「権力関係」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 権力関係とは

2022-04-21

なぜ「月曜日のたわわ」が嫌いか

自分はなぜ「月曜日のたわわ」というマンガが嫌いかと考えてみたんだが、多分女性から男性へのアプローチの仕方がうそ臭いというか白々しいというか、気に入らないんだよな。

性的コンテンツを後ろめたさなく消費するにあたって、「女性から男性に迫る」というのは有効手段なんだが、迫る理由を長々と説明すると逆に作者の意図が透けて見えてキモくなる。

ヤンデレ→とにかく理屈を超えて好きだから迫る

ギャルビッチ金銭性的快楽を求めて迫る

おねショタ女性の方が権力関係が上だから迫る

みたいに属性で割り切って「こうだからこう!」って説明した方が納得できる。

もちろんこれは個人的コンテンツの向き合い方の話であって、PCとは無関係だ。おねショタなんて外形的には児童虐待だしな。

2022-04-07

園子温業界外野のオマエらの件

https://twitter.com/copywriter___/status/1510993311259312129

園子温の悪行は有名」だの「今更すぎる」だの映画関係者がわらわらツイートし出してるけど、お前らがこれまでその悪行を知っていながら何もしていなかったから代わりに週刊誌告発したんじゃないのか

この場末コピーライターツイートがバズっていて、はてブでも「報道されてからドヤ顔で有名な話とか言ってる連中はホントに恥を知るべきよな」がトップコメントになってるけど、お前ら本当にバカだな。

こういう噂話は映画界や芸能界なんて山のようにある。時にはものすごく具体的な話も流れてくる。信憑性はとても高く感じられる。

だけどそれを何の証拠もなく公開すればどうなるか、ってそりゃ訴えられるに決まってる。

事実性的暴行の「証拠」は当事者証言だけでは結構難しい。 そして証言はだいたい一方的なので、それがどれほど真実なのか分からない。それを業界関係者が、マスコミのように調査して告発することは現実的には不可能だ。噂が出回ってる被害者事務所に「性的被害を受けたのが本当かどうか確かめいか女優の連絡先教えてくれ」と連絡したら、事務所が教えてくれるか?なわけねーだろ。

からみんな何も言わなかったんだよ。

今回は「週刊女性」が告発したけど、それは被害者証言だけ。内容が非常に具体的だから信憑性があるように見えるが、それ以上の証拠はない。 しか見出しにはまるで過去映画出演者に対して「主演にはだいたい手を出した」と書かれている。 2次被害を与えるこの書き方はよくない。

性的被害事実認定が成立しにくいため、一方の証言だけに依存して話を書くのは危険だ。 他の証拠必要だ。

今日は、「週刊文春」がプロデューサーの梅川治男を告発した。こっちはメールスクショがある。 榊英雄もそうだった。ここまでやって初めて公開できる。

から園子温に対して場末コピーライターとやらが正義気分で書いたことに「そうだ! そうだ!」と賛同するやつらとか、最悪まとめて訴えられるのを覚悟しておけよ。

一方で「前からその話は知っていた」とそれとなく話す業界関係者は、「俺はそういう噂を耳にすることがあるくらい業界に食い込んでます」とアピールしているだけ。「業界ゴロ」ってああいう奴らだよ。

そもそも映画演劇飲み会俳優脚本家スタッフになりたいと願う若い男女は常に多くいる。 彼らのうち99%は20代だ。

女優志望で事務所にも入ってない子なんかには、演出家スタッフを寝歩いてお金もらってるようなのもいる。お小遣いもらえるのと、「あの監督俳優セックスした」って周囲に言いふらしている。自分より偉い人と関係を持ってそれをステータスにするしか能がない連中って実際に大量にいるんだよ。時には無名AV女優とかもいた。演出家とかプロデューサーおっさんはそれを食いものにしてるだけ。8ミリから叩き上げ園子温なんかはそういう気分が続いていただけなんだろうな。

性的加害/被害権力関係を使ったハラスメントじゃないかぎり立証は難しい。園のケースはそこが微妙。本人が恋愛感情もってると豪語すれば(不倫だけどな)合意って話にもなる。でも、仕事あげるってちらつかせてるのが事実ならアウト。だけど園が法的措置をちらつかせてるのは、ハラスメントにならないなんらかの根拠がある可能性がある。

ほかは、梅川はスクショ証拠があるからアウト。写真撮ってこいとかつくづく恥ずかしいおっさんだ。

榊はスクショも出てるしレイプ行為複数やっているのが事実だとしたら、完全にアウト。刑事事件起訴されたら、懲役15年以上の実刑くらうよ。おそらく今被害者示談しようとしているはず。

木下も本人は認めてるからアウト。

あとな、こういうのってほとんどは独立系映画演劇の話。榊も園も木下ほうかも梅川もみんなそうだろ。東宝とかの大手テレビでそれやると、一瞬でクビか左遷

セクハラ権力を使った性的嫌がらせであって、飲み会口説いたってレベルだとなかなかセクハラにはならない。たとえ口説かれたほうが嫌だったとしても。

からこういうmetoo案件見て、「私も!」って調子に乗って口説かれたことをべらべらTwitterで書くようなことしたら、単に訴えられて50万円くらい取られて人生詰むだけ。それがたとえ事実であっても、「口説かれてふった」ってプライベートを公にしたら訴えられて負けるよ。そういう奴も出てくるんだろうな。

2022-04-06

anond:20220406111657

雇用関係にある「上司従業員」ならわかるけど、「出演者募集してる映画監督と出演を希望する女優」は権力関係にはないんじゃない?

だって女優フリーで、どんな映画にも出演応募することもできるし、逆に依頼された出演を断ることもできるでしょ。

もし所属してる事務所から指示されたのなら、監督でなく事務所をたたかないとおかしいし、そもそも告発した女優事務所からの指示とは言ってないし。

2022-03-29

anond:20220329114325

どんな環境だろうがこの種の権力関係による問題は生まれるって話だぞ、お前がないと思っているなら気づいていないだけだ

AV出演とか女優への枕強要とか

権力関係をタテに不利益を求めているっていうけど、これってこの世の常なんじゃないの?かわいそうだとは思うけどさ。

会社だって銀行だって、圧倒的な資金力や力関係をタテにして、相手側に有利な状況を作り上げていると思う

2022-02-09

そもそも議員=権力ではない。議員による抗議声明強制力はない。ソ―スは2021年はてなー

niwakano18124 地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・ 社会 行政

pinkyblue 議員公権力と言うならそれは立法条例制定であって、これは法案条例案でも何でもないあくまで抗議声明の域を出ないと思うんだが、フェミ議連の声ってそんなに強制的な影響力あるの?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1772056

esbee 自称オタクフェミニストとしては、抗議もまた表現ひとつからね?と。抗議自体表現規制と言ったら言論の自由に反するわけで、問題反論せず取り下げた松戸警察だし、採用した責任持って妥協点探れよという

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210910031736

softstone 議員連盟が警察の決定を変更する権力があるとするなら、このオタク議員集団権力で再度公開するよう圧力をかければ良いのでは。それが出来ないなら、公権力による圧力で削除されたのではない証左になる。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.change.org/p/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%80%A3%E7%9B%9F%E5%AE%9B%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%A8%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F%E7%8A%B6

esbee 議員連盟=公的権力と考える側にズレがあるよなー。憲法前文にも『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動』とあって、議員の行動は市民の行動とイコールになると思うのだが…… フェミニズム表現規制興味深い

RRD まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配服従関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員警察支配してるとか爆笑もんの話。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210912075351

Sometako 地方議員による実力組織への抗議をアプリオリに「弾圧」「圧力」とする法文上の優越性ってなんだろ?/追)入管非人道性を国会議員批判したら弾圧になるんだろか?/追)あっ!!まんだらけの件は警察による弾圧だろか? 性差別 考え方 フェミニズム

saiyu99sp 毎度面倒な目に遭いたくないか警察も引っ込めたんだよね。そうする力を権力というのかは知らん。おぎの議員警察に面倒かけるな!という立ち位置なんじゃないの?

RRD 権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsudosimasuda/status/1439747781795606529

usi4444 地方議員がどういう力を使って警察を従わせたと萌えオタは考えてるの?この手のマスコットはゆるくないと万人受けせず、外部からの指摘でトゲがあることに気付き警察自身判断で削除したと考えるのが妥当警察増田政治社会

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1777093

2022-01-22

なんでもかんでも「ハラスメント」って言いすぎなんだよ

言葉もっと厳密に使うべきだ。

ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?

一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康聴覚障害を持たない大学教員が、自分指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか

一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。

まり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊環境では処罰対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由行為であるのだが、一定の条件下では処罰対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。

アカデミックハラスメントは、「研究教育機関、および学会等の学術組織において、立場優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。

たとえばある人物公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。

もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくま学術機関組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。

では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師テニュアトラック助教誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?

誹謗中傷被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。

そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由からだ。「こいつは無能研究者だ」というのはどうか。指導教授院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカ極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授ジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由はいったい何なのか。

2022-01-12

anond:20220112005245

血の繋がった男女間では、元々他人同士だった男女のケースとは異なり、二人の間に不思議権力関係が働く。

そしてそれは、しばしば暴力的権力関係を伴う。

兄と妹。

父と娘。

叔父と姪。

あるいは、姉と弟、母と息子、叔母と甥の間柄ですら、男系親族性的暴走し、圧力をかけながら手に負えなくなる。

これでは対等な成人間の男女関係とは到底言えない。

あと親族間で障害遺伝子があると遺伝やすくなって劣等な子孫の生まれ確率が通常より高まり、生まれた子が生きづらくなり、リベラルではなくなり、下手をすれば優生主義社会の到来を助長する。

これが成人間同性婚を異性婚に連ねて称揚しつつ、異類婚・少年婚並びに近親婚、多数婚を忌避する人権主義自由派の論理なのだが、同意していただけるか。

2021-12-29

anond:20211229073838

導いてないよ。そのような法制度と、個人的価値観とを照らして、自分死刑制度廃止すべきだと思うと言ってる。

ようするに「人を殺してはいけない理由」を他者説明するときに、「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を語ることで満足できる人は、別にいいんだよ。俺はそれには満足できない、というだけ。

2021-12-28

死刑制度について思うこと

日本刑法刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。

罪名刑法保護法益
内乱77条国家対内的存立
外患誘致81条国家対外的存立
外患援助82条国家対外的存立
現住建造物放火(致死の結果を生じた場合108条不特定又は多数の者の生命身体及び財産
激発物破裂(致死の結果を生じた場合117条公共安全、人の生命
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合119条公共安全、人の生命
汽車転覆等致死126条交通安全、人の生命
水道毒物等混入致死146条公共安全、人の生命
殺人199条人の生命
強盗致死・強盗殺人故意殺の場合240条人の生命身体
強盗強制性行等及び同致死241条人の生命身体


人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要法益で、国家法益国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所収監され、これ以上他者生命危険さら懸念がなくなっている人間から刑法自体が最大限に尊重保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。

これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑禁止)に反しており違憲であるという観点から1948年死刑制度合憲判決事件において最高裁法廷違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法十三条においては、すべて国民個人として尊重せられ、生命に対する国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民権利といえども、立法制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさら憲法第三十一条によれば、国民個人生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。



「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重保護されるべき尊い権利なのか、国家従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。

(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営社会秩序の維持のために、国家施政権の及ぶ範囲に住む国民住民生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)

死刑制度を存置する国家では、「個人他者生命を奪うこと」と「国家他者生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民住民に対して法的な権力執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民住民は、国家権力執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度問題倫理ではなく力の問題還元する。

死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラル根拠にはならないし、むしろ一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。

死刑制度廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分死刑廃止すべきだと思ってる。

2021-11-11

anond:20211111142621

具体的な権利義務権力関係隠蔽して、周囲に自分意図通りに動いて欲しいと表明する


まさにそれを言えば良いのでは?


自分で書いてるんだからそこをきちんと丁寧に言えば良いんだよ。

正直、そういうものをがあると仮定してことを運んでるんじゃない?ようは陰謀論だ。

anond:20211111141846

今回のサイゲガイドラインは「具体的な権利義務権力関係隠蔽して、周囲に自分意図通りに動いて欲しいと表明する」という点において、前天皇陛下の「お気持ち表明」と同じ種類のものだよ、って話なんだけど。

俺の言ってることに同意するしないはともかく、なんか分かりづらい所ある?

これ以上具体的に教えろって言われても思いつかないから、そっちがもっと具体的に指示してくれ。

anond:20211111135901

具体的な権利義務権力関係隠蔽して、周囲に自分意図通りに動いて欲しいと表明することだよ。

天皇陛下スピーチ見なかった? あの人のお気持ち力すごかったよね。

2021-10-06

anond:20211006095102

表現への何らかの問題を指摘されて、

表現自体が「自主的に」取り下げるなら、

表現の自由の侵害」についての問題はない、というのはその通りだろ。

本当のところ、「どこまで自主的だったのか」については議論される余地はあるだろうが。

表現に抗議する側と表現者側の権力関係によっては、「自主的」と見えてもそうでないこともあり得る。

そんなに難しい話ではないと思うのだが。

2021-09-20

擁護するつもりでフェミニスト議連に「権力」はないと抗弁するのは筋が悪くない?

いやさ、まだまだ燃えてるフェミニスト議連だけど、そのフェミニスト議連擁護するつもりか知らんが

フェミニスト議連に「権力」はないか無問題理論展開してる人いるじゃん

権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708588008160812322/comment/RRD

まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配服従関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員警察支配してるとか爆笑もんの話。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708333555390434370/comment/RRD

法的根拠がないと権力じゃないって初めて聞いた…どこの定義だろう…でもさ、その理屈だとフェミニズム否定にならん?

だってよ、法的根拠がない社会規範私生活にまで及ぶ、男女の権力関係とか家長制度権力批判してきたのがフェミニズムじゃねえの

家父長制(Patriarchy)とは、男性女性に対する支配可能にする権力関係総体を指します。

https://liberal-arts-guide.com/patriarchy/

こうしてラディカル・フェミニズム理論的に構築され、これまで「女の幸せ」と思い込まされていた主婦生活における権力関係を、次々に暴いていくのです

https://liberal-arts-guide.com/second-wave-feminism/

ミレットによれば、生まれながらにして有利な位置に置かれた男性が、不利な位置に置かれた女性支配する仕組みこそが「性の政治」です。それは私たち個人的に日々従う「男らしさ」や「女らしさ」という文化にまでイデオロギーとして深くいきわたり男性権力を握らせるシステムなのです。

https://liberal-arts-guide.com/first-wave-feminism/

このリンク先でもさあ「権力」って単語ゴロゴロ出てくるけど、これ全部間違ってるの?

男女の権力関係家長制度権力?それって法的根拠あるの?ないよね?じゃあ権力じゃありませーん!変な言いがかりしないでくださーい!ってフェミニストに対して言うの?

望んだ結論に分かりやす誘導されると理路に見えるという。ゆっくりとは?とか、法学をさしおいて「俺たちは定義プロだ!」とか、お理工さんのオタクしか通じないもので、これは理路ではなくてノリだよな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708562230828801250/comment/RRD

善悪基準法律に求め、その法律を教わらなければ善悪判断ができない衆は、法律が禁じなければなんでもやるだろうし、法律がやれっていったら人殺しだってやれる衆だよ。マジ怖い。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708474378304495010/comment/RRD

なんかさぁ、この辺りの言葉自分に返ってくるブーメランになってない?善悪基準法律に求める「定義プロ」を気取ってない?

2021-09-15

児童買春について、そもそも加害者」と「被害者」のように言う言説に違和感があるんだよなあ。

買う成人と売る未成年者は共犯関係でしょ。

その共犯関係の中で責任の軽重があったり、分け前の多寡があったりするだけで。

親子などの権力関係にない他人大人が、充分な判断能力のある12の子供と共謀の上で子供万引き実行犯をさせたみたいな事例を想定してみればいい。

子供の方には法的な責任は問えないけれどだからといって何ら悪くないかと言われれば違うだろう。

2021-09-01

権力関係を「男性/女性」と同様に語るなら、順番は「シス/トランス」ではなく「トランス/シス」とすべきでは?

権力的に言って男性女性よりも力が強いのだから

同じく男性であるトランス女性」は「シス女性」よりも力が強い事になる

(勿論「トランス男性」と「シス男性」だったら「シス男性」が強い)

2021-06-19

anond:20210619063749

エイジズムとルッキズム根拠にするならば差別

相手との権力関係によって、いやいやメールとかお茶を付き合っただけだったのだろう。

そして、告白受託したら性的関係も持たねばならないという呪縛にかかってそう。

恋愛関係に対するイメージ貧困

性的なことが無意識根底にあってキモチワルイ。

とりあえず、権力関係があったことを認識できるのならば、権力濫用問題にしたほうがいい。

anond:20210619095523

教授学生という権力関係から教授告白問題視するのは分かるけど、

元増田エントリエイジズムとルッキズムに塗れたただの悪口しかないよね。

ブコメもそこを切り離せてない。

ー ー ー ー

id:frq440 セクハラ被害を「訴える当事者」と「声を受け取る側」は別で、前者の暴言諌めるのはトーンポリシングだが後者は違う。年齢差「だけを」取り上げるブコメは「ブスに告られたwキッショw」で盛り上がるのと同じ。

元増田をもう一度読んでみよう。

セクハラ被害を訴える」内容じゃないよ。

ブサイクジジイ如きが若い私に告白するなってだけの悪口

そんなド直球のエイジズムとルッキズム諌める行為が、「トーンポリシング」になるはずがないでしょ。

で、それとは別に教授アカハラは十分批判に値すると、それだけの話。

ジェンダーにおける下位の存在からって、無敵になれる訳じゃないんだよ。

アイデンティティに頼るだけの言論は、いつもそこを間違ってしまう。

2021-05-06

弱者男性は「強いパパ」を直視すべき

フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。

個人もつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミ代表として語ってほしくもない。

多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴所得コミュニケーション能力身体属性容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。

構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。

そのいっぽうで、1980年代後半から格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれい性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性非正規雇用層、男性低所得者層が以前よりずっと拡大している。

そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているか幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用人件費法定福利費社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業非正規雇用化を進めていったからだ。

そういう弱者男性がいること自体認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点弱者立場にある男性が、同様に経済弱者である女性連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性境遇改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性ママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。

弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係ちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいか弱者だと思ってる人の敵は労働から収奪してる高額所得者ほとんどは男性)だろうし、自分モテいか弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。

anond:20210506081207

2021-04-03

商談相手香水の種類聞くのは100%言い訳余地のないセクハラだろ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1691643

加害者が女で被害者が男だと「聞き方の問題」「このケースはセーフ」とか言い訳始めてるけど

そもそもこのケースの相手が聞かれても平気だったと何故言えるの?

商談相手に聞かれて無下にできなかった可能性をちゃんと考えたか

「嫌なら言わなきゃいい」で済むならセクハラなんてこの世にしないのよ?

内心嫌でも権力関係や利害が絡んでるとそれを表明できないか

職場仕事関係ない容姿だの服装だの恋愛だのに言及するのはやめようやってことでセクハラ撲滅を推進してきたんでしょ?

これを容認したらもう二度と「嫌がってるようには見えなかった」っていうセクハラ親父を糾弾できないよ?

2021-03-31

アーツ前橋作品紛失問題

はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館作品6点が行方不明になる、という事件があった。

館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。

まとまった記事としては美術手帖を参照されたい。

アーツ前橋作品紛失に関する調査報告書が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795

紛失問題報告書に関して、アーツ前橋館長の住友文彦が反論

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である

たとえばこういう企画展

https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカルジェンダー福祉ケア老い共同体移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。

ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである

個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。

しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。

その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である

前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界から擁護の声も出ている。

たとえば東大教授美術研究者加治屋健司。

アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態放置問題に適切に対処してこなかった所管部署文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1375731293581807616

スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である

これは大局的に見れば正しいかもしれない。

ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。

それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか

まともな環境作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである

そういう批判はあったようで、彼はあとから補足している。

他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言趣旨ではありません。

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1376207390836592642



とはいえ前橋市の報告書住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員行政職の党派性問題なのではないかという感も否めない。

一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館学芸員行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである

なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。

まり理想を求める学芸員コスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから対立するのは当然なのかもしれない。

両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である

現状で言えば、おそらく行政出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。

現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有存在なのである

行政出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセント現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。

今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。

後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家署名活動

https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c

ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。

まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。

現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟必要である

から美術館作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。

加えて、美術品のほとんどは温度湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。

「厳正に維持」というのは「24時間空調」のことを指す。

38度の真夏であっても、氷点下真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。

当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。

まり美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。

「じゃあ預からなければいいじゃないか」と言うかもしれない。

しかしそうはいかない。

地方美術館美術作品寄付する人々というのは、たとえば地域小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。

1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。

2. 貴重なものかもしれないので、美術館電話した。

3. 美術館で引き取ってくれないなら、廃品回収に出そうと思う。

「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。

売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。

名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。

でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。

〇〇県出身上京美術学校西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。

こういうプロフィール作家面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。

しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。

日本都道府県ほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。

そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである

というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題関係しているように思われる。

気が重い話である

その他参照

調査報告書

https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

住友文彦の記者会見原稿

https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view

2021-03-02

anond:20210302190401

軽くググっただけでも、

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyamaru/introd/senmon_theses2010.pdf

男性からなる集団に対して、女性からなる集団ジェンダー的な見地からマイノリティと呼ばれることは現在ではかなり広く認められるところであろうかと私は思うが、男女の数は通常どの社会でもほぼ同数である

https://mtboru.hatenablog.com/entry/2019/08/29/002906

ここで簡単マジョリティ多数派の違いについて説明する。ジェンダー学やフェミニズムなどの文脈において、マジョリティは単に多数派意味する言葉ではない。もちろん多数派という意味で使われることもあるが、基本的には社会強者権力関係的に強者であるような人々を指して使われることが多い。例えば、男性女性人口はほぼ同数だが、男性マジョリティ女性マイノリティである、というように使われる。

https://nhkbook-hiraku.com/n/nf8b3ce2f7ff2

社会では一般的男性が「マジョリティ」とされています。だから男性はとくに困っていることもないだろうし、別に生きづらいこともそんなにないだろうと。女性人口の半分、男性と同じだけいるのに「マイノリティ」として生きてきて、女性の生きづらさは様々に語られてきました。一方で、男性マジョリティとされているがゆえに自分自身を語る言葉も、探る言葉も持つことができず、誰からも語られず、眼差されることもなく、立ちすくんで困っている状態です。

https://shosetsu-maru.com/interviews/authors/quilala_pickup/148

この会話の場で、彼女マイノリティになっているんです。存在としては梨花や巴のほうがマイノリティだけれども、力関係においては月美がマイノリティ

このように「男性が数的に多いわけではないが敢えてマジョリティと呼ぶ」という用例は簡単発見できるわな。

わかっていてそう言っているのであって明らかに誤用」「勘違い」ではないと。

もちろん増田にとってはこいつらは「馬鹿」だから、彼らのこうした用法は「無効」なんだろうが。

2021-02-04

anond:20210201075638

社会学ってそもそも近代社会自己言及のための(早い話が自画像を描くための)学問で、特に戦後近代社会を支えていた文化制度権威あの手この手批判して骨抜きにするために戦ってきた。

おかげでかつてのような圧倒的な支配力を誰も持てなくなったし、社会の風通しは大分良くなった。その点で功績はあるけれど、その武器として採用した社会構築主義があまりにも使い勝手が良すぎたもんで、それに甘えて研究レベルも下がっていったし、それ自体を人を支配するための武器に使いたがる社会学者が増えすぎたと思う。

そもそも欧米理論欧米近代社会批判するための、向こうの権力関係文脈を前提としたものから、そのまま日本に持ち込めるようなものではない。そこら辺をかなり日本社会学者は都合よくごまかしていると思うし、学問的誠実さにも疑問を感じている。

データサイエンスゲーム理論歴史学と組んでいる領域構築主義汚染がそれほどでは無いからまともな研究者が多い。

から社会学全体が叩かれる必要なんていうのはないけれど、一部の領域構築主義依存しすぎる体質はディシプリンレベルから考え直さないともうどうしようもないと思う。

なので反省して自己批判する必要は大いにあるけれど、謝る必要はさすがにないだろ。逆に謝れと言う奴は一体何にどのように謝る必要があるのかを明確に説得力のある形で言わないとそれこそ不誠実なんじゃないか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん