はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
https://x.com/info_amagoi/status/1808877483611337162
>えっと私事ですが、いくりは2024年7月1日よりエクランふうと別の家庭の人になりました☺️
>自立したくて離婚してはみたけど名字変えてないし家もひとつしかないので住所も名前も同じです、つまり何も変わっていない
前々から息子(はるかぜちゃん弟)が、両親の関係悪化について愚痴っていたがとうとうきたか
はるかぜ母は、はるかぜちゃんが有名になる前に2ちゃんねるに専スレがあった
母アンチがそのままはるかぜちゃんアンチに移行したというか、はるかぜちゃんの背後にいる母親へのアンチ活動を続けて新規アンチも入っていきながら今に至る
当時のことは過去ログを見て知るのみだが、若い時期のはるかぜ母は芸能活動しており、ビデオ販売イベントで知り合ったビデオ店店長と結婚
夫は年下でかなり若く、母の方が頼み込んで結婚した
ツーショット写真も残っていたが、若い二人は美形カップルだった
また、母は家庭の事情でコロコロ苗字が変わったため、カワイイ苗字の人と結婚してずっとその姓を持ち続けることに憧れており「春名さん」はドンピシャだった
契約途中で急に結婚して芸能から足を洗おうとしたため事務所の怒りを買い、もうやめたかった嫌な仕事を最後にもう一回やらされ、ラストのその作品は取り消しもできずU-NEXTで今も配信されている
仕事のこと歳の差のことなどで夫婦は平等ではなく夫の方が立場が上で、息子を妊娠中に不倫されても、怒るどころか捨てないでくれと下手に出て頼み込むような関係だったという
その時に夫が言ったのが「お前のことはもう愛してないが、子供のことは責任があるから大人になるまでは別れない」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1363219963
森絵都さん著書『永遠の出口』とドラマ『女王の教室』 最近、森絵都さんの本を読むようになりました。
『永遠の出口』の第二章「黒い魔法とコッペパン」が天海祐希さん主演
のドラマ『女王の教室』そのものだったのですが、ドラマには原作があることは
一言も触れていません。
これはどういうことなのでしょうか?
「女王の教室」…
制作サイド側は認めていません
(まあ、認めたら終わりですが…)
「女王の教室」、過激な演出と賛否両論でしたが、話題性がある作品で、自分もそれなりに好きな作品だったのに
「なぜか」、小説化されていません
もし、文にしたら「永遠の出口」に近いものになってしまったのかもしれず、それを証明しないために小説化しなかった…のかも?
いやいや、邪推ですよね
題材や登場人物の設定似れば、偶然似てしまう事もあるでしょうから…
おそらく「偶然」…でなければ「偶然を装った必然」ですね
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q146158369
その元となった作品は何ですか? 「女王の教室」が何かのパクリだという噂を聞きましたが、
その元となった作品は何ですか?
森絵都さんの小説『永遠の出口』の第二章「黒い魔法とコッペパン」です。
酷似箇所の具体的な例は、
・点の低いテストの答案を床に落とす
・給食当番の生徒がシチューの大鍋をひっくり返し、クラス全員が食べられない
・監視係
・運動会の合同ダンス練習で一人の女子児童の出来が悪いために全員居のこり
・今年1年捨てるというセリフ
https://plaza.rakuten.co.jp/mikeracantarbire/diary/200612300000/?scid=wi_blg_amp_diary_next
昨日ようやく、「永遠の出口」という森絵都さんの小説が読み終わりました。
噂を聞いたので読んでみましたが、パクリだという話だけでなく
いや~はまりましたね。
面白かった。
あと容姿が似ていない…。真矢がふけてもああはならないだろうな。
成績で扱い分けするのは同じだけど。あと、給食の奴も。
https://ameblo.jp/06de095l21107003/entry-11668900814.html
http://blog.livedoor.jp/date1964/archives/50059820.html
昨日発売された「週刊ポスト」9月16日号と「週刊現代」9月17号に、ドラマ「女王の教室」に関するスキャンダル記事がありました。いずれも「2ちゃんねる」で話題になっていた内容とのことですので、独自記事というよりもネット振り出しのネタのようです。
「女王の教室」の設定とストーリーが、森絵都の「永遠の出口」収録、「黒い魔法とコッペパン」に酷似しているという記事。「永遠の出口」は、ひとりの女の子の小学3年生から高校卒業までを9章に分けて描いた物語で、第二章に当たる「黒い魔法とコッペパン」は、ひいきをする女教師にクラス全員で立ち向かうというエピソード。「成績上位の生徒は放課後の掃除を免除」「先生に意見した優等生をいびる」などを筆頭に、「女王の教室」で印象的な設定やエピソードがうりふたつという指摘。「日経エンタテイメント!」でも同様の指摘記事があったそうです。
同記事では、日本テレビへの取材は行なっているものの、肝心の脚本家には取材していないようです。取材をするなら、まずは脚本家に対してだと思うのですが。パクリかどうかの事実関係やその判断はともかくとして、もしも脚本を書くうえで参考にしていたとしたら、それ相応の番組内クレジットが必要ではないでしょうか。
■日テレがあわてて削除を要求「女王の教室」子役のマル秘文書流出騒動/週刊現代
和美役の志田未来(セントラル子供劇団所属)のスケジュール表が「2ちゃんねる」に流出し、12歳の志田には労働基準法違反になる長時間、かつ深夜帯にドラマを収録していたことになるとの記事。
事実だとしたら、労働基準法違反に違反する形での収録スケジュールが事前に決まっていようが、収録が延びてしまって労働基準法違反に違反する形になったとしても、大きな問題。今後は、ドラマ制作における進行管理が、海外並みにきっちりと求められるのではないでしょうか。
舞城王太郎の小説を読むのは初めてだった。ブックオフで著書がたくさん並んでいるのだから、面白いのだろうと長年思っていた。それで、代表作であろう阿修羅ガールを読むことにしたのだ。
面白かった。ただしそれは小説全体の中盤、具体的には第一部が終わるまでだったが。主人公(アイコ)のキャラクターがしっかりと立っていて、貞操も倫理観も欠如した主人公が感情のままに刹那的かつ本能的に振る舞うのが一人称でまくしたてられていて、読んでいて心地よかった。
ストーリーも着々と盛り上がっていき、今後の展開に目が離せなくなる。主人公と肉体関係を持った佐野が失踪した理由は何か、アルマゲドンと匿名掲示板で呼ばれる青少年の暴動に主人公が巻き込まれていきどうなっていくのだろうか、といった具合にである。
しかし、第二部が始まり芸能人や政治家が何の脈絡もなく突然に登場してストーリーをひっかきまわしていくので、作者はヤケクソになったのではないか、ストーリーを収束させるつもりは無いのだろうかと困惑する。私は、00年代初頭に2ちゃんねる上で流行したガクトスレ(『はっきり言って、ガクト気持ち悪いです。』URL→ http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1371.html )を連想した。作中の匿名掲示板(2ちゃんねるが元ネタなのは明らか)でのスラングの再現ぶりからして、舞城王太郎はガクトスレに影響された可能性は高いと思われる。その後の展開でも第一部で描かれた丁寧な描写と打って変わって、リアリティの無い夢や妄想のような世界を大型文字を交えて描かれたり、突如主人公が変わって架空の世界でのホラー調ストーリーがファンタジー風に展開されたりと、メチャクチャな展開になっていく。例えるなら、リレー小説でそれぞれの作者が我を強く押し通して話を作り、落丁などをほったらかしにしたままに話をそのまま繋げたという感じだ。連載小説なら、設定やストーリーの根幹を軽視してその場の盛り上がりを重視するというのも分かるが、どうやらこの阿修羅ガールはそういう訳ではないらしい。
そして、第三部では第二部でのハチャメチャな展開を無理やりにまとめるが、それまでの展開を夢オチとするも同然の扱いだった。そうでもしなければ、話を収束させられないから仕方がないけれども。とはいえ、失踪した佐野に関するオチが全く無いのもどうかと思ったが。そして最後まで読んで、こんな小説が賞を受賞したのかと愕然としたが、三島由紀夫賞というのを目にして納得した。三島由紀夫の著書はまだ一作も読んだことがないけれども、WikipediaやYouTube動画から読み取れる三島由紀夫の人格を推測するに、思想の根幹が弱いわりに伊達な人生を貫いた人という印象だ。伊達な人生に命を懸けたという点で、ある意味では思想が強いとも評せられるけれども。それだけに、この阿修羅ガールは三島由紀夫賞に相応しいのだろうと、読了後に感じたものだ。
まあ、文学というのはこういう物なのだろう。「文学」というよりは「文楽」だろうと思ったけれども。つまり文を「学ぶ」のではなく、文を「楽しむ」だ。音楽を論理的に作ったり分析したりしている人を見ると、「音楽」というより「音学」という言葉がふさわしいのではと思うことがある。しかし、出版社主導によって商業的評価をもってして誉めそやされている「文学」という代物は「文楽」という言葉の方がふさわしいだろう。当作『阿修羅ガール』でも同様だ。
阿修羅ガールは、作品の根幹を成すストーリー・思想・価値観よりもその場限りでの文章の修辞的な技巧に重きを置いて、その技巧を楽しむエンタメ作品だ。こうした小説こそが、出版社主導の賞にふさわしいのだろう。そして、こうした小説を生み出せる人が、商業作家として大成していくのだろう。
なんだかんだと文句を書き連ねたような感想になってしまったが、それも最後まで読み切ってしまう楽しさを持つ小説だからこそだ。楽しさの無い小説など、途中で読むのもやめてしまい感想を書く気にもなれないのだから。
「匿名」は気軽に本音が書き込める場だという言い方がまことしやかにされて来た。
まあ、匿名でならと一、二回書き込むくらいの奴はそうかも知れない。
でも、匿名のネットに中毒みたいになって、恒常的に毎日何度も書き込む奴ほど、もっと別のことにハマってると増田は感じる。
そう、それはロールプレイだ。
これは特定の誰かに限った話ではなく、人間は一般的にそうなのだろうが、匿名で書いていると「自分の言葉」であることを忘れる。
そして、普段は自分のキャラクターに合わないから言わないような、台詞がかったことをつい言ってしまうことがある。
これは匿名ネットに対する依存度が高くなるほど顕著になると増田は感じる。
この文章自体、記名で書くなら同じ文体にするかというと甚だ怪しい。
もっと自分のキャラクターを出した、だである調よりですます調のものにするだろう。
それがさらに極まると、自分でないキャラクターを演じたコメントを湯水の如く書き込むなりきりチャットのようなネットの使い方になる。
匿名においては、人は名乗りさえすれば成功者になれたり専門家になれたり実力者を装えたりする。
本来「気楽に本音を書く」ためには、出来るだけ自分の属性は隠した方が良いはずが、匿名のネットに入り浸るようになると自分の存在を認めて欲しくなり、そこに匿名の言ったものがち感が合わさったとき、ある人は自分を好きなように偽る快感を覚えてしまう。
こうなるともう書き込まれることも、本音ではなくただの「言ってて気持ち良いセリフ」になる。
本音ではないので当事者性もないし、内容も無責任になっていく。矛盾しても気にしない。誰かに嫌がられても気にしない。
「露悪」も「偽善」もこの意味では大差ない。ただ自分を偽るということが気持ち良い娯楽なのだから。
Windows 95発売から29年。2ちゃんねるのサービス開始からも25年。そのあいだ、匿名のネットというものに入り浸った人々の普通の感覚はどんどん壊れていく。
まずはこれを見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=mLW35YMzELE&list=PL4fGSI1pDJn4-UIb6RKHdxam-oAUULIGB
YouTubeの人気曲トップ100だが、気づいたことがあるだろうか。
Creepy NutsやAdo、tuki.など、今流行りのアーティストのMVが並んでいるが、どれも歌詞、リリックがMVの中に効果的に配置されている。
あぁ、確かに見るよね。それがどうした?と思われるかもしれない。
しかし、我が国日本の音楽、J-POP最盛期と言われる90年代のMV(当時はPV)ではこのようなリリックが入ったものは見当たらなかった、少なくとも主流ではなかった。
これは、90年代に青春を過ごしたアラフォー以上の方には賛同いただける意見かと思う。
では、いつ頃からこのリリックビデオが日本で生まれ、普及したのだろうか。
インターネットの浅い海をざっと泳いでみると、ニコニコ動画のボカロ動画が起源であるとの意見が散見される。
たしかに、一般に普及したという意味ではそうかもしれない。しかし、「起源」という点において、私の感覚は違う。
ここで、ニコニコ動画やYouTubeが生まれる前、野良の動画クリエイター達は自分の作品をインターネットのどこで、どのように発表していたのか。
当時、日本のインターネット上でダントツで隆盛を誇っていたのが、ひろゆき率いる2ちゃんねる。
2002年、2chの数ある掲示板の中で、新たに出来たのが「FLASH・動画板」である。そう、「FLASH」だ。
当時の動画クリエイター達は自らのサイトでFLASH動画を作成し、2chの「FLASH・動画板」で互いに腕を競い合った。
https://dic.nicovideo.jp/a/flash%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3
FLASHは一大ムーブメントを迎えたが、2004年頃に急速に終焉を迎え、クリエイター達はニコニコ動画やYouTubeへと移っていった。
日本のインターネットにおける動画作成文化の起源はFLASHにあるといっても過言ではない。
ようやく本題に入ろう。勘のいい方は、もう気づいただろう。
2002年、「FLASH・動画板」の設立間もない頃、ある政治問題が話題となった。
北海道出身、御年76歳の現役国会議員、鈴木宗男が起こした汚職問題である。
詳細は以下のWikiを参照いただくとして、その中で大変キャッチーなワードが話題となった。
鈴木宗男が北方領土に建設した「ムネオハウス(日本人とロシア人の友好の家)」だ。
このワードにお祭り大好きな2ch住民が飛びつき、鈴木「ムネオ」と「ハウス」ミュージックを掛け合わせた「ムネオハウス」として様々な動画を作成した。
このムーブメントは当時アングラだったインターネットを飛び出し、一般社会にまで浸透する程、話題となった。
https://www.youtube.com/watch?v=rjZE6U9Ni0E
ムネオハウス関連動画は、主に鈴木や彼の秘書、ムルアカ氏の発言をサンプリングしPV風に作成されている。
そのため、(ネット回線の乏しさもあり)音質は悪く聞き取りにくいため、テロップを付ける必要がある。
動画はハウスミュージックをベースとしているので、テロップも自然と楽曲に乗せてリズムよく、時に演出として効果的に配置する流れが生まれた。
それまで、FLASHでNHK「みんなのうた」のように歌詞を単純に載せる動画は散見されたが、
リリックが演出として組み込まれ、インターネット上に広く浸透したのはムネオハウス関連動画の影響が大きい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKy-lTRvXhU
https://www.youtube.com/watch?v=gG4CdB0U7bc
https://www.nicovideo.jp/watch/sm4630571(9分9秒頃)
その後、FLASH動画板では、BUMP OF CHIKENの楽曲「K」や「ダンデライオン」など一般楽曲にリリックを演出的に載せた動画などが広く浸透していく。
そして、FLASHが廃れた後は、ニコニコ動画、YouTubeにその影響は受け継がれ、米津玄師やYOASOBIなどを輩出したボカロ楽曲において、
日本の公営ギャンブルはパリミュチュエル方式を採用している。これは馬券なり舟券なりの総売上から寺銭として3割ほど割り引いた後に当たったものに配分する方式だ。購入金額と払い戻し金額の掛率を俗にオッズと呼ぶ。
オッズは同じ組み合わせの馬券を買う人(金額)が多ければ下がるし、少なければ上がる。
購入時に10倍だった当たり馬券が払い戻しの際に7倍程度だった経験はあるだろうが、それはあなたが馬券を買ったあとに沢山の人が同じ馬券を買ってオッズが下がってしまったからである。
今から40年近く前のことである、江戸川競艇では人気薄の選手が勝ったにも関わらずファンの想定より払戻金額が少ないということが続いていた。
その幹部は投票が締め切られてレースが始まり、順位がほぼ確定したあとになって当たるであろう舟券を自分のために大量に発行したのだ。
結果として総投票数に対して当たり舟券の票数が多くなり、本来のオッズよりも低い払い戻しとなった。
件の幹部は裁判で認められた不正だけで2千万円以上の利益を得ていたという。
この不正が発覚したあと、競艇では再発防止のために「投票締め切り→確定オッズと各舟券の投票数の発表→レース発走」の手順を徹底することになった。
その後地方競馬や競輪も競艇に倣ってレース発送前に確定オッズを出すことになったという。
ところが我らがJRAは未だにレース発走前に確定オッズを発表しない。
時たま2ちゃんねるの競馬板でも話題になるが、オッズ計算は複雑なのでJRAのスーパーコンピューターを持ってしても時間がかかるのだろうという説で落ち着いている。