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はてなキーワード: 2ちゃんねるとは

2024-08-26

anond:20240826210949

2.最近増田流行った難読地名ネタに恐ろしくズレたタイミングで乗っかろうとしたこと

3.一方的在日認定という懐かしの2ちゃんねるネタが今でもおもしろいと思ってるところ

率直に言って元元増田一般社会からのズレ具合のほうが気になる。

anond:20240826205204

お前のつまらなさをていねいに解説してあげるよ

1.元増田にあった放出という単語トラバの時点で変な反応してるところ

2.最近増田流行った難読地名ネタに恐ろしくズレたタイミングで乗っかろうとしたこと

3.一方的在日認定という懐かしの2ちゃんねるネタが今でもおもしろいと思ってるところ

4.大人しく消せばいいのに悔しくて反応しちゃうところ

2024-08-25

anond:20240825230604

2ちゃんねるで学びました

チンカスって自分を棚に上げるの上手だね死ねば?

2024-08-20

デジタルデトックスはとっても大変!

俺は中学生のころから20年以上インターネットにはまっていた。

ハッキリいって、ネット中毒だっただろう。

はてブニコ動にちゃんねるまとめサイトツイッターヤフコメ・・・

要はインスタント情報がむやみに得られ、意味のない知識欲を満たしていただけだ。

ネットサーフィンさえしていなければ、もっといろいろな可能性があっただろう。

本も読みたかったし、アニメも見たかった。趣味もいろいろしたかった。

でも、失われたときは帰ってこない。

最近心を入れ替え、1年以上デジタルデトックス継続している(はてな匿名ダイアリーに書き込んでるという野暮なツッコミはご勘弁)。

といっても、全く見ないことはせず、スマホアプリ強制的制限をかけ、ツイッター毎日15分とか、ブラウザアプリ毎日30分とかで縛り、徐々に時間を減らしている。

最近ツイッターなんかは、さっとトレンドを見るだけで満足できるようになったし、5ちゃんねるやまとめサイトは一切見ることはなくなった。

正直言って、ネットサーフィンを減らすことは簡単なことだった。

最近は便利なアプリもあるので、強制的制限をかければ、見ることはなくなる。

ただ、一番やっかいなのはネットサーフィンをしていた結果、インターネット(というか日本ネット文化)の思考を完全に頭に刷り込まれしまたことだ。

これがなかなか抜けない。

これから俺のデジタルデトックス度を見ていこう。

はてブ増田

はてブを見ては、ブックマーカーにムカつき、怒りを抱いていたが、スパッとやめることができた。

というか、むかつきすぎて、いろいろあって何年か前にアカウントをBANされた。

あの時BANしてくれて、本当に株式会社はてなには感謝している。

最近トレンドは見ず、気になった記事普通にブックマークして、後で読むだけにしている。

トレンドを見ること、他者の反応を見ることは、ただ不快感反論したいという気持ちを沸かせるだけで、完全に時間無駄だと学んだ。

ただ、ときおりテレビなどでニュースを見た時、はてブがどんなクソなコメントで盛り上がってるだろうと考えてムカつくときがある。

そんな時は自分が嫌になる。

デジタルデトックス度:90%

ニコニコ動画

ニコニコ動画自体は、正直何年も前に飽きて、見ていない。

しかし、厄介なのはニコニコ動画で培った、くだらないネットミームだ。

何年も離れているのに、仕事中、ふとしたときに、淫夢空手部のワンシーンが脳内再生されたりする。

いまだに、思考の中に残り続けている消せない脳の落書きだ。

淫夢シャムさんのいくつかの言葉は、いまだに言葉を放つシチュエーションになると、心の中で言ってしまう。

本当に後悔しかない。

デジタルデトックス度:95%

2ちゃんねる

5ちゃんねるになった2ちゃんねる

書き込むようになってから、よくはまった。

特になんj。

正直話題ループしているので、何年も前に飽きて、一切見なくなった。

これもニコニコと同じく、たまにミームが心の中で漏れることがあり、嫌な気分になる。

野球中継をなんjの実況と一緒に見ていたが、別に実況がなくても全く困らないと気づいた。

デジタルデトックス度:99%

まとめサイト

嫌儲とかなんかいろいろあったが、2ちゃんをやめてから普通にまとめサイトを見るようになった。

ただ、まとめサイトは内容が薄すぎるし、コメント欄が本当に日本ネット上で一番気持ち悪いので、見なくなった。

デジタルデトックス度:100%

ツイッター

冒頭でふれたとおり、ツイッターはまだ見ているが、書き込むことはなくなった。

ツイッターの何に時間がとられるかというと、情報収集よりも、盛り上がっている話題に関心を寄せているときである

自分と異なる意見を見たり、わかってないツイートを見てムカついたり、どういう意見があるか見たり、そういうところが一番時間をとられる。

これがデジタルデトックスを始めようとしたきっかけだが、こんな心をかき乱すだけで不毛場所を見るなんて無駄だろうという思いが強くなり、やめるようになった。

今はトレンドとほしい情報が流れてきそうなアカウントだけフォローしてタイムラインを見ている。

だが、たまにトレンドを見ていても、イラついたりムカつくときがある。

くだらない炎上ネタなんかは、特に炎上させているアカウントたちがムカつく(男女論とか細かいルールの話とか変なアカウント晒しものにしてたりする時とかは特に)。

デジタルデトックスには一番の大敵となるSNSである

正直、金をツイッターで稼いでたり、友達がいる人くらいしか、もうツイッターをしていて得はない。

早くサービス終了しないかなと思っている。

デジタルデトックス度:70%

ヤフーニュース

情報収集の一環で最近見始めた。

ヤフコメはムカつくので、ヤフコメは極力見ないようにしている。

あと、ヤフコメAIでまとめたやつがヤフコメトップにあるけど、あれをちゃんと見ている人はいるのだろうかと疑問に思っている。

一日15分だけ見れるよう設定している。

デジタルデトックス度:80%

総括

デジタルデトックスをはじめて、正直言って、イライラすることも減ったし、時間をとらえることも減って、本当によかったと思っている。

他者の反応探しに行くこと、他人意見を見て反論したいと思うこと、なんとなく勉強になった気がすること。この3つが罠だと気づいた。

他者の反応なんて気にしないよう、もう他人アニメ漫画感想は見ないようにしている(ツイッター感想を見ていても、大げさな言い回しが多く、これまたイラつく)。

他人意見を見て反論しても、相手の考えは変えられないし、無駄

ツイッターはてブトレンドなんか見ていても勉強にならないし、99.99999999%は無駄だったと、改めて振り返ってよくわかる。

ただ、一番デトックスできないのは、ネット文化に染まった自分思考である

ネットミームのくだらない言い回しや、ネットで得た根拠不明知識などが日常生活トリガーとなって思い出され、本当に邪魔に感じる。

ただ、こういうネット文化に染まった思考というのは、本当に一生ついて回るのだろう。

時間の浪費もそうだが、この部分もかなり後悔している。

ちなみに付け加えておくが、俺は昨今やっと問題になってきた有名人などへの誹謗中傷が本当に嫌いだったので、2ちゃんはてなツイッターで、そういうやつらに主にムカついていたし、腹立たしかった。

誹謗中傷やうしろめたい書き込みをしていないことだけは、誇らしいと自分でも思う。

みんなも便利なアプリデジタルデトックスしよう!

2024-08-13

anond:20240813180050

女たたきとかそういうレベルですらなかった 当時の2ちゃんねる

anond:20240813175154

すぐ頭使ってない自己弁護するよな にわかがよ

2ちゃんねるの全盛期はツイッターできる前

いなかったとは言わないが、フェミネットであばれだす前の話だ

2024-08-09

anond:20240808211558

往年の2ちゃんねるっぽいスレで好き

ここの住人は批評家が多いかテキスト面白いのは事実だけど、ヴィジュアルもっと訴えてもよいと思う

2024-08-07

X(旧ツイッター)を10年以上やって思ったこ

このSNS、圧倒的に「何かを叩くこと」「何かに怒ること」が好きな人が長続きしてる

そうでもない人は徐々にポストが減っていったり仲良くなった人とdiscordに籠もったり……

でも前述の怒れる人々は下手すりゃ一日に3桁越えのポスト……

2ちゃんねるなんか目じゃない恐ろしいWebサイトに育ってしまった、そんな風に私には思えてならない。

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

自分流、明晰夢見方

から明晰夢がはっきりとコントロールできて、最近その話を人にしたところ「やり方をまとめて教えてくれ」と言われた。

自分なりに「明晰夢を見て、コントロールする方法」をまとめたので、それをここに記す。

完全に自己流だが、一時期2ちゃんねる幽体離脱スレを見ていて、そこから影響を受けていたりするので、一部出典があるものもある。

明晰夢を見たいと思っている人は参考になるかも…?

①夢の中で夢だと気づく。

これが一番ハードルが高い。訓練に近いと思う。

方法がふたつあって、やりやす方法で試してほしい。

パターンA.普段から夢じゃないか?と疑うクセをつける。

生活をしている上でなにか違和感があったとき、変だなと思ったとき(たとえば外がクソ暑いのに長袖の人がいた、とか)

絶対夢じゃないと分かっているときも、折に触れてこれは夢じゃないか?と頭の中で一度疑問に思うクセをつける。

その時に「自分の手を見る」「自分の体の部位を触る」など決まった行動を伴うとよりよいと思う。

本当に夢の時は感覚が伴わなかったり、見えるもののディティールがどこかふわふわしてたりするから気付きやすい。

自分10代のときからこれが癖になっていて、夢だと手相がなくて手のひらがつるつるなのでよく手を見る。

あ、夢だ!って分かったとき、緊張したら覚醒やすいので、夢だな〜ってぼんやりしとくのがポイント

パターンB.入眠時に意識的に夢を見る

眠るときに、うとうとして考え事なのか夢なのかはっきりしない、あ、今夢見てたかも、みたいなタイミングがないだろうか?

その状態を長くキープして、最初から「夢を見ていることを自覚している状態」のまま眠ってしま方法

ベッドの上で一番リラックスできる体制で、まず一人称ぼんやり景色想像する。

バスとか電車とか、普段乗り慣れていてなんとなくずっと景色が思い出せて、その景色が動くような記憶があれば一番良い。

ぼーっとその景色を見ながら考え事をする。覚醒しないレベルの、そこまで難しくないことがいい。明日のメシ何くおうかなとか。

景色を見ながら、そういやあの工事中建物ってどうなったのかなとか。

景色の中に、自分意識的想像していないものが映り込んできたら成功で、それを「夢が来たなー」と思いながらぼーっと見れたら最高。

②夢をコントロールする

夢で夢に気付いても、コントロールできないというのも聞く。

これは自分にもコントロールが難しいもの簡単ものがあって、

たとえば「翼が生えて飛ぶ」とか、体感として経験がないことはかなり難しい。結局夢は記憶想像しかいからかな。

「会いたい人を登場させる」とか「見たいもの(※見たことあるもの想像できるものに限る!)を見る」とかが結構簡単で、

それが出てくるきっかけを作ってあげるとコントロールやすい。

たとえば、夢の中で扉がある景色を作る。

扉は、「今、振り返ったら自分の部屋のドアの前にいる」と思いながら振り返ったりすると簡単に作れる。

自分の部屋が一番記憶に定着しているので唐突に出しやすいと思う。なんなら夢の最初自分の部屋なことが多い。

ドアの前で「このドアを開けたらあそこにいる」と想像しながら扉を開けると思ったところに行けるし、

「このドアからあの人が出てくる」と思うと、想像した人を召喚できることが多い。

物であれば大きなダンボールや箱を出して、「これを開くとあれがある」と思いながら開けると出しやすい。

物や人が唐突に目の前に現れるということは普段無いので、たぶんこういうきっかけがあると想像やすいのだろう。

他に明晰夢コントロールできる人はどんな方法で見てるんだろうか。

2024-08-03

店と分からない店が嫌だ

たまに一見普通の民家だが実は美味しいご飯屋さんだという店があるが、それが嫌だ。

普通だと店だと気づかないから、入れるとすると人づてに聞くかインターネットで調べて知ることになる。

自分に隠れランチ情報を教わるような人間関係はないので必然的インターネットによって情報を得る必要がある。

しかしそれが恥ずかしい。

ネットで調べて隠れ家に来るなんてストーカーまがいというか、なんとなくネチネチした性格の人がやるイメージがある。

そういう店だとどうやって知ったか聞かれる確率も高いと考えられる。ネットで知ったと答えるのはもう羞恥プレイだ。

(ちなみに普通の店でどこで知ったか聞かれたら、たまたま通りがかかって知ったと嘘をついている)

ネット2ちゃんねる時代の考えが抜けていないからだろうか。

デジタルネイティブの、明るいSNSを使いこなしている世代が羨ましくて仕方がない。

2024-07-27

anond:20240727211513

お前、氷河期増田として認知されようとしてんの?

はてな2ちゃんねるみたいにコテハンつけられないから、さびしいのか?2ちゃんねるに帰れよ

anond:20240727204427

情が薄くて勝手なやつっていう、どの世代にもよくある特徴を氷河期だ!2ちゃんねるだ!とか言い出すお前がおかしいんだって

お前さ、氷河期だとか2ちゃんねるだとかの前に認識能力問題があるんだわ 自覚しろ

人より劣ってんだよ

anond:20240727203600

2ちゃんねる話題でもないのにニュー速見てなかったな!とか、まあそりゃそうだろとしか

2024-07-22

anond:20240722215324

昔、「実家の古い倉から人肉食の場面と思わしき絵巻物が見つかった」っていうスレ2ちゃんねるに立って

結局スレ立てたやつの手書き釣りだったけどみんなで本気で考察してて面白かったわ

2024-07-20

合丼来来(あいどんらいき)伝・3

「ゆざいちょ」について

ネットwatch板の「ゆざいちょ」をwatchするスレでは、「ゆざいちょ」という人物
一体どういう人物なのかについての調査が行われていた。

スレでは

過去に「遊財町の住人」という名前ホームページブログを開設していた
ホームページ1981年1月17日まれと生年月日が書かれていた
「遊財町の住人」→「遊財町」→「ゆざいちょ」という名前になった様である
2ちゃんねるの「日本電子専門学校」というスレッドに「遊財町の住人」という名前人物が、学校講師への不満を投稿していた時期があり、その投稿時期から1999年4月2001年3月の間日本電子専門学校に在籍していたとわかる
日本電子専門学校内での本人の評判については不明だが、スレでの反応からは、学内で痛い人物として彼の事を知っている人物も居るようである

ということが判明していた。

「遊財町の住人」という名前で開設していたホームページから

日本電子専門学校に在籍していた時代は、漫画家になりたいと思っている節があったこ

だが、画力が壊滅的にだめで、漫画家への道は絶望であること

が見て取れた。

また、「遊財町の住人」名義の過去ブログには

日本電子専門学校卒業後に印刷会社就職したものの試用期間中にクビになった
その後、実家暮らしているが親から就職しろ就職しろとうるさく言われている
在宅で収入が得られる方法としてアフィリエイトを始めた

という記事と、

親への文句記事数本

が書かれていた。

スレ住民たちは

漫画家志望→だが、画力が壊滅的にだめ→親から就職しろと小言を言われる→画材アフィリエイト

という流れなのだろうと納得しつつ

アフィリエイト宣伝のためにマイミク申請を求めて来る彼の態度に
「人に対して礼儀を欠いている」
と憤る人が多かった。

これまでの「合丼来来伝」

合丼来来(あいどんらいき)伝・1

合丼来来(あいどんらいき)伝・2

合丼来来(あいどんらいき)伝・2

その人物の名は、「ゆざいちょ」

その人物が初めて世間の一部で有名になったのは、2006年頃の事だった。
2004年ソーシャルネットワークサービス現在ではSNSと略されている物)の一つとして「mixi」がサービスを開始した。

最初は、mixi招待制で、既に登録している人からの招待メールを受け取らなければ
アカウント作成する事ができなかった。

mixiサービスを開始してから1年半ほどが経った頃だろうか、商業で絵を描いている絵描きプロ漫画家の一部の間で

mixiで面識が無いのにマイミク申請をして来る人物がいる、しか相手絵描き
漫画家だと見ると無差別マイミク申請を送って来る上に、一度拒否してもしばらく経つと
またマイミク申請が送られて来る

という噂が流れて来る様になった。

マイミクというのはTwitterで言う所の相互フォロー申請だがmixi場合
承認すると強制的相互フォロー状態になる、という点がTwitterと違っていた。
なので、私などは面識の無い相手から申請は断っていたが、それでもその人物から
マイミク申請は、私には3回来た。

マイミク申請の文面は、下記の様な内容だった。

初めまして、「画力向上ガイド」という、画力向上のために役立つ
技術等を紹介するブログ運営しているゆざいちょと言います

マイミクになって頂けませんでしょうか?

画力向上ガイド
URL

メッセージに添えられているURLを開くと、ペンタブ絵描きノウハウ本を紹介する記事が1日に何本も書かれているブログが開かれた。
しかも、それらの記事はどれもアフィリエイトリンクが貼られていた。

プロフィールには「画材屋をやっている」みたいな事が書かれていた。

正直、開いて「うわあ」と思った。

当時、匿名掲示板の「2ちゃんねる」(現:5ちゃんねる)が広まりだした頃で、
2ちゃんねる」にはインターネット上の関わったら危なそうな人物を観察するための板として「ネットwatch板」というカテゴリ存在した。

私がネットwatch板を試しに検索してみた所、「mixi同人関係の痛い人スレ」みたいなタイトルスレッドで
ゆざいちょは既にwatch対象になっている事を知った。

これは、「ゆざいちょ」と名乗っていた人物が「合丼来来」となりDLsiteに対して訴訟を起こし敗訴するまでの物語

これまでの「合丼来来伝」

合丼来来(あいどんらいき)伝・1

2024-07-17

シンギュラリティ

田増

"It's a true world"という文を含むコピペがあった気がするのですが、内容を思い出せません。

Claude 3.5 Sonnet

申し訳ありませんが、"It's a true world"という文を含む特定コピペについて、私の知識ベースに確実な情報がありません。このようなフレーズは様々なコンテキスト使用される可能性があり、特定ミームコピペを一意に特定することは難しいです。

ただし、このフレーズに似た表現や関連する可能性のある内容について、いくつかの可能性を挙げることはできます

  1. "It's a cruel world" (残酷世界だ) という一般的フレーズの変形かもしれません。
  2. 歌詞や詩の一部である可能性があります
  3. 映画テレビ番組セリフかもしれません。
  4. インターネット上のミームジョークの一部である可能性もあります

もし思い出せる他の詳細(コンテキスト、出典、関連する他の文章など)があれば、それを教えていただけると、より具体的な情報提供できるかもしれません。また、このフレーズに関連して何か特定情報を探しているのであれば、その点についても教えていただければと思います

田増

コピペは「初カキコ…ども…」で始まった気がします。

Claude 3.5 Sonnet

ああ、そうですね。今おっしゃった情報で、有名な「初カキコ…ども…コピペを思い出しました。これは日本インターネット文化特に2ちゃんねる(現5ちゃんねる)発祥の有名なコピペです。

正確な全文は以下のようになります

初カキコ…ども…

初カキコ…ども…

フォーマルあいさつですが、初カキコ…ども…

ちょっと緊張していますが、初カキコ…ども…

これが初カキコになりますが、初カキコ…ども…

2年間このスレを見守ってきましたが、初カキコ…ども…

今日という日を迎えてしまいました。

人生史上最高の日ともいえる今日初カキコ…ども…

でも不安です。初カキコに対する反応が怖いです。

それでも勇気を振り絞って、初カキコ…ども…

みなさん、初カキコを温かく見守ってください。

では、今から本題に入ります

It's a true world.

以上、初カキコでした。

このコピペは、掲示板に初めて書き込む人(初カキコ)の緊張や不安、そして形式的挨拶を極端に誇張して表現しています最後の "It's a true world." という英語フレーズは、突然の唐突さと意味不明さゆえに、このコピペ面白さをさらに増しています

2024-07-12

最近2ちゃんねるってどんな感じ?

5ちゃんねるになったんだっけ?

10年見てないけど、今どんな感じなの?

普通に昔みたいに使えるの?

ワッチョイ?かなんかバレるやつ今もあるの?

anond:20240710202315

ワロタ

しかにひ〇ゆきさんの影響だろなあ

ひろまろさんは2ちゃんねるといい、結局社会マイナスをもたらしたまま人生走破しそうやな

「先程回答した通りです」「こういう意味質問されていますでしょうか」って真顔で淡々と言えば良いところを、大袈裟言葉を被せながら「えっ?えっ?さっき言いましたけど?(苦笑)えっ、どういうことですか?(苦笑)えっ?えっ?」みたいなのがひろゆきと同系統典型的煽りクソ野郎って感じ

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