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2024-08-31

ゲイって性欲が異常なの?

https://anond.hatelabo.jp/20240831042256

これ読んでて思ったんだが、単純に性欲強すぎないか

ノンケの人だって性欲はあるけどだいたいの人はオナニーしたりして我慢するじゃん。

若い時にたくさんセックスしたいとかはもちろんあるけど、飲み会とかで知り合ってその日の夜にお持ち帰りでエッチしたとか、さらに端折ったとしてもマッチング出会ってその日にとか、最低限の段取りはあるよね。

風俗通い詰めるほどハマる人っていうのもいなくはないけど、そこまで性に貪欲なのはどちらかというと少数派ではないかと思う。

恐らくハッテン場というのは元々大っぴらにしづらいセクシャリティを持つ人たちが、どうやって出会いを求めるのかというとこにあったんだと思うけど、

2丁目界隈だとかある程度メジャーゲイの人たちが集まれる場というのもあるはあるし、そういうとこにすら顔を出せない人はやっぱ普段オナニー我慢すればいいと思うんだよ。

だって普通の男だってセックスはしたいけどほとんどの場合オナニーして寝て終わらせるじゃん。

なんでそれができないのか不思議でならない。

公共トイレでささっと性欲処理し合える相手を見つけてするとか、やっぱ性欲が異常なの?って思ってしまうんだがどうなんだろう。

もう少し踏み込んで考えてみると、ひょっとしたらこれは身体的な話なのかもしれない。

メンタル面やマイノリティーというのを置いていて身体面だけにフォーカスしてみると、

お互い男ということであれば一定の刺激によって射精したらスッキリするというとても分かりやすい性欲になる。

なのでかなりスポーツ感覚でお互いの性欲を満たすことが可能で、これは確かに男女間でのセックスやなんらかの性的行為に比べて面倒くさい事が圧倒的にすくないのかもしれない。

その結果、ちょっとした場所でもすぐに性欲処理できて、しかもそれがWin-Winで行えるから流行ってしまう、みたいなことがあるのか。

ノンケとしてはある意味羨ましい気持ちもあるが、うーんでも、そこはやはりもっと我慢必要なのでは?とも思うなあ。

「兄妹でセックスなんてするわけがない。子供が出来たらヤバイから」ってことはさ、アナルセックスならしてるってことか?

前に飲み会でそんなことを言ったらさ、「じゃあお前は兄貴にケツを掘られて、弟のケツは掘ったのか?」って聞かれた。

するわけないだろ。

男同士だぜ?

まあ俺の知り合いなんて皆顔面偏差値50切ってるような連中だから、いざ妹や姉がいても向こうが願い下げなのかなって。

知り合いの妹だって同じ親からまれたら男女であること以外は大差ないなって顔つきだっただし、やっぱ晩飯に何食ってるかは顔つきに出るのかななんてさ。

じゃあ美男美女はどうなんだろうな。

もしかして俺達が知らないだけでアナルなんて使わず普通にセックスしてんのかな。

そもそも普通恋人同士で普通にセックスしてても危険日を避けてゴムつけて外出しすれば妊娠しないわけで、それを考えたら別に兄妹でやるときも一緒だろうな。

美人同士なら恋人だっているだろうし、子供妊娠してDNA検査とかもしないだろうから彼氏との間の子だって言えばいいわけだ。

やっぱやってるんだろうな。

でもやっぱり念の為アナルなのかな。

美人な上に子供の頃から一緒に風呂はいってたような相手ならアナルでもそんな気にならないだろうな。

こういうことを書き留めておかないと、自分がいったいどうやって日常を過ごしていたのかを忘れてしまう。

多くの人はこういうことを話す相手がいるのだろう。

残念ながら私にはいない。

こうして未来自分自身に宛てて手紙を書くことしかできない。

他には何があった?

せっかくの休みだが、結局特別なことは何もなかった。

だらだらとニコニコ動画YouTube巡回した。

メーデーギムリグライダー回を眺めてたり、ポケモン剣盾対戦動画を見たり。

ポケモン剣盾は買ってないけれど、ダイマックスは対戦における偉大な発明だったと思う。

どのタイミングでどのポケモンダイマックスを切るかの駆け引き

どうやって相手ダイマックスをやり過ごすかの工夫、

そらをとぶ・あなをほる・とびはねるまもるといった技のシングルバトルにおける再評価

ダイマックス技を前提にした低命中威力の技構成

ダイマックス状態ではひるまない・一撃技が効かない、といった特性に基づく駆け引き

視覚的な盛り上がり、対戦の山場としての分かりやすさ。

そういった様々な良さをもたらしてくれた。

見ているだけで楽しい

ニコ動ではRTA例のアレ登山歴史解説最近ではメーデーを見たりしている。

いらすとやの素材でつくられた社会風刺的な動画も見ている。

今日は才能に関する話だった。

私の才能は何だろう。

しかすると、その才能は試す機会すらなく、本人すら気付かず、眠ったまま死ぬかもしれない。

今は新型コロナウイルス流行しており、不要不急の外出は控えるようにとの意識が浸透している。

渋谷京都といった人気の場所もすっかり人通りが少なくなったと聞く。

当初は数週間との見立ても、いまや一年単位の長期戦との見解だという。

ともすれば、人類はもう祭りごとを行うことができない、根本的な変革が迫られているのかもしれない、という見方もある。

私にとっては、むしろそうして貰った方がありがたい。

おかげさまで飲み会冠婚葬祭もやりづらくなった。

誕生日パーティーなんてのはまずムリだろう。

いちいち時間を取られないし 気をつかうこともないし、実に喜ばしいと思うわけだ。

かといって、そうやって生じた時間を何にあてがうのかと言えば、

先に書いたようなだらだらと動画を視聴する日々なのであるが。

そんなんでいいんだろうか。

なんだかんだで、後から思い返すのは人と飲みに行った記憶なのではないか

それがどれだけ億劫ものであったとしても、記憶に残るという意味においては、やるべきだったのではないか

だけど、やっぱり、自ら進んでやろうとは思わない。

所詮会社とは人間の営みの延長線上に過ぎず、

社長が気に入った人間要職につけるだけのことで、

まりいか上長に気に入られるかというゲームである

能力の有無でも人柄の良し悪しでもない。

そういう割り切りを早く持っていれば、もっと働けたかもしれない。

飲み会やら催しやら付け届けやらも、何の疑問もなく取り組めたかもしれない。

太閤立志伝ですら、信頼度を稼ぐために信長南蛮品を献上していたではないか

清廉潔白理想に縛られて妙な縛りプレイに甘んじていたのは実に愚かであった。

風俗かあ…

飲み会だと誘われることがあるけど、基本的に行く気になれんのよね

何度か行ったことあるけど、店の年齢が2020代前半はまだ許せるとして、店の年齢が21で20代後半で、22だと30代前半、28だと40代前半みたいなことをやるから信用できんのよ

中国人運営の闇ソープは幸いにもキャッチの言うように若い子がでて来て、闇ソープのほうが遥かに信用できる

そりゃ、会社飲み会で闇ソープなんか連れて行って、その場で警察が乗り込んできたら、全員の首が飛ぶからソープに行けないのはわかるけど…

連れて行くなら、若い女性のみ店にしてくれ

30以降なら嫁さんを抱けばそれで済むんだよ

全額会社持ちだったから部の飲み会に行った

テーブル抽選で顔と名前が一致しない陰キャといっしょになったうえに最初に出てくる料理がショボい(予算一人1万円だったよな?)

明らかに時間無駄だったので開始10分でトイレ行くふりしてそのまま帰った

テーブルだった部長から電話がかかってきたけど「時間無駄そうだったので帰りました」と正直に打ち明けた

2024-08-30

いずれ、コミュニケーション肥大化人類共倒れを招くとし、軍縮会議よろしくコミュ会議が開催され、

年間の挨拶数・飲み会バーベキューなどのイベント数・SNSで賛辞を伝える機能使用回数・テキストメッセージ送信回数に上限が設けられるやもしれぬ。

金曜の夜は増田ブクマカもなぜか人が減ります

みんな飲み会にでも行ってるんだろうね

嫁の飯がマズいと言いにくい

というのが今の時代なんだけど、そのために変なパターンも見かけたという話。

今まで作ってきたご飯に嫌いなものがあったと、後から知ったという話を複数女性から聞いた。

新しい料理に挑戦して、出して、全部食べてたし、おいしいと言ってくれてたから、新しいレパートリーにしてたんだけど、後日実は苦手だったと言えなかったということ。

どの話も大体筋道は同じようなパターン

で、この手の話を男性からまりSNS飲み会とかで見かけないわけで、それはそれでどうなのかなとは思ってしまった。

もちろん、そういう話をしている界隈もあるんだけど、それはどちらかというといわゆるちょっと亭主関白からしか聞かないわけで、そういう男性愚痴はどこに行っているのかというと、たまっているんだろうなって気がする。

いまだに古い慣習の人もいるけど、それとは別に新しい人たちもいるのに、SNSでの論争は大抵そういう人はいないものとする形になってしまって、居場所がなさそう。

表に出ない分、結構こじらせているんじゃないかなーって気もするし、黙っているのはそれはそれで新しいジェンダー規範でもあるよなーって気もする。

自分も含めて、古い人間がのさばっていると、新しい形の愚痴なのに、古い形での愚痴として処理されてしまうので、見かけることがなくなってしま問題はあるんじゃないかなーと思ってしまった。

間内でも言ってないっぽいんだよなー。

先日、若い人ほど男女平等が行き過ぎだって感じているのって、こういうのも関係している気がする。

ネットが古い規範を維持する要因となり始めているのかもしれない。

大手企業であったいじめの件

これは16-18年くらいまえに起こった実際の出来事、でなくフィクションです。


大手IT企業の、男性だらけの企業営業部でのできごと。

この営業部では、体育会系マッチョカルチャーが隆盛を誇っており、男性であること、ゴルフができること(できなくても練習を始めること)、週三回以上の飲み会に参加しないと人権がない状態だった。

正社員の男女比率は、男性100、女性0で、全て男性派遣事務担当する女性が2名程度いる程度。


そこに入社してきたのは、営業支援派遣社員の女性Aさん(既婚20代後半)。

自分意見をはっきり言う、仕事もしっかりやる、そして正社員登用を狙い頑張って成果を出そうという意欲が強くあった。

男性営業は、そのAさんが派遣社員のうちは、「事務女の子」扱いでやさしくしていた。

しかし、3年後にAさんが正社員になったとたん、「女性マッチョ村の正会員となった」ことが嫌だったのか、手のひらを返していじめを始めた。


いじめの内容)


Aさんはそんな毎日に疲れ果て、せめてもの癒しとして、オフィス自分デスクに、小さな熱帯魚が入った小さな水槽セットを置いた。

小さく可愛らしく泳ぐ熱帯魚を見るたび、「今日も頑張ろう」「敵ばかりではないだろうから、なんとか切り抜けよう」と思えた。


とある朝、Aさんが異変に気が付いた。デスク上の水槽の魚が全て死んでいるのだ。

その状況を遠くから見ていた他部署のCさんの話では、Aさんと同じ部署の酔っぱらった営業Bが、部署のみをした後にオフィスに戻ってきて、Aさんの机の上にある水槽をわざとぶんぶんと何度も振り、魚を死なせてしまったらしい。

そして営業Bだけでなく、一緒に飲んでいた他の営業たちも「もっとやれ」と笑いながら一緒に水槽を振ったようだ。

Cさんは「私が言ったとは言わないで。私もいじめ対象になりたくないので。ごめんね」と申し訳なさそうだった。


Aさんは怒り、証言とともに上長に報告、そして営業Bはいったん謝罪するも、その後上司も味方につけ、謝罪自体なかったことに。

Aさんは絶望退職


現在Linkedinを見ると、これらに加担した男性営業たちは「私は有能です」とでもいわんばかりの顔写真と経歴をひっさげて、転職先で元気に営業マネージャーをしている。

ただ、この件を忘れていない人がいて、こいつらに天罰が下ることを心から祈っていることを覚えていてほしい。

2024-08-29

anond:20240828220034

妊娠出産ダメージがかなりでかい体ががたがたになる

産後鬱や胸がバンバンに腫れ上がって真っ赤に炎症など赤ちゃんも本人も様々な身体精神ダメージが出る

半年毎日2時間おきに起こされまとめて眠れない経験したことがないレベル睡眠不足で脳がガタガタ震える感覚

毎日違うことができるようになりすぐに死にに行く赤ちゃん生存させる為に気が抜けない緊張感

いきなり手が届くようになった赤ちゃんが鍵を閉めてベランダに閉め出されるなど自分危機に陥ることも

極限状態育児してる隣でぼーっとしたり飲み会に行ったりしてないで手伝ってってそんな変な話か

子育てをしなかった父の娘として

増田の父は、家事育児もほぼ全くしなかったらしい。そのように母が、増田大学生ぐらいになった頃からグジグジ湿っぽく言っていた。

私たち子ども(兄と姉と私の三人兄弟)たちも「保護者はお母さん」 「お父さんは遅く帰ってきて晩酌要求したり、夏休みに海や山に連れってくれる「レアアイテム親」」」みたいな感じだったので、まぁそうだねーと思っていた。

とはいえ、母や私たち子どもが父をATM扱いしていたわけでもなく、父がボーナス山ほど持って帰ってきたり昇進するととお祝いをしたり。子供たちが小さい時は夫婦喧嘩は恐らく子が見ていないところでやっていたんだろうと思う。お父さんが約束してたお出かけに一緒に行けなくなって拗ねた時は「お父さんもお仕事大変なんだから仕方ないのよ」と叱られたり。

そんな風にしつけられて育ったので、子供のころにいとこたちと遊びに行く時など、いとこの家はパパもママもいるけどうちはいつもお母さんだけだなーでもうちのお父さんは忙しいかしょうがないよなと納得するようになっていた。授業参観大会応援とかも一度も来たことがないが、まぁそういうものだと思っていた。まれ仕事が早く終わって夜早くに父が帰って家にいると気恥ずかしいような嬉しいような。

要するに、父親にも育てられた自覚ちゃんとある。が、が一方で「夫婦で協力して子育てをしてもらっていた」という感覚はない。

面倒見てくれたのも、学校トラブルがあった時に話を聞いてくれたのも、習い事の送迎も、どの塾にするかもどの学校受験したいかも全て母だった。接する時間が長いのは圧倒的に母だったから、まあそれは仕方がない。増田が育った時代地域は分業夫婦多数派だったので、不満はないわけじゃなかったが違和感もあまり感じていなかった。

母が、父が子育てコミットしてこなかったことにグジグジ言い出したのは、前述通り増田大学生ぐらいのころからなのだが、それは増田大人になったからではなく、兄が結婚し子を授かったからだと思う。

兄は、時代のせいもあるし、父を反面教師にした面もあるだろうし、なんていうか優しいタイプの男だったこともあるのだと思うが、しっかりと育児をする男だった。

それでたぶん母は自分が夫からされた仕打ち子供たちが小さいころにした色んな苦労をぶわわーっと思い出してしまったみたいだった。そのせいか母はその頃は少し嫌な母親になっていて義姉を疎んでイヤミを言ったり、孫をかわいがろうとしてしくじる父にグチグチ言い出したりし始めたのだろうと思う。

産後乳幼児の子育ての苦労は「子供死ぬかもしれない」を中心に精神的・物理的・時間的な苦労が大きいから、そこで負担が大きかったりすると辛いのは何となくわかるが、まぁこんな風にトラウマが噴き出すみたいになるもんなんだな…と驚いた。ずっと溜めこんでたんだな、それが息子の嫁と子が大事にされているところを見て吹き出しちゃったんだと今ならわかる。

父は、母からそのように責められるたびにバツの悪い顔になって、怒ることこそなかったがとても不機嫌になる。せっかくかわいい赤ちゃんまでいるのに空気が悪くなるのは嫌だったので、「お父さんが孫にあんまり好かれないのは子育てしてこなかったからでしょうがいねおむつも変えたことないなら、お兄ちゃんが教えてあげたら」と父と兄を焚き付けて、父は息子から教わる形で「夫婦で協力する」を後から学んでいったんだと思う。

そんなこんなで何となく実家の様子は時間とともに落ち着いていき、並行して、私が社会人になり家を出て、結婚する報告をしに実家に帰ったらその2年弱で父は家事分担ジェントルマンに変貌していた。一緒に買い物に行き荷物を持ってやる、父一人でスーパーに買い物に行って適切なものを買って帰ってくる、家の掃除は父の分担になり、母が出かけている間に洗濯物を取り込んで畳むことまで出来るようになっていた。母が寝込んでも何もしない男だったのだがおじやを作ってたのには心の底からびっくりした。私たち子供のころ、母が寝込んだ時に母方の祖母電話で呼び出して妻と子供たちの看病を命じた男が、会社飲み会がある予定をきちんと一週間前には母と共有するようになっていた。父は後天的学習ができたのだろう。そのおかげで母の「嫌な義母ムーブ」も少しずつ収まっていったみたいだった。

もう父も母も亡くなったのだが、父が死んだ後の母はとても悲しんで落ち込んでいた。その程度には夫婦関係を修復で来ていたのだろうと思う。

母が亡くなって遺品整理をしていた時、叔母から、母は子育てが本当にしんどそうだった(産後うつ?)と聞いた。兄・姉と生んだ後に、幼稚園前の兄と生まれたばかりの姉をつれて家出して実家に帰っていた時期があるんだという。全然知らなかった。私たちは母方のいとこたちとしょっちゅう遊んでいたのだが、それは叔母が母を気遣ってくれてのことだったらしい。兄はうっすら覚えているらしく、兄が家族にとてもやさしい男になった理由の一つなのかもと思った。

子供から見ると「父親から育てられてない」とは全然思わないけど、例えば私が成人式の時に、父が母に向かって「俺たち育て上げたななぁ」と相槌を求めてきたとしたら私なら「やだお父さん、育てたのは大半お母さんだよ」ぐらいは言っちゃいそうだ。私の母が、息子のイクメンぶりに刺激されてトラウマがよみがえったように「あなたは「育て」にはコミットしてないでしょ!」ってなっちゃったのかもなぁ奥さん

せめて「俺たち頑張ったなぁ!」とかだったらパンドラの箱は開かなかったかもしれない…だろうか、どうだろ。まぁどのぐらい地雷を埋めたかからいから何とも言えないね。幸いなことに私の父はびっくりするほど学習能力が高くてジェントル協働夫になって仲良し夫婦夫々旅立っていったから、まぁよかったなって思ったし、私も改めて夫を大事にしようと思った次第。

2024-08-28

キモいおっさん・おばさん、どんどん増えろ。

俺は発達障害者権利活動家だ。もう、そう自称している。

発達障害者が、自称健常者らに勝手レッテルを貼られてそれによって「救済」されたことにされたり、その独自に育んできたコミュニケーションを「矯正」されたりしてきたことに対して怒りを感じている。

だが、発達障害者に行われてきたことは、自称健常者・日本国民の下層の人々にも降りかかるだろうということも常々言ってきた。

過去これまでの氷河期叩きもそうだし、子ども部屋おじさんおばさんもそうだし、「ケーキの切れない~」もそうだ。何か曖昧社会不安が起きるたびに、この社会は生贄を生み出してきた。

間違ってはいけないのは、「明確な原因→解決しよう」ではなく「曖昧不安あいつらがキモイあいつらが原因」ということだ。

俺は発達障害者アスペルガーと指さされた人々に対して、「キモくて何が悪い。怒れ」と度々言い続けてきた。

https://anond.hatelabo.jp/20230318052208

キモい」おっさん、おばさん。あんたらも怒れ。

「加齢の現実理解していない」とか「おじさんおばさんは自分の年齢の責任理解して」とか、そんなことばに従う必要はない。

ネット上では薄っぺらルッキズムエイジズムの批判が行われ、そして同じ口でおっさんやおばさんという言葉悪口として使われる。

俺は堂々とエイジズムを批判する。55歳のおっさんが22歳のように振舞って何が悪いんだ?47歳のおばさんが16歳のように振舞って何が悪いんだ?

だが、それを具体的にどう擁護すればいいだろうか。発達障害者のそれと同様に身近にやっていくしかない。

俺も、飲み会で、まるで大学生みたいにはしゃぐおっさん(物書き)と、それに対する周囲の視線を見た事がある。そして俺はおっさん孤立しない様に、同様にはしゃいだ。気持ちが良かった。

そもそも「成長」だとか「(曖昧な・出自や年齢にしか紐づけられない)責任」という概念自体を徹底的に疑え。少なくとも障害者運動はそれをやってきた。

しかしたら「キモい」おっさん・おばさんと、発達障害者権利はいかぶつかるかもしれないが、そんなことは関係ない。それはその時だ。

黒人奴隷解放するときに「いつか黒人白人と衝突するかもしれない」なんて考えるバカ大勢いただろうが、解放は進んだだろ)

キモイキモイ意識し続けて、それで最後に誰が生き残るんだ?キモイキモイと言い続けてきた結果が今の閉塞感だろ?じゃあどうすればいい?

キモくて何が悪い。みんなキモいんだよ。上の記事の繰り返しになるけど、キモくていいんだよ。むしろ、「自分コミュニケーション生活キモくありません」と思い込んでる方がキモいんだって言ったれよ。俺もお前もキモいんだって

空気読んで人をいじめ本末転倒社会構成してる空気読みのお前らも病気だって

そう言い切って、はじめて、エイジズムやルッキズムはぶち壊せる。

みんなも、「年齢にふさわしくない、キモおっさん、おばさん」を見た時、自由を感じろ。これでいいんだって。それが過去と将来のお前を救う。それを広げていく。頑張ろうぜ。

anond:20240827160550

かなり特殊な例だろうけど書いとくな

ワイはいわゆるコミュ障ではないができれば人とは関わりたくないタイプ

仕事ではバリバリコミュニケーションをとって飲み会とかもほぼ参加するタイプだが

本質は家で一人で過ごしたいタイプなんで家に誰かがいる事自体ストレスになる

そのストレスがないのが最大のメリットかな

幸い家事全般DIY感覚で大好きなので日々の生活苦痛になることはない

あと最大の要因は人を好きになることがないことらしい

自分では全く意識していなかったが思春期からいわゆる友達と仲が良いと言う意味の好きでなく

懇意になりたいと言う感覚が異性・同性関係なくなかった

友達付き合いもあっさりしているので一人が長く続いても寂しいとか感じることがないのも一人暮らし向きかもな

anond:20240828002410

朝に記事を読んで、午前中ずっともやもやしてたのを昼休み中に急いで文章にした。

読みづらいだろうしはてな界隈に愛想尽かしてそうなので、もう読んでないかもしれないけれど一度走り出した思考アウトプットしちゃったので書き捨てておく。

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anond:20240828002410

機械

夫との関係に「離婚」という選択肢が浮かび始めたのは2年前、長女が18歳になった頃からだ。

大学生になってから、気の強いはずの長女が泣いて帰ってくることが度々あった。学校アルバイト先で、人の輪にうまく溶け込めず悩み続けていた。彼女は傷つきやす子供の心を抱えたまま、大人になろうともがく渦の中にいた。

娘はぼろぼろと泣きながら、何時間もかけて胸の内を私に語り続けてくれた。私はひたすらうなずき、一緒に涙しながらその話を聞いていることしかできなかった。

「……もし、どうしても解決しないようだったら、私からお父さんに相談してみようか?」と、私は尋ねる。

「ううん。それはいい」と娘は、生理的嫌悪感をふくんだ表情で、はっきりと言う。

「……お父さんはどうせ、何もわかってくれないから。絶対に、言わないで」

私はその返事に戸惑ったような表情をしながら、どこかで娘の言葉に、正鵠を得たような爽快感を感じてもいた。

夫への、積み重なり続けた違和感に耐えられなくなってきたのは、いつからだろう?

20年前、長女を身籠ったタイミングで私は退職し、それから専業主婦として家庭のことだけに集中させてもらっていた。

夫は必死に、私と3人の子供を抱えても不自由がないほどに稼いできてくれた。会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきたのも、子供たちのことを考えての決断だった。毎日通勤都心暮らしていた時と比にならないほどの負担だったろうけれど、彼はいちども愚痴を吐かなかった。

毎週ではないけれど、彼に余裕があるとき子供たちを連れて遊びに行っていってもくれた。私に負担がかかりすぎないようにと、積極的家事も手伝ってくれていた。

体力的にしんどい日々が続いていたけれど、彼は父であるということに真剣に向き合ってくれていた。客観的に見ても彼は、完璧な夫だった。

それなのに。私は、子どもたちが巣立った老後を、夫と一緒に暮らしていくイメージが全く持てなかった。

いつからだろう。「本当は夫は、私なんて見ていないのではないか」と思うようになったのは。

彼の何気ない言葉に、ATM流れる自動音声のような、わずかな不気味さを覚えるようになったのは。

彼は、決して弱音を吐かなかった。どんな逆境でも、家族のために感情を排し、立ちはだかる問題解決し続けてきてくれた。

まだ籍を入れる前の、学生時代のこと。私の親族金銭トラブルが発覚し、その影響が私にまで降りかかりそうな事件が起こったことがあった。

私はあまりに複雑な状況にパニックになり、すすり泣くことしかできなかった。そんなときでも彼は、私をまっすぐに見つめながら、力強く励ましてくれた。

大丈夫。僕が君を、絶対に守るから

彼はそう言って、学生カバンからルーズリーフボールペンを取り出して、私に示した。

「ここに、関係する人たちを図にして書いてほしいんだ。分かる範囲で、大丈夫から

私は震える手で彼に言われるまま状況の相関図と経緯を書いた。彼はその紙を手に、役所法律専門家を探すために奔走してくれ、数週間後にはすっかり問題解決する筋道を示してくれたのだった。

私はその時、「この人となら、家庭を持てる」と確信を覚えた。私がどうやっても手に入れられない「強さ」を、彼は持っている。

その直感は正しかった。この20年、子どもたちを生み育てるパートナーとして、彼以上に私にふさわしい人はいないと断言できる。

──それなのに、私の心は、彼に対する冷酷な感情を押さえつけることができなくなっていた。

籍を入れてから月日が立ち、夫の役職が上がるにつれ、彼の仕事責任は増えていった。理不尽理不尽狭間に立たされ、膿んだ傷口を埋める脱脂綿のような仕事ばかりが増えていった。

ある時、いちばん仲の良かった同期が社内である問題を起こし、夫が同僚に解雇勧告をしなければならないことがあった。

彼は悩みながらも、それをやり遂げた。その日の夜、彼は珍しく強いお酒を飲みながら「あいつには、障害を持った子供がいたんだ」と私に言った。

馬鹿なこと、させやがって」と、夫は言った。それは誰に向けられた言葉なのか私には──たぶん夫にも、わからなかったと思う。

そうして徐々に、彼は学生時代よりはるかに「強く」なっていった。夫の決断によって何十人、何百人もの人生が大きく変わり、その規模は日を追うごとに、どんどん大きくなっていった。

実際には、夫はなにひとつ決断しておらず、ただ上から降りてきた決定を実行していただけに過ぎなかった。けれど夫は職務上、それが自分意思決定であるように振る舞う必要があった。彼自身も、そう思い込むように意識的に努めていた。

それはきっと、彼の心を守るための自己洗脳でもあったのだ。ひとりひとりの人生に誠実に心を痛めていたら、数日で精神が砕けていただろうから

夫は出勤前にいつも、鏡の前で目を閉じ、ぐっと唇を噛んで何かを考えていた。鏡越しにみえるその表情は、映画西部劇に出てくる、灼けたフォークで傷口を塞いで止血するガンマンを思い起こさせた。

彼はそうして、あらゆることを数字に置き換え、複雑な世界解決可能課題に分解し、それ以外のものは一切、存在すべきでないものだと考えるようになっていった。次第に、私達に対しても社員に対してと同じように振る舞うことが増えていった。私たちとの会話の枝葉を嫌って、最小の言葉で端的な結論だけを話すように求めた。迷いや矛盾を指摘し、論理的かつ客観的物言いをするよう子どもたちに強い言葉指導し続けた。

「彼は、こんな人だったのだろうか?」と、考える夜が、どんどんと増えていった。

言葉にならない違和感自分の中で膨らんでいき──「離婚」の二文字に、救いを感じるようになっていった。

──そんな、ある夜。娘が20歳になり、私と夫はこれまでの日々を振り返るような会話をしていた。

夫は満足そうな表情で、「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」と、しみじみと呟いた。

その言葉に私は、歯の神経に氷を当てられたような嫌悪感を覚えた。

育て上げた?

気づけば私は、数十年の積もり積もった違和感に耐えられなくなり、ダム崩壊したように彼に反論をしていた。

「……正直、あなたと『子供を育てた』という感覚はないの。まるで自分が育てたような気持ちになられるのさえ、不愉快

私は、私の中にある違和感必死言葉にしようとした。私は言葉が下手だけれど、夫と対話するなら、一日でも早いほうがいい。衝突を先送りにしていくうち私の心が限界を迎え、「離婚」の選択肢を選ばざるを得なくなるより、ずっとましだと思えた。

私は必死に、思いつくまま言葉感情を彼にぶつけた。

妊娠中に体調が優れなかったのに彼が飲み会に行ったとき、私は井戸の底に放り込まれたみたいに寂しかった。

夜鳴きがひどかったのにあなたは、いつものように眠り続け、起こしてはいけないという気持ちと、押し付けられているという理不尽さの中で、湧き上がる自己矛盾葛藤で心が壊れそうだった。
3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ているあなたに、くだらない育児はお前の仕事であって俺の仕事ではない、という無言の圧力を感じ、絶望を覚えた。

私は彼に謝ってほしかったわけでは無い。ただ、ほんの少しでいいから彼に、私の感情想像してほしかった。彼が仕事で、どれだけ過酷世界を生き延びてきたのか、私には本当にはわからない。だけど私は、彼の心の痛みを想像することは決して手放さなかった。だからこそ、何があっても彼と生きていこうと思えた。ただ私は、私が子どもたちに対して20年間そうし続けてきたように、「大変だったんだね」と、私の感情に触れてほしかった。

これまでの私達は間違いなく、背中合わせで敵と戦いつづけてくる最高のパートナーだった。

けれど、これから人生に、大きな敵はもういない。それなのに彼は、私に背中を向け続けたまま、私でなく敵を探し続けている。彼と一緒に次の人生を生きていきたいからこそ、そんな彼に、本気で変わってほしいと思った。

夫は取り乱すように話す私に、かなり強く動揺しているようだった。

リビングは気まずい沈黙でいっぱいだったけれど、私は、彼の心がすこしでも動いたことに、僅かな希望の光を感じながら、眠りについた。

──数日後。

夫が、「この前の、ことだけど」と私に話しかけてくれた。

「実はあの日のことが、すごく衝撃で。それで──ある人たちに、相談してみたんだ。君への賛同意見、僕への批判意見。いろいろと本音で言って貰って、考えさせられたよ」

「そう……だったの……」

「僕のあの日言葉は、君に誤解を与えてしま表現だった。ごめんよ。……これからもっと君と、本音で話し合っていきたいと、そう思ったんだ」

「!……そんな……」


私は夫のその言葉にとても驚き、喜びの感情が溢れてきた。彼はこれまで、他人相談なんて絶対にしなかった。きっと彼は、私とのこれから人生真剣に向き合って、変わってくれようとしているのだ。そう感じ、涙が出そうなくらいに嬉しかった。

次の言葉を待つ私に、彼は言った。

そもそも、君の中では育児の実働だけが育児範囲であり、その裏の予算調達プロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだね」

「……え?」

私は、彼が何を言っているのか、全く理解できなかった。

「その点ついては、僕の言葉が正確ではなかったかもしれない。とはいえ育児の成果を君だけのものだと捉えるのは、違うと感じもしたよ」

彼は、そう言って立ち上がり、冷蔵庫麦茶を取りに私に背を向けた。


「率直に行って、君の発言支離滅裂で、意味を成していないかった。それでも多くの同意が集まるのに、素直に驚いた。──多分もう二度と相談することはないけど、いい体験だったよ」

彼の背中が私には、人間を真似る機械のように見えた。

親が高齢出産だった子供だけど高齢出産を持て囃す風潮やめてほしい

両親→戦時中まれ。46歳で出産

自分平成初期生まれの30代

現在では高齢出産は35歳以上の出産のことを指すらしいが、個人的には自分体験から40歳以上の出産だと思っている。

高齢出産で大変なこと

①他の親と世代が違うので話が合わない

同級生の親のほとんどは20代後半〜30代前半での出産が多かったと思う。同級生の親とはひと回りもふた回りも異なるので話が合わない。ちなみに同級生祖父自分父親高校の元同級生だった…。

自分の親が同級生の親と話している姿をほとんど見たことがない。ママ友という概念があることを、自分社会人になるまで知らなかった。PTA等の打ち上げ飲み会に参加した様子もなかった。たぶん孤立していたんだと思う。

②他の親と価値観が異なる

親が高齢出産だと、これが1番困ると思う。例外はあるが、高齢であればあるほど新しい価値観理解が難しく、取り入れにくい。

ゲームアニメ漫画、おしゃれには全く理解が無く「オタク犯罪者予備軍」の認識が強かった(某死刑囚の影響)のでその辺りのものは買って貰えなかった。アラサーの親だと、ゲーム漫画等に触れた経験があるだろうが、戦時中に生まれ自分の親は全く無い。学校で友人が親とポケモン対戦していると聞いた時はびっくりした。

おしゃれに関しては、幼少期は戦後すぐの時代だったからおしゃれしている場合ではなかった影響だと推測している。

電車を「汽車」って言ったり、国立大学は「一期校、二期校」で区別している。

職業大学に関する知識アップデートはされていない。(例えば看護師養成専門学校だけではなく看護大学大学院も登場し、専門看護師認定看護師制度を作り地位専門性向上を図っているのだが、自分の親は看護師医者の言いなりの下働きと本気で思っている)

カタカナ学部に対し理解がない。情報工学IT系も疎い(パソコンでチャラチャラ遊んでいると思っている)。

子供反抗期と親の更年期が被る

出産が35歳以上になるとこの問題が出てくると思う。この組み合わせは最悪。喧嘩ばかりになる。

④両親を祖父母と勘違いされる。

体調を崩して学校を早退する時は事務員さんに「おばあちゃんが迎えに来たよ」と言われるが、その度に母が激怒していたのを憶えている。

⑤親の年齢を聞かれた時に答えにくい

親の年齢を正直に言うと全員からドン引きされていたので、現在「秘密」にしている。




他にはネットで言われている通り、体力がないとか子供高校大学進学時に定年を迎えて金銭的にきついとかあるが、1番辛いのは他の親と価値観が異なることだと思う。個人的体感だが、同い年でも祖父の子育ての価値観高齢出産の親の子育ての価値観はまるで違う。年若い人でも価値観が古かったり、年配の方でも新しいものに対し抵抗がないタイプもいるが。

女性社会進出医療の発達もあり、芸能人の影響もあってか40代以上の出産が持て囃されているが、高齢出産で育った側の人間としては、できれば高齢出産はやめてほしいと思っている。高齢出産した親はキラキラしているように見せているが、子供おざなりになっていないだろうか?

現在は両親と飛行機距離だが、母親認知症発症しており父親介護を受けている。そして今月、父親にがんが見つかり、定期的な通院や入院必要であることを病院から説明された。働き盛りの年齢に両親の介護ダブルパンチを受けていてどうするか大変頭を悩ませている…。

anond:20240827155920

妊娠産後飲み会行く奴なんか普通の国ならもう人間としての地位を失う存在だわ

日本男はゴミしかいないか麻痺してるかもしれないけど

愛する人自分のために大怪我して生死がかかってる時に家事育児世話させたり呑気に遊んでる奴なんか死んでもいいよ

2024-08-27

医療従事者だけど一体いつまでコロナを引き摺って面会制限するのか

はじめて匿名ダイアリーというものに書く。

タイトルの通りで、自分病院に勤務している いちコメディカル

新型コロナウイルス感染症(以下コロナ)のクラスターも何度か経験し、その感染であるとか、自身コロナ感染症にかかってしんどかったので、コロナの怖さ自体否定するつもりはない。

ただ、「一体いつまで今の対応が続くのだろう」「もう良い加減よくないですか?」と思うところが正直なところある。

病棟コロナ陽性者のいない日々の業務N95という息苦しいマスクを装備して行うのだが、もうこれは一旦置いといて、自分が不満に感じていることのひとつとして「面会の制限」について書きたい。

病棟でのコロナ患者の有無や、家族感染状況などは関係なく

・面会時間10分。

基本的に同居家族のみ。2名まで。

小学生以下は面会不可。

自分のところが特に厳しいのかと思ったが、友人の職場や、行く機会のあったいくつかの病院時間が少し長めであったりはしたけれど、大きくは変わらない条件だった。

とくに「小学生以下は面会不可」というところが非常に引っかかる。「以下」だ。ようは12歳までは面会ができない。

これは60〜70代くらいの入院患者の孫であるとか、若い患者であれば我が子との面会が叶わない可能性があるということだ。

このくらいの歳の子は、じいじばあばが好きだという子は少なくないと思うし、親であれば尚更その存在は大きいだろう。患者サイドから見てもそうではないだろうか。

自分病院では主治医許可がおりた場合に、もろもろの制限が解除されて面会が可能になるのだが、これはもう本人が危篤意識曖昧状態になっていることがほとんどだ。情けの面会みたいなもの

このタイミングでやっと会えることにどれだけの意味があるのか?

大人ならまだその最期時間意味を見出せるかもしれないが…。

なぜ患者とその家族制限されまくっているのか、わからずにいる。

自分たち職員感染に対して意識が高く、常に予防策をとって生活しているかというとそんなことはない。

毎日家に帰り普通に家族と関わって出勤してきている。

保育園や小中学校に通う子供を持つ職員も多くいる。

プライベートではマスクをつけない人も少なくない。

病棟での飲み会は未だにやっていないが、こんなのポーズだけで、外食だっていくし、県内外問わず遊びにだって行っている。

患者入院時に検査をされ、そのあとは全くといっていいほど外部との接触がなくなる。

院内コロナ陽性者が出るとしたら、はじまり職員であることが多いであろうし、実際ここ最近職員の陽性ばかりだ。

この面会の制限はなんなんだろう。

一体いつまで続くのだろう。

5類になっても続くこの対応が終わるタイミングがわからない。

患者人生人権は一体…

もちろん誰かが感染してしまった場合にその人のことはどうなるんだという側面もあるけれど、自分家族想像した時に、現状は本当につらいなと。

ある日突然入院になり、そのまま会って話をすることもできないままお別れになる可能性もあるのだから



追記

正直なところ、自分がその立場になるまでは「決まりから」くらいの気持ち対応していた。

しかし妻が体調不良入院となり、その間2歳の息子はママとスマホの画面越しで会うことしかできなかった。

加えて自分母親入院し、医師から「いつ急変してもおかしくない」と言われたが、入院中は孫と会わせてあげることができなかった。(今回は無事退院できた)

これらの経験があり、上記のようなことを思うようになった次第。

anond:20240827012946

体調悪い妊婦ほっといて飲み会行くなよお前アホか

anond:20240827203239

おっさんで君より働いてるし飲み会参加回数も多いけど、あんなんで腹を割りあった関係作りとか言ってるの時代遅れバカの骨頂だと思ってるし飲み会文化みたいなのがいい年したおっさんがやってるの普通に無駄でしょ。管理できるやつは参加しない。

anond:20240827153903

じゃあそれが自営業で体調も悪く仕事も忙しく死ぬほど苦しいときに、目の前で妻だけ飲み会行きまくったり、死ぬほど大変なときに目の前でゴロゴロ休んで無視されてもそう思えるか?

「人に優しくすること」の弊害がわからない

ADHDが嘘をつけず、なんでも素直に受け取ってしまうのはなぜなんだろう。

そういう自分が意外と嫌いじゃないところもあるが、そういう性分が「発達障害由来」なのは今後詐欺などにあわないよう一考の余地があるなと思う。現に飲み会幹事旅行計画づくりなんかをあれよあれよと引き受けてしまって、あとから後悔することも多い。でも無意味に、無生産に人に優しくするのをやめられない。

人にやさしくするのが好き」というよりは「人につらくあたるのが理解できない」のでやる意味がないと感じる。

友達のことが大好きで嫌われるのは悲しいし、人生はお互い楽しいことが多いほうが幸せだろうという行動原理は「発達障害的」なんだろうか。自分にも理念があってその結論に至っているが、一見すると無邪気さしか感じられないのがよくないんだろうか。

こんな性格のまま26歳になってしまった。

10年後、20年後もこのままでは部下からなめられたりするんだろうか。

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