遠くない未来に自然権を抑え付けている歪みが破裂し、真の自由主義が立つことは必然である。
ただ歪みを減らすことで時間稼ぎをすることはできる。
暴力機関には選択的夫婦別姓を認めない権利はそもそも存在しない。
そんなしょうもないことで歪みを作るべきではない。
何かが壊れても誰かが悲しんでも、それは自然権の成就のための仕方のない犠牲である。
選択的夫婦別姓を容認しても人は死なない。人の自由権を毀損しない。
1945 年からしか政治的連続性のないしょうもない極東の国家に伝統も糞もない。
あったとしても伝統なんてものが真に伝統であるのか、そもそもそんなものを守る必要があるのか、その必然性を我々は証明できない。
ただ、その延命のために歪みを減らすべきだと言っているに過ぎない。