https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1388610
ここのブコメ見てて思ったんだけど、「刺青を入れた男と娘の結婚は認めたくない」ことを会いもせず判断するのは刺青に対する差別だ、
差別はいけないので少なくとも一度は会って人となりを判断すべきだっていう意見もちらほらあるみたいなんだけどさ、
いやこれは当然に差別なんだが、絶対に許されない類の差別ではないと思うんだよな。
というのはさ、人間の活動には公的領域と私的領域があって、それがグラデーションで繋がっているもんだと思うんだけどさ、
公的領域に近い所での差別ほど許されず、私的領域に近いほど差別は許されるって持論があるんだよな。
例えば役所の手続きなんかは完全に公的な領域で、刺青を入れているからって役所の手続きが受理されないなんてことはあってはならないし、
逆に人の内心は完全に私的な領域で、外にさえ出さなければどんなクソみたいな差別をしても許されるだろう。
民間企業の活動もかなり公的領域寄りだから、刺青がある客がプールなどから排除されるのは差別ではあるし許容されるかは議論がいるだろう。
一方で刺青の客がいることで他の客が不快に思うことは差別ではあるが許容されるものになるだろう。(不快であるからといって排除することが許されるかは別)
さて、「刺青の男を娘の結婚相手にしたくないので反対する」、というのはかなり私的領域に近い所での差別ではないだろうか。
例えば「自分が刺青入りの人と結婚したくないのでしない」という差別は完全に私的領域にあるために許されるものだろう。
これが「刺青入りの男が近所に越してきたが、不快なので地域のコミュニティから排除する」になると公的領域に近くなって許されない差別になってくるだろう。
「自分の身内にどのような属性を入れたいか、入れたくないか」というのは個人主義が拡大している昨今でもまだかなり私的な領域を占めると考えるのが妥当だろう。
反対のあまり娘の結婚を何らかの実力行使で止めるのは差別なり自由権の侵害で問題があるだろうけど、単に会う前から反対するっていうのは差別ではあるが許容されるものだと個人的には思うね。
でもKKOが……真似しようと思ったけど思いつかなかったわ
そこは「でも娘がKKOと結婚したいって言ったら全力で応援するかっつーと絶対しないでしょ」みたいな
KKOと結婚したい娘は存在しないので無効
おかげで対象が自分のお気に入りかそうでないかで公私の基準がゴールポストみたいに動きまくるわけだ