Julia は、少し Ruby に似すぎている。
Python では、1ファイルが暗黙のうちに1つのモジュールとして扱われていて、他のファイルからそれを明示的に読み込むことになっている。
Ruby と Python のコードを読んでいると、あきらかに Python のコードのほうが読みやすい。
システムが大きくなればなるほどそうだ。
それは Python の明示的なモジュールインポート形式のおかげだ。
Julia は Ruby 風に、end でブロックが終わる。これもかなりうざい。
Julia の良い所は、
1. 速い
の2点だろう。
並列プログラミングがどうのとか、他にもいろいろあるみたいだが、データサイエンスの現実の用途でどれくらい使うものかどうか・・・。
Julia は一部の信者たちの間で盛り上がっているみたいだが・・・。
私がもう歳を取ったからこういう風に新しいものに拒否的になっている可能性も否定できないので、増田に書くに留める。
言語としては、Python のほうが好きだが、もし Julia が主流になるなら、ためらいなく Julia に移行するつもりだ。
時流には逆らえないからだ。
ただ、本当にそんなことが起こるのだろうか・・・?
長くソフトウェア業界にいて、私が学んだことは、「従来より若干よい程度の技術は決して主流にはならない」ということだ。
みんなが新しい技術のほうがよいことは認める。ただ、既存の資産をすべて放棄してまで移行する価値があるか、という質問に
yes で答えられない場合、結局誰も移行せず、新しい技術の周りにはいつまでたってもエコシステムが形成されない。
そうやって滅んできた技術を無数に見てきた。
本当に生き残る新しい技術はもっと disruptive なものだ。
「何かをするにはそれを使うしかない」という場面がないと、新しい技術は採用されない。
まさに最近の Python がそうだ。機械学習をやるには Python を使うしかない。だから、Python をやる。
Julia と Python はできることが似すぎている。煎じ詰めれば Julia は単なる速い Python というだけだ。だったらすでに Cython があるじゃないか?
私はたぶん Julia は主流になることなく、一部の熱心なファンに愛されるだけの言語になるだろうと予測している。
部分的に Julia に適した問題もあるだろうし、それは Julia で解けばいい。