2017-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20170309150212

 2011年2月末、自分私事で転居を決め手続きを進めていた。震災が起こった。

 震災のため急いで転居をする人がいるのではないか自分がお願いする引っ越し業者人員をそちらにさくほうがよいのではとも思った。

 悶々としているうちに転居日が来て、現居所に居る。

 

 震災で生き残ったこと、都市部に転居して生活気持ち好転した事は罪なのだろうか?

 「贖罪」という単語がひっかかった。「後ろめたさ」じゃないだろうか。

 転居のきっかけが自分のように私事であったら、後ろめたさなんか感じなかったかも知れない。

 

 震災という、一度に多くの方々の命と財産生活、つながり等々を破壊してしまうおおごとだから
 被災者の一員として、震災きっかけの転居が人生の転機になったというのは
 今の居所で幸せだというのはタブーのような事なのだろうか?

 否、と自分は思う。

 人生は人それぞれ。一億人に、一億通りの人生がある。

 亡くなった方の冥福を祈ったり、心身や生活が苦しい方々への気持ちなどを忘れるというのではないが
 自身幸せになる道をふさいだり、こっそり歩く必要はないと思う。

 

 増田のように、被災後転居して良い縁(人/モノ/仕事等)に巡り会えた方は他にもいるのでは?

 自分のように、胸苦しい私事で転居したけど生活は落ち着いた人間もいる。

 震災は悲しい事だけれど、人生の転機の一つだったと思うのだ。

 

 すべての人を救うことはできないし、すべての人のために生きることも出来ない。

 人間はそんなに格好良くないと思う。

 

 増田の、今の幸せ大事にしてほしいと思う。 

記事への反応 -
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