はてなキーワード: 新規参入とは
あらかじめ書き添えておくが、当記事はいわゆる「◯◯デビュー」といわれる“新たな環境における心理変化”の話であり、オタクによる二次創作界隈の話でもある。
我々には何かしら再デビューの機会が与えられている。進学、就職、転職転勤。別れと出会い。結婚離婚出産育児引っ越しなどなど、人生の節目というやつは言い換えればリセットであり、それまでの生活からの心機一転だ。黒歴史を封印し、面倒な人間関係を精算するにはうってつけのタイミングである。(ま、周りはそう手放したり忘れたりはしてくれないが)
それら「人生の転換期」ともいえるデカい状況は、自己都合でおいそれとは引き寄せられない。数が増えるとリスクも大きいし、単純に疲れる。それに引き換え、趣味はわりあい手軽な転換が可能だ。飽きたら変えればいい。やらかしたら離ればいい。(ま、周りはそう簡単に許してくれないかもしれないが)
簡単に言えば“逃げられる”世の中になった。
私は高校時代から25歳くらいまで、オタク活動を至上の趣味としていた。漫画かアニメか何かしらのメディアにのめり込み、たぎる妄想を武器に、同人誌を作ったり売ったり買ったりしていたのである。絵も描いたし文章も書いた。同志とつながり、内輪受け企画をしたりオンリーイベントを主催したりして、それなりに楽しく仲間内での交流をしていたと思う。
そのうち、やりたいことがねじ曲がっていった。
原作(ネタ元)が好きで、妄想の行き場を求めて創作に打ち込むのではなく、本を出して感想をもらったり企画をほめられたり、讃えられ、感謝される自分に酔いしれるようになったのである。よくある「承認欲求」というやつだ。
満たされているうちはいい。しかし、よほどの神作家でないかぎり、チヤホヤ曲線は必ず下降する。それに、ネタ元作品への愛が薄れていることは、たぶんバレてる。
私は最初の一作が評価されやすく、ジャンルの大御所の目にとまっていきなり浮上する。
新たなコラボやイベントなど、注目を浴びるような企画を打ち上げることも多い。
自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。
知名度があるのに売れない。必要とされない。プライドが許さない。もう戻れない。
結果として、逃亡した。離れるよ、ジャンル移動するよ、と堂々と宣言するのではなく、さっと姿を眩ませた。オタクはもうこりごりだと砂をかけるようにして。
そして、かなりの年月が過ぎた今。
また、同じことを繰り返そうとしている。
そろそろいいだろう。ほとぼりは覚めたと。
個人サイトからSNSに交流の場が移り、オンラインだけでもオタク活動が可能になった。
同人誌頒布イベントに出なければいい。オン専文字書きになろう。交流もさして必要ない。誰か見知らぬ人に読んでもらえるだけでいい。
ジャンル内で知らない人はいないだろうという絵師の目に止まった。
ツイッターでシェアされたのを知った。そこで箍が外れた。すぐにツイッターを始めて、その絵師とのコラボを開始した。
何を上げても反応はもらえない。
彼女が他の作家と楽しくやりとりしているのを悔しげに見つめるだけだ。
自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。
あくまでも二次創作だ。世の中の素敵な作品はネタ元なんかじゃない。原作へのリスペクトなしに認められる活動ではない。
でも、どうしようもないのだ。世の中の素敵な作品を“私が誰かに認められる表現のための素材”としか考えられない自分を変えるのは難しい。
潮時なのかもしれないと思いつつ、今の場所にしがみつきたい思いも捨てきれない。
辛い、虚しい。ちやほやされた自分の過去を全部忘れて、すっぱりと切り捨ててしまいたい。
いっそ忘れてほしい。そして何食わぬ顔をして新規参入したい。
また私は、デビュー先を探すのだろうか。
私は往年の同人女で、好きになった作品やカップリングがあると主に同人誌を出したりなどして感情を昇華してきた。
そして今、某マイナーソシャゲにハマっていて、日々ファンアートなど描いたりして暮らしている。ソシャゲにハマったのは初めてのことだ。コロナ禍ということもあり、在宅の毎日でゲームをやりながら楽しく過ごしている。
しかし、本当にこのジャンルは限界集落なんだなぁ、と感じてならないのだ。
マイナーカプやマイナー作品のジャンルには以前もハマったことがあるのだが、今回は辛いとか寂しいという以前に、「作品を知ってる人」を探すことがまず難しい現状がやばい。配信中のソシャゲなのにアクティブがいる気がしないのもやばい。運営にあまりやる気が見られないのもやばい。
正直に言えば、始める時にも、このゲームは即サービス終了するだろうな、と思っていた。
ただ盲点はめちゃくちゃ自分がこのゲームにハマってしまったということだ。まぁ、死ぬ時まで遊ぼうと最初から決めて始めているので、人のいないことへの寂しさはあれど、わかりきった状況ではある。
悲しいことに「好き」は理屈ではないのだ。
本当にハマっているのは自分1人、描いてるのも自分1人状態だ。
実は人生でハマってるのが自分だけカプは初めてではない。まだSNSがなかった時代には、「これだ!!!」と思ったカプでどんどん本を出していたことがあるのだ。HPで宣伝するくらいしかツールもなかったけどあの密度高いパッションはなかなか楽しかった。
ただ世の中は当時と全然違う。Twitter、pixivと色んなツールがある。今年になってから毎日のように自カプでSNS検索するけどカケラも見つからない。
引っかかるのは自分のうわごとだけだ。サービス中のソシャゲなので最初は信じられなかったが、ああ、これは本当にないのだな、と気づくまでに2ヶ月かかった。一個前にハマったカプがpixivタグ5000超えだったのでギャップの凄まじさを感じた。
ところで、オンリーワンジャンルやカプの人間が自虐的にぼっちだぜ!と言うのは簡単だ。
しかし、1人だと言うのは、言うなれば雪原に最初の足跡をつけ放題状態なので、正直結構、楽しい。ジャンルの現状から言って、元々の人に読んでもらいたい欲求もはなから期待も薄いので、好き勝手し放題である。むしろ描くことで世界に自カプが増えることが嬉しくなってしまう。
ちなみに自ジャンルは誰と組ませても大体オンリーワンカプになってしまう。限界集落なのでそもそもBLを嗜むオタクが絶滅危惧種だ。
自分の場合、絵描き友達が多いので、説明ののち自カプを描いてもらったりなどして、見たい欲求への飢えを凌いだりもしている。友達のみんな本当にありがとう。ただ本当に限界集落なので積極的に他人をはめようとは思っていない(人がいなすぎてハマったら辛いと思うので)。友達たちは1人狂った私の姿を見て楽しんでくれているようなので、周囲は優しさに溢れていると感じている。
>> 一般に取引が行われるとWinWinの関係になるから幸福の総量は増えると考えられている <<
取引で満たせられるのは需要と供給だけでしょ.幸福なんて全く関係ないやろどんな経済社会だよ
>> 市場で独占が発生すると、価格のつり上げなどがよくないことが発生して幸福の総量が減ると考えられている。<<
独占問題に幸福は関係ありません.公平な競争が行われなくなるのが問題なだけ.独占市場持ってる企業の関係者は新規参入がこないほうが儲かるので幸せです.
>> 一夫一妻で独占が発生すると、取引(婚姻)の回数は伴侶となった者同士の1回だけで全体の幸福の総量は減る。<<
婚姻回数なんか社会的信用考えたら少ない方がいいに決まってるだろどんな想定だよヤフオクかよ
>> そこで選ばれなかった者たちが無理な要求を飲んだり、例えば浮気をした場合は幸福の総量を下げる可能性が高い。<<
選ばれてないので浮気もできません.
>> 去った者の幸福度が上がるのは去った先に婚姻より大きな幸福がある場合だけだと思うけどどういう想定かな?<<
東京23区在住の私は2年前からUber Eatsを愛用している。
このコロナ禍でのステイホームの中、ありがたいことに在宅で手が離せない時間が多いほど仕事が忙しいのと、周りの飲食店が続々対応していることもあり、週3回以上頼むヘビーユーザーとなった。
そんな私のここ最近の悩みが、少なくない割合で配達員に問題があることである。
・道に迷わず来る、「お待たせしました」「ありがとうございました」の一言が言える(神、3割)
・道に迷う、日本語が通じない、許容できないほどに冷めているor漏れている(問題、2割)
1年前までは神が7割、普通が3割ほどだったんだが、需要増大に伴う人手不足と新規参入の影響だろうか、神の割合がどんどん減っていった。
無事に配達してくれれば接客を求めていないので普通は別に良い。(10秒擬態するだけでGood評価とチップがもらえるんだからもったいないなとは思うけど)
うちのマンションは細長い形状をしていて、隣と見間違えやすいので、住所と合わせて配達メモに建物の目印と大通りから入口への経路をわかりやすく書いているのだが、
Uber EatsはアプリのGoogleマップで道をナビしてくれて配達メモもわかりやすい位置に表示されるので間違えようがないのだが、多分ナビだけ見て配達メモを読んでいないのだろう。
配達員の現在地を確認して一定時間以上迷ってそうだったら「建物分かりますか?配達メモの経路で分からなければ言ってください」メッセージを入れているが、
ここでGoogle翻訳を駆使してやり取りし、建物までたどり着いてくれる外国人はまだマシな外国人である。
(ただ、この人達も結構な確率で不機嫌を隠さず乱暴に渡してくる)
問題は、ベトナム語や中国語で返信してきて意思疎通ができない外国人で、この場合は一方的にキャンセルされる(こちらからはキャンセルできない)か、自分が建物の外に出ていく必要がある。
日本にいて店頭価格の500円~1000円上乗せで払っていて、日本語対応を求めるのはわがままだろうか......
自転車で運ぶ以上ある程度の崩れは許容するが(ドリンク汁物寿司はもはや頼まない)
Uberバッグを持たずに入ってくるのは勘弁して欲しい。大抵冷めている。
ベトナム人が小汚い小型の私物リュックに料理詰めて来て、弁当が寄っているのを見たときは流石にキレてしまった。
これらの問題が起こった際にはBad評価の上、酷い場合にはUber Eatsサポートに通報を入れているが、
商品崩れなどの際に自動で500円クーポンを投げられるだけで、大抵は何日も経った後にテンプレメールを返してきて終わりである。
価格上乗せしてもいいから、海外のタクシーのUberみたいにプレミアムオプションつけてくれないかなと。
実績100件以上および評価97%以上の配達員およびダブルピック後回しなしの確約みたいな。
そうなると人手が足りなくて全くマッチングしなくなるか。
ただの吐き出し。
ジャンルAはそれなりに大きい、BCも母数がどんどん増えている。
最初は自己満足だったのに、増える閲覧数とブクマがとても嬉しかった。
今までここまで人に構われたことがないので、なんだかドンドンとタガが外れたのかな、とも思う。
ここまで同人活動をするのはジャンルAが初めてで、今まではROM専。
BCの短文を書き続けてたら、恐らくそこそこジャンル内で有名になった。
今までROM専なのでこんな事はもちろん初めて。フォロワー数が一気に増えて、有難い事にファンです、なんて言葉も頻繁にいただくようになった。
のが、いけなかったんだと思う。
Pixivでブクマ数が3桁に乗らないことが多くなった。なんだか落ち込むようになった。
ブクマ3桁なんて、本来中々あることではないだろう。だけど、最初に書いたBCでブクマ数がものすごく増えていったのだ。
BCの勢いが本当に凄かった。毎日毎日新しい作品が上がり、新しい書き手が増え、大手さんも多くなり、BCを満遍なく追うのが難しいくらいに母数が増えた。
自分はBCの母数が少ない頃から書いていた。それで最初の頃はブクマ数が凄くなったんだと思う。それだけなのに。
初期からいるからブクマ数が多くなる→新規参入の人もとりあえずブクマ数高い作品だから読む→自分が知られる、というループが出来ているのもあるのだろう。
最近は、書いてもそんなにブクマ数が増えない。Twitterでも、イイネとRTが伸びない。
自分が好き勝手に書いているだけなのに、なんで反応が鈍ると落ち込むのだろうか。本当に嫌だ。
BCは好きだ。自分が読みたいと思ったものを書いているだけなので、周りへの配慮もない。それでも反応が多かったのが、今まで二次創作をしたことのない自分を勘違いさせたのだ。
自分は人気があると、僅かでもそう思えてしまうだけの材料があった。
書けばすぐにブクマが付き、Twitterに上げればRTは伸び、RT後の感想もあり、マシュマロもたくさんもらった。
それが、変わった。
ブクマも伸びない、通販もそこまで捌けない、今度のイベントで本を出すのでその取り置きを募集したが声が少ない。
もちろん声をかけてくれる方は一定数いる。毎回きちんと反応をくれる方はいる。とてもありがたいことだ。でも、数は多くなくなった。
新しくBCを書いている人が増えた。私なんかよりもよっぽど素敵な文章だ。
読みたいのに、嫉妬心で読めなくなった。あんなにBCを求めていたのに、なんだか面白いと思えない。
Twitter上での交流も盛んにしていた。それも減ってきた。
私は、自己満足のためにBCを書いていたのに、いつの間にか反応が欲しくてBCを書いていたのか、と落ち込んだ。
いやでもそうじゃない。自分が書いたBCは最高に興奮する。それに同意が欲しいだけなんだ。
同じなようで同じじゃない、あくまで自分は書きたいBCは今後も書き続けるだろう。でも、傍から見れば同じことだ。
人と交流をすることも億劫になった。BC間で大多数に受け入れられている解釈が自分は苦手だからだ。
Twitterですでに相互になってしまった人をブロックする勇気はなくて、ミュートにしたらとてもすっきりした。
でも、反応する気がないのにフォローを続けていても良いものだろうか。さっさとリムれば良かった。
現在の悩みは反応がイマイチな本の部数だ。前回もあまり反応はなくて、少なめに印刷したら何回も増刷を望まれた。
それで対応したけど、面倒なので一回で終わらせたい。でも反応がないのが怖い。
前回の数を参考にしても、割と人を選ぶ内容の本だからわからない。前回は結局200くらい捌けたけど、アンケートや取り置きの依頼は100もいかなかったのに。
本当わからない。欲しいと言ってくれる方には届けたいのに、反応がないからわからない。
前回、欲しい方には取り置きますと反応しなかったのに、完売ツイートをすると再販希望と言ってくる人がうじゃうじゃいた。困る。最初から言っててくれ。再販するのも楽じゃないんだ。
多目に刷るか、どうするか。今の自己肯定感のなさとかではとてもじゃないが100刷る勇気も出ない。でも100は行きそうにも思うけど、本当か?
とかなんとかいうもやもやを抱えたままTwitterではニコニコし続けるのが疲れてきた。
元気な時は楽しいだけなのに、疲れると嫌な点ばかりに目が行く。
とりあえず、反応がないのは寂しいので、読んで少しでも良いと思ったらブクマやイイネが欲しい。
それだけで救われる気もするし、結局数字を気にする自分にも吐き気がするのだ。
企業のオウンドメディアやネットニュース系サイトで連載を持っていて、今のところありがたいことに月に30万円くらいは収入がある。(月によって上がり下がりはあるけど)
自分が得意としているのは、いわゆる「やってみた」系の記事。専門的な知識がいらないので、記事の作り方を覚えれば誰でも書けると思う。名刺を作ったらすぐにプロのライターだ。
有名ライターがSNSでフォロワーを集め、バズを起こす(人によっては全然起こらないこともあるけど)ことにより、業界全体の相場も上がり、自分のように新規参入するライターも増えていた。(自分はそこまでフォロワー多くないけど)
だがここ最近、フリーライターとしての将来が不安だ。やってみた系記事のバブルはとうに過ぎ去り、需要が格段に減ってきている。コロナで取材に行けなかったし…ってことはあるかもしれないけど、明らかに需要が薄くなっている気がするんだよ。(どのサイトでもPVが下がってるって聞いた)
若い人は文章を読まないらしい。そりゃYouTubeで動画を見た方が楽だろうし、Twitterの140文字に慣れてしまえば仕方ないだろう。実際、ライター業界よりYouTuberの方が面白い人はたくさんいるし、更新頻度も高いし、クオリティも高い。
ただ、これから専門的知識を付けてライターとして生き残っていこうとか、YouTuberになって一儲けしようとか、オンラインサロンで儲けようとか、ライターがやりたいから稼げない分ウーバーイーツで補おうとかは、全然思わない。
ちなみに、フリーライターになったきっかけは、承認欲求。ポエムを書いてバカな大学生にチヤホヤされたい、って思ってTwitterにポエムを上げてたら、意外にフォロワーが伸びて、ライターとしての仕事を貰うことになった。調子に乗って会社を辞めてすぐに名刺を作った。
でももう、そういうのも飽きてしまったのかも。あんなに持ってた承認欲求が、全然なくなってしまった。
ってことで、世間からも自分自身からも需要がなくなっていくこの状況。やべー!どうしよう!もう30歳じゃん!!ってすごいショックを受けた。
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あとこの「ネット系フリーライター」業界って、将来の指針を示してくれるような先輩が少ないから(みんなまだ若いから)、夢は見れるけど現実的にどうなるか?っていう想像ができないんだよね…。(業界のみんなどう生きていくの??)
最近お気持ちツイートやブログを見かけることが多いので自分に整理をつけるためにもここに書き記す。文章を書くのに長けていないため乱文であることはお察し願いたい。
私はとあるジャンルのA×Bが好きなロム専だった。ABには素敵な絵師さんや文字書きさんがたくさんいて、さらにありがたいことに公式からの供給も多くABがCPとして盛り上がっていた。これはいちオタクとして本当にありがたいことだ。
しかしながらある時、界隈でよく自カプの発言をする人達が騒ぎ始めた。それもただの発言ではない。自カプを攻撃するような所が多々見受けられる発言だった。私はそのグループを「過激派」だと感じた。
始まりは5桁フォロワーがいる大手の何気ない発言だったように思う。Bに新衣装(ここではB’とする。当ジャンルはシリーズ毎の衣装がIF作品としてよく使われる)が来て「B’はA×Bの子供みたい!」と、界隈全体と言っても差し支えないほど皆んなが盛り上がっていたときに、大手は「ABの子供系苦手なんだよね」とTLで発言した。何せフォロワーが5桁もいるのだ、その発言を受けた界隈の絵師と文字書きは皆んな途端に口を閉ざした。新しい供給で騒いでいた界隈が静まり返った。ここで私は「わざわざ界隈に水を刺すことを言う必要はあったのか」と疑問に思ったが、もちろん思うだけに留まった。だって別に苦手だと発言することは止められるべきことではないのだ。個人がそう思ったとしても何ら不思議ではない。(界隈に水を刺すような大手という認識が生まれたが。)
しかし大手のこれを機に何かと不平不満を漏らす過激派大手だらけのグループができてしまった。その過激派グループの内輪と界隈には溝ができ始めていた。
ここで私が使っている「過激派」とは固定厨であり(グループの中には雑食もいるが)尚且つ自カプ界隈を攻撃するグループを総じて過激派と呼んでいる。
私もロム専なりに自カプABに対して解釈を持っていたが、過激派は中でも生粋の解釈厨で
「〇〇なAっていう解釈するやつは頭悪いの?」
「××なAじゃないとAじゃない。〇〇なAが解釈違いすぎる」
「解釈違うやつは虫と同じ。みんな視界に入れたくないよね?」
「ABで検索したんだけど解釈違いで発狂してブロックしまくってる」
というような発言を大勢の目の前で言ってしまうような人々が集うグループであった。(もともと逆カプに対しても死ねや殺すと言ってしまうような人達であったので当然だったのかもしれないが…)
もちろんABの二次創作には「〇〇なA」という解釈が作品として確立していた。話が戻ってしまうが、5桁フォロワーの大手が苦手だと言った「ABの子供系」という作品も少なからず存在する。これらの呟きを図らずも見てしまった(表垢でわざわざ見えるように発言するのが過激派グループだ)絵師や文字書き、〇〇なAを好きだった人は萎縮した。そういう作品を上げていた絵師さんたちはABの話をしなくなった。そしてフェードアウトするかのように何も言わずに黙ってこの界隈から去っていった。
ある時は、グループの中でも1番と言っていい過激派のXがTLに流れてきたとある絵師さんのイラストに対して直接文句をつけ始めた。
「〇〇なAとかどうしたらそうなるの?Aは高等な教育を受けていて教養が身についてますけど。朝から変なものを見た最悪」
流れてきた地雷イラストを無視するのではなくわざわざ口に出して言ってしまう。それに賛同する信者の数も一定数いる。このような雰囲気が何ヶ月も続きついに界隈は大炎上した。
炎上したきっかけは私と同じとあるロム専の人のお気持ちツイートだった。
「界隈内でこの解釈が無理だのこれは読めませんだの自分の界隈の身内の書き手以外を攻撃してくのおかしい。こんな界隈見たことない。」
このツイートにはロム垢とは思えないくらいたくさんのRTといいねがついた。これに賛同する絵師さん文字書きさんも多く、過激派グループに属していない大手絵師さんたちの一部もお気持ち表明ツイートをした。かなり安易に「大手」という言葉使っているがフォロワーが4桁以上の人を私はそう呼んでいる。実際にお気持ちツイートした人は3000人また5000人ものフォロワーがいる人であり、このお気持ちツイートは界隈の末端の発言であるとは言い難いものである。
しかしながら過激派グループは腐っても過激派なのだ。比較的過激派ではなかったYに「あなたも過激派グループの1人ですか?」「自分たちのことを過激派だという認識はないのですか」という内容のマシュマロが届いた結果、グループ全体で逆ギレし始めた。
「別に名指ししてるわけじゃないでしょ」
「どっちが界隈を廃れさせてるのかわからないの?」
「好きなことだけ呟けばいいよ…」
ここでまず疑問に思うのが過激派グループは揃って「名指ししてないよ」と言っている点だ。たしかに「名」指しはしていないが本当に指してないのか?そんなわけがないだろう。
〇〇なAが嫌いだという結論に至るのは〇〇なAという作品がありそれを認知しているからである。ABが好きな界隈の人であれば、どのような作品を示唆しているのか、果てはどの絵師さん文字書きさんを言っているのかがわかってしまった。その結果、絵師さん文字書きさんが悲しんでこの界隈を去って行ったのである。そしてこの「どちらが界隈を廃れさせてるのか」「好きなことだけ呟けばいいよ」というお気持ちツイート。5桁フォロワーの大手が言っていたものもあり、いずれにせよ、過激派グループが言える立場にあるのか、甚だ疑問に思う。
当事者である過激派グループと界隈の一部を除いて皆んなが見て見ぬふりという態度をとったため数日後には炎上はおさまっていた。しかし過激派グループとそれ以外の溝は確実に深まっていた。根本的な解決には至っていないのである。水面下で皆が皆、不安を抱えて過ごしているように感じてしまう。
もともと過激派グループの声が大きくなってきた頃から、AB界隈は他B受け界隈から「怖い」という印象を持たれている界隈だった。自カプを攻撃するようなグループが中心に居座っているのだからこれは当然のことであろう。そしてこの炎上以降「界隈が怖い」という呟きをするひとがぽつりぽつりと増えた。
その結果、ぼや騒ぎが常に起きているかのような界隈になってしまった。いちロム専としてこんな悲しいことはない。
だが過激派グループは「界隈が怖い」と言われることに憤怒しているようなのだ。逆ギレしたようなお気持ちツイートもたまに見かける。そして何より恐ろしいのが「怖い」と呟いた人に対して「そのツイートは界隈のためにならないので消してください」という旨のご意見DMが届いたというのを耳にした。自分がそのようなDMをもらうと考えると怖い。これを怖いと言わずしてどうしろというのか。消せ、と言われた人はやはり悲しみながら萎縮してしまっていた。
このような環境が長いこと続く界隈である。過激派グループ以外の絵師さん文字書きさんは、
「人気のある人たちだから嫌われると怖い」
「気軽にRTできない」
「ABを書きづらい」
「ABをかくこと自体が怖くてできない」
と言った具合の心境らしい。らしい、というのはあくまでも私がロム専に留まっているからである。
怖くて「何も」発言できないのである。発言をした人は過激派グループから除け者扱いされる。恐らく過激派グループはこれを末端の声程度にしか思っていないのだろうが、きっとそうではない。
内輪と界隈の溝を全く理解していない。新規参入さんにはわからないかもしれないが、長いことABを推していた人はその威圧感をひしひしと感じ取っている。主語をでかくするななどと言われるだろうが、過激派グループとその信者を除いて、界隈の多くが思っていることである。近い将来また炎上しそうなことなんて誰の目にもわかり切っている。
どちらが界隈を廃れさせてるのかだなんて少し考えてみれば一目瞭然ではないだろうか。これは価値観の違いではなく単に道徳心の程度の差だ。良識のある無しとも言えるだろう。
いっそのこと界隈の皆んながおパ中みたいな人だったら楽しそうと思ってしまうくらいには疲れてしまった。同じABというCPを推している者同士、こんな内戦が起こらなくても良いではないか。その界隈の作品に対して全肯定botなおパ中がいるような界隈が羨ましい。
https://xtech.nikkei.com/it/atcl/watcher/14/334361/022400787/
というか、業界で見るとそうだけど
こちらからすると、ろくなノウハウもないのに安値で仕事を受注して、事故率が高いといわれても、むしろ動くべきは警察であって我々ではないとしか言いようがない。
IT業界がそうだ、というより、そういう企業が多いということは事実ではあるが
同時に、新規参入の業者が多いというのは別増田がいっているとおりで、なぜそうなのか?というのをうかつに業界のせいにしないでほしい。
元請けというか、中受け問題と言われるが保証料(納品時に問題があった場合技術を含めて協力をする)を10%から30%とったりするが、けっして高くはない業界なのである。
で 実行速度が 同程度 (CPU利用率が計測する計測間隔全域で1%未満つまり平均1%未満最大1%未満(計測間隔はタスクマネージャーのデフォルトとする))
という条件で この金額で この納期は さすがに他社は難しいと思うんだよな 新規参入障壁と呼ばれるから
金額はさすがに譲歩するとして 他社と同程度という見積もりの文言を入札書に書かせて・・・
断じてぼったくりではない。もしそういうご意見があれば金額を書いても良い
※すでにノウハウが有り、値段が付けられないため 結果 1円入札
複数購買の中で、落札できた数社の中で一番高い入札値段で全社がウケる というのでいいですよね?
やってきた、新規参入業者 個人 プログラムオリンピック 全米 2位 本人コメント ビリビリなる女に我が名をいわんといかん。2位は忘れられやすい。1位と3位だけではないのだ。
三途の川の渡しちんが少々足らん}()
http://web.archive.org/web/20190511210441/http://fladdict.net/blog/2006/08/post_32.html
別にGigazineが悪いわけではまったくないけれど、Gigazineのエントリーが頻出するようになったあたりから、どんどんエントリーの質が下がってきている。もう最近あまりホッテントリも読まなくなった。
新しいこと画期的な概念、難解な議論は、とくに吟味もされずにスルーされて、まとめサイトや実務系tipsのような単なる再生産なのだけど実務での使用に耐える、そんなんばかりが増えていく。
ttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292853.html
ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのは「はてなブックマーク」だ。たとえば今日の当ブログの記事には、現在39のブックマークが集まっているが、そのコメントには記事の内容を論理的に批判したものは一つもなく、「バカ」「うんこ」「アホ」などの言葉が並んでいる。「しればいいのに」という奇妙な言葉もあるが、これは「死ねばいいのに」というタグが禁じられたため、その隠語として使っているのだろう。
この下劣さは、今や2ちゃんねる並みだ。私は、以前も「バカ」とか「死ね」といったコメントを許すのかどうかについて、はてなの事務局に質問したが、回答は得られなかった(しかしこういうタグは禁止されたようだ)。はてなの近藤淳也社長や取締役である梅田望夫氏は、こういう幼児的なメッセージをばらまくことが「総表現社会」だと思っているのだろうか。
ttps://www.j-cast.com/2008/11/11030158.html
はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。
一方、同じ匿名ダイアリーでは10日、こんな批判も。ある利用者が「この梅田という人は、はてなブックマークがそんな知的なサービスだと思ってたんだろうか。いつの間にか2chと変わらん場所になってるんだけど」と疑問を投げかけたのだ。ブロガーには、はてブでコメントする人たちの一部を「ネットイナゴ」と蔑む向きもあり、こうした見方は依然根強いようだ。
http://web.archive.org/web/20120506051606/http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090611/1244726606
それが言葉というものの怖さである。そしてインターネットは、そうした言葉が先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
だから、そこを管理運営しているはてなという会社には、実はとても大きな責任があるのだ。そこで事故が起きないように気をつけたり、誰かが誰かを傷つけたりしないよう見張っている道義的、かつ社会的責任があるのだと、ぼくは申し上げたのである。
しかし現状、今のはてなにはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険な場を形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人死にが出るだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。
みんなで似たような情報ばっかり見てる。
こういう現象ってなんて言うんだろ?
あと、はてブでのコメントが、妙に上から目線で断定口調の人が多くて
それがスター集めてたりしてるのを見て、知らず知らずのうちに
どんどん2ch化していっている感じ、というかまんま2chのコメントが目に付く。
はてブのtwitterカウントを見ると、情報に餓えていた層のうち相当数がtwitterに移行してしまっているようだ。「はてな的」な話題はlaiso氏が発掘し、kanose氏やotsune氏が拡散し、そのフォロワーがはてブカウントを押し上げて注目エントリー入りさせるというのが黄金パターンだという認識だったんだけど、今ははてブアカウントを持たずに、タイムラインから記事を閲覧して満足という層が増えた印象。
「はてブは終わった終わった」みたいなのは2年以上まえから言われてるんだろうけど、最近は本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする。
初期のはてブは「個々人の気に入ったサイトをブックマークに登録する→結果としてその時々の流行サイトが分かる」、だったのが今は「流行サイトを追いかけるためにはてブを見る→流行サイトがはてブに載る」に変わったんだろうなー。
ttps://togetter.com/li/392693
おれもかつてはてブで「相手が阿比留るび(漢字失念)だから何言ってもいいのか」みたいなことを言ったらはてなサヨクさん方に思い切り反発されたな。最初に反発してきた人は事情話したらわかってくれたが、そうでない人も多いんだろうなと。ちなみにおれもこの記者さんはかなり問題視してるクチです。
2chまとめ記事増えすぎだし、コメント欄がヤフコメ並になってるし
やまもといちろうとかいう経歴捏造しまくって嘘吐きまくってた奴のブログがやけにホッテントリに入るし(誰が有難がってるの?)
はてながこのレベルだともう日本のネットは落ちるとこまで落ちたんだなぁ・・
非常に残念だわ
以下略。
親指シフトがdisられていて悲しい。自分が親指シフトを使っているのはたまたま昔ワープロで覚えたからで、他人に無理に勧めたりしていない。親指シフトのユーザーが全員「なぜVimを使わないのか!」みたいな勢いで布教しようとしているわけではないよ。
自分のタイピングは別に早くないし打ち間違いも多い。でも親指シフトは自分に合っていると思うから使っている。JIS配列の「:」キーが親指シフトではBackSpaceなので、打ち間違えてもすぐ戻れるのも気軽にミスタイプできる一因かもしれない。
親指シフトのメリットで「入力が早い」ばかりが注目されてしまったぶん、「別に早くないじゃん」と言われてしまいがちなのかもしれない。
「今から人に勧めるべきでない」は自分も賛成で、親指シフトは将来がある入力方法ではない。キーボードの自作がポピュラーになったから親指シフトが使えなくなることはないだろうが、喫煙者のように新規参入者が減っていって、いつかユーザーが全員死んで終わるんだろう。自分は死ぬまで使い続けるつもり。
やまもといちろうがまた舐めた詭弁で人を騙そうとしているので解説します。
政策決定のトリアージから漏れた産業が、そういう冬の時代を生き残る秘訣はただ一つ。「現預金を多く積んでおくこと」以外にありません。CASH is KING。アリとキリギリス。現金のない奴は、死ぬんです。調子こいて内装にカネをかけたり、会社のカネで赤いポルシェを乗り回したり、愛人に代官山フラッグス裏のタワマンを買ってやるような日焼けゴリラは死ぬんですよ。
現預金を多く積んでおくというのはそれだけ金を遊ばせておいて投資に回さないということで
みんながこれを始めれば景気が絶対零度へ一直線です。
ていうか共産党岩盤支持層たるはてなの人達みんな二言目には「企業の内部留保ガー」言うてたやないですか。
(逆も真なりではないので注意。利益剰余金沢山あるけど現預金ではない、ということはよくある。)
現預金が少ない企業というのは別に「調子こいてるキリギリス」ではありませんし
そこの中で、わずか一握り、ごく少数の、ちゃんとした飲食に賭ける人たちが出て、その文化を担う人たちに客がついて、どんな立地でも繁盛店が生まれます。ゴミだらけの外食産業の中で、救われるべきなのはこういう「飲食に本当に身を捧げた料理人やオーナーたち」だけです。
やまもといちろうの暴論通りにすると助かるのは「本当の料理人の店」ではなく、単に「財務体力のある店」です。
自分で指摘してる通り、松田公太の企業なんかはまだまだ耐える体力があるので倒れないんですよ。
序盤に松田を「お前はまだ体力あるから潰れないだろ汚い商売人め」と罵っておいて
締めで「潰れない飲食が本当の飲食」というふわふわきれいごとを言い出すのでものの見事に矛盾した構成になっています。
だって「飲食に身を捧げた料理人は現預金多めに溜め込む保守的経営をしてる」
たとえば「納得のいくものしか出したくない!」って素材にこだわった利益率の低い料理を出してた店は
営業できなくなれば沢山の客に惜しまれながらあっと言う間に倒れちゃいますね。
飲食店がどんどん開店しては殆どが潰れるということ自体はその通りなんですが、例えとしては全く間違ってます。
今のままだと、新型コロナが来なければ潰れたりしなかった店が大量に潰れるんです。
たとえば入試当日に大地震が起きて受験生の9割がたどり着けなかったのに救済せずに終わりにして、
「地震が来ようが来るまいが、受験生の9割は落ちるんだから結果は同じです」と嘯くに等しい。
本来求められる成績優秀者ではなく単に会場までたどり着く体力のあった人達が合格してるでしょう。
今回のやまもとの暴論みたいな理論は経済学に大昔から存在します。
キツい環境下で何の手助けもせず放っておけば古い非効率なものが倒れ、優れたものだけが生き延びてイノベーションが起きる、
だから不況は下手に手を出さずに放っておけばそのうちすべてがいい方向へ進む、構造改革が成る、という理論。
日本でシュンペーターが大好きな有名人がいます。はてなの皆さんならみんなが知ってるあいつだよ。
竹中平蔵。
小泉改革のころしきりに「創造的破壊!」ってバカなこと言ってたでしょう。
カバレロ=ハマーの実証研究によれば、1972-1993年のアメリカの製造業のデータを用いて分析した結果、不況によって社会的に有用な企業の倒産がむしろ増加しているとしている[1]。また、不況によって新規参入は困難となり、老朽化した企業の存続を助けているとしている[1]。
経済学者の竹森俊平は「日本の開業率は1990年代を通して低下を続け、1996-1999年は戦後最低の水準に落ち込んでいる一方で、廃業率は上昇し続けている」と指摘している[2]。
経済学者の田中秀臣は「日本の失われた20年の間、日本の開業率と廃業率を比べると、廃業率が多いが開業率は少ない。起こったのは、大企業ばかりが残り、ベンチャー企業は資金力が無かったために真っ先に潰れてしまうことだった。さらに不況下では、若者の失業率が高くなり、イノベーションを生み出す若者が働けなくなっている。不況下ではイノベーションが生まれないというのが現実である」と指摘している[3]。
経済学とか知らんわって人でも現実として実感のある指摘ばかりでしょう?
今回やまもとが言ってるのはこの方向性です。
シュンペーター自身は真面目な経済学者だったかもしれないですが、
後世に彼の理論を使うのは自分の利益のために社会を壊れるままにさせたい悪人ばかりです。
詭弁を見破るコツは
今回の「ちゃんとした飲食に賭ける人たち」「飲食に本当に身を捧げた料理人やオーナーたち」のような
何を指してるのか曖昧なフレーズが出てきたときにン?と立ち止まることです。
全体の論理をチェック出来ない人でもこういう内容不明なフレーズ出てきたとき「くせえぞ?」と思うようになれたら成長します。
言ってる方も意図的なので、キレイっぽいコーティングして誤魔化そうとしてることが多いというのも覚えておくと手掛かりになります。
やまもといちろうは不動産所有者なので「徳政令とかふざけんな!」というポジション感情が高まってこの乱暴な詭弁をアップしたのでしょうが
彼が詭弁を弄するときの手つきというのは非常に癖があるので一度見たことがあるともう見え見えです。
冒頭に事実や正論を提示しておいて、その後は延々ポジショントークを書き連ねるだけだけど
最初の正論の好感度や文章のドライブ感に紛れて「おおむね正しいこと言ってるのかな」という印象を読み手に与える
というもの。
今回の文で言えば、初っ端の「松田公太は死ね」という正論のあとは最後まで「不動産所有者に迷惑かけるな」ということを壊れた論理で叫んでいるだけ。
その間に「トリアージ」とか「国民を救え」とか、わざと論点をあっちこっちスキップして本当に言いたいことが露骨にならないように誤魔化してるわけです。
本論の部分は竹中平蔵憑依のシュンペーターイズムで不況を放置せよというガバガバ経済学。
この詭弁の手つきは、これは大昔のあめぞうや2ちゃんねるの時代に培われてると思います。
手もなく騙されてます。
言ってることはあれだけ滅茶苦茶なのに。
こういう手口への免疫力が全くないんですよね。やまもとのやりたい放題。
「吊るせってなんだよおっかねえな?」
「再びって一回目はいつだよ」
タイトルでググれ。