はてなキーワード: 助手とは
私が高校時代から憧れていて大好きだたった彼女が、オタクになって一緒にいるのが不快な、縁を切りたいと思う女になってしまった。彼女のLINEを非表示にし、インスタとTwitterのフォローを外したら無性に悲しくて、この文章を書いている。
高校時代、彼女は輝いていた。バトミントン部所属で、小柄で可愛らしい顔立ちに明るい性格の彼女はクラスでも人気者だった。両親共に歯医者さんの家の娘さんで、本人も頭も良くて、制服の着こなしも持ち物も垢抜けていた。私たちはたまたま席が隣になったのがきっかけで仲が良くなった。マクドナルドでポテトを食べながら栓もないことを喋り続けたり、道でナンパされれば二人して手をつないでダッシュして逃げた(走りながらゲラゲラ笑った)。毎日が輝いていた。私たちは無敵だった。
彼女は歯医者さんになるための大学、私は普通の文系大学と進学先は別だったけど、私たちは相変わらず仲良しだった。大学に入って髪を金に近い茶髪に染めて、明るい色のギャル服を着た彼女が眩しかった。彼女には当時、同じ大学の同級生だという彼氏がいて、彼はおとなしそうな男の子だった。彼女の持つ溌剌とした雰囲気や勝気な態度に夢中になっているようだった。分かるなあ、と思った。
四年経って私は就職し、彼女はまだ学校に通っていた。私は社会人になってなかなか生活のペースが掴めず、苦労していた。たまに彼女に会うと、その明るさに救われた。ただ、話の内容が学生と社会人なので、微妙に噛み合わなくなって来た。彼女の実習期間を忘れてシフトを立てたバイト先の店長に腹を立てて、彼女が休憩室に張り出されたシフト表に、真っ赤なマッキーで「無理です」とだけ書いておいたというエピソードを聞いた時、学生時代のように笑えなかった。アルバイトとはいえその態度はどうなの?と真顔でたしなめそうになった。
彼女は一回国試に落ちて、専門学校に通った。そこでできた友人の影響と、現役生に比べるとやることが少なかったとのことで、彼女はアニメとコスプレにハマり出した。26歳だった。遅咲きである。ただ、この頃も彼女にはお金がなかったので、就職したらあれも買う、このコスをする、と嬉しそうに語る姿は可愛かった。早く思う存分遊べるようになるといいねえ、と、社会人4年目で後輩もできて仕事も面白くなって来た私は、話半分に聞いた。
彼女は27歳で歯医者さんになった。実家で働くのかと思ったが、まずは別のクリニックで働き始めた。歯科衛生士や助手の女の子たちを見下し、愚痴ばかりいう彼女に、やや辟易しながらもまあ就職一年目なんてそんなもんだ、とやり過ごした。代わりにオタク趣味の話を振って愚痴を封じた。彼女は嬉々として好きなアニメ、声優、ゲームの話をした。この頃から、彼女は話しながらもスマホから手を離さなくなったし、すぐにTwitterやソシャゲを立ち上げて、指をひらめかせながら会話を続けるようになった。ちょっと態度悪いな、と思ったけど、何かいうほどではないかな、とスルーしていた。
彼女は30歳になった。実家の歯科医院で働いている。上司が親という状況のため、休みの融通をつけては好きなアニメのイベントで全国を飛び回り、髪には推しの色だというグリーンのインナーカラーを入れて、白衣の下には好きなアニメとコラボしたワンピースを着ながら楽しそうに働いていた。
一緒にホテルのランチに行った時、彼女はずっとTwitterをしていた。何してるの?と聞くと、グッズやチケットの交換相手を探しており、これは刻一刻と状況が変わるため、優位に取引するにはずっとTwitterを見ていないといけないと言った。料理が来たら、彼女は徐に鞄からぬいぐるみを取り出して、写真を撮り始めた。それから、自撮りも何枚か。何となく食べにくくて、彼女が写真を撮り終わるのを待っていた。
彼女は食事をしながら写真を加工し、それもすぐにTwitterに載せていた。見せて、と言ったら当該写真を見せてくれた。ぬいぐるみの方は、彼女の向かいに座った私の胸から下が背景になっていた。顔は写ってないとはいえ、ちょっとやだな、と思ったし、写真をアップロードするなら一言言って欲しかった。彼女の自撮りは、真っ白い肌に緑の目の、漫画じみた女の子に加工されていた。感想が言えずにいると、「今日○○ってキャラ意識の化粧と服なんだよね〜」と彼女は説明してくれた。今時見ないくらいに真っ黒なアイラインや目の下の真っ赤なアイシャドウはそのせいか、と思った。それに、お人形みたいなフリルとレースのついたワンピースも、普通の服ではなくコスプレの衣装的なものらしい。
ずっと行きたかったランチだけど、一人で行った方がずっとマシだった、と、今度はソシャゲを2台のスマホでやり出した彼女をみて思った。
私たちは32歳になった。私は春に結婚する。昨日はその報告を彼女にしたくて、お茶に誘った。何となく疎遠になっていたので、会うのは一年ぶりくらいだった。彼女は11月なのにピンクの薄手のカーディガン一枚に、プリーツのミニスカート姿だった。前にあった時より、みちみちに太っていた。二つ結びにされた髪は、今度は裾だけ濃いピンク色になっていた。薄いピンクのカーディガンも、ミニスカートも、長い髪を耳の下で二つに結んだスタイルも、高校時代の彼女が好んだ、そして、私が憧れていたスタイルだった。眩暈がした。あ、私の好きだった彼女は死んだんだ、と思った。私たちはドトール(本当は行きたいカフェがあったが、この奇妙な服装の太った女と、素敵なカフェにはとてもじゃないけど行きたくなかった)に行き、彼女が旅行した話(相変わらず、好きなアニメや声優のイベントのために飛び回っているらしい)を聞いて、小一時間で解散した。結婚の話はできなかった。したくなかった。それに、そもそも彼女は相変わらずスマホに釘付けのまま、私の目を見ることも近況について聞くこともなかった。
そして私は家に帰り、彼女のLINEを非表示にし、何となくフォローしていたインスタもTwitterもフォローを外した。失恋した時よりも辛くて、ちょっと泣いてしまったため、婚約者が喧嘩でもしたのか、と心配していた。喧嘩の方がマシだったな、と思った。
えり、見てる?(見てるわけないだろうけど)。私はずっとあなたに憧れていて、あなたが好きだったよ。時間を巻き戻せるなら26歳のあの一年に戻って、もっとあなたの話を聞いて、あなたが漫画やアニメに没頭する時間を減らしたいよ。27歳のあなたのところに行って、オタクの話をして誤魔化すんじゃなくて、仕事の辛さについてもっとちゃんと聞いてあげたいよ。30歳のあなたのところに行って、私といる時はTwitterやめて、私とちゃんと話して、って怒りたいよ。
あなたがオタクになって、楽しくて幸せなのは分かるけど、私はまだ明るくて可愛いあなたと過ごす未来を諦められないよ。えり、寂しいよ。でも絶対結婚式には呼ばないし、もう会わないよ。だって、あなたと並ぶと恥ずかしいし、惨めになるから。さよなら、えりな。
実写化でもまあまあ見れる、それどころかかなり良いかんじの作品も増えてきた。
くだらない話なんだけど、どこかに吐き出さないとやっていられない。
原作は、サイバーパンクの世界観で、探偵と助手のコンビを中心に展開するオムニバスである。
私は、作品を箱推しするタイプだ。ただ、この作品に関しては、主人公二人をかなり推している。関係性から人物像から、嘘じゃないかって思うくらい好みだった。
まず、助手の外見である。もともとは宇宙人で、地球の環境に合わせて体を作り変えたサイボーグだ。原作では、外見にひと目みればその人とわかる強烈な特徴がある。
アクションが多い作品ではあるが、探偵は戦闘(というか人を傷つけるのを)を好まないので全然戦闘能力がない。荒ごとはだいたい助手の担当だ。
主にこの二点だが、これがもう見事に無視されている。
わかってはいたが、こんなに清々しいと怒りよりもあっけにとられる感覚が強い。
助手は至って普通の女になっていたし、探偵は小さめのピストルを携帯し、いざとなれば助手の背後に迫る敵対者を撃ち殺してウインクなどしてみせる。控えめに言って解釈違いである。
助手の話をさせてほしい。
彼女(一応作中では彼女、と言われているので彼女と呼ぶ)の設定はやたらと複雑だ。もちろん、だからこそそれをすべて実写作品にも盛り込めなんて無茶は言わない。
私が許せないのは、前述した外見的特徴を消してしまったことだ。
これは、彼女のアイデンティティといっても過言ではないものだ。地球で一人っきりでいる彼女の、宇宙人としてのアイデンティティそのもの。これを製作者は取り払ってしまったのである。
この際、中性的で慇懃な言動が今どきの流行りに載っていわゆる「強い女」テンプレにはまっていたこともいい。良くないがまあ良い。いや、自分に言い聞かせてはみたがやっぱり良くない。
もともと、因縁があって探偵を憎んでおり、虎視眈々と彼を殺す機会をうかがっている助手である。
だが、無益な暴力は振るわない。その程度の分別もない愚か者だと思われているっていうことなんだろうか。
当然のように外見と性格の件でTwitterも炎上しているが、これについて制作側のコメントはない。
映画オリジナルのストーリーに関しては……アクションだけはよかったんじゃないかな。
助手が不意をつかれて攫われたり拷問されたりするなんてことは、原作を見ればありえないことくらいわかるはずだ。
助けにきた探偵を見てちょっと嬉しそうにするなんてこともまずない。
探偵についてもそうだ。
そもそも博愛主義で誰も(物理的に)傷つけないことを信条に動いている彼が、身を守るためとはいえ人に向かって発砲したり、まして頭を狙うなんてあってはならない。これは誰でも言うと思う。
人を傷つける探偵、正直ただの女の助手と同じくらい見たくなかった。
男女の組み合わせを安直にカップルみたいにする風潮、なんなんだろうか。
原作者の発言力ってそんなに低いの? それとも、原作者がGOサイン出したってこと?
なかったことにして原作を引き続き推すつもりだ。だった。本当だ。
助手が探偵に対してやや心変わりをしつつあるのを見たからだ。こんなに心が乱れたことはない。ていうか実写映像見たときだって正直まあそんなもんだなって思ってた。
でも、あんなに探偵を嫌ってた助手が、ほかでもない原作で、探偵を信頼しつつある。
もしかしたら、全体の流れからしたら、諦めとかそういう気持ちがわいてきても不思議じゃないタイミングかもしれない。
だけど、あの実写の後だ。
もし原作者があの設定を気に入ったんだとしたら?
これまでの設定を気に入ってた私みたいなファンはどうしたらいいのかな。
○ご飯
○調子
○ファミコン探偵倶楽部消えた後継者(スイッチリメイク版)
1988年にファミコンで発売されたアドベンチャーゲームのリメイク。
原作が昭和の作品ということもあり、ボリュームは少な目だし、物語も真っ直ぐ一直線で、良く言えば王道、悪く言えば陳腐なシナリオだった。
資産家の屋敷で起こる連続殺人、村に古くから伝わる伝説との符号、果たして犯人とは! と、ワクワクする導入ではあるも、別になにか解かないといけない不可解な謎があるわけでもなく、事実関係を整理していくタイプの捜査を繰り返して犯人に近づいていく。
トリックやロジックを扱うミステリではなく、捜査の過程における人間関係の妙を楽しむのは主だろうか。
主人公が真面目な少年探偵で、助手のあゆみちゃんは同行せず別の場所で調査をする展開なので、テキストが本当にシンプル。
本筋に関係あることだけを集めていくため、ミスリードが全くなく、遊びが少ない。
特に折角のポイントアンドクリックやコマンド選択式なのに、おちゃらけたテキストがないのは、少し寂しかった。
と、ここまでは、流石に昭和の作品だから古いなあという当たり前を確認しているだけで、別に面白くなかったわけではない。
記憶喪失の主人公が右往左往しながら探偵をする序盤、二転三転する謎の人物の顛末、主人公自身も謎に組み込まれていく展開、そして最後に明かされる犯人の正体。
どれも意外では別にないので驚きはしないが、エンタメ作品としてきちんとツボを押さえていて、面白かった。
またリメイクによってシナリオは据え置きなものの、背景やキャラのビジュアルは非常に現代的なアドベンチャーゲームのクオリティだった。
特に背景がすごい。
単純に綺麗という意味でもすごいし、背景を駆使した演出も手が混んでいた。
フルボイスで声優さんの演技が楽しめるのも良き。
特に主人公の記憶装置が解決し、彼の事実が明らかになるシーンでは主人公演じる緒方恵美さんの熱演が光る。ここは演出的にはシンプルなテキストだけなこともあって、よりに。
「反LGBT法」ロシアで成立へ 報道や映画、ほぼ全面禁止の恐れ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQBW6SJZQBWUHBI02R.html
東京都⼈権部が飯山由貴のアート作品を検閲か。小池百合子都知事の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への態度も影響した可能性
1.そもそも表現の自由という非常に大事なものを蔑称に使うのは不適切ではないか?表現の自由のために戦うのは当然ではないか?
2.表現の自由戦士とは具代的にどのような人物を指しているのか?
3.表現の自由戦士がだんまりしていたというのはどういう根拠に基づくのか?
4.なぜ真っ先に批判する相手がプーチンや小池百合子及び東京都人権部ではなく表現の自由戦士なのか?
対抗するための本を紹介。
リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』(新潮クレスト・ブックス)
スターリン死後の1953年からソ連崩壊後の1996年までを描く大河小説。作者はこう語っている。
「自分自身の青春時代、つまり1960-1970年代を再確認してみようと思ってこの小説を書いていたのですが、書き終えたら、アクチュアルなテーマの作品だったことに気づきました。最近我が国では意図的に個人崇拝の復活が進められています。(略)
専制的な体制によって挫折させられた『緑の天幕』の主人公たちの運命が、ソビエト時代を良い時代だったと懐かしむ人々への警告となることを願っています」
リュドミラ・ウリツカヤは十年以上反政府運動に加わっている。今回の侵攻を受けて祖国を離れた。
「一人の人間とその忠実な助手たちの狂気に国の運命が左右されている。現下の状況には痛み、恐怖、恥を覚える。激化する戦争を止め、国のプロパガンダの嘘に抵抗すべきだ」と訴えている。
加藤直樹 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(ころから)
関東大震災で起こった朝鮮人虐殺について多くの証言と資料を用いて解説した本。
震災前から日本人が朝鮮人に抱いていた差別感情、歪んだ正義感による暴行、軍や警察の加担、加害者たちへ同情的の世論……決して忘れてはならないことを伝えている。
加藤直樹はチームを組んで「「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか」http://01sep1923.tokyo/という虐殺否定論のデタラメを指摘するサイトを作っている。こちらも必見。
三十五になり、健康診断では任意で検便と超音波検査とバリウム検査が選べるようになった。どれもタダだから受けてしまえばいいだろう思って同居人に話したところ、バリウムの不快さとバリウムだらけになる便所掃除の大変さを延々と説かれたので、それなら検査が義務になる四十まで待てばいいだろうと高をくくっていた。
ところが、超音波検査で要検査との結果が出て(註:結局これは何でもないことが後に判明する)、慌てて胃の様子も見てもらうことにした。要検査と言っても、ちょっと疑わしいレベルのことだと書かれていたが、万一のこともある。
そこで、普段お世話になっている消化器系のお医者さんに連絡を取った。だが、自覚症状がないので自費診療になってしまうとのこと。そこで何か腫瘍だとか潰瘍だとかが見つかって細胞をつまむのだったら、自費診療ではなく保険適用になるかもしれないらしい。これだけで一万円近くかかるので迷ったが、お金よりも安心をとったほうがずっといいので受けることにした。
その後、受付の人から「自覚症状があれば保険適用の可能性もゼロではない」と聞いたので、「時折食不振と満腹感、まれに口臭」と書いた。
タダでできるものを一万円かけてやったのもなんだか損した気持ちがするが、胃カメラとバリウム検査のどっちが体質的に向いているかを知るいいチャンスだと思うことにした。話の種にもなる。
件の医師は痛みの少ない鼻からの胃カメラを前面に売り出している。申し込めば全身麻酔でやってくれるらしいのだが、それだけ余計にお金がかかるし、繁忙期が近いのに丸一日つぶれるのはちょっと困るので午前休だけで対応できる部分麻酔を選んだ。前述の別の検査もあり、あまり時間をかけたくない。
説明によれば、二十一時以降は食事なし、朝食は抜き。多少なら水は大丈夫だった。検査によっては水も飲んではまずいらしいのでこれは助かった。
受付を済ませ、別室にて鼻うがいの要領で麻酔剤かなんかを入れられた。鼻の穴に水が入るとツーンとして何とも言えない不快感があるのだが、この薬は平気だった。聞くところによると塩分と温度が適切だと大丈夫らしい。
次に液体の飲み薬をもらう。なんだかわからないが、おそらく食道から胃にかけての麻酔か何かだろう。薄味のカルピスみたいでおいしい。
麻酔の後は効果が出るまで少し待つ。鼻から麻酔が垂れてきたり、のどの奥に流れたりするはそのまま放っておけと言われたので待合室では下を向いていたが、おかげでマスクがべしょべしょの惨状になった。
さらに奥にある別室に案内され横になる。また鼻の穴にぬるぬるしたものを流し込む。その時は麻酔だと聞かされた覚えがあるが、今にして思えば潤滑油みたいなものだったかもしれない。
そこで右の鼻の穴に機械を入れられ、続いて左の穴にも入れられたのだが、どうもうまくいかない。ただインフルエンザ検査キットを鼻の奥に突っ込まれたような不快感があるばかりだ。どうやら鼻の穴の奥が他人よりも小さいらしく、結局は普通の胃カメラのように口から飲み込むことになった。
そこからが大変だった。舌を固定する器具をくわえさせられ、そのまま管が食道を下っていくのだが、食堂が刺激されて吐き気が延々続く。げえげえと声を漏らしながらなんとか飲み込んでいく。絶食していてよかった。助手の女性がずっと背中をさすってくれているのだが、嘔吐感と異物感がしんどく、何度か胃の内壁をつつかれて胃の形が変わっていく感じがあった。加えてさらに奥までいじられたような形容しがたい気分がした。よく噛まずに何かを飲み込んだときのように、食道からずっと胃の奥までがずっしりと重い。
管を飲み込んでいるはじめのうちは拷問のようで、最初からバリウムをおとなしく飲んでいればよかったと激しく後悔していた。だが、徐々に力の抜き方がわかってくると苦しさは減じ、「なんだか気持ち悪いものが入ってる」くらいの違和感レベルまで落ちた。助手さんさすってくれていたのが本当に効果的だった。
終わった後に助手さんから「力が抜くのがうまかったですよ」と言われた。半分くらいはお世辞だろうが、半ばやけで俎板の鯉見たいに開き直ってからのほうが、確かに楽になった。とはいえそれはさすってくれたからなので、よくよくお礼を言った。
しかし、施術中は鼻水と涙は止まらず、マスクは使い物にならなくなっていた。新しいマスクをもらえたのはありがたかった。
時計を見ると、実際に胃カメラを飲んでいたのは十五分ほどだった。思ったよりも長かった。たぶん途中から無になっていたので、時間の経過がわからなくなっていたのだろう。
何の問題もなし。口から十二指腸の入り口まで見てくれたのだが、きれいなものだった。(余談だが要検査だったもう一つの検査でも医師から「若くてきれいな内臓」と褒められたので結構嬉しかった)。
面白かったのは噴門と幽門がはっきりと観察できたこと。噴門はトンネルから洞窟の広いところに出たような光景で、幽門は胃の内容物がゆっくりと十二指腸に送られるよう、きちんと閉じるような門のような仕組みになっていた。さっき感じた胃の内側をぐりぐりされる感覚は、たぶん幽門の奥までカメラが進んでいたからなのだろう。
また、胃の内壁は牛のそれ(ハチノス)と同じような皴があった。なるほど哺乳類なのでだいたい同じなのだと感心した。
結局保険適用はされなかったが、面白い経験ができたし、健康だとわかって安心した。来年にバリウムを飲むことがあったら、また比較して感想を書くかもしれない。
ウルトラマンはポリコレじゃない。ウルトラパーソンにしなさい。女のウルトラパーソンや黒いウルトラパーソンも出しなさい。LGBTのウルトラパーソンも出しなさい。
プリキュアはポリコレじゃない。女ばかりでなく男のプリキュアも出しなさい。黒人のプリキュアも出しなさい。LGBTのプリキュアも出しなさい。声は当事者が担当しなさい。
アンパンマンはポリコレじゃない。アンパンパーソンにしなさい。バタコさんが助手なのは性役割の偏見を助長するので家父長制の象徴でもあるジャムおじさんを廃止しバタコさんを昇進させなさい。チーズは動物虐待なので自然に返しなさい。バイキンマンはバイキンパーソンにしなさい。バイキンマンが黒いのは黒人が犯罪者であるという差別と偏見を助長するため白くしなさい。ドキンちゃんはドキンさんと呼びなさい。
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
俺も博士課程(工学)に籍を置いてる28歳男、博士は今年4年目で現在休学中、主著論文なし、奨学金返済免除解除、ほぼ卒業諦めてるから増田の気持ちがなんとなく分かる。
俺の場合は研究したい!指導教員のような良い先生になってこの分野の面白さを広めたい!なんて思って博士課程に飛び込んだけど、博士課程2年目で、あ、俺はこの世界でやっていけない、成果残せない、論文が書けない、周りの人がスーパーマンすぎるわってなって勝手に病んで徐々にフェードアウトしていった。
その点いままで研究してきた増田はめちゃくちゃえらいし、俺から見ればスーパーマンだ。ほんとすげーよ。
俺はその後、知り合いがやってる研究開発のベンチャー会社に拾ってもらって、そこでぼちぼち仕事して今はそれで細々と飯食ってる。
もしかしたらまた頑張ろうとなるかもしれないから大学は休学しているけど、これから行くかはわからん。
もし増田が国立大学所属なら休学を視野に入れてみるといいと思う。休学中は授業料がかからないはず?。
また満期退学をして卒業後何年間かは審査に挑めるかと思うからその間に実績を積んで挑むというのも手かもしれない。
どちらにせよその間の身分はどうするんだとなるが、そこは指導教員に一度相談してみるといいと思う。もしかしたら助手(有給・無給は分からんが)として置いてくれて研究室に出入りできるようにしてくれるかもしれないし、どこかの企業にねじ込んでくれるかもしれない。
企業で研究開発の部署に行ければ論文を書く機会もあるかもしれない。もしかしたら共同研究ということになって研究テーマ変更して、共研のテーマで論文書けるかもしれない。
この辺は先生次第になってしまうから分からんし、増田の分野次第だが。
結構適当に社会は回ってるし、博士で得た知識、考え方、応用力自体は無駄にはならないと思う。もしアカポス以外に行ってもこの4年は決して無駄ではないよ。きっと人生を豊かにしてくれるよ、俺はそう信じてる。
それにこれまでアカデミックだけ見てきたから正規ルートから外れると人生終わったように感じてしまうけど、案外なんとでもなるよ。
アカポスもストレートで行くのは確かにかっこいいしスマートだけど、何もストレートで行ってる人だけがアカポスにいるわけじゃないんだし、多少遠回りしてもいいんじゃないかと思ったよ。
色んな事に挑戦してみようぜ。
ほどほどに頑張って
学部受験如きに地頭なんているか。「7日間で総復習」みたいな薄い参考書を2週間で全教科終わらせたらあとは記述式の問題集解きまくれ。知識は問題解きながらその都度入れろ。夏休みとか春休みは14時間毎日やれ。
東京大学文科一類に受かったら迷わず司法試験予備校に入ろう。仮に落ちて一橋や共通ミスって早慶になっても浪人せず司法試験予備校に入ろう。MARCH以下や駅弁ならもう一年チャレンジしよう。
予備校はどこでも良いが、基本7科目の基礎講義の映像を2ヶ月以内に見終えて、残りの時間は論文試験の演習問題に使おう。
本郷へ行ったら法学部の偉い教授や、助手になりそうな優秀な先輩同期とか仲良くしておこう。
在学中に予備試験、司法試験に合格して卒業しよう。余裕があったら一年休学して留学しても良いかも。
在学中に合格できたら司法修習まで時間があるので、課題が提示されるまでは論文試験の模範論文や上位論文を読もう。修習地は地方を選ぼう。
志望は迷わずPにしよう。
任官したらどこに配属されても一生懸命働こう。公判に配属されても法務省や捜査部にお手伝いとして呼ばれたら休日だろうが迷わず出陣!地検の次席には常に法制局志望であることを匂わせつつ、与えられた仕事を確実に真面目にこなそう。上司が白と言ったら黒いものも白!逆も然り!
留学や他国の司法省に研修に行くチャンスがあったら迷わず志願しよう。
内閣法制局に配属されたら、与党(おそらくまだ自民党)の要望通りに憲法や法律を解釈しよう。委員会の学者たちは黙らせよう。この時法学部で偉い教授たちと仲良くしておいたことが生きる。
共謀罪のような成立不可能と言われていたものも解釈次第では成立させられるし、成功すれば大出世だ!仕事で関わる議員さんには国政進出の意志をそれとなく伝えよう。
ようやく自民党の推薦までこじつけた。東大一橋や早慶といった学歴、在学中予備試験合格や国費留学が活きてくるのは実はここからだ。検事になるだけなら中央大学でも良いし、法科大学院を出て概ね30歳までに司法試験に受かれば良い。今は任官不人気だし。しかし、選挙に当選するにはそれだけじゃ足りない。幸い日本の有権者は馬鹿なので、それなりの学歴や職歴、「東大、ハーバード、検事、法務官僚」という文字を見れば勝手に有り難がってくれる。後は選挙区の自民党の頑張り次第だ。田舎であればあるほど有利だね。マニフェストは大物議員に賛同しておけば良い。誰もそこまで見てないから。
おめでとう。
1970年代のある時期、手塚にとって人間とロボットとの結婚は大きなテーマだったようで、『火の鳥』「復活編」の連載が始まるおよそ10ヵ月前の1970年1月、雑誌『プレイコミック』にもこんな短編を発表していた。
『聖女懐妊』と題されたこの物語は、土星の小惑星が舞台である。そこで通信員をしている南川という男と助手のマリアというロボット。ふたりはやがて恋に落ち、何とふたりの間に愛の結晶が誕生するというお話である。もしかしたらこの時得たヒントがふくらんで、『火の鳥』「復活編」の、さらに深い意味での人とロボットの結婚へとつながっていったのかも知れない。
『手塚治虫扉絵原画コレクション1950-1970』(2017年、玄光社刊、定価4,600円+税)より『聖女懐妊』雑誌掲載時の扉絵。この本は、手塚マンガの扉絵原画をオールカラーで収録したもの。『聖女懐妊』のようなモノクロ1色の扉も、ペンタッチやホワイト修正の跡などをカラーで再現している。2018年2月15日には『手塚治虫扉絵原画コレクション1971-1989』(定価4,600円+税)も発売。
ロボットのマリアを愛する南川。宇宙の神秘の力を信じたふたりに奇跡が起こることになる……。https://tezukaosamu.net/jp/mushi/201802/column.html