はてなキーワード: ホモセクシャルとは
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
「ゲイでもない異性愛者の男性達が女性を除け者にして仲良くしているのが気に食わん」って事?
「異性愛者の男は全てのゲイと女性を馬鹿にしている差別主義者で謝罪すべきである、反省して自分達がゲイと認めてホモセックスしろ」って言いたいの?
でも貴方達BL好きな腐女子って男所帯の集団に女性が混じったら率先して攻撃して排除しようとしてるじゃないですか
「原作からゲイって設定だと媚びてるようで萎える、ノンケと分かってるキャラをホモにするからこそ萌える」って散々言ってたじゃないですか
一番意味が分からないのがこのホモソーシャルという変なレッテルを腐ェミニストは自分の好きな作品にあえてやってる節がある事
ホモソーシャルは悪だけど腐女子としては美味しい~とか訳分かんないよ、好きだからこそ差別加害者のレッテル貼ってマウント取りたいの?
好きなキャラの性的指向を捻じ曲げられた上にいきなり差別主義者のレッテルを貼られたこっちの身にもなれよ!
↓の増田が俺の言いたい事を俺以上に分かりやすく説明してくれていて感心した
今更だがブコメ読んだ
nanamino 「ホモソーシャル」って別に腐女子用語じゃないんだが。
tGsQqV 根本的に意味を取り違えているのは釣りなのか本当にものをしらないのか… ホモ=ホモセクシャルを略したものという意味しかしらないの?
fukken この場合の「ホモ」は「ホモソーセージ」とか「ノンホモ牛乳」とか言う時の「ホモ」で、つまり単に「同質性の高いコミュニティ」と言う意味。同性愛のニュアンスは1ミリも含まれない。
cinefuk ホモ=ホモセクシャルしか思いつかない愚かな日本人のために、中学校でラテン語を必修にしよう
ponpon_qonqon …え。増田、ホントに「ホモソーシャル」の「ホモ」を「ホモホモ7」の「ホモ」と同じものだと思ってるの? ちょっとかわいくね? この増田総受けの同人誌コピー本24pで緊急創刊しなきゃいけないレベル
grdgs 反フェミはこのレベルのアホが多いんだよな。ミソジニーと言われて三十路の年齢差別をするとは許さないってのもいたし。
kumpote これは恥ずかしい
anguilla なぜ調べないのか
shimajitan 百歩譲って初見で意味わからんかったとしても、これくらいググればすぐわかるじゃん。。。別にネット用語でもなんでもないんだからさあ。。。マジggrks
fnm ホモ・サピエンスって単語知ってるのかな?まぁ「ホモ」っていう単語は、お笑い業界やテレビが雑に侮辱言葉として使いすぎたよね。学のない人が拒否反応示すのも理解する。
esbee 増田の知能が心配なんだが……とりあえずググってみたら?
shiroinu744 「ホモソーシャル」は「ゲイの社会」じゃないよ。カタカナ語は調べてから使うほうが良いよ。 リベラルとリバタリアンの区別付いてない人も多いし。
noukomakuta いやさすがに釣りでしょ
LuckyBagMan わかんない用語あったらググる習慣って大事よね
takashi1982 SNSはじめネット社会の良いところは個人が自由に意見表明できることだけれど、基礎知識さえ無い暴論により「良貨を駆逐する」ことが起こりうる。「それくらい勉強してこい」とゼミで教授から言われることもないし
toro-chan ホモの逆はヘテロ。男性の集団を意味してない。ただ、最近では男性の集団だけを言う場合も多い。弱者男性はホモソーシャルに関わってないので男性「全体」に使うのは間違ってるが、その誤用で、このような誤解される
agricola ホモジニアスなソーシャルといわれて意味がわからないのであればもはやいうべき言葉は一つしかない「十年ROMってろ」
umarukun 意味がわからないなら怖がる前に調べなされというお話だった。
inatax やたら同性愛を話に絡めてくるあたり、本当に「ホモソーシャル」の概念が理解できてないっぽい
お前らフェミニズムに被れた腐女子がホモソーシャルが云々言ってるの見た事無いの?
言いたい事を分かってる上で意図的に曲解してるなら悪質だけど、何が言いたいのかも分からないなら馬鹿じゃないのか
ホモソーシャルって「異性愛者の集団が同性愛者と女性を疎外して同じ属性だけで絆を深める」事だろ
それくらいは知ってるわ調べたらすぐ出てくるんだから
https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21
「男だけの異性愛者の集団は女性と同性愛者への差別と蔑視を伴う」からフェミニスト的には悪なんだろう
でも腐女子的には「必死に女好きアピールして言い訳してるけどどう見てもゲイじゃん美味しいです」って妄想の燃料になるんだろう
「お前ら本当はホモなのにノンケの振りしてるだけだろ?認めろよ!」ってノリでホモソーシャルの問題性がどうの言ってるから嫌なんだよ腐ェミニストは
「男性の問題を指摘するために女性の学者が提唱した概念だから指さない事が多い」んだとさ
それにしても何か叩けそうな日記だと思った途端ウジャウジャ湧いてきやがって気持ち悪いなお前ら
まず自分の事を恥ずかしいと思わないのか?
differential ???/誤用してる人がいるからといって、増田もその御用に習う必要は1ミリもないと思うし誤用してる人達と同類のアホとみなされるけど大丈夫ですか?
…本当に分からないのか?もうここまで来るとわざと曲解してるようにしか思えないけどもう疲れたぞ俺
いきなり好きなキャラにホモソーシャルって同性愛者・女性差別主義者のレッテルを貼られて
自分を負かした相手が男か女かで態度を変える、ってなんだか性差別的だ。
男だといわゆる勝負の負けとして普通に不快だが、女だと真剣な勝敗にはカウントせずに性的興奮する「負ける」になるわけでしょう?
もしミソジニーなら、真剣な領域での負け、例えば… 人気ブコメで女性に「あなたのマゾ論は間違いです」って指摘された挙句に自ブログで解りやすく高度に論破されたら、ブチギレてしまうと思うけど、どうだろう?
いや、まあ、ミソジニーだとしても別に誰かに迷惑を掛けたわけじゃないのでいいか。
いきなり失礼した。
性癖の成立に自分の経験を持って踏み込んだ説明をするのは、増田らしい、よい切り口だと思う。面白い。
性癖としては寝取られた相手が実は女性だった、ってわかるケースはどう? 論に従うと、わかった時点で興奮してくるのか。それとも負けの自覚シーンで目の前に女性がいる必要がある?
M男増田に合意が多いところを見ると、この仮説は広く当たってるのかもしれない。
だとすると逆に、 NTR がどうやって醸成されるのかも気になる。男に負けた経験から男への負けがクセになる、って話になるんだろうか。ホモセクシャルではなくても、経験から性的に男に興奮するようになる? ううーむ。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
今思えば、告白して付き合ったことなどなかった。中高大と、向こうから「付き合って欲しい」と告げられて、断る理由もなく、むしろ大抵は少しは相手のことを好ましいと思って了承していた。
しかし初めて性行為に至ったのは、それこそ3人目の彼氏、大学の先輩だった。それまで「なんとなく」嫌で避け続けていたのだが、周りの女友達も次々卒業していくなかで、そろそろ潮時だと思ったのだ。
別に今まで相手が嫌いだったわけでもなければ、相手が求めてこなかったわけでもなかった。でも、正直自分より大きなゴツゴツした手を握っても、父のような安心感はあってもときめきや興奮はなかった。それが更にデリケートゾーンに及ぶと思うと、守られる安心をすり抜けて侵害される恐怖だった。
中高くらいまでは私が初めての彼女、みたいな相手しかいなかったので、「したくない」といえばそれでも年単位で関係が続いたが、自分も成人し、それを押し通すのが相手に失礼というのが段々理解出来てきたのだ。
結論から言うと、直後吐いた。相手は私が泣くのを処女だからだと思ったらしく、途中で中断してはくれなかった。「いずれは通る道だから」とでも言いたげだった。乾燥した指が腹の肌を行ったり来たりするのが気持ち悪くて仕方がなかった。どうしようもなく、私は男の体に性的魅力を感じなかった。微塵も気持ちよくなかった。きっとあの時行為を最後まで続行させたのは、私が濡れたからではなく、がっつり流血したからだと思う(気持ちくなくても濡れると聞くから、多少はあったかもだけれど)。
その後その彼氏とは別れ、2人ほど異性と付き合った。「前の相手が合っていなかっただけ」だと思おうとし、出来るだけ見目の良い、「いいな」と自分も思える相手を選んだ。それでもやっぱり、私は男体が好きになれなかった。さっぱり濡れず、どうしてもそういう行為が避けられそうにもない日は潤滑ゼリーをしこんだ。
最後の彼氏と別れたあと、それなりに悩んだ。最近流行りのアセクシャルというやつだろうかと考えた。それならまぁ納得する。多分性欲は薄い方だろうとも思ってたし。
最後の確認と思って、レズ風俗を頼んでみた(当時はコロナ前だった)。そしてわかったのだ。私は確かに性欲が薄いが、それ以前に同性愛者だった。
柔らかい肌に、肉に、その他諸々にきちんと性的興奮を覚えた。今まで更衣室や女風呂で見た女体に視覚的に興奮することはなかったが、それもやはり性欲の薄さがなせる技だったらしい。肌と肌の触れ合いがこんなにしっくり来るのは初めてだった。
その後紆余曲折あり、今は同性の恋人と付き合ってる。月に2〜3回はそういう行為もする。そこに不満はない。
しかし今考えても、今までの彼氏に恋愛感情がなかったわけではないと思う。なんていうか、「バイロマンスでホモセクシャル」ってことなんじゃないか?と最近定義してる(恋人は生粋のレズビアンで男性をちょっと嫌悪してるから、こんなこと言えないけど)。
もしかしたら、性欲のない男性と恋に落ちたら案外上手くいくのかもしれない。今のところ出会えていないが、成人してから自分の性欲に向き合えたわけだし、これからも十分、「可能性」とやらは開かれている気がする。
死んだ魚のような目で一連の流れを追っていたのですが、どうしても納得できない部分があります。
性交の同意年齢の引き上げを検討する議論で出た、「50歳の自分が14歳と恋愛して同意の上で性交して捕まるのはおかしい」発言について、講師に招かれた教授はインタビューでこう言いました。
この発言には実は驚きませんでした。ジェンダー後進国の日本では、こういう意見を持つ方は、刑法学者でも弁護士でもいます。問題は、それが『アンコンシャス バイアス(=無意識の偏見)』に基づくもので、本人たちは悪気も自覚もないということ
性的搾取とかアンコンシャスバイアスとか、どうやって判定するのだろう…
先進諸外国では、社会人と中学生のように、年齢差も力関係の差もあるところに、対等で真摯(しんし)な恋愛が存在しないというのは、とっくの昔から常識。(中学生からすれば)疑似恋愛かそう思わされているだけで、性的搾取だという考え方です
今回の事件へのコメント欄にも、ロリコンだとみなして「気持ちわるい」と暴言を吐く人たちが即座に現れた。もしこういうことがあったなら~って仮定の想像だけでもう、公然と罵倒されてしまう。「歳の差恋愛で逮捕がおかしいというのなら、何がおかしいのか?」って議論にはならずに、ただ、一笑に伏される。
あなたたちが見た恋愛は、ぜんぶがニュースの報道でしょう。 加害・被害の関係だけしか見てないのに、本物の恋愛はどこにも存在しないってどうして言い切れるのだろう。ロリコン性愛へのアンコンシャスバイアスがすでにあるのに、疑似恋愛か本物の恋愛かをどうして決められるの?
本物の恋愛の資格を与えるほど、中学の性教育って特別なものだっただろうか。ついこないだまでホモセクシャルの恋愛は疑似恋愛として扱われてたのに、「常識」がどうして頼りになるだろうか。
はてなブックマークばかり眺めていたので知らなかった。
令和三年にもなって未だにこんなことを言ってる人がいようとは。
レズビアンの筆者に向かって、
長い、長い… ため息が出た。
「ホモセクシャルは存在しない。彼らには男女の交友が足りてないだけだ」式の典型的で古典的な、博物館に展示してありそうな
The・性差別。
ワザワザ他人の性に首を突っ込んでまでひとこと物申したくなる彼らの動機は、自分の男性性を否定されたように感じるから、だと知られている。同性愛が存在するだけで異性愛が否定されたのように感じるのは、実はそれだけジェンダー規範への圧力が強かったということだ。理不尽な同調圧力でアイデンティティを押し付けられたとき、人はそれを正当化する理屈を自分の中で作り出してしまう。そうすれば「本当は勇気を出して戦うべきなんじゃないか?」って悩みから解放されるから。この現象を “規範の内面化” という。差別者さん、あなたは社会に対して腹をたてるべきだったんですよ。彼らに迎合して LGBT を殴るのはやめてください。未来に価値観をアップデートできたとしても、加害したって記憶はずっと残る。歯茎に刺さる抜けない魚のホネになる。でも被害を受ける方は——想像もつかないだろうけど——もっとずっとくるしいんだよ。
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえるよう、引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記します。記述形式は
[ページ数]
です。
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。
〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。
[p101]
柳下:淀川さんって本当に肉体派でしたね。好きな俳優はシュワちゃんにスティーヴン・セガール。
町山:あとチャールズ・ブロンソンとか、現場労働者タイプ(笑)。シュワちゃん、ジャッキー、ヴァン・ダム、セガール、それにドルフ・ラングレンの映画は『日曜洋画劇場』の独占状態だった。淀川ハーレム。
町山:とにかく男、男、男の映画。淀川さんって自分の欲望に忠実だったねえ(笑)。
【※】相手が死去して反撃してこないのをいいことに揶揄する。景山民夫の時と同じ。そもそも町山智浩に「欲望に忠実」と他人に言う資格は有るのか?他人の女性パートナーの胸を揉んだりキスしたりするのに。
【※】続いて『ゴッド・アンド・モンスター』の話題に移る。これは、’31年版『フランケンシュタイン』の監督ジェームズ・ホエールを主人公とする伝記映画。
[p102]
町山:そもそもさ、フランケンシュタイン博士はなんで怪物を作るんだと思う?
柳下:え、そりゃ自分の手で生命を生み出すためでしょ。神への挑戦として。
町山:でも、それだったら別に男じゃなくてもいいじゃん。男なら普通、まず理想の女から作らないか?
町山:いやいや、フランケンシュタイン博士には男を作る方が自然だったんだよ。なぜかというと博士はホモだったから!
町山:いたって正気。これ、ただの思いつきで言ってるわけじゃないんだよ。実は最近ジェームズ・ホエールの伝記が出て、そこでジェームズ・ホエールがホモセクシャルであることを明らかにしている。
町山:確かに『フランケンシュタイン』を観てると、博士の行動ってすごく変なんだよね。婚約者の美女がいるのに、ちっとも彼女にかまわないで、男の死体をいじってる。
柳下:要するにホモなのに結婚させられそうになって、死体でダッチワイフ作ってるってことですか。ワイフじゃなくてダッチボーイか(笑)。
【※】ここでも「女に手を出すことが『男の証』」という考え方と同性愛者を「異常者」扱いする姿勢が顕れている。
[p109]
町山:それって、『もーれつア太郎』の目玉のつながったお巡りさんだね。あんまりピストルを撃ちまくるから、ア太郎たちが警察署に苦情言ったら「そこ交番ないですよ」って言われるの。要するに勝手に警官名乗ってるキチガイだったんだよ(笑)。
柳下:でも映画版『ポストマン』にはそういうキチガイの部分がないんですよ。
【※】「キチガイ」もよく使う印象。
[p110]
町山:コスナーの人気が落ちたのは、カミさんに全部暴露されたからなんだよ。床屋に行けば床屋の女とヤッちゃう無差別爆撃男でだったんだよ。
柳下:他の俳優なら「しょうがないなー」で済むけど、コスナーは良識ぶってるから反感買うんだな(笑)。
【※】「良識ぶってるから反感買う」は今の町山智浩たちにも噛み締めてもらいたい教訓だと思う。
[p114]
田野辺:あんたら迷惑なんですよ。悪口ばかり言うから、僕らが映画会社に出入りしにくくなるでしょ。
【※】そりゃ、健康も崩すよ。
[p115]
【※】マーティン・スコセッシの『クンドゥン』に触れ、柳下が「ダライ・ラマの生涯を描いてチベット開放を訴える映画ね」と物語を説明した流れから。
町山:スコセッシは一般人に好かれようと思わないで、チビのキチガイが人殺す映画だけ一生作ってりゃいいんだよ!
柳下:チベット救済ってのがトレンドなんじゃない?昔の反原発みたいなもんでさ。チベット救済コンサートとかやってるでしょ。ロクなもんじゃないけど。
【※】「チベット問題」や「原発問題」に関する意識が今日からすれば隔世の感が有りますが、そういえば町山智浩は「天安門広場で死者は出ていない」と云う中国政府寄りの立場なんでしたっけ。
【※】その後、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』に話題が移る。
柳下:おかしかったのはニコラス・ケイジの弟分になるホアキン・フェニックス。登場するなり「オレはホモじゃないぜ」って言うんだけど、なぜかケイジのために命を捨てる。やっぱホモじゃん(笑)。
柳下:ジョエル・シュマッカー監督(ゲイ)の自分へのサービスじゃない(笑)?
【※】ここでも「(笑)」を使っている。
[p123]
【※】監督スタンリー・キューブリック、出演トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの『アイズ・ワイド・シャット』の話題
柳下:だから試写で、おすぎが「つまんない映画ね!」って言ってたよ。
町山:筑紫は見につまされたんだな。痴漢局長に乱交アナ、覗き記者に囲まれて『ニュース23』やってりゃムラムラくるって(笑)。「オレだって昔は女子大生にモテたんだぞ!」って。
【※】浮気願望といえば、少し前に○人疑惑が持ち上がった人がいた気がしますけど、誰でしたっけ?今日のお風呂は血の色です。
[p124]
柳下:道ですれ違った体育会系のガキどもに「オカマ野郎」って言われるシーンは、モロにトムのホモ疑惑をネタにしたギャグでしょ。
【※】同性愛を揶揄する時に「疑惑」という表現を使って「恥ずべきもの」というイメージを植え付けようとする。
(初出『映画秘宝』99年vol.13)
「ロリ」って単語やロリ呼ばわりをネットから消し去りたい、って話を聞いた。
ロリータが語源だから幼女への性的眼差しを内包した単語だってのは正しいだろうけどさ、でも邪悪な単語「ロリ」を消したところで眼差す側の人間、ロリコンは消えないと思う。
ホモセクシャルの存在を否定しようと排斥しようと、彼らが決して消えることはないのと同じに、
ロリコンを迫害したところでロリコンを消滅させることはできないはずだ。
コンビニからエロ雑誌が消えた理由は、女性を威嚇するのをやめて欲しかったから。
ロリって単語を目にした幼女がたくさんいて彼女らが傷ついているなら、ワードの締め出しも意義がある。
でも——俺には少女時代がなかったから解らないが、そんな女の子いるか?
単語の意味がわかる頃には対象の範囲から外れて安心になっているのでは?
感覚のアップデートって世代交代だ。こんにちわロリコンです。新世代の叩いていい属性です。同期のインセルさん、九州男児さん、おっさん、よろしくです。
anond:20210301102544 LGBTを嫌う自由はあるのか、に対する b:id:muchonov 氏の意見 anond:20210302093544 について、
結論に関しては同意しなくは無いものの、やはり倫理学的にみてロジック部分に引っかかる部分があったので指摘 & 自分の意見を書きます。
マジョリティがマイノリティーに対する嫌悪を公開することを悪的行為としているが
そもそもマイノリティーがどっからマイノリティーなのか、というのは実は非常に曖昧ですよね。
日本においては男女の人口比は 49:51 なので この論だと「男は嫌い」という意見も差別ということになってしまいますよね。
(もちろん、はてぶで見る過度なブコメはまずいと思っていますが)
そもそもマジョリティもマイノリティーも切り取るコンテキストによって大きく立場が変わりますよね。
前述したように切り取るコンテキストによって勾配の傾きは変わる以上、ロジックとしては非常に危ういんですよね。
何より、その理屈でいえばマイノリティーがマイノリティーに対する嫌悪は問題ないということになるのでは。
ゲイ本人が自身のもつ特性に嫌悪感がありそれをもって「ゲイの人間はクソだ」と言うのは問題ないんですか?
むしろその属性が持つ本人がいうことにより、偏見が社会的に強まりません?
表現をするものの属性のみによってその表現の道徳性が変わるのは倫理学的におかしいですよね。
だから社会的少数派へ嫌悪を表明してはいけない、というロジックはいささか問題ありますよね。
内心で嫌う自由はある。マジョリティに100%保障されたその自由を、存分に享受してほしい。それって、すごい特権だと思わないか? だってマイノリティにはさまざまな社会的抑圧や差別によって、内心ですら自分自身を100%受容・肯定することがままならない人達もたくさんいるんだぜ
まるで性的マイノリティは内心の自由すら無いような表現だけど余計なお世話。
本当に余計なお世話。
なんで他の人と違うんだろうとか自分が受け入れてもらえないとか悩むけど、その悩みがあることと内心の自由の権利の有無は別の話。
社会的抑圧のせいで自分の性を肯定できないでしょ、って言わんばかりの上から目線というか。
マイノリティーだから内心の自由が制限されているはず、という id:muchonov 氏の意見の方が内心のあり方に関する干渉にしか感じられない。
そこは人によって違うし性的にマジョリティであっても様々な要因でうまくいかない人もいるはず。
(突き詰めていくと自己決定はどこからか、という話になるんだけどそれを言い始めると全ての人に話がおよびますよね)
もちろん、嫌いの公言の仕方にもよります。なんらかの先入観や偏見を伴った言説を元に嫌いだとか排斥運動するのは
あと、「LGBTを禁止する社則/校則を作って欲しい」とか言ったりするの。
でも、そうーいうのをさけ、「男のくせに女の格好しているのは嫌いだ」とかの話は
ただ、この日本においてはTVのバラエティ番組などでLGBT、
というか特にホモセクシャルは面白おかしく扱われ、自分の性的指向を公開することをためらわせる
exclusive な流れがあった/ある、ということはご理解いただけると思います。
「私たちはあなたたちがこの社会の中で当たり前に存在することを許さない」という価値観の表明で、それは彼らに対する抑圧に直結する
とまでは言う気は無いものの、やはり結構きついものがあります。
なのでできたらやめて欲しいのです。
これを強制するつもりは無いですし、なによりできないでしょう。
何が言いたいかというと、あなたがLGBTを嫌いであったとしても敬意を持って欲しいということです。
敬意持って欲しいとは偉いと思ってくれってことではなく、僕もあなたと同じように仕事をしたり、遊んだり、
日々いろんな悩みを持って駆け回ったりしていて
ただ性自認があなたの想像と違うだけでそれ以外はほとんどあなたと同じ人間である、ということを認めて欲しいということです。
本来、多様性やダイバーシティとか言われることの根幹はそーいうことですよね。
だから、id:muchonov氏の元増田の考えを悪と断罪する考えは同意しませんし、
タイトルそのまんま。
恋人のような人は過去何人かいたことがあるけど、最終的に友達みたいになって終わった。全部。
当たり前だ。私が性愛と家族愛と友愛のうち家族愛と友愛しか知らないのだから。
性愛をそれら二つでなんとか繕っているうちにいつも終わりがやってくる。
大学生の頃に私を好きになってくれた人ともやはり結婚しか考えていなかった。
院生の頃も仕事をはじめてからもどの相手とも最初のデートの段階で結婚しか考えていなかった。
正直、それまでのなんやかんやに一切の興味が湧かなかった。
でも根が真面目でかつ博愛主義なので知り合った人には幸せになって欲しいと願っていたから色々頑張った。
恋をしている振りもした。一度も上手くできたことはないのだろうけれど。
恋をしている振りをするために恋愛ハウツー本を読むというあべこべな方法論を採用した。
または情を恋心と勘違いしていたから鬱傾向の強い人と付き合うことも多かった。
そう。
自身に恋愛感情というものが一切ない、ということを受け入れたのはつい最近だ。
はじめての彼女には「俺は初恋ってなかったんだよね」とは言った。そして泣かれた。
けれどそれでもどこか、信じていたのだ。
私は恋をしている、と。
そして情、友愛、そして家族愛を恋心の代用品として使用していたら20代が終わっていた。
迫られたことはある。それでもなぜか手を出さなかった。いや、その時は「なぜか」と思っていた。
今考えてみると当たり前の話だ。性欲がないのだから。
年収 750 万。
東京大学卒。
この情報を使えば婚活すればどうにでもなるのだが、やはりどうにもならない。
恋心も性欲もないのだ。
今、私を好きだと言ってくれている女性がいる。
私はその人と結婚したいと思っている。
でも、恋はしていない。そんな状態の私が彼女をどう誘えばいいのか、それが分からない。
ただそれでもやはり結婚がしたいんだ。
私は人を愛することはできる。
ただその人に対する独占欲が一切なく、その人に入れ込む心情が一切ないだけなんだ。
だから今でも、そう今でも自分がアセクシャルなどとは認めていない部分がどうしてもある。
恋している人を見るとどうしても気持ち悪く感じてしまう自分から目を逸らしながら
せめてホモセクシャルやトランスジェンダーに生まれていれば良かったと何度思ったことか。
自分がそれらではないのか?と疑いひたすら女装をしていた時期もあった。
またはロリータコンプレックスではないかと疑いアイドルを追ってみたりもした。
熟女好きなのではないかと疑い年上にちょっかいを出したりもした。
だから私の知人は、私と主に一緒にいた時期によってどう私の性的指向を把えているかが変わる。
ただそのどれでもなかったのだ。
そしてこの年齢になってやっと受容してしまった。
ただそれでも結婚して、家庭を持ちたい。