はてなキーワード: 上野駅とは
■晴海トリトンスクエア:東京の小金持ちが好きそうなタワマン街にあるショッピングモール。夜景が綺麗。
■日本橋室町:ウィンドウショッピングをするなら銀座よりこちらの方が外国人観光客が少ないし街並みが綺麗。
■東京駅周辺&丸の内イルミネーション:東京駅の皇居側にある丸の内仲通りを中心にオシャレな店が並んでいる。
■神宮外苑:再開発が始まるのでイチョウ並木を見られるのは今だけかも。
■上野公園:上野駅公園口駅舎がかっこいい。上野公園も噴水広場のあたりが綺麗になっている。紅葉は終盤。
そして、その相手と今年籍を入れた。
セックスするまでの流れとしては、
その間に雑談を交えつつ、いいなと思ったので結婚を前提にお付き合いを申し込む→
毎日、一定程度チャットや電話をする中でGWに初セックスが決まる→
いざ出陣
こんな感じだった。
自分は21歳で恋人は何人かいたことがあるものの、セックスをしたことがなかった。相手は18歳で経験あり。なぜかカツラをかぶってきていた(別にハゲていたとかではない)。
数泊分の二人のホテル代は私が持った。東京にいた頃から東京駅・上野駅周辺が好きだったので、初セックスの舞台はそこにすることにした。
正直言うと、初セックスは気持ちよくなかった。なんなら溜まってたウンコが挿れた拍子に出たりして、それでも嫌いにならず結婚してくれた相手には感謝しかない。
相手は当時「オナラする人でも気にしない」とか宣ってたくせに、今では「一緒にいるときオナラするヤツ嫌い」とか言いながら自分は盛大にオナラをかましている。そこだけは悲しい。
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
自分が中学生の時、宇都宮線の名称の由来について次のような逸話を先生から聞かされた。
東北本線の愛称を決めるため、沿線自治体である栃木県、埼玉県、東京都の3知事が集まった。侃々諤々の議論の末、栃木県知事がこう言った。
長じてインターネットが登場しGoogleで検索して見るも、この逸話を語っている人は誰もいない。Wikipediaの宇都宮線の記事によると、実際に当時の栃木県知事が上野駅 - 黒磯駅間の名称を「宇都宮線」とすることをJR東日本に提案したようだが、この逸話は出てこない。おそらく「掴み」として、先生がでっち上げた作り話だったのだろうが、誰かこの作り話を知っている人は他にいないだろうか(栃木県内でも非常に狭い範囲で流通していた作り話という気がするが)。
前々からおかしいと思いつつしかたないで済ませてきたけど、でも、悪いけどやっぱりおかしいから声にします。
交通違反はけしからんです。実にけしからん。ドライバーは人の命を預かる人間としての節度が問われます。
資料調べたら平成30年の1年間で820,678件も発生してるんですよ。交通違反だけで。
なんと1日で2248.4件。なんてけしからん。
交通違反といえば無免許、酒気帯び、携帯電話、スピード違反あたりが事故に直結する危険な違反。
意図的でなければ起こらない違反でもある。そういう違反をする人間は本当に免許を取り上げてほしい。
・無免許 1,068件
・酒酔い 35件
・及び酒気帯び(0.15mg/l以上、0.25mg/l以上含む) 780件
・携帯電話 64,825件
・速度超過 62,958件
携帯電話と速度超過は流石に多いなって印象ですが、それでもどちらも10%以下。
酒酔い、酒気帯びに関しては合計しても0.1%にしかなりませんでした。
あれ?なんか思ってたのと違うな。
通行禁止違反とは、車両進入禁止の標識のある道路に進入してしまうこと。
主に一方通行の逆走などですが、これ以外に、時間帯によって右折や直線などが禁止されている交差点で誤って禁止されている方向に進んでしまうことも含まれます。
よく見ると8-20は直線左折のみといった内容の標識が道路脇にぽつん立っていたりするやつです。
幹線道路に交差する細道からの直進が、8時から12時まで禁止されているというものでした。
たまに通るときは夕方だったので、昼の間に直進できないとは知りませんでした。
違反したのは自分が悪いです。でも、そこにずっといたなら直進が危険だと知らせるべきじゃないですか?
言われてぴんとくる人もいると思いますが、多いんです。取締が。
そりゃ現行犯(?)が基本の取締ですからそうせざるを得ないこともわかります。でも、他の明らかに危険な違反と比べて多すぎやしませんか?
ついで一時不停止が135,143件。その後に信号無視が118,602件と続き、こちらもとても多くの件数が取締されています。
この二つはわからなくないですが、それでも場所によっては分かりづらい場所も多く、そういうところに限って取締が多いのも事実です。
更に続くのが、進路変更違反83,446件。指定通行区分違反が63,572件となっています。
進路変更違反は黄色い車線をまたいで車線変更をしてしまった場合、指定通行区分違反は左折・直進・右折などが指定されている車線から指定を守らないで進行してしまった場合などです。
昭和通り沿い、上野駅近く大きな歩道橋下なんて、3回通れば1回は違反取締を見るくらいの頻度です。
この道なんて特にそうで、走ったことのある人はわかると思いますが、昭和通り3車線のうち路駐で左側一車線が潰れているところから黄色車線が断続的に続いている上に突然右車線が浅草通り方面への右折車線に限定されてしまうので、知らないと勝手に別の道路に連れて行かれそうになります。
しかも知っている人は交差点手前から真ん中の車線にいるので、右側車線だけが場合によっては御徒町を越えたくらいからガラガラだったりして、気付いたら右折車線の直前まで進入してしまっていて判断の時間が極端に短くなるなんてことも重なったりします。
運転は免許制ですので、ハンドルを握り続ける以上は常に知識と意識をアップデートして安全運転に務めることが求められます。
だから、知らなかった。わからなかった。ですまされないものだということも理解できます。
ただ、この道路に限って言えば、昭和通りの路駐が交差点手前からしばらくの間だけでもなくなっていれば、結果的に中央車線の通りが良くなってほぼ解決する問題でもあります。
それって、本来取り締まるべきものが逆転してしまっていませんか?
お前ら黄色いライン超える車ばっかり睨みつけてないで、手前の道路の駐車違反を一掃してこいよ!と。
通行禁止違反、指定通行区分違反、進路変更違反だけで、年間293,842件という取締数は異常だろ。
取締数だけでそれだけということは、実際の数は更に数倍に膨れ上がるわけですが、本当にそれだけの件数のドライバー、意図的に違反を行おうとしているのでしょうか。
さて。
話は変わりますがここで違反金について考えてみたいと思います。
普通自動車の場合、通行禁止違反が7,000円、指定通行区分、進路変更で6,000円の違反金を支払う必要があります。
これをそれぞれの件数で掛け合わせてみると、この3つの違反だけでも、都内だけで年間19億円の違反金が警視庁に支払われている計算です。
一時不停止、信号無視についても、個人的にはとても判断が難しい道路などがあるので全てをドライバーの責任だとは言いたくありませんが、それを除いたとしてもこれだけの金額が違反金として支払われている状況なのですが、これって異常だと思いませんか。
道路上の安全を守るべきが警察の職務であるのに、年間にそれだけの件数の違反が発生する交差点や道路上の問題を放置しているのは職務怠慢であり、もしそれが違反金欲しさに放置されていたとしたならば、重大な責任問題さえ発生しかねないくらいの大きな問題だと言えます。
いくらなんでもこれではもはや事実上の通行税。そんなのが許されるならマジで日本は死んでくれ。
もちろん交通事故はなくなってほしいです。
そのために取締が強化されることは致し方ないことだと思いつつ、道路上の危険が放置されているとも言える状況で、取締数と違反金だけが増えていくのは果たして正しいことなのか疑問でしかありません。
平成30年の違反件数で45,582件はそれだけでもかなりの数ですが、それでも携帯電話の64,825件、速度超過の62,958件に比べれば少ないです。
何も路上駐車の全てを取り締まれとはいいません。特に物流に関するものについてはルールを定めた上で緩和されるべきだと思います。
ただ、特にタクシーによる駐停車禁止区域(主に交差点内とその端から5m以内、横断歩道から前後5m以内、車線変更禁止ラインのある右左折レーン)での客の乗せおろしは、歩行者を巻き込む事故に容易につながる本当にけしからん問題なので取締を強化すべきです。
曲がりなりにもプロを名乗る人たちが目先の売上を優先して堂々と違反行為を繰り返しているのが見逃されているのに、道路側の問題とも言える違反によって普通のドライバーばかりが取締されるのはどう考えてもおかしいです。
最後に、自動車の販売台数が下がっていく一方らしいですが、標識や交通ルールの分かりづらい場所に限って取締を強化しているような道路なんて走りたくないっていう気持ちが、そこにとどめを刺しにいっているような気がするので車メーカーさんも何かしらの働きかけが必要な時期にきているのかなって思いました。
自分は必要に迫られてハンドルを握ってるだけで、こんな道路、普通に考えて走りたいなんて思わないよ。これじゃ日本死ぬよ。警察に殺されかけてます。
参考資料
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.files/ktd020.pdf
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20200716235904
の増田とそのトラバ・ブコメを一覧にまとめました。誤字・誤記等ありましたらお知らせください。可能な範囲で対応させて頂きます。
夕張メロンソフトクリームなど。じゃがポックルも売っている。混雑しやすく週末などは入場制限もかかるらしいので密にお気をつけて。
とても充実している。サッポロクラシックとさけとばチップ、カチョカバロ(焼いて食べるチーズ)が元増田のおすすめ。西山製麺の麺類の品揃えがすごい。
北海道フーディストの系列店らしく東京以外でも全国展開されている。
函館のアンテナショップがあるらしい(https://bussan.hakodate.jp/localshop/)。
銀座からは少し離れているが、スーパーに近い品揃えの豊富さで海のものも山のものもある。小岩井ソフトクリームは元増田/ブクマ双方で美味しいとの評。瓶入り生うに(not塩水うに)は必買とのブクマ談。
牛タン推し。今なら期間限定で萩の月も買える。お勧めは喜久福(生クリーム大福)、生どら焼き、三角油揚げ、ほやの塩辛。冬季に時々「霜ばしら」という飴菓子が売り出される。東北新幹線で車内販売している「ほや酔明」も取扱あり。2階の牛タン屋も美味しい。
バター餅をいつでも買える。ババヘラアイスはないようだがソフトクリームとババヘラクッキーが買える。
物産品のほか奥にレストランも併設されており、酒、米、稲庭うどん、比内地鶏、山菜など幅広く美味を味わえる。
直送野菜・野菜の加工品等沢山あり普段使いできる。同じビル内に山形の食材を使った上品で美味なおしゃれイタリアンのコースを食べられる店(ヤマガタ サンダンデロ)がある。玉こんにゃくがおすすめ。
飯豊町産ブランド米を使ったおにぎりがメインの店舗。物産の取り扱いも。
週替わり(?)で様々な喜多方ラーメンの店が出店している(夕方以降は売り切れに注意)。酒の種類が非常に豊富。美味しい生鮮野菜、桃・ぶどうの珍しい品種などが買え、桃のシーズンは桃をまるごと乗せたソフトクリームが食べられる。電話注文で発送してくれるらしい(https://midette.com/9680/)。
鉄板の納豆の他、あんこう、メロン、笠間焼など。メロンパン・メロンパフェが美味しく品揃えが良い。
県民おすすめのレモン牛乳がおいしい。蒸かしたじゃが芋に衣をつけて揚げたいもフライも素朴な味わいが楽しめる。
ぐんまちゃんに会える日もある。トラバ増田のおすすめは「かいこチョコレート」。インスタ映え間違いなし(……)
その他の東京の小売店については→ https://www.pref.saitama.lg.jp/b0101/saitama-meibutsu/index.html
大島や八丈島など東京の島々の特産品を取り扱っている。ネットショップでも購入可。
燕三条(金属加工の街)ゆかりのキッチン便利グッズが妙に豊富で面白い。元々物販系だったがリニューアルにより食べ物や酒類も少し増えた。
包丁・はさみ・爪切りなど鋭利な金属推し。栃尾揚げは人気のためか売り切れが多い。スーパーマーケットのように普段使いできる品揃え。
比較的新しい。バーコーナーで富山の日本酒の飲み比べができ、常時約20種の日本酒から3種類を選べる。かまぼこやサバのなれずし等つまみも旨い。奥の方には本格的な和食の店もある。観光案内もやっている。ホタルイカの一夜干し、銘菓甘金丹・月世界などが旨い。
フグの卵巣の粕漬けが売っていて鍋の締めの雑炊に混ぜるととても旨い。塩気が強いため使う量は少量で済み、値段も800円程度。金箔ソフトクリーム、能登牛、烏賊丼などのイートインもおすすめ。
物販系のアンテナショップ。越前漆器などの伝統工芸品が非常に美しい。
いつでも信玄餅を買える。
ちょっと笑う感じでりんご押し。色々な種類のりんごが売っている。広さはさほどない。丸山珈琲(軽井沢)が各種置いてある。
所在:上野/鶯谷(岐阜ホール/https://dailyportalz.jp/kiji/gifu-hole)
日本茶を飲める店。東京駅でもうなぎパイV.S.O.P.が買える。
最近話題の伊勢うどんが食べられる。新しいビルの路面店で狭い。手裏剣なども売っている。
鮒ずしが買える。ほうじ茶が旨い。1Fのバーカウンターで「お試し鮒ずし」と滋賀の日本酒を併せて楽しめる。
粉ものメイン。コーヒー、ミックスジュース、ソフトクリームなど。ブコメによるとどん兵衛の西日本味や製造中止となったカールが買えるとのこと。
でかいせんとさんが軒先に立っている。柿の葉寿司と油揚げが旨く晩酌におすすめ。
日本橋にあったが日比谷に移転。新米の季節の仁多米、日本酒などのほか柚子の皮の砂糖漬けが美味しい。出西窯、湯町窯という民藝ブランド窯の食器がおすすめ。
国産無農薬レモンやカープソース(お好み焼きソース)、広島カープの土産が買える。旨いお好み焼き屋もある。「この世界の片隅に」などアニメとのタイアップ企画をしていた。柑橘ジェラートが充実。B1の瀬戸内ダイニング「遠音近音」も美味しい。くにひろ屋のブランデーケーキは5個パック/10個入のみ取扱い。
フグのひれ酒の「ひれ」だけを売っているので冬場などにひれ酒を楽しめる。
小豆島のアンテナショップ。特産の生そうめんがある。2階ではうどんも食べられる。
ゆずアイス、紅茶ソフトなどがあった。しょうが推しか。リュウキュウ、のれそれ、どろめ、ヤマテパン、土佐鶴の天平など都内では珍しい地元名産品を買える。併設レストランのカツオのたたきはもちろん旨い。
あまおうソフトクリームなどの飲食提供有。お菓子、うまかっちゃんのいろんな味セットなど。「スタッフが好きなもの」でまとめたコーナーがある。梅ヶ枝餅も買える。
壱岐で獲れた魚、種類豊富なカステラ、あごだし、五島うどん、波佐見焼など目でも舌でも楽しめる品揃え。たまにV・ファーレン長崎の名物マスコットが一日店長をしているらしい。
イートインが併設。
くまモンのプレゼンスがでかい。くまモンモンキー(オートバイ)展示があった。いきなり団子がおすすめ。東京の普通のスーパーではなかなか売っていない馬刺しを買える。
温泉(足湯)がある。かぼすソフトクリーム、かぼすサイダーなどの飲食提供有。
マンゴーソフトクリーム、甘乳蘇ソフトクリームなど。併設レストランのランチ定食「お刺身とチキン南蛮焚き餃子のセット」が別トラバ増田のおすすめ。水に溶くだけで作れる冷や汁の素が売っている。
老舗?の物産館。さつま揚げ(鹿児島県人はそう呼ばない)が旨い。東京のスーパーでは売っていないムチムチしたさつま揚げが食べられる。併設レストランの黒豚しゃぶしゃぶランチも美味。3Fにも食器類がある。
広々としていて店の奥の方にサーターアンダーギー、沖縄そば、ブルーシールのイートインスペースがある。泡盛が充実している。「シーサーがいっぱい」という黒飴、練り唐辛子ペースト、もずくの天ぷらなどがおすすめ。
東日本の食品を中心とした、JR東日本グループの地産品ショップ。ほか池袋駅にレストラン、上野駅に居酒屋としても展開。
架空の「地方のスーパーチェーン」にいるような気持になれる。富山の豆腐の味噌漬けが美味しい。
全国各地の特産品が販売されている「日本百貨店」他。1店舗で全国が揃う感じ。
こちらも食品/物産/カフェ/レストラン等4F建て1店舗で全国特産を網羅。
ローカルスーパーで地元の特産品を買った際には冷凍焼き芋と冷凍枝豆を保冷剤に使うとよい。
※755ブクマ時点までの元増田・トラバ・ブクマの情報を反映しました。字数制限に引っかかって追記が難しく、頂いた情報全てを反映できず申し訳ありません。
残業して疲れたので、上野駅でグリーン券を買ってグリーン車に乗った。
東京駅で家族旅行と思しき中国語を喋る一団が乗ってきた。彼らは俺の近くに座り、恐らくは母であろう人物が俺の隣に座った。彼女の俺とは反対側の隣、つまり通路にはベビーカーが置かれ、そこに4歳くらいの男子が座している。
ふと気づくと、彼らは誰ひとりとしてグリーン券をアクティベーションしてない。
「券、買ってますか」
そう言おうとして、思い直した。旅行者はSuicaなど持っていないのが普通だろう。それに、中国語で言わなければ伝わらないかもしれない。
しばらくすると、ベビーカーの推定4歳男児が大声で歌い出した。中国人家族の祖母らしき人物がそれに手拍子を合わせ始める。
心にそんな疑念が浮かぶ。それはむしろ、理解していないという確信に近かった。もしそうならば、彼らは無賃乗車の上でグリーン車に騒音を持ち込んでいることになる。まぁ、真実は車内検札が来れば分かる。
だが、さすがに推定4歳男児がうるさい。俺は子供に向けて「しーっ」と人差し指を唇につける例のジェスチャをした。と、
「チッ」
という舌打ちとともに、母親が子供に中国語で何事か伝え、子供は黙った。祖母らしき人物が俺を睨んだ。俺は虚を突かれた思いがした。