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はてなキーワード: ぼんやりとは

2018-09-11

ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

2018-09-10

DPZ古賀さんとデートしてみたい

デイリーポータルZ存在は、はてブを見はじめてから知った。大学の時分だったろうか。

いま社会人4年目だから、もう何年も前の話だ。

何度かDPZ記事を見るたび、やけにいきいきした人が、たびたび出てくるなというのに気がついた。

ややあって、この人が「古賀」という方だと知る。

古賀さんを意識し始めた、覚えている限りで一番古い記事のことが、ぼんやりと頭の中に浮かんでいる。

別のライターの方が書かれた記事であったが、そこでは古賀さんはリアクション担当として呼ばれていた。

とにかく表情が豊か。話の本筋は違ったのだけれど、古賀さんのオーバーリアクション面白く、すごく記憶に残っている。

その記事でも、ライターの方が「やたら表情が多彩」というのをキャプションで褒めていた気がする。

おまけに美人である

それ以来、記事古賀さんが登場するたび「この人と話してみたいなあ」と思うようになった。

でも、この人が何歳で、どんな家族構成で、どこ出身の方なのか......ということは調べないでいた。

なんとなく、自分勝手に抱いている幻想が壊れそうな気がしたので......。

応援してます!これから面白記事書いてください。

女を体でしか見ていないことに気づいた

男はそういうものだとずっと思ってたけど、どうもそうではないらしい。

俺は無意識に、女性を見ると体を見ている。恥ずかしい話だがおっぱいの大きさにはじまり、首、唇の感じ、そして顔全体、スタイルの良さを見ているような気がする。そうして得た情報はその人のデータとして保存され、思い出すときは顔とおっぱい再生される。

この間、つい酒の席で気を抜いてしま脳内イメージのまま、ああ、あのDカップの子か。と言ってしまった。幸いにも話のわかる男だったので助かったが、話を進めるにつれ、どうもその子に関する情報を俺は全然覚えていないことに気がついた。ぼんやりして、そういえば猫飼ってると言ってたような、みたいに。おっぱい二の腕についてはしっかりと覚えているので、少し恥ずかしくなった。もしかすると俺は女を体でしか見てないのかもしれない。そう思うと変に納得がいって、自己嫌悪

2018-09-09

大地震の混乱に乗じて研究所から逃げてきた

 二年前、私は下校途中に誘拐されました。高校一年生だった私はその日も部活が終わるといつも通り友人と学校を出ました。乗り換えの駅で友人と別れるとき、「また明日ね」と小刻みに手を振ったことを今でも覚えています。私の家は駅から遠く、しばらく歩いていくと左右にとうもろこし畑が広がります。見通しの良い閑散とした田舎道です。季節はまだ梅雨入り前、夕暮れの風に吹かれるとすこし寒いくらいです。地味なセーラー服高校ですが、夏服は生徒たちの間でも案外評判がよく、駅の人混みに入ると自分たちが注目されているような気がして高揚感に舞い上がりました。

 私はそれに全然気づかなかったです。両側の畑に目もくれず、私は淡々と道を進んでいました。私はブラスバンド部所属していたのですが、その日の練習のことを振り返り、ああでもないこうでもないと考えを巡らせていたのだと思います。だから気配を感じた瞬間にはもう私はガムテープで口封じされていて、お姫様抱っこのように抱えられると、抵抗という抵抗をする暇もなくあっという間に白いワゴン車に放り込まれていたのです。男たちは三人。私をワゴン車に放り込んだ男はグレーのTシャツに明るい色合いのデニムという格好の腹の出た小太りの中年でした。あとの二人は髪も短く整えられ、高そうなスーツと革靴で、とても誘拐犯には見えませんでした。

 私は小太りの男に座席に押さえつけられていました。そのときにはもう自分に何が起こったのかを理解していたので、口をガムテープで封じられながらも叫び続け、手足もじたばたさせて必死にもがいていました。しかし周囲に人はいません。私はそのまま連れ去られました。小太りの男はずっと私を押さえつけていましたが、ときどき顔を近づけて私の顔を味見するようにすこし舐めました。そういった行為を続けているうちに劣情を催したのか、男はもぞもぞしはじめ、私のスカートの中に手を入れて、それから下着の上から性器を撫でてきました。初めての体験に私は大混乱していよいよ全力で抵抗します。そんな攻防戦を繰り広げていると助手席スーツが小太りの男を叱責しました。

大事な売り物だ。それくらいにしておけ」

 私の性器の上に置かれていた小太りの男の手の動きが止まりました。しかしじりじりと震えていたように思います。彼の中でのせめぎ合いがあったのでしょう。しかし数秒の硬直時間の後、彼の手は私の下着から離れて行きました。「大事な売り物」とはどういうことなのかと不安になりましたが、次に起こったことが衝撃的すぎてそんなことを考えている余裕はありませんでした。小太りの男は私に手を出すことを諦めざるを得なかったのですが、一度盛り上がってしまった劣情を完全に沈静化させることは難しかったらしく、彼はデニムパンツを一気に膝の下まで引き下ろすと、赤や黄色の混じった派手な柄のトランクスから男性器を取り出して右手でこすり始めたのです。私は目の前の光景に怯えていました。初めて見る男性器です。取り出したときにはすでに勃起していて先端の海綿体は張りに張って光沢があるほど。小太りの男は息遣い荒く、慣れた手つきで右手を高速で動かしています助手席スーツは大笑いしていました。私は恐ろしくて声が出ません。小太りの男が低い声でうなり始めました。すると今度は私の顔をまじまじと見つめるのです。顔は真っ赤で、血走った目で私を凝視しながら、勃起した男性器を音が出るほど強くいじっています。私は彼からすこしでも逃げようと後退し、ドアに体を寄せます。そして彼は果てました。びゅっと音を立てて飛び散った白濁液スカートを汚し、プリーツにとろりと入り込みました。激しい勢いで飛んだ白濁液の一部は私の頬にもかかり、重力を受けて顎まで垂れていくと大粒の雫となり、ぼとっとスカートの上に落ちました。頬にはかたつむりの通ったようなぬめぬめした跡が残り、私はそれを手の甲で拭くこともできず、ただじっとしているしかありませんでした。助手席スーツが身を乗り出して、小太りの男の頭を叩いて叱っていましたが、同時に彼は腹を抱えて笑っていました。

 短時間のうちに大きなショックを受けた私は心がからっぽになり、もはや抵抗気持ちはなく、この状況を受け入れて順応しようとしていました。うとうとしながら車が山道に入っていくのを見ていました。そしていつの間にか眠ってしまいました。

 助手席スーツに起こされました。すでに日も落ちかかっていて、あたりの状況から山奥だとなんとなく察せられました。目の前には無機質なコンクリートの大きな建物があります。といってもワゴン車の中からでは張り巡らされた有刺鉄線付きの頑丈で高い壁と狭い入り口の奥にそれらしき建物が見えるだけでしたが。周囲は鬱蒼とした木々ですが、研究所の周りだけは舗装されていて異様な雰囲気があります。狭い入り口は三台のカメラ監視されていて、後からされた説明によると、壁には隠し機能として機関銃が配置してあり、不審者発見された場合システムが起動してオートで射殺されるようです。私たちが脱走しないようにという牽制意図もあるようでした。

 白濁液で汚れていたはずの私は起きたときにはきれいになっていました。ワゴン車の認証が済むと、狭い入り口の鉄柵が開き、するすると中に入って行きました。中はかなり広く、外から見えた以外にも区画ごとに大小いくつもの建物が立ち並んでいて、さながらそれはひとつの町といったものでもありました。居住区画やら実験区画やら開発区画やら、他にも私が最後まで立ち入ることが許されなかったエリアなどいろいろあります

 ワゴン車は敷地を通り抜け、一番奥にあった二階建て比較的こじんまりとした建物の前で止まりました。車を降りるように命じられて、私はがくがくした足を何とか動かし、ドアを開けます。一歩外に出るとそこが山奥だということは空気でわかりました。それに高い壁に覆われてはいても、高く育った木々の青々とした葉が残照の中で揺れていました。小太りの男が私の腕をつかみます

「来い。こっちだ」

 そういって小太りの男は私の腕を力強くつかみます。私は声を振り絞り、一人で歩けるといい放ちました。助手席スーツ運転していたスーツの二人は先に建物の中へ入って行きましたが、私のことを振り返ることはありませんでした。私はすでにその状況に順応しかけていました。まるでこれが生まれからずっと毎日欠かさず繰り返してきた当たり前のルーティーンであるかのように。

 案内された部屋に入ると、そこには高そうな木製のデスク書類を睨みつけている男がいました。片桐さんと呼ばれる四十代の男は、洗いざらし白いシャツベージュハーフパンツ、足元はサンダルといった格好で、胸元には金のペンダントが重く光り、両腕には大きな腕時計が巻かれていました。

片桐さん、連れてきましたよ」助手席に座っていたスーツ半笑いでいいました。

 片桐は私をまじまじと見つめ、何度かうなずき、それから一言合格」といいました。そしてすぐ元の仕事に戻り、その部屋にはもう自分一人しかいないといった様子でした。三人の男たちからは安堵のため息が出て、何が何やらわからない私もなぜかほっとしていました。なぜだかわかりませんが、これで終わったと思ったのです。もちろんこれは始まりにすぎません。私はこの研究所に二年間監禁され、実験されることになるのですから。男たちが部屋から出ようと踵を返したことに気づかずぼうっとしていると、すぐ後ろに控えていた小太りの男に腕をぐいと引かれました。私を連れてきた三人とはそれっきりになりました。運転席と助手席にいたスーツはその建物を出たっきり(彼らはタバコを吸いに行ったようでした)、小太りの男の方は私を居住区画の担当者に引き渡すと、私の顔を見下ろしながら舌打ちをしましたが、それが最後でした。

 私の部屋には二段ベッドと五段程度の安作りの棚が窓際に置いてあるのみでした。二人部屋ということですが、私は当初一人で生活していました。居住区画のスタッフ警備員は十分な数いましたが、私の担当田中と名乗る三十代の痩せぎすの男でした。もちろんそれが本名なのかどうかは私にはわかりません。こんな言い方もなんですが、田中さんはいい人でした。脱走した今となっては、管理責任を問われて田中さんがひどい目に遭っていないか心配です。私は田中さんになぜこんなところで働いているのかと聞いたことがあります。そのとき田中さんはとても辛そうな顔をして、しかし自嘲めいた笑いを浮かべながら、仕方ない、仕方ないと繰り返していました。

 実験体(私たちはそう呼ばれていました)は特殊衣服を与えられました。簡単説明すると簡素な白いワンピースなのですが、二つの乳房位置がくり抜かれ、股の間に深いスリットが入っているものです。私たち下着類を身につけることを許されていなかったので、手で押さえでもしなければ歩くだけで陰毛がちらちらと見えるような構造になっています。初めての朝は部屋まで田中さんが来てくれました。初日だということで施設を一通り案内されました。田中さんは私のことを日本救世主だといいました。もちろん私は冗談だと思って聞いていたのですが、後にこの言葉が本当だということがわかります。いえ、正確に言えば、彼らが本当にそうだと信じているということが私にも了解できたという意味ですが(もちろん私は彼らの計画馬鹿げたものだと思っています)。荒唐無稽計画は思ったよりも大規模なもので、私も何人かの国会議員と会ったことがあります研究所はその計画の要であり、極めて重要役割を担っているようでした。

 私たちの使命は実験体として協力することです。実験区画には体育館のような開放的建物がいくつかあり、午前と午後で場所を変えて異なった実験を受けることになります。二日目には私も実験に参加させられました。ひとつ建物に十人程度の女の子たちが収容され、Xの柱に手足を縛られ、乳首女性器にローションが塗られます女の子たちはほとんど抵抗もせず何本ものコードが繋がったヘッドギアをさせられていきます実験スタッフ装置管理する技師の他に発動者と呼ばれる私たちの体を刺激する男がいました。ひとりの女の子に対して技師と発動者のふたりという割り当てになっています大人の男ふたりだけでも私たち女子高生を思い通りにするには十分だったのでしょう。

「新顔だな?」私の担当になった発動者がいいました。

はい

「そうか。なら、慣例として説明しておこう。きみは昨日誘拐された……」

「一昨日です」

「そう、きみは一昨日誘拐された。なぜだかわかるか」

「いえ」

「きみが美少女からだよ」

「そんなことありません」

「きみはとてもかわいいよ。そして我々にはきみのような美少女必要なんだ。もっと具体的にいうと、きみたち美少女絶頂エネルギーがね」

 男はヘッドギアを振ってコードをうねうね動かして見せました。

「きみはまだ知らないだろう。この日本が今まさに未曾有の危機に直面しているということを……。もっとも、《未曾有》すら読めない国会議員もいたがね」

「はあ」

韓国北朝鮮は水面下で手を取り合っている。両国はいずれ和解ムードになり、日本一般大衆も知るところとなるだろう。だが、もうひとつ重要事実がある。韓国北朝鮮連携して極秘に開発しているという新時代超兵器だ。その兵器の詳しいスペックはわかっていないが、様々なデータから概算すると、日本列島の半分が数時間のうちに消滅してしまいかねないほどの火力なのだ。我々はこのような危険まりない隣人を持ちながらただ黙って見ているだけでいいのだろうか。無論それはありえない。とある国会議員が中心となり秘密結社が作られた。そして結社の肝心要が、東大の優秀な科学者たちを引き抜いて立ち上げたこ研究所であり、誘拐されたきみたち美少女なのだ東大頭脳が精妙な理論隣国を上回る兵器を作り上げ、きみたち美少女には兵器を動かす力になってもらう。簡単にいうとそういうことなのだ。わかってくれたかな」

あなたたちは狂ってる」私はもがきましたが、Xの柱に両手両足を縛られていました。

「きみは国のために命をかけたいと思わないのか?」

 私は男と数秒睨み合いました。男は視線を外してあたりをうろうろしながら話を続けます

「まあいいだろう。きみくらいの年齢の少女にわかるはずもない。あまりにも現実離れした話だからな。しか事実事実。我々は朝鮮半島超兵器に対抗する兵器を完成させ、朝鮮半島を消し飛ばさなければならない。そうしなければこの国の未来はないのだ。きみにも愛する家族恋人がいるだろう? きみが力を貸してくれなければ、いずれきみの愛する人たちも朝鮮半島超兵器に殺されることになるということだ。ふふふ、きみに拒否権はないよ。体は素直だからね。これが何かはわかるはずだ」

 発動者は技師から手渡された器具を私に見せました。それは長い取っ手があり、先端は丸く、スイッチを入れると振動するという機械でした。

「なんだ、わからないのか。うぶな娘だ」

 男は私の前まで来てしゃがみ、陰毛を撫でてきました。ワンピースの股間は元から裂けていて、Xの柱に縛られた時点で私の性器を守るものはもう何もありません。男の手は陰毛クリトリスへ、そして膣と順々に撫でていきます。野卑な性的関心というよりも整備士技術的関心といったようなもので、人差し指にローションをつけて調べるようになぞっていきます

「んっ、んっ」

「どうした、感じるのか?」

「感じてなんか……」

 ゔぃいいいいいんという音を立てて機械振動しはじめました。発動者が機械の先端の丸い部分を私のクリトリスに軽く当ててきます技師ヘッドギアから送られてくるエネルギーコンピューターリアルタイム観察しています

 少しすると周りの実験体たちから喘ぎ声が上がり始めました。顔を真っ赤にして声を出さないように頑張っている子もいれば、逆に思いきり叫んで全てを解放している女の子もいます

「いや、やめて」

 私は懇願するようにいいました。しかし発動者は答えませんでした。機械を様々な角度から異なったリズムで当てるなどの試行錯誤研究者然としていて、なるべく効率的に私を絶頂に導こうと真剣に思案しているのが見て取れました。私が我慢強かったのか、しばらくすると発動者はおかしいなといった様子で機械スイッチを止めました。今度は私の後ろに立ち、抱きかかえるように両手を回して乳首をつまんできました。私は巨乳ではありませんが、それなりに胸はある方です。揉んでいくうちに発動者も気を良くしたのか耳を舐めてきました。

「ひゃ」思わず声が出てしまいました。

「なるほど」

 発動者は私の耳を集中的に舐め始めました。

「いや、耳は、耳はだめ」

 体は熱を帯びてがくがく震え、だんだん意識ぼんやりしてきました。頭が熱い。死んじゃう。性器がじゅくじゅくに濡れているのがわかります。攻め時だと見たのか、発動者はふたたび機械スイッチを入れ、クリトリスに当ててきます。ゔぃいいいいいんゔぃいいいいいんという音に私の思考は飲み込まれ自分自分でなくなるような、真っ白な世界に飛んで行ってしまいそうな……。

 技師OKサインを出しています。私の絶頂エネルギー閾値を超えて観測され始めたようで、ヘッドギアコードにつながった消化器のようなエネルギー一時保存電池が青いランプで点滅しています

「ああ、ああ、だめ」

気持ちいいんだろ? おいこら、どうなんだ」

「ああ、ああ、ああん

 不意に私は高まりを感じました。そして一瞬のうちに絶頂に達し、体はいうことを聞かずに暴れ、弛緩の波が来るとXの柱にだらりと垂れ下がった形になりました。

「イったのか、おい、イったのか」

 発動者はモニターを観察していた技師確認すると満足そうにして去りました。私はXの柱から拘束を解かれましたが、しばらくその場に倒れてがくがく震えていました。

 そのような実験がひたすら続くことになります私たち誘拐された美少女毎日性的絶頂に導かれて、その絶頂エネルギーを吸い取られます。そのエネルギー結社が開発している兵器に使われるというのです。

 二ヶ月が過ぎた頃、私の部屋に新人が入ってきました。とてもかわいい子で本土からヘリコプターで連れてこられたようです。だいぶ怯えていましたが、自分と同じ年頃の私を見るとほっとしたのか彼女は泣き崩れました。

 麻衣ちゃんはいろいろなことを話しました。好きなアーティストの話や、学校友達の話などはもちろん、実験のことも話しましたし、将来のことなども。麻衣ちゃんは私とは違って、この環境にはなかなか順応しませんでした。抵抗運動なども密かにしていて、脱走しようとしたときなどは懲罰で鞭打たれていました。実験ではあえなくイってしまうのですが、それでも麻衣ちゃんの心が結社に屈することはありませんでした。しかし、そういう勝気な性格が災いしたのか、さらに数ヶ月が経ち、自分たちの現状がどうにも変えようにないものだということが確信に変わってくると、目に見えて麻衣ちゃんは心を病み始めました。そして事件は起きました。

 ある日、結社構成員である国会議員先生方が研究所を訪れるというのでおもてなしをすることになりました。私たち実験体には新品のワンピース支給されました。もちろんあの特殊な加工が施してあるワンピースです。先生方が到着すると私たちは長い直線のメインストリートに整列させられ、性器を見せて挨拶させられました。先生方は一人ずつ確かめるように乳を吸い、指を膣に入れ、堪能されていきました。私もじっとこらえました。もうその頃には陵辱されることにも慣れていましたから。しか麻衣ちゃんはそうではありません。いまだに自尊心を保ち続け、羞恥心も怒りも研究所に来たときのままなのです。実験体のほとんどはそういった感情はとっくに失っていました。人間らしい感情を失わず抵抗を続けた子は病んで使い物にならなくなり、《処分》されるか自殺するか、私たちの生きていた世界とはそういうところなのです。

 麻衣ちゃん国会議員先生に平手打ちしました。一度だけでなく二度も。先生やれやれ困った子だねと笑っていましたが、プライドだけはこの上なく高い国会議員が平手打ちを食らったままただ笑っているなんてありえません。研究所スタッフたちは青ざめました。罰として全員《処分》されることも考えられましたから。しかし最悪の事態はなんとか免れることができました。結社幹部からこそ先生研究所重要性を誰よりも理解していて、秘密厳守のこの組織人員を削って新たに補充することのデメリットまですぐに計算したのでしょう。この娘を連れて行けとだけ言ってその場は終わりました。それから二日間私たちには仕事がありませんでした。大人たちが麻衣ちゃん処遇について議論しているのだと噂されていました。

連れ去りの事例のお話

某所で連れ去りの話について、その後どうなったのかが分からモヤモヤすると言うコメントを見かけたんで、私が見た事例について語ってみる。

もう10年程前の話で、連れ去りではなく、正確に言えば声かけ事案になった話。

ショッピングモール程は大きくなく、建物は数件あるイオンでのお話し。

平日の日中のこと、引っ越して数日だったのでまだ町に慣れてなかったので、イオンをぶらぶらしてた。

映画を見てちょっと買い物をしようと道路を渡る歩道橋の上でそれを見かけた。

歩道橋普段からまり使用者がおらず、使われているのは主に横断歩道なのだが、イオンのそれぞれの建物の2階を繋げている。

それぞれの建物の2階は、駐車場ゲームセンター、それと買い物できる建物の用品店などが主で、広くて屋根がある。

からか、連れてこられた子どもがつまらなくなって遊んだりしているのをよく見かけていた。

その日は平日で、引っ越したばかりだったので、買い物をよくすることになるであろうイオンをぶらぶらしてた。

ゲームセンターの様子を見てから、ついでに本屋に寄ろうと買い物できる建物の方へ行く為に直接渡れる歩道橋に出るドアを開けた。

反対側の広くなっている部分で、幼稚園程の女の子一人がしゃがんでいた。遠目にはしゃがんでいる所しか分かってなかった。

すぐ横に壮年男性が立っていて、最初父親かと思ってた。

ぶらぶら歩道橋の上からもう少しは食べ物屋さんとかないかなーと通りを眺めながらゆっくり歩いていると、対話が聞こえてきた。

「そうか、そうか、じゃ僕と一緒にいこうか」

「ヤッ!」

「一緒に来たら、ケーキを食べさせてあげよう」

「ヤッ!」

え、と思って、あらためてその二人を見ると、女の子体育座りの腰を上げたような状態で丸くなっていた。

顔はよく見えなかったけど、丸めた膝に押しつけるようにして隠してた。

男性の方はフリースを着たいわゆる休日のパパ風味の格好で、のぞきこむように屈んで話しかけていた。

子どもに話しかけているせいか、随分と大きな声だった。

正直、判断はつかなかった。

父親かもしれない(そういう会話をしている家庭なのかもしれない)。

親戚の人かもしれない。

近所の知り合いの人なのかもしれない。

他に事情のある関係なのかもしれない。

そもそも父親喧嘩中なのかも、イヤイヤ期ってきいたことある

色々と浮かんだが、どうしたものかわから心臓がバックンバックン鳴っているのが分かった。

まだ近づききっておらず、男性は夢中になっているのかこっちに気がついてない様子だった。

「あのう……」と声が出てしまい、一瞬びっくりした。

男性はばっと顔を上げて、目に見えてうろたえていたのが分かった。

ただ、それでも確証がなく、どうしたものか、と混乱しながら「道を聞きたいんですけど」と続けた。

こっちはうろ覚えなので、どんな会話をしたか正確には覚えてない。

なんとなくこんな感じだった。

「あ、は、はい

「いや引っ越したばかりで、よく分からなくて、お店なんですけどね、えーっとなんて言ったかな、いやー最近物忘れをするがあって」

という感じで、世間話にしようと、一方的にべらべらしゃべったのは覚えている。

すると、女の子がパッと飛んで(本当に飛んだみたいだった)ダーッと建物の方へ駆けだしていった。

男性はそっちを見た後、こちらを凄い目で一瞬睨んで、「今忙しいんで」と吐き捨てた後、私が来た方へ足早に去っていった。

えって言う間もなかったし、もう心臓が凄いことになっていたから、追いかける気は起きなかった。って言うかそういう発想がなかった。。

っていうか、こういう時どうしたらいいんだ? とか思って呆然として、子ども戻ってきたら話聞いた方がいいのか? とキョロキョロしていた。

多分、5分ぐらいぼうっとしてたんだと思う。

その間誰も通らなかったんだけど、何かした方がいいんだと考え続けて、あ、警察とようやく浮かんだ。

ただ、電話ではなく、交番イオンの一番はずれにあると、思ったので、そっちへ行った。

幸いというか一人警察官がいて、しかしどうしたらいいんだか分からないんで、とにかく事情をはなしてみた。

その時の会話は大体こんな感じだったと思う。

「すいません」

はい、なんでしょうか」

「そこの歩道橋女の子に声を掛けていた男性をみかけたんですが、どうしたらいいんでしょうか」

「え、その人はまだいますか?」

「いえ立ち去った後で、女の子イオンの中に入って、そのまま戻ってこなかったので」

「えーっと、女の子男性はわかれてということでしょうか?」

「あ、はい

「さっき?」

はい

その男性は今どこにとかは?」

「あ、立ち去った後ちょっとぼうっとしてしまったので、そこまで見てませんでした。ゲームセンターの方へ歩いたのは分かるんですが中に入ったのか降りたのかまでは……」

で、その後警察官が男性服装容貌を聞いて、無線で連絡、さらに詳しいお話しをという事で中に入れてもらい、少し待って下さいと言われて、ぼんやりパイプ椅子に座ってた。

多分見廻りの人に連絡したんだと思う。

その連絡をした後、調書(なのかな?)を取り出し、「あらためて詳しいお話しをお聞かせください」と言われて、話をした。

で、「ご協力ありがとうございました、後はお任せ下さい」と言われた。

「えーっと、こう言うのってこれで終わりなんですか?」

はい。もしかしたら、あらためてお伺いする場合もありますが」

「あー、捕まったりした場合ですか」

「うーん、何とも言えないですね。お話しだけだと、それだけで何かできるかどうかと言うのは判断できませんので」

「そうか。現行犯ではないですからね」

「ええ、でもちゃん関係者には注意喚起しますし、警邏中の者も気をつけまから

「そうか-、なにもできなかったんですかねー」

「いえいえ、十分なご協力ですよ」

で、まぁ、こんなやりとりがあって、私個人は終わり。

その後、町内会連絡網の中にこの話が載っているのに、数日して気がついたぐらい。

その後どうなったりしたのかは分からずじまいで、また別の町へと引っ越した。

モヤモヤすると言われたけど、私自身もモヤモヤしてた。

こういうのは捕まったりしない限りは決着はないんだろうなぁ。

そして大抵の場合犯罪要件を満たさないので(連れ去りなどの行為があれば別だろうし、被害者ならもっと話は別だろうが)、通報者程度だとこの程度。

もっとモヤモヤさせたかもしれないけど、まぁこういうお話

2018-09-08

社会資本教育資本が何ちゃらチャラチャラ

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

2018-09-07

物理的に無理」

「透明なゆりかご」をまた見た。

必ず見ているわけじゃないんだけど、金曜日10時、ぼんやりしているとそのドラマは始まっていることが多い。

こないだ見たのは14歳女の子妊娠して、強いお母さんになる話だった。

こう書くと簡単だけど、生易しい話じゃなかった。

「エグいなあ」

わずでたのはこの一言だった。

今日も「ニュースが終わったなあ」と思っていたら、「透明なゆりかご」がまた始まった。

今日テーマ妊娠と働く女性の話だった。

バリバリにデキる産婦人科を専門に頑張りたいと思ってる看護師さん。

頼りになるかっこいい看護師さんだ。

バシッと患者さんにも同僚の看護師にも意見を言う。

決めることは自分で決めてきた。

結婚をし、子供を生むと決めて妊娠をした。

この仕事が誇りでこれからも続けていきたいと思っている。

出産後は試験を受けて資格も取るつもりだ。

妊娠病気じゃないから」という言葉をおそらくわかって自分には使っている。患者さんには決して言わないだろうに。

こんなふうにわかって妊娠したはずだった。

覚悟もしていた。

でも、いざ妊娠するとつわりもある、体調も良くない。

出産ギリギリまでバリバリ働いていた看護師なんていっぱいいた、自分もおなじようにできるのだ。

彼女は夫に言われる。

子供欲しいって決めたんでしょう?」

覚悟していたはずだった。

でも、子供が生まれたら夜勤はできなくなるよ?資格なんて取れないんじゃない?そんな試験勉強時間があるの?

思ったようにいかないことはわかっているはずだ。だから考えて決めたのだ。決めたはずなのだ

そのはずなのに、不安背中から山のような頭をもたげてくる。

ああ、これは私だ。

8年も前なのに、涙が止まらない。

彼女が叫ぶように言う。

物理的に無理』

そうなのだ、命がけの出産子育て仕事なんてできるんだろうか。いや物理的に無理だ。

眠ることはおろか、トイレにすら思うように行けない日々が続く。

本当に運が良い人だけ、よく眠りよく食べる子供を授かることができる。

素晴らしい医療技術のおかげで、日本では赤ちゃん妊婦さんも亡くなることが本当に少なくなった。

なので、みんな「安全に」出産子育てができると錯覚している。誰でもやっている我慢すればできることだと。

そんなはずないのだ。みんな生む前も生んだ後もズタボロだ。

誰も手を差し伸べてくれないのだと、どん底孤独になった。

首を吊ったら家族にバレたので死ななかった

昨日、いや日付的には一昨日、ドアノブスカーフを巻いてそこで首を吊って自殺を図った。

家の中に弟はいたけどよく音楽聴いてるしまあバレないうちに死ぬだろうって思って、職場体調不良のため休むと連絡をして帰宅した五分後くらいに実行した。

でも実際は無意識にもがいてたみたいでその大きな物音に弟が気付いて、助けられた。

その時のことはあまりよく覚えていない。

首を締めると意識が落ちるから眠るように死ねるというのは結構本当だ。30秒くらい苦しいのを我慢したらそのあとはなんだか眠っているようで、弟が首からスカーフを外した時も立たされた時も、見えることは見えてたけれどなんだか夢の中みたいだった。その時、誰かが叫ぶような音がしててうるさいなあ、私は眠いのになあなんて思っていたけど弟の話だとあれはわたしの声だったらしい。

意識がはっきりした後は弟と抱き合ってわあわあ泣いた。すごく悲しくても泣かないというのが続いていたから、こんなに泣いたのは久しぶりだった。

ぼんやり死ね仕事に行かなくて済むな、落ち込んで自分の機嫌をとっての繰り返しに疲れたなと思って自分で首をくくったのに「あ、死ぬとこだったんだ」って実感したら自分でも怖くなって子供みたいに声をあげて泣いた。

そのあと、手足のしびれが一時間くらい取れなくてこれ後遺症になったらどうしようなんて考えていた。実際は幸運なことに首の傷と舌の噛み跡以外、自殺未遂で残ったものはない。

仕事行きたくないこと、生きることに疲れたことが自殺を考えた原因だったけれど私は特に今まで特別不幸な目にあった訳でも、ブラック環境で働いている訳でもない。たぶん単に心が人の10倍くらい弱いんだと思う。死にかけまで行ったのは初めてだったけれど自殺しようとしてなにかしたのはこれが3回目だったし。

生きるの向いてねえな、仕事すんの向いてねえな、と思いつつ明日仕事に行く。目立つ首の痣はガーゼを当てて包帯を巻いた上でシャツの第1ボタンを閉めていけば大丈夫だろう、多分。仕事に行かなきゃなと思ったとたん眠れなくなったのでダラダラと書き綴ってみた。

心療内科に行ったほうがいいんだろうか。でも、いままで二度行った時は軽く不安になってるだけだと言われた。今回行ってもたぶんそう言われるだろう。全くの不眠という訳でもなし、ただわたしのクヨクヨとした性格が悪いってだけだ。世の中にわたしより大変だけど頑張ってる人なんてかごまんといる。甘ったれでクヨクヨしてるからこんなことになるのだ。努力不足だ。そうに違いない。こんな程度で嫌になるなんて、もっと大変な目にあってる人に、本当に病気の人に失礼だ。

まあ、次に自殺を図るなら誰もいない自宅や地元自殺名所、それか夜中の公園などまず誰かに見つかったりしないところにするだろう。首が痛いからしばらくはしないと思うけれど。

2018-09-06

夕方帰宅ラッシュ電車に乗りたくなくて

会社の近くでごはん食べて

そのままぼんやり過ごしてこんな時間

おうちに帰りたくないお父さん方と違い

好き勝手できる一人暮らしなのに

なんとなく帰りたくない

なんだろうなこういうの

完全電子マネー派の北海道民だけど積んだ

現在進行形だけどマジでヤバイ

最近電子マネーが便利すぎて、applepayでほとんど買い物を済ませるようになっていた

コンビニスーパーでは電子マネーほとんど対応してるし、行動範囲内で困ったことなんて全然なかった

財布なんてものも持ってないし、現金なんて仕事をのぞけばここ最近所持したことすらほとんどなかった

で、今日の3時ぐらいかな。寝てるときにめちゃくちゃデカ地震きた

今まで感じたことのないレベルのやつ

飛び起きてテレビを見てると、余震がグラグラ来て、唐突停電した

Twitterを見たら復旧の見込みがないという。マジでビビった。停電なんてここ最近経験したことない

外を見たら家の明かりや街灯が全部消えて、当たり前だけど真っ暗

ビビりながら風呂に水ためながら冷蔵庫を見ると、牛乳マヨネーズしかなかった

コンビニに行くと、ドアが全開放されていて、非常用ライトを店中において営業していた

人々が慌ただしく水や食べ物を買いまくってレジに並んでる中、俺も買おうとした……が

そういえば俺は現金を一切持ってなかった。あるのは残り充電量62%のiPhoneのみ。Apple payがむなしそうにぼんやりと画面に浮かんだ

当然、どこでも何も買えない

諦めてトボトボ家に帰って、今7時だけどまだ停電

いつ治るんだ。腹減った。現金持っとくんだった。これ積んだわ

今鏡ぼんやり見つめていてふっと思ったんだが

俺が髪を伸ばすのって、かつて子供だった頃の金田一一への憧れかなんかあるんじゃないか

そう考えるとがんばって髪切ってもらいに行かなくてもいいのかなって思った

おやすみ

2018-09-05

そろそろ少し高いところから遠くを見るときがきたんだよ

目先のことばかり考えてる時期はもう終わりだよ

そろそろ少し高いところから遠くを見るときがきたんだよ


ずっとずっとこのセリフだけは刺さらなかったんだけどね。

ぼんやり意味が分かってきた。

目先のレベルでならこなせるようになってきたのに、いつまでも手元ばかり見ているのは勿体無いんだ。

高い所から遠くを見るときがきたら、それにうんざりとしたり遠くに行くことを面倒に思ってたりしたら人生が閉じていくんだ。

その事に気づくのに時間をかけすぎた。

もう遅いような気もする。

でも、振り返らずに進んでみようと思う。

残りの人生でいける所まで行ってみたい。

残りの人生をかけても道半ばで倒れてしまうような道へ踏み出さないと、人生が上っ面だけで終わってしまうと気づいてしまったなら、もう進むしかない。

そう思うよね。

増田

2018-09-04

ファン定義とは

自分のいる界隈はバンドぼんやりフェイク)なので、アーティスト応援するにはお金を出してライブに行ってグッズを買って円盤CDを買う。これに尽きる。このバンドを好きになってから自分もそうやってきたので、「金を出す奴がファン」だというのは共通認識だと思っていた。

でもツイッターをやってみたら、いるわいるわ「(どこ住み)だから行けません!〇〇に来て~」「お金がなくて買えない~」なんて本人にまで言っちゃう馬鹿達。しまいには「ライブに行くだけがファンじゃない、こっちの事情も考えて」とか言う奴まで出てくる始末。

そんなんでファン名乗っていいんなら自分もあらゆるバンドの大ファンだわ。

別に全通しろとは言わない、プライベートを捨ててまで追えとまでは言わないよ。でもなんとかやり繰りして通ってるこっちに文句言うなよ。文句言いたいのはこっちだわ。

なんだよ「(自分)さんはお金を手に入れて変わっちゃったね」って??????たまたま女にしては高給取りの職業だっただけなんですが?????それを望んで低賃金仕事に就いてる奴が言うか?

書いてるうちに昔のことを思い出してメチャクチャムカついてきたのでこの際ブチまけますね。

過去バンドとあるファンは「昔の活動まで調べられない。今だけで精一杯」と言いながら「昔のファンばっかり優遇するのずるい~今のファンももっと優しくして~」。ハァ~(クソデカため息)。お前が今それを打ち込んでる端末は一体何なんだよ。調べれば簡単に出てくるじゃん。昔のものとか買えるじゃん。

本当に知りたかったら、熱意があったら、当時のファンの方から話をしてくれたり、物を譲ってくれたりするんですけど。自分アンタより若いですけど。そうする熱意は無いけど「〇君最推し!」なんですって。いいですねえ、言葉だけでファン名乗れて。自分だったら恥ずかしくて言えませんわ。

そいつの笑えるところはさらに「お金なくてFC入れないけどチケット一般会員にも優遇してほしい」「遠征はできないけどうちの地域には来てほしい」「年に一回ライブ行ってるけど顔は覚えられないな~」のトリプルコンボをキメてる奴ってことだよ。よくファン面できますね。

そして年一の遠征をすればやれ〇万かかっただのどこどこから行くのアタシしかいないだろうな~だの謎のマウントツイートの乱舞。すごいな本当に。

在宅ほど声がデカいってのは本当だったんですね。

あースッキリした

2018-09-03

anond:20180903213235

それでも他の田舎の人がぼんやりと生きていけてるのは、

周りを見渡しても横並びに貧乏人で上下ほとんど存在しないからですよ

増田とかやるな、東京求人とか見るから気分がおかしくなるの

anond:20180903003326

マクロス7子供の頃見た記憶ぼんやりとあるな~…

ギルが歌ってのは強く印象に残ってる(あと戦闘シーンつまんないことも)

大人子供で全く印象の違う作品だと思うマクロス7

2018-09-02

気圧が低いと本当に何もできないし死にたくなる

何もしてないと死にたくなるので何かしら創作していたいタイプなんだけど、

気圧が低いと頭も回らず身体も怠く本当にスマホでどうでも良い情報ぼんやり見るくらいのことしか出来なくなる。

この生産性の無さ。死にたい

時間無駄にしている感が半端ない。やりたいこととやらなければいけないことがあるのに、ベッドから起きれない。

トイレに行きたいのに、それすらも面倒臭い

何もできない。

低気圧問題は年々ひどくなってきている。

前はここまでじゃなかったのに。

他にもいろいろ書きたかった気がするけど怠いからもういいや

台風来るから今週ずっとこんな感じなんだろうか、ほんと死にたい

今すぐ元気になる方法とかないのか

2018-08-31

社会人無職の一周間

社会人の時、毎日毎日同じことの繰り返しでこうやって老いて死んでいくんだなあと思ってたけど無職になったらなったで毎日ぼんやりしている

とはいえそろそろ就活しないとなあ

面接はいいけど履歴書が面倒臭すぎて二の足踏んでしま

はあ

嫡出否認を広く認めたら無戸籍児が減る?

嫡出否認に関する訴訟で疑問。

そもそもぼんやりしてたらオートでお前の子供な!って推定かかるのを

まぁお前の種やないんやけどなブヘヘってケースもあるから夫が物申せる例外規定を設けてるようなもんであって

子の福祉のために嫡出否認のものを潰す…!と言うならまだわからないでもないけど

母や子に嫡出否認という手段を開放することの意義がわからない

2018-08-30

はてなダイアリーと母の匂い

終了のお知らせを目にして、かつて使っていた自分ダイアリーの事を思い出した。

懐かしくなり、アーカイブしていたお気に入りフォルダから開いてみる。

長い時間が空き、今ははてブくらいしか使っておらず、

ダイアリーには何を書いたかすっかり忘れていた。

ページの色味を懐かしみながら日記をたどるうちに

一つ一つの出来事がはっきりと脳裏に蘇ってきた。

当時高校生の私、

後輩と行ったマクドナルドでのたわいもない会話。

彼氏からもらったポーチ写真現物はもうない)。

弟との喧嘩の直後、自分の部屋で書いた臨場感たっぷり日記

受験に悩み、なぜか志望先大学URLだけを羅列した日記

第一志望に無事合格した頃には、すでにダイアリーを使わなくなっていた。


そんな中、ふと思い出した日がある。

高3の冬の日。母が他界した日だ。

その日以降、初めて日記を書いたのは暮れ頃だったか

やはり具体的な内容までは覚えていないが、

とにかく辛く、泣き言を文字通り泣きじゃくりながら、つらつらと書いた覚えがある。

ダイアリーで知り合った友達に慰めてもらいたい。

書く事で気を紛らわさなければ辛くてやっていられない。

うつむく家族の誰とも顔を合わせたくない。部屋から出たくない。

そんな時間を、モニターぼんやり眺めながら過ごした記憶

その日を見つけた。

言葉にできない不思議抵抗感を振り払って、ページを開く。

私はそこに、母への手紙を書いていた。

悲痛な文章を書いたと思っていた記憶とは裏腹に、

とても明るい文体で、ひたすらに母との思い出が連なっていた。

親戚のおじさんから聞いた母の若い頃のエピソード

秋に一緒に出かけたディズニーの話。

受験頑張るよという約束

寂しい、けど頑張るという決意。

段落のように書かれた「ありがとうね」の言葉


あれから何年も経ち、当時の記憶曖昧になり、

母の声はどんなだったかすら自信が持てない、ダメな娘の私。

でもふと開いたダイアリーに感じた母の匂い

涙もろい私だけど、不思議とその日のダイアリーを読む間は涙は出ない。

しろ、楽しくて、嬉しかった。



それにしてもブログ全盛期の当時。

数あるサービスの中からはてなダイアリーを選んだ私。

我ながら私らしいやと思いながら、カフェで走り書き。

帰って夕飯の支度をしなければ。

私もいつの間にかお母さんだよ。

はてなダイアリーありがとうございました。

黒歴史も存分に含む日記たちの処分はどうするべきか…。

最近

電気ってなんなのかまるで分ってないのに使ってることにきづいて入門書買ったけど

読んでも良く分からない… 水がぶわーっと流れてきて水車が回るみたいなイメージでいいんだろうか…

パソコンメモリーデータを保存するのも、電圧とか半導体とか、理解不能なことばかりだ

ぼんやりソシャゲやってる場合じゃなかったよ

anond:20180829234946

バイクに乗ると捗るぞ。

田舎に住むことになって、なんとなくバイクに乗り始めたんだが、何にもない農道をトコトコ走るだけで空気が美味しい。

山道を上がって展望台でコーヒーを飲んでぼんやりするのもいい。

夏場は早朝涼しいうちに朝焼けを見に駆けると本当に空気が澄んでて清々しい。

なんにもない田舎こそ楽しめる趣味だと思うんだ。

2018-08-29

ツイッター9年目

自分も含めてみんな会社員になった

結婚した人も子供を産んだ人もいる

深夜の浮上がほぼなくなった

創作活動をする人は減り、毎日狂ったように何百とツイートしてた人も子供を産み週3程度の浮上になった

全体的に落ち着いた

自分はというと社会人になり自分時間が減りなんとなく前ほど絵やアニメにはまれなくなり、かと言って代わりになるほど熱くなれるものもなく時間ぼんやり過ぎていくのが分かる

恋人もおらず週末は友人と遊んで終わる

死〜〜〜〜

2018-08-28

ちびまる子ちゃん」の連載開始時、私は『りぼん』を既に読み始めて

いただろうか?

さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。

当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎女児ぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。

その『りぼん』で、明らかに異質だった作品が二つあった。

言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症である

私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。

逆に「ちびまる子ちゃん」は癒し作品だった。恋愛もの息切れした女児オアシスのように、まる子はただただ普通に家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカル空気を携えて、毎月私の所へやってきた。

そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃん引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。

お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。

乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん作品は、基本的には未来指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。

そういう理想の学園生活キラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。

女の子はいつか好きなひとが現れる」

「今よりももっとかわいくなれる」

その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。

作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。

その点で、「ちびまる子ちゃん」はラクだった。

前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代モデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。

まる子も成長し、恋愛や友人関係自分コンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ

私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。

勿論リアルタイムで読んでいた小学時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。

クラスのどのカースト女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品代表格だった。

その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配コラボ掲載巻は実家にあると思う。

成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。

そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。

私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。

しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。

どうか、ご冥福をお祈りいたします。

ただ、訃報に触れて思い出してしまった「ちびまる子ちゃん おこづかい作戦!」。

てめーはお年玉をつぎこんでしまった元小学女児として許さねえよ……という気持ちは、今も捨てられないようだ。

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