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2017-04-08

今村復興大臣失言きっかけに自主避難のこと考えてんだが

震災からもう6年立ってんだけど

なんでまだ支援がいるの?

自主避難した人たちは必ずしも避難必要とされた人たちではないでしょ

それでも子供を守るために避難を選んだという判断はわかるよ、

でも非難すると決定するにあたってこのままここにとどまるか、それとも仕事住まいなど、金銭面でのリスクをおしてでも離れるか天秤にかけて判断したんじゃないの?

それでも離れたってことは新しい土地でもやっていくことができるだろうというつもりがあってのことじゃないの?

そりゃ当てが外れることもあるだろうよ。

思ってたとおりいかないこともよくあるさ。

でもさ、6年だぜ?

さすがにそろそろ自立されてもいいんじゃないんすか?

2017-04-07

左翼でも右翼でもない

ツイッター開始直後からアカウントを作り呟いている。

趣味アカウントだったが、震災以降一部のフォロワーさんの呟きが政治的になり、気がつけば所謂左翼右翼といった思考の人になった。

私は左翼でも右翼のどちらでもない(というか違いがよくわからない。興味が無いので)のだが、そのどちらでも無いが政治に興味がある人はどうカテゴリーされるのだろうかとふと思った。

政治的思想を持つ以上、左翼右翼のどちらかに必ず振り分けられるのだろうか??

わかりません。

2017-04-01

菊池誠活動最初から最後まで権威主義にすぎない

http://anond.hatelabo.jp/20170331130851

たとえばカールセーガンの懐疑主義であれば、

「懐疑するということは、危険分子になることだ。 なぜなら懐疑主義はすでに確立された制度に異を唱えるからである

懐疑主義のやり方にも欠点はある。対立の図式を持ち出し『われわれ』対『彼ら』という感覚、『真理はわれわれが独占している』という感覚。『こんな馬鹿げた教義を信じている連中は頭が悪い』といった論調がそれである。」

権威主義に陥るな。権威のいうことだからといって当てにしないこと。権威はこれまでもまちがいを犯してきたし今後も犯すかもしれない。」

科学の核心は一見すると矛盾するかにみえる二つの姿勢バランスを取るところにある。一つはどれほど直感に反する奇妙なアイディアであっても新しいアイディアには心を開く姿勢。もう一つは古いアイディアと新しいアイディア双方に懐疑的かつ徹底的に吟味する姿勢である。」

といったバランス感覚があるが、菊池誠にはそれがない。

権威教科書が全てで、新しいアイデアや状況は受け付けない。

それでも水伝のような明らかな詐欺を叩いている際は大きな問題は起きなかったが、権威主義対応できない問題にぶち当たった時、菊池誠破綻が始まった。

典型的なのは有名な大震災後の「メルトダウンじゃないだす」発言で、これがわかりやすい発端といっていいだろう。

https://togetter.com/li/197084

菊池誠権威である東電原子力工学者の見解を無批判に受け入れるだけで、実際に起こっていることを分析的に思考することができない。

結局、彼は未だにこのデマ発言を訂正していない。

ちなみに現在メルトダウンを認めていない学者は、確認できるかぎり菊池誠池田信夫高田純の3名である

その後も当の東電も認めたおしどりマコ取材に基づく排気塔問題についても根拠もなく否定したり、

https://togetter.com/li/941464

被害を訴える福島の人を揶揄したり、

https://togetter.com/li/808369

辻元デマを真に受けたりと、

https://twitter.com/lautrea/status/845463623648526336

ネトウヨミソジニスト区別がつかないところに到達している。

晩年おかしなことになる物理学者というのはままあることだが、菊池誠場合は単に一貫して単なる権威主義だったということで話は終わりなのではないか

おまけ

http://b.hatena.ne.jp/entry/329850045/comment/lets_skeptic

ブクマで「自分の「メルトダウン」という言葉認識問題であったことを認めている」と書いてる人がいるが、

菊池誠2016年ですら「メルトダウン炉心溶融は違いますよね」と相変わらず嘘を主張している。

https://twitter.com/kikumaco/status/700744555314835456

まりこれは菊池誠が「だから自分は間違っていなかった」といっているのだよ。明確に「間違いだった」という表現あるいは謝罪の意を表明した言葉を探してみるといい。ないから。

問題言葉だけの問題ではなく、当時菊池誠メルトダウン可能性を指摘した人たちを誤った知識で叩きまくっていたことも含む。擁護者らはこれをまるで無視するのだから、同じ穴のムジナと言わざるをえない。

たとえば菊池誠の以下の発言デタラメ

https://twitter.com/kikumaco/status/702471667054833664

正しくはこっち。

https://twitter.com/miakiza20100906/status/703532925413765120

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-23

涙もろくなった

子供を産んでから異常に涙もろくなった

私には全く関係のない子どもがひどい目に遭っても

前はあーかわいそーだなーと思うくらいだったのが

今はどんなに辛かったろうと考えると涙が止まらなくなる

子どもを失った親の話など見聞きすれば涙が溢れ出てくる

震災ドキュメンタリー

津波に流された子どもを何日も探して

ようやく見つけた冷たく固くなった子どもを抱きかかえて運ぶ

そんな親の気持ちを考えると堪らない

この世は地獄

子どもの所に行きたいけど自分で死んだら子どもの所には行けない

子どものいないこの世を生きていかなければいけない

地獄

昨日まで温かくて柔らかくてあんなに可愛かったのに

そんな思いをしてる人が何万人もいるなんて

この世は地獄

明日何があるかわからない

今は目の前で可愛く笑っているこの子明日は冷たくなっているかもしれない

私もこれから出かけた先で事故にでも遭うかもしれない

どうしてみんな平気な顔で生きているんだろう

こんな世の中に産み落としてしまって

の子申し訳ないとたまに思う

私は可愛い子どもに会えて幸せだけど

の子はどう思うんだろう

1人でも多くの多くの子どもたちが幸せに生きていきますように

の子幸せに生きていけますように

泣きながらそんなことを考えている私は少し病んでいるのかもなぁ

2017-03-14

自分幸せ時代に生まれたこと

満州から引揚者中国残留孤児体験談等を読んでいたのだけど、あまりにも悲惨で、辛くて。

自分は何て幸せ時代に生まれたんだろうと申し訳ない気持ちになる。

社会は、世界は、昔よりも幸せ進化しているのだ、とも思ったのだけど、今だって世界には同じくらい悲惨な目に遭っている人、紛争地域に暮らす人はたくさんいるんだな、と思い直して。日本だって福島から避難してる子供達は幸せ時代に生まれたなんて多分思ってないだろう。

これまで健康に大きなトラブルなく生まれ育ったことって、本当に幸運だとしか言いようがない。もちろん未来のことは分からないし、病気になったり震災が起きたりする可能性もあるけれど。

自分ラッキーなことの罪悪感ってどうしたらいいんだろう。フェアトレード商品を買うとかボランティアをしたりするべきなんだろうな。どっちもしたことないけど。

この罪悪感、いつまでもつんだろう。すぐ忘れちゃいそうだ。

2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170312190945

深川下町あたりの戦前観光名所歴史遺産震災・戦災で壊滅した上に、当時の人々が「復旧よりも復興」を掲げたため、古老の記憶がその命とともに消え去る前に、元に戻すことができなかった。

歴史的建造物遺産は、災害消失したらそれで終わり、ではない。

ワルシャワ歴史的町並みのように、ナチスに完膚無きまで消滅させられたけれども、戦後、そっくり復元果たして世界遺産にまで登録された例もある。

戦後70年、ようやく「復興」より「復旧」の方が大切(子孫が自らの歴史的アイデンティとなる拠り所がないことがどれほど深刻なことか)と気づいてくれた人がいるのは嬉しいが、いかんせん、あまりに遅すぎた。

同じくナチス廃墟にさせられたアムステルダムのように、「復旧よりも復興」を選択するのなら、そこに住んでいる住民が誇れるような町並みと建築を整える戦略もありだったが、東京はそれすらしなかった。まぁこれは石川栄耀の思想についていけなかった安井誠一郎の頑迷さによるところが大きい(GHQは巷間に言われるほど冷淡ではなかったと思われるけどね。)

今の東北も「復興」を掲げているけど、のっぺらぼうの住宅地に巨大な津波堤防が子孫のアイデンティにどれほどの傷を残すのか、気づくのにあと50年はかかるだろうね。

都市計画、本当に大切よ。とりあえず地元土木事業者政府の金で潤えばいいや、という考え方は100年かけて故郷を蝕むから

まぁ世界中どこも、こういう失敗を経て成長するけど、この手の精神的成長には石造りの街主体ヨーロッパですら数世紀のスパンがかかってるから日本のようなかつて木造主体の街だと仕方ない部分もあると思う。でもいま、ここで精神的成長しないと本当に近い将来、やばいことになるから

2017-03-12

復興問題汚染問題

3月11日という日関連で、テレビTwitter東日本大震災がらみの話題が多いけど、

個人的には被災地復興放射能汚染問題を一緒に考えるのはどうなのかなと思ってる。

ただの震災だけだったら両手を挙げて復興応援したい。

しかし、放射能が絡んでくると話は変わってくる。

復興よりも土地を離れることを勧めたいと思う。

震災津波だけでも大変なのに、次は放射能による健康被害まで背負うのは

まりにも酷というものだ。

国の「安全だ!コントロール出来てる!」と言う言葉に惑わされないで欲しい。

過去ミドリ十字トクホやらかしているんだから

 

あと、気になったのが、Twitterで「福島のものは他の地域に比べて放射線量をしっかり

検査しているか安全ですよ!」と言っているもの

残念ながら、全部のものがそうとは限らないです。

市場に出回っているものですら検出されているようです。

「べぐれでねが」というサイトで有志の方がいろんな製品(持ち込みもあり)を

検査なさってますが、正直、ここまで汚染されているのかと驚きます

もちろん、福島宮城農作物からも検出されています

けれど、されていないものだってあります

そういう現実を見ると先の「福島のものは他の地域に比べて放射線量をしっかり

検査しているか安全ですよ!」と言い切ってしまうのはどうかと思います

それなら、どうして汚染されているもの市場に出回っているのでしょう…。

検出結果を見た上で、買う買わないを個人的に決定するのがいいんじゃないかと思います

少なくとも、検出されたものは買いたくないですね。

家族にがん患者を抱えているので、食の安全については敏感になってしまうので。

震災から6年

と言われると、うちのホームベーカリー買って6年かあ、と言うアホみたいな感想しかでてこない

震災の後でパンの品不足が続いてたから買ったんだけど、今でも元気に稼働中

焼きたてパン最高

未確認情報でまとめてんじゃねえよ

性の悦びおじさん、死亡説が流れる?【田園都市線 車内で暴れた男性死亡】 - Togetterまとめ (魚拓)

最後言い訳っぽく「まだ亡くなった男性が性の喜びおじさんと確定したわけではありません。続報を待ちましょう」って書いてるけど、確定していないとわかっているのにそれでもまとめるって相当悪意あるだろこれは。未確認だけど話題からまとめてPV集めたい、注目されたい以外に何の目的があるんだこれ。さっさと消せばいいのに。

自分togetterには割と寛容な方だけどさすがにこれはひどいと思うわ。だからtogetterはクソだと言われるんだよ。

こんなのブクマするやつもアホだろ。

これが奇しくも震災原発デマが飛び交ってからちょうど6年目ってのが悲しい。

2017-03-11

いい機会なのでみんなで読みませんか?

これ↓

http://annualreviews.org/doi/full/10.1146/annurev-marine-010816-060733

Fukushima Daiichi–Derived Radionuclides in the Ocean: Transport, Fate, and Impacts. Annual Review of Marine Science. Vol. 9:173-203. First published online as a Review in Advance on June 30, 2016

2011年以降に海に出ていった放射性物質が、2016年頃までどうなっていったかをまとめたreviewです。

長くて1人で読むのしんどいというのが正直なとこだけど...でも、今後も当分関係ある話で、震災の日くらい、たまには勉強しようかと。これを読んだこともあり。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51176

ひと言とか数行とか小さな部分でいいから、読み取ったことをトラバブクマコメントに残してくれる人を募集

資料自体は悪くないと思います

とりあえず見やすいところ↓

Fig.1 空から降りる分、直接海に出た分、地下水を介して出た分、川を介して出た分の比較。空の分(15ペタBq)が、地下水や川の500年分くらいデカい。Table 1が根拠。つまり、これまでの論文推定されてきた値。15ペタ...どのくらいかイメージできない。

Fig.2 太平洋の海表面の放射性物質量。2014年頃をピークにアメリカ側まで届いて、広い範囲で通常の5倍くらいの濃度になっていた(これは確かにいい迷惑)。2016年には通常の2-3倍くらいまでで、エリアもかなり減った。まぁ海表面に関しては、普段の数倍程度が数年で止んでるからダメージ比較的浅そう。ただしこれは海表面で、あとで海底の話が出てくる。

Fig.3 見にくいので後で

Fig.4 海底の面積あたりの放射性物質量。同心円があるのはわかるけど、量的にどのくらい問題なのかはこれだけではわからない。

Fig.5 海底の魚と遠洋(非海底)の魚での濃度。縦軸はlogなので凄い差。どの区分も5年で1/10くらいは減ってる。2016年、遠洋魚がはっきり2層化してるのが見える。

http://anond.hatelabo.jp/20170311141205

それとあん関係いかも知れんけど

茨城県っていうと東海村事故ってくらいしか知識なかったし、しか震災後になおさらクローズアップされたけども、

茨城大洗ガルパン とイメージが上書きされたのは大成功だろうなーと思った。

ていうか大洗自体にも原子力施設あるんだけど、高速増殖炉 常陽。でもガルパンに消されてる感じ。

イメージうなぎのぼりですごい。

ちなみに、その常陽の燃料を製造してる工程での事故東海村のJCO事故なんだよなぁ。

震災リアル

変わり映えのない家族愛に注目した特集が多い。無難で分かりやすいからだろうか。御涙頂戴でPV視聴率稼ぎやすいからだろうか。

実際のところ家族愛など微塵も感じたことのない毒親に悩む人間だっているんだけども。

外野からはとてもじゃないけどそんなことは言えないし、内野からでもわざわざ言うことでもない。オフレコしか流通しないエピソードを見聞きする人はいるでしょう。

被災者がいい加減なことを言うんじゃねぇ、と、被災者不謹慎厨は言う。分断。

ここにもちょっとしたポリコレポリコレ棒の問題存在するように感じる。

ポリコレというか、弔い合戦というか、死者にゲタを履かせ花を持たせたい心情というか。

報道側・外野側の気持ちもわかる。無難だし、攻めたことをするのは覚悟必要なのもわかる。かくいう私も増田でね。

個人的ミクロ主観的には震災はまだ続いている人もいる。しか社会全体のマクロとしては、もう感傷に浸ることから抜け出さなければならない段階であって、そういった段階だからこそシン・ゴジラが作れるわけでしょう。冷静さと客観性を取り戻してきているわけです。

なのに先へ進めない時代シルバーデモクラシー感傷、反知性などによって合理性蔑ろにされる。

鉄道の復旧なんかでもそういう話がチラホラと。元通りにするよりも、かねてよりの問題も鑑みてアレコレしたほうがマシでは?がポシャったりする。

「悲しかったり辛いけど、未来のために必要なんだ」という、社会としての意思言動希薄に感じられる。

震災報道とき福島以外のおまけ感が本当にいやだ

もちろん宮城岩手も取り上げられるよ。でもなんか「おまけ」感をうすうす感じるんだよね。結局最後福島にもっていくんだよね。千葉だって東京だって被害はあるんだよ。九段会館天井が抜けて人が亡くなったこととかもうみんな忘れてるよね。

今年で6年経った

http://anond.hatelabo.jp/20110602193012

この増田から6年か。

 

福島は未だに復興されてなくてもはや避難先に根付いてしまった人たちもいるらしい

震災直後では火の海になった気仙沼話題になったけど、こっちのほうは復興したのかな

って、調べてみたらインフラは概ね治ってきたみたいだけど産業震災前の60%程度しか復興していないみたい

http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/608418.pdf

まああんだけの被害があったらそうそう治らないよね

 

原発の方は、東芝原発LNGに大博打を張って結局半導体産業日本から手放すという大失態をしたのが印象的だった

世界では再生可能エネルギーが続々とグリッドパリティを達成しているのに何たる惨状

しかネット社会ではこの状態になっても未だに「反原発放射脳疑似科学的」とか「再生可能エネルギーは役に立たない」とか悪評が目立つ

思うに最初反原発が今のしばき隊の連中に見つかって変な色がついたのが悪かったんだろうな

あれさえなければもっと受け入れられた選択肢だと思ったんだけど

私自身の転機になった日

[日記]

私自身の転機になった日はいくつもあるが、2010年代に絞って言えば6つある。

2010年1月

今よりずっと景気の悪い時代に何千万もの印税(両親の書いたもの)を家族が手にするようになる。

この両親に嫉妬するようになり、ギャンブルに足を運ぶようになった。

2011年3月11日

私はもともと車はおろかバイクに対しても抵抗感を抱いていた。嫌々取得したと言う言葉が似合うので、免許取得後も当分はほとんど使い道がなかった。

しかし、この日に起きた大震災交通機関が使い物にならないために何をするにも困っていたときに、高校時代の知人が買い替えでいらなくなった二輪車を譲り受けたが、乗ったところ使い勝手の良さを気に入ったので、以降それを使い続けている。

公共交通信頼性を疑うきっかけになった最初事件がこの大災害ではないだろうか?

2013年9月

私は幼少期から鉄道が好き(正確に言えば小学生時代から)だが、耳と目を疑うような事件があった。言うまでもなく観光列車蔓延である

同時期に北海道では公共交通トラブル社会問題になったこともあり、この年から鉄道とは距離を置くようにしている。

2014年3月

2009年からギャンブルを続けていてそれまで平均で何百万も勝利してきたが、たまたま2億~4億ぐらい当たったのが両親にばれてしまい、お金と代わりに家を追い出される。

現在は1LDKか3LDK格安マンションに一人で暮らしているが、なんだかんだで満足している。

2016年4月

totoやlotoの当選トンズラで家を追われて2年たって憂鬱になった私に追い討ちをかける事件があった。熊本大地震列車脱線した。

この時ニュースで知ったことは、公共交通公共資産でなく企業運営遊園地と化していたという実態だった。

この日以降私はオートバイバスJR公営鉄道飛行機での移動が多くなったほか、私鉄を極端に利用しなくなった。また、鉄道好きを隠し通すようになった。

今は執筆原稿料印税totoやlotoや宝くじお金でなんとか地位を立てているが、正直憂鬱状態だ。

2017-03-10

3.11テレビに新海出すのは震災映画として君の名はが利用されてる気がして気持ち悪い

影響を受けたと明言してるから仕方ないがそこは庵野に代役をしていただいた方が映画政治に汚されないのに

2017-03-09

次に災害にあうのは増田かも

災害は「自分関係ない」って思っている人のところに来る。神戸震災神戸には地震は来ないって言われてたのに来た。東日本大震災被災地ではずいぶん前に起こった大津波を忘れかけて、ほんとは建てちゃいけないところに家を建てたりしてた。九州の人たちは東北は遠いし震災のことはぴんと来ないといっていたら熊本地震が来た。そのうち増田のところにも来るだろう。神戸でも家具が倒れないようにしていたところは被害が少なかったし、東日本大震災でも高台に家を建て、訓練通りに逃げた人は助かった。熊本でもペット避難できる施設を作っていた動物病院で助かった人がたくさんいた。増田震災にあった人の気持ち想像する余裕はないのかもしれないけど、発達障害自分災害にあって避難所生活をしなければならなくなったらどうなるか想像して、準備できることはしておくといいんじゃないかな。障碍者災害にあったらどうなるかという体験談は探すと結構あるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170309135447

http://anond.hatelabo.jp/20170309150212

 2011年2月末、自分私事で転居を決め手続きを進めていた。震災が起こった。

 震災のため急いで転居をする人がいるのではないか自分がお願いする引っ越し業者人員をそちらにさくほうがよいのではとも思った。

 悶々としているうちに転居日が来て、現居所に居る。

 

 震災で生き残ったこと、都市部に転居して生活気持ち好転した事は罪なのだろうか?

 「贖罪」という単語がひっかかった。「後ろめたさ」じゃないだろうか。

 転居のきっかけが自分のように私事であったら、後ろめたさなんか感じなかったかも知れない。

 

 震災という、一度に多くの方々の命と財産生活、つながり等々を破壊してしまうおおごとだから
 被災者の一員として、震災きっかけの転居が人生の転機になったというのは
 今の居所で幸せだというのはタブーのような事なのだろうか?

 否、と自分は思う。

 人生は人それぞれ。一億人に、一億通りの人生がある。

 亡くなった方の冥福を祈ったり、心身や生活が苦しい方々への気持ちなどを忘れるというのではないが
 自身幸せになる道をふさいだり、こっそり歩く必要はないと思う。

 

 増田のように、被災後転居して良い縁(人/モノ/仕事等)に巡り会えた方は他にもいるのでは?

 自分のように、胸苦しい私事で転居したけど生活は落ち着いた人間もいる。

 震災は悲しい事だけれど、人生の転機の一つだったと思うのだ。

 

 すべての人を救うことはできないし、すべての人のために生きることも出来ない。

 人間はそんなに格好良くないと思う。

 

 増田の、今の幸せ大事にしてほしいと思う。 

311島尾敏雄と私

島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代予備校講師に勧められて買ったもの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族崩壊を記録した作品である

 読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。

  『相馬に帰ろう』

 紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。

 私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄相馬地区ふるさとだったのだ。

 そして、未だに故郷原発事故惨禍に見舞われている。

 東日本大震災から6年。故郷自然と思われた。

 正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思った。私はどうしたらなんとも言えない閉塞感を打破できるかを考えては、多分無理だろうなと半ば諦めの感情を胸に秘めていた。

 東日本大震災が起きた。

 私は生き残った。住んでいる地域原発避難指示区域には入らなかったものの、鉄道などインフラは寸断され、私たちは転居した。都会に。

 それからの私の生活は非常に充実したものとなった。幸い、福島出身と明かしても白い目で見られることはなく、田舎ありがちなデキる人の足を引っ張る風潮もなかった。意欲ある人が存分に学び体験できる施設があり、尊敬できる人がいた。若者がより広い世界へ飛び立とうとする意欲を持つには充分だった。

 東日本大震災が起こって6年になる今、私は東京で高いレベル教育を受けられている。あの地震でおぞましい数の人が亡くなり、今も苦しんでいる人が大勢いるが、私にとって6年前の地震人生を大きく変えた分岐点であったように思える。あの地震がなければ、私はここにはいない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。嫌だったふるさとから、私は逃げるようにしていなくなってしまった。どうすればいいかからなかった。何か違うのではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、田舎を離れられる開放感でそれを押さえつけてしまった。大震災を美化してしまった私の思考が正常なものなのか、若さゆえの過ちなのかは未だにわからない。

 小説の中で島尾敏雄相馬に帰ったのは、崩壊してゆく家族とのギリギリ人生をやり直す力を、故郷に感じたからだと思う。多くの人が、故郷自分人生の原点にして、そこの原風景大事にしているように。私が捨てた故郷のそばには、未だに立ち入りが禁じられ、人々が帰ることすらできない場所がある。彼の郷里最近、立ち入りが許可されたばかりで、復旧・復興とは程遠い。故郷に帰ることさえ一生叶わない忸怩たる思い、悩み苦しんだ時に自分が生まれ育った場所が変わり果ててしまった悲しみ、いわれのない差別に苦しみ、福島出身ということに引け目を感じている子どもたちの心情にどうやって接したらいいかからない。故郷を追われ苦しんでいる人に少しでも助けになるように日々研鑽を積んで、その人たちを助ける力、次に世界を揺るがす大事件が起きた時に多くの人を助けられるような力を養うことが、震災をチャンスと捉え故郷を捨て去った自分贖罪だ。

 自戒として、ここに記しておく。

3.11を忘れません、9.11を忘れません、神戸震災を忘れません、熊本大地震を忘れません、

ところで、311ってなんだっけ?

津波が来たのは知ってるけど。死んだ人いるの?

911ってなんだっけ?

ホワイトハウスのそばに飛行機が落ちたんだっけ?

神戸震災ってなんだっけ?

イチローが頑張ったのは知ってるけど。

熊本大地震ってなんだっけ?

しか城が割れたんだよね。

僕は忘れていません。

311も、911も、神戸も、熊本も。

決して忘れてはいません。

震災報道が苦しい

津波でぐちゃぐちゃになって、自衛隊活躍したわけよな。

最初の2週間位で、避難所では自衛隊死体から財布盗んでるのを見たという目撃談を複数から聞いた。

そんなアホな、という気持ちもあるし、そんなこと言うもんじゃない、という気持ちもあるからみんな黙ってたけど。

でも、まあ多分やるよな、と思ったし、今でも思ってる。

規律を守っている自衛隊がそんなことするわけない、という話はタテマエとして、

現場が極限状態で、戦場と変わりないから、キャリアの足りない自衛官精神おかしくしたとも聞くし。

もちろん自衛官でさえそうだとしたなら、一般人でも同じことよな。

何体も重なる濡れた死体から、財布を抜き取る人の気持ちを考えると、暗い気持ちになるんだわ。

戦場だと精神おかしくするから、略奪もレイプ百人斬りも、ああ、やっぱあり得るのだろうなあと。

規律が厳しいとか関係なくて、そういう人は出てくるんだろうなあと。

から自衛隊ありがとう、いえいえ自分たち任務でやってますから、みたいな報道見るとなあ。苦しい。

同じように朝鮮人がどうしたこうしたっていう噂も聞いたが、そっちのほうは明らかに嘘っぽかった。

なんだかなあ。

とりあえず、戦争はよくないなと思った。

2017-03-07

安心してください、東南海が来るまでですよ。

私は日本大好きですがこれはどうかと思う。(BBCあいさつ)


神戸と違って、いつまでも被災地なんだろうなぁ。70年たっても戦後とか言ってるのと同じように

the48the48のコメント 2017/03/06 15:35

http://b.hatena.ne.jp/entry/325623993/comment/the48


16.7メートル津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声 - ねとらぼ

http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/06/news092.html


東京銀座ソニービルヤフー防災啓発広告を出した。

この記事への衝撃のファーストブクッマでいきなり被災地ガーと言われて、ガツンと頭を殴られた思いがあります

これじゃあ150万円おごりおごられでいじめではなく電気消したのに光らないとバカにされるのも世間では本音なんだろうな、と。

もう東日本大震災から6年も経ちますもんね。

「もはや戦後ではない」(1956年)、終戦から11年。NY9.11を克服したと言われた[要出展]『クローバーフィールド』(2008年)は7年。

短いようで長かった6年、楽しかった運動会小学生卒業しますわ。


被災地増田からちょうど広告で取り上げられている大船渡市現在を報告しますと。

2011年4月小学校入学した子が卒業間際の今年度(2016年)はじめて校庭を使うことができた(校庭に仮設住宅があり使用できなかった)。

災害公営住宅が全戸完成し、市内の仮設住宅が今年度末で全て撤去になる。

仮設商店街が借地期限を迎え取り壊しになる中、土地整備が終わった地区に本設の商店街施設を鋭意建設中。

JR大船渡線鉄路での復旧は諦めてバス専用路線BRTになり数年経過。

防潮堤工事は一部で完成したもの継続中。

こういった状況です。

当初から10単位での復興計画でしたが、広域の災害のため建築土木の資材とマンパワーが足りず、時間がかかるようです。

コンクリから人への流れで建設会社廃業が進み人手が減っていたタイミングだったのもあります

瓦礫で埋まった道路最初に掘り出してくれたのはショベルカー持ってた地元土建屋さんなので、

年度末で道路掘り返してんじゃねーぞ、とイライラする事も最近は少なくなりました。


復興へのご支援には大変感謝しています

義援金支援物資ボランティアはもちろん、直接的な支援をされていなくても、公共工事被災者支援などには税金が使われており

それはすなわち国民血税でありますから国民の皆さんに足を向けては寝られません。太平洋に足を向けています

海外から支援も多く、市役所車両とか三陸鉄道車両とか、○○国の支援と表示されています

復興工事の方や、公務員応援職員も全国から継続的に来ていただいています

神戸の「希望の灯り」は分灯されて隣市、奇跡の一本松陸前高田市にともされています

直接、間接のご支援本当にありがとうございます

衰退地域である三陸沿岸への税金投入のコスパについては自分でも疑問に思う面はあるのですが、それはそれとして。

まりはこれからもどうかよろしくね。


岩手県大船渡市震災時を紹介しますと。

ここより下は家を建てるな、の碑がある吉浜地域

かもめの玉子」さいとう製菓専務ビデオカメラ回して発災時の事務所から高台に逃げて街が飲まれるまでを撮った映像

https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0

チリ地震津波もあったので大丈夫です、再建しましょう。の旅館経営おじいさん。

といったもの全国的には有名でしょうか。

震災映像個人証言NHKのものがまとまっています

東日本大震災アーカイブス

http://www9.nhk.or.jp/311shogen/

あの日あの時 アーカイブス

http://www.nhk.or.jp/morioka/archives/anohiArchives.html

NHK仙台局の津田アナ自身被災して「被災地からの声」(東北地域放送)のキャスターを努めています

岩手局に一時居て今は東京あたりに行った魚住アナ浅野温子の息子。支援物資で貰ったレンズ豆は火が通りやすく美味しいけど、

レンズの形だからレンズ豆じゃなくて、レンズ豆が先にありレンズ豆型だからガラスレンズレンズという名になったんですって。(豆知識

(br)

結論としては、避難場所とそこまでの経路を確認しましょう。防災用品を確認しましょう。

9月防災の日と合わせて半年に1度、非常食点検試食補充をしましょう。

重い水Amazonで注文、アレンジ料理クックパッドで調べてね。そんじゃーね

2017-03-06

結構な金を注ぎ込まれた母のその後

以前、『母親結構な金が注ぎ込まれてる』(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626)『はてなーが案外やさしかった件とその他のもろもろ』(http://anond.hatelabo.jp/20160824212145)というタイトルで、月60万円の抗がん剤を使いながら、日本保険制度のおかげで、月1万5000円しか負担していない「相対的貧困者」である母親の闘病生活について書いた増田です。

日付みたら、もう半年がたっているのだが、ここにきて大きな変化があったので、つらつら書いていくことにしたい。

母はその後、一進一退の闘病生活を続けていた。

体調が良い時は、映画を観に行く時もあるし(『君の名は』は案外気に入ったらしい。)、副作用がきつい日は一日寝ていたり。

先週の金曜日までは。

抗がん剤をうって、体調が悪い時期をおえたばかり。

先週の水曜日は一人で病院に行き、とくに問題にすべき所見がない状態だったのだが、金曜になってどうやら尋常ならざる腹痛を覚えたらしく、土曜日に同居している姉が病院に連れて行った。

取りあえず、当直の内科医が診断したところ、腹膜炎をおこしているらしいとのことで、痛み止めをうったりレントゲン撮影などしているうちに、主治医外科医が到着。

通常のCTスキャンだと、造影剤をつかうのだが、抗がん剤で体が弱っているため、造影剤をつかわずCT撮影

小腸大腸に穿孔が疑われるのだが、画像では今一つ患部がはっきりしないらしい。

通常の患者ならば開腹手術に踏み切るところ、はたして、母の場合は体力がもつのか、また、抗がん剤の影響で、術後、傷がすぐにふさがるのかどうかが判断付かず、医者協議がつづく。

主治医産婦人科医。母が卵巣ガンのため)は、手術を主張するも、外科医内科医は反対するという状況の中、結局、週末のため麻酔医の手配が付きそうもなく、また、あらためて放射線医の主導のもと、造影剤を使ったCT撮影の上で、精密な診断を下す必要があるとのことで、月曜日までは「保存的療法」(ようするに、点滴で栄養補給しつつ、抗生物質で炎症を抑える対症療法)をとる、との診断に落ち着く。

(なお、ここまでは姉からの伝聞)



そして今日

CT診断を経て主治医放射線医、外科医内科医などなどの協議の結果、正午過ぎにやはり手術をすることになる。

ただし、緊急の手術が入ってしまったたこともあり、開始時間がいつになるか分らないという。

準備をしてまつこと2時間くらいたっただろうか?

いよいよ手術ということで看護師なに4人がかりでベッドからストレッチャーに母を移す。

いや、自分で立ち上がれる(と、本人は思っているし、実際たちあがる)のだが、腹部にできるだけ圧迫を与えてはいけないとのことで。

母は手術に若干の不安を抱えているものの、現状では、うがいが許されている以外は一切、なにも口に入れることが許されず、手術によってその状況が改善されるのならば、と望んでいるようだ。

スタッフステーション最近は、ナースステーションとは言わないらしい)横の病室からエレベータ、長い廊下を運ばれる母にくっついて、自分と姉も移動し、弱弱しくベッドで手を振る母は、「手術棟」の自動ドアの向こうに運ばれていった。

体力を考え、できれば1時間、最長でも3時間

患部の状態確認し、最悪、内臓の消毒や洗浄だけで、それほど積極的処置もできずに終わるかもしれない、と説明されていたが、果たしてどうなることか・・・と待合室に席を落ち着けた途端、自動ドアあいて、看護婦が「増田さん!」と叫んだ。

何事!!!

本来なら患者のみが呼びこまれるドアの内側に、姉と自分が駆けつける。

手術衣を来た外科医協議議論リードし、重鎮っぽい空気を醸し出していた、いかにも精力的な医師である)が口を開いた。

「実は、私どもに認識の違いがありまして・・・

どういうことか?

母が現在抗がん剤を使い始めたのは、昨年5月からである

ところが、外科医は、昨年5月「まで」と、今の今まで勘違いをしていたようなのだ

医師説明するところでは、現在の薬を使っている場合最後に投与して最低でも8週間は外科手術をしないほうがよいという。

もちろん、「明らかに今開かなければ、もう数時間で確実に大変なことになる」などという状況であれば判断もかわるが、母はまだ、そこまでの段階にはない。

腹部を押した場合、まだ痛みを感じるところと感じないところがある、という。

実際、つい先ほどまで、スマホをいじってメールを返信したり、電話対応しているくらいなので、「もう我慢できないほどの痛みでのたうちまわっている」とか、そういう状態ではないのだ。

「ここまで来ていただいて、まこと申し訳ないのですが、やはり、もうちょっとだけ保存的な療法で様子を見るべきと、最終的に判断させてください」と頭を下げられて、「いや、手術してください」とはだれも言えない。

一緒に聞いていた母の心中は分らない。

手術への恐怖から一瞬だけ解放された安堵か、現状を劇的に回復される手段が先送りになったことへの絶望か。




もとの病室にもどり、しばらくして改めて主治医説明を、母と姉と共に聞く。

「正直、腹膜炎の手術に関しては、自分の専門外の部分も多く、外科内科判断に従わざるを得ない。

『五月まで』と『五月から』の認識違いが生じてしまったことは誠に申し訳ない。

まずは、抗生物質で炎症を抑えつつ、点滴の種類を追加して栄養補給し、しばらく様子をみる。

何分、抗がん剤は癌細胞だけでなく、内臓の正常な細胞にも影響をあたえるので、手術後、傷がふさがらなくなる可能性もある。

もうしばらく、抗がん剤の影響が少なくなるまで頑張りましょう、しばらく点滴だけで食べ物飲み物もとれませんが云々」

といった説明があった。

やれやれ、ということで病室で落ち着いたところで、自分と姉だけが再び呼ばれた。

その瞬間、「来たな」と思った。

なぜ、もう説明が済んでいるのに、もう一度呼ばれるのか。

それは、「本人には伝えにくい診断があるから」以外に、理由はない。

「正直、私としては手術で状況を打開したかったのですが、申し訳ありません。

 現在の薬には、消化管穿孔の副作用が起こる可能性が、ごくわずかながら起こる危険があるというのは以前からお伝えしていましたが(実際、それは母にも伝わっている)、

 まさに、その、危惧した状態がおこっているということです。

 新しい薬ですから、正直、そういう症例が、当院では初めてですし、国内的にも症例はそう多くない。

 だから、お母様に今後なにが起こるのかは、何とも言えません。

 普通の消化管穿孔ならば、手術をしてしまうわけですから、消化管穿孔の患者に保存的療法を続けた場合症例というのも多くないのです。

 なにが起こっても不思議はない。」

「がんの発見から、もうすぐ丸6年ですから、お母様は大変よく頑張ってこられましたが、私にして差し上げられることが、現状では、なくなってしまったというのが正直なところです。

 このまま持ちこたえれば、また手術もできるのですが」


そして、以前、父の時にいわれたセリフがでてきた。

母を外した席で説明を始めた時点で、想像はしていたのだが。

曰く

「もし、会わせておきたい人がおられたら、そろそろ連絡を始めて下さい」



さて、ここで問題だ。

母はどの程度、自分の病状を認識しているのかが、つかみかねるのである

実母と夫もガンでなくしている母は、ガンの末期というのは相当苦しく、また、その痛みを和らげるための薬を使ったりすることを知っている。

そして、今の母は、そういう状態にない。

考えてみれば当然であって、今の母は「がんの末期」で苦しんでいるのではなく、腸閉そくと消化管穿孔の症状で苦しんでいるのだ。

それは、ガンとの戦いの結果ではあるのだが。

突然、いろんな人が訪ねてきたら、それはそれで、母が何事かをさとり、精神的に追い詰めることにもなろうが、かといって、「間に合わなかった」ら悔いが残る。

この状況で「精神力」が病気と闘うのにどれだけ役に立つのか、良くわからないが、「アマゾンで注文した本が届いているはずだから明日もってきて」などというほど頭がはっきりしている人の、生きる気力を奪うことはできない、というのが姉と自分結論となった。

とりあえず、何人かの方に話をして「偶然近所に来る可能性がある人」から順番に呼ぶことにした。




明日以降、日々、状況は変化するだろう。何が起こるか、起こらないか




6年前、「このままでは、1か月も持たない可能性もあります。即、手術です」といわれて、大震災後の輪番停電が続き、大至急の手術は延期するという状況の中で、母は最初の手術を受けた。

その時点でステージⅣ、五年後生存率は20パーセント

あれ以来「最悪の事態」を常に裏切ってここまできたが、はたして今回はどうなるか。

もし、外科医が「勘違い」に気が付かずに手術を結構していたらどうなっていたか

誰にもわからないといは、とりあえず封じ込めて、明日も取り急ぎ有給をとっているので、「アマゾンから届いた本」をもって病院に行くことにする。











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