2016-11-18

不幸が生む活力の期限、反動

不幸になると、3日ほど深く落ち込む。

そのあと、死にたくなるような衝動が襲う。

この衝動からうまく逃れることが肝心だ。

時間がたてば他の様々な出来事に遭遇し、不幸は縮小していく。

あの頃の悲しみを忘れ、新たな道を歩むときがくる。

しかし不幸時の衝動は大きなエネルギー源。

不幸は感受性を鋭敏にさせ想像力を沸かせるが、それだけが効用ではない。

不幸が生む活力は莫大だ。

不幸時の衝動というものは、これを他の事に活力を転嫁していても

衝動がやむことはないからだ。

すっかり納得しない限りは不幸は永遠に訪れる。永遠にエネルギー生まれる。

不幸を他のエネルギーに変換などしていたら納得のタイミングなどないのだ。

どんどんと不幸は現れ、エネルギーとなってくれる。まさに永久機関

しかしながら不幸エネルギー変換装置はそのうち何らかの異常をきたす。

その原因はわかっていない。もしかしたらエネルギーが産生されていても

エネルギー活用する機械が壊れていくのかもしれない。

そうして、衝動が去っていく。

喜べばいいのだが、不幸エネルギー変換に慣れ切った体は

適切な生き方というもの標準的な楽しみ方というのを忘れてしまっているし

理解が出来ない。

これを直すのは癒しであり、子どもを見守る優しい親のような

そんな安心できる箱の中で布団をかぶって寝て、起きて、ご飯食べて、寝る、そういうのしかない

そんな気はするのだが時間もかかるしだいたい人生なんて有限だし、

いままでの生き方全否定することになるし、

なにより突っ走っていくというのはとても景色が美しいものだ。

走って走って走り抜けることへのあこがれはなかなか拭えるものではない

休まないといけないが休んだらこれまでやってきたことがなんなんだ

あいつらが正しかったのか失うだけ失って中途半端に終わってしまうのか、

そんなのいやだ、いやだけど、どうすればいいのかなあ、めんどくさい、寝よう、とはならない。

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