは営業も打ち合わせもスケジューリングも経理も自分でやらなきゃいけないからだ。
たとえば、デザイナーのフリーランスだったとして、デザインをやっている時間は2割くらいだろう。
まるでロックスターのようにフリーランスが好きなことだけやっている職業かのように喧伝されるが、むしろ好きなことをやっている時間は大幅に減る。
売上が減ったらクライアントの新規開拓を考えなきゃいけないし、自分で打ち合わせに行ってスケジュールを引かなきゃいけないし、請求書をいちいち発行しなきゃいけない。確定申告もある。忙しい時期でも問い合わせ対応はしなきゃいけない(これが一番つらい)。
会社員なら打ち合わせもスケジューリングもディレクターがやってくれる。売上が減ったら営業してくれるのは営業職だ。請求も経理がやってくれる。どっちが「得意分野に集中できる」かな?
フリーランスは満員電車も会議もなくなるから、生産性が上がるという。はたしてそうかな?
客先常駐なら満員電車に乗らなきゃいけない。常駐じゃなくても、定例会議を組みたいというクライアントはいる(長期プロジェクトなら当然だね)。
そのたびにフリーランスは自腹で交通費を払い、せこせこと会議に出席しなきゃいけない。そして何にも進まないこともある。
オフィスの問題もある。どこかコワーキングスペースを借りていたら、当然そこに通勤しなきゃいけない。朝から行くのなら、当然満員電車だ。
そして、朝よりも夜の満員電車のほうが避けづらい。どっちも避けて通勤できないこともないが、昼頃に行って夜のラッシュを避けて夕方かもっと遅くに帰るとなると、わざわざ借りている理由は?となってくる。
オフィスを借りないとなると、今度はワークスペースを家に構築しなきゃいけなくなる。
自宅というのはとても気が散りやすい。キッチンに行くたびに「あ、洗い物しなきゃ」と思い出させられるし、眠たくなったらちょっと寝ようかなって気分になる。いつまでもサボっていても誰も何も言わない。
会社員は、それらの集中できるスペースを、会社が構築してくれる。そういう部署がある会社もある。もちろん光熱費も払ってくれる。
会社で給与アップするより、フリーランスで収入を増やすほうが早いといわれる。
しかし、これは出費をまったく考えていない。たんに年商がアップして喜ぶのはフリーランスとしてセンスないです。やめたほうがいい。
フリーランスになると保険、年金、税金をすべて自分で払わなきゃいけない。だいたい3倍ぐらいになります。そして、交通費やオフィスの経費などもぜんぶ自分で払います。
売上が増えれば増えるだけ、来年の所得税が上がるので、安易に使うこともできません。つまり、フリーランスは収入が増えるんじゃなくて、一時的に入ってくる金が増えるってだけです。ここを言わないところに、煽り屋のマジックがあるよね。
もっというと、フリーランスの仕事はふわっと始まって、ふわっとなくなります。
1、2回打ち合わせして、「社内で通します」とか言われて、その後連絡なし、なんてことは普通にあります。
問い合わせがあったので行ってみたら、雑談めいたことで終わってその後何もなし、なんてこともざら。その間の時間は無給だし、何なら交通費払っているので赤字です。
個人的に一番つらいのは、継続案件が急になるなること。「来月でいったん終わりで」とか言われて、その後に入るはずの何十万、何百万が急になくなる。
これがざらにあるので継続案件でパンパンな状態でも油断ができない。急になくなることを見越して新規開拓を考えてなきゃいけない。これかなりストレスですよ。予想つかないんだもん。
はい、こっちのほうが最大の嘘かもしれないですね。フリーランスは上司もいないし、誰にも雇われてないんで、自由に振る舞えるとかいうのは嘘も嘘、大嘘です。
フリーランスは誰にも雇われていないんじゃないですよ。むしろ、逆で、いろんな会社から雇われている状態なんです。そして上司も無限大に増えます。
だって、そうでしょう? A社、B社、C社と仕事をしていて、会社ごとに担当者がいるんですよ。
案件が途切れないよう担当者に対していい顔してなきゃいけない。嫌われたら当然、仕事を切られます。会社で、周りに対して反抗的な同僚っていませんか。そういう人でも仕事があって給料がもらえているのは、会社だからです。フリーランスでそんな人がいたら、誰も仕事を発注しません。
そして、フリーランスだとSNSとかで自由に発言できる、というのも嘘。A社、B社、C社に常に気を使ってなきゃいけない。利害関係者に差し障りのあることは言えないです。たとえば、A社の業態、商品に差し障りのあることは何も言えません。言ったら仕事なくなるでしょう(当然ですね)。業務の内容も各社とNDAを結んで、何も話せなくなります。これのどこが自由なんですか。
フリーランスでいっぱい仕事しているほうが、話せることは少ないんですよ。現に煽り屋じゃないフリーランスの人で業務内容べらべら喋ってる人いないでしょ。
そして、個人の名前で仕事をしていて、その個人が炎上でもしようものなら仕事は一斉になくなります。デジタルタトゥーがついて、その後の仕事にも影響あります。これが一番怖いところ。会社なら個人の名前出ないし、守ってくれるよ(そうじゃないところもあるけど)。
誰もこんなこと書かないよね。かっこ悪いもん。でも、これが真実なのですよ。
お前が背負わないと言ったらいずれそうなるだろ
此上お前達が飽くまでも義父の面倒を見ないと見捨てたならば、それは
ない。
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
永久に受ける樣なことがあってはならない。
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
安静にせざるを得ず寝てばかりで暇。
今日は母にタンスの空き部分へと服を詰めてもらった。整理してる間、猫ちゃんが開いた引き出しに入っていた。猫の手は貸してはくれなかった。全部しまったら部屋がすっきりした。
父が窓にプチプチの防寒シートもしてくれた。
朝、トイレ行って、蛇口で手を洗った。冷たい水でかじかんで、うまく蛇口を締めきれなかった。ものの数分後に、父に「蛇口しまってない、流しっぱなしだぞ。」と注意される。つい「そもそも蛇口が硬い」と言った。反抗的妊婦。父は何も言わなかった。
父は、アルバイト帰りで蛇口パーツを買ってきた。新しく蛇口のひねりを取り替えてくれた。父は器用だからなんでもできてしまう。っていうか私の反抗的な一言でそこまでやってくれてしまった。なんか申し訳なくなった。
私は、両親が私のことをどう思ってるか知らない。好きだよとか、大切に思うよとか、抱きしめられたりとか、強い愛情表現をされたことはない。とてもドライ。
でも行動は私のためを思ってやってくれることがすごく多い。家を出るまであんまり気付かなかった。この事実は大人になるにつれて私に重さと実感を与える。
それが今は分かるから、素直に「ごめん、ありがとう、蛇口新しくしてくれて。」なんて言える。昔の私は言えなかったかもな。
多分、子供が産まれたら、親から愛を与えられていた自分にもっともっと気付くんだろう。愛ってなんだろう。子供を産む前に、のんびりとこんなことを考える時間を与えられたことに感謝を感じたいと思う。
みんな言ってるように核持ってて金になったからだろうね。
でももう終わりかもな。
情報戦始めるって言ってるし、ジッサイこんな記事(https://www.news-postseven.com/archives/20181006_754699.html?PAGE=1#container)も上がってきてるからやる気なんじゃね?
ベトナムも南沙に介入してくれって言ってるし、カンボジアは各国でデモ始めたし、フィリピンもマレーシアも軍拡(http://www.mod.go.jp/j/approach/surround/pdf/ch_d-act_20180202.pdf)中。
何より米国債売るかもってチラつかせたのはマズかったね。
このまま放置して拡大続けると欧州も米国も危険だって認識はあるだろうから、中国が引かなきゃ国連決議なんか無関係にやる事やると思うよ?
米朝会談で釘刺しといて、演習ついで(https://www.yomiuri.co.jp/world/20181004-OYT1T50077.html)に貿易戦争の決着迫って付かなきゃ誤射でもするんじゃね? 今度は本当に日本だけ蚊帳の外でさ。
欧州にとってもおいしい市場だし、ロシアは経済がそれどころじゃない上にウクライナやシリアも抱えてるし、欧米で東西から食い尽くすパターン。
俺達は動けない。
動けない理由、戦犯国キャンペーンの旗振ってんのが中国朝鮮ロシアだってんだから笑えない話だよ。w
…まぁよくあんだろ?
分かり易く書くと、財布代わりになりそうなデブをウェーイパリピなグループに入れてやるってパターンだよ。
田舎の太った小金持ち転校生がクラスの不良共に目ぇ付けられて、仲間にする代わりに反抗的なパシリの悪口フカさせられるワケ。
でもソイツがチョーシ乗り過ぎて、不良がパー券配ってた連中を小遣いで手懐けようとし始めた。不良のボスとクラスを二人で支配しようって辺りまでは笑い話で済んだけど、グループのパーティー代に手ぇ出そうとしたからもう終わり。指摘してる奴いるけど、所詮は学級会なんかお飾りだからな。
よく分かんねーけど今そんな感じなんじゃねーの?w
障害者と一緒に働いてる。
超反抗的。
まずこれを一緒にすぐやりましょう、といっても「えー」と言って「はい」とは消して言わない。
そしてすぐさぼり逃げる。
やらなければならないから一緒にやりましょうと言っても「これの方がやりたい」と思ったら絶対にやらない。
面倒な作業は理由をつけて別のやらなくていい作業を勝手にやって逃げようとする。
手順を理解したうえで無視したがる。何度も手順を一緒に繰り返し理解はしている。しかし、目を離すとすぐに自分のやりたいようにやる。
何度も注意をするせいか、こっちを敵視しているようで注意されるたびに、「お前から給料もらってない」とか反抗する。
飼育委員だった僕は、放課後も少し残って学校で飼っている動物たちに餌をあげていた。
餌をやり終えて、家に帰るために荷物を取りに自分のクラスに戻ったら、ドアのガラスが割れていた。
そのままほっといて帰ろうかとも思ったけれど、一応先生には伝えておかないと駄目かなと思って、担任の先生に伝えた。
何回も割ってないと言っても聞いてくれず、正直に言いなさいと怒られた。
反省文を書きなさいと言われたけれど、僕は割っていないから何も書けなかった。
今思うと教師からは反抗的な態度に見えたのだろう。僕は何も知らないから何も書けなかっただけなのに。