はてなキーワード: 有効とは
Googleローカルガイドは、完全にネット上での活動とは切り離してリアルネームでやっているので、増田に書く。
Googleのローカルガイドってプログラムがある。簡単に言うと、Google Mapに写真を追加したり、レビューをしたりするとポイントが付いて、一定数ポイントが付くとレベルいくつ、とかなる奴。
ただ、ポイントがたまったからといって何か特別に特典がもらえるわけじゃないし、特にいいこともないんだけど、ただ自分が載せた写真にどれぐらいの人がみたとか、何人がレビューを参考にしたとか、そう言うのが出てくる訳よ。
見事にハマった。
今までも位置ゲー系のゲームをやったことはあるのだがいまいちでフェードアウトした。しかしこれはそれ以上だ。
特に在所が比較的田舎なので、あんまり写真なんかを載せる人がいない。
国の文化財になると既に写真が山ほどあるのだが、地元のローカルな公園や、ローカルな神社仏閣、町の文化財レベルの場所だとほとんど写真など無い。
そう言う所に出かけていっては、写真を撮って載せるようになった。
最近では、360度カメラも買ってしまって、それを使っても写真を撮っている。
(一方で、レビューはあまりしないことにしている。よっぽどのこと(入り口がわかりづらいので気をつけろ、とか)が無い限りやらない)
すると、なんか地元を見る目が変わってきた。
今まで、何にも無い屁みたいな田舎だと思っていたのだが、Googleに乗せるような場所が無いかな?と言う視点で見て、色々な所を訪ねていくと、なんか地元にもいい場所あるんじゃないか、と言う気になってきた。
地方なので、そもそもあまり写真の観覧数はそうそう伸びるもんでは無い。ないのだが、逆に情報が大量にある都会と違って、田舎ほどこういう細かい情報があると良いのでは無いか?と思いながらやっている。
最近は、普通のお店なんかでも「ちょっと写真を撮らせてもらっていいですか?実は……」ってな具合で話をして、中の写真も撮らせてもらうようになった。
前は店員が話しかけてくる店なんぞ絶対に入らなかったのに、である。
さらに、写真を撮ってあるくのには自転車が有効だという事にも改めて気付かされて、冬場で動きが鈍くなっていたにもかかわらず、今年は運動量を維持できた。
最近、アニメの評価になるたびにクソアニメの代名詞みたいにARC-Vが出されることを看過できない。
確かに欠点はあるが、いいところ・評価すべきところもたくさんある。それを書く。
「新シリーズでは新召喚法が出てきて、エクストラデッキを使う召喚はそれ一択になる」っていうのが通例になりつつあった(5D'sは例外あるが)中で、それを世界観の設定に組み込んだのは長寿アニメならでは。ユートがダリベ出した時は「今年は何か違う…!」って思ったよ。まあいろんな意味で違ったわけだが。
このARC-Vの構想自体は前から練られてたんだと思う。確かZEXALの決闘庵のあたりでシンクロモンスターが出ない理由について監督が「世界観に関わるのでお答えできません」とか言ってたんだよ。
これだけの長寿アニメで、商売のために召喚法を切り替えてたのを、「シリーズまたぎの伏線」に落とし込んだのは、後付けかもしれんとは言え本当にすごいと思う。
ゲストばっかり話題になるけど、ARC-Vキャラもみんなキャラ立ってた。
黒咲・素良・権現坂・沢渡・デニス…あたりはともかく、もっとみんなに活躍させてあげて欲しかった気はする。
ゲストキャラも目立たせようとすると、明らかにキャラが飽和してるんだよ。
ミッチーとか明らかにネタキャラなのに結構実力者として描かれてるところが好きだった。
月影は一番好き。ニンジャマジ有能。実際強い。
LDS三人組は既存テーマ使いとして魅力的だったし、勝鬨くんは早めに闇落ちさせてストーカーキャラとかにして定期的に出すとか、タイラー姉妹なんかもっとストーリーで見たかった人多いでしょ。
いろいろ言われてるのはわかるよ。でも新しい取り組みだったし、そこは評価しようぜ。な?
ちらっと出してさ、視聴者からは「もっと出して!」って言わせるくらいがちょうどいいんだよ。
シンクロ次元を去る時に、空を見上げる遊星の後ろ姿がちらっと映る、みたいなさ。
前にも書いたけどARC-Vのキャラだけで十分魅力あるキャラはたくさん作れたと思う。
下手に出して新しいストーリーに無理やり絡ませたらさ、そりゃキャラもぶれる。
最初にジャックが遊矢に「ひとりよがり」って言ったときは「よく言った!」って思ったけど、後々の展開がね…。
ジャックどうした?おかしくなったのか?いやジャックは元からおかしいな。いやそうじゃないわ。
柚子がピンチの時の次回予告で明日香が出てきた時は本当にワクワクした。なお
微妙だなあとは思ってたけど、これ最終回で沢渡とのデュエルで流れたらめっちゃ興奮するんだろうなあとか思ってた1クール目。
ユーゴ登場シーンは軽い騒ぎだったなあ。期待に胸が膨らんだよ。
一番好き。
シンクロ次元回の初回のナレーションからのイントロのワクワク感は忘れない。
ランサーズにニンジャいて「!?!?!?」ってなったのもいい思い出。
沢渡はかなり良い活躍して、遊矢とユーゴは戦うんだろうなあって思った。
曲は神です。人気あるよね。わかる。好き。
曲は(ry
良いデュエルもあっただろ?それを思い出させてやる。
ARC-Vで初めて「おっ」て思ったデュエル。時代遅れのXセイバーだったとはいえ、アニメにあるまじきガチ展開をする刃と、新テーマで迎え撃つ権現坂。「コロコロキャラみたい」とか言われつつも「俺は本当に強いぜ」って言ってガトムズ並べてくる刃かっけえ。
最後は引き分けに持ち込んでその後は不思議な師弟関係に繋がったりと、文句なしのデュエル。
黒咲のRRは見てても楽しいし(なんだかんだでランクアップ楽しいよね)、素良の文句無しのクズっぷりも◎。
ガチのかっこよさとネタが混ざり合った黒咲こそ天然物のデュエリスト。
前半戦の素良との決戦って感じ。
素良を笑顔にさせたいと思いつつもオッドアイズリベリオンを出してしまうという自分の葛藤…でもないか。
これは引き分けの有効な使い方だと思ってる。素良との和解は後々、ハッキリ決着をつけて…となればよかった。
なんだかんだで盛り上がりはすごかったデュエル。
スピードロイドの展開と、クリアウィングの効果をうまく使うユーゴのデュエルは実際面白い。
そんないいデュエルじゃねえって?まあそこは月影好きだから許してくれ。
デュエル内容自体はそこまででも無いんだけどAカード取り放題とかいう無双を見せたニンジャを評価したい。
最後は「本当は勝ってた」風に負けたけど…それならニンジャの勝利は別の機会にちゃんと見せて欲しかった。
このころは「シンジは改心していって、シンクロ次元での簡易な遊星的ポジションなんじゃ?」とか思ってました。なお
遊矢が「模倣じゃなく、ペンデュラム召喚がオレのデュエルなんだ」って気づいた(おせえよ)
ジャックが良い意味で笑顔を見せてたり、このデュエル自体は個人的には評価高い。
基本的にモンスターデザインは毎シリーズ全部無条件に好きなのでノーコメント。
セルゲイのDホイール合体とか、明らかに視聴者に「お前らこれやっときゃ喜ぶんだろ?」っていうのが透けちゃうとしらけると思います。
シナリオ作る人はバクマンの「シリアスな笑い」を読んできて欲しい。
ワクワクを思い出すんだ!
Google Maps APIは数年前に有料になっていて、利用には支払い情報の登録が必須である。
でも日本円で1か月2万円分くらいは無料だよ、そしてだいたいの小規模サイトはこの範囲に収まるから心配しなくていいよ、という利用形態。
俺も自分が運営しているウェブサービスでGoogle Maps APIを使ってる(たいしてアクセスはない)が、この無料分を超えたことはない。
破産者マップは「1時間あたり230万アクセスあるみたいです」とかTwitterで書いてたので、これ支払い情報有効にしてたら、とんでもない支払金額になってるだろうね。
それをやっておらず、APIキーなしで利用してたので、背景が灰色で "For development purposes only" とか出てたわけだが、おそらくGoogleにそれがバレて利用を止められてる。(明らかに開発目的じゃないので当然)
テトリス99が配信されてしばらく経つ。ルールは簡単だ。生き残ったやつが勝ち。シンプルだ。
遊んでみるとわかるが、大変に楽しい。消すことで対戦相手を攻撃したり、逆に攻撃されたりする。その攻防を掻い潜って勝利できたときの達成感はなかなかのものだ。
もちろん、勝つことだけが目的ではない。ゲームオーバーになってしまった場合も、その時点での順位がわかる。この順位を少しでも上げるというのを目標にして遊ぶことも可能だ。
しかし、皆こう思う。勝ちたい。1位になりたい。ドン勝をしたい。それは正常な欲求だ。けれども、元々テトリスがべらぼうにうまい人間以外はこうも思う。1位になるのは簡単なことではない、と。
そうして、どうすれば勝てるのかと思い調査をする。すると、ガチガチのロジックを解説するページなどに行き当たり、頭を抱えるのだ。違う。僕は、私は、俺は、そんなロジックを理解することも、実際にゲーム内で実践することも難しい。不可能だ。だって僕らは脳筋。テトリスを理論的に遊ぶなんて、そんなことはできない。
この記事は、そんな脳筋に少しでもテトリス99で勝ってほしくて書いている。T-spinがわからなくても問題ない。書いている人間も間違いなく脳筋で、できることはテトリミノ(上から落ちてくるいろんな形をしたやつ)を積み上げて、消すこと。それだけだ。それでもドン勝することはできる。脳筋たちに希望を与えたいのだ。皆にあの達成感を味わって欲しい。そして、ロジック共が跋扈するテトリス界にひとつの爪痕を残して欲しいと思っている。
一応記しておくが、なにも理論的に遊ぶことを否定する記事ではない。それもひとつの楽しみ方で、勝つために非常に有効な方法だ。ここでは、そういった遊び方ができない人間が、強いプレイヤーに立ち向かっていくためのマインドをメモしている。なお、基本的な動作や操作方法については割愛している。
ゲームが始まるとどんどんテトリミノが落ちてくる。それを積み上げて消していくのが基本的なルールだ。うまいプレイヤーはこの段階で高得点を出せる形式に積み上げていくことができるが、脳筋は出来ない。何手も先のことを考えながらプレイすることは非常に難しいからだ。また、対戦という要素も加わり、いつ敵から攻撃を受けるかはわからない。そこで脳筋にできることはひとつ。
とにかく消すのだ。一列揃えて消す。すると、そのパワーが敵への攻撃となる。1列や2列消したくらいでは、序盤は大した攻撃力にはならないというのもわかる。しかし、我々には消すしか出来ないのだ。それを怠っては勝てない。欲張ってたくさん積み上げ一気に大量消去を狙ったとしても、それも長くは続かない上、いつ攻撃を受けるかわからない環境では非常にリスキーだ。ツモにも左右されやすい。
とにかく消すのだ。1列ずつで構わない。微弱なジャブでも連続すればある程度のダメージにはなる。攻撃は最大の防御。とにかく消すのだ。
脳筋でも几帳面な人間はいる。隙間のないように積み上げたい心理もわかるし、事実可能な限りはそうしたほうが有利な状況を作ることができる。しかし、それにばかり固執しているといつのまにか棒状のテトリミノを待つばかりの地形が出来上がってしまい、ツモが悪ければそこで攻撃を食らってゲームオーバーだ。それは避ける必要がある。
どうしても隙間ができてしまう状況というのは起こる。そのときは潔く、隙間を作ってしまおう。そしてまたその上に積み上げて、同じように少しづつ消していけばいい。そのうちに作ってしまった隙間がまた顔を出し、それを埋めて消せるタイミングがやってくる。
テトリスをプレイしていると、特に中盤から終盤にかけて、こうした状況が逆に良い方向へ働くことがある。隙間を埋めていくと新たな隙間が出てきて、それによって連続して消すことができ、いつのまにか相手に大量攻撃できているというパターンだ。これを脳筋が意図的に行うことは難しいが、偶然できる可能性は誰にでもある。あえて隙間を作ることは決して悪いことではない。それよりも、どんどん積み上げて少しずつでも消していくほうが重要だ。
テトリスにはホールドという機能がある。落ちてきたテトリミノを一時保管できる場所だ。欲張りな脳筋は大量得点を狙ってここへ棒をとっておく傾向にある。私もそうだった。適切なタイミングでそれを使うことができればいいのだが、なかなかタイミングがなく腐らせてしまうこともあるだろう。それはもったいない。もし棒をちょうど入れられるスペースがなくとも、今落ちてきているテトリミノと棒とを天秤にかけて、棒のほうがまだマシな地形を作れると判断できたら迷わず棒を呼び出すのだ。もちろん、今は例え話で棒を挙げたが、他のテトリミノでも同様だ。テトリミノAとテトリミノB、どちらのほうが現在の状況でマシなのかといったレベルの判断であれば脳筋でも可能な範囲だ。できることをやる。それが勝利へ近づく確かな一歩である。
敵から大量の攻撃を受けたり、何らかのミスで大量に積み上がって、テトリミノを詰めるスペースが1列から3列くらいのわずかなスペースになってくると、どうしても諦めてしまいそうになる。特に終盤、テトリミノの落下速度が早くなってくるとてんてこまいになってしまう。そんなときも、最期まであきらめないことが重要になってくる。何も精神論の話というだけではない。大量の隙間や攻撃によって送られてきた灰色のブロックがあるということは、裏を返せばその地点まで到達できれば逆転ができるということだ。諦めることなく地道に消していけば、そんな大逆転も決して夢物語ではない。
そうは言ってもテトリミノを適切な位置に落とすのが難しい状況だから、とてもじゃないが厳しいという人間もいるかもしれない。しかし、脳筋でもできることはある。以下に2つ記す。
テトリミノを回すと時間が稼げ、落下位置の微調整も少しは楽になる。とにかく連打をするのだ。多くの人はこのボタンに親指をあてがっているだろうから、恐らくスプラトゥーンでパブロを振るよりは楽だろう。
早い展開になってくると、これをするのとしないのとでは雲泥の差になる。大きな眼球運動は必要ではないし、何手も先のテトリミノまで確認できなくてもいい。次のテトリミノを確認し、どこに落とせばよいかを考えて実行する。それを繰り返す。するとある時、道が開ける感覚になることがあるだろう。そこへ到達したらもう脳筋はゾーンに入っている。ゾーンの脳筋は強い。ほぼ直感的に操作できるだろう。これは決して怪しい話ではない。脳筋にも集中力はあるし、それを全てテトリスに向けることができれば仮にその試合で負けたとしても爽やかな気持ちで次の試合に望むことができるだろう。
テトリスは楽しいゲームだ。楽しく遊ぼう。もし心が荒んできたら別のゲームをしたり、一度休憩したりするのが望ましい。スプラトゥーンとか楽しいよ。
おおよそ言いたいことは以上なので、あとはなんかチラシの裏とかにメモしたようなことを書く。
自分を狙っている相手から線が伸びている状態で攻撃をすると、それがなんかものすごい光ってブワーッとその敵に伸びていくことがある。この仕様が結構厄介で、その間眩しくて自分の操作画面を注視しにくくなってしまう。より一層落ち着いて積み上げ、消すことが求められる。この状況だと比較的自分は優位なので、焦ることなく対応したい。
すばやく積み上げるには必要不可欠な機能だが、脳筋故にうっかり思ってた場所と違うところに落としてしまうこともある。よく確認したい。
なんかいろいろ選べるけどカウンターにしておけば安定みたいなところはある。
めちゃめちゃに早いときの速度は誰もがビビってしまうが、何度か経験すると慣れることができる。怖いときは回そう。
あまりキルに慣れていないと、その効果音にビビってしまうことがある。バッジが集まる音も怖い。もしドン勝できるようになってきたら、この音が楽しくなってくるので聞こえたらウキウキになろう。
脳筋プレイに飽きてきたら、もっと技術を高めたいと思うかもしれない。そう考えるのも自然なことだ。その場合は、他に頭の良い記事がたくさんあるので、それを見て勉強したり練習したりしよう。おめでとう。脳筋卒業だ。
先日「採用力強化Meetup」という勉強会に参加しましたが、よく見たら採用する力を強化するのイベントでした。間違えちゃった。
僕の認識。採用(される)力を強化するためのイベント。転職しようとする人たちが集まり、「採用される力を強化しよう」が目的の会。
実際。採用(する)力を強化するイベント。転職者を見る人、つまり採用担当者様向けの会。
開始5分で出ていくのも恥ずかしいので、素知らぬ顔で話を聞いてみることにしました。
講師は某大手人材会社のキャリアアドバイザー、開催企業の人事担当者様。
ベンチャーの大きくなる流れは以下の通り。
シード期(1人~10人)、会社立ち上げ期、毎日しんどい、社長との距離は近い。
アーリー(20~50)、技術力や即戦力が求められる、企業としての基盤づくりの時期。
ミドル(50~)、事業をさらに拡大していく時期、社内のコミュニケーションを考え始める、人事制度を本格的に構築する時期。
ベンチャー企業の規模から、求められるポジションを判断する指針になるか?
ベンチャー企業ではここのマッチングを重視しているのが多いのだろうか?
面接でも「いかに本音を引き出して、当人の考え方を探るか」に苦心しているようだった。
くらいはチェックするらしいが、そこまで一語一句をチェックしているようには思えなかった。
細かい言い回しやら言葉尻に気を揉む必要性は薄いように思えた。
25歳くらいの例。
30歳くらいの例
ミッション、ビジョンへの共感も大事だけど、ここは取り繕ってもボロが出る気がする。
ネームバリューだけで選んで「やりたい仕事と違いました」は最悪。まぁ100%自分のやりたい仕事でした、は無いさ。
面接関連の話。
Doの質問。過去の経験について、どうして、どのように、どうしたのか?という聞き方をする。
「何をやったか」の奥にある考え方につなげるため?
whatの質問。原因は何だったと思う?なにがあなたをそうさせたのか?を聞く。対話を重視してる?
面接ではこれが基本だと思われているが、この聞き方では上下関係が露骨になるので面接でするべきではない、というお話。
相手は詰問されてるように感じるらしく、委縮させるとか。
相手の話をよく聞いてやること。自分の話を聞いてもらえなかった人は、相手の話も聞かなくなることを忘れないで。
だからこそ対話することが重視される?というかしようとしてる?
【パターン1】
A あの時のプロジェクトは大変でしたね~
A そうなんですよ!〇〇で!△△で!
【パターン2】
A こんなことをやりました。
B それはどうしてですか?
A これこれです。
B 他に何を?
A ほげほげです。
採用面接を受ける側としてはむしろ自分から喋りに行くくらいが良いのではないか・・と考え始めた。
今まで自分ではパターン2が正しいものだと思っていて使わなかったが、どちらかというと聞かれてもない事までベラベラ話すタイプであり
こういう考えもあると分かったことは収穫だった
その他
女性は乗ろうと思えばどこにでも乗れてそういう意味では自由への格差がって感覚は分かる
でも現実的には専用車両の本来の意図としてその乗車の自由をフルで得るどころか乗車自体女性が毎度安全って面を賭けなきゃ手に入れられないって状況からその均衡として出来たものでもあるから経緯を前段階として考えるとそこでは突出した男性との格差があるとは言えないとなると思う
男女での安全面での格差を男性の車両を選択する自由の制限でバランス取ってる感じ
女性の他車両への乗車も可能ではあるけどやっぱり効果的な対策はまだまだだから女性専用車両導入以前の安全を賭けるって部分は解消出来てなくて一般車両に女性が乗車していてもそういう面では男性と同じ権利下での乗車とは言えないんじゃないかなと思う
女性が一般車両に乗るためには一旦自分の安全を差し出して降りる時に戻って来る、来ない可能性もある、それが朝夕毎日って感じ
厳密に言えばその安全面の対策を鉄道会社側が男性に放ってるとこあるしその結果痴漢冤罪対策も含め男性も"普通の行動"以上の事を強いられてる現状があって精神的な圧迫感を追う事にもなってるだろうし男性が乗車の権利を女性との格差として完全に享受できてるかと言えばそれも微妙だと思うんだけど
でもやっぱり実際の被害の可能性だけで言ってもそれを格差として男性側の自由を制する事でバランス取ってる現状があるのかなと思う
それでも女性専用車両は配置や全体の乗客の割合に対する車両数の面で当然普通に一般車両へ乗車するのと同じには出来てないわけだからそういう選択や体験の格差っていう自由度の部分では制限されてるところはあると思う
その制限を解くには安全を賭けなきゃいけないっていう前提条件もあるしそこ考えると差はあると思うよやっぱり
何かしらもし有効な対策がとられるなら何も賭けなくてもどこでも気にせず関係なく乗れるのにそうじゃないまま"安全な場所"の提供を女性の行動を制限する事で成立させてるわけだから
男性も痴漢冤罪って意味ではそこあるんだけど対策に求められる労力や日々の生活への影響とその効果って面では同程度とはならないように思う
女性が権利を得て男性が制限されてるように思えるのも当然だし相対的には実際そうだから絶対的格差のバランスの問題でそうなってるってだけで
今のは結局単なる応急処置的な対策で解決策とは言えないし書いたように女性もそれで完全に安全な乗車を享受出来てるかと言えば全然だし男性にもその皺寄せが行ってて痴漢の罪を性別全体に負わせてるわけだからそこはそこで差別的だなとは思うんだけど
毎回フェミが晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田でアウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。
フェミの主張の大筋は要するにエッチなものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチなものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由の侵害」「お気持ちを押し付けるな」という反論だけでは有効なカウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間のデザインと表現の自由のバランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。
例えば近年、学校や官公庁や公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフは西洋芸術の文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチなモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチなものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート、公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチなものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。
言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者と自分とが相互に関わりあう空間であり社会そのものである。そのような場にエッチな創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしなフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由は公共空間、社会という危うい綱渡りに最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそもが幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為を批判しているようにはどうにも思えない。公共空間に作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチなものが忌避されるならばそれは綱渡りの判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由の侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ。
そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間だからこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモである「お気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。
「結婚」を私的なものと考えるか公的なものと考えるか、その点がそもそも批判者/被批判者の間で共有されていないのが原因だよね。両者は同じ「結婚」という言葉を使いながら、全然違う話をしている。
相手も自分も「わたし」であることを前提に、その結びつきが結婚であり結婚生活である。従って、「わたし」であることを装ったり「わたし」らしくないことを【私的なものである結婚】に対してハードルとするのはおかしい。私的な結婚では「わたし」が受け入れられることが前提で、それをおかしいと批判するものがおかしい。
もともと別々の人間である「あなたとわたし」の結びつきである結婚は、人間同士が出会い関係する「社会」の最小単位であり、「社会」に参与するに際して個人の「わたし」の自由が「公共の福祉に反しない限り」という制限を設けられるのは当然である。パーティーにおけるドレスコードのように、その場に参与する人間がその場から利益を得るつもりならその場のコードに協力するのは義務であって、それ無しに利益だけを得ようとするのはフリーライドに過ぎない。服装だけでなく心構えも含めて、それは同じであり、【公的なものである結婚】に際して「わたし」を主張するようなまねをするのは控えめにいって常識に欠けている。
たとえて言えば私的な「まかない飯」の心得(手軽で安くうまければ文句なし)と公的な「レストランディナー」(状況を踏まえ食べる人に最大の満足感を)でのマナーとを、「同じ料理だから!」という理由で(しかも違うものだとの認識も無しに!)その優劣を比較してるようなもんだよ。そんなん話合うわけないでしょ。「それ全然違う話ですよね?」ってこと。
でもって、最初のブログの立場である「結婚相談所」がどういうものかつーと明らかに「私的な結婚から縁遠い人が利用する公的サービス」、つまりレストランへの案内所なんだよね。だから、そこに来る人の世話人が「ちゃんとした(この場合公的な)服装で臨まないと楽しめませんよ」「公的な場に私的なものを持ち込んで食事に集中しないのはおかしいよ」と注意するのは当たり前だし、レストラン利用者への注意として全く正しい。そして、自分とこのレストランでなくてもその心構えは有効だし、何なら人の家に呼ばれたという程度のプチ公的なときにも有効なアドバイスだよね。
それに対して最初の増田は「飯を食うのにそんなめんどくさいのとかおかしくね! 傷ついた!」みたいに鼻息荒くつっかかったわけで、それに対して「だからさー」とか「そういうとこだぞ?」的なツッコミが入んのは当たり前です。この件に関しては、元のブログが大人な対応で「うんうん、自分ちで食べる私的なご飯に向けて言ったんじゃなかったんだよ?ごめんね?」みたいな、ものすご大人な対応で幕を引いたのでこれ以上長引かせるのも意味ないけど、個人的には最初の増田記事がものすごく失礼な一件だと思ってる。
人力にまた子のうつに対応できない親が来たから最近日記つけてないと思い出しメモ
とりあえず学校も企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした
娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた
朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない
よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値でごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓に黄色信号。甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている
たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。
とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらいイライラしていたのだ、最初は常識で判断して逆だと思ってしまっていた
転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者や必要な場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近は現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った
で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血の治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいてみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤が有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠系精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者に相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。
まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナがテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。
小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。
折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せを自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころの幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。
ようやく治っても再発するっていうけどね。
もう勘弁してくれ。
どいつもこいつも「察してくれ」ってどういうことだよ。
子供を産んでも、ばりばり仕事ができる輝く女性!って、国はスローガン掲げているけれど、実際うまくいってないやん。
世の中的には、子育て世代を大事にしようぜ!って言ってるけど、それを支える方の身にもなって欲しい…。
子育てしながら仕事するのは大変だと思いますよ。辛くて泣いているの見たら気の毒にも思う。
でも、「子育てしている私のことを理解してくだい!気遣ってください!」と言われてもなあ…私らだけ気遣って無理しろって、なかなかすごいこと言ってるよ?
ただ、今回の場合、「独身VSワーママ」が発端ではなくて、「ワーママVSワーママ」なんだよねえ…。すごく局地的だけど。
ワーママといっても、いろいろな性格の人がいるから、みんながみんな反感を買うわけじゃない。
今回の発端は「ワーママVSワーママ」のとばっちりをみんなが受けている感じ。
やっぱりね。一番問題なのは「私はできるけど」と言って指示出すタイプ。一番よくない。
ワーママが…というよりも、その人そのものの性格の悪さから、今回は産休復帰する方が困った要求して来たわけだ…。
そいつの下で働きたくないのはよくわかるけどね。
局地的とは言え、なんであんなに「察してちゃん」率が高いんだろう。
他人とは分かり合えないんだって思えば気も楽なのに、無理やり理解させようとするからおかしくなる。
無理やり理解させたところで、結果は同じだと思うけどね。
人口も減って来ているし、働きたいと思う女性はどんどん進出していいと思う。
でも、他人が自分のことを気遣ってくれるはずだ、という思い込みで職場に戻ってくるのはやめた方がいいと思う。
他人として気遣いはしているだろうけど、家族のような気遣いを望むのはお門違いってもんだよ。
おかげで、どこにしわ寄せが来るかというと、文句も言わず黙って仕事している社員。
私なんぞ、性格悪いワーママが欲しがってやまない役職を受ける羽目になった。
本当は管理職なんてなりたくなかったのに…。
周囲の評価を気にしなかった結果の勝利って言われるけど、本当にめどくさくて仕方ない。
巷では「独身VSワーママ」ってよく言われているけど、局地的に言って、「ワーママVSワーママ」が騒動起こしてますよ。
みんな分かり合えないんだよ。
分かり合えると思うのが幻。
Julia は、少し Ruby に似すぎている。
Python では、1ファイルが暗黙のうちに1つのモジュールとして扱われていて、他のファイルからそれを明示的に読み込むことになっている。
Ruby と Python のコードを読んでいると、あきらかに Python のコードのほうが読みやすい。
システムが大きくなればなるほどそうだ。
それは Python の明示的なモジュールインポート形式のおかげだ。
Julia は Ruby 風に、end でブロックが終わる。これもかなりうざい。
Julia の良い所は、
1. 速い
の2点だろう。
並列プログラミングがどうのとか、他にもいろいろあるみたいだが、データサイエンスの現実の用途でどれくらい使うものかどうか・・・。
Julia は一部の信者たちの間で盛り上がっているみたいだが・・・。
私がもう歳を取ったからこういう風に新しいものに拒否的になっている可能性も否定できないので、増田に書くに留める。
言語としては、Python のほうが好きだが、もし Julia が主流になるなら、ためらいなく Julia に移行するつもりだ。
時流には逆らえないからだ。
ただ、本当にそんなことが起こるのだろうか・・・?
長くソフトウェア業界にいて、私が学んだことは、「従来より若干よい程度の技術は決して主流にはならない」ということだ。
みんなが新しい技術のほうがよいことは認める。ただ、既存の資産をすべて放棄してまで移行する価値があるか、という質問に
yes で答えられない場合、結局誰も移行せず、新しい技術の周りにはいつまでたってもエコシステムが形成されない。
そうやって滅んできた技術を無数に見てきた。
本当に生き残る新しい技術はもっと disruptive なものだ。
「何かをするにはそれを使うしかない」という場面がないと、新しい技術は採用されない。
まさに最近の Python がそうだ。機械学習をやるには Python を使うしかない。だから、Python をやる。
Julia と Python はできることが似すぎている。煎じ詰めれば Julia は単なる速い Python というだけだ。だったらすでに Cython があるじゃないか?
私はたぶん Julia は主流になることなく、一部の熱心なファンに愛されるだけの言語になるだろうと予測している。
部分的に Julia に適した問題もあるだろうし、それは Julia で解けばいい。