はてなキーワード: 軽蔑とは
マッチングアプリをやっていると、シングル堅実男子がわんさか出てくる。
シングル堅実男子をやってること自体は「お仕事大変だよな、行政なり近隣なりの支援は必要だし、助けてあげなきゃな」と思う。
他方、理解に苦しむ。
結婚できない原因はお話できます?いい相手がいない?DT?知るか。なぜ人口の半分の女に選ばれないのか。(元カノと死別なら話は別だよ)
未婚の男で素人童貞です、なんてもう最悪。結婚もできずセックスの相手もいないなんて悲惨すぎる。
自分を磨くことすら無く、ちょっと手の届きそうな「ちょうどいいブス」なら行けるかもとかいって相手にされずに生きてきたんだろ?
ネットで平気で散々シングルマザーをバカにしてるよな、私は今も昔もバカにしてるよ。
シングルマザーバカにしてる暇あったら自分が選ばれるように努力しろよ、反吐が出る。
選ばれないような男になった自分を恨め。
しょうがねえのよ男と違って恋人できてもいいことばっかじゃないんだもの。
ちょっと前までは(今ですら)自分の方が暴力とか暴言とか浮気とかの被害を受けた側なのに「されるお前が悪い」ってなぜか他の人間からも傷つけられたしさ。
性交渉を持てば妊娠するのは自分の方だけだし、妊娠の結果出る不利益には「そんなこと最初から分かってただろ、嫌ならやるな」と言われるし、嫌だからやらなきゃ今度は「少子化は女の我儘のせい、女に権利を持たせるな」とか言われるし。
男と関わると利益を得られる代わりに不利益も得る羽目になるが、男と関わんなければ確実に不利益を得ずにいられるんだもの。(まあこれは男に限った話でもないんだけど。ぶっちゃけると人間関係全部そうかも知れない)。
相手が妊娠したり、生まれた子供が障害児だったり、相手が交際や結婚や出産をした途端に豹変して自分に危害を加えて来た時、何の足かせも足手まといもなくノータイムで我が子ごと捨ててトンズラできるアドバンテージのある性別と、逆にそういう足かせや足手まといが常に付き纏う性別に非対称があるのは仕方のないことだと思うわ。
男もどうにかして子供産める体になればいいと思うのよね。別に人工子宮でもいいんだけど。
そうしたら弱者男性にも出産で絶対キャリアに穴開けたくない女性と結婚してもらえる価値が出て来るじゃん。そのかわり子供関連で身動きできない時期に女が危害加えて来たり別の男作ってトンズラこいたら地獄だけどね。ほうほうのていで子供連れて逃げたら逃げたで「シンパパは女見る目のない考えなしだから軽蔑する」って赤の他人から罵倒もされるよ。
支援が必要はマクロな視点(国や社会を考える目線)で、軽蔑するのはマクロな視点(自分が結婚する相手を見る視点)だから両立はすると思う。
マクロに見れば少子化だし、子供に健やかに育ってもらうことは社会として担保すべきこと。
一方でいざ結婚するとなると、すぐ離婚するような甲斐性のない人、1人になったら厳しくなることは分かりきっているのにそんな判断をしてしまう無計画さ、そんな計画性のない人と一緒になりたくないという気持ちはわかる。
あと、一度離婚している人は離婚に関する知識と経験を積んでいる分、何か少しでもしくじったら簡単に自分も切られるのではないか、という不安が常に付き纏うよね。
以前からうすうす感じていたことですが、普段弱者アピールしてる人に限って、自分が有利な立場になった瞬間パワハラ・モラハラ人間になるという現実を見せつけられてうんざりですね。
今ネットで目立ってる「弱者の味方」さんたちは本当の意味では「弱者の味方」なんかじゃないなという気持ちが強くなっています。
だって、この人たち「強者としての責任」を問われる機会が全くないせいなのか
「弱者アピールによって権力を手に入れようという転倒した価値観の持ち主である」せいなのかわかりませんが弱者としての特権だけを主張するだけだもん。
弱者としてのつらさを分かち合ったりそれについて解決しようという気持ちが全く感じられない。
そういう人たちを応援している人たちも、そんな暇があったらボランティアや市民活動の一つでもやればいいのに。
普段ネットでやたらと大げさに「弱者アピール」してる人たち……はまだましとして
いろんな案件に首を突っ込んで「弱者の味方」アピールしている人はめちゃくちゃ危険人物です。
私自身が障害者支援に関するNPOで活動しているから強く実感していますが
社会的弱者の救済や手助けというのは、めちゃくちゃストレスたまるし大変なことです。
個人で何とかしようと思ったら一つの案件だけで手いっぱいになるくらい重たいです。
だからこそ、制度や行政、企業的活動などいろんな仕組みとして整えていく必要があるわけです。
そんな状況で、構造的な困難を抱えつつ私的な救済について現場で実際に頑張っている人たちはむしろ表に出てきません。そんな余裕はないからです。
ネットでも、こういう活動を頑張ってる人たちを応援するような活動をしてくれる人がいたらいいよねって思ってます。
あれだけ毎日社会的弱者をなんとかしろみたいに運動してる人が山ほどいるなら、こういうところにたまにはフォーカスが当たってもいいよねって言いたい。
大半は「現実の差別や理不尽に対して何かをしよう」とは思ってません。
上で述べたように大変だし背負いきれないからです。
ほとんどの人にとって、自分にかかわりがない限り他人の受けている差別とかは本心ではどうでもいいんですよ。
ただ日々自分が感じてる不満やうっ憤をそれらの事例にあわせてぶちまけたいだけです。
お手軽に正義になりたい。
お手軽にストレス解消をしたいだけ。
それだけなんですよね。
差別に反対しているってだけで上等な人間になれるわけがないし、
むしろ安易に深く考えずに差別反対とか言ってる人はもうちょっと考えてから発言するようにしてほしい。
とはいっても、別にそれ自体は責められるべきことじゃないのです。
特に他に誇れるものがない人が、安易に自分が他人にマウントできる手段として差別反対とかにかぶれるのはよくあることです。
ネトウヨが反中国だの反韓だのを言い出すのと何も変わりません。
私からしたらどっちもどっちですが、ともかくそうやってお手軽に自分を肯定したいんですよね。
この人たちに対しては、他人に迷惑を書けない範囲でご自由にどうぞという気持ちです。
ただ、こういう素朴な人たちの感情を煽って自分たちだけが成り上がろうとしている人間がいます。
その証拠に、今目立ってる人たちが、ネットに常駐して毎日いろんなあおりをする以外に何か現実で身近な問題を解決したことが有りますか?
ないでしょ?
そういう地道なことはやりたくないんです。
自分の利益を考えればそれが一番お手軽で効率が良いからという理由でネットで煽ってるだけです。
現場で毎日働いてるこちらとしては、こういう人間こそ一番軽蔑しています。
こういう人間は自分がちやほやされたい、弱者を餌にして自分が肥え太りたいだけです。
今ネットで目立ってる「弱者の味方」は、見せ方が違うだけで本質は5ちゃんまとめサイトで人を煽るやつらと何も違わない。
そう思わされるようなケースが多すぎます。
こういう人たちを応援するのはやめましょう。
本当に差別に反対したいなら、まず「自分よりも」深刻な差別や障害に苦しんでいる人を知ってその人に寄り添う努力をしてみましょう。
自分が一番不幸だなんていう被害者意識丸出しの姿勢の人間は誰も救えません。
そういう人は自分は誰かに救ってもらうのを口をあけて待ってるだけの人間だとわきまえましょう。
真の勇気と言うか?
流れでナチ高官になった人Aや、流れで帝国軍人になった人Bと同様に、
後世のあなたのような正義の人から、呪われ軽蔑される対象になっただけだよ。
のうのうと後世にとってのゴミとなりつつも、一部のナチ高官や一部の帝国軍人の名誉回復運動をするか。
どちらかだよ。甘えんなよ。
めっちゃ追い詰められてる!もうツライツライ!だめだ!殺してくれ!
……って感じじゃないんだけど、こう、腹の底からジワ〜っとくるめんどくささ・嫌さ・何もしたくなさがありまして、さっさと死んでしまいたい
自殺、やってしまえばそれで勝ちなのだが、いろいろとハードルが高いんだよなあ
なにせ失敗したときがキツすぎる
首吊りとか練炭が途中でバレたりして脳に障害が残ったりするパターンがめっちゃイヤだ
脳がある程度やられたら実質死んだようなもんなのかもしれないが、どうせならスカッと死にきりたい
この失敗を避けるというのがわりと運ゲー感あって嫌だ
というか、一回ミスるとなんかビビってしまう、というのは俺自身すでに体験してるんだよな
あのときあと30秒待ってみてたらいまごろは涅槃寂静だったかも……と思うと悔しいんだけど、じゃあもっぺん首吊るか!とはいかないのが難しいところ
あのとき感じた、うずくまってのたうちまわるような苦しさを思い出すと、ちょっと勇気が出ねえ
それこそスイスの安楽死みたいな、薬飲んでフッと眠るように意識をなくしてそのままお陀仏、っていうのが理想なんだけど、なかなかそういう方法ってないよなあ
まだ40年以上残ってる、ダルい人生をまるごと全部スキップできる!というのを想像しただけで笑顔になれるもん
逆に、生き続けて幸せになれるビジョンが見えない 結婚の予定なし、何かに夢中になれたことなし、というか、そういうポジティブ面がないことじゃないんだよな問題は
いいことひとつもなくたって、やなことが無ければ生きていけると思う
しかし、人生の大半を労働という個人的にめちゃくちゃ苦痛に感じることに費やさないといけないし、それに加えて老化とか病気とか相続とか、そういうヤなことも無限にポップしてくる
ホントに嫌なんだよ俺 もう嫌なんだ
俺、生まれたいっつって生まれたわけじゃないんだし、社会さんサイドのほうでせめて終わらせる方法くらい提供してもらえないんですかね
社会が子供作るの禁じててくれたら俺はいまこうして苦しまないで住んでるわけだし、責任は社会にあると言っていいと思う
勝手に生み出しといて、義務を大量に押し付けて、死ぬのはダメだってそりゃひどいですよ
いや、ダメじゃないんだろうけどさあ!
技術的にはもっともっと簡単に安心して死ねるはずなのに、どうしてこの身一つで気合い入れて死なないといけねえんだ?
年齢・健康状態に関係なく本人の意思のみで安楽死できる世の中になるまで、私は子供をつくりませ〜ん!
ーーー
ちょ、ちょっと待ってくれ
kwsktr 子育てはじめると子どもが12歳くらいまでは、死にたくなくなるよ。子どものためにポジティブに生きれる。おすすめ。
そういうのが一番良くないんだって!まじで!
「あー死にて〜、あっそうだ子供作ろ!子供の世話で気ぃ紛らわしたらええやんw」
つってできた子供がまた死にて〜と思って、……っていう負のサイクルの結果がいまの社会だろ?
そういうのやめてえなあ、俺もさっさと死にてえなあ、って話してんじゃん
いや、あんたはもう子供作っちゃってるしどうしようもねえし、子供に罪はないんだから元気にやってくれりゃいいけどさあ!
俺はそういう、エゴで子供作っちゃう行為を心底軽蔑してんですよ、ホントに
だいたい、"子供が12歳くらいまでは、死にたくなくなる"じゃねえんだよ
12年しか保ってないじゃねえか!12年気を紛らわせるために80年の人生やらされる子供の身にもなれよな!
いや、正直その誇張しない姿勢はけっこう好きだ 子供できたら一生楽しいみたいなことを宣いがちだからな 暇つぶしに子供作り界隈の人間は
とにかくよ、「人生はキツイ。しかし子供を育ててると楽しい」ってのはどうかと思うわけ
その子供がパートナーみっけらんなかったり、不妊だったり、その他もろもろの理由で子供もてなかったどうすんだよ!
ただただ苦痛まみれの人生をだれかに押し付けることになっちゃうじゃん!
まあ、子供つくるだけが人生じゃねえし、その子がその子で楽しく生きられる可能性はあるけどさあ、でもそれって可能性じゃん、ただの
わかる~。俺もそう。他人事と思えない。
でも俺は自分のほうが正しいと思っていて。
というのも、ウシジマ君大好きな友達や彼女に話きいて回ったことあった結果、好きで読んでる人には基本的に2通りいた。
一つには、自分とウシジマくん被害者たちは無関係で、なんなら被害者のバカを軽蔑しているタイプ。バカを見て安心してしまう人たち。
もう一つには、酷い事が起こるとむしろ安心してしまうタイプ。自分には酷いことが起こるのがデフォで、良い事しか起きてないとむしろだんだん不安になってくる。メンヘラ予備軍。
別に彼らが嫌いではないが、これに関しては俺のほうがまともに属しているだろう。
だから俺は誰になんと言われようとハッピーエンドのお話を希望するし、ご都合主義のなろうコミカライズとかで安心していく。君も性格を直したいとか思わなくていいと思うぞ。
SNSのタイムラインに流れてくる何千何万といいねがついた画像は、散々加工され尽くしたド派手でドぎつい写真の成れの果てのようなものが少なくない。
いいねの数が4桁5桁となればわたしのような写真にうるさい層ではなく、一般大衆に(も)ウケていると捉えてよいだろう。しかし、そういったものほど容易に後処理で手を加えたようなものが目につく。
そんなバカのひとつ覚えのように色彩を派手にしただけ、明瞭度をめいっぱい上げて異様にメリハリが強調されているだけ、果ては本来そこに無いものを合成しただけの“写真モドキ”はクソだ。写真に対する冒涜だ。
写真が「真実を写す」ものでないことは百も承知。それでもなお、事実を歪曲したり捏造することで生まれた写真モドキをわたしは写真と認めない。写真とは別の優れたもの、美しいものとも思えない。
しかし写真モドキはまるで写真であるかのように振る舞うのだから尚更タチが悪い。
それにいいねを押したりシェアしたりする人がいることで写真モドキの作者は味をしめ、いいねが欲しいだけの奴は模倣をし、写真モドキはケバさを競うようにしながら世の中に蔓延していく。
シャッターを切った瞬間には並以下の写真でも、PCやスマホでイジり倒せば誰でも人目を惹く、しかしよくよく見れば醜い写真でも絵でもないものを作り出すことができる。わたしが写真モドキと呼んだものの正体がそれだ。
人目を惹くことといい写真であることは必ずしもイコールではない。
ただ、一般大衆はその2つをかなり近いもの、下手をすれば同列のものとして捉えていると感じる。そういう層は写真や写真モドキを目にしてもそれが「写真として」優れているかどうかということは分からないのだろう。
大衆は現実と乖離した、撮影後の処理でドーピングした写真モドキでも現実とリンクした美しいものと感じるのだろうか?
もしくは現実に関係なく単純にキレイなものと感じられるなら、それでいいのだろうか?
色彩は鮮やかであればあるほど美しいものと感じるのだろうか?
ならば白黒写真は単に古さを感じるだけだったり、理解不能な自己満足にしか見えないのだろうか?
そんな疑問をこれまで見てきたものや、わたしの写真に対する一般人の感想などを通して抱き続けている。
そして、わたしが持っている「いい写真」や「美しさ」の定義は一般的なそれと遠く離れてしまったのだろうか? (『そうに決まっている。この写真家気取りが』とあなたはいま思ったかもしれない)
とはいえ、写真の良し悪しなんて主観でしかない。あなたがキレイだと感じたなら、それは間違いなくそうだ。その対象が例えわたしが写真モドキと軽蔑するようなものだったとしても。
タイムラインには星の数ほどの写真が流れては去っていく。いまや写真がタイムラインを流れるほんの一瞬で見る人を惹きつけることができなければ、評価の土俵にも立てないのかもしれない。
その一瞬のためだけに奇形化した写真モドキを、わたしは数秒たりとも見続けられないのだが。
「見た瞬間に」感情が動かされたものに対して、それが一瞬であなたを惹きつけるためだけに容易に(あるいは計算ずくで)生み出されたものでないか、ほんの数秒立ち止まって考えてほしいと思う。
学生の頃、大学の近くに使用済みパンティを買ってくれる店があった。
値段はせいぜい小遣い程度なのだが、ときどき不要なパンティを売りに行き、その金でいいランチを食べたりした。
私のサークルでもこの店のことはよく知られていて、私以外にもパンティ売人が相当数いたようだ。
男子のいないところで集まると、どんなパンティがいくらで売れたとか、情報交換をすることもあった。
けばけばしいワインレッドのパンティで、ぜひ私に履いてほしいのだという。
マジ悪趣味だなと思ったが、かといって別に害があるわけでもないので、とりあえず受け入れた。
これを履いていると、鼻息を荒くして股間に顔を埋めてくるので、いま思えばただの変態だが、当時はさほど悪い気もしなかった。
驚いたのはその後だ。
ある日ふらっとパンティ屋に行ったら、ワインレッドのパンティが店頭に並んでいた。
だが、もちろん売ったのは私ではない。それでは誰なのか。
一つ心当たりがあった。
こいつは私の彼氏とできているのではないか、という噂が以前あった。
付き合い始めのころ、何気ない感じでそのことを聞いてみたが、あいまいに否定するだけ。
推測するに、彼氏はあの女とやっぱり関係を持っていて、同じパンティをプレゼントしたのではないか。
不愉快な気分を引きずりながらサークルの飲み会に行ったら、つい飲み過ぎてしまった。
ヤリチンで知られる後輩の男子が、明らかに下心のある感じで私を送ろうと提案してきたが、面倒で断る気も起きなかった。
そしてホテルに行って服を脱がされたとき、後輩男子が怪訝な顔をしているのに気づいた。
と思っていたら、そいつはこんなことを言ったのだ。
翌朝、着替えているとき、パンティにあのヤリチンの体液が付着していることに気づいた。
最悪なことに、無理に拭き取ろうとしたら、かえって跡がついてしまった。
パンティに変な跡がついていたら、彼氏は浮気を疑うかもしれない。
新しいのを買えばよいが、どこに売っているものなのかも分からない。
こうなればやむをえない。
私は例のパンティ屋に行き、ワインレッドのパンティを購入した。
嫌で仕方なかったが、その後も彼氏が頼むときはそのパンティを履いた。
この男は全く気づかずに、飽きもせず股間に顔を埋め続ける。
いや、気づいたところでどうでもよく、顔を埋め続けるのかもしれない。
こいつが執着しているのは、私でも後輩女子でもなく、パンティなのではないか。
そう思ってパンティ屋に行くと、誰か先客がいるようだった。
近づいてみると、それはあの後輩女子であった。
私の手に握られたワインレッドのパンティを見て、彼女は何かを察したようだった。
「先輩もパンティを売りに来たんですか?」
おのおのパンティを売って外に出ると、まぶしい日差しが私たちに照りつけた。
「先輩、ランチでも行きませんか?」
後輩が無邪気に問いかける。
以前は嫌なクソビッチだと思っていたが、もうどうでもいいことだった。
こうして私たちは歩きだした。
医者をやっていると「この人はどうしようもない(ゴミのような)人だな」と患者を残酷に見下す瞬間がある
深夜に酔っ払って騒ぎ散らして来る人や出された薬を飲まずに病気が悪化する人など、挙げればキリがない
本当は飲酒をやめられない、薬が飲めない理由があるのかも知れないが
そういう人を見ると軽蔑をするし早く死んでも良いのに、と思うこともある
いやな職業だ
ツイフェミはそもそも知能の問題でダブスタに気がついていない可能性があるので哀れに思うが
元増田はツイフェミのダブスタに気が付きながら自らの矛盾に気が付かないまたは無視をしているので、ツイフェミより醜悪だと思う
【追記】
・友達について
物心つく前からの付き合い。こっちは友達のつもりだけど多分向こうがどう思ってるかは微妙。あっちは家族の手前、切り捨てるのが微妙だから続いてるっぽい感じもするし、中学の頃別の奴から「あいつはお前のことなんかどうでもいいからこそ何でも話を聞いてくれる(否定しない)んだぞ勘違いすんなよ」と言われたこともある。俺と違って健常者で友達も多い。俺にないもの全部持ってて、こいつが「元カノ理解があったよね」って言ったからこそ認められたような気もする。
・A子の近況について
ストーカーはしてない。同期だったころにFacebookでつながって、お互い更新しないのもあってこっちはブロックされてなかった。他の奴の投稿でA子の近況知った。別に嗅ぎ回ったわけじゃない。
。。。
以下本文
。。。
“理解のある彼くん”というワードをよく目にするようになり、アスペのワイ「女は楽でいいよなーーッ!!」と思っていたが、唯一の友達に「でもお前の元彼女ちゃんは、かなり“理解があった”よな」と言われて黙る
子供の頃から勉強は出来るが空気が読めずに浮いていた。自分なりに気を使ったつもりでもやはりズレていて、しょっちゅう場を白けさせた。幸いいじめを受けたことはなかったが、いわゆる「班分け」的なやつでは行き場所がなく、修学旅行では人数の関係でクラスの陽キャグループに投入された。意外にも陽キャグループは優しくて、俺を適度にイジりながら一緒に行動してくれた。「増田おもしれぇ!」と言われたので「もしかしたらこのままグループに入れてもらえるんじゃ」と淡い期待を持ったが、そんなことは全然なかった。
大学でも最初は頑張ってみたものの、すぐに周りに距離を置かれて孤立した。せめて可愛い彼女が出来ればとも思ったが、友達が作れない男が彼女を作るのは無理ゲーだった。
何とか就活を終え、童貞のまま就職した。大企業ではないので同期は10人。その中のひとりがA子だった。同期の中でもいつも通り、最初だけ輪の中心にいて徐々にハブられる流れだったが、配属先が同じだったA子だけは離れずフォローをしてくれた。女子に優しくされたことのない俺は舞い上がり、A子にアプローチをした。ダサくて空気の読めないアプローチだったと思うが、何度か粘って奇跡的にOKを貰い、人生初の彼女ができた。
A子は仕事ができた。優しく気遣いができるので、同期にも先輩にも好かれていた。ワイは学歴は1番だったが、案の定仕事ができない。そんなワイに、A子はかなり尽くしてくれたと思う。いつも優しい言葉で励ましてくれ、残業でヘトヘトの日には飯を作って待っててくれた。ワイはA子に依存した。そしていつのまにか、A子がしてくれることを“彼女なんだから”当たり前だと思うようになった。
そんなある日、ワイは仕事で大きなミスをして上司に叱責された。素直に謝れば良かったんだが、ミスのデカさにパニックになってわけのわからない言い訳をしてますます上司を怒らせた。同僚たちの軽蔑の目に耐えきれずに早退し、次の日から会社に行きたくてもいけなくなってしまった。ありがちだが、出社しようと玄関に立つと涙が止まらず吐いてしまう。
心配してくれたA子にも酷い言葉を浴びせてしまった。この世で甘えられるのはA子だけだったし、暴言を吐けるのも彼女だけだったからだ。それでもA子はワイを見捨てず、退職して家賃が払えなくなったワイを自宅に引き取ってくれた。広くはない1Kの部屋。何の生産性もなく、家事もできないワイに、A子は頑張れとは言わなかった。病院にも連れて行ってくれた。少し症状が回復した時、ネトゲで出会ったメンヘラと意気投合した。A子が責任感があってまともだからこそ、メンヘラのだらしなさに触れると安心する感じがあった。そこからはもうお察し。メンヘラとの浮気がバレた夜、A子は初めて泣き崩れた。出て行ってくれと言われた。A子に愛されている自信があったから、荷物をまとめる間に引き止められるか、出て行ってもすぐ連絡があると思っていた。でもなかった。メンヘラの家に転がり込んだが、メンヘラとメンヘラでは共倒れになるしかない。3ヶ月後に帰ったA子のマンションには別の人が住んでおり、着信拒否されていた。
友人の言う通り、A子は“理解のある彼女”だった。でも俺は友人に言われるまで、どんな彼くんモノの漫画を読んでもA子を思い出すことはなかった。A子を“生きづらい人生に現れた救世主”として感謝するのではなく、“生きづらい人生にやっときた報酬”くらいに思っていたんだと思う。「懸命に生きている自分の人生にはそういう女がずっと現れるべきなのになかった。やっと“当然の権利”を手に入れた」みたいな。俺が半生を漫画(笑)にしたとしたら、A子のことは書かなかったかもしれない……とまで思ってゾッとした。
当時は精神的にも経済的にも助けられたし、浮気がなければ、A子は結婚してくれたかもしれない。主夫ですらない(家事をやる気もない)ヒモを飼ってる女って意外といるよね……たいていはヒモだという認識ないまま……
半生漫画に理解のある彼くんを登場させられるのは、理解のある彼くんが特別だとちゃんと認識して、多少頼ったり甘えたとしても関係を続ける努力を怠らなかった人だと思う。俺みたいに当然の権利として受け取って、努力を怠る人間には理解のある恋人がいたとしても救いにはなれない……というか恋人の“理解”や愛情をぶち壊してしまう。
男全員がそうじゃないだろうが、俺は、女からの優しさを“当然与えられるべきもの”という風に捉えていたんだなとここ数日で考えていた。だからA子のことも特別“理解のある彼女ちゃん”と認識できなかった。
A子に謝りたいと思うが、すでに家庭を持った彼女にとって俺なんか忘れたい過去だろう。黒歴史か。謝りたいという気持ちさえ、A子のためじゃなく自分のためで、あわよくば優しくされたいとすら思っている。そういう自分が本当にキモい。
“理解のある彼くん”というワードをよく目にするようになり、アスペ(多分。未受診)のワイ「女は楽でいいよなーーッ!!」と思っていたが、唯一の友達に「でもお前の元彼女ちゃんは、かなり“理解があった”よな」と言われて黙る
子供の頃から勉強は出来るが空気が読めずに浮いていた。自分なりに気を使ったつもりでもやはりズレていて、しょっちゅう場を白けさせた。幸いいじめを受けたことはなかったが、いわゆる「班分け」的なやつでは行き場所がなく、修学旅行では人数の関係でクラスの陽キャグループに投入された。意外にも陽キャグループは優しくて、俺を適度にイジりながら一緒に行動してくれた。「増田おもしれぇ!」と言われたので「もしかしたらこのままグループに入れてもらえるんじゃ」と淡い期待を持ったが、そんなことは全然なかった。
大学でも、最初は頑張ってみたものの、すぐに周りに距離を置かれて孤立した。可愛い彼女が出来ればとも思ったが、友達が作れない男が彼女を作るのは無理ゲーだった。
何とか就活を終え、童貞のまま就職した。大企業ではないので同期は10人。その中のひとりがA子だった。同期の中でもいつも通り、最初だけ輪の中心にいて徐々にハブられる流れだったが、配属先が同じだったA子だけは離れずフォローをしてくれた。女子に優しくされたことのない俺は舞い上がり、A子にアプローチをした。ダサくて、空気の読めないアプローチだったと思うが、何度か粘って奇跡的にOKを貰い、人生初の彼女ができた。
A子は仕事ができた。優しく気遣いができるので、同期にも先輩にも好かれていた。ワイは学歴は1番だったが、案の定仕事ができない。そんなワイに、A子はかなり尽くしてくれたと思う。いつも優しい言葉で励ましてくれ、残業でヘトヘトの日には飯を作って待っててくれた。ワイはA子に依存した。そしていつのまにか、A子がしてくれることを“彼女なんだから”当たり前だと思うようになった。
そんなある日、ワイは仕事で大きなミスをして上司に叱責された。素直に謝れば良かったんだが、ミスのデカさにパニックになってわけのわからない言い訳をしてますます上司を怒らせた。同僚たちの軽蔑の目に耐えきれずに早退し、次の日から会社に行きたくてもいけなくなってしまった。ありがちだが、出社しようと玄関に立つと涙が止まらず吐いてしまう。
心配してくれたA子にも酷い言葉を浴びせてしまった。この世で甘えられるのはA子だけだったし、暴言を吐けるのも彼女だけだったからだ。それでもA子はワイを見捨てず、退職して家賃が払えなくなったワイを自宅に引き取ってくれた。広くはない1Kの部屋。毎日何の生産性もなく、家事もできないワイに、A子は頑張れとは言わなかった。病院にも連れて行ってくれた。少し症状が回復した時、ネトゲで出会ったメンヘラと意気投合した。A子は責任感があってまともだから、メンヘラのだらしなさに触れると安心する感じがあった。そこからはもうお察し。メンヘラとの浮気がバレた夜、A子は初めて泣き崩れた。出て行ってくれと言われた。A子に愛されている自信があったから、荷物をまとめる間に引き止められると思ったし、出て行ってからすぐ連絡があると思っていた。でもなかった。メンヘラの家に転がり込んだが、メンヘラとメンヘラでは共倒れになるしかない。3ヶ月後に帰ったA子のマンションには別の人が住んでおり、LINEもブロックされていた。
友人の言う通り、A子は“理解のある彼女”だった。でも俺は友人に言われるまで、どんな彼くんモノの漫画を読んでもA子を思い出すことはなかった。A子を“生きづらい人生に現れた救世主”
として感謝するのではなく、“生きづらい人生にやっときた報酬”くらいに思っていたんだと思う。「懸命に生きている自分の人生にはそういう女がずっと現れるべきなのになかった。やっと“当然の権利”を手に入れた」みたいな。俺が半生を漫画(笑)にしたとしたら、A子のことは書かなかったかもしれない……とまで思ってゾッとした。
当時は精神的にも経済的にも助けられたし、浮気がなければ、A子は結婚してくれたかもしれない。主夫ですらない(家事をやる気もない)ヒモを飼ってる女って意外といる。
半生漫画に理解のある彼くんを登場させられるのは、理解のある彼くんが特別だとちゃんと認識して、多少頼ったり甘えたとしても関係を続ける努力を怠らなかった人だと思う。俺みたいに当然の権利として受け取って、努力を怠る人間には理解のある恋人がいたとしても救いにはなれない……というか恋人の“理解”や愛情をぶち壊してしまう。
全員が全員そうじゃないだろうが、男は……ていうか俺は、女からの優しさを“当然与えられるべきもの”という風に捉えていたんだなと、ここ数日で考えていた。だからA子のことも特別“理解のある彼女ちゃん”と認識できなかった。
A子に謝りたいと思うが、すでに家庭を持った彼女にとって俺なんか忘れたい過去だろう。黒歴史か。謝りたいという気持ちさえ、A子のためじゃなく自分のためで、あわよくば優しくされたいとすら思っている。そういう自分が本当にキモい。
「うっせぇわ」という曲が話題らしい。
かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である。
その時は、
「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」
と、
音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。
その現状は
・高い再生数
等々々が物語っている。
かなり直接的かつ攻撃的にみえるものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である。
大学生の自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。
歌詞を見る限りは、
いわゆる難関大学を卒業した「社会の優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました
といった感じのシチュエーションだろうか?
もしくは、
あたりだろうか?
嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間」
であるようには感じた。
なんとなく思うのは、
「この曲に気づいてはいけない」
ということである。
内容自体は、尾崎豊やamazarashiなどが
若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの
かもしれない。
しかし、この曲が圧倒的に違うのは
「汚く品のない歌詞」
とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。
「私を見ろ」
と喚いているだけなのかもしれないのだ。
こうなったらどうしようもない。
同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手の目的は達成されてしまうからだ。
もし無視しようとしても、あの奇天烈な音階のサビと尊大な発言に否が応でも
「何言ってんだコイツ」
とか
「手前よりまともだわ」
とか
「そんな時期だよねw」
とか
反応してしまう。
しかも大抵は相手にとって嘲笑・侮蔑となりかねない反応である。
共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。
延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。
そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。
歌い手の方は歌詞のバックグラウンドに共感し、若者として歌ったのかもしれない。
しかし、その歌詞は一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。
故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。
「被害妄想を拗らせたすえ大量殺人に走る」みたいなことをやりたい奴がいるか?って話だ
本人にはどうしようねえじゃん
持って生まれた能力・気質と、周りにあった環境によって人生は決まる
被害妄想を抱く気質、低い能力、それをなんとかできない環境、を引いた時点でもうどうしようもない
どうしようもないレールに乗って、どうしようもない犯罪をやった
そういう人に対して「こんなクズは生きてる資格がない」「卑劣な犯罪で、心から軽蔑する」みたいなことを言っちゃう人間はリベラルじゃねえよ
通り魔もテロリストもパワハラ魔も痴漢も、全員まずいレールに乗ってしまった可哀想な人という側面をもっている
「来世であなたは痴漢を300回繰り返して捕まる人間か、犯罪とは無縁の人間に生まれることができます」って言われて誰が前者を選ぶか
前者を選ぶ人がいたとして、じゃあその気質はどこからきたのか どうすることができたのか なにかいい方法があったとして、なぜそれをしなかったのか
そういうことを考えると、「犯罪者を人間のクズと糾弾する」っていうのは、「身体障害者を役立たずのカスと罵倒する」のと変わらないということが分かってくる
お前自身が被害に遭っても同じことを言えるのか?というのはNIMBY問題を正当化する言い分で、アウト
ただまあ、これを言っちゃうと、障害者を差別するカスも犯罪者を差別するカスもそうなるべくしてそうなったんだから責めることはできないって話にもなるんだよな
でもそれでいいのかも
俺は誰も責めたくないんだよな
男、えげつないほどカッコよくないと「黙ってても女が寄ってくる」ってことはない
女は比較的理性が仕事をしてるので、動きのない対象にグワーッと寄っていくにはかなりのモチベーションが必要 それがこの高い要求として現れてくる
しかし、男はチンポ・ドリヴンなので、女が黙っていてもガンガン言い寄っていく
その結果、モテる女、「黙っていても男が寄ってくる」という自己認識の女がかなりの数生まれる
ここで重要なのは、偏差値52くらいの男は黙っているとインセルになるということ
俺の高校時代の友達が大体みんな偏差値52って感じだったんだが、自発的に行動しなかったら全員インセルのままだったと思う(皆大学に入って気合を入れたので彼女ができた)
男だったら気になる人をデートに誘いまくるような行動をやってはじめてインセル脱却できる程度のスペックでも、女だと待ちの姿勢でモテることができる
いや、まあ容姿の維持に求められる労力のベースが違うってのはあるだろうけども、じゃあ素で偏差値52の男が筋トレ・スキンケア・オシャレなどをするだけで女の方からワラワラ寄ってくるほどのモテ人間になれるかというと、けっこう疑問
私怨だが俺は身長162cmなのでその辺をどう頑張ったところで受動的モテは不可能そうというのはある 背、手術しかないんだよな
とにかく俺がいいたいのは、本来インセルであるはずのスペックの女が偉そうにモテ論を語っているとムカつくという話だ
キモいインセルが超キモい非モテ論を語っているnote等、たしかにキモいが、あれに対して上から目線で「人間力が足りないんだと思うよ」みたいなことを言うことは俺にはできない
俺もインセルだからだ 「この執念どこから来るんだ?可哀想に…」とは思う でもそれはあくまで可哀想という感情で、見下しではない
俺と異常非モテmote書き男の違いは人間力ではない 持って生まれたモテへの執着の違いだ それは彼によってどうこうできるもんではない 彼は苦しみ続ける運命、と思うと本当に可哀想
なのによ、穴が一個多いだけで言い寄られた人間が、「人間力」を語っちゃうわけだ
お前男だったら確実にインセルだぞ
はてなブックマークとかやってるような心性の人間が男に生まれてインセルにならないわけがない
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。