はてなキーワード: ブランクとは
新型コロナで騒がれている中、会社の都合で退職を余儀なくされた。大学出て総合職で働いていたものの、病気の後遺症的なモノで障がい者になってしまい、障がい者枠で初めて働いていた会社である。その会社のグループはダイバーシティやSDGsを積極的にPRしていて、潰れない限りは大丈夫だと思っていた…
それが突如「障がい者雇用枠を撤廃して、地方の特例子会社へ一本化する」という親会社の一方的な理由でクビになったのである。しかも契約更新の前の月の末に突如宣告され、「最後の月の給料は出すから出勤しないで転職活動してくれ」という突っぱねぶり。最終出勤日に至っては部書内でかなり冷たく接しられ、お世話になった人へ感謝の気持ちを伝えられず定時で追い出された次第である。あまりにも唐突なことで今もフラッシュバックが起こってしまいそのたびに胸の内が苦しくてたまには怒りやうつや泣いて情緒不安定な状態で過ごしている。
そもそも、ダイバーシティとは「性別や国籍、障がいなどで差別せず平等に扱う」という意味。それなのに親会社はLGBTsの取組とか大体的にアピールしつつ、障がい者は特例子会社という日本独自の制度で排除するっておかしくないか?他の国内企業ではグループで特例子会社を持ちつつも独自で障がい者雇用をしているところがあるのに、ダイバーシティをあちこちでアピールしている親会社の行動はなんなんだろう?外部から見たらダイバーシティだろうけど(特例子会社はハロワ求人必須なのでサイトに企業名が出る程度)、内部がこれだと虚偽のアピールなので安易にダイバーシティ推進とか言わないでほしい。これが全国屈指の有名企業というから本当に笑えない。
現在は部長に紹介された障がい者就労移行施設に通所しながら転職活動をしている。移行施設には様々な障がいを抱えている人が日々訓練している。その中で会社都合で退職した人が放り込まれたら…パソコンができるだけで羨まれ、ファイリングなどを短時間でできることにスタッフが驚き、普通に電話対応している姿を入所までの背景を知らない他の人が見たら「なんであんなにできる人がここに?」と逆にプレッシャーを与えてしまいかねない。私だって本当は大学出て(病気で2年弱休んだけど)ずっと働いていたのだもの、支援施設のサポートはあまりいらないと思っていた。それでも部長の勧めと運悪くコロナの関係で求人が徐々にストップしている関係でやむなく通所している(なお現在は外出自粛要請のため在宅訓練)。「ブランクを施設通所にすれば相手ウケいいから」という施設側の責任者の言葉で渋々入所を決めてしまった。私みたいな人がいたら周りからみてプレッシャーだ。相手がそう思うか否かは別として、パソコン操作に苦しんでいる人とか軽作業で苦労している人とかを見ると申し訳ないと涙が出てしまう。今でも身勝手な理由で退職に追い込んだ会社を恨んでいる。
あまりにもひどい内情を知ってしまった以上、次は今までチェックしていなかった外資系に転職しようかと考えている。話によると外資系は本社のある国の基準で採用を行っているという。そうなれば特例子会社で障がい者枠排除という理不尽な退職をしなくて済みそうだ。コロナが落ち着いたら前の会社より給料も福利厚生も色々と優遇されている会社へ転職してやる。
そして、興味半分で自社のリクルートサイトを見たら、まだ障がい者枠採用のページが残っている。この内情を知らずに応募する障がい者の人がいると思うと心が痛む。はなから採用する気がないのに、応募書類を作って送る時点で無駄な労力だ。
最後に障がい者採用枠で仕事探している人へ。求人はハロワか民間の障がい者専用の就職サイト以外をろくに信じてはいけない。私のいた会社のようにハロワに怒られないようにただ求人だけ出している企業が少なからずあると思った方がいい。コロナが落ち着いたら安定して働ける会社で思う存分(でも無理しない範囲で)働こう。
正確には今年の1月まで看護師として総合病院で勤務していて、今は求職中だ。退職した時にはまだコロナウイルスなんて言葉すら殆ど聞いたことがないくらいで、それから引越しをしたり色々と手続きをしたりしながら少し息抜きをして、4月から他の病院で働こうかなと考えていた。そんな風に思っていたところで、コロナウイルスが世界的に大流行してしまい、日本でもとうとう緊急事態宣言まで出されてしまった。
そのことについて安倍首相が会見を開いたとネットニュースで見て、その中には「潜在看護師に職場復帰の声を掛ける」と書かれていた。
それに関しては、一体どうやって潜在看護師の所在を明らかにして呼び掛けを行うつもりなんだろうと思いもしたのだけれど、免許の登録番号もあるし色々と手を打つのだろう。
私はもともと呼吸器系の内科も含まれる病棟で勤務していたから、急性期の肺炎の患者さんなんて毎日のようにみてきたし、それこそ人工呼吸器だって扱いができなければ話にならないような現場にいた。プリセプターとして後輩に指導をしてきた経験もある。二十代で一人暮らし、独身だから時間の融通もある程度きくし、通勤以外で外に出なければ他者に感染させるリスクも低い。自分で言うのも何だが、もし今現場復帰すればほぼ即戦力になるだろう。
だから、医療崩壊を何とか食い止めるために、少しでも力になれるなら、と考えた。それでもやはり数ヶ月のブランクがあるから、ホテルに集めた軽症者の治療をするスタッフを募集するのであれば、そちらに応募してみようかなとも思った。
そんなことを考えていた時、SNSに現場で働く看護師さんの書き込みを目にした。
一番感染リスクが高い現場で働いていても何の保障も補填もしてもらえない、自分が感染源になって大切な人を感染させてしまったらと思うと不安で仕方がない、もう辞めたい。
色んな書き込みを見て、胸が痛かった。きっと私もあの時に辞めていなかったら、この看護師さん達と同じ気持ちで毎日勤務していたんだろうと怖くなった。辞めるタイミングが一ヶ月でもズレていたら、退職さえさせてもらえなかったんだろうと思った。
その人達の書き込みは、まとめサイトにも取り上げられていた。けれどそこに投稿されていた書き込みを読んで、私は愕然とした。
嫌なら辞めろ、自分でなりたくてなったんだから仕方ない、当たり前だろ、お前一人が辞めたところで何の問題もない、働いてるのがそんなに偉いのか?
そんな言葉ばかりが並んでいた。看護師なんか馬鹿な女がなるんだから、なんて言葉もあった。
私は、看護師は人の命を扱う、本当に大切で大変な仕事だと思っている。一つのミスがその人の命に関わる、その人の命をお預かりしている仕事だということをいつだって忘れてはいけないと後輩に指導もしてきた。毎日本当に大変だったけれど、入院してきた患者さんが元気になって退院していくたびに嬉しかったし、逆に力及ばず患者さんが亡くなってしまった時には心を痛めていた。それでも、この仕事をしていることが誇りだったし、だからこそもう一度看護師として働きたいと思っていた。
書き込みの中には感謝の言葉もあった。けれど、やはり批判のような言葉ばかりが心に残ってしまう。これから先、もし現場に復帰したら間違いなく今より感染リスクは上がる。それでも当然だと思っている人間が一定数いて、そんな人間でも入院してくれば私は平等に治療を施さなければいけない。国からも病院からも保障、補填なんて受けれず、自己責任で休むことなく仕事をしなければならない。
そう考えると、もういいや、と思ってしまった。私だって、今も看護師として働いている人だってみんな同じ人間なのだ。同じように感染する可能性があるし、死ぬ可能性だってある。感謝しろとは思わないが、あんな言葉を受け、リスクを背負ってまでやる必要はないと思ってしまった。
幸い貯蓄にはまだ余裕があるし、それでもやはり看護師として働きたい気持ちも苦しんでいる人や困っている人を助けたい気持ちもあるから、要請があるとすれば復帰することを真剣に考えようという気持ちはある。けれど、ただひたすら奉仕の気持ちだけで動けるほど私は善人ではない。だから、今はゆっくり、これからのことについて考えようと思う。
多様性が認められつつあるのか、採用ページには性別、国籍、人種不問と書かれた会社をよく見かける。しかしそこに「年齢」の表記はない。
「しない差別」の中に年齢が入っていない。
なぜ?なぜ年齢で差別する?
ただ年を重ねたと言うだけで???
まったくもって納得がいかない。
「多様化」なんて言葉が世に聞くようになっても結局この有様だ。
「女のくせに不器用だ」とか「〇〇人のくせに偉そうだ」だとかそういった属性的な差別には怒る人達が平気で「いい歳こいて〜するなんてーだ」なんて口する。
そこに違いなんか無いのに平気で差別する。己の差別発言に気付きすらしないで。
年齢を重ねると新しいことが覚えられなくなると主張する人は以下の記事を見てほしい。
読むのが面倒な人向けに内容を解説すると、50代以降でも適切な環境下で学習すれば新しい事でも習得可能且つ認知能力は30代半ば以下にまで下がる。しかしその為には"適切な環境"すなわち周囲の理解や学習の場が必要である。というカリフォルニア大の研究をまとめた記事だ。
要は人間は幾つになっても活躍の場とやる気さえあれば伸びるという事である。
これを読むと人間はいかに「期待される」事が重要なのかが分かる。
それを思うと氷河期世代の人達は本当に可哀想だ。成長を望まれない、期待されない、それがどれだけ当人達の心を傷つけたのか察して余り有る。
何年も人格を否定され続ければできる事もできなくなり、成功体験の少なさは挑戦意欲を人から奪う。
氷河期、非正規を無能と一蹴する人はこれが分かって言っているのだろうか?
年齢差別する人は自分の胸に手を当てて、何を根拠に差別しているのか冷静になって考えて見てほしい。
適性のない仕事であっても辞められない、一度ブランクのある人間は使えない…等、はっきり言って適材適所を無視した人材活用の非効率だ。
おまけに一度ブランクを作れば余程の才能がない限り再浮上は不可能。学習投資は大博打。人生は何があって転落するか分からないのに、上がるハシゴが無いのでは将来を悲観して自殺者が出るのも無理はない。
年齢で足切りされている人材が活用されるという事は生産、消費が増加するという事だ。企業の豊かさは国民の豊かさの上に成り立つ。輸出で稼いだ日本にはそれが分からないのだろうか。
時代と共に変化すべきところは変わらなくてはならない。
年齢表記は撤廃し学歴、経験のみで給与を決定。雇用の流動性を高くして労働市場を競争化。非正規はプロフェッショナル職または世帯主を除く一部に限定。
誰でも挑戦できる文化にするべきだろう。年齢差別撤廃のための異論は認める。良ければ多くの人に、私を論破する位のつもりでこの問題について考えて見てほしい。
私はいま新卒だが、一生働ける仕事なんて言うものが未経験のうちから分かるとは思えない。
もっと適性のある職業が今後働くうちに見つかるかもしれないし、そういう時に進学とか転職の選択肢がある社会であって欲しいと思う。
苦節28時間待ち続け、寝落ちしたものの、待ちに待った完了ボタン。
USBタイプCに、OSインストールしたUSBメモリ直挿しして見守る。
初回Bootコケた。
二回目BootXFree86画面ぽいのが出て3分待たされ、只今点滅ブランク待機中3分。
あ。マウスだけ出て来た。
。。。。
やっぱりこのまま5分経過。
やっぱりか。
やっぱりあれなのか。
USBメモリが熱くて触れない。
この三連休は修業になってる。
オンラインゲームで友人達とよく遊ぶんだけど、その中の1人が本当に下手くそ過ぎて厳しい。
別に下手くそな事自体が厳しいんじゃない。遊んでる友人達は大抵俺より下手くそだし。どんなに下手なムーブされても、それが本人の実力なんだったらしょうがない。
でも、下手くそなのに口振りだけは玄人ぶってて、まるで自分は下手じゃないんだけどたまたま調子が悪かった風に装ってるからイライラするんだよね。
このキャラ苦手なんだよねーとか、この武器使い慣れてないんだよねーとか、とにかく負けた時に自分のせいじゃなくてキャラとか武器のせいにする。しかも、どんな時でもその場しのぎの言い訳をするから、後々苦手って言った武器を得意って言い始めたり、得意って言ってた武器をあんまり得意じゃないって言い出したり、矛盾ばっかりになる。
最初から得意な奴使えば?って言っても、結局負けた時に言い訳するのは変わらない。
他の友人達は負けた時「今のは自分が下手すぎた」「今のは敵が上手かったな」って素直に評価するから、まぁそれが実力ならしょうがないよねって笑って遊んでられる。
昔部活のレギュラーでもない先輩が引退した後もちょいちょい顔出してくるんだけど、先輩風吹かせてるのに下手くそだから練習にならなくて早く帰って欲しいって思ってた事を思い出すんだよね。
口振りだけは玄人ぶってるのにいざ練習すると下手くそで、今は本調子じゃないとかブランクがあるからとか言い訳だけは一人前だった奴。
まさか、本当に自分は下手くそじゃないけどたまたま調子が悪いとかそう思ってるのかな。
こういう人ってどんな思考回路してんだろう。
初めてだけど、うまく投稿できてるかな。
私が堪え性がないせいで、転職回数が多く、それぞれの在職期間が短い。
面接でそこを指摘される。
本当に続けられるか?
経験が不足しているのでは?
こんな傷だらけの履歴書、破り捨てたい。でも、今破り捨てたら、もう次がなくなると思う。
本当は下のような感じで流れに流れてきたけど、就活の場では本音と建前を分けて説明してる。
休職させてもらったけれど、復職する時に折り合いがつかなかった。
↓
↓
前より多少楽な仕事になったはずなのに、結婚・転居・転職が重なり、環境の変化についていけなくなった。
ブランクを開けてまた転職。今度は少し業界を変えた。ただし非正規。
↓
とてもいい職場だった。ずっとここにいたいと初めて思えた職場。
けれども今度は夫が転職・転居。
泣く泣く気に入った職場を辞め、転居先で同業界の同職種に転職。
ただし、また非正規。
↓
はずれだった。
初めて職場の人間関係でボロボロになった。休日ごとに寝込むようになったので、逃げるように辞めた。
こんなキャリアの人間は経験を積もうとか、キャリアアップしようとか、
考えられる身分ではないのかも。
今よりも若くてエネルギーに満ち溢れていた工学部に通う大学生のとき、かわいい女の子のイラストが描きたくて練習してた。
嘘、能書きばかり調べていて全然絵をかかなかった。ワコムのペンタブ買ったのに。
自分自身が思う最高のシチュエーションで最高のキャラクターを描きたいと思っていたんだけど、デッサンがクソ過ぎてダメだった。
当初の予定としては10年後、立派な趣味としてオカズの完全自給自足を目指していた。
結局絵を描くことは辞めてしまった。
いま、いろいろあって駆け出し研究者としてひっそりと生きている。
かつてイラストの能書きで学んだことが研究者としての論文書きにちょっと生きている。
研究室の学生に雑談として話すわけにもいかないので、ここに吐き出してメモしておく。
論文も同じ。とにかく書くこと。こんなの出したら恥ずかしいとか、まだ表に出せないと思っていたらネタが腐る。
あと、書くことにブランクを空けるとリハビリに3倍の時間がかかるので毎日少しでいいので続けるほうがいい。
書けば書くほど書きたくなるし、書けるようになるゾ。
論文もイラストも師匠と決めた人の作品を見ながら習作を作っていくといつも新たな発見がある。
こんなときはこんな言い回しするのか、とかふむふむなるほどと思いながら書くのが楽しくなる。
尊敬するお師匠様(指導教員ではない)の論文はときどき模写したりする。
この言い回しカッコいいな、惚れ惚れするな僕の論文でも使おうとなる。
論理が破綻して「文章のデッサン狂ってるな」というのが何となくわかってくる。
そして、文章の「アタリ」がうまく決まればさらさらと書いていくと破綻しない文章が書ける。
ごくまれに全国大会の1ページ論文を文頭の「はじめに」から初めて参考文献まで一気に書ききるときがあって、それがすごく快感。
プロのイラストレーターが眼からペンでいきなり描き始めてササッと迷いなく描き上げるってきっとこんな感じなんだろうなと思う。
論文ってアイデアは奇抜であってもよいけど、書き方は厳密に「アカデミックの文法」に従わないとトンデモなものになってしまうので、萌絵の文法に従ったイラストに似てるなと思う。
キャラクターって既存の記号の積み重ねだよね。そこに隠し味としてオリジナリティがあると光る。
イラストレーターにとってのイラスト、同人作家にとっての同人誌は研究者にとっての論文と同じなのかもしれないと思う。
その2となります。
とある会社へ契約社員として就職が決まったので、めでたく(?)コンビニバイトから卒業することができた。
もしこの就職が決まらなければ、まだ続けていただろうと思うのでとてもホッとしている。
少し話はそれるが、セブンイレブン自体の勤務経験は約7年といったところだ。
今ではおなじみの電子マネー「nanaco」がまだ無かった時代にアルバイトを始めた。
そして、揚げ物調理器(いわゆるフライヤー)もなく、現在「フランク」と呼ばれる
とても良い香りがするのだ。
自宅近くの新店スタッフ募集の際に、思い切って自営でやっていた店をたたみ
この行動に後悔はなく、むしろ学ぶことが多かった。
話を戻そう。
いくつかご紹介いただいた。
住宅街は6時か7時まで、オフィス街は8時ないしは9時までの枠となっている印象。
もちろんスタッフ側は終わりの時間を仕事予約の際に申し出ることができる。
初めは稼ぎたいと22-7の枠でスタッフを探している店舗さんをご紹介いただいた。
しかし
ヒマ、なのだ
毎回レジ+洗い物+廃棄チェック+雑誌検品陳列+チルドやパン、冷凍納品など
一通りの作業をさせてもらえることはない。
レジは基本だが、店舗側からすれば「よけいな仕事をふやすな」ということだろう
派遣がミスしてもカバーできる範囲の仕事しかまかせてもらえないのが現状。
例えば、洗い物にいたっては
固定で勤務しているのであれば一例に過ぎないが
フライヤー調理器、フライヤー什器、コーヒーとカフェラテマシン
など、深夜でレジしながらこれだけの量をこなすだけでもあっという間に朝が来る。
深夜はあまりお客さん来ないでしょ?と言われるが
それがやがてストレスとなってゆくのだ。
店舗によっては夕勤が先取りして行うケースも多々見受けられるが
概ね冬場はこれだけの洗い物を、商品をスキャンして袋詰めするだけじゃない
宅急便やチケット発券といった他のレジ業務も、いつくるかわからないので
頭の休まる暇がないのだ。
そこで派遣にはレジ専門かつ、洗い物の一部をやってもらうパターンが多かった。
お箸やタバコの補充といった、レジに張り付いてでもできる作業は
慣れると鼻をかむのと同じくらいあっという間に済んでしまう。
するとどうなるか
できることがあればお手伝いします、と申し出ても
できることといえば、入店チャイムが聞こえたら「いらっしゃいませ」と挨拶
何も買わないお客さんが退店しても
「ありがとうございました またおこしくださいませ」
(ヒマでお客さんの行動を見る余裕ができるからこそ言える)
そのぐらいしか、できることがない。
勝手にやること見つけてやれば?
指示されたこと以外の作業を勝手にやることで店舗側とトラブルになれば
その日の交通費や働いた分の賃金はパーになってしまう可能性がある。
万全の態勢で勤務に臨むべく
ささいなことでトラブルとなり、賃金が泡と消えるのだけは避けたい。
勤務前からぐったりすることもあるのに。
休憩をこまめにとらせてくれた。
そのかわり、レジだけやっててください、という。
(無論、パワハラは許されないが)
これに尽きる。心得て仕事をしていてトラブルは一度もなかった。
しかしながらレジで立っててヒマな時間がどーもしんどくなったので
翌週からは22-6の枠で募集されてる店舗があればご紹介いただくよう
予約したのだった。
ここで問題が起こった。
「ご紹介できるお仕事が見つかりません」という連絡だった。
理由は推測にすぎないが
(応募者多数のため抽選、みたいな)
といったところだろうか。
「急に依頼がくることもあるので
待機するか、お休みしていただいて構いません」
とのことだった。
一度目は待機し、連絡がきたものの
22-6で定期的に勤務できないとなると、生活費にも支障が出るので
これが、正解だった。
退職するまでの間、おかげさまで希望した日の夕勤全てご紹介いただくことができた。
心理について書いてみようと思う。
読んでくださってありがとうございました。
お金はぜいたくするには足りないけど
今今生きてく分にはある
ただこの先、仕事が続けられないリスクは結婚によってかなり高まってる
年金の心配はまだピンとこないが、定期・貯蓄系の金融商品には3割弱
出産育児子育て家族の病気や親の介護、実家のメンテ等を想定して5〜6割は預金のまま
あとの1〜2割は予定決めない、積極的な運用とか最悪無くなってもしょうがないハイリスクハイリターン商品に投資
くらいかな
そういや結婚するとなると保険とかも入ったほうがいいのか?保険はあんまり良いイメージないんだよなぁ
今収入は完全に半々だけど、子供ができたら自分の収入は当然落ちるし、状況によってはゼロになる
ウィザードリィというゲームのクラシックコンサートに行ってきた
泣いた
泣いた
静かに、ただただ、涙が流れた
懐かしいが極まると人は泣くのか
やばかった
この二曲で大満足!!!!!
あぁ
覚えてるもんだなぁ
いやぁ
心が震えたーーーーー
ウィザードリィの中古カセットを買ったファミコンショップを思い出した
店主は一癖も二癖もあるおばさん
発売から月日が経っても値崩せず、高かった
FDDが1ドライブしかなく、ユーザーディスクを作るのがめちゃくちゃ大変だった記憶
1セクタごとにブランクディスクとゲームディスクを入れ替え入れ替え
うわわわわ
古い、記憶が、開いたなぁ〜
アンコールは1のオープニング
さっき聞いた曲なのにまた涙でた
最高ーーーーー
どう頑張ったって無理じゃないですかって思うんだよね。
その間働いていた人と同等に扱えというのはどう考えても無理だと思うんだけど、
でも最近そういう論調だよね。妊娠出産は病気じゃないので。でも保険は適用してほしい。
これが例えば鬱病で同じぐらい休職してた社員がそう言い出したら、
絶対それには賛同しないよね。パフォーマンスが落ちた相手が自分と同じ待遇で
全然気にしないなら、そもそも他人の待遇なんか気にしてないわけで、
でも気にしてる。
結局たいていのフェミ論って「弱者にやさしい世界を」じゃなくて
「なんでも私の欲望のかなう世界」の話ばっかりで、対岸にいる人のこと何も考えてないんだよね。
どう頑張ったって女性が完全に男性と同等に働くことは無理という場面は必ずある。
博士課程の学生のお金にまつわる問題がいろいろ言われているけれど、とりあえず働いて稼いでからにしたらええんちゃうのん、と思う。
自分は修士卒で一旦就職して2年間働いて、とりあえずの学費と当面の生活費を貯めてから進学したよ。
おかげで、学振一回もとれなかったけど(最初の頃は学振の存在すら知らなかったw)奨学金とバイトと併せて無事にドクター取って修了できたわ。
今はその頃と違って奨学金とか授業料免除の仕組みが充実してるから、進学後のお金を心配するくらいだったら、まずは学費分だけでも良いので稼いでから進学しなさい。
2,3年のブランクなんて、その後の30年を考えたら誤差やで、誤差。
「アイカツ!」シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。
その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。
それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)
それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。
「アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版は長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編「アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCDが制作されている。
そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間がリンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスやバレンタイン、卒業式・入学式や年末年始などの季節のイベントのエピソードが時期に合わせて放映されている。
劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。
プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。
さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。
最初の主人公の星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランクが存在するが詳細は省く)
つまりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事をリアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである。
週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。
漫画「スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)
そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。
後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクターの人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。
最終回後に制作された劇場版の短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。
先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。
「アイカツ!」のキャラクターの誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちごは20歳になった。
いちごちゃんお誕生日おめでとう!
はたちだね〜。出会った頃に言ってた夢が叶っちゃうね。私は来月!一緒にお祝いしよう〜🍓— 諸星すみれ (@smileysuu) 2019年3月15日
アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。
「アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージを披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。
長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。
特定のキャラクターにスポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。
しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラをもっと見たかった」という声は常にある。
それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである。
ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。
「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」
スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。
物語の舞台であるスターライト学園はアイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前がちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品の世界に深みを与えている。
さらに、アイドル以外にも、家族や先生、デザイナー、ファン、仕事の関係者等のサブキャラクターもアイドルに負けず劣らず魅力的である。
特にブランドのデザイナーは重要な存在で、アイドルが、自分の好きなブランドのトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。
デザイナーのブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。
また、当初はただのモブでしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。
何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである。
歴代シリーズのキャラクターが大集合する新シリーズ「アイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズのダイジェスト動画が公開されている。
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』
だいたい5〜6分の動画でシリーズがおさらいできるようになっている。
やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語を理解してもらうために最低限のエピソードをピックアップすることもできる。
「アイカツ!」は基本的に1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。
この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。
それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。
星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要なエピソードだけをピックアップすることになったとしよう。
そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイ♪オフタイム」は、含めなかったとしても物語の説明は可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。
また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちごの物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカのアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係、ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちごと関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。
例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月といちごとあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。
「アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。
などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。
「アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。
この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。
詳しい説明は第22話「アイドルオーラとカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日のアイカツがその先の未来をつくっていく。
私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたからである。
僕は現在就職活動をしている。今行っている就職活動は、実は5年目を迎えたところだ。
学生時代には何とかして就職活動終え、新卒で入社した企業で働いていた。しかし、不慮の事故に遭ってしまい、その時に自主退職に追い込まれ、いわゆる使い捨てにあってしまったのである。僕はたった1年だけしか働かせてもらう機会を与えてもらえなかった。
その企業に未練はないが、僕はその時に一般的な社会のレールから外れる選択をしなければならなかった。自主退職をした時には心身ともに物凄く病んでしまっていた。
退職をしてからは自分なりに頑張って時間とお金をかけて、何とかまた満足に働ける状態にまで心身ともに鍛えて、社会復帰をするための準備を終えてから就職活動を再開した。
だけど、どうしようもない社会的なブランクを簡単に埋めることはできず、就職活動は思うように上手くいかなかった。
そうこうしているうちに気が付いたら100社以上にお祈りされてしまっていた。もはや数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、企業にお祈りをされたのだ。
ここまで僕の就職活動が上手くいかなかった背景には、明確な理由がいくつか存在する。
そのうちの大きなものの1つとして、僕にはアスペルガー症候群という発達障害があるという事実が挙げられる。僕が行っている就職活動は、障害者雇用における就職活動なのだ。障害者手帳も取得しているし、障害年金も受給している。
障害者雇用における就職活動を自力で行うのはとても骨が折れる。というか、自力で行うのはあまりにも無鉄砲といっていいだろう。
時間とお金をどれだけかけたとしても、それが必ずしも報われるわけではなく、逆に就職活動のためにかけたエネルギーと比例して、僕の心身は憔悴し続けて幾度となく塞ぎ込んでいった。
最も酷い状態の時には、鬱病による症状が強く出てしまい、ドクターストップがかかってしまった程である。
それでも尚、働きたいという気持ちが消えることはなく、一度立ち止まっては休んで、心身ともに鍛えて就職活動を再開するということを、この4年半で3回行った。
これほどまでに社会的に必要とされない時間を過ごしながら、自殺という選択をしなかった自分のことは褒めてあげたいと思う。
また、自力で就職活動をするのではなく、就労支援機関にも通うようになり、職業訓練を積み重ね丁寧かつ適切なアドバイスをして頂きながら、職場実習などを伴う就職活動も行った。その時々の自分にできそうなことは、無理のない範囲でやり続けてきたのだ。
そして、今回のタイトルにある話にやっと繋がるのである。これまで僕がやってきた就職活動の中では、全くなかった衝撃的な出来事が今週起こったのだ。
企業からの送られてきた不採用通知にて、僕の名前の漢字が間違えられていた。何と同時期のタイミングで2つの企業から全く同じことをされたのだ。
片方はメールでの通知、もう片方は郵送での通知だった。後者はどういうわけか封筒に書かれていた宛名と、中に入っていたパソコンで作成したであろう文章での宛名と共に間違われていた。
僕の名前には珍しい漢字が含まれていて、おそらく25人いたら24人は間違えてもおかしくはないと自覚している。だけど、それはいわゆるキラキラネームのようなものではなく、小学生でもかけるレベルの漢字であり当て字などでもない。
お祈りの通知が届いた時、僕は思った。何で人の名前を間違えられるような奴らに、上から目線でお祈りなんかされなきゃいけないんだろうって。
人の名前を間違えるのが失礼だということは、健常者障害者関係なく誰から見ても世間一般的な常識だろう。それを大切な連絡を伴う文章で、何でそんなことができるのか。僕は正直、その出来事が発生したという事実が信じられなかった。
自分の名前が間違われやすいとはいえ、僕が生まれた時に両親は様々な願いを込めてこの漢字を授けてくれた。僕はこの名前が大好きなのだ。だからこそ、不採用という通知よりも自分の名前を間違われたことに深く傷付いた。嫌がらせでもされてるのかとも思った程だ。
逆に僕は、提出した履歴書を手書きで丁寧かつ時間をかけて仕上げていた。選考をしてくれるお相手が少しでも見やすくなるようにと、0.35mm・0.5mm・0.7mmのボールペンを、項目によって使い分けていた。サイズの調整もパソコンで下書きを作成し、フォントなども工夫していたのだ。提出する書類に不備がないかをいつでも確認できる意味合いも込め、コピーを残して控えを取っていた。今回の件は、そういった準備を蔑ろにされてしまったと思わざるおえない。
僕の職歴にブランクがあるため就職活動が難しいという話と、僕に発達障害があって就職活動が難しいという話と、障害者雇用における就職活動がそもそも難しいという話と、今回の本題である自分の名前を間違われた話は、それぞれ論点が違うため全てを一元化して考えるのは難しいだろう。
だけど、これだけは間違いなく断定できる。就職活動というシステムはどう考えてもおかしい。
自分がどんな境遇どんな立場であろうと、何とか足掻き続けて社会に再び出ようと必死になっているのに、自分の名前を間違えるような非常識な奴らにも悪い意味で適当な評価をされては心ないお祈りをされ続けるのだ。
僕はこういったことを平気でできる企業の人事の奴らに、人間のあたたかい血が流れているとはとても思えない。そんな奴らも相手にしなきゃいけない就職活動は、本当にどうしようもないシステムだと思う。