はてなキーワード: 足跡とは
「はてラボ」のような実験サービス群は、当時流行していたものだが、
これは会社主導ではなく個人もしくは少人数のグループの主導で、わりと勝手気ままに作られるものだった。
はてな匿名ダイアリーもその一つとして、wanparkというプログラマが個人的な思いつきで作ったものである。
はてなの名でやるような事でもない
自分のサーバーでやれよって感じだなぁ、と言っているとラボが終わってしまうので気分の良い時はてきとうなものを作ることにする。jkondoのkondoは公私混同のkondoやで。
なぜダイアリーなのか?
株式会社はてなのブログサービスといえば、「はてなブログ」以前には「はてなダイアリー」があり、
その匿名版として作られたものが「はてな匿名ダイアリー」だったのだ。
つまり「日記」とは言いつつ実質的にはブログサービスであり、「トラックバック」などの用語にその痕跡がある。
また、開設当初は「マイハテナー」というフォロー/フォロワー機能や足跡機能があり、
相互フォローであればその記事の執筆者が分かるようになっていた。
単なるブログというだけでなくSNS的な発展も想定していたと思われるが、
そういった特殊な機能は削られていって現在のシンプルな増田となった。
いちばん重要なことは、増田が実験サービスであるということだ。
日記だのブログだのSNSだの言っても明確なグランドデザインにもとづいて作られたものではない。
つまるところは、wanparkの思いつきにすぎないのだ。
よって「どういう目的で作られたのか?」と尋ねられれば
まだ雪は残っている。
---
イナヅマの形をした島、佐渡島。
斜めにぐにっと伸びている、あの県。
自分が使っている新潟弁(※1)ですら、方言として認識できない。
意外かもしれないが、新潟県の県庁所在地「新潟市」に雪はほとんど降らない。
さて、そんな新潟市に、一晩で70cmの雪が積もった。
いくら新潟の人間といえども、新潟市の人間は「ほとんど雪が降らない」地域の人間だ。
除雪装備もしっかりしていない。
豪雪地域なら必需品の、スノーダンプ(※2)は、持ってる人間のほうが少ない。
車だってふきっさらしの平原に駐車してある。車庫のある所なんてほとんどない。
車は既に雪で埋まっている。
無理やり発進できるレベルのものではない。まず車のドアが開けられない。
開いたとしても、ガードレールほどの高さのある雪山に突っ込んでいく馬鹿はいないだろう。(※6)
朝5時。かねてより、こんな時が来るのを理解していた私は、
一年以上はいていないロングブーツを装備し、徒歩で、車道を歩いて職場へと向かうことにした。
が、そんなものは持っていない。
普通なら必要ないからだ。普通、新潟市に一晩で70cmなんて積もらない。
外に出ると、世界は真っ白になっていた。
雪原の地平線。雪の降り続ける空。そして、目の前の雪の山。
車はのろのろと車道をよろめいて進んでいる。
たまに雪にハマって、動けなくなっている車を何台か見かけながら、私はひたすら歩き続けた。
もし、新潟に色を塗るとしたら、白だろう。
米の色。トキの色。そして、雪の色。
街の中に田んぼがあるのではない。
田んぼの中に街がある。
田んぼを縫うように中を道が走ったり、高速が走ったり、電車の路線が敷かれているのだ。
あそこは、信越本線の中でも、群を抜いて何もない駅だ。
私はいつも、この駅で人が降りるのを見るたび、
「この人達はどこに行くのだろう?」と思ったほどだ。
本当に、何もない。(※3)
ミネヤ屋で「電車が15時間立ち往生」みたいなニュースがやっていたようだ。
とんちんかんなコメンテーターの言葉に私は少し怒りを覚えもした。
が、しばらくたつと、東京の人達は気楽でいいな、と苦笑いに変わった。
JR東日本は、三条、見附あたりの都会(※4)で電車を止めるべきだったのだろうか?
だが、それでも非難は噴出しただろう。
こんな考え事をしている間にも、私はずっと雪道を歩いていた。
雪道を歩くときのコツは、1つ。
ただ、次の1歩を考えて歩くこと。
次の足の着地地点の雪の深さは。雪の硬さは。その先に、先人が通った足跡はあるか。
ただ、次の1歩を考えて歩くこと。
それが500Mぐらい先であろうとも。
除雪車おろか、車の通った後がなくとも。
というか、人が歩いた痕跡さえなくとも。
その道が、私の腰ほどまで積もっているとしても。
もはや周りに生き物の気配はない。
雪の下の水田は、次なる春を待っている。
私の耳はどんどん遠くなる。
雪を踏みしめる音と、自分の息遣いと、カバンのかすれる音しかしない。
足先は冷たくなってくる。どんどん感覚がなくなってくる。
そうして、やっと私は会社にたどり着いたのだった。
……私の午前中の業務内容は
「欠勤連絡電話応対」「雪かき」「弁当屋の配達不能連絡」で終わった。
それでも室内にいれば6度ぐらいにはなるから、死にはしない。
しばらくたつと、同僚の数人(歩いてきた)が会社にやってくる。
さて、先週の金曜日はこんな感じだった。
今週、新潟市内に雪は降らなかった。気温も高く、雪も大半が溶けた。
だけれども、歩道や、除雪のあと(※5)や、日陰にはまだまだたくさんの雪が残っている。
そうして今週末、また雪が降るという。
ニュースになろうとも、ならなくても、
それでも私は、雪は美しいと思う。
---
※1 新潟弁
「おめさん、そげんこっちゃだみらっこって」 (あなた、そんなことではダメですよ)
私は幼少時代を長岡、高校卒業後を新潟で過ごしているので、長岡弁と新潟弁がMIXされている
※2 スノーダンプ
雪かき用の道具。台車とスコップが一体になったような形状をしている。形状はぐぐって、どうぞ。
※3 東光寺駅には何もない
電車の中から見ると、ガチで田んぼしか見えない。(Googlemapで見ると、近くに集落はあるようだが)
なんとこの駅は有人駅であり、コンビニ、自販機、タクシー乗り場があるのだ。超都会。
※5 除雪の後
砂をダンプカーで運ぶところを想像して欲しい。山ができるだろう?あそこの部分の雪はとけきれずに残る。
いた。でもその後行動不能になってた。ばっかでーーーwwwwww
---
ブログとかたまにやってるけど
ローカルねたで身バレが怖いのでこちらに書かせてもらいました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
(腰まで積もった道を歩いていったのは本当だよ)
---
ダークウェブ用のあれはとにかく人の身元をごまかすことに長けてるから、そういうあれを貼っても誰がやったからわからない、だからそういうあれの温床になってるって大学の講義で聞いたことあるかも
そういう知識はインターネットのどこかに迷い込んだら手に入ってしまう、だから普通の会社員学生が足跡消し忘れて捕まることもたまにあるって聞いたことあるな
ネットにあるコンテンツはクレイジーな外人の個撮が主で日本人のものは昭和の大らかだった頃の雑誌のページくらいしかないんじゃないかなぁって話だ
日本人の最近のものが見たかったらインターネットのあれの流通を握ってるやつのコミュニティに入るか、現実の裏っぽい店の上客になるかどっちかだって警察24時でやってた
愚者(あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人』批判に答える
第28回鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。
夏休みに大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品を諳んじることができよう。
しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。
(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐからと箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのものが真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖『月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)
そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから、新人のデビュー作としては文句のない出来だ。
選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末のミステリ・ランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。
なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うものの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章は無用である。ほかの小説や評論を読んでいるほうが、よほど有意義な時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。
それでは本題にはいろうと思う。
あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。
一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者が批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。
http://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論も頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分はミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。
もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。
読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。
なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。
もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。
「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口のレビュー」を展開している。
しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評の体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。
念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人の感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書に於いて最大の愚行である。
……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題をクリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。
当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。
……記事から引用しよう。「第一の殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人からの自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった」
端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一の殺人の真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一の殺人直後の現場検証に於いて「ベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。
また、この項目のなかでは「最後に犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはらの自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。
しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から、最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である。
……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。
まず、第一の殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。
また、第一の殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である。犯人が人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判は的外れとしか言いようがない。
……「推理の根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。
そもそも、この疑問自体がほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。
5.1つめの殺人の顔が食べられた謎
……このあたりから、箇条書きの見出しも日本語が怪しくなってくる(係りが不明瞭である)。
進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由は解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。
……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人の文章をあげつらう労力の何割かを自分の文章に向けることをお勧めする。
7.登場人物の名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。
……難癖以上のものではない。
8.キャラの書き方が雑すぎる
……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズル・ストーリイに対して、心理描写の多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。
9.音楽の伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。
……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体が目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体が意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在を否定されることとなる。
10.最初のワトソン役の推理がものすごく適当な推理をする意味が分からない
……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理に於いては当たり前の手順である。
……だから、どうしたというのだろう。
読者を驚かせることが推理小説の第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。
何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。
……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れな批判である。
……「――あげない」
強い口調。
「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)
この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである。
14.3つめの殺人の毒の入手方法は面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している
一から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。
15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい
……「救助のヘリが現れたのはそれから四時間後」である(303頁18行目)。
何がずるいのかさっぱりわからない。
それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。
……読みやすさは、ひとつの美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様は神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。
ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。
それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。
「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」
……恐ろしい。とうとう選考委員の北村薫氏まで批判の対象となるのである。
推理小説に於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相を形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビの存在を踏まえたうえで事件の不可能趣味や真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリの作法に則って書かれているから「融合」と賛している。
決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後の文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。
田舎者も村の外を一歩でれば、自分の価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。
そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。
すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込みで批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。
まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)
遊びに対して短い時間でより強い楽しみを得られる事を求める傾向が強まっている。
単位時間当たりに対する楽しさのコストパフォーマンス、いうなれば時間コスパへの欲求が加速している。
その時代に合わせて様々な短時間で楽しめる遊びが増えたが、物語の世界だけはいまだにその流れが来ていない。
もうすぐショートショートの大波がやってくる。
世界観もアイディアも1話ごとに使い切り、そうしてこの世界で生み出しうるアイディア全てがイナゴのように食い尽くされる時代が来る。
既にこの世界は足跡だらけの雪原のようなものだが、それでもまだ雪原であることが分かる程度には足跡の下に踏み固められきっていない二番煎じされ残った目新しさが残っている。
それらが全て5番煎じとなり100番煎じとなり億万煎じとなって完全に全ての地面が露出する日がもうすぐ来る。
来るのだろうか。
流石に適当言い過ぎだろうか。
ただ言えるのは、ショートショートの波はすぐそこに来ているって事だ。
むかし別のサイトでブログをやっていて、久しぶりに書きたくなった。
ブログサービスは、はてなじゃなくてもどこでもよかった。特に何も考えずはてなにした。
登録する前のはてなのイメージって、小規模なブログサイトって感じだった。
で、実際始めてみたら、はてなの規模の大きさに驚いた。
まず、ブログ以外にもブックマークサービスとか、ニュースサイトとか、キーワードっていうユーザーが作る辞書みたいなサービスを展開していて、どれも活発に利用されていた。
インターネットに存在する、ありとあらゆるサイト、URLに誰かの読んだ足跡が記録されていた。
私は今ネットワークについて勉強しているんだけど、あるとき「公開鍵と共通鍵の違い」について調べていた。
で、わかりやすいサイトを見つけた。個人が作った感丸出しの、しかも更新日が確か2010年とかだった。
アレ、ブクマすると、そのサイトで他のはてなユーザーがブクマしたコメント見れるんだね。
ブクマ数が数百もついてた。コメントは50とか。しかも割と最近のコメもあった。
別に「公開鍵と共通鍵」がニッチなワードではなくとも、個人ブログの2010年更新のページにこんなにも、はてなユーザーが訪れているとは思わなくて、もしかしてはてなユーザーは想像を絶するほどいるんじゃないだろうか。
ゴキブリを1匹見たら100匹はいるじゃないけど、インターネットのいろんな場面ではてなユーザーを散見した。
有名なサイトには当たり前のように数千単位でブクマがついてるし、誰も見に来ないようなページにもかなりの確率でブクマがいくつかついていた。
多分、以上の話を驚かない人もいるんだと思う。
はてなのようなクラウドのようなものでブクマ管理している人が大勢いることがカルチャーショックだった。しかも、はてなという、自分が今まで単なるブログサイトだと思っていたところがそれをしていた。
はてな人口って、どれだけいるんだろう。
とある農村のさらに郊外。地元の人々すらも近づかない山奥の一角に、その施設は存在していた。
ここで過去300日以上に渡り極秘裏に進められてきた、ある革新的な理論の実証実験は、今まさに最終段階を迎えようとしていた。
「主任! AIスピーカー現象における藤井フィーバーの忖度は、現在35億前後で安定的に推移しています」
「結構。ユーチューバーの刀剣乱舞を監視しつつ、線状降水帯を抜けるまでは睡眠負債の超過にも十分注意を払っておきたまえ」
「ワ、ワンオペ育児ファースト!? しかし、それでは共謀罪に……」
「人生100年時代の常識から言えばその通りだ。しかし我々はポスト真実のためには炎上ひふみんすらも辞さない。そう働き方改革したはずではないか」
「わ、分かりました。確かにこの研究が完成すれば、空前絶後のプレミアムフライデーがインスタ映えすることは間違いありません。人類は飛躍的にアウフヘーベンするでしょう」
「そうだ。この研究が人類をアウフヘーベンするのであれば、我々はたとえ人々から、けものフレンズと呼ばれようとも……」
「ちょっと待って下さい! 主任、ユーチューバーの刀剣乱舞に異常が発生!」
「主任! うんこ漢字ドリルのハンドスピナーが、間もなく9.98(10秒の壁)を突破します!」
「無理です! GINZASIXはすでにワンオペ育児ファーストに設定されています」
「な、なんてことをしてくれたんだ!」
「主任の指示です!」
「この、うつヌケ!」
「ちーがーうーだーろー!」
「だって……」
「ちーがーうーだーろー!」
「だって……」
「」
…………。
翌朝。地方新聞の片隅に掲載された「無人の山中に大型隕石落下」のフェイクニュースは、大きな話題を生むこともなく、やがて人々の脳裏からも完全に消失した。
人類のアウフヘーベンを目指し、志半ばで炎上ひふみんした幾人かの者たちの挑戦とその失敗を。
彼らの志は後世の人々へと受け継がれ、やがて人類はアウフヘーベンへと至るべきなのだ。
研究は続く。いつの日か、人類が真にアウフヘーベンを果たすその日まで。
その日まで……。その日まで……。
止まるんじゃねえぞ……。
おまけ(去年の)
の感想をつらつらと。
<MC>
<MC>
<アンコール>
<MC>
平手友梨奈→影山優佳、長濱ねる→東村芽依、今泉佑唯→柿崎芽実
1stアルバムからも、漢字の曲をやったりと、全ツよりもかなり楽しめました。
「誰よりも高く跳べ!」は本当に盛り上がりますね。良い曲をもらったと思います。
あと、名アレンジ曲目白押しですよね。特に好きな方々はこちら。
細かい失敗はあったような気がしますが、みんながんばってました。
ただ、本日のMCの中で今までのオープニングアクトについては触れてましたけど、
カラーガードの話はいっさいなかったような・・・そんなに好きじゃなかった?
そして、ダンスナンバー。
AM1:27は激しかった!みんな踊る踊る。特にみーぱんに目を惹かれました。
猫の名前、井口がまわりをちょっとずつ確認しながら踊ってたのにはちょっとウケましたw
久美ちゃんと時折目をあわせてた・・・
これもダンスナンバー。カッコよかったなあ。
1列になって、楽しそうに踊る、これがひらがなけやきの良さ。
5つある表題曲の中でも、これを選んでくれて本当によかった。
きょんこと高本が1F客席通路でケンカ。まあまあ近くを通った。
さわやか流れで良き。
で、ここで、今までのエネルギーが爆発!みんな跳ぶ!
サビのフリまで真似しちゃうよね。
みんなで「オーオー」言う、まさに最後の曲。
久々に、これでライブ終わるんだな、もうちょっと聞きたいなあ、と
この曲を披露するならアンコール1曲目だろうなあと思ったけど、まさに。
緞帳が上がる中、かき鳴らすアコギの音。いろいろ調べたら、この曲、「長渕」って言われてるけど、まさに笑
歌いだしのきょんこ、カッコいいよ。
みんなにソロパートがあって、良いよね。MCでも高本?が大事にしたいって言ってたけど、ほんとそうだよね。
まだまだ、ひらがなのみんなの声が聞き分けられないんだけど、きょんこ、なっちょだけわかる笑
あと、いいなあと思ってたところが、みーぱんのソロだった。
「拭うことなく嗚咽した日々よ」のところです。
あの時どうすれば良かったのだろう。
詳細は伏せるが海外在住で、彼は中華系クリスチャン。とあるアート系習い事でマンツーマンで習っているうちに好きになってしまった。
自分はアラフォー子持ち×イチで、この時点で脈がある可能性は相当低いし、万一うまくいってもお互い未来はないということはわかっている。
(普通の結婚をして子供を持つという相手の幸せを考えたり、自分の子供に対する責任を考えると私も再婚はない。)
が、好きになってしまったのでなんとなく押したり引いたりしている状態。
習っている間は割とレッスンに集中していたが、時折はさむ短いおしゃべりはお互い楽しんでいた。
日本のアニメや漫画を見て育っているので、日本人や日本文化に憧れのような良いイメージを持ってくれていて
そこが私のような年上にも良くしてくれている理由ではないかと思っている。
そして、たまに
(習い事関連でリマインドしてというので)「じゃメールアドレス教えて」というと「えっ、、職場の?プライベートの?」と焦ったり
(特に他意はなく)「今週忙しいの?」とかいうと「え、、、なんで?」と少しだけ挙動不審になったり
(おみやげ買ってくるよ何が良い?)とかいうと真っ赤になって焦ったり
その折に見せる反応がちょっと可愛すぎて、日本人だと27でこれはないよな・・大学入りたてくらいのピュアさ?そもそもBBAにこの反応はないよな・・
と思いつつ、そこも好きだったりする。
顔も比較的ハンサムで、こちらの人にしてはお洒落なのになぜ女慣れしていないのだろう。
彼のいる業界は女性の比率が高く、大学も所属する団体も女性が多い。
Facebookでも女友達・男友達に囲まれ、友達が多く楽しそうである。
(日本の若者は知らないが、住んでいる国の若者はFacebook友達1000人以上とか普通で、
FBやインスタに全体公開でアップしまくる人が多い。この為、彼が全体公開に設定していなくても
写真を見ると、楽しそうに囲まれているが、女友達の肩を抱くのはためらっている(堂々と触れていない)のが見てとれる。
・・童貞?
なーんて思いながら、インスタとFBに足跡機能があれば死ぬっちゅーくらい見に行った。ちなみに彼の友人たちはそろそろ結婚したり恋人の存在をアピールしたりしている。
彼は転職に伴い遠方に引っ越してしまったのだが、半年ほど経って私が習っていた事の報告で連絡を取り、
そこから2週間と開けずにWhatsAppでたわいもない話を続けるようになった。
一旦会話が終わり、2週間後に新たに連絡を取るのはだいたい私だが、いつも長いやり取りになる。
そして先月、私が好きなバンドのライブが彼の住む場所に来るので、
話の流れで「4年前からファンだったバンドがそっちに行くから観に行こうか考えてる」と話を振ると
「OK! interesting! When is the concert?」
となり、一緒に観に行けることになった。
ライブは夜なので泊まりでないと無理だ。(子供を見ててもらう段取りはなんとかできた)
私は舞い上がった。
相手がどう思ってライブに付き合ってくれるかはともかく、私には千載一遇のチャンスだ(なんのだ)。
宿については「どのあたりが便利?」と聞くと
ものすごく親身になって調べてくれて、「Air BnBはどうだ」とか「この辺がいいよ」「今これセールやってるよ」「予算教えてくれたら僕も調べるよ」
と送ってきてくれた。
それは私を誤解させるには十分だった。ホテルよりAirBnBのが部屋に寄りやすいかな!?とか、職場に近いエリアを勧めてきてるけど、どういうつもり!?とか
当日はライブぎりぎりに合流し、一緒に観て、終わったのは夜9時半。
「ごはん食べた?」と聞くので「食べてないよ」というと(えっっ、、)という反応をして、
そのあとタクシーで食べに行った。
雰囲気の良いレストランというよりはカジュアルな食堂に行った。
こんなおばさんと一緒に食べても嬉しくないんだろうな・・と思いきや
終電まで話は尽きず、楽しく過ごせた。
新しい職場は休みが少なく、ストレスが多いようだが自分の故郷に戻るときには雇われの身でなく起業したい!と、年相応の悩みを真面目な顔で語る彼を
もう1杯飲む?と聞いても明日も朝早いから!とビール1杯だけ、
「部屋についたら連絡して」と私の帰路はちゃんと心配してくれ、
「今日は付き合ってくれてありがとう」とお礼のメールをすると「そんなの言わないで、楽しかった」という意の返信が来た。
話は盛り上がったが、いい雰囲気になることはなかった。
そもそも私の中に半年以上ぶりに会う人で、初デートで、そこからやれたかもに持ち込む技量がない。
(年齢的にも引くだろう)
しかししかし、最近インスタグラムで、1年前の投稿を見つけた。彼が大学の友達数人に誕生日を祝ってもらっていて
「早く彼女作って会わせてよ!待ってるよ!」と全体公開で書かれていて(かわいそうに)、あーやっぱずっといないんだな~童貞か
と思った。
それならそれで、どうすれば、うまく持って行けたのだろうか。
自分はとあるゲームで全一レベルの腕前があったと自負しているのだが、再就職をきっかけにぱったりと界隈から去ってしまった。
何故去ったのかというと、まともにプレイする時間が取れなければ時間をかけられるプレイヤー・センスのある後続プレイヤーにいずれは追い越され自分の敗北を見せつけられる、のが耐えられないという後ろ向きな思考からだ。
つまり自分は負けず嫌いであり、負けを認めたくないがために界隈からの一切の情報を断ったのだ。
しかし、気まぐれにも最近またそのゲームをインストールし直しプレイを再開してしまった、土日に15時間程プレイするほど楽しかった。
そうなると最新のアップデート情報や記録などが気になってしまうのは仕方のないことだと思う。
やはり自分の記録やスコアは抜かされていた、アップデートの詳細な内容や仕様変更は完全に理解しているわけではないが、当時の自分の足跡がゴミのように蹂躙されている有様だった。
もはや何がどう強化され、どう効率化がなされたのかわからずおれは完全に途方にくれてしまった。
おそらく彼らは俺が去った2年間の間も毎日とは言わずともプレイし続けた人間達だ、ひとつひとつの動きだって俺とはもう天と地の差があるに違いない。
おれがサボった2年間で果てしない差が生まれてしまった、負けず嫌いな俺はもう勝てないだろうと思っている。
そもそもおれはセンスはそこそこあったにしても、早期開拓者としての小技発見は今までの経験有りきで、特別デバックプロという程ではない。
さらにおれは努力ができない、努力をしようとしない怠惰な人間だから、データとして最高効率を求めてもそこから発展系を作り上げる事ができない。
現状に甘んじるために、頂点だと思い上がるために、自分より上がいたとしても過小評価し、現実を知ったら逃げるために、一皮向ける事は一生できない人間だ。
もう俺も働き出して日常生活はそこそこであるが、これから界隈に参入して毎日寝る間を惜しんで努力なんてできないと思う。
だからおれは一生勝ち上がることはできないに違いない、本当に悔しい、本当に悔しいのにおれは勝つために努力できない、気が狂いそうだ。
おれは未だ人生の目的がわからないのもある、だからゲームに無駄な、本当に勝てるのかどうか不明確な時間をかけられない。
ほんとうは勝ちたいんだけどなあ、無理だろうなあ
「精神科、気軽に通って早めに治そう」 https://www.amazon.co.jp/dp/4774516422/
「病気別チェックリストと受診の目安」という表が付いているので、参考になるかも?
「自殺 相談 窓口」や「自殺 ゲートキーパー」でGoogle検索してみてください。
自分一人で問題を抱え込まないで、プロにセカンドオピニオンを求めてみましょう。
お役立ち情報 テーマ:自殺 - NHK福祉ポータル ハートネット http://www.nhk.or.jp/heart-net/themes/jisatsu/index.html
愛の日記 @ Drivemode | 君が生きていたということ http://yokichi.com/2009/10/post-232.html
結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。
愛の日記 @ Drivemode | バレなければ良いという生き方 http://yokichi.com/2012/04/post-331.html
人生の価値とは、その人が生まれた世界と生まれなかった世界の差だと思っている。
つまり、「僕」とは、「僕が死ぬまでに行った全ての行動が世の中に残した影響、変化、差の合計」である。
息をはいても、人と他愛のない話をしても、そうしたものの全てが「自分が生まれた世界と生まれなかった世界の差」をかたちづくってる。
生きている意味が分からないとしたら、今まで何も考えないで生きてきたってこと?
(ヴィクトール・フランクルとかの本がヒントになるかな?)
もしも自分の手足で手に入れた情報を載せてしまえば、インターネットストーカー戦士が警察犬のように臭いを嗅ぎつけてくるのだ。
古の時代、ネチケットの中に「自分の情報をできるだけ載せないようにしろ」という文面があったのを覚えているだろうか。
キチガイにつけいる隙を与える事はキチガイにエサを与えること、キチガイを餓死させ駆逐するためにもエサは出さないようにしましょう。
そういうルールがあったのだ。
長い年月を経て人々は忘れてしまった。
何気なくアップロードした写真から家が特定される可能性を知りながらも「今日のランチはXXで食べたお~~~」と呑気にインスタに足跡をアップロードし続ける者達。
彼らが与えたエサを喰らいブクブクとストーキング欲を肥大させてきた狂人の群れ。
その中でまだ個人情報の残滓香る記事をアップロードするなど狂気の沙汰。
己の生活、信念、哲学、全ての気配を消臭したコタツ記事だけが、この暗愚蔓延る時代において身を守る闇の魔術からの防衛術なのだよ。
https://www.tbsradio.jp/178283
少なくともそりゃ動機は、私は問わない。問題は結果を出してもらわないかん。その結果が大事なんだ。正義に燃えていた立派な動機を持っていた青年政治家として、皆さまも当然ご存知のヒットラーというのがいた。彼は素晴らしい理想を持っていて現代の政治にもその足跡を残した偉大な先駆者だった。ただ彼は、いくら動機が正しくても、何百万人殺しちゃったヒットラーはやっぱりいくら動機が正しくてもだめなんですよ、それじゃ。結果をきちっとした国民に、確たる結果を残して、初めてその人がどんな人であろうとも、あるいは名政治家だったと言われる。人がいいだけでやれるような職業じゃないということぐらい、皆さん方もよーく分かっていると思う。
少なくともそりゃ動機は、私は問わない。問題は結果を出してもらわないかん。その結果が大事なんだ。ヒットラーという政治家がいたが、その動機がどうだったか私は知らん。むしろ個人的には動機自体を評価していない。ただ、その動機がどうあれ、何百万人殺しちゃったヒットラーはやっぱりいくら動機がどうだったとしてもだめなんですよ、それじゃ。結果をきちっとした国民に、確たる結果を残して、初めてその人がどんな人であろうとも、あるいは名政治家だったと言われる。人がいいだけでやれるような職業じゃないということぐらい、皆さん方もよーく分かっていると思う。
少なくともそりゃ動機は、私は問わない。問題は結果を出してもらわないかん。その結果が大事なんだ。例えばヒットラーは動機も間違ってた、そして何百万人殺しちゃったヒットラーはやっぱり結果もだめなんですよ、それじゃ。結果をきちっとした国民に、確たる結果を残して、初めてその人がどんな人であろうとも、あるいは名政治家だったと言われる。人がいいだけでやれるような職業じゃないということぐらい、皆さん方もよーく分かっていると思う。