2020-08-20

二次創作オタクの繰り返すデビュー欲求

あらかじめ書き添えておくが、当記事はいわゆる「◯◯デビュー」といわれる“新たな環境における心理変化”の話であり、オタクによる二次創作界隈の話でもある。

我々には何かしら再デビューの機会が与えられている。進学、就職転職転勤。別れと出会い結婚離婚出産育児引っ越しなどなど、人生の節目というやつは言い換えればリセットであり、それまでの生活から心機一転だ。黒歴史封印し、面倒な人間関係を精算するにはうってつけのタイミングである。(ま、周りはそう手放したり忘れたりはしてくれないが)

それら「人生の転換期」ともいえるデカい状況は、自己都合でおいそれとは引き寄せられない。数が増えるとリスクも大きいし、単純に疲れる。それに引き換え、趣味はわりあい手軽な転換が可能だ。飽きたら変えればいい。やらかしたら離ればいい。(ま、周りはそう簡単に許してくれないかもしれないが)

簡単に言えば“逃げられる”世の中になった。

そこで、冒頭で書いた「二次創作」の話である

私は高校時代から25歳くらいまで、オタク活動を至上の趣味としていた。漫画アニメか何かしらのメディアにのめり込み、たぎる妄想武器に、同人誌を作ったり売ったり買ったりしていたのである。絵も描いたし文章も書いた。同志とつながり、内輪受け企画をしたりオンリーイベント主催したりして、それなりに楽しく仲間内での交流をしていたと思う。

そのうち、やりたいことがねじ曲がっていった。

原作ネタ元)が好きで、妄想の行き場を求めて創作に打ち込むのではなく、本を出して感想をもらったり企画をほめられたり、讃えられ、感謝される自分に酔いしれるようになったのである。よくある「承認欲求」というやつだ。

満たされているうちはいい。しかし、よほどの神作家でないかぎり、チヤホヤ曲線は必ず下降する。それに、ネタ作品への愛が薄れていることは、たぶんバレてる。

私は最初の一作が評価されやすく、ジャンル大御所の目にとまっていきなり浮上する。

新たなコラボイベントなど、注目を浴びるような企画打ち上げることも多い。

結果的に、その界隈でいきなり知名度が上がる。

しかし、すでにその時点でネタ元への妄想は枯渇している。

自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。

惰性で出した創作物は、それなりの評価しか得られない。

知名度があるのに売れない。必要とされない。プライドが許さない。もう戻れない。

結果として、逃亡した。離れるよ、ジャンル移動するよ、と堂々と宣言するのではなく、さっと姿を眩ませた。オタクはもうこりごりだと砂をかけるようにして。

そして、かなりの年月が過ぎた今。

また、同じことを繰り返そうとしている。

そろそろいいだろう。ほとぼりは覚めたと。

あの頃の自分とつながっている人はいない。

個人サイトからSNS交流の場が移り、オンラインだけでもオタク活動可能になった。

同人誌頒布イベントに出なければいい。オン専文字書きになろう。交流もさして必要ない。誰か見知らぬ人に読んでもらえるだけでいい。

そして、支部ひとつ小説を上げた。

ジャンル内で知らない人はいないだろうという絵師の目に止まった。

ツイッターシェアされたのを知った。そこで箍が外れた。すぐにツイッターを始めて、その絵師とのコラボを開始した。

予想される結論から先に言おう。

あれから数ヶ月、その絵師との交流はない。

何を上げても反応はもらえない。

彼女が他の作家と楽しくやりとりしているのを悔しげに見つめるだけだ。

なぜなら、私の中でもうネタ元への妄想は枯渇しているから。

自分の中に残っているのは、それらをプロデュースする私、というコンテンツだけ。

今、承認欲求というやつの怖さをまじまじと感じている。

あくまでも二次創作だ。世の中の素敵な作品ネタ元なんかじゃない。原作へのリスペクトなしに認められる活動ではない。

でも、どうしようもないのだ。世の中の素敵な作品を“私が誰かに認められる表現のための素材”としか考えられない自分を変えるのは難しい。

潮時なのかもしれないと思いつつ、今の場所にしがみつきたい思いも捨てきれない。

辛い、虚しい。ちやほやされた自分過去を全部忘れて、すっぱりと切り捨ててしまいたい。

いっそ忘れてほしい。そして何食わぬ顔をして新規参入したい。

また私は、デビュー先を探すのだろうか。

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